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シミュレーション結果と関連研究の整合性

ドキュメント内 JAIST Repository https://dspace.jaist.ac.jp/ (ページ 111-114)

第5章 議論

5.2 シミュレーション結果と関連研究の整合性

5.2.1 ヒト以外の生物に再帰的結合が観察されにくい理由

動物の道具使用や道具製作から,再帰的結合による探索空間や自由度の拡張という 現象がヒトにおいてどう特異的であるのかを考えたい.ヒト以外の動物でも道具を使 うことで探索空間を拡張していると見られる行動は多く存在するが,彼らはなぜヒト のような大規模な文化的ニッチ構築を行わないのだろうか.また,ヒトのように再帰 的結合を可能とする脳の変化が起きていないのはなぜなのだろうか.

2章で述べたように,道具使用を行う動物は多く存在する(Shumaker, 2011).例 えば,木の枝を駆使して指やクチバシの届かない空間にある餌を取るといった行動は,

その生物が身体的に有する探索空間の外側を探索しているという点で,探索空間の拡

張と言えるだろう.物体を未加工のまま道具として使用する場合,探索空間はその物 体の性質によって可能となる行動のぶんだけ広がる.さらに,道具使用に加えて道具 製作を行う動物としては,チンパンジー(Brewer, 1976; Goodall, 1963, 1986; Sanz et al., 2009)やニューカレドニアカラス(Weir et al., 2002; Weir & Kacelnik, 2006)

がいる.ボノボのカンジは石を使った石器製作,すなわち二次的道具の使用を訓練に よりできるようになった(Savage-Rumbaugh et al., 2007).道具を加工する行動が 生まれ,その形状を変更することができるようになれば,探索空間はその物体が取り うる形状のぶん,さらに広がる.

4章のシミュレーション結果からは,探索空間の拡張が大きいほど行動表象の再帰 的結合能力は進化しやすくなると言える.ヒト以外の動物で大規模な文化的ニッチ構 築や再帰的結合を可能とする脳機能の変化が起きていないのは,製作可能な道具の種 類がブレイクスルーに必要なレベルに達していないためだという仮説が立てられる.

石器は,多くの他の素材を加工することに適した性質をもつ.そして道具を作る知識 という一段上位のレベルに上がれば,ある行動が特定の道具製作以外の場面でも使え るようになるだろう.ヒトの進化史においては,物体加工に対する石器の万能性が,

道具製作の知識を増大させ,行動表象の再帰的結合を適応的にしたという見方を取る ことができる.

5.2.2 再帰的結合と探索空間の拡張の一般性

Arthur & Polak(2006)が示しているように,ヒトが作り出す製作物は,別の製作

物を作り出す際の道具や部品になる.ゆえに,本来生態環境や身体のような所与のも のとして個体の一生のなかで安定しているはずの探索空間は,ヒトにおいて拡張可能 な構造を有する不安定なものとなる.再帰的結合とは,このような状況において,学 習による行動知識の獲得前でもある程度妥当な行動方策を立てることができる,構成 的アプローチの一種なのだと考えられる.再帰的結合のようなヒューリスティクスは,

どこまで広く当てはめられるのだろうか.言い換えると,再帰的結合は道具製作以外 のどのような行動で進化しうるだろうか.表象操作に階層構造を用いることで,学習 を早める,妥当な仮説形成を行うといったことができる点に関しては,Martins(2012) でも主張されている.階層構造は行動以外にも音楽(Koechlin & Jubault, 2006;

Asano & Boeckx, 2015),算術(Nakai & Sakai, 2014; Nakai & Okanoya, 2014),

意図推論(Oesch & Dunbar, 2017),視覚認知(Martins, 2012)において見られる が,これらの認知ドメインで5.1.2 節で論じたような探索空間の再帰的な拡張,そし て再帰的結合操作はありうるだろうか.

まず,数学的な計算はもっとも再帰的な拡張を考えやすいと言える.ある算法は別 の問題を解く際の部分となりえ,またその問題を解くことによって新たな算法が獲得 されることもありえる.一つの算法を獲得するだけで,その用法は際限なく広がるだ ろう.ただし,そうした計算を行うことの生態学的価値は不明であり,またヒト以外 の動物で数え上げが可能な種は見つかっていない(Hauser et al. 2002).このことか ら計算は,現実事象や対象を抽象化した形式を操作する手続きとして,表象操作の再 帰的結合が転用され進化したものだという推定がいまのところ妥当である.

