ここでは,本研究に適用する重要な技術であるマイクロ化学チップ技術について,その現状を 把握する.マイクロ化学チップ技術を細胞計測に適用した先行研究についても説明する.
1.5.1. 概要
近年,µTASやMEMSなどの微細加工技術が発達し,実用化が進められている.マイクロ化学 チップ技術の実態は,多種多様な技術分野の集合体である.Table 1.5 に,マイクロ化学チッ プ技術分野に分類される各技術分野をまとめた.その内容は,材料と表面技術,微細加工技 術,流体制御技術,マイクロ化学チップの動作技術,マイクロ化学チップの利用技術と広範に わたり,かつ,各々が密接に関係している[20, 21].
1.5.2. マイクロ化学チップ
本研究では,一貫して,PDMS (Polydimethylsiloxane)樹脂性のマイクロ化学チップ(フルイドウ ェア・テクノロジーズ社製)を用いている.PDMS 樹脂製のマイクロ化学チップの特長は,以下 のとおりである.
(i) 自己蛍光が低く、光学的に無色透明とみなせる.
(ii) 生体適合性が高い
(iii) 弾力性に富む
(iv) プラスチックと比べ、耐熱性に優れる
(v) ベイキング作業によって硬化させることができ,サブミクロンの精度で形状転写す
ることができる.
利用技術
・分析システム(電気泳動)
・分析システム(LOC)
・DNAチップ
・プロテイン・チップ
・合成システム
・細胞実験システム
・複合システム
・マイクロ化学プラント 動作技術
・化学反応制御
・分子輸送制御
・分離技術
・計測分析技術
・流体制御 流体制御素子
・ マ イ クロ ・ チ ャネ ル
・マイクロ・ポンプ
・マイクロ・バルブ
・マイクロ・ミキサ
・マイクロ・フィルタ 微細加工技術
・リソグラフィ
・エッチング
・ボンディング
・表面マイクロ マシニング
・高アスペクト比構造
・プラスチック加工
・その他の加工法 材料と表面技術
・ガラス
・プラスチック
・金属
・シリコン
・ゲル,粒子材料
・表面修飾
Table 1.5. マイクロ化学チップ技術.
PDMS製のマイクロ化学チップは,フォトリソグラフィ技術によって製作される.その製造工程は 以下のとおりである:
(1) 所望の流路パターンを形成するためのマスクを製作する.
マスクの材質によって流路の精度の低い順に,フィルムマスク(マスク線幅精度:±3 µm), エマルジョンマスク(マスク線幅精度:±1–2 µm),クロムマスク(マスク線幅精度:±0.5 µm)がある.
(2) シリコンウェハ基板上にフォトレジストを塗布する.
(3) マスクを通して紫外光を照射する.
フォトレジストは,光によって感光され、光が照射された部分が変質する.
(4) 写真と同様に、「現像液」と呼ばれる液体に通す.
光の照射されなかった部分だけが基板上に残り、流路パターンが基板上に形成される.
(5)基板上に形成された流路パターン上にPDMSをモールドし、O2プラズマ処理を行う.
「O2プラズマ処理」の詳細は不明だが,酸とプラズマによってPDMSを硬化させる.
(6)シリコンウェア基板からPDMSを引き剥がし、別のガラス基板上に貼り合わせる.
張り合わせの際は,顕微鏡を使うとのことで,ガラス基板上にあけたサンプル導入用の 孔をPDMSの溝の位置あわせを高い精度で行っている.この際,パーマネント・ボンディ ングという処理を行うと融着された状態を長い期間維持することができる.
こうして,PDMSでできた溝とガラス基板との間に,微細な流路が形成される.
本研究では,こうして作成されるマイクロ化学チップを用い,そこへ実装する微小流路のパ ターンなどに工夫を施すことによって,細胞の動的イメージングの計測場を実現する.
