本章では、第4章の用法記述、第5章の通時的変化 、第 6章の現代語の用法間の関連を もとに、現代語の「よほど」のもつ程度性、評価性、 叙法 性について明らかになったこと をまとめ、「よほど」のもつ性格が どのように とらえられ るかについて述べる。
7.1 程度性
副詞における程度性には、もっとも典型的な、状態 性を もつ語と結びついてその状態性 概念の程度を限定するものから、「きっと」「お そらく」「も しかすると」など、文の内容と して述べられる事態の生起の確信の程度をあらわすも のま で広くみとめられる。そのなか で、通常、程度性としてとりあげられるのは「とても 」「 かなり」「ずいぶん」といった程 度副詞に共通する、文のことがら的 な側面に関わる 程度で ある。「よほど 」もこれら程度副 詞の 1 つとして扱われることが多いという事実が示すと おり、「よきほど」を語源とする 状態性概念の程度をあらわす副詞であり、現代語にお いて もすべての用法で 状態性をもつ 語や想定しやすい語と共起し、その程度を限定する程 度性 がみとめられた。(《意志不実行 用法》については 、結びつく語が典型的な状態性をも つ語 ではなく〈意志動詞+と思った 〉 という述語と共起するものであるため本稿でも積極的 に程 度性を主張するものではないが、
意志的な精神作用の度合いを段階的にとらえられると すれ ば、意志や願望の強さという主 観的な面での状態性とみなしうるという立場で記述を 進め た。)
そして、この程度性の内実は、程 度的意味としてそれぞ れの用法のなかで〈過度に「大 」〉
として記述したものである。これは「よほど」におい ては ことがら的な側面に関わる、語 の意味(の中核)にあたるものである( 通常辞書に おいて も語義として記述される)。用 法 ごとに異なる構文環境においてあらわされる〈過 度に「大 」〉という程度的な意味( あるい はそれに伴う〈異常性〉〈意外性〉 といった評価的な意味 も含めて) は、「よほど」の意味 としてどこまでまとめられるものだろうか。
この5つの用法のなかで、まず《意志不実行用法》は結 び つく語のタイプが異なるもの であった。そして、比較対象を基準とするもの(《比較評 価判断用法》)と、普通に想定さ れる通常程度を基準とするもの(《 推定判断用法》《必 要判 断用法》《例外提示用法 》)があ った。これらを意味の違いとみなすべきかどうかわか らな いが、結びつく語や基準の違い から、
・普通に想定される通常程度を基準とした程度が〈過 度に 「大」〉
・比較対象どうしの差の程度が〈過度に「大 」〉
・意志願望が切迫している程度が〈過度に「大 」〉
という3つを仮にみとめることができるだろうか。現 段階 での可能性を示すと同時に、こ のように実質的概念性の希薄な副詞における用法と意 味と の関係をどう考えるべきかとい
189 う問題として今後の課題としたい。
また、このように現代語において〈過度に「大 」〉とし て記述してきた程度的な意味は、
山口堯二(2006)によると、かつては「相当度」(「高度寄りの 大づかみに概括する程度把握」)
という幅をもった程度であったとされ、明治期の例に おい ても現代語ほど「過度に」とい う程度が感じられないものも多い。
(372) 母は前 の縁側 に蒲団 を敷い て日向 ぼっこ をして いた 。近頃は 余 程体の 工合も よい( 伊
藤左千夫 「野菊 の墓 」)
(373) 兄は 代 助 を見 て、「 ど うだ 、 一 盃 遣ら な い か 」と 、 前 に あっ た 葡 萄酒 の 壜 を 持っ て振 って見せ た。中 にはま だ 余程 這入っ ていた 。( 夏目漱 石「そ れから 」)
(374) 彼女は 自分の 手で雨 戸を手 繰った。戸外の 模様 は何時 もよりま だ 余ッ 程早か った 。(夏
目漱石「 明暗 」)
つまり、現代語にかけて程度的な意味にも変化があ った ことになるが、それは「よほど」
がその使用において構文的に制約をうけるようになる とと もに、程度性の裏面にもつに至 った〈異常性〉〈意外性 〉といった評価とも関わりがあるよ うに思われる。この評価性につ いては構文的にどのように条件づけられるかとともに 次節 で述べる。
7.2 評価性
程度性をもつ多くの程度副詞が「サマに対する程度 」を あらわす反面「サマに対する評 価性」をもつ、と いう指摘が既 に工藤浩(1983)でなされた ことは第2章の研 究史において も触れた。そして、程度副詞に限らず、評価性をもつ 副詞 は、評価を下すためにはその対 象が実現しているか、実現が予定されている必要があ るた め、
* なかなか上手に書こう。
* さいわい君が来てくれ。
* りんごをたった二つ買いなさい。
