本章では、イエス自身がその伝道活動の中で「罪の赦し」宣言を実際に行っていたのかどうか、
それが福音書にどう表現されているのか、を確認することとする。パウロおよびそれ以後の原始 キリスト教史において、救済表象の中心であった「罪の赦し」は、イエス自身にもその源が果た してあるのだろうか、われわれはそれを知っておく必要がある。それが本論文次章において論ず るパウロの救済論理の特質をあぶりだすことに役立つからである。イエス登場以前において、既 に述べたように「罪の赦し」というものが救済表象として一般的に使われており、しかもイエス 死後のパウロもその伝統上に立っていることは明らかである。そうだとすればイエスもその生き た時代としては、贖罪論の伝統の上に位置することとなる。洗礼者ヨハネとパウロを結ぶ線上に イエスは在るからである。ところが必ずしも常にイエスがこの線上に腰を据え、それに基づいた 発言をしているとは言えないことが本章でわかる。もちろん線上にあると思われる言動もあるが、
線上から逸れている言動が洗礼者やパウロと比較すると目立つことが否めない。むしろ本論文第 2章で見た旧約聖書における多様な救済論あるいは救済論を含有する神論と接近しているよう に思われる。以下にそのことを検証することとする。贖罪論について、イエスとパウロの関係を 知るためである。
但し、イエスの言動を主に四福音書から拾うのだが、パウロや洗礼者との比較は当然卖純には いかない。福音書が書かれたのはパウロ書簡より後であり、他方史的イエスは史的パウロよりも 前である。福音書に書かれたイエスは、史的イエスに遡るものもあるが、むしろイエス死後さら にはパウロ死後の福音書執筆時の状況が反映していることも多いからである。新約聖書学にとっ ては避けて通れないこの問題をも踏まえつつ、イエスと贖罪論について吟味することとしたい。
さらに言えば各福音書それぞれが描くイエス像には相違点があり、同じ記事においてもイエス像 が異なってくることがある。そのような福音書における多様性の中からも、本論文で扱っている 問題については一定の検証ができるであろう。
福音書においてイエスが自らの行動を「罪の赦し」と表現している箇所が尐ないことは、パウ ロ書簡において「罪」という言葉が頻出しているのに比べると顕著である。最古の福音書であり、
マタイおよびルカ福音書の資料の一部をなすマルコ福音書において、ハマルティアーという卖語 は6回しか存在せず、しかもそのうち2回は洗礼者ヨハネに関するものである。従ってマルコ福 音書においてイエスと関わりのあるハマルティアーは4回のみ271(2.5、7、9、10 の「中風の癒 し」の記事においてのみ。この記事については4-3で述べる)であり、ローマ書における48 回と比べるとその尐なさは著しいものがある。マタイ福音書になると、イエスと関連する「罪の 赦し」はマルコ並行の癒しの記事に加えて、2箇所(1.21 および 26.28)272である。これもロー
271 ハマルテーマ(a`ma,rthma)は2回(マコ 3.28、29)。
272 26.28 については4-1で述べる。1.21 については、マタイによる編集であり、18-25 節のイエスの誕 生物語自体に史実性を確認することはできない、ということにおいて大方の研究者は一致している。U. Luz, Das Evangelium nach Matthäus 1Teilband (EKK I/1), Neukirchen-Vluyn, 1985, 102 参照。「彼が(イエ スが)自分の民をその罪から救うからである(auvto.j ga.r sw,sei to.n lao.n auvtou/ avpo. tw/n a`martiw/n auvtw/n)」
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マ書に比べれば尐ないが、マルコと比べるとイエスと「罪の赦し」の関連付けが現れている。ル カ福音書においてもイエスの行為を「罪の赦し」と同定する箇所は多くないが、例えばマタイ福 音書における「主の祈り」における「負債」(
ta. ovfeilh,mata
6.12)という語をルカではハマル ティアーとしている(11.4)など(この箇所については4-5参照)、マタイ以上にイエスと「罪 の赦し」の結び付きを強める傾向が見て取れる。ルカにおける復活後のイエスと「罪の赦し」の 結び付け(24.47)は、ルカ第二部である使徒行伝においても維持され、一層強くなっている。マタイ・ルカよりも時代が後に編纂されたと思われるヨハネ福音書では、ハマルティアーの頻出 数は 17 と共観福音書よりは多いが、その罪概念は共観福音書とは異なる独自のものであり、パ ウロとは必ずしも同様ではないが罪概念を深化させている。ところがヨハネ福音書においては、
イエスと「罪の赦し」を結び付けているのは、イエスを「神の小羊」と称している 1.29(ここ では罪を「赦す
avfi,hmi
」ではなく、「取り上げる、あるいは負うai[rw
」という動詞が用いられ ている)および弟子たちに罪を赦す権威を与える 20.23(4-2参照)の2箇所である。以下に 個別の箇所において、それぞれの内容を吟味することとしたい。4-1 マタイ福音書 26 章 28 節(聖餐制定語)
福音書の中には、イエス自身が「罪の赦し」を宣言している箇所がいくつかある。本章でそれ らについて検証するのだが、最初にイエス自身が最後の晩餐において発したとされるマタイ福音 書による言葉について見てみることとする。「なぜならば、これは契約の私の血であり、多くの 人のため、罪の赦しとなるように、流されるものだからである」(26.28。佐藤研訳273)(
tou/to ga,r evstin to. ai-ma, mou th/j diaqh,khj to. peri. pollw/n evkcunno,menon eivj a;fesin a`martiw/n
)。この中の「罪の赦しとなるように」(