音楽は,既存のフレーズやリズム,奏法を組み合わせて新たなそれらを作り出すと いう点で,組合せ空間の拡張が可能になっている.ただし,音楽は言語や計算のよう に系列の抽象化が困難である65ため,組合せ空間の大きさが言語や計算のそれよりも 限定される.メスを惹きつけるために鳴き声を使用する動物が存在するという事実

(Okanoya, 2004; Mithen, 2005)からのアナロジーにより,音楽にも性選択による 再帰的結合の進化を想定することもできるが,鳴禽の性選択におけるシグナルは個々 のチャンクが特定の意味内容をもつものになっておらず(Berwick et al., 2011),ま た個体に多様な鳴き声を発することが求められるわけでもない.音楽における再帰的 結合も計算と同様に,表象操作の再帰的結合が転用されたものだと考えておくことが 妥当に思える.

生態学的な価値を考えるのであれば,意図推論は再帰的結合の進化シナリオを立て やすい.協力関係を築く,あるいは政治的状況で優位に立つ上で,他者の意図を推論 することは適応的になりうる.そして意図推論とは,"x thinks y"のような主述関係 を生成する表象操作だと想定することができる66.こうした関係は再帰的結合を適用 することが可能であり,"x thinks y meets z that ..."のように推論の系列を生成する 上で,主部と述部の再帰的結合が有効性を持ちうると考えられる.意図の再帰的結合

65 すなわち,ある長さの系列が表現する内容を,それよりも短い系列や構成要素に置換して表 現するということが難しい.

66 ただしここでの"think"は言語表現としての語彙ではなくエージェントxとエージェントもし くはオブジェクトyの関係性を規定する要素である.

によって他者の意図空間を探索できれば,全く見知らぬ他人に対しても抽象的な結合 規則をもとに妥当な意図推論を行うことができるだろう.また,集団が大きくなるほ ど,推論系列を構成する要素の種類は増加し,集団を構成するエージェントの短期記 憶能力が高くなるほど推論系列の長さは長くなる.このような意図推論の空間は,3 章の物体操作シミュレーションにおける物体の組合せ空間と同等の構造をもつと言 える.すなわち,集団の規模と構成員の認知能力が意図推論の探索空間を决定し,意 図推論における再帰的結合能力の進化を左右する.1 章で紹介した Dunbar(2009)

が唱える再帰性の社会的認知起源説は,集団の大規模化が再帰的な意図推論が統語に おける再帰性を進化させたという主張である.霊長類が維持できる社会集団の規模は,

大脳新皮質の容量と相関関係をもつとされる(Dunbar, 1998).

再帰的結合は,物体操作と意図推論,どちらのドメインを起源として(あるいは独 立して)進化しただろうか.意図推論においては,他個体が意図する以上の推論を行 うことは誤解につながるため,他個体の短期記憶よりも大きな短期記憶をもつことに 適応的な価値はないことが予想される.加えて,協力のような利他行動,あるいは他 者操作のような行動は,損失以上の報酬が獲得されるまでの比較的長いプロセスを推 論,あるいは戦略を生成できる必要がある.チンパンジーで他者の信念理解が観察さ れにくい(Tomasello & Call, 2003)のは,この二つの相反する条件によって高次の 意図推論が成立しにくいことによるものではないかと考えられる.意図推論が自身と 他者両方の短期記憶能力を必要とすることに対して,道具製作においては,短期記憶 能力は構成要素や手続きの多い複雑な道具の製作に対して有効に働く.すなわち,物 体の組合せ空間に散らばる機能的な道具の探索や製作に対して,再帰的結合が連続的 に進化することが可能である.現在のところ,物体操作における再帰的結合が意図推 論に先んじて進化し,短期記憶能力が増大したことによって高次の意図推論とそのた めの推論要素の再帰的結合が進化したという進化プロセスが考えられる.

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