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―学生の協働学習力・対話力の育成を目指して―

東京富士語学院

倉八順子 多文化クラスの教室で求められる『協働学習力』『対話力』

 スマホの普及は独学での語学学習を可能にし、語学学習を多文化の人にひらくことに大きく貢献しま した。その一方で、他者と協働し合う『協働学習力』、対面で向き合って情報を伝える『対話力』を、

授業空間で育てていかなければならないという新たな課題をもたらしました。

 2012 年以降、日本語学校は新たな留学生の獲得を目指して努力を重ねた結果、ベトナム、ネパール、

ミャンマー、スリランカ、ウズベキスタンなどからの留学生が増加し、日本語学校の教室は「多文化ク ラス」となりました。多文化クラスでは、言語学習観の違う学生、学校文化の違う学生が一緒に学習す ることになります。かれ / 彼女たちに日本語力をつけていくには、その基礎となる、他者と協働し合っ て学ぶ『協働学習力』、多様な他者と対面で向き合って情報を伝える『対話力』の育成が必要になりま す。

多文化クラスでの『みんなの日本語 初級』活用の留意点

 多くの教師・学習者に活用される市販の初級教科書は、あらゆる読者を想定した普遍性・汎用性を備 えているため語彙・文型も普遍性・汎用性を満たすように多くなっています。教師の仕事は普遍性・汎 用性を備えた市販の初級教科書を、今ここの学習者に合わせて特化させる、すなわち、今ここの学習者 のために語彙・文型を選択し、今ここの学習者の学習目的に合わせて活用していくことです。

 『みんなの日本語 初級』も普遍性・汎用性を備えており、1998 年の刊行以来、多くの日本語学校で 教科書として使われ、ミラーさんの誕生日には世界中から「誕生日おめでとう!」のメールが届くほど 愛されてきました。その理由は、1. 練習 A で示される文型積み上げ方式の骨組みが明確なこと、2. 『翻 訳・文法解説』が充実し 12 か国語に翻訳されていること、3. 各課の文型を使った can-do 目標(機能)

が明確なこと(『教え方の手引き』学習目標「できるようになること」に書かれています)、4. 文型の もつ機能を考慮した談話文が日常表現とともに「例文」で示されていること、5. 「復習」でアチーブメ ントが確認できること、にあると考えます。

 進学希望の日本語学校の留学生、特に非漢字圏の留学生に、『みんなの日本語 初級』を活用するため の教師の仕事は、以下の 3 点です。まず、この文型の導入・練習を留学生の使用場面に合わせたものに することです。例えば、30 課の「〜ておきます」の導入・練習では、「試験のまえに何をしておきます か」「専門学校を受けるまえに、何をしておきますか」などにすることです。次に、『みんなの日本語 初級Ⅰ』、『同 初級Ⅱ』に出てくる約2,000の語彙のうち、かれ /彼女たちの使用語彙はどれか、理解語 彙はどれか、必要ない語彙はどれかを整理することです。この段階での使用語彙は 500 程度で十分で す。500 であれば一日 5 つ(5 × 100 日 =500)の語彙を確実に覚えればいいことになります。最後に、

これが重要なことですが、『みんなの日本語 初級Ⅰ』の 80、『同 初級Ⅱ』の 71、計 151 の文型のうち、

かれ / 彼女たちが最優先して学ばなければならない文型はどれなのかを整理することです。1 機能 1 文 型であれば、この文型数は 3 分の 2 程度に減らすことができ、学習者の負担感も少なくなります。

 1 機能 1 文型について説明します。例えば、条件(1 機能)を表す文型は初級で 4 つ(4 文型)出て きます。「と」(23 課)、「たら」(25 課)、「ば」(35 課)、「なら」(35 課)です。「なら」が表す条件の

意味は「と」「ば」「たら」とは違うので別にすると、「と」「ば」「たら」のうち、コーパス研究の結果、

最も使用範囲が広く、使用頻度が高いとされる「たら」を使用文型とするということです(これについ ては庵(2016)の p.78 参照)。

 進学を目的としている多様な文化的背景を持つ非漢字圏の学生たちを指導する教師には、『みんなの 日本語』の骨組みを使って、優先する文型で骨太にし、優先する語彙を選び、付け加え、スリム化して いく力が求められます。

多文化クラスでの実践例

 ゼロスタートで始まった、ベトナム人 12 人、ネパール人 5 人、中国人 3 人、計 20 人の多文化クラス での実践例を報告します。この 20 人の学生たちはその多くが外国語習得の経験を持たない学生たちで した。このような学生たちには、語彙をスリム化し学習の負担感を軽減し、授業を構造化しスモールス テップで進む方法が有効です。具体的には、まず、文型読み。これは 100 の文型を東京富士語学院バー ジョンに変え、授業の最初の 10 分で徹底して行いました。

 次に、各課の文型の導入と練習は 7 つに厳選しました。7 というのはミラー(ミラーさんではありま せん!)の「magical number7 ± 2」で、短期記憶の容量です。7 つなら暗記が苦手な学生たちも覚え ることができます。7 つというのは、例えば 18 課の辞書形の場所可能であれば、「東京富士語学院で

(場所)なにができますか(可能)。」(答え:友だちに会うことができます。アルバイトをみつけること ができます。スカイツリーを見ることができます。など)の東京富士語学院の部分を7つに変える、例 えばコンビニ、郵便局、銀行、百円ショップ、押上駅、自動販売機、東京スカイツリーなどです。これ らは学生にとって日々利用する身近なものです。この練習はみんなの日本語の「練習 C」の「意味に主 眼をおいた練習」と、「練習 B」の「正確さに主眼をおいた練習」を合わせた「フォーカス・オン・

