以上われわれが検証したように、パウロの救済論としての贖罪論にはひとつの基本的な枠組み があった。人には罪があるということを前提条件として、その罪が清算されるという順序に基づ く思想がそれである。そのような贖罪論を展開するために、ローマ書の罪論は矛盾を含んだもの とならざるを得なかった。この贖罪論は、多様なる救済論の一部に過ぎず、それによってイエス の死解釈が言い尽くされるわけではない。また罪を起点とするこのような救済の図式には、救済 論の矮小化とともに、それ以外の救済論を認めないような排他的性格をパウロ後にもたらす芽が あった。このような思考を高橋三郎は「法律的思惟形式(ein juristisches Denkschema)」と名 付けたのだが、その思考は図式主義(Schematismus)につながる要素を持っていた。そのような パウロの贖罪論の一側面を確認することがわれわれはできたと言えよう。
パウロは罪の普遍性を梃として、救済の普遍性、具体的には異邦人にも開かれた救済を述べた のだが、それは当時のユダヤ教の概念を用い、それによりユダヤ教と非ユダヤ人の接続を可能と した。彼の贖罪論以外にどのような方法で、ユダヤ人に限定されない、異邦人への宣教が可能で あったであろうか。そういう意味で彼は贖罪論によって異邦人伝道に成功した、と言えるであろ う。しかし彼の贖罪論には限界があった。われわれは、ローマ書を取り巻く背景および新約聖書 全体からそれを明白にしようとしてきた。
われわれは「万人が罪人ではない」あるいは「人には罪などない」などという論証をしてきた わけでは決してない。今まで見てきたように、旧約聖書における罪論や救済論は多様であった。
基本的に罪や救済は抽象的な概念ではなく、必ずしも罪を前提としない救済論表現もなされてい た。また新約聖書においてもパウロの贖罪論とは異なる様々な救済論的表記があった。しかしパ ウロ後に、救済論はパウロ的贖罪論に収斂していった。そのことは新約聖書内でもある程度確認 することができる。第一テモテ書 1 章 15 節において、「キリスト・イエスは罪人らを救うために 世に来た(
Cristo.j VIhsou/j h=lqen eivj to.n ko,smon a`martwlou.j sw/sai
)」というすでにテモテ書執筆時には定式となっていた贖罪論を引用し、その言葉は真実であり、全く同意するに値す る、とパウロを名乗る著者が述べるとき、それはイエスが言われた「私が来たのは義人をではな く、罪人を呼び出すためである(
ouvk h=lqon kale,sai dikai,ouj avlla. a`martwlou,j
)」(マコ 2.17および並行箇所)に含まれる逆説性と抗議の意味は薄められている。ここにも贖罪論の多様性が 失われていき、教義化していく過程が見て取れる。
パウロの贖罪論の果たしたキリストの使信の伝播における意義は測り知れないのであるが、そ こに潜む限界も自覚することは、従来のパウロ研究において為されてこなかった。本論によりそ の一端が明らかになったのではないだろうか。
1-2で触れたパウロ研究史との関連で本論文から導き出されたことは次のとおりである。
イエスとパウロの関係で言えば、対象から締め出されていた人々をも対象にするという観点で の宗教改革という意味からすると、パウロは明らかにイエスの後継者の宗教改革者である。イエ スの処刑と人々の復活体験を経た後、それをどう解釈すべきかという点に至ると、両者の役割の
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違いは明白になる。証言される者と証言する者の立場の違いである。「処刑されたキリスト」と いう謎を解くという問題に、初代のキリスト信徒は直面し、イザヤ書 53 章の「苦難の僕」やユ ダヤ教伝統の「罪の供え物」などをイエスの死理解に適用した。パウロはその初代信徒たちの解 釈を引き継ぎつつ、パウロ独自の異邦人伝道という使命のために、彼独自の解釈および伝達をし なければならなかった。ユダヤ人と異邦人を含む教会形成を、旧約聖書を含むユダヤの伝統に基 づいて行わなくてはならなかったパウロは、ローマ書でその悪戦苦闘の一端を披瀝している。
そういう意味でパウロは明らかにヘブライズムの伝統に立って、ヘレニズムへの橋渡しをした 人物である。そして彼はユダヤからギリシア・ローマへ、そして再びユダヤへという彼にとって の全人類の終末的救済を視野においた歴史展望を持っており、自らの役割をその歴史の一部分と して理解していた。
彼の救済論はキリスト論と密接に繋がりつつも、両者ともイエスとの出会いという出来事の解 釈表現という側面を持つ。従ってパウロの諸々の救済論の中でも中心は何かという問いは、もは やたいして意味を持たないのではないだろうか。むしろ彼の救済論の内容の妥当性をわれわれの 立場から評価しつつ、彼の様々な救済論を再解釈すべきである。
パウロの贖罪論という救済論は、一つの図式を用いた解釈・伝達表現であり、パウロの立場に おいては極めて有効な手段であった。しかしパウロ後にその表現が普遍的なものとしてドグマ化 していった。パウロ後の解釈者たちは、パウロの利用した図式をも普遍的なものと理解したので ある。パウロは自らの何らかのイエス体験という出来事を、何とか解釈し、他者に伝達しようと 努めた。しかし解釈は出来事そのものとは異なる。史的パウロは、論理だけではなく、ましてや 現存する書簡だけでなく、自分自身の存在全体を通して出来事を解釈、伝達したに違いない。解 釈表現には制約が付随し、そういう意味で新約聖書そのものの限界をわれわれは再確認すること となった。
われわれはパウロの贖罪論の影響史についてはほとんど探求することができなかった。パウロ 後の解釈者たちもそれぞれの独自の思想を通してパウロの贖罪論を継承し、その一側面を強調し てきたはずであるが、それについては全く触れることはできていない。またパウロの贖罪論以外 の思想についても論究することはできていない。しかし例えば現在新約聖書学において論争中で
ある
pi,stij Cristou/
解釈についても、われわれが探求したパウロの図式的理解がパウロ自身のこの用語に混入している可能性は十分ある。信仰を条件とした義認がパウロの思想の中に含まれ ているのではないか、という予想である(もちろんそれはパウロの意図そのものではないであろ うが)。最後に、われわれが探求してきたパウロの思考の制約を理解しつつローマ書全体を新た な光のもとで再解釈することにより、思わぬ発見が与えられることを期待し、それを今後の課題 としたい。
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