第4章 パインと水牛の歴史を抱え込むということ
第1節 まとめ
本稿の課題は、プラナカン、華人系メスティーソ、琉球華僑がそれぞれの場所において、
それぞれの歴史や文化、政治的、経済的な状況が絡み合ったなかで、急激に流入する新移 民などチャイニーズとの比較がなされることによりある集合的主体性を生み出しているの ではないか、ということを明らかにすることであった。集合的な主体性を形成する要素と しては、植民地期・国民国家形成期・冷戦期における国家権力などによる外来系住民への 統合圧力、それに対する当事者的な団体の反応、さらには消費文化や観光、貿易といった 市場における経済活動が挙げられた。
序章で述べたように、これまで華人研究や移民研究、地域研究などにおいては、チャイ ニーズ性は所与のものとして扱われる傾向にあったが、近年の研究では均質的な中国性、
華人性ということに対する問いがたてられている。本稿では、こうした近年の研究動向を ふまえながら、チャイニーズ性を均質的なエスニシティで定義づけがなされるような静的 なものとしてではなく、人びとが置かれている状況に応じてつねに再定義されるような、
動態であり、遂行的なものであることを検討した。以下、本稿の内容を各章の課題ととも に振り返っておく。
第1章では、シンガポールにおけるプラナカン概念は歴史的に構築されてきたことを、
先行研究を整理しながらまず明らかにした。海峡植民地時代のシンガポールでは中国大陸 からクーリーとして大量の労働力が入ってきたことにより、ひとくくりにされ植民地政府 の暴力にさらされることを避けるため、プラナカンはSCBAを創設し生まれながらの英国 臣民であるという、新移民との差異を明確に打ち出したのであった。またそれは豪華絢爛 なプラナカン文化を花開かせる契機ともなったのであった。しかし植民地から独立しシン ガポールが国家となっていく局面では、英国臣民であることは意味をなさず、プラナカン は政治の表舞台からは姿を消し「政治的に死んだ」状態に変化した。
プラナカンはチャイニーズとしてひとくくりされることにより、海峡植民地政府による 追放令、日本軍による粛清や献金といった暴力を受ける危険にさらされてきたのであった。
暴力を避けるために英国臣民という集合的主体をつくりあげたプラナカンは、戦後社会か ら長らく忘れられたかのようであった。しかし、シンガポールが経済発展していくなかで、
観光化するためにプラナカンの文化(戦前期の豪華絢爛なもの)が持ち出されるようにな
っていく。やがてそれはプラナカン博物館の誕生へとつながっていくのである。政府側に よるプラナカン文化の商品化に対し、プラナカン協会側は自ら積極的にプラナカン文化を 社会へ発信していくことによって、プラナカンの存在感を再び高めていこうというミッシ ョンを掲げる。
シンガポールでは新移民や外国人労働者も含めてCMIO分類で人口が管理されるが、プ ラナカンはいずれの項目にも明記された場所がない。ゆえに、それは新移民や外国人労働 者を、プラナカンと接続することによって国家に包摂するための手段にもなったのであっ た。
第1章では以上のことを、先行研究をはじめシンガポールの英字紙におけるプラナカン にまつわる語彙の登場件数の分析、シンガポールの永住権および国籍取得者数の推移を、
統計資料を用いて分析することにより、具体的な数字やデータを示しながら明らかにした。
第2章では、プラナカン協会がどのように主体的にプラナカン概念を再定義していくの か、そのプロセスを協会の活動から明らかにした。シンガポール、マラッカ、ペナンのプ ラナカン共同体の関係も再び活発になり、共同で毎年「ババ・コンベンション」を開催し、
プラナカン文化を社会に浸透させていったのである。それは第1章で述べたように、政府 によるプラナカン概念の利用や、プラナカンの家族を物語にしたテレビドラマの大ヒット も重なって、プラナカン文化は2000年代後半になると一気に社会でポピュラーなものに なっていく。
しかしプラナカン協会のなかには、このような消費文化となったプラナカン文化をアピ ールすることや、さらには社会において「政治的に死んだ」ままとみなされていることに 危機感を抱いている者も存在したのである。それは、シンガポールが建国50年を迎えた 2015年に、プラナカン博物館で開催された「偉大なるプラナカン」展のなかで、「偉大な るプラナカン」という言説の登場となってあらわれたのではないだろうか。
新移民の社会統合を図るために、チャイニーズ性とプラナカン概念を結びつける国家権 力があるが、プラナカン博物館ではそれを利用することでシンガポールをプラナカン文化 のハブとして打ち出してもいるのである。いわば、いったん国家に取り込まれることによ ってグローバル社会におけるプラナカン文化の価値を国家権力に乗じて浸透させ、高めて いくといえる。この方法によって、第3章で論じたカイサ・ヘリテージセンターの博物館 では国民の英雄をチノイとして取り込み、フィリピン社会へチノイおよびチャイニーズの 文化の正統性を浸透させていくことができるのである。
