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トノJ'211

﹃新

青年

﹄ に創作を発表していく︒航

石一

洪金

作︑

稲師

一足

徳︑

佐々木味沖

ゴ 一

光の身近にもこうした状況があったのである布︑

附和五年は探偵小説に関わって大きな山来事が起っている︒

際仙小説作家として当時の日木でも有名で

また

あったヴアン・ダインの﹁探偵作家心得二十カ条﹂(小河原幸夫訳)が﹃新町年﹄に掲載されたのは︑﹁機械﹂が発表

﹃東京日日新聞﹄﹃悶民新聞﹄

同じく有名なコナン・ドイルが七川七日に没し

され

るゴ

一カ月前の六月号︒強いの

97 

﹃時事新報﹄などをはじめとして広く報じられた︒

98  とこ

ろで

︑﹁ 機械

﹂ の初出誌である﹃改造﹄に服を向けてみる︒この頃の﹃改造﹄はプロレタリア文学系の色彩

が濃い一方で︑改造社は探偵小説の流行期に﹃小酒井不木全集﹄と﹃日本探偵小説全集﹄を刊行しており︑﹃改造﹄

誌上ではこれらのための広告が掲載される︒﹁機械﹂が掲載された前後に絞って例をあげてみると︑﹃小酒井不木

全集

の広告か五・L

(こ の号 には 好評 によ り三 冊用 刊し 全十 五巻 にす る旨 が書 かれ てい る)

・七 月円 万に

︑ そのほかにも江戸

川乱歩の﹃孤品の鬼﹄が七月号︑ヴアン・ダイン﹃僧正殺人事件﹄(武問児訳)が九・十月号に掲載されているの﹃僧

正殺人事件﹄に関しては八月号の

﹁編 輯だ より

﹁ヴアン・ダインの名を問いただけでも心は弥が上にもそ﹀

り立 つが

︑ 氏の傑作でアメリカの読書界を席捲した﹃僧正殺人事件﹄が︑

近く出版される﹂

とある︒活字広告の 基本的な戦略として雑誌空間のなかで視覚的な効県をねらい︑

頁を繰っていくとき注意をひきつけるよう仕組ま れていることを考えれば︑探偵小説の陰影が﹃改造﹄誌而からも浮ぴ上ってくる︒

以上のように

﹁機械﹂を取り巻く状況を考えるうえで︑探似小説に関わる同時代的な動向の影響は無視できな

V‑Y  読者への通路

さて︑﹁私﹂はなぜ探偵のように屋敷の死の真相に言及しなければならないのだろうか︒﹁私﹂の語り方は︑﹁私﹂

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が経験したことのない予想外の出来事を反復して語ることによって︑

