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ユートピアと社会実験

ドキュメント内 石川三四郎のユートピア構想 (ページ 36-58)

第1節  ユートピアとユートピア運動

      1.ユートピアの原義

  「ユートピア」は論者・評者により様々な定義が可能であるが、それは豊かな議論を生 むと同時に混乱を招く要因にもなっている。ユートピアに関わる発言をする場合、事前に ユートピアの定義を確認しておくことが求められてくるものと思われる。そこで、本章で は、ユートピアの定義に関する問題の整理と本研究の立場を明確にし、研究対象の絞りこ みに関して言及する。

トマス・モアの造語である「ユートピア」は、幾多の人々によって、その定義が試みら れてきており、また定義自体の歴史に関する研究も可能であるが、本研究では、ユートピ アの原義に忠実に従うことにする。

ユートピアを探るという課題を掲げた時、まず、古代社会にその淵源を求めるという方 法が考えられるが、逆に、未来社会像を対象とするといった場合も出てくるものと思われ る。ただし、いずれの場合もモアの手を離れて、ユートピア像が一人歩きしてしまう危険 性がある。一方、現在、一般社会に普及しているユートピアの意味は、「理想的な楽土」ま たは「想像しうるかぎりでの最上の住みよい場所」といったものである。この定義に従う と、文学作品や絵画として描かれた架空の国、街、島や、現実世界の中に建設された遊園 地、観光用の宿泊施設など、日常の世界から隔離された理想的な空間を主に指すことにな る。このような理想空間のみをユートピアと呼ぶことは、この造語が本来意図していたも のを薄めてしまう。

ユートピア(Utopia)という用語は、ギリシャ語の「ウー」ou(英語の no)と、場所 を表す「トポス」topos(英語のplace)を組み合わせて造られたとされるが、同時に、良 いもの表す「エウ」eu(英語のgood,well)と「トポス」を結合させており、「楽園のよう

32 な良い場所」という意味も有するとされる1)

英語の発音上では、「ウー」と「エウ」は同じであるため、utopiaは、no placeとgood

place をかけた洒落言葉にもなるというしくみになっている。このように、ユートピアに

は二つの意味が込められていたが、一般には、no placeの方が広く知られており、日本に おいても「空想的」、「架空」といった印象が先行してきた。

小説『ユートピア』の扉には、「社会の最善政体について、そしてユートピア新島につい ての楽しさに劣らず有益な黄金の小著  著名、雄弁なるトマス・モア  有名なロンドン市 の市民、司政長官著」といった長い書名と著者の身分が記されている2)。この作品では、

16世紀のイギリス社会の批判と、改革のための指針となる原理が提示された。

  批判の対象となったイギリス社会の状況とは、牧羊地の囲い込み、食品の販売独占、過 酷な刑法、国王の領土征服欲と個人的金銭欲であるが、それは、イギリスを含めたキリス ト教社会全般にわたる社会的悪弊、社会的不正義のことでもあった。

  『ユートピア』は2巻構成となっており、第1巻では、モア自身による、上述のような イギリス社会の現状に対する批判が、第2巻では、ヒュトロダエウス(Hythlodaeus)とい う漂流経験をもつ語り手によるユートピア島についての報告が行なわれる。ヒュトロダエ ウスは、「下らぬことの大家・冗談学者」を意味する。そのような人物によって語られるユ ートピア島の有様は、イギリス社会の実情とは対極にあって、何から何まで逆様な価値観 で動いている社会である。

  第2巻のユートピア談の方が空想国への旅行記として読む者を惹きつけるため、こちら が分離独立してユートピアの原型として扱われ、考察の対象とされることが多いが、モア は本来、現実社会の批判を行なうことを目的としており、第2巻も痛烈な社会諷刺として 対極的な社会の姿を描いて見せている。したがって、単なる娯楽小説を創作しようとして いたわけではなかったといえる。

  この点に、教育思想家・啓蒙家としてのモアの一面を見ることができる。すなわち、社 会が抱えている諸問題を、物語を通じて分かりやすく、かつ刺激的に伝えることによって、

多くの人々の関心を集めるという工夫が見られるということである3)

