[問]УУДにおける"универсальныи"の意味について教えて頂きたい。先ほどのお話の中で
「一般的学習能力」(общие учебные умения, навыки и способы деятельности) とは違うという ことであったが、"универсальныи"とは「誰にとっても必要な」という意味なのか、「事物や 対象の中に本質的に見出される」という意味なのか、あるいは、「総合的な」という意味なのか、
または別の意味があるのか。
[答]みんなにとって共通の思考行為(общие для всех мыслительные действия)という意味 である。状況を再構成することに向けた思考行為である。これらの行為は将来や未来の予測を 立てる行為である。つまり、アンチシペイション(予測、予見、事前行為)である。子どもは 未来をみる能力を身につけなければならず、未来のモデルを作ることができなければならない。
未来のモデルには2つあり、一つは必要性の高い(ニーズの集中した)モデルであり、これは モチベーションの高い、動機づけられた行為である。第二は確率的モデルで、確率を予測する モデルである。フェイゲンベルグ教授が確率的予測という用語を導入した。1963 年のことで ある。
モスクワの道を歩くとき、どのようなことを覚えているだろうか。ベンツやボルボやその 他の車をみたら、これが記憶に残るだろうか。多分残らない。統計的・確率的データとして は頻繁に見るようなものである。例えば、今外に出て、歩いているキリンを見たら、それは 記憶に残る。それはなかなか予測できない出来事であり、子どもの人生もそうである。この意 味では、 確率的予測として普遍的行為となる。その際二つのタイプの能力が必要である。一 つは、反省(рефлексия)である。子どもには認識の能力が必要であり、自分に何が起きてい るのか認識しなければならない。反省には3つのバリアントがある。1つは反りみること
(ретроспекция:回顧、追憶)、つまり、過去と関係づけ、過去を評価することである。もう
一つは内省(интроспекция:内観)である。これは、今、現在自分に起きていることの認識で ある。3番目は予測と見通し(проспект)である。これは将来の評価である。もう一つの普遍 的行為のタイプはコントロールである。
現在翻訳されている本の名前は、「行為から思考へ」である。つまり、行為から思考の行為 へという道筋である。このような意味では、様々な普遍的行為が可能であるが、これらの行為 を活動の中に包括するのである。これらの要素が働いて、子どもは自分自身で思考活動を行う ようになる。初等段階でも中等段階でも子どもはプロジェクト研究活動を行う。従って、普遍 的学習行為の教育学は、 積極性の教育学となる。それに対して、一般的能力(общие способы
деятельности)の教育学は反応の教育であり、ある意味消極的である。これは行動主義の特徴
であり、象徴的に言えば「積極性の教育学」と「消極性の教育学」との対立ということになる。
「消極性の教育学」では子どもは対象(客体)になり、「積極性の教育学」では子どもは主体に なる。
5.行為と活動の概念の相違について
[問]お話を聞いていて、行為(действие) と活動 (деятельность)という言葉が使われているが、
行為と活動の概念はどのように異なるのか。
[答]活動の中には4つの部分(プラン、要素)がある。1つは動機的要素である。刺激があっ て活動がなされる。基本的に我々の人生はそのような活動の流れである。例えば、学習やゲー ムという活動があり、付き合いといった活動もそうである。ゲームの場合の基本的動機はゲー ムのためのゲームである。つまり、ゲームの中に刺激が内蔵されている。
子どもの発達は、 これらの主要な活動によって決定される。[第2の要素として]活動の過 程には目標的要素が入っている。この要素に対応するのが行為である。つまり、行為は、認識 し予測できる目標に向けられている。例えば、女の子と劇場に芝居を見に行ったとする。私の 行為は役者の演技など芝居を見ていることである。しかし、私のモチーフ、刺激は好きな女の 子と一緒にいることである。役者が何をやるかは私にとって重要ではなく、隣の女の子の手を 握ることが重要である。これはモチーフと行為との違いである。行為は様々な行動(поведение) を起こさせる。活動の第3の要素は、操作的・技術的要素である。行為において条件と関係し ている行為の仕方が操作である。例えば、私は手紙を送りたいという動機に基づく行為がある とする。その際、手紙を送るという行為は、パソコンがあれば電子メールでも送れるが、もし なければ外に出て郵便箱に入れて送ることもできる。こうした操作は最も自動化されやすく、
