第2章 「偉大なるプラナカン」という新時代へ
第2節 プラナカン文化のリバイバル
1. プラナカン博物館の誕生
前章で述べたように、1980年代後半になるとプラナカンはシンガポール社会で再び存在 感を示していくようになる。ババ・コンベンションの開催に先立って、1980年代前半には ラッフルズ博物館(現 アジア文明博物館:Asia Civilization Museum)でプラナカン文
151 Ibid.
152 “Editorial”, The Peranakan (July - September 2000), 5. 引用者訳。
化の展示コーナーを設けたところ盛況であったことから、博物館設立へ向けて政府が動き 出した。さらに、経済成長著しい1980年代以降、シンガポールでプラナカン文化がブーム となっていくが、そこには政府の力と背景にある社会の動きがかかわっていた。
とくに2002年に、当時のゴー・チョクトン(Goh Chok Tong: 呉作棟)首相が「各エス ニック集団はそれぞれのエスニック・センターを持つべきだ」と主張したこと153は重要な 意味を持つ。それはいわば政府主導でエスニック・アイデンティティを推進する主張であ り、その後国家遺産局(National Heritage Board: NHB)とシンガポール観光局
(Singapore Tourism Board: STB)が連携して、おもなエスニック・グループのヘリテー
ジセンターが次々と設立されていく。チャイナタウン・ヘリテージセンター(Chinatown
Heritage Centre: 牛車水原貌館154)のみ1995年にすでに設立されていたが、プラナカン
はシンガポールのおもなエスニック・グループとして認知されていたわけではないにもか かわらず、2008年にプラナカン博物館(Peranakan Museum)がオープンしたことは特 筆すべきである。
プラナカン文化は、2008年にマレーシアのマラッカおよびペナンが世界遺産に登録され ると、シンガポールでも観光やメディアで頻繁に取り上げられるようになる。「プラナカン 文化に触れる旅」といった趣旨の観光ツアーも多数生み出され、新聞紙面での広告も急増 した。先述のプラナカン博物館のオープンや、とくに2008年のプラナカンをテーマにした テレビドラマ「リトル・ニョニャ(The Little Nyonya:華語では小娘惹)」の大ヒットに より、プラナカン文化への関心が一気に高まりブームとなった。ドラマはシンガポールの 民間放送局メディアコープ(MediaCorp)のチャンネル8という、中国語(北京語)放送 専門チャンネルで2008 年11月25日から2009年1月5日にわたり放送された。同チャンネ ルの開局45周年を記念して制作され、2009年12月には第14回アジア・テレビ・アワード でベストドラマシリーズ賞を受賞している155。
「リトル・ニョニャ」は1930年代から70年後の現代までのマラッカ、ペナン、シンガポ
153 奥村 2009 前掲書、202頁。
154 「牛車水」(簡体字で表記されている)とは、現在チャイナタウンと呼ばれる一帯を示 す福建語で、水道が発達していなかった時代に牛車で水を運んできたことに由来している。
マレー語では”Kreta Ayar”というが、同様の意味。チャイナタウンという呼称は、観光局 がチャイナタウンを再開発して観光化を進めた20世紀終わり頃になるまでは一般的では なく、シンガポールのマジョリティが華人系(約70%を占める)という実情からすると皮 肉なものであるという見方がある。Editions Didier Millet and National Heritage Board 2006 Singapore: The Encyclopedia, 103.
155 “Roll of Honour: 14th Asia Television Awards”, Today, 4 December 2009, 6.
ールを舞台に、親子2代のニョニャの人生を軸に展開していくメロドラマで、「シンガポー ル版『おしん』」ともいえるものである。プラナカン料理や陶磁器、サロン・クバヤやビー ズシューズといった、ドラマに登場した1930年代の華やかで洗練されたプラナカン文化は 視聴者を魅了した。プラナカン文化は消費文化化され、プラナカンを名乗る人々が増大す ることにつながっていく。それはたとえばビーズシューズを履いてみたりすることから始 まるが、プラナカンを名乗りたがるのは、シンガポーリアンはみんな何らかのプラナカン といえるのではないか、ということと、プラナカンである、あるいはプラナカンと名乗る ことが「かっこいい」からではないか、という見方がある156。この現象は、シンガポール やマラッカ、ペナン以外でもプラナカン協会が誕生するという時期とも重なっている。マ レーシアのクアラ・ルンプールとセラングーン、クランタン、タイのプーケット、オース トラリアのメルボルンとシドニーにもそれぞれ協会が誕生した。やがてプラナカン文化は 磁場を持つようになり消費文化化することで国外へますます広がっていった。こうして複 数の磁場を持つプラナカンはトランスナショナルなネットワークを持つにいたる。
しかし、このようにポピュラーになって登場するようになったプラナカン文化に関して シンガポール・プラナカン協会会長のピーター・ウィー(Peter Wee)は「私は50年前、
80年前のプラナカン文化については語れるけれども、いまのものは語れない。プラナカン 文化のオリジナルは過去のものであって、現在のものは創造され、新しい解釈によるもの であると思う」157と語っている。では「オリジナルな」、「真正な」プラナカン文化は、ど こに存在しているのであろうか。プラナカン博物館には「オリジナル」なものが展示され ており、「本物の」プラナカン文化に触れることができるのだろうか。以下、このプラナカ ン博物館に焦点を当て、プラナカン博物館が表象しているものと期待されている役割につ いて議論する。
2. 社会統合とグローバル・マーケット
プラナカン博物館は、アジア文明博物館(Asian Civilisations Museum)の別館という かたちでNHBの運営下のもと、プラナカン文化に特化した博物館として2008年4月に オープンした。シンガポールのみならず東南アジアのプラナカン文化を一堂に集めた博物
156 Phin, Wong 2009 “Who Wants to Be a Little Nyonya?”, Today, 10 January 2009, p.
30.