フォーム」の考え方を取り入れたものです。

 全員で言った後は個別に、いつも同じ順番で答えます。こうすることで、情意フィルターを下げ、語 学が苦手と感じているかれ / 彼女たちに安心した空間を作ることができます。

 そのあと「練習 A」で文型を確認し、「例文」へと進みました。「例文」の文も東京富士語学院バー ジョンに変えました。最後は各課のテスト。しかし、テストになると他の人のテストを見る学生もいま した。違いを認めたうえで、日本のルールを説明し、見ないように机の環境も整えました。

 このような方法で授業をスリム化し、ルールを徹底して、2 日半で 1 課のペースで、3 か月で 25 課を 終え、次の 2 か月で 37 課受身形まで進みました。しかし、可能形(27 課)、自動詞・他動詞(29 課・

30 課)、意向形(31 課)、命令形・禁止形(33 課)、条件形(35 課)、受身形(37 課)と進むにつれて 学生は混乱し、教室の空間は暗くなっていきました。物が主語になる「非情の受身」はネパールの学生 たち、ベトナム人の学生たちは母語でも使ったことがなく、まさに「非情」で、「非常」な授業となっ てしまいました。

37課ショック! さらなるスリム化とスパイラル学習

 37 課のテストの結果は惨憺たるものでした。学生も私も大きなショックを受けました。「先生!!

わからない!!」という叫びの声と歪んだ表情。あの叫びと表情に接した私は週末を悩み抜き、もう一 度 14 課の「て形」から再スタートすることにしました。14 課「て形」から再スタートした理由は、

「て形」が活用の基本であり、16 課「辞書形」、17 課「ない形」、19 課「た形」、27 課「可能形」、31 課「意向形」、33 課「命令形」「禁止形」、35 課「条件形」、37 課「受身形」、48 課「使役形」、49 課

「尊敬形」と初級で扱われる 12 のフォームの出発点だからです。

『みんなの日本語』シリーズ【初級】初版

 日本語学習の最初の「試金石」ともいえる「て形」のマスタリー・ラーニングは、学習者にとっての breakthrough(飛躍へのきっかけ)となります。学習者は自信を得て、日本語学習への不安が減少し、

情意フィルターが下がり、その後の学びへと飛翔していきます。つまり、て形のマスタリー・ラーニン グで学習者は学習初期の不安を乗り越え、日本語学習に動機づけられていくことになります。さらに、

再スタートをマスタリー・ラーニングとするために、テストは 1 課ごと(それまでは 2 課ごと)にし、

授業で扱った語彙・表現だけから作成した完全なアチーブメントテストにすることにしました。

 14 課からの再スタートは、学生たちに「これならできる!」という自己効力感をもたらしました。

何よりも、教師と学生の間に、この困難な状況に立ち向かおうという信頼関係に基づいた一体感ができ ました。この試みで私は大きな気づきを与えられました。それは、『スパイラルな学習の効果』です。

例えば、前述の 18 課の辞書形の場所可能であれば、同じ質問を聞いても、「〜たり〜たり」(19 課)を 使って、「日本語を勉強したり、友だちに会ったりすることができます」、22 課の「名詞修飾」と 24 課 の「授受表現」を使って「間違ったテストを直してもらうことができます」、32 課の「かもしれない」

(可能性表現)を使って「アルバイトをみつけることができるかもしれません」というように、より機 能的な表現ができるようになります。

 授業で扱った語彙・表現だけから作成した完全なアチーブメントテストは、かれ / 彼女たちの自己効 力感を高め、学習空間を明るいものに変えていきました。こうして 9 か月で 45 課まで進みました。多 文化クラスでは初級は 45 課までと考えています。非漢字圏の留学生がこの段階で、「〜たところです」

と「ばかりです」の使い分け(46 課)、推測の「ようです」(47 課)、「使役」(48 課)、「尊敬」(49 課)、「謙譲」(50 課)を使うコミュニケーション場面は少ないと考えるからです。これらは、その後に 続く教科書『中級へ行こう』で取り組みます。

『対話力』への可能性をひらく「例文」の活用

 スパイラルな協働学習を通して「学習」は達成されました。「学習」により日本語能力試験の合格は ある程度可能になるかもしれません。しかし、日本語学習の目的は日本語能力試験の合格にあるわけで はありません。実際に日本語を使用して対話を行っていく「習得」にあります。したがって、次の課題 は「学習」をどう「習得」につなげるか、すなわち「対面の他者との機能を果たすことができる『対話 力』を育成するか」です。言い換えれば、どうやって「クラスを対話の空間にするか」です。

 多文化クラスでは、生活文化の違い、言葉の違いが「対話」を生むことを私はこれまでの実践で経験 してきました。その経験を活かして、『中級へ行こう』で文型を増やしながら、「場面シラバス」を用い た談話練習に『みんなの日本語 初級』各課の「例文」を活用した東京富士語学院バージョンの会話教 材を作成しました。この場面シラバスの考え方は庵監修(2010)を参考にしました。

 第 1 回は、食文化に関する『おなかがすきました』でした。かれ / 彼女たちが、授業の休み時間にい つも食べているものをうれしそうに語る姿が印象的でした。

 私       「みさなん、日本のどんな食べ物が好きですか。」

 学生たち    「カップメン! パン! からあげ! ぎゅうにく! とりにく! さかな!」

 ベトナムの学生 「先生! さかなはベトナムごで、カ! ネパールご、なんですか?」

 ネパールの学生 「ネパールごではマッチャです!」

 学生たち    「マッチャ?」