トップPDF 自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

習を計画したり(プランニング)、学習を行っている間に使用している認知方略がうまく使えて いるかを考えたり(モニタリング)、使用した方略が効果的であったかなどを振り返る(評価す る)などという、より高次な(=メタ)レベル行為や思考と考えられる、メタ認知方略(meta- cognitive strategies)である。メタ認知方略は、語彙学習において認知方略よりも重要な要素 であることがわかっており、語彙学習がうまく行える学習者は、メタ認知を使った「体系的な 学習方法」(structured approach)を用いていることが明らかになっている(Fan, 2003;Gu & Johnson, 1996;Kojic Sabo & Lightbown, 1999;Sanaoui, 1995)。また、語彙学習方略指導にお いても、メタ認知方略を含むほうが、認知方略のみ指導よりも効果的であることが知られて いる(Mizumoto & Takeuchi, 2009;Nyikos & Fan, 2007;Rasekh & Ranjbary, 2003)。  このように、語彙学習方略研究では(他学習方略研究と同じように)、認知方略とメタ認知 方略を主な対象とすることが多いが、動機づけ、学習スタイル、年齢、性別ような個人差 (individual differences)要因も同時に調査され、語彙学習方略使用に影響があるということ が報告されている(Catalán, 2003;Gu, 2002;堀野・市川,1997;Kojic Sabo & Lightbown, 1999;Mizumoto, 2007;Nakamura, 2002;Schmitt, 1997)。外国学習における個人差では、動 機づけがもっとも重要であるということは言うまでもないが(Cohen & Dörnyei, 2002;Dörnyei, 2005)、語彙学習方略においても動機づけは大きな影響を及ぼすことが明らかにされている (Mizumoto & Takeuchi, 2008;Tseng & Schmitt, 2008)。動機づけがなければ、意図的に語彙学 習方略を使用することはないだろう。逆に、語彙学習方略知識が不足している場合には、動 機づけが高かったとしても効果的な学習ができない。このような理由からも、語彙学習方略と 動機づけは別々構成概念としてこれまで研究されているものの、表裏一体ものであると考 えられる。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)を翻訳したものである。  「連帯」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 年にフランツ・ボアズと間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 年 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後とアメリカを取り巻く状況が大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化を読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文を執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まりを見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆してした当時とさしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題ともからみ、それらを解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられている大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学的考察を今一度振り返って読み直すこと は、連綿と続いている偏見・差別もつ根深さを考えるめにも意味あることと考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 年 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 年ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何を変えるために戦う か考えざるを得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響を及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎を危うくされている学問自由という原則を守るため、人前で話しをする ことが苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
