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博物館にみるメスティーソ性の称揚

ドキュメント内 ̶プラナカン・メスティーソ・琉球華僑̶  (ページ 76-90)

第3章 グローバル・フィリピノとチャイニーズ

第2節 メスティーソとチャイニーズ性

1. 博物館にみるメスティーソ性の称揚

カイサは、チノイをフィリピン国籍取得によりフィリピン人として同化した存在である ととらえているわけではない。「チャイニーズの文化的認同が危機的状況にあるとの認識に 立ち、チャイニーズとフィリピン人との間の文化的な差異や社会的距離を認めてこそ国民 統合も可能である」192とうたっていることから、カイサは差異を前提とした国民統合を提

188 カイサのウェブサイトhttp://wordpress-kaisa.rhcloud.com/?page_id=27(閲覧日:

2016年11月1日)

189 Go and Fannie Tan Koa 2004 op.cit., 102.

190 Go and Fannie Tan Koa 2004 op.cit., 94. 引用者訳。

身代金誘拐だけでなく強盗事件も多発しており、それは現在も続く問題である。筆者があ るチノイの女性と会話中、話の流れで彼女は2010年代に知人のチノイである夫婦が自宅 に強盗に入られ殺害されたことに触れ、いまでもこうした事件は起こっており、しかもマ ニラのような都会だけでなくルソン島の地方でも起きるのだと語りながら涙する場面があ った(2016年3月5日、マニラにて)。

191 Go and Fannie Tan Koa 2004 op.cit., 94, 103. 2つのNGOとは、Movement for Restoration of Peace and Order (MRPO)、Citizens Action Against Crime (CAAC)を指す。

192 Ang-See, Teresita 1994 “Political Participation, Integration and Identity of the Chinese in the Philippines.” in Teresita Ang-See and Go, Bon Juan (eds.), The Ethnic Chinese: Proceedings of the International Conference on Changing Identities and

唱していることがわかる。このような主張をするにあたっては、スペインからの独立運動 に貢献した国民的英雄であるホセ・リサールがメスティーソであったことも大きく関係し ていることが考えられる。1990年代に入るとホセ・リサール193に代表される「歴史的な 中国メスティーソ(混血)のフィリピン革命への関与」を再評価するなど、「フィリピン史 の主流に位置するチャイニーズ」を主張するようになっていく194

カイサは「菲華歴史博物館(Bahay Tsinoy)」と「施振民記念図書館(Chinben See Memorial Library)」を管理する「華裔文化伝統中心(Kaisa Hertage Center)」を置いて いる。カイサとカイサ・ヘリテージセンターおよびその運営する博物館と図書館は、イン トラムロス内にある一つの建物に入っており、建物の2、3階が博物館、3階の一部に事務 所と図書館がある。図書館にはフィリピンの華人にかんする英語、中国語(簡体字、繁体 字)、一部タガログ語の本や雑誌、論文、写真集、新聞、会報などあらゆる資料が収集され ており、館内で閲覧することができる。フィリピンの華人系にかんする資料の豊富さでは 世界随一ともいえる品揃えで、国内外から多くの研究者が訪れるほどのコレクションであ ることをうたっている。また、後述するがカイサは隔週でマガジンを発行しているほか、

華人研究にかんする図書195の出版などもおこなっている。

ここでは菲華歴史博物館(Bahay Tsinoy(チノイの家): Museum of Chinese in

Philippine Life)と名付けられている菲華歴史博物館の展示からみていこう。博物館では

大まかな年代ごとに展示が構成されている。館内にはマゼラン到着のはるか以前から中国 Relations in Southeast Asia. Kaisa Para Sa Kunlaran. 139-147. 日本語訳は下記による ものである。

宮原暁 2002「周縁の素描――チャイニーズの人口移動と知識のダイナミズム」吉原和男・

鈴木正祟編『拡大する中国世界と文化創造―アジア太平洋の底流』弘文堂、477頁。

193 ホセ・リサールのメスティーソ性については多くの議論があるが、本稿ではそれらに ついては最小限にとどめる。早瀬晋三の下記文献による解説を示しておく。「ホセリサール

(1861~96) フィリピン第一の国民的英雄。医師、作家、歴史家、芸術家など数多くの

肩書きをもつ。世界各地に足跡を残し、作品は日本語を含む多くの言葉に翻訳された。」

早瀬晋三 2009『世界史リブレット123 未完のフィリピン革命と植民地化』山川出版社、

17頁。

194 宮原 2002 前掲論文、477頁。

195 Teresita Ang See 1990 Chinese in the Philippines: Problems & Perspectives Volume I; Teresita Ang See 1997 Chinese in the Philippines: Problems & Perspectives Volume II ; Teresita Ang See 2004 Chinese in the Philippines: Problems &

Perspectives Volume III ; Teresita Ang See 2013 Chinese in the Philippines: Problems

& Perspectives Volume IV; Teresita Ang See and Caroline S. Hau (eds.) 1997 Voices Mga Tinig: The Best of Tulay; Edgar Wickberg with Chinese translation by Go Bon Juan 2001, The Chinese Mestizo in Philippine History をはじめ、2013年時点で50点 以上が出版されている。

