第Ⅲ章 理科教育とアブダクション 理科教育とアブダクション
第2節 アブダクションと学習 アブダクションと学習
第2節 アブダクションと学習 第2節 アブダクションと学習 第2節 アブダクションと学習
理科教育において,我々は,様々な能力の育成をめざしている.その中で,問題 解決の能力の育成は欠くことのできないものである.問題解決の能力の育成で重要 なのは適切な推論を行う能力の育成である.推論の能力の育成には,領域固有性の 問題があり,どのような対象についてどのような方法を行うかについての問題はあ る.しかし,科学的探究の過程を経ながら,自然の事物,現象などに関して学習す ることは必要であり,そのような学習を通じて,推論,創造性などの能力が培われ るとともに科学的な見方や考え方(科学観)が養われると思われる.ここでは創造 性を「新しいものを作り出す能力」と定義する.新しいものを作り出すためには推 論が必要であり,創造性は推論と深く関係する.特に,「説明的仮説を形成する過 程であり,何らかの新たな観念を導入する,唯一の論理的な操作である」(5.171) アブダクションが創造性の鍵となる.
例えば,ポリアは,「数学者の創造的仕事の結果は,論証的推論であり,証明で ある.しかしその証明は,蓋然的推論によって,推測によって発見されるのである.」1) といい,さらに,次のようにいう.「私は推測を学ぶのにとても簡単な方法がある とは信じません.とにかくそんな方法があるとしても私はそれを知りませんし,そ して確かに,以下のページにおいて,それを提供しようという素振りはいたしませ ん.蓋然的推論を有効に使うことは実際的実技であり,他の任意の実際的技法と同 様に,模倣と練習によって学ばれるものです.私は,蓋然的推論を学ぼうと熱心に 望む読者のために全力を尽くすとするでしょう.が私が提供できることは,模倣の ための例題と練習のための機会とにすぎません.」2)という.創造や発見を可能にす るような簡単な方法はないというのである.なお,ここでポリアのいう推測はパー スのアブダクションとほぼ同義である3).
もし,ポリアが正しいとすれば,推論の能力の育成や創造性の育成に有効な方法 とは蓋然的推論を有効に使用する実際的技法を習得するための模倣と練習を行うこ とであり,教育的な観点からは,その実現を図ることが重要となる.ここで,我々 は「蓋然的推論を有効に使うことが実際的実技である」としていることに注目する 必要がある.推論の能力の育成や創造性の育成は,少なくとも,ある面では推論に 関する技術であり,それは習得可能なのである.もちろん,推論の能力の育成や創
造性の育成には,知識,性格,環境,経験などをはじめとして多くの要因が関係す ると思われる.しかし,推論について,特にアブダクションに関する模倣と練習が 重要であることは確かであると思われる.
ところで,アブダクションは,境界なしに連続的に知覚判断に溶け込むことから,
日常のあらゆる場面で使用されていると考えることもできる.したがって,極論す れば,推論の能力の育成は,日常的に行われていると考えることもできる.しかし,
ただ何となく無意識に日常を過ごすだけでは,能力は高くならない.では,どのよ うにすればよいのであろうか.ここでは,新しい言葉の習得を例に考える.例えば,
「矛盾」という語の意味が分からない場合について考える.最初に,「矛盾」とい う語を会話の中で初めて聞いたとき,あなたはどのように考えるだろうか.わから ない言葉は無視するかもしれない.また,わからないまま特に気にすることもなく 放っておくかもしれない.あるいは,その言葉の意味やどのような漢字なのかを相 手に聞くかもしれない.あるいは,自分なりにその言葉の意味を考えるかもしれな い.新しい言葉を導入するはたらきはアブダクションによって行われる.前後の会 話文や状況から,自然に(ほとんど無意識に)新しい言葉を習得することも考えら れる.これは,知覚判断に近いものと考えられる.しかし,ある場合には,その言 葉の意味を前後の会話文や状況から推測することがある.そして,「もし矛盾とい う言葉の意味が A ならば,会話文の意味が当然の結果となる.ゆえに,矛盾の意 味は A である.」というアブダクションを行う.「矛盾の意味が A である」は,一 種の仮説であり,正しいとは限らない.しかし,別の機会に「矛盾」という言葉を 聞き,推測した意味が文脈や状況に適応したとき,「矛盾の意味は A である」とい う仮説は強められる.このようにして,新しい言葉(知識)が得られる.この場合 には,今までその人がもっている言葉の領域を超えて,新しい言葉の領域を形成す る.