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ピア・ラーニングに対する学習者の認識と学びのプロセス 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ピア・ラーニングに対する学習者の認識と学びのプロセス 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 4 .グルーピング  グルーピングデザインは、1 つ目と 2 つ目テーマを取り上げたコース開始直後期間は グルーピングを行わず、ピア・レビュー活動時だけ受講生自身がピアを 3 人選び、ピア・レビ ューを書いてもらう方法を採用した。これに対し、調査対象期間に行ったグルーピングは、教 師が行ったが、その際に受講生 L1 を最優先し、必ず異言語話者を含めて 1 グループ 3 ∼ 4 人 構成にした。調査対象者を 6 つ(全体では 9 つ)グループに分けたが、L1 以外に、日本語 能力試験(JLPT)、プレ調査結果、テーマ 1 と 2 プロダクト評価、春学期日本語 2 評 価、そして男女比など学習者情報を考慮した。各グループに異言語話者を少なくとも 1 人配 置することで L2 日本語使用が必須となる異言語接触環境を提供した。これは、中級では作文 プラニングにおいて L1 使用効果が認められたが、上級では統一性が劣り必ずしもよい影響 を及ぼさなかったという報告(石橋 1997,2002; 矢高 2004)もあり、L1 使用効果が考えにくい ことと、L2 による相互交流を活性化するためである。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 目に見える影響を暗くて古い町に与えるローマ初春空気は、ご存知とおり不思議な魅 力があるけれども、どちらかというと外国体にはしばしば辛いことがある。北アフリカか ら熱風が二週間途切れることなく続いたあと、ワディントン夫人活発だった気分が落ち込 んだ。彼女は「熱病」にかかるではないかと心配し、急いで医者と相談した。医者は、何も 心配することはなく彼女に必要なは単なる気分転換だと言った。そして、一ヵ月ほどアルバ ーノに行くことを勧めた。というわけで、二人女性はスクロープ付き添いもとアルバー ノに行くことになった。ワディントン夫人は親切にも私も一緒に来るよう誘ってくれた。しか し、親戚者がローマにやって来ることになっていて、私は彼らためにガイド役を引き受け ることになっていたので、ローマに残っていなければならなかった。機会があればアルバーノ を訪れると約束だけはしておいた。私叔父とその三人娘は申し分ない観光客で、私には 次から次へとすることがあった。しかし、週末にはやっと約束を果たすことができた。私は宿 に泊まっている彼らを発見し、二人女性が、汚れた石造り床としわ寄った黄色いテーブ ルクロスについて意識を、窓から見える霧かかった海ように広大なローマ平原について 恍惚とした黙考に溶け込ませているを見た。景観は別として、彼らは楽しい日々を過ごし ていた。その地域美しさと山間見慣れない古い町美しい近郊を思い出していただきたい。 その地方は早咲き草花が咲き誇っており、私友人たちは野外空気中で暮らしていた。 ワディントン夫人は水彩画スケッチをし、アディナは野生花々を摘んでいた。スクロープ は満足気に二人間を行ったり来たりして、時折、ワディントン夫人絵の具使い方やアデ ィナスイセンとシクラメン組み合わせについて歯に衣をきせない酷評をしていた。みんな とても幸せそうで、嫌味ではなく私はもう少しで、神々からもっとも望ましい贈り物とは、 自身欠点なさに対する終始変わらない確信ではないかと思うところだった。しかも、心に やましいところある恋人でさえ、アディナ・ワディントンような自分人生における予想 もしない愛らしさ存在によって、当然報いというものが存在することが信じられなくなる ということがあるかもしれない。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

自ら神聖な行為を追及すると同時に、このわき道つき当たりに光る青くて深い海広がり をちらっと目にするとき、彼はほっとするような感謝気持ちを感じるだった。彼はただち に岸壁へと下りていく道に進んだ。道が途切れた場所に四人乗り馬車が停めてあった。その 持ち主は見当たらなかった。そこをとおり過ぎると、不意に突き出た小路によって岸壁表面 が砂浜とつながっている場所に出た。その小路を下ると、遠く広がる砂浜と急激に盛り上がる 波うねりと同じ高さにいる自分に気がついた。気持ちいい風が海から吹き寄せ、小さな白 波が騒々しいたくさん音と同時に転げまわっていた。オズボーンは一瞬心地良い気持ち高 ぶりを感じた。岸壁ほうにちらりと目をやり、その方向へ歩みを速める原因となった光景を ぼんやりと認識したとき、この心地良い気分影響中で彼はまだ数歩も歩いてはいなかった。 波うち際から十二ヤードほどところにある広い水平上で、五歳くらい男の子 ― ブ ロンド髪をして上品に着飾られた美しい男の子 ― が、恐怖におびえて手をねじり足を踏み ならして立っていた。状況を理解することは難しくはなかった。海面がまだ低い間に男の子は 岩上によじ登り、水面に浮かぶ豊富な海恵みを小さな木シャベルで掻き回すことにあま りにも夢中になって、海面が上がってくることに気がつかなかっただ。点在していた岩を波 は完全に覆ってしまい、砂浜と彼間でうねっていた。男の子は風と波に向かって大声を上げ、 救助にいくオズボーン声にまったく応えられなかった。