2.4. IOCの構造と内部政治
2.4.5. アマチュア問題
ブランデージはアマチュアリズムをオリンピックムーブメントの礎と考えていた(この章の2.2.3. 参 照)。
彼がIOC会長に選挙される前、彼はアマチュア委員会の委員長であった。
彼は、IOC委員、ボー・エケルンド(スウェーデン)、R. W. ゼールドライエルス(ベルギー)、IAAF セクレタリー、E. J. ホルト、国際漕艇連盟FISAセクレタリー、G. ムレッグと共に、マチュアの定義 の起草に協力した。その目的は“この件に関して決定的に明確な規則を作ること”であった。
この大望にふさわしい熱意をもってブランデージは、オリンピック大会にこの定義に合う選手だけ が参加できるよう、彼の全エネルギーを捧げた。
彼にとってアマチュアリズムは“曲げることのできない、絶対的な、そして普遍的なもの”であった。
アマチュアの定義に関して彼は次のような意見を述べている、「それは正確であり、変えることの できないものであり、いかなる組織もこれを変えることはできない。競技者は、スポーツをただ喜び のためだけに行う限りにおいて、アマチュアと考えられる。」
二人のノルウェー人、オラフ・ディトレフ䇲シモンセンとトマス・ファーンレイが1950年にコペンハー ゲンで、アマチュアの定義はそれぞれの競技の国際連盟に委ねられるべきだと提案したとき、ブラ ンデージは激しく反応し“STOP”で始まる回状を出した。
彼はこのタイプの提案に“オリンピックムーブメントの将来に対する恐ろしい脅威”とIOCの終焉を 見て取ったのである。
いくつかの批判的な新聞は、アマチュアリズムを1955年にパリで開かれる予定のIOC総会の議 題にするよう、ブランデージに促した。
会長は1947年の規則は“この主題を完全にカバーしている”と考えていた。しかし競技参加のた めの収入の損失に対する補償の問題についての議論は何回も何回も持ち出されていた。
そのような補償は1925年のプラハでのテクニカルコングレスで拒否されていた。
ブランデージは収入の損失に対する補償がすぐに正規の収入になってしまうことを恐れた。
彼の意見では、その種の補償規則は“アマチュアスポーツの根本原則”とオリンピック憲章に完 全に反するものであった。
「もし補償がオリンピック大会で認められれば、アマチュアスポーツの砦であり柱であると思われて いる国際オリンピック委員会は、それを鼓舞し、正しい道に導く代わりに、アマチュアリズムを純粋 に守ろうとしている80の国々の何千という人々と組織を裏切ることになるであろう。」
彼は、収入の損失に対する補償は必要ないと言った。彼の四十年の経験に照らして「オリンピッ ク大会で競技できないほど貧しい選手を知らないし、聞いたこともない。」から、と主張した。
ブランデージは、アマチュアの原則が社会的に条件付けられた基準なのだから、全ての他の社 会的規則と同じように、変わっていく社会的条件と歩調を合わせることができるように、時々見直さ なければならないものだ、という可能性を認めることを拒否したのである。
IOC会長はもう一つ別の問題に悩まされていた:オリンピックでの成功をプロ転向に利用する選 手の数が増えていたのである。この事態の展開に直面して選手宣誓の改正が必要と考えられた。
選手宣誓の公式“ここに署名した私は、私の名誉にかけて、私がアマチュアであり、オリンピック規 則によって定められた条件を満たすものであることを宣言します。”の“私はアマチュアであり”の後 に“(アマチュア)に留まるつもりです、”という言葉が挿入された。
しかしこの挿入は大変な抗議の嵐を巻き起こしたので、理事会はこの規則を保留し、古い言葉 使いを1956年の大会まで維持せざるを得なかった。
IOCに対していろんな方面から、現実を無視し、既にとっくに時代遅れになった理想に偽善的に
しがみ付いている、という批判が向けられた。
アマチュア規則に対する違反はますます頻発するようになっていた。多くの競技ではレベルが非 常に高くなり、トップレベルを維持しながら職業を両立さすことは不可能になっていた。
そこでスイスのIOC委員、アルバート・メイヤーはオリンピック憲章の規則26を調整する方向への 第一歩を踏み出した。彼はこの規則が変化した社会的条件に対して“時代遅れになっており、過 去の属している”と考えていた。
1960年のローマにおける第58回IOC総会で、彼はアマチュア規則の修正案を提出した。この提 案を処理するために、IOCは理事会とアルバート・メイヤーを含む委員会を作った。
この委員会には後に、フランソア・ピエトリ(フランス)、モハメッド・タヘール・パシャ(エジプト)、イ ヴァール・エミール・ヴィント(デンマーク)が参加した。
1961年のアテネでのIOC総会で、出席した委員はそこから選ぶべき幾つかのアマチュアの定義
を提示された。
