• 検索結果がありません。

:コットブスの事例研究

8−1  都市の概要

(1)

地理・歴史的概要

  コットブスはブランデルブルグ州の東部のスプリー川岸に発達した同州第二の 都市である。中世から城郭都市ではあったが、第二次世界大戦後に急激に人口は 伸びた。これは、旧東ドイツのエネルギー産業をここで一手に引き受けたからで ある。多くのドイツの都市は第二次世界大戦で壊滅的な被害を被ったが、ここコ ットブスは被害を免れた。これはイギリスから遠いことと、あまり軍事面で戦略 的な重要性がなかったためである。

  コットブスは戦災を受けていないこともあり、都心部には城壁も残っているが、

19

世紀後半から

20

世紀前半(グリュンダーツァイト)につくられた都心部の住 宅街は衰退している。これは、これらの住宅街の建物は建築的な価値があるにも 関わらず、旧東ドイツ政府はこれらに関心を示さなかったため、しっかりと維持 管理が出来なかったためである。旧東ドイツ時代の

50

年間も投資が行われない 状況が続いたことが、現状の都心部の劣悪な住宅環境をつくりだした大きな理由 の一つである。コットブスの都市問題は、この産業革命後につくられた住宅群と 社会主義時代に郊外にて建設されたパネル工法(プラッテンバウ)でつくられた 住宅団地にある。

  図

8-1

1900

年、1940年、1990年のコットブス市の市街地の発展状況を示 す。

1850

年にはコットブスの人口は

9228

人しかなかったが、

1900

年には

40000

人まで増大する。この半世紀にコットブスが都市として発展した理由としては、

鉄道の整備、繊維産業、そして貿易などが挙げられる。市街地はスプリー川の東 西両側に発展し、鉄道駅は市街地の南の端につくられた。

図 8-1  1900 年、1940 年、1990 年のコットブス市の市街化地区 

                       

(出所:コットブス市) 

 

1940

年にはコットブスの人口は

55000

人まで増大する。行政機能が集積した ことによる公共サービスの雇用の創出、金属業をはじめとした工業の発展が同市 の人口を増加させた。この時になると、コットブスはブランデンブルク州南東部 の鉄道網のハブとして位置づけられ、ベルリン、ゲーリッツに次いでドレスデン、

ライプツィヒ、フランクフルト・オーダー、アイゼンヒュッテンシュタット、現 ポーランド領のジャガンなどとも結ばれる。この時期、スプリー川の西側、鉄道 駅の南側、さらには北側にまで市街地が広がっていく。

  第二次世界大戦後の旧東ドイツ時代になるとコットブスは石炭産業、繊維産業、

家具製造業、さらには食料加工産業の重要拠点として位置づけられ、人口が急激 に伸びることになったi。この人口を収容するために、郊外にてザクセンドルフ・

マドロー、ノイ・シュメルヴィッツ、さらに都心に隣接した川向こうにザンドー という

3

つのプラッテンバウ団地がつくられることになる。東西ドイツが再統一 される

1990

年にはコットブスの人口は

129000

人まで増加する。

  ドイツが再統一されると、経済の民営化が進み、経済的には大きな変革をコッ トブスは被る。コットブスの経済の中心である石炭産業は、現在でも政府からの 補助金なしで事業は十分に成立するほど採算性が優れている。これは、同じドイ ツの石炭産業地域であるルール地方とは対象的である。ルール地方の石炭は質が いいが、採取するのにコストがかかるために、国際競争力を維持できず徐々に衰 退していったのに対して、ここコットブスの石炭は、質は悪いが露天掘りである ため採取コストが安いので事業として採算が取れている。ただし、問題は、この 産業が雇用に貢献していないことだ。これは、石炭産業の民営化に伴って効率性 が図られたために、多くの雇用が不要となったためである。

図 8-2    1985 年と 2014 年の産業別従業員数の割合(%) 

(出所:コットブス市)