そうしている間に、オズボーンは男 子を浜に上げる準備ができた。しかし、ジャンプして飛び越えるには水面幅があまりにも 広いことを嫌悪とともに見て取った。しかも、あわてて取り乱した女性という形で男の子 親が今にも現れることを考えると、服を脱ぐは適当ではないと考えた。仕方なく彼は、それ 以上躊躇することなく水に入ると、男の子を抱えて水を搔き分け、何とか彼を陸地に連れ戻し た。オズボーン中で彼は怯えた鳥ように震えていた。男の子を立たせて落ち着かせる と、「一緒に来た大人はどうしたんだい?」と尋ねた。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 7  歴史まとめ  ここまで言語学習教授法歴史を主に Richards & Rogers(2001)および Cook(2010)に 沿って概観してきたわけだが、文法訳読法から CLT まで変遷中で、幾つか 2 項対立的な キーワードを巡って振り子が動いているが分かる。1 つは、形式 vs. 意味である。文法訳読法 や直接教授法では形式を重視するに対して、CLT では意味重視になる。もう 1 つは、無意識 的 vs. 意識的振り子である。直接教授法から CLT 一部まで、無意識下で学習がおこなわれ ていると考える傾向は強いようであるが、フォーカス・オン・フォームでもみたように、最近 では学習者に意識的な気づきを促したり、注意を向けさせることが必要であると考えられてい るようだ。無論、この議論は本来チョムスキー言語学から受け継がれる議論であり、言語知識 はほか人間技能とは異なり教育影響を受ける度合が小さい、という第二言語習得論命 題と深く関係するものではあるだが、本稿目的はこの是非を論じるものではい。むしろ、 特筆すべきは、これまで見てきた歴史中で揺れ動く二項対立軸に対して、フォーカス・オ ン・フォームように近年アプローチは、そのどちら極に振れようというものではなく、 その中間に収まろうというような傾向が見られるということであろう。そうであるならば、言 学習に大切なは、形式か意味どちらかではなく、形式も意味も、両方ともが大事なので ある。つまりその両方を、言語「機能」と「コミュニカティブ」であることを考慮して、意 識的であろうと無意識であろうと、それはあまり問題とせずに達成できるであれば、言語学 習目標は当面は果たせると考えるわけである。この立場に立てば、後述する翻訳(規範)を 基軸とした翻訳教育は、現在外国教育教授法が目指す目的と真っ向から対立するもので はないと考えられるだ。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会を研究しようとするため、様々な集団 データを持っている。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 会を特に研究する。文化人類学者はある集団が特定価値観に基づいて実現した方略を研究す ることができる。その価値観とは自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力に屈するという価値観なかを研究することができる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学者が細菌生死を研究する実験室役割と同じなである。文化人類学者実験室は研究 者が自分で設定するではない。それは原住民が何世代にもわたって、何千年もかけて生き方 詳細にいたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なかに存 在する私たち時事問題を、たとえそれが違った姿であったとしても認識することができる。  フィールド・ワーカーが研究している裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人をどのように扱うべきかはっきり している。年寄りや飢えた人を守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれがもたらす帰結を研究することができる。原住民は黄金率について語らないが、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民にいたるまで、黄金率が働いていることは見受け られる。たとえば、「他人に施しを与えなければ、誰が自分に施しを与えてくれるだろう」、「他 人を敬わなければ誰が自分を敬ってくれるだろう」といった教訓は、若者頭にたたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧にすむ人に至るまで、それを実践して いる。同時にこのような黄金率がまったくない原始社会があり、文化人類学者は黄金率が存在 する結果と、しない結果を研究することができる。黄金率は人を支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率に縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手を強いる 状況に立たされたことがないプリミティブ・ピープルもいる。