eivj a;fesin a`martiw/n
)という定式的術語は、洗礼者ヨハ ネの宣教においても使われている(マコ 1.4、ルカ 3.3)。マタイ福音書のこの箇所は、いわゆる 聖餐制定語と呼ばれるものであり、マルコ、ルカ、第一コリントに並行箇所がある。これらの聖 餐制定語を比較すると明白なのだが、二つの系統(コリント型とマルコ型)の基本的伝承型に分 けられる。ルカ版は、コリント書とマルコ福音書を元に編集されており、マタイ版はマルコ福音 書を元に編纂されている。コリント書は50年代に、マルコ福音書は70年代に書かれたとされ ているので、コリント書の方が時代としては史的イエスに近いことになるが、それではコリント 版が元来のイエスの言葉であったかというと必ずしもそういうことにはならない。マルコ版はコ リント版に依拠しているわけでもなく274、またコリント版自体においても既に付加されている部(21 節 b)は、イエスと名付けられた由来(ヘブライ語ヨシュアは「ヤハウェは救い」という意味)を説 明するものである。当時のユダヤのメシア観は、ローマ帝国からの救いを行うという政治的、軍事的なそ れであったが、ここでイエスはユダヤ人の待望するメシアとは異なる使命を持つメシアであることを示す ために、「罪から救う」とマタイは記したのである。小河陽『マタイ福音書神学の研究-その歴史批判的研 究-』教文館、1984 年、177 頁、W. Grundmann, Das Evangelium nach Matthäus (ThHK 1), Berlin, 61986, 69, D. A. Hagner, Matthew 1-13 (WBC 33A), Dallas, 1993, 19, U. Luz, op.cit., 104f 参照。
273 『マルコによる福音書 マタイによる福音書』岩波書店、1995 年。
274 荒井献『イエスと出会う』岩波書店、2005 年、169 頁。
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分がありうるからである。パンと杯に関する聖餐制定語における元来の史的イエスの言葉として は「これはあなたがたのための私の体である」および「これは私の契約の血である」というもの であるという説がある275。あるいは、後者の「契約の血」についてもその歴史的蓋然性を疑問視 する説もある276。聖餐制定語についての新約聖書の4つの記事においては、それぞれの伝承およ び編集者による解釈が付加されたと考えるのが妥当であろう。史的イエスは最後の晩餐において、
自らの死と同時にそこから先の新たなる展望を示唆したのであり、それ以上ではないであろう。
いずれにしてもマタイ福音書の聖餐制定語における「罪の赦しのための」という語は他の並行 記事にもなく、明らかにマタイによる付加である。イエス自身は最後の晩餐において、自らの生 およべ予想されうる死が、「人々の罪を赦すためである」という発言をしたという事実は確認で きない。この箇所におけるイエスと「罪の赦し」の結び付けは、後代のキリスト教的解釈なのは 明白である。ここにおいて、洗礼者ヨハネと結び付けられた当時のユダヤ教における救済論とし ての贖罪が、イエスの死後、次第にイエスの独占的な機能と見なされた跡の一端を見ることがで きる
4-2 ルカ福音書 24 章 47 節およびヨハネ福音書 20 章 23 節(復活のイエス)
ルカの当該箇所では、イエス自身の言葉として「罪の赦しへの回心」について述べられている。
しかしそれは生前のイエスとしてではなく、死後の復活のイエスの言葉としてである。この箇所 についても、イエス自身の明確な言葉だとすることは困難である。以下そのことについて述べる。
当該箇所では復活のイエスがエルサレムにおいて11弟子(イスカリオテのユダを除く)とその 仲間たちに向かって語っている。「(イエスは)彼らに言われた。『こう書かれている。キリスト は苦しみを受け、三日目に死者たちから起き上がる。そしてその名において、罪の赦しへの回心
(
meta,noian eivj a;fesin a`martiw/n
)が全ての民へと宣べ伝えられる。』エルサレムから始まっ て...」(46-7 節。拙訳)。ここでイエスは、旧約聖書の預言の成就として、自らの死と復活そし てその後の宣教を位置付けている。さてこのイエスは十字架刑死後に「復活した」イエスなのだ が、「復活」そのものをどう捉えるかということについては、もちろん現在に至るまで様々な解 釈がなされている277。その解釈に立ち入ることは本論文ではできないが、「復活のイエス」の言 動が、生前のイエスの言動と比べると、後代の創作である可能性が大であるのは明らかである。
275 G. Theissen/A. Merz, Der historische Jesus, Göttingen, 1996, 372f. G. Friedrich, Die Verkündigung des Todes Jesu im Neuen Testament, Neukirchen-Vluyn, 1982, 13f.さらに G.フリードリッヒは、杯の 発言に関しても「これは私の血である」というより短い言葉が本来のイエスによるものであるとしている が、当時のユダヤ人にとっての血を飲むタブーを考慮すれば、タイセンらのように出エジプト記 24.8 を根 拠として「私の契約の血」の方が蓋然性が高いであろう。
276 廣石望は、「血」だけでなく「契約」もイエスではなく原始教会によるものであるとしている。「イエス と原始キリスト教における『聖餐』」(山口雅弘編『聖餐の豊かさを求めて』新教出版社、2008 年所収、110
-138 頁)参照。しかし本論文ではこの問題にこれ以上立ち入らない。
277 現代における「復活」解釈について、聖書学者あるいは組織神学者さらには文学者に至る様々な見解の 一端については、大貫隆編著『イエス・キリストの復活 現代のアンソロジー』日本キリスト教団出版局、
2011 年で知ることができる。