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マルクスの生産的労働論の特徴と限界

ドキュメント内 生産的労働と不生産的労働 利用統計を見る (ページ 136-164)

1 マルクスの生産的労働概念の諸典拠

 前章までのところでは,生産的労働の二つの規定の相互関係をどのように理 解するかという,現代的生産的労働論に課された問題がどのようにして現出し たのかを,主として論争の発展過程に即して考察したのであるが,この問題が 出てくる必然性は,マルクスの「経済学批判体系」に即して解明することが出 来る。つまり,マルクスの〈体系〉そのものの中に,現代の生産的労働論争の 起る必然性とその方向を認めることが出来るのである。本章はこの問題の解明 に当てられる。

 先ず,マルクスが生産的労働について,どこでどのようなことを言っている のか,を明確にしておこう。

 1857年の手稿である「経済学批判序説」の中に,生産的労働・不生産的労働 という言葉を見出す。このr序説』の叙述に,マルクスの生産的労働論に関し ていかなる問題を見出そうとするかは別として、とにかく、生産的労働・不生 産的労働という言葉そのものがあるという事実は指摘されねばならない。

 マルクスは1861年から63年にかけてr経済学批判』と題するノート23冊を書 いているがこのうちにニケ所にわたって,生産的労働の叙述が行われている。

第一のものは,主として,ノート第7冊から第9冊にわたっており,スミスの 生産的労働論を中心として,さまざまな生産的労働に関する学説の批判に当て られている。第二のものは,ノート第21冊にあり,マルクスの積極的な生産的 労働論が展開されている,,前者は,インスティテユート版r剰余価値学説史』

第1分冊に第4章「生産的および不生産的労働に関する諸学説」としてまとめ られ,後者は,同じく、補遺の「資本の生産性。生産的および不生産的労働」

として収録されている。

 この1861年から63年にかりてのノート23冊の執筆を通じて、マルクスは[1 t経

済学批判』体系の展開及び叙述の修正・改組の必要を感じ,このため,すでに 出版したr経済学批判』(第1分冊)を御破算にして,はじめから,r資本論』

として書き直すことにした。それは63年から65年にかけて行われた。この過程 で書かれた未定稿の…部が断章として残っている。「第1巻資本の生産過程,

第6章直接的生産過程の諸結果」と題されているこの草稿の中に,「生産的お よび不生産的労働」という一項目がある。

 最後に『資本論』がある。第1巻第3篇(絶対的剰余価値の生産)第5章(労 働過程と価値増殖過程)第1節(労働過程)に一ケ所と、同じく第5篇(絶対的及 び相対的剰余価値の生産)第14章(絶対的及び相対的剰余価値)に一ケ所生産的労       1)

働についての叙述がある。

2 「経済学批判序説」における生産的労働の概念

 まず,「序説』の中でマルクスは何を言っているのか。そこにわれわれは何 を読みとるべきか,

it・?焉xにおいて、マルクスは「生産一般」という問題を論じているrここで 私がなぜ、1「序説』における「生産一般」という問題をとりあげるかと言えば,

前述したように(本書○○ページ),私は、〈生産とは何か〉という問題は,結 局,\生産的労働とは何か〉という問題に帰着する,つまり,前者は後者を通 じてのみ解明しうる,と考えており,従って,「生産一般」という問題は必然 的にく生産的労働一般〉という問題に結びつかざるをえない,と考えているか

らであり,更にr序説』の中にそのような傾向の萌芽を読みとろうとするから に他ならない。

 マルクスはr序説』の冒頭で次のようにいう。

 「当面の対象は先ず物質的生産てある。

  社会で生産しつつある諸個入In Gesellschaft produzierende Individuen−一一従       1)

 ・・て諸個人の社会的に規定された生産が、当然,出発点である」。

D マルクスの諸著述の学説史的系譜については、インスティテユート版1剰余価値学説史』の編 集者序言,r資本論辞典.1(青木書店)の「《資本論》の成立史」(鈴木鴻一郎氏担当),広田純 1マ,しクスの『生産的労働』論」(前掲),等を参照のことLt

 ここで、生産とはすぐれて社会的生産であるという指摘の他に,われわれは 二つのことを確認することが出来る。第一に,マルクスが分析の対象として考 えていたのは「物質的生産」であるということ,第二に,マルクスは,生産を 解明するためには「生産しつつある諸個人」から出発すべきであると考えてい たこと,である。

 第一の点について,この点は,マルクス経済学体系を,従って当然マルクス の生産的労働論を,解明するための最重要な前提の一つであると思われる。経 済学の対象として,意識的に物質的生産だけをとり扱うという態度は,マルク        2)