『ユートピア』は、当時ヨーロッパの教養人の共通語であったラテン語で書かれており、

読者層も薄かったことは明白であるが、特権階級の立場にありつつも、まず、その階級自

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体に警鐘を鳴らそうと試みたことに意義があるといえよう。その後、英語をはじめ、世界 各国語に翻訳されていく過程を見れば、社会風刺文学による啓発というしくみを開発した モアの業績は不動の位置を占めるといえる。一方、階級闘争の展開という視点から、ユー トピア島の有様を、共産社会のモデルととらえ、モアを共産主義思想あるいは社会主義思 想の祖と位置づける見解もある。たしかに、15世紀末のイギリスを本源的蓄積の時代であ ったと解釈すれば、16世紀の前半に早くもモアが資本主義の矛盾を摘発し、その後の社会 主義思想の勃興と発展をもたらすような思想的基盤を準備したという説明も成り立つ。

  しかし、本研究では、モアを社会主義史や共産主義史の系譜に収めず、広義の社会批判 を行なうための装置を開発した人物ととらえる立場に立つことにする。すると、資本主義 社会の弊害を是正する場合はもちろんのこと、社会主義社会や共産主義社会が抱える問題 に取り組む場合も含むことになる。すなわち、ユートピアは、あらゆる社会問題に立ち向 かう思想や実践運動を支える原理になり得るということである。

  本研究では、モアの思想やユートピアの思想史、またユートピアの原理に関する考察を 第一の目的としていないため、これ以上の言及は控える。ここで確認しておきたいことは、

ユートピアが、当時のイギリス社会に対する批判や社会風刺から出発しているものの、そ の適用の範囲が限定されるものではなく、時代や地域を越えて普遍的に通用する思考様式 になり得るという点である。

  このような見解のもとで、ユートピアの原則をまとめると、①現在の社会の問題点を摘 出して痛烈に批判すること、②新しい社会の姿を提示することとなる。本研究では、「ユー トピア」という造語が生み出された時点を重視し、そこから普遍性を獲得していったと解 釈するという立場から、この原則に忠実に従いたい。

  ①は、現在の社会体制に直接対決するという点が核となる。それは、文筆活動における 社会諷刺や、新しい経済生活を体現する共同体の建設など、現行の体制を批判しつつ新し い社会の姿の提示や実現運動を試みる場合を指す。ここで注意すべき点は、現社会から逃 避して自分だけが満足する空間をつくろうとする隠者や、地理的に隔離された場所で独自 の生活を営むような特定の集団は、社会の改良をはじめから避けている、あるいは連繋し ていかないという点において、ユートピアをめざす活動には含まれないということである。

  ユートピアをめざす活動は、絵空事を嘯く奇人の言動であるように受け取られる可能性

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があるが、ユートピアの原則に従えば、社会の改良を画策する地に足の着いた行為を指す。

この社会批判力は、ユートピアの生命線であり、ユートピアに積極的な意味を見出そうと する本研究の鍵となる部分である。

  ②は、現在の社会秩序とはまったく異なる秩序をつくるという点が特徴である。現体制 内における政権の交代や、現行の貨幣の存続を許容したままでの生活改革といった範囲に 収まらず、逆転の発想に基づいて新社会の構想を練るというものである4)。また、広義の ユートピアにおいては、社会主義革命運動やファシズムによる政権の奪取なども含まれる ことになる。この点は、ユートピアが、いわゆる左翼思想に基づく理想社会の提示のみを 支えてきているわけではないことを示している。

  以上の二つの原則に関しては、抽象的であり、多様な解釈が可能であるため、多方面か らの批判が予測される。すなわち、モアの『ユートピア』を文学作品の一つであるととら え、文学以外の思潮の淵源とは位置づけない者、また、あらゆる文学作品にユートピア性 は伴うものであり、ユートピア作品という領域を設定することに意義を見出さない者から、

ユートピアに社会改革の要素を期待しすぎているという指摘がなされるかもしれない。さ らに、社会問題とはそもそも何なのか、問題とされる根拠は何であるのか、また、「新しい 社会」は即「良い社会」と言うことができるのであろうか、といった根源的な問いを示さ れた時、明確な答えを出すことは困難である。

  本研究の立場をふまえてこの時点で答えを用意するならば、ユートピアとは、ある特定 の理想社会のモデルを決めて、それを絶対的なものとして固定化し、波及させていく機能 を果たすものではなく、恒常的に「良い社会」とは何かについて考える材料を提供し、ま た、社会的な実験の試行を下支えするものということになる。ユートピアは、人類にとっ て、自らの生活のあり方を考えるための大規模な教材といえるのである。

  このように見てくると、ユートピアの多様な定義が可能であることをもって、ユートピ アが備えていなければならない社会批判性を削ぐ方向で議論を進めていくことは、無益で あるように思われる。本研究では、以上のような見解から、モアの示したユートピアの原 義に忠実に従う立場に立つことにする。

ドキュメント内 石川三四郎のユートピア構想 (ページ 36-58)

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