トップPDF 岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

言語習熟度濃淡はあれ、3 言語習得はルクセンブルクアイデンティティー礎 であり、どの言語を欠かすわけもいかない。ルクセンブルク人が最も得意な言語はルクセン ブルクであるが、ルクセンブルクを政治・経済・学問領域で本格的使用するは綿密 なコーパス政策を展開せねばならず、そればかりかフランス語とドイツを主要言語とするメ リットが失われることもなるので損失は大きい。したがって、フランス語とドイツ役割 を減じるような言語政策は国益反するだろう。言語レベルだけを考えるならば、ほとんど母 として習得が可能なドイツを主要な公用とするルクセンブルク人にとって最も現 実的な選択肢となろう。だが、ドイツ国土を占領された経験を持つルクセンブルクとっ て、ドイツと同じ言語を国語とすることは抵抗感がある。最近では、特に若年層でドイツ態度が好転しており、居心地がいい外国一位ドイツが入っている点は特筆すべきであ る。また、最も得意な言語 2 位ドイツが位置していることを考えるならば、ドイツ 使用域拡大環境が整っていることを示唆している。しかし、憲法が規定するフランス語司 法上優位性と、主たる学術言語をフランス語が担う言語教育政策を守り続ける以上、フラン スを上位言語とする 3 言語主義は変わらないだろう。特に、EU ではフランス語が英語と並 ぶ「作業言語」(working language)として使われているため、EU 主要機関が立地するルク センブルクにとってフランス語を主要言語とするメリットは計り知れないものがある。ただし、 ドイツもフランスも依存しない独立国であることを示すは、ドイツとフランス語バ ランスを取ることが重要なる。ドイツとフランス語というヨーロッパ 2 大言語を公的 使用することで、幅広い通用性を持つインフラを提供しながら国際的な求心力を得るが小国 ルクセンブルク生き方であるからだ。
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スイス連邦の公用語と国語 史的背景と憲法上の言語規定 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

スイス連邦の公用語と国語 史的背景と憲法上の言語規定 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 反ハプスブルク派として知られたルクセンブルク家出身神聖ローマ皇帝ハインリヒ 7 世は、 1309 年これら 3 カントン自由認可証(Freiheitsbrief)を発行したが、ハインリヒ 7 世没 後混乱が起こった。バイエルン公ルートヴィヒとオーストリア公フリードリヒ(ハプスブル ク家)が皇位継承を巡って争い、スイス 3 カントンはルートヴィヒ側つく。1315 年フリー ドリヒ騎士軍がモルガルテンで攻撃を仕掛けたが、スイス「羊飼い戦士」(Hirtenkrieger) により撃退された。このモルガルテン戦いは騎士軍農民が勝利した戦いとして有名である。 さらに、スイスを奪還しようとハプスブルク家レオポルト 3 世が 1386 年騎士軍を派遣した が、ゼンパッハ戦いでスイス農民軍が勝利し、1388 年ネーフェルス戦いでもスイス軍 が勝利したことで、独立へ基盤が固まった。その後、同盟規模が拡大して 1513 年は 13 カントンとなるが、全てドイツ語圏であった。第 1 次(1529 年)、第 2 次カッペル戦争(1531 年)を経て、1648 年ヴェストファーレン条約によりスイスは神聖ローマ帝国から分離し、法 的独立国と承認された。1798 年はフランス革命軍がスイス侵攻し、独立性高いカント ン同盟から成り立っていたスイス、カントン権限を大幅弱める形で中央集権的なヘル ベチア共和国が建国されることなる。
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ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

るさびれた裏通り入口いた。むさ苦しい家屋が私たち並んでいた。アイルランド人 浮浪児が家入口と溝間で六人ばかり私たち足もとで寝そべっていた。 「分かった!分か った!」彼は叫んだ。「分かりました ― 分かりました!」「何が分かったですか?」という 問いに対して、彼は次よう答えた。 「科学が長年にわたって探し求めてきたものです ― 測 り知れないものに対する解答です!おそらく、私運命でもあります。間違いなく私永遠 生命です!急いで、急いで!消え失せてしまう前書きとめなければなりません」そして彼 薄汚い宿私を急がせた。戸口で彼は立ち止まった。 「今は話すことができません」と彼は叫ん だ。 「まず書きとめなければならないです。しかし、今晩公演を聞ききて下さい。最初ひ らめきがやってきたとき、私は一気にお話しすることができると思います」公演は必ず行く と約束した。そのとき、大佐部屋窓から不吉なファーゴー教授顔が見えた。それまで私 は大佐情熱で興奮していたが、教授出現で体からさっと熱が引いた。大佐突然ひらめ きは素晴らしいものであったかもしれないが、自分宿屋根下で同僚会ったというショ ックせいで、せっかくひらめきをつかみ損なうではないかと心配した。一瞬彼をそのま ま姿勢しておくため口実を見つけ、教授姿が見えなくなってしまうを待った。次 瞬間扉が開き教授が入ってきた。彼は急いで帽子をかぶっただろう。ふんぞり返った彼い つもの歩き方究極よう勢いよく一方傾いていた。エクセルシオール・ホールと きよりも明らか彼は上機嫌だった。しかし、教授微笑もしかめ面も正直者それではなか った。大佐と私極めて寛容な微笑を向け、反対方向帽子を傾け、前をとおり過ぎようと した。しかし、彼は突然思い直して立ち止まり、ポケットから黄色い小さなチケットを取り出 して私よこした。エクセルシオール・ホール入場券だった。
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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ルース・ベネディクトが遺したもの」(1996)新潟県長岡市特別文化講演会 「ルース・ベネディクト研究をめぐって」(1997)立命館大学言語文化研究所 「『菊と刀』著者ルース・ベネディクトからメッセージ」(1999)市整会研修会 テーマ『日本・日本人を探る IV』「『日本人行動パターン』を読む」(2003)中央市民大学教 養講座