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中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

中国語と近代─ 東アジアの言語環境における思考─ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

タームが使用されているが、New Idea and New Terms(1913)著者 A. H. Matter(著名な 宣教師狄考文未亡人)も認めているように宣教師が作成した文法関係タームは 1913 年時点 では一般に認められなかった 13) 。西洋人によって西洋言語で著された著作や辞書などは、西洋 言語学枠組み中で中国音韻、文法、語彙について記述することでは一応成功を収め たと言ってよいであろう。しかしその中国で書かれた著作は、中国読者に言語に関する研 究において新たな道筋を示すには十分ではなかった。馬建忠『馬氏文通』(1898)や厳復 『英文漢詁』(1904)はいずれも直接西洋文献から知識を受容したものである。西洋言語学に関 する知識多くが日本語を学習する過程で導入されたことはこれまでに指摘されていなかった 事実である。言語学タームは、その大多数を日本語から借用したということがこの点を如実 に物語っている。言語「科学」的研究は、明治期日本学者も目指した目標であることを 付け加えておきたい。中国を含む言語研究近代化過程において、外国、特に日本影響 等について解明しなければならない点が多々ある。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

必要はないだと判断していた。結婚リスクと利点をレノックスはよく考慮し、目をよく開 いて結婚するだ。人にはそれぞれ好みがあるし、三五歳ジョン・レノックスは、エベレッ トが見かけどおり女性ではまったくないかもしれないと忠告されなければならない年齢では ない。バクスターはこのように、レノックスは二人目妻として可愛いだけ女性 ― 人をも てなしたり、彼金を絵ように美しく使ったりすることに才能ある女性 ― を意図的に選 んだだと思い込んだ。バクスターにはこの気の毒な男性情熱真剣な性質については何も 分からなかったし、バクスターが幻想と呼ぶものにレノックス幸せがどの程度抱き込まれて しまっているかも分からなかった。彼唯一関心事は仕事を上手く仕上げることだけだっ た。人を魅了するマリアン顔に対して彼が以前持っていた関心おかげで、その分だけ彼 仕事は上手く仕上がった。性格造形におけるあの力、そして、レノックス関心を捉えた現実 あの深さを実際バクスターが肖像画中に吹き込んだことは紛れもない事実だった。しかし それは、彼がまったく意識せず悪意を持たずにしたことだった。バクスター芸術家として 気質が失望を糧にし、喜びと苦悩によって脂肪を蓄え、バクスター人として部分に旺盛な 影響力を発揮した。つまり、簡単に言ってしまうと、この若い男性は本当意味で芸術家だっ たということである。強力で感じやすい彼性質測り知れない奥深い所で、彼才能は彼 心と交感し、失望と諦めという重荷をキャンバス上に移し換えたであった。マリアンと ちょっとした関係あと、バクスターは一生愛し続け信頼し続けることができると感じた若い 女性と知り合った。この新しい感情によって目を覚まされ力づけられた彼は、古い恋愛によっ てできた不足をよりはっきりとした明晰さで埋めることができた。それゆえ彼は心を込めて肖 像画を描くことができた。彼にはそれ以外に何かできることがあるなどエベレットには想像も できなかっただろう。彼は心底から正直に最善を尽くした。その確信は招かれなくても訪れ たし、そのために彼正直さはさらに優れたものとなった。
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日本人学習者の目指す明瞭性()の高い英語発音とは 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本人学習者の目指す明瞭性()の高い英語発音とは 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 1 . 3  母音発音と子音発音  明瞭性に影響度が大きいは、分節素うち母音発音、子音発音いずれであろうか。Yamane (2006)では、80 名日本人英語学習発話中から発音上問題を含む 52 単語を抽出し て、48 名英語母語話者に聞かせた。その結果、単語単位では明瞭性が低い場合でも、単語 前後コンテキストも含めてセンテンス中で提示すると、英語母語話者は正解単語を類推 することができるため正解率が高まると指摘した。前出 Yamane(2006, p.72)では、日本人 英語学習発音上誤りを、アクセント位置誤りというプロソディーが問題なタイプ と、母音添加(vowel addition)、母音置換(vowel substitution)、子音置換(consonant substi- tution)、子音削除( consonant deletion )という分節素が問題なタイプに分類して、どのよう な種類分節素が明瞭性に影響を及ぼすかを調べた。表 1 は各エラータイプ、それぞれ正解 率を表している。この表からは、誤り中では子音削除が 35.8%で一番正解率が低いことがわ かる。当然発音されるべき子音が発音されていないと明瞭性が落ちるである。