第三章 同音語および類音語の様相
第五節 動詞と行動――アフォーダンスの言語への反映――
5.3. を格をともなう自動詞
5.3.1 を格をともなう自動詞(1)普通動詞
Turvey & Shaw (1995)は生物の「過去 35 億年間のほとんどは,持続し変化する環境のな
かで,エネルギー資源を発見し繁殖のための条件を整える行為を有効になせる物質的配置
を知覚しつつ,転がり,這い,歩き,走り,跳ね,飛び,泳ぎ,滑り,掘り進む等の,制
御され方向付けられた方法で移動する能力を確立するために費やされたと考えられる」と
している。ここにあげられている動詞「転がり,這い,歩き,走り,跳ね,飛び,泳ぎ,滑
り,掘り進む」は,日本語では助詞「を」をとる自動詞である。(「掘り進む」の「掘る」は他動
詞「進む」は自動詞)この種の動詞は,
歩く 歩む 走る 駆ける 這う 転がる 転げる 回る 巡る 滑る 跳ねる 動く 移る 泳ぐ 潜る 飛ぶ 舞う
などがあげられる。「制御され方向付けられた方法で移動する」ことは生きるための行動の 基本となる。道を歩き,野を走り,地面を飛び・跳ね,川を泳ぎ,坂を滑り・転がり,獲 物を探して山野を巡る,これらの行為が,を格をともなっている。そこにくる名詞は道や 野山や川などの人間が利用できるアフォーダンスのあるニッチである。地面(重力に対して ほぼ直角に位置し,ある硬さをもった面)は人に歩くことをアフォードし,人は知覚による 情報から地面のアフォーダンスを見出して歩くという行動をとる。この状況が「地面を歩 く」という連語で表される。
を格を他動詞の目的格として取り扱うとき,上記のような自動詞をともなう例は格助詞
「を」としては例外的な扱いを受ける。しかし,生態学的視点からこれらの動詞を捉えると,
例外というよりむしろ生物の根源的な行為であり,日本語のを格の働きの主要な要素であ る可能性が見出せる。を格をとる自動詞はこの調査で用いた約 2,500 の動詞の中に約 160 語あり,を格をとらない自動詞は約 900 語あった。を格をとる自動詞の他の例をあげる。
ここでとりあげる動詞には自動詞・他動詞共にあるものや, 「を」以外の助詞とも連語をな すものも含まれている。
行く 進む 辿る 通う 通る 経る 往く 過ぎる 帰る 返る 来る 戻る 曲がる 横切る 渡る 越える 超える 越す 入る 伝う 伝わる
を格をとる自動詞にはこのような往来に関する動詞がある。これらは人間が社会を形成し ていく中で作られた道,経路を行き来する生活のなかでできた動詞であると考えられる。
また「流れる,遡る,ほとばしる」のような水に関する動詞,「広がる,漂う,さすらう,う ごめく,うろつく,ぶらつく」のような制御されない動きのものもある。
次に,離れることを示す動詞をあげる。
離れる 去る 逃げる 逃れる 退く 出る 外れる 抜ける 辞する 脱する 遠ざかる 遠のく
このようにその場を離れ,逃げることは生命維持の原初的方法の一つであるといえる。
上がる 上る(登る) 下がる 下る 降りる 上回る 下回る
のように重力による上下の関係のもある。地球上で生息するものは重力の影響を受けて生 きている。上下は環境を把握する基本的な方向性である。
「向く」は移動をしない動詞であるがを格をとる。生物は進化のごく初期に前後を獲得す
る。前後を持つ生物にとって,前か後かということは上下と同時に重要である。人間の知 覚情報を得る目,耳等は前を向いている。前を向く左右対称の目を持つことで,対象を立 体的に見て対象との距離を見積もることができる。「向く」という動作もまた,人間が環境 と切り結ぶ最も基本的な行動の一つである。
以上の動詞は空間にかかわるものであったが,例えば「過ぎる」は空間を通過する意味の 他に,を格にくる名詞が時間的なものであれば,「二時を過ぎる」など,時間にかかわる動 詞となる。「日々を過ごす」の「過ごす」を自動詞ととる辞書もある(金田一 2001)。他に,「生 きる,暮らす,休む,急ぐ」なども自他の判断がつきにくい,を格をともなう動詞である。