その出来事を予想のつくものへと転化させ

ょうとする特徴をむつ︒

﹁ 私 ﹂

は全編を反復構造に設えるという桃成意識をもって詰っている︒

F 11;1 

そのために

外に浮上してきた﹁新しい山来事﹂に対しても︑﹁私﹂はF必のつくものへとい転化をはかろうとする︒主人が金を

落したつの欠陥がこれも確実な機械のやうに働いてゐたのである﹂

を一つの契機として

﹁事 件﹂

﹁その間にも

とする

﹁新

しい

山来

事﹂

﹁ 確

実な機械のやうに働﹂くものを見出す︒

﹁ 私 ﹂

にいたる背後に

l

だか此の私ひとりにとって明瞭なこともどこまでが現実として明瞭なことなのかどこでどうして計るこ とが山来るのであらう︒私たちの問には

一切が明瞭に分ってゐるかのごとき見えざる機械が絶えず私たちを

計ってゐてその計ったままにまた私たちを押し進めてくれてゐるのである︒

後半になって

﹁機

械﹂

という術訴は︑予想のつくこと(明瞭なこと)からはみ

﹁ ね ﹂

が三

削に渡って反復するこの

第 三 取 受 存 者 へ の ま な ざ し

山した予想外のこと(明阪にならないこと)を無化してしまう︒

﹁ 私 ﹂

の意

識は

︑ 前半の⑤における化学実

こ︑

フし

験を通して

﹁いかなる小さなことにも機械のやうな法則が係数となって実体を計ってゐることに気付き出したね

﹁機械のやうな法則﹂を

﹁い

かな

る﹂

の唯心的な服限めの第

一歩となって来た﹂

と体験したことから生じた

にも通川するものとして認識したことに起附する︒原敷の死の背後に﹁械実な機械のやうに働﹂くものをみる﹁私﹂

その原因となったことを解明することによって因果関係を明蹴にしない

は屋敷の死という﹁現実﹂

の結

巣か

ら︑

99 

かぎ

り︑

そのあいだに顕現した

﹁機

械﹂

そのもののはたらきはわからない︒だからこそ︑語り手﹁私﹂はその囚

100  果関係を求めて過去から現在にいたる特定した時点を選び取り︑川構成していくのである︒

③で追求される屋敷の死の真相は︑幾通りかの可能性を示している︒屋敷自身の過失死あるいは自殺︑艇部犯 人説︑そして先行論で最も触れられることの多い

﹁私﹂による殺人︑主人犯人説︑主婦犯人説︑﹁ネ

i

ムプレート

製造所﹂外部からの犯行など言︑妥当性はさておき考えることの可能な範囲はまだあるかもしれない︒ただ︑﹁私﹂

の思索は軽部と

﹁ 私 ﹂

のあいだを行きつ一民りつしながら﹁私﹂自身の犯行に傾く姿勢を示すものの︑解明までに

はいたらない︒

﹁ 私 ﹂

の思索が解明にいたらないことは探偵小説との

一線を両すことにはならない︒

確かにこの頃の傑偵小説

の基本的な要素としては︑謎が解明されることを前提としている︒

しかし︑当時の探偵小説全般を凡渡すまでも

なく︑解明されない実作も多々見受けられる︒

また︑探偵小説の流行したこの時期は怪奇・幻想・秘輯ものなど をも含め︑このジャンルの許容範聞が肥大化していたことを考えれば

8

︑事件の解明がなされないことを要因と

して探偵小説との近接性は否定できない︒ただし問題は﹁機械﹂が探偵小説と近接することによって何がみえて

くるのかということである︒

﹁ 私 ﹂

が語りたかった契機は

﹁新

しい

出来

事﹂

日屋敷の死にあり︑その背後にはたらく﹁機械﹂の存在があっ

た︒屋敷の死を解明することは﹁機械﹂の一端を把服することでもあったはずだが︑﹁私﹂はそれを解明すること

ができずに﹁誰かもう私に代って私を審いてくれ﹂

と語

る︒

この文市の

﹁誰

か﹂

とは当然ながら

﹁機械﹂作中の

技場人物とは考えられない︒

﹁ 私 ﹂

が語る相手

H﹁恥﹂が必定するところの聞き手(他者性を含めたものとして)に向

けて発されたものといえるだろう︒

活字メディアを過して発表されるテクストは︑読まれる相手とのあいどにコ

︑ュ

ニケ

lシヨンを成立させる︒

こうしたテクストの制り干は読み手に向かってコンタクトを仕掛ける︒

読み手

は川中に内包されただけの存紅ではない︒成椛内仁川の祈り手は︑

削 如

実 向

‑川の読み手とも交渉しうる︒上

それが側々の

読書体験ともなる︒こうした視点に立てば︑﹁私﹂が惣応するところの聞き手とは︑読者とつながっているの

﹁帯いてくれ﹂という読者への岬びかけによって﹁私に代って私を帯﹂

くという物訴は

﹁ 私 ﹂

の非が毘般の死の

真相を本当に解明できなかった罪か︑殺人者としての

﹁ 私 ﹂

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・ ・

3

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あるいは真相を知っていながら隠蔽してい

︑ ︐ ︐

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と羽カということを読者に託しているといえるだろう︒h

﹁私 が何 をし て来 たか

﹂︑

それは読者にとって

﹁ 恥 ﹂

よってすでに前られたこと以外知るすべはないのだが︑

その川いの答えとして

﹁私に聞いたって私の知ってゐや

う特がないのだから﹂という理山を川立するものの︑

﹁私

が﹂

という円附的な一人称代名制の術環

﹁私

に﹂

﹁私

の﹂

l

﹁ ね ﹂

の行き場のない志向をあらわにしているのみであるの

I

T

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﹁ 私 ﹂

にとって読者に託すしかないと同時に︑

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への主なざし

してしまった物訴に対して

﹁ 私 ﹂

コ党

火 ︑ ︑ コ

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に聞いても仕方のないものとして読者につきつけ

語り手

﹁ 私 ﹂

りを心しているともいえるだろう︒解明されない屋敷の死の謎と結末部の読者へのまなざしは最後まで読むこと

それ以上に語り手の手を雌れ結末以降にも感慨を及ぼさせる︑

読者に託された物訴として開

を誘うだけでなく︑

かれている五︑

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,三市

探偵小説は大正末期にも幾度となく定義づけされたが︑﹁機械﹂の発表された附和初期には流動的で確定された

101 

ものは凡当らない(幻﹂︒ただ︑読者への視線・忽定ということにかけて︑際伯小説はとりわけ意識的なジャンルで

102 

あった︒探偵小説の流行がかまびすしく取り上げられる少し前︑

行き詰まりがささやかれた

8 0

一 れ

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雄介はこの

頃の小一州井不木の長編﹁疑問のm

一⁝

枠﹂

(﹃

新青

年﹄

昭和

2

1 1

8Hり)と随筆﹁長一制限偵小説に就て﹂(﹃探偵趣味﹄昭

34月号)

をつき合わせて

ここに﹁探偵小説大衆化のプログラム﹂

とし

て︑

不木の読者戦略の内実をとら

えている五︑これに付一一目すれば︑前述した﹃小酒井不木全集﹄を一二附則刊し十五巻にしたというような探偵小説

流行期の状況は︑それを消費する読者側も呼応していたといえよう︒

小説の抗者形成がなされたこととの関わりもあるだろう︒

ここには先に触れた明治・大正を続て探偵 このような状況のなかで平林は

﹁探偵小説の独自性﹂(前掲﹁現下文演と探偵小説﹂の一項目)として探偵小説作家心

得のごとく

頃. K

日(

﹁筋

の秀

ぐれ

てゐ

るこ

と﹂

﹁サ

スペ

ンス

﹂﹁

トリ

ック

﹂﹁

テン

ポ﹂

﹁消

似的

条件

﹂)

をあ

げ︑

一つを除く問つの項

日で読行に

J3

H及している︒とくに﹁読者にサスペンスをもたせるといふ事︑そして読者を最後の数行迄︑ι

廿

一一

z a ' e s a q

中に訪ねせしめるといふ事こそ探偵小説の独自中の独'日の条件﹂としていることに注志したい︒

不木も先の随筆

(' 

﹁長制限仙小説は(中略)しまひまで読者を引張ることさへ出来れば︑それで成功﹂と書いており︑

﹁長

編﹂

いう修飾がついているものの︑平林の記述と前一なる︒

﹁機

械﹂

の同時代評のなかでプロレタリア文学系の評論家であった大森義太郎は

﹁文

芸時

評﹂

(﹃ 改造

﹄昭 和

5

じ い'

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︐ ノ ︐ ︐ ︑

で次のように書いている︒

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