  図

8-2

1985

年と

2014

年の産業別従業員数の割合を示している。統一前の

1985

年には従業員の

55%が工業に従事していた。これが 2014

年には

9%にまで

激減する。また、社会主義時代には多かった公務員の割合も

29%から 14%と半

0 20 40 60 80 100 120

1985 2012

公務員  サービス産業  商業 

工業  農林業 

減する。代わりに増えたのは、サービス産業で

5%から 62%へと増加する。この

ようなシフトは旧東ドイツ時代の他の都市も経験した大きな経済的な変革である が、改めてこの

30

年という短い期間でコットブスはパラダイム転換的な構造改 革が起きたことが認識できる。

2

)人口動向

① コットブス市全体の人口推移

  コットブスの人口の推移を

1900

年から

2000

年まで示したのが図

8-3

である。

コットブスの人口は

1900

年には約

4

万人であり、その後、緩やかにではあるが 増加していき、第二次世界大戦を開始する時には

55

万人まで増える。しかし、

都市として発展していくのは

GDR

時代になってからである。特に

1970

年代は

10

年間で

37%も人口が増加した。コットブスの人口のピークは東西ドイツが再

統一される

1990

年の

12

5891

人であった。その後は減少を始め、1990年代 の

10

年間で人口は

14%も減少する。2000

年以降は人口の減少も緩やかになり、

2009

年では

10

1671

人。これはピーク時の

1990

年に比べると、約

19%の減

少になる。ただし、コットブス市は

1994

年、そして

2003

年に市域を拡張してい る。そのため、実質的には人口はより減少していると推察される。人口密度は

2000

年においては

1

キロ平方メートル当たり

720

人であったが、2008年では

620

人 にまで減少している。 

  コットブスの人口は

2005

年時点での予測ではその後も減少していくと予想さ れており、2020年には

87000

人ほどになると予測されたii(ただし、後述するが

2015

年では状況は予測とは異なった展開をみせる)。また、市人口に占める外国 人の割合であるが、2000 年では

2.8%であったが、2008

年も少しだけ増加した

3.2%に留まっている。これはドイツ平均の 8%(2007

年)と比較すると少ない数

字である。

図 8-3  コットブスの人口推移 

(出所:コットブス市)

0 20000 40000 60000 80000 100000 120000 140000

1900 1905 1910 1915 1920 1925 1933 1939 1940 1945 1950 1955 1960 1965 1970 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 2009

  コットブスにおいても人口の高齢化は進んでおり、

1996

年においては市民の平 均年齢は

37.9

歳であったが、2004年には

42.6

歳にまで上昇している。そして、

2020

年には

47.8

歳にまで上昇するであろうと予測されている。

  コットブスの現在の合計特殊出生率は

1.09。ただし、東西ドイツが再統一した

直後の

90

年代前半は

0.7

前後であった。これは将来、コットブスがどうなるか がまったく不明だったので子供を産むどころではなかったためであるが、世界的 にも特化して少ない数字であった。この当時に比べると、依然として少ない数字 ではあるが状況は改善しつつある。

  コットブス市における人口の自然増、そして社会増の変化を

2000

年から

2009

年までみたものが図

8-4

である。毎年、コットブスでは生まれる数に比べ、亡く なる数が

300

人〜400人ほど多い。そして、全体数としては誕生、死亡そして転 入もそれほど変化はないが、転出に変化があることが分かる。

2004

年以前は

6000

人以上の転出がみられたが、最近では減少傾向にある。人口減少のスピードは以 前と比べると落ち着きつつあると考察できる。

図 8-4  コットブス市の人口変化 

(出所:コットブス市) 

② 地区別にみた人口推移

  コットブスの

19

の地区別の人口(2009年)を示したのが図

8-5

であり、その

2000

年から

2009

年までの人口推移をみたものが表

8-1、そしてそれを地図で示

したのが図

8-6

である。この

10

年間で人口が減少しているのは、ザクセンドル フ、シュメルヴィッツ、マドロー、ザンドーなどプラッテンバウが社会主義時代 に計画的に建設された地区である。特にザクセンドルフはこの

10

年間で人口が

38%も大幅に減少している。

-10000 -8000 -6000 -4000 -2000 0 2000 4000 6000 8000 2000

2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009

誕生  死亡  転入  転出 

  一方で人口が増加している地区はメルツドルフ、ブラニッツ、ミッテである。

メルツドルフ、ブラニッツは東西ドイツが拡大された後に市域に編入された地区 であり、ともに市の中心から東側に位置している。ブラニッツは、フルスト・プ ックラーの設計したブラニッツアー・パークで有名である。この公園はドイツで も最も美しいものの一つとして評価されている。東西ドイツが再統一した後、生 活環境が優れていないプラッテンバウ団地地区などから、このような優れた田園 風景の存在する郊外に人口は流出していった。

図 8-5  コットブスの 19 の地区別の人口(2000 年) 

(出所:コットブス市の資料をもとに筆者作成)

Mitte New and Alt Schmellwitz

Sandow

Spremberger Vorstadt Ströbitz

Sielow

Saspow

Merzdorf Dissenchen

Branitz

Madlow Sachsendorf

Groß Gaglow

Kahren Skadow

Willmersdorf Dübbrick

Kiekebusch

Gallinchen

999人以下 人口

1000 -1999 2000 -4999 5000 -9999 10000人以上

図 8-6  コットブスの 19 の地区別の人口増加率(2000-2009 年) 

写真 8-1  ザンドーのプラッテンバウ団地 

 

-10%〜-5%

人口増減率

-5%〜0 +0〜5%

+5〜10%

10% 以上 -20%〜-10%

-20% 以下

Mitte New and Alt Schmellwitz

Sandow

Spremberger Vorstadt Ströbitz

Sielow

Saspow

Merzdorf Dissenchen

Branitz

Madlow Sachsendorf

Groß Gaglow

Kahren Skadow

Willmersdorf Dübbrick

Kiekebusch

Gallinchen