157 ピーター・ウィー氏へのインタビューから(2012年3月7日、シンガポールにて)。
引用者訳。
館として、世界有数の所蔵品を誇る158。3階建の建物には10のギャラリーが設けられて おり、結婚式や葬式の様子、あるいは道教や仏教、祖先崇拝などが融合した宗教観、食べ 物、ニョニャが作ったビーズ細工、サロン・クバヤ、陶磁器といったように、テーマごと にギャラリーを分けた展示がなされている。展示されている品々は、プラナカンが実際に 使っていた家具や陶磁器、サロン・クバヤなどであり、個人の寄付や寄贈によって集めら れたものばかりだ。そういう意味においては、「真正な」といったキーワードに当てはまり
(具体的にはインドネシアのジャワあたりからのものが多い)、また12日間にもおよぶ結 婚式のように、現在ではほとんど残っていない風習の様子も目にすることができることか ら、展示されているのは過去のプラナカン文化であるともいえる。
シンガポール政府所管の博物館は静的な、過去のものを展示するという場所だけにとど まらない。プラナカン博物館では、タッチパネルで各ギャラリーの詳細な情報が得られる ようになっているほか、ニョニャたちが電話でおしゃべりした会話を聴くことができる仕 掛けがあり、サロン・クバヤを着る体験もできるなど、インタラクティブな工夫が随所に 盛り込まれている。またさまざまな言語によるガイドツアーを毎日開催するなど、来館者 を飽きさせない工夫が随所にみられる。これは博物館を単に歴史や文化を学ぶ場所とする のではなく、その建物やプログラムを楽しむための目的地として位置づけるという、NHB のチーフ・エグゼキュティブ・オフィサーであるマイケル・コー(Michael Koh)が2006 年に都市再開発事業団(Urban Redevelopment Authority: URA)からNHBへ移籍して 以来取り組んでいることである。NHBは所管の博物館を「改革(reinvent)」するため、
マーケティングを行い、さまざまなプログラムを開発するなど奔走し、その結果来館者を 2006年の100万人から2007年には170万人に、2008年には250万人に、大幅に増加さ せることに成功した159。また、こうしたNHBの動きは海外からの投資にも大きく支えら れている。プラナカン博物館に設置されたタッチパネルなどのマルチメディア関連器具の ほか、台所や結婚式の様子を再現した展示は、JPモルガン投資銀行(JPMorgan Chase) の資金によって実現できたものである160。
こうしたインタラクティブな仕掛けはもちろんだが、プラナカン博物館でもっとも興味
158 プラナカン博物館ビジターガイド(日本語版)。2012年9月現在、英語、日本語、中 国語、韓国語版が発行されている。
159 Wong Kim Hoh 2009 “Using Heritage to Boost Bonds”, The Straits Times, 15 July 2009, 8.
160 Karon Ng 2008 “A History to Cherish”, The Straits Times, 16 April 2008, 58.
深いのは、入ってすぐの場所にあるギャラリー1の展示である。そこは他のギャラリーと は性質が異なっており、モノが中心の展示ではなく、壁に展示された顔写真のパネルに囲 まれるような構成になっている。その顔写真はどれもいまのシンガポールで暮らしている
「プラナカン」を名乗る人々のものであり、「Hokkien Peranakan(福建系プラナカン)」、
「Chitty Peranakan(インド系プラナカン)」、「西スマトラ、ジャワ系プラナカン(West
Sumatran and Javanese Peranakan)」など、それぞれ自らの名乗り方とともに展示され
ている。表記は統一されていないにしても、いや、だからこそ自らのプラナカン・アイデ ンティティを表現しているといえる。ギャラリー1は、ポートレートに囲まれて顔写真を 1点ずつ眺めていくうちに、眺める人自身も何らかのプラナカンではないか、と感じさせ るような力を持っている。たとえば、ある女性のパネルには「チッティー(インド系)・マ ラッカ・プラナカン、華人系プラナカン(Chitty Melaka Peranakan and Chinese
Peranakan)」と自分のことを称しており、次のようなコメントが添えられている。
私がインドを訪れると…彼らはこう話しかける―インドの名前を持っているあなた は、われわれの一員ですね?あなたはわれわれの一員ですよ。15世紀以来、戻った ことのない誰かに対してこのように話しかけてくれるとは、なんて素敵なことでし ょう!私たちも、同じように話しかけたいのです。あなたはプラナカンですか?あ なたは私たちの一員です。あなたはシンガポーリアンですか?あなたは私たちの一 員です。161
「プラナカン・ポートレート(Peranakan Portraits)」というこの展示の説明書きには、
「プラナカンコミュニティの顔は、シンガポールや東南アジアの多様性の鏡である」と始 まり、「これらのポートレートのテーマは、混血の祖先を持つ人々というだけではなく、多 様な文化遺産を表現し、称賛しているのであり、それはプラナカンであってもなくても共 有できて楽しめるような、私たちすべての遺産なのである」162という文章が記されている。
プラナカン博物館は、プラナカン文化をシンガポールのみならず広く世界へ発信するとい う目的はもちろん、シンガポーリアンに向けて、あるいは訪れた人すべてに向けてプラナ カン概念というものをとらえ直してもらうことにより、多様な人々で構成され、多様な文
161 プラナカン博物館ギャラリー1のパネルから引用。引用者訳。
162 引用者訳。