ソビエトの委員、C.アンドリアノフとA.ロマノフの提案した修正案も規則26に関するものであった。
それは収入の損失に対する補償について明記していた。彼らはそれを正当なものであると考えて いたのである。このソビエトの修正案ははっきりした過半数1*で拒否された。
スウェーデンの委員、ボー・エケルンドはこの規則を大幅に簡素化したいと願っていた。
彼のアマチュアの定義は以下のようなものである:
“プロ選手はオリンピック大会に参加することはできない。プロ選手とは主として競技スポーツから 生計を得ている者である。”
規則改正のために指名された委員会は、アルバート・メイヤーの指揮の下に、規則26の改正案 として以下の提案をした:
“アマチュアは物質的報酬なしにスポーツに参加する者、これまでも常に、物質的報酬なしに参加 してきたものである。
アマチュアと認定されるためには以下の条件に合うことが必要である:
a) 現在及び将来の生計を保証する普通の職業を持っていること。
b) いかなるスポーツに参加することに対しても一切報酬を受けたことがないこと。
c) 当該国際競技連盟の規則に適合していること。
d) この規則の公式の解釈に適合していること。”
アマチュア委員会の報告と提案に対する投票では、一人を除いてすべての委員がアルバート・
メイヤーによって提出された案に賛成した。
しかしアマチュア規則の改定については何の決定も行われなかった。
“Stop, Look and Listen”、(ストップ、よく見て聞こう)、これがローマでの提案に応える手紙の最 初にブランデージが書いた言葉であった。
彼の意見では、収入の損失に対する補償はオリンピックムーブメントの問題を解決する方法とし てはまったく不適切なものであった。彼は、規則を緩める代わりにもっと厳格にそれを適用しなけ ればならないと信じていた。
1 原注:37対7
「オリンピックムーブメントの弱点であり、我々のトラブルの原因の95%は現在のルールが強制され ないことにある。もし違反を止めようとするならば罰を科さねばならない。」
1960年11月17日付けの回状で、彼はアマチュア規則の違反に対して“厳しい罰”を呼びかけた。
それがオリンピック大会を、純粋な、清い、真っ当なものに保つ唯一の方法なのだからと。
1962年のモスクワでの第60回IOC総会で、改革に賛成のIOC委員の多数の圧力の下に、ブラン デージは多少の譲歩を強いられた。
“偽のアマチュアリズム”の偽善と縁を切るために、総会はオリンピック憲章の26条を修正した。わ ずかな文体上の修正を除いてアマチュア委員会の案が原案通り採用された。
この規則の解釈から生ずる困難を防ぐために、1963年にバーデンバーデンで会合した理事会 は、エクゼター侯爵によって提案された以下の補遺を公式の解釈として採用した:
「IOCは、競技者が利益や生計を彼の競技から得ていないという基本的な原則を犯していない限 りにおいて、競技や選手に対してこの規則に対する例外措置を取る権利を留保する。」
1963年のバーデンバーデンでの総会の間に行われたIOC理事会とNOCの代表との会合で、ア
マチュア問題は長い時間をかけて議論された。
ブランデージはまた、ステートアマチュアの問題、トレーニングキャンプや選手に対する奨学金の 問題を取り上げた。そしてNOCに対しアマチュア規則を厳密に遵守するよう求めた。
そして同じ年の回状で、IOC会長は、軍隊内の選手に一般市民に優る特別な条件を提供するこ とに対して警告し、そのようなことが続けばオリンピックの競技から軍人を排除せざるを得なくなる だろうと述べた。
1952年のソビエト連邦のオリンピックファミリーへの参加以来、ステートアマチュア問題は悩まし
いトゲとなっていた。
フランスのマサールIOC副会長は、すでに1953年に“ステートアスリートの状況は我々の主要な 問題になっている。”と言っていた。
アマチュア問題は、テレビの重要さが増すにつれて、より深刻になっていった。
一般のスポーツに対する熱狂の高まりは、スポーツ商品の製作者に巨大なマーケットを開くこと になった。テレビはこの熱狂に火をつけてだけでなく、同時にスポーツ産業の最も重要な広告手 段となった。一番市場価値の高いのは人気のあるチームスポーツ、そしてフィギアースケートやア ルペンスキーのようなとりわけテレビ的なスポーツであった。
スキーは次第に大衆のスポーツになっていった。 スキーは比較的高価な器具を必要とするス ポーツなので、スキー産業に巨大な利益を約束することになった。
ブランデージにとっては、これらのスポーツはオリンピックムーブメントのなかの黒い羊であった。
インスブルック大会の間、まさにこれらの冬のスポーツが、偽のアマチュアリズムの疑いをかけら れることになったのである。
キリウス/ボイムラーのケースが、オリンピックファミリーの意見を分けた。