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「皆さん」と彼は叫んだ。「私が主に大切だと考えているは、亡くなった人々に及ぼす私 特異な影響力ではないです。というも、結局ところ、幽霊は幽霊です。いずれにせよ大し たことはできないです。触ることはできないし、一日うち半分は見えないです。もしそ れが小さい娘霊だったら、気がおかしくなってしまうでしょう。大切なことは、それが生き ているものに不思議な影響を与えることができるということです。皆さんはそれを目を使って することができますし、声を使ってすることができますし、ある種動きですることもで きます ― ここまで皆さんがご覧になったように。ただそれに心を向けるだけで何も使わなく てもできるです。もちろんそれは、できる人がいるということです。あまり多くはいません ― 皆さんがときどき出会うある種お金持ち、権力を持った人、共感する力強い人たちで す。それは磁力と呼ばれます。それについてはさまざまなことが書かれました。さまざまな説 明試みもありました。しかし大した成果をもたらしませんでした。言えることはただそれが 磁力ということであって、人はそれを持っているか持っていないかどちらかなです。神は それを私に授けることを適切だとお考えになったです。これは大きな責任ですが、私はそれ を正しく使うつもりでいます。私はあらゆる類ことができます。何かを見つけ出すこともで きますし、人が心中で思っていることを語らせることもできます。人を病に伏せることもで きますし、健康にすることもできます。恋をさせることもできます ― どうです?再び恋から 目を覚まさせることもできます。そして、割に合わなければ、もう二度と好きな人と結婚なん てしないと誓わせることもできるです。正直に言いますが、どういう風にそれをするかは 皆さんにお話しすることはできません。ただ自分に『さあ教授、これを治そう、あれを治そう』 と言うだけでいいんです。ただで与えられた才能なです。つまり、磁力ということです。そ れを動物的磁力と呼ぶ人もありますが、私はそれを霊的磁力と呼んでいるです」
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ルクセンブルクが国語として法的に規定されたは 1984 年ことであり、国象徴と位置 付けられている。文学作品もルクセンブルクで書かれたものがあるが、学術言語として整備 されているとは言い難く、実際に学問を担っているはフランス語とドイツである。ドイツ は学術言語としても成熟しているので、ルクセンブルク人にとってはドイツを通じて勉学 を行うが最も効率的である。小学校では、まずドイツが主たる授業言語として用いられる はそのためである。しかし、学年が上がるにつれてフランス語が学術言語として機能を担 っていくシステムになっている。ルクセンブルクを学術言語として自立させるためコーパ ス政策を行わず、ドイツとフランス語を使用するがルクセンブルク特徴だ。また、欧州 有力な言語であるドイツとフランス語を使うことができるメリットは計り知れないほど大 きく、アイデンティティ言語としてルクセンブルクを話し、実用言語としてはドイツとフ ランスを使うというルクセンブルク多言主義は現実的な形態であるといえよう。  外国学習では、母語に近い言語を学ぶ方が系統的に遠い言語を学ぶより容易であるは言 うまでもない。ルクセンブルクで公的地位を有するルクセンブルク、ドイツ、フランス語 言語間距離を考えれば、ルクセンブルク人にとって複言語主義がどの点で難しいか、あるい は容易であるかがわかる。また、英語と関係も見ておかねばならない。ドイツとフランス が重要な役割を果たす欧州においても、英語重要性は増すばかりである。公的地位を有す る 3 言語学習に加えて、英語学習もルクセンブルクでは必須である。さらに、人口約 43% 2) を占める外国人住民存在も、多言形態に影響を及ぼしている。外国人で最も多い
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

時中、果敢に執筆活動に勤しんだ桝井迪夫にとっては、敗戦は実に不幸なことであったと筆者 には思われる。なぜなら、戦後思想がこれまでとはすっかり変わってしまったからである。戦 後は「戦争は悪である」という思想一色に染まってしまっただ。第二次世界大戦中は国家 意思に積極的に賛意を表明し、実社会とコミットメントを強く希求した桝井迪夫ような英 英米文学研究者にとって、戦後こうした時代風潮は、非常に居心地が悪かったであろうと 推察される。太平洋戦争後時代を一体どういう態度で生きてゆけばいいかを、桝井迪夫は きっと悶絶しないわけにはいかなかっただろう。そうした苦悶を抱えつつ、桝井迪夫は戦後、 名門広島大学英語学教授として広島学派を率い、あまた優れた弟子を日本中大学に送り 込んだ。筆者は、英語学泰斗・桝井迪夫若き日人間味溢れる情動的な研究姿勢に、今や 時流となった自然科学的色彩を濃厚に帯びた「evidence-based」的な研究法とは一味違う迫真 力を感じてしまう。人文学真髄とも言える人間痕跡が桝井文章には存在するだ。筆者 は今、「情動的な研究姿勢」と表現したが、これはまさに、歴史学者・白永瑞が論考「社会人文