一方,「矛盾」の意味を辞書を使って,調べることも考えられる.広辞苑によれ ば,矛盾の意味の一つとして,「ことの前後のととのわないこと,つじつまの合わ ないこと,自家撞着」などとなっている 4).これは,その人がもっている言葉の領 域に存在している別の言葉と関係付ける方法である.その説明の言葉が分からない ときは,さらに辞書による新しい関連付けをすることにより,関連付けを広げ,理 解することができる.言葉は,他の言葉との関係によって存在するから,この方法
によっても言葉(知識)を増やすことができる.ただ,この方法では,すでにその 人がもっている言葉の領域を超えて知識を増やすことが難しい.もちろん,この方 法の場合でも,概念の受け入れに関してアブダクションが関係する.しかし,その 影響は,非常に小さく目立たないものである.
以上,一つの概念の受け入れについても,概念を受け入れる方法には差異があり,
その結果,能力の育成に違いが生じると思われる.限られた時間の中で効率よく知 識や技能を学習させることは,現在の学校教育においては重要なことであり,その ためには,後者の方法のように体系的な知識などを受容学習させることも必要であ ると思われる.実際,知識,理解が主体の試験を目標に学習する場合,その効率か らどうしても「教え込み」「学習の管理」を押し進めていく傾向が強くなりがちで ある.しかし,人間を受動的で無能な存在と見る学習観にもとづいて「教え込み」
「学習の管理」を押し進めていくと,学習者も受動性と無能性を示してくるのだと いう5).また,池田(1981)は,「学習とは,コードの増殖である.このためには,
アブダクションが不可欠である.アブダクションによって,まず暫定的にコードを 変える試みがなされねばならない.学習をこのようにとらえると,その基礎として 何が必要かがみえてくる.学習の基礎は,以後の学習過程においてコード増殖が活 発に行なわれるための要件を整えることである.特に,コード増殖の前提であるア ブダクションが活発に行なわれるための要件を整えることである.この要件が整え ば,アブダクションは活発にひきおこされ,コードが増殖する.この要件を整える ことこそが,学習の基礎を作ることにほかならない.」6)と述べ,学習におけるアブ ダクションの重要性と様々な経験の重要性を主張している.
いうまでもなく,あらゆる知的な学習は,アブダクション,ディダクション,イ ンダクションと直接,間接的にかかわる.ただ,関わり方すなわちレベルが問題で あり,どのような推論を行うかによって,学習の質が左右される.未知の問題解決 の第一段階としてアブダクションを始める場合と模倣によって課題を解くドリルで は大きな差がある.模倣によって課題を解くドリルでは,アブダクションが非常に 狭められた形で存在している.すなわち,推論の前提がはっきりしており,ディダ クションを中心に推論が進む.そのため,アブダクションの担う役割が少ない.こ のような学習を繰り返し行うだけでは,ディダクションの能力を高めることはでき ても,アブダクションやインダクションの能力を高めることはあまり期待できない.
もちろん,ディダクションの能力を高めることはアブダクションやインダクション の能力を高めることに繋がり,また,ディダクションの中にもアブダクションの要 素が入っている.ただし,学習は経済的に行われなければならず,推論のバランス も大切である.そのため,学習方法が重要となる.
そこで,まず考えられるのは,歴史上の科学的な発見を学習のテーマに選ぶこと である.歴史上の科学的な発見については,素晴らしいアブダクションが多数見ら れ,科学の発展に寄与してきた.しかし,それらのアブダクションは,我々が練習 として取り上げるには困難であり,かつ,多くの時間を必要とする場合が多い.も ちろん,必要な場合には,時間と労力を最大限に使用し,アブダクションを行うこ とも重要である.しかし,一般的には実用的ではない.実用的な方法としては,短 時間でできる小さな発見やわずかな工夫で解決可能な課題を練習として取り上げる ことが考えられる.こうした課題には様々なレベルがあり,必ずしも系統的に整理 できるものではないように思われる.しかし,そうした練習を積み重ねることで推 論の能力が育成されると考えられる.そして,徐々に難解な課題に挑戦することに より,その能力を高めることできると思われる.
以上の議論から,アブダクションに関して有効と考えられる主な方策は次の3点 と考えられる.
① 動機付けを行い,学習の環境を整えること
② 知識,経験(できれば体系化されたもの)を可能な限り,多く獲得させるこ と
③ アブダクション及び科学的探究の方法について模倣練習させること
①については,アブダクションが心理的側面を強くもつことから容易に導かれる.
学習者が自ら学習に対して意欲的,主体的になる内発的動機付けは重要である.そ のための学習の環境を整えることは,教員の大きな仕事であり,あらゆる学習のた めの基本的要件であると思われる.そして,アブダクションが驚くべき事実(動機 と関係する)から始まることを考慮することが重要である.
②については,アブダクションの論理形式から容易に導かれる.まず,説明的仮 説を定立するためには,選択すべき仮説がなければならない.仮説は知識や経験が なければ,選択することも創ることもむずかしい.知識,経験が多いだけでは十分 とはいえないが,少ないよりは有利である.そして,知識,経験は,体系化された