大陸、おもに現在の福建の人びととの交易があったことを示す陶磁器の出土品や、マゼラ ン到着からスペイン時代、アメリカ時代、日本軍占領期におけるチノイの生活を解説する パネル、一角にはイルストラード(Illustrado:知識層)のコーナー、フィリピン国家に おけるチノイのリーダーのコーナーなどが設けられ、貴重な陶磁器、19世紀の写真や絵画、

アメリカ統治期に発行された新聞、中国商報の創刊号のコピー、ジオラマなどを用いた展 示がなされている。

ジオラマではサリサリ・ストア(sari-sari store)という個人商店を経営する華人系庶民 の暮らしや、机に向かうホセ・リサールの様子などが表現されているが、これらはチノイ がフィリピン社会に深く根付いており、国家建設に不可欠な存在であることをアピールす る展示であるといえよう。

イルストラードのコーナーでは、国民の英雄であるホセ・リサールをはじめとする知識 人層はメスティーソであり、スペインから独立してフィリピンという国家を建設するにあ たり重要な役割を果たしてきたことをはっきりと打ち出している。また、チノイのリーダ ーのコーナーにはコラソン・アキノ元大統領、シン元枢機卿の大きな絵画が目を引くよう に展示されている。この2人はマルコス大統領を打倒した「二月革命」の中心的人物でも あり(ちなみにラモス元大統領もチノイで華人系メスティーソであり、展示もなされてい る)、みて回るだけでフィリピンの歴史はチノイが、リサールも含めてとりわけ華人系メス ティーソが作り上げてきた歴史であるというという印象を十分に持ちうるものとなってい る。

他方で、国民的英雄の輩出のみならず、フィリピン社会に根ざす華人系メスティーソに ついても大きく取り上げている。つまり、国家を代表する英雄と社会に根ざす庶民の両輪 にメスティーソを配置しているといえる。社会に根ざす庶民をあらわすものとして取り上 げられているのが、サリサリ・ストアである。サリサリ・ストアはフィリピン中どこでも みられる日用雑貨店で、フィリピン人にとっては馴染みのある存在である。サリサリ・ス トアでは現金収入の少ない人でも少額で物を買うことができるほか(たとえばタバコも1 本ずつ、シャンプーや洗剤も1回分の小袋で購入できる)、ツケで買うこともでき、その 信用売りのシステムも含め、チャイニーズが始めたものということを展示で知ることがで きる。あまりにも日常風景にとけ込んでいるサリサリ・ストアを展示物に選択した理由と して、チノイがいかにフィリピン社会に貢献してきたか、さらにはフィリピン社会と一体 化しているかを、視覚的に訴える意図が読み取れよう。

実際にこの博物館を訪れ、感想を寄せたフィリピンの大学生の文章から一部を紹介して みよう。

…博物館はチノイのストーリー、正確にいえば人びとのみならず個人個人のス トーリーも伝えようとしている。それは、私の正直な意見としては、メインストリ ームの歴史から無視されてきたストーリーである。

これまで私が経験してきたフィリピン史の学習では、「フィリピノ」の参加に 焦点が置かれ、チノイ・コミュニティは傍点に位置づけられてきた。

つねに「フィリピノ」のストーリーが語られ、外国統治の影響に対するフィリピ ノの奮闘そしてフィリピンという国家の勃興が語られてきたのである。

かなしいことに、フィリピン史の学習で誇り高く用いられていた「フィリピノ」

という用語は、ある意味、誰がほんとうにフィリピノであるのか、という判断を誤 ってきたのだ。

(中略)

フィリピン文化を特徴づけているのはチャイニーズ文化に由来しているという事 実、つまり慣習、言語、料理、そして血統であり、私たちがフィリピン特有のもの だと考えてきたものを生み出すため、ほかの影響と混ざりあってきたものであった のだ。すべてのフィリピン人の心底にはチャイニーズの遺産がある。ピノイとは、

心根はチャイニーズなのだ。196

また、別の学生は「チノイであることを誇りに感じた」という感想を寄せている197。こ れらの感想から、チノイであるにせよないにせよ、フィリピンの歴史を見直す契機がこの 博物館で与えられたことがうかがえる。さらには、上記のアテネオの学生による感想にあ るように、国家の歴史を語る主体としてのフィリピノ性をも問い直す契機をも与えている。

フィリピンという国の歴史を語るうえでチノイは傍流ではなく主流であることが博物館 の展示を通して訴求されているが、いっぽうで博物館の展示および感想文からも看取でき るように、フィリピノ性とはチャイニーズ性でもあり、それは比較を通して遂行的に形成

196 アテネオ・デ・マニラ大学(Ateneo de Manila University)学生による感想文の一部 から。次の記事に掲載されていたものを筆者が一部引用、翻訳したもの。

Philip Q. Gangan, “Who is the Filipino?”, Tulay (Vol. XXI No. 4, July 22, 2008), 12-13.

197 Centro Escolar Universityの学生による感想から。注15の記事に掲載。

ドキュメント内 ̶プラナカン・メスティーソ・琉球華僑̶  (ページ 76-90)