など、命令等の叙法と共起しないか、しにくいという 現象 をもつとされる。 単に程度をあ らわすとすれば共起してもおかしくないはずだが 、「よほ ど」も「*(A さんより)よっぽ どはやく{歩け/歩いてください/ 歩こう}」のように命令 等の叙法とは共起せず、評価性 の濃い副詞であることがうかがわれる。
副詞において「評価」とよばれて扱われるものには さま ざまなものがある。
まず、文の叙述内容全体に対する「ことがら評価」 とさ れるものがあり、語彙的な意味 がそのまま反映された評価をあらわすため、評価とし ては そのあり方がとらえやすくもっ
190 とも典型的なものである。
さいわいチケットが手に入った。
あいにく試合は雨で中止になった。
これらは評価そのものをあらわす副詞であり、同様 に評 価であっても「よほど」がもつ ような、程度性に「かぶさる」ような形である評価性 とは 異なる。
このほか、原田登 美(1982)では、事態のプラス の評価かマ イナスの評価かの いずれかを あらわす「べらぼうに」「すこぶる 」など「語それ自体に 主観 的評価が込められているもの」
があげられている。
べらぼうに プラス評価
すこぶる おもしろい 親切だ なかなか *おもしろくない *不親切だ
マイナス評価 ひどく 寒い 悪い はなはだしく *暖い *良い
また、渡辺実(1990)では、「評価」について、組み合わさ る 語がプラスマイナスの評価に 偏りをもつかどうかによって、次の「結構」や「多少 」の ように偏りがあるものを「評価 系」偏りがないものを「非評価系」とする、というと らえ 方を示している。
結構 おもしろい きれいだ 速い …プラス評価に偏る *つまらない *きたない *遅い
多少 *すなおだ *安全だ *頼もしい
なまいきだ 危険だ 頼りない …マイナス評価に偏る
原田(1982)は、副詞自体に主観 的評価が込め られている ために、あらわす 事態がプラス 評価のものかマイ ナス評価のも のかにわかれ るという見方 であり 、渡辺(1990)は、結びつ く語にプラス評価、マイナス評価という偏りがあるか によ って副詞が「評価系」であるか
「非評価系」であるかが判定されるという見方であり 、と らえ方もその対象もおそらく異 なる。「よほど」は結びつく語にこのようなプラスマイ ナス の評価の偏りをもつわけではな いため、渡辺(1990)では「非評価系」に位置 づけられる。したがって、「よほど 」の評価性 はこのような結びつく語によってとらえられる評価と は異 なる。
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このように、副詞に限ってみても「評価」といわれ るも のが多様である と了解したうえ で、本研究では、共起する状態性をもつ語や構文条件 に即 して評価性について記述を試み た。それぞれの用法について簡潔にまとめると次のよ うに なる。
《推定判断用法》
通常でない既実現事態からの原因推定における〈異常 性〉〈意外性〉
彼は夕食もとらずに寝てしまった 。よほど疲れていた らしい。
《比較評価判断用法》:
自明の比較でない一般常識や他者の主張に反する2 つの比 較対象間の比較評価にお ける〈意外性〉
遊園地より 家の前の空き地のほうが よっぽど面白い。
《必要判断用法》:
現状への否定的評価から通常程度ではない意志的行為 の必 要判断における〈異常性〉
(必要な行為の欠如(否定条件)―望ましくない事態 の生 起(帰結))
六甲縦走路はよほど調査していないと道に迷うおそれがある 。
《例外提示用法》:
通常程度の範囲であれば標準とされるという現状へ の肯定 的評価から 、その通常程 度を逸脱する例外となる状態の提示における〈異常性 〉
(例外となる状態(否定条件)―標準の状態(帰結 ))
イギリスでは、 よほど下層出身者でない限り、箸の使い方を知っている 。
《意志不実行用法》:
結果的には自らの冷静な判断で実行を思いとどまっ た、過 去の意志的行為の一時的 衝動的な意志願望における〈異常性〉
頭にきてよっぽど文句を言ってやろ うかと思ったが、我慢した。
つまり、「よほど」がもつ程度性(〈過度に「大 」〉という 程度的意味)と表裏一体にある 評価性として、それぞれの用 法において〈異常性 〉〈意外性 〉という評価的意味を記述した。
そして、これらの評価は、用法記述において明らかに なっ た構文特徴にもとづいて上にま とめたとおり、いずれの用法においても2つの事態の 関係 を前提と して見出されるもので あった。つまり、「よほど」におけ る評価は2つの事態を 関係づけたうえでの評価であり、
このような評価のあり方が「よほど」のもつ評価性を 特徴 づけているのである。