このように自動化された操作が能力(навыки:技能)となる。ただし、操作はそれを実現でき るメカニズムがなければ遂行できない。従って、第4の要素は、リソース・エネルギー的要素 である。例えば、子どもが課題を解きたいとする。しかし、疲れていてエネルギーがない。ど んな刺激やモチーフがあっても、何かに入れ込んでいてもなんともできない。例えば、現在、
電子教育リソースが導入されており、どういうリソースを導入すればいいかと聞かれるときに、
コンピュータの特徴でもあるのだが、コンピュータを見て目が疲れるようになると、子どもの リソース的・エネルギー的要素がダメになってしまう。
以上は活動について4つの角度から述べたものであるが、これはレオンチェフの考えに従っ て、システム ・ 活動アプローチの中で明確にしている。こうした4つの側面は、スタンダード の実施に際して重視されている。つまり、モチベーション的要素に対しては、スタンダードの「個 人(人格)に関わる普遍的行為」が関係している。活動の対象に基づいてスタンダードの内容 的・教科的側面が現れる。、課題を解くのにどのような能力や行為が必要かということで、「認 識的普遍的行為」が関係づけられており、目標的要素についても同様である[調整的普遍的行 為か?]。
目標を達成する教育技術としては様々な技術を用いている。例えば、子どもは論理的記憶が 良くないとすると、モンテッソーリの教育技術やシュタイナー及びガリペリンの教育技術を利 用する。コンタクトの方法としては遠隔教育技術も用いる。モチベーションのレベルは個人(人
格)的な行為が、対象的行為のレベルでは物理や化学やものの見方・考え方などが、操作のレ ベルでは子どもが課題を解く手段や方法が対応している。これは、ヴィゴツキーが文化的手段 と言っているものである。
6.ヴィゴツキーと活動主義との関連について
[問]日本では、ヴィゴツキーの理論と活動主義との関係について、例えば中村和夫氏はヴィ ゴツキーは活動主義に入るのかどうかかなり細かい議論をしており、天野清氏などもそうだが、
その関係性をめぐって様々な議論がある。ヴィゴツキーと活動主義との関連についてどのよう に考えているか。
[答]これは日本だけではなく、ロシアにも同じ問題がある。ヴィゴツキーの理論があり、
レオンチェフの理論もある。しかし、レオンチェフの理論はヴィゴツキーの弟子としての理論 であり、2人の間にはそれぞれ違いもある。例えば、エリコニンについて叙述するときには、
1つのパラダイムがある。即ち、文化的・活動的パラダイムである。しかし、この文化的・活 動的パラダイムの中には異なるアプローチが存在している。これは「対応性における共通性」
という術語で表現される。ヴィゴツキー・スクールの中でレオンチェフの理論もあれば、エリ コニンの理論もある。これが「対応性における共通性」である。私が思うのは、レオンチェフ の理論はヴィゴツキーの理論を発展させたものであり、それは歴史的な発展でもあり、個人的 な発展でもある。ルリアもレオンチェフも自分をヴィゴツキーの弟子として認識している。ヴィ ゴツキーとレオンチェフあるいはルリヤとの関係は、父や母に対する子どもの関係である。あ なた達の子どもは、 あなた達と全く同じだろうか。当然違う。しかし、レオンチェフもルリヤ もダヴィードフもヴィゴツキーとそっくりである。全く同じではないが、ヴィゴツキーの子ど もたちである。文化的・活動的パラダイムという名前をつけたのは、このような関連性を明ら かにするためである。
7.エリコニン - ダヴィドフ・システムやザンコフ・システムなどの教育現場での利用について [問]今のお話では、ヴィゴツキー学派にはそれぞれ「対応性における共通性」が存在する と同時に、当然違いもあるということである。それでお聞きしたいのだが、エリコニン - ダヴィ ドフ・システムやザンコフ・システムなどの教授法は共通点もあるが、異なる点もある。これ らの教授法は教育現場ではどのように利用するのか。どのような場合にエリコニン - ダヴィド フ・システムを利用し、どのような場合にザンコフ・システムを利用するのか。
[答]ヴィゴツキーには優秀な2人の弟子がいた。レオンチェフとザンコフである。皆さん は怒るかもしれないが、ザンコフは教育学におけるゾルゲの役割を果たした心理学者である。
つまり、[教育学の中にスパイとして潜り込んで、]教授学を創造的に発展させた心理学者であ る。エリコニン - ダヴィドフ・システムもザンコフ・システムも、ヴィゴツキーをどれだけ発 展させたのかの最高の答えである。エリコニンのシステムは発達促進的教育のシステムである。
ザンコフ・システムは、子どもを発達させる様々な複雑さのレベルからなる課題のシステムで ある。行為の解釈上は、どちらもオペレーション(操作)である。行為の目標を達成するため にはどちらのシステムを用いてもよい。