第3章では、華人系メスティーソがチノイとして名乗ることでフィリピン社会の構成員 であることを主張する運動を展開するカイサの活動を軸に、華人系メスティーソが集合的 な主体を形成していくさまを明らかにした。スペイン植民地期のマニラにおいては、キリ スト教への改宗や納税能力によって住民の管理がなされており、そこではメスティーソは インディオに身分を変更することも可能であった。やがてメスティーソという語はスペイ ン系およびアメリカ系をおもに指す語となり、チャイニーズ性は消去され、チャイニーズ は他者化された。
しかし1975年の中華人民共和国との国交正常化を境に、多くのメスティーソがフィリ ピン国籍を取得するが、華人系コミュニティは新たな問題にも直面した。チャイニーズは フィリピン人より裕福であるというステレオタイプ化による、身代金誘拐など不当な暴力 を被る危険や排除が顕著になったことから、コミュニティを守るため、菲律濱華裔青年聯 合會(カイサ)が設立され、主体的にフィリピン社会への統合を推進したのである。カイ サは博物館を創設したが、そこではチノイの歴史をフィリピン人の歴史と重ねて語るため、
国民的英雄であるホセ・リサールが華人系メスティーソでもあることを積極的に活用した。
それは、フィリピンという国家の成り立ち、フィリピノという語が示す意味内容の変遷か らも明らかなように、フィリピノとはチャイニーズとスペイン人、あるいはアメリカ人、
インディオ、など複数の行為主体が出会うことで生み出された概念であり、遂行的なもの であるということを示してもいるのである。
また、第3章ではチノイと鏡像的な位置関係にあると考えられるOFWsについても議論 した。フィリピン国内で裕福な存在とみなされてきたチノイは、中産階級化したOFWs と鏡像のような関係になってきたのである。国民統合の問題として扱われてきたチャイニ ーズと、その鏡像のようなOFWsが同居するフィリピン国内、さらには国外に散在するフ ィリピン国籍の人びとが国民の1割を超える状況においては、チャイニーズ性と同様にフ ィリピノ性も遂行的に変化していくものとしてとらえる必要がある。さらに、OFWsをフ ィリピノとして積極的に囲い込むために、政府はOFWsを「新たな英雄」と名付け、称揚 するようになった。それはカイサがチノイに取り込んだ国民の英雄ホセ・リサールらと併 せて考えると、次のようにいうことができる。
チノイもOFWsも、外来性を帯びた人びとであり、国民としての統合を図るために積極 的に社会で受け入れられるかたちが必要であることから、英雄と重ねて語る言説が持ち出 される(あるいはつくり出される)のではないか。さらに、いずれの英雄とも、外来性を
抱え込んだ者であるのだ。フィリピンはスペイン、アメリカ、日本など、外国に占領され た長い歴史があることからも、外来性はローカル性と比べると上位の階層にあったことと 深く関係していると考えられる。
フィリピンにおける華人系メスティーソ、そして世界中に存在するOFWsからチャイニ ーズ性とともにフィリピノ性も遂行的に形成されていることを第3章で論じたが、第4章 では外来系住民から社会が構成される沖縄・八重山での琉球華僑が集合的主体を形成する 局面について論じた。八重山は歴史的に、沖縄各地からの開拓移民、日本本土からの商人、
台湾からの農業移民など、外来系住民が仕事を求め(あるいは開拓目的で)、集まり、社会 を構成している場所である。そこでの琉球華僑は、植民地期の台湾からパイン産業を導入 し、戦後米軍占領下の沖縄で基幹産業にまで成長させた大いなる貢献者という語りが近年 なされるようになった。八重山の琉球華僑が沖縄本島の琉球華僑とは異なる集合的主体を 形成する背景には、パインブームの記憶と、八重山における農業労働者であることへの思 いがあるが、それは琉球華僑だけではなく同時代的に経験していた開拓移民や八重山の人 びとにも共有されていたのであった。顕頌碑の建立は「台湾農業者」を讃えるものであり、
顕頌碑とともに据えられているのは水牛の像である。八重山の華僑は、沖縄本島の華僑が 打ち出す「世界の華僑」とは自分たちは異なる、と強い差異を感じ取っている。逆にいう と、沖縄本島の華僑が中国化し「世界の華僑」ネットワークでビジネス上のメリットを享 受する面がそれだけ強く看取されているといえる。
ここまで、本稿で明らかにしてきたことをまとめて論じた。では、序論に立ち返って、
本稿で問いにたてたチャイニーズ性とは遂行的なものではないか、ということについてみ ていきたい。