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

に訳すという作業を通じて、言語「深い処理」ができるようになり、これによって学生 基底言語能力が強化されるとともに、L2 習得が促進されるである。 5 .大学における通訳翻訳教育位置づけ  以上述べたとおり、筆者らは大学における通訳翻訳教育を広い意味で「言語教育」一環 としてとらえ、これを従来英語(またはその他外国)教育を補完するものとして位置付 けている。ただし、筆者ら考える通訳翻訳教育は、単なる語学学習から、これを契機とした 「メタ言語能力」養成へという視点において、従来語学科目とは大きく異なっている。極限 すれば、仮に(ネイティブスピーカーようにはなれなかったという意味で)英語習得に 失敗したとしても、その学習プロセスを通じて、学生将来にとってより重要かつ本質的なメ タ言語能力を獲得することができれば、外国教育として十分に成功だと考えている。学生が 将来どの分野に進むにせよ、「ことば」に対する鋭い感受性と、十分に鍛えあげられた「基底言 能力」を備えていることが、将来、その道プロとして成功するため確かな土台作りにな るからである。反対に、いくら外国で流暢に会話ができるようになったとしても、「ことばへ 意識」や「異文化へ意識」を含めた高度なメタ言語能力が伴っていないとすれば、これは 成功とは言えないだろう。残念ながら、現在英語教育はむしろ後者道を歩んでいるように 思われる。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ベネディクトが生きた第二次世界大戦前後アメリカ社会は、黒人、ユダヤ人、女性に対す る偏見ばかりでなく、少数民族、敵国民、性的マイノリティーに対する偏見が充満している社 会だった。そのような偏見に対してベネディクトは感情に流されることなく、あくまでもアカ デミックな手法で、偏見は社会が作り出すもので、一つグループ人間が別グループ人 間に勝るとは言えないことを淡々と論じている。それは、ベネディクトネイティヴ・アメリ カン研究においても、日本研究においても、一貫して保っている姿勢である。そして、ベネ ディクトは自分考えを証明するため努力を惜しまなかった。戦争足音が刻々と近づいて いる中、ボアズは懸命にユダヤ人へ差別無意味さを説き、ベネディクトは戦争を引き起こ す社会構造を分析した。彼ら努力もむなしく、アメリカが戦争に突入した時落胆は大き かったに違いない。戦争が終わりに近づくと、ベネディクトはアメリカ政府を説得するために よりいっそう科学的な手法で日本人行動パターンを分析し、それを悪と決めつけられない理 由を明確にした。当時アメリカ政府がベネディクトやボアズような研究者に耳を傾け、彼 ら意見を少なからず尊重したことは、歴史において幸いなことだと言える。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

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意味で共通悩みなではないかと思っている。ベネディクトが抗い難い時代軋轢に悩みな がら、いうならば当時社会絶対的な基準や常識と考えられていたことに対してどのように 対応し、諸問題をいかにして切り崩していこうとしたか、彼女底知れぬ強さと忍耐過程 は猛烈な模索期間であるとともに、彼女個を求めていくことに繋がっていくことでもあった。  マーガレット・ミードとベネディクトは一時期、同性愛関係にあったことは事実である。 しかし、その関係は長くは続かなかった。本著を翻訳している過程で、私たちは何度も同性愛 やフェミニズムについて討論した。同性愛という観点からベネディクトをとらえ、書かれた著 書もある。それも研究として可能かもしれない。しかし、ベネディクト書いたものに触れて いると、そのように結論を出すは少し短絡的ではないかと感じさせられる。ベネディクトは 理屈っぽく、幼いころには自分自身をコントロールできず、激しい癇癪に悩まされていた。自 分気持ちを理解してくれる相手を希求していた。ミードとは違い、ベネディクトは自分気 持ちを率直に外に出すタイプ人ではなく、内にこもっていくタイプ女性であった。肉体的 なハンディ、つまり片方聴力が極端に悪かったことも一因かもしれない。しかし、それだか らこそ、一時期ミードがベネディクトに果たした大きな役割は、重要なものであったことも想 像に難くない。聞き取れない講義をミード援助によってハンディを軽減されたも大きな助 けとなったであろう。性格においてもミードとは異なるが故に、惹かれるものがあったも事 実であろう。ミードにとっても、ベネディクトは魅力ある人間であった。
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、「道徳的寓意」を描こうとしていたことが理解できる。(Millhouse, 66) 18)  寓意性を持つとは、描かれた対象が一義的な意味を超え、別次元で意味を帯びることで ある。描写が写実的である場合、意味はその次元にとどまる。まさにロッカー場合がそうで、 彼は写実的な描写に徹しており、描かれた人間が寓意性を帯びることはない。科学発展によ り科学的知識に裏付けされた彼認識では、人間も自然も写実的にとらえるしかない。彼作 品においては、自然中で人間が浮き立ってしまうことが多いが、自然中に不自然に佇む人 間描写を見るとき、そこからは、自然と対峙する姿勢を身に付け、もはや自然中に溶け込 むことできない人間ありようが伝わって来るようである。さらには大自然中に人間が配 されること自体が不自然である、という悲しむべきメッセージも聞こえてきそうである。ノヴ ァックによると、ハドソン・リヴァー・スクール画家たちは、その絵中に文明象徴であ る斧や汽車、そして人間を描くことで、来るべき未来を予感させることはあっても、「その未来