スの経済学の「研究にとってみちびきの糸となった」唯物史観の立場から必然 的に導き出されるものである。この点を無視あるいは否定することは,マルク ス経済学全体を誤解しあるいは否定することにつながる。このことは現代にお いても依然として有効であって、眼前に展開されているような新しい諸問題を 研究分析してゆくに当って基本的に堅持されねばならない態度である。つまり,

少なくともマルクス経済学の立場に立つ限り物質的生産とその他の生産とを同 一平面上において考えたり,あるいは混同したりすることは許されないはずで

ある。

 マルクスが経済学の対象として物質的生産一つまり,人間の生活の物質的 側面一をいかに重要なものとして考え,あるいは考えざるをえなかったかと いうことは,r経済学批判」序文のいわゆる唯物史観の定式と呼ばれる叙述か        3)

らも窺い知ることが出来る。

 また,マルクスは次のようにも言っている。

「精神的生産と物質的生産との関連を考察するためには,何よりもまず,物質的生 産そのものを一般的範購としてでなく規定された歴史的形態においてとらえること が必要である。つまり、例えば,資本制的生産様式には,中世的生産様式に照応す るものとは別種の精神的生産が照応する。物質的生産そのものをその独自的・歴史 的形態においてとらえなければ,それに照応する精神的生産における規定されたも の,および両者の相互作用をとらえることは出来ない。……

1)M.E.W., Bd.13, S.615,訳 国民文庫『経済学批判』,271ページ。傍点はマルクスによるイ  タリック。

2)lbid., S.8,訳前出注1と同上書,9ページ。

3)Ibid., S.8〜9,訳 前出注1と同上書,9〜11ページ参照。

 物質的生産の一定の形態からして,第一には社会の一定の編制が生じ,第二には 自然にたいする人間の一定の関係が生ずる。人類の国家制度および人類の精神的直 感はこの両者によって規定されている。従って,人類の精神的生産の方式もそうで  4)

ある。」

 これらの叙述によって,経済学の対象  従って,ここでの直接の目的であ る生産的労働論の解明における対象  は何よりもまず物質的生産でなければ ならない,という命題を確認することが出来る。このことからして先に引用し た,「当面の対象は先ず物質的生産である」というマルクスの叙述における,

「当面」とは,一見考えられるような,すぐ過ぎさってしまうような「当面」

なのではなく,マルクスの意図した「経済学批判」全体系のプランという巨大 な視点からみた場合の「当面」なのである。マルクスが現実に展開することが 出来た体系は,この「当面」の中にすっぽり入ってしまう程のものである。

 次に第二の点について。ここで「生産しつつある諸個人」というのは,あと の方で,「個人  従ってまた生産する個人das Individuum, daher auch das       5)       6)

produzierende Individuum」とか「生産的個人produktives Individuum」とか 言われているものであって,生産的労働の担い手としての個人のことである,

と考えられる。だから,生産を解明するためには,まず「生産的個人1を従っ

4)MW., S.256〜7,訳 408ページ。傍点は阿部。この叙述は、『剰余価値学説史』の中でマル  クスがシュトルヒの生産的労働論を批判しているところで行われているものである。従って,こ  こにいう「精神的生産」という言葉はシュトルヒの使ったものをそのまま使っているわけである。

 その内容は、物質的生産以外の分野,つまり一口に非物質的生産といわれているものと解してよ  いだろう。次の引用を参照。

 「シュトルヒは,もろもろの社会的職分を業務として営むあらゆる種類の支配階級の職業活動を  も,同時に精神的生産と解しているL傍点阿部〕。」(MW, S.257.訳 408ページ)

 「シュトルヒによれば,医師は健康を(だが病気も)生産し,教授や著述家は啓蒙を(だが蒙昧  主義も)生産し,詩人や画家などは趣味を(だが没趣味も)生産し,道学者などは道徳を生産し,

 説教師は敬神を生産し,君主の労働は治安を生産する,等マ。」(MW. S.25S−9,訳 411ペー  ジ)

  ここでの問題全体について、なお次の引用を参照。

 「シュトルヒは,物質的生産そのものを歴史的にとらえない一これを物質的財貨の生産一般と  してとらえて,この生産の一定の歴史的に発展した独自的な形態としてとらえない・一一ことによ  り,基盤,即ち、その上でのみ一部的には支配階級のイデオロギー的諸成分・一部的にはこの与  えられた社会構成体の自由な精神的生産・が把握されうる基盤を,自分の足もとから奪いさる  1傍点阿部〕。1(MW. S.257、訳 408〜9ページ)

5)M.E.W., Bd.13, S、616,訳 『経済学批判』,272ページ。

6) Ibid., S.626,訳 前出注5と同上書,286ページ。

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