自他の別にかかわらず「生きる,暮らす」は生命の基本的行為を表す動詞である。これらの 動詞も含めると,を格をとる自動詞から時間と空間を移動する生物の存在が見出せる。「生 きる」は「時代に生きる」,「時代を生きる」とどちらも言える。を格によるつながりにアフォ ーダンスを見出すとすれば,時代が生きることをアフォードし,そのアフォーダンス(価値) を使うという能動性が,「時代を生きる」の表現にはあり,時点を表す「に」を用いた「時代に 生きる」にはそのような時空との切り結びの関係は示されないという違いがあるといえる であろう。インターネットの検索サイト(Google)で検索したところ「〜時代に生きる」は約 26,600 件,「〜時代を生きる」は約 67,200 件(2005 年 4 月 7 日現在)あった。を格のものが に格の連語の倍以上ある。能動的表現が多く使われているといえるであろう。
を格をともなわない自動詞の中で,環境のアフォーダンスを利用していると思われるも のに,次のような動詞がある。
座る 立つ 寝る 住む 泊まる 宿る
椅子は座ることをアフォードし,台は立つことをアフォードする。しかし,これらは「椅子 に座る」「台に立つ」である。これらの動詞に共通することは,定点に静止した状態を表す動 詞であるということである。椅子のアフォーダンスを見出して行う一瞬の「座る」という動 作より,その後の「〜に座っている」という状態を示すことが「座る」という動詞には優先さ れた結果であるといえるであろう。別の見方をすれば,定点に静止している状態を日本語 では,能動的に環境と切り結んでいる状態とはとらえていない可能性がある。
5.3.2 を格をともなう自動詞(2)複合動詞
5.3.1 であげた動詞の他に,を格をとる自動詞には複合動詞がある。先の「上回る,下回
る,ほとばしる」なども二つの言葉が複合してできた語であるが,普通動詞として扱った。
ここでとりあげるのは動詞二語を合わせた複合動詞である。前の部分が共通するものをま とめると,次のような例がある。
飛び降りる 飛び上がる 飛び出す 飛び出る 飛び立つ 飛び越える 飛び越す 飛び回る 飛び交う 飛び散る 飛び抜ける 飛び歩く
駆け回る 駆け出す 駆け巡る 駆け抜ける 駆けずり回る 通り越す 通り過ぎる 通り掛かる 通り抜ける
逃げ回る 逃げ出す 逃げ去る 逃げ切る
後ろの部分が共通するものをまとめると,次のような動詞がある。
乗り越える 踏み越える 飛び越える 通り越す 飛び越す 引っ越す 勝ち越す 逃げ回る 駆けずり回る 駆け回る 走り回る 飛び回る 歩き回る
逃げ出す 抜け出す 飛び出す 駆け出す 抜け出る 飛び出る 打って出る 突き出る 進み出る
勝ち抜く 生き抜く 走り抜く 駆け抜ける 通り抜ける 突き抜ける 飛び抜ける 出歩く 渡り歩く 飛び歩く 練り歩く
過ぎ去る 逃げ去る 立ち去る その他に次のような動詞がある。
ずり落ちる よじ登る 引き下がる 引き払う 引き返す 響き渡る 向き直る 行 き過ぎる 行き交う 出遅れる 出直す 勝ち残る 勝ち進む 焼け落ちる 乗り切 る 伸し上がる 振り向く 吹き荒れる 生き延びる 折り返す 跳ね上がる 跳ね 返る 登ぼり詰める 突き進む 突っ切る 突っ走る 忍び寄る 舞い上がる 舞い 戻る 立ち退く
これらの複合動詞はそのほとんどが 5.3.1 の動詞を含むもので,その行為を含むことで 5.3.1 の動詞と同様なを格とのつながりを持つ。
以上,を格をともなう自動詞をアフォーダンスの視点から概観した。を格をともなう自 動詞において,アフォーダンスは助詞「を」をはさんだ名詞(環境)と動詞(行為)のつながり の中に見い出すことができた。日本語文法教育においては例外的な存在として扱われるを 格をともなう自動詞であるが,アフォーダンスの視点から見るとむしろ人間の原初的な行 動をあらわす必須の動詞であるといえる。
今後,を格にとどまらず,それ以外の「に」「で」などについても考察していきたい。
次に上述の自動詞に焦点をあて,人間の行動の面から動詞を捉えた概念地図を作成する。
ドキュメント内
博 士 論 文
(ページ 179-183)