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」が可能だと知った父は、一週間うち六日は「酒は一切飲まない」など、 厳格な生活規律を確立し、まことに勤勉な人生を送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一は、激動する世界情勢なかで政治家として天寿を全うした実父・吉田茂 とは異なり、「言葉世界」で生きて行くことを決意し、実際その初志を貫き通したことを、吉 田健一娘・吉田暁子は読者に伝えてくれる。そしてその吉田健一は、「ただ生きるだけでな く、人生与えてくれる良いものを楽しむこと」にも重きを置いたとことである。学問や芸 術全般を己実人生と密に絡めて追究していこうとするその好事家的生き方は、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度には英国精神真髄 が取できるからである。現に晩年 1974 年に吉田健一は、『英國に就て』と題する著書を刊 行しているが、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 を展開している。そして彼はその持論を実際に己人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹には、吉田暁子が言うところ「強靭な精神」があっただ。「勤勉な人生」 を基調とした吉田健一理想的ともいえるホリスティックな文筆活動豊かな実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者ような日本で英米文学を専攻する者は今、先達・吉田健一が 遺した卓抜な人文学的知性を感受し、体得しうるである。人文学領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷な状況下にある現代私たちは、吉田健一が後世に伝えた 偉大な足跡再評価を通して、生き直すことができるだ。よって吉田健一は、われらが救世 主たりうる存在だと、筆者は確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学を中 心とした日本アカデミズム世界では人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮が強まり、学問研究なるものはおしなべて客観的・実証的態度に徹するべきで個人感情等 を吐露してはいけないだという、まことしやかな教義が主流を占め、現に大学に籍を置く英 米文学研究者ほとんどは己個人的感情等は封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界にひたすら閉じ籠るようになってしまったからだ。英米文学研究者は、己が属する学会や大 学を中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価に一喜一憂する傾向が強 まった。しかしこれはひとつ間違えば、現実社会から逃避になりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮に敢然と逆らい、 警鐘を鳴らしたが『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三は、「学問研究」という名美辞麗句に守られているがために実質的には脆弱なものとな ってしまった日本英文学研究界実態を、しんから憂え、活性化ため処方箋を模索した
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

5)最終意思決定結果として本番プレゼンテーション内容決定方法 8 .おわりに  重要なことは、ファシリテーターが両グループへ向けて、アイデア要約、意見、提案、 情(公正に手続きが進められているか、次ステップを把握しているか確認)というフィー ドバック(report-backs)を常に行うことである。一方、避けるべきことは拙速に物事を決め ることによる不満であり、せっかく国際交流が国際紛争にならないためにも、十分な時間的 余裕をもって、事前交流、現地交流と国際協同プレゼンテーション、事後交流を企画運営して いくことであると思われる。その結果、ASEP「で」ではなく「でしか」できない学習環境(国 際ファシリテータースキル育成など)を創出して、それを後輩へ繋いで行くことにより、「人 びとが、国や民族を越えて異なった文化や思想を理解し、相互に認め尊重し、協力しあうよう な、共に生きる平和な地球社会(UNESCO 憲章)」を作ることができれば、ASEP 実践意義 が更に高まるであろう。
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