1.5.3. マイクロ化学チップを用いた細胞計測技術
マイクロ化学チップを用いた細胞計測技術としてよく知られているのは,マイクロ化学チップを 利用したフローサイトメータ,蛍光を利用したセル・ソータ,細胞分離などがある[20–22].最近で は,マイクロ化学チップ内で細胞培養を行うなどのマイクロ・バイオ・リアクターなどの研究へと 進んでいる[21].しかし,意外なことに,数やサイズといった基本的な細胞の特徴量を定量的に 評価した報告は見つからない.
1.6. 課題の総括
ここでは,これまでに述べてきた従来研究および関連研究,先行研究を総括し,この分野の研 究が抱えている課題について総括する.本研究のアプローチ法である動画像計測の意義と重 要性についても述べる.
1.6.1. 総括
血小板凝集能測定の従来法として,濁度計(アグリゴメータ)や光散乱法が知られているが,こ れらの方法では,血小板凝集現象の定量計測はきわめて困難である.しかも,これらの方法で は,計測に先立ってPRP試料の調製が不可欠であり,採血した血液を遠心処理するなど煩雑 な操作を行わなければならない.
また,PRP 試料は血液とは似て非なるものであるとされ,臨床検査に使用する上で,その適 用が疑問視される場合があり,採血したそのままの血液である全血を計測に用いるべきである とする立場がある.全血を用いる血小板凝集測定法としては,インピーダンス法,フローサイト メータ法,SFP法,光散乱法などが知られているが,やはり定量性に乏しい.
近年,µTAS や MEMS などの微細加工技術が発達し,実用化が進められた結果,マイクロ 化学チップ技術の発達が著しい.しかし,マイクロ・ポンプ,マイクロ・ミキサといったマイクロ流 体制御素子の実用化はあまり進んでいないのが実情である.また,マイク化学チップを用いた 細胞計測分野においては,マイクロ化学チップ内で細胞培養を行うマイクロ・バイオ・リアクタ ーなどの先端的な研究に進んでいるのと対照的に,基礎となる定量的評価を行った報告はほ とんどない.
1.6.2. 動画像計測の特徴と課題
本来,生命現象は動的現象である.したがって,生命現象を測定する際,動的にそのデータ を測定しなければ,生命現象の本質を捉えたとはいえない.本研究では,生命現象を動的に 捉える方法として,動画像計測を選んだ.
画像計測は,医学分野においては従来から用いられており,これまでに X線 CT,MRI,超 音波,PET などの技術が開発・利用されている.これらの技術は,人体内部の解剖学的・生理 学的・生化学的情報を非侵襲的に時々刻々と映像化する画像診断技術として体系化されてき た.
一般に,動画像は大量の情報を含む.にもかかわらず人間はこれを瞬時に読み取って処理 する能力を備えている.ヒトは 80%以上の情報を,視覚を通して得ており,脳の中で視覚をつ
かさどる部分は大きい.他の情報伝達手段,たとえば言語の場合,読む・聞く・書く,と比較す ると,動画像(映像)の方が情報伝達効率は圧倒的に高い.この点では,動画像(映像)は人類 の共通語としての機能を備えていると言ってよい.したがって,動画像は,科学の各分野にお ける研究方法,発表手段として実に優れた機能をもっていると考えられる[23].
本研究で動画像計測技術を用いるにあたり,この技術に内包する問題点について考える.
ミクロな現象の動画像計測は,生命現象の研究においてきわめて有効な手段である.現象を 可視化するための技術開発は十分に行われる.しかし,現象がいったん映像化されると,研究 自体がそこで完結してしまう傾向があり,「見て終わり」になりがちである.動画像計測によって 創造的好奇心を呼び起こすためには,見えているものの奥に潜んでいる一般的法則性を探り 出す解析的な視点を意図的に高めることが重要である[23].また,動画像情報はどうしても直感 的・感覚的に受け入れられやすく,科学本来の解析的・批判的な視点から逃れやすい.そお ため,動画像計測技術が,計測対象の現象を定量化し得る段階にまで発展していくことは稀 である.
本研究では,動画像計測の持つこれらの問題点について十分留意しながら,微小流路中 を流れる血液細胞の動態,血小板凝集反応の定量化イメージングを目指す.
1章の参考文献
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