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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ベネディクトが生きた第二次世界大戦前後アメリカ社会は、黒人、ユダヤ人、女性対す る偏見ばかりでなく、少数民族、敵国民、性的マイノリティーに対する偏見が充満している社 会だった。そのような偏見に対してベネディクトは感情流されることなく、あくまでもアカ デミックな手法で、偏見は社会が作り出すもので、一つグループ人間が別グループ人 間勝るとは言えないことを淡々と論じている。それは、ベネディクトネイティヴ・アメリ カン研究においても、日本研究においても、一貫して保っている姿勢である。そして、ベネ ディクトは自分考えを証明するため努力を惜しまなかった。戦争足音が刻々と近づいて いる中、ボアズは懸命ユダヤ人へ差別無意味さを説き、ベネディクトは戦争を引き起こ す社会構造を分析した。彼ら努力もむなしく、アメリカが戦争突入した時落胆は大き かった違いない。戦争が終わり近づくと、ベネディクトはアメリカ政府を説得するため よりいっそう科学的な手法で日本人行動パターンを分析し、それを悪と決めつけられない理 由を明確した。当時アメリカ政府がベネディクトやボアズような研究者耳を傾け、彼 ら意見を少なからず尊重したことは、歴史において幸いなことだと言える。
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メキシコにおける前衛主義 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

メキシコにおける前衛主義 外国語教育研究(紀要)第1号〜第10号|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

しかし、このグループで誰よりも傑出していたは、メキシコ随一碩学として知られるア ルフォンソ・レジェス Alfonso Reyes と、メキシコ革命後アルバロ・オブレゴン Alvar Obregón 政 権 下(1920‒1924) で 公 共 教 育 大 臣 を 務 め た ホ セ・ バ ス コ ン セ ロ ス José Vasconcelos(1881‒1595)二人であろう。とりわけバスコンセロスは、新しい形教育と文 化プログラムを実行し、後続く世代作家や芸術家たち広く自由な活躍場を与えた。 これら〈青年文芸協会〉派作家たち、人文主義的、普遍主義的な視点根ざした汎アメ リカ主義と、それと裏腹関係あるメキシコ主義は、「同時代人」誌が追い求めたコスモポ リタニズム少なからず影響を与えた。ことにバスコンセロスが公共教育省でおこなった文化 水準向上プロジェクトでは、ハイメ・トーレス = ボデー Jaime Torres Bodet(1902‒1974)や、 カルロス・ペジセル Carlos Pellicer(1899‒1977)という、やがて同誌執筆陣中枢となる人々 が協力している。
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

意味で共通悩みなではないかと思っている。ベネディクトが抗い難い時代軋轢悩みな がら、いうならば当時社会絶対的な基準や常識と考えられていたことに対してどのよう 対応し、諸問題をいかにして切り崩していこうとしたか、彼女底知れぬ強さと忍耐過程 は猛烈な模索期間であるとともに、彼女個を求めていくこと繋がっていくことでもあった。  マーガレット・ミードとベネディクトは一時期、同性愛関係あったことは事実である。 しかし、その関係は長くは続かなかった。本著を翻訳している過程で、私たちは何度も同性愛 やフェミニズムについて討論した。同性愛という観点からベネディクトをとらえ、書かれた著 書もある。それも研究として可能かもしれない。しかし、ベネディクト書いたもの触れて いると、そのよう結論を出すは少し短絡的ではないかと感じさせられる。ベネディクトは 理屈っぽく、幼いころは自分自身をコントロールできず、激しい癇癪悩まされていた。自 分気持ちを理解してくれる相手を希求していた。ミードとは違い、ベネディクトは自分気 持ちを率直出すタイプ人ではなく、内こもっていくタイプ女性であった。肉体的 なハンディ、つまり片方聴力が極端悪かったことも一因かもしれない。しかし、それだか らこそ、一時期ミードがベネディクト果たした大きな役割は、重要なものであったことも想 像難くない。聞き取れない講義をミード援助によってハンディを軽減されたも大きな助 けとなったであろう。性格においてもミードとは異なるが故に、惹かれるものがあったも事 実であろう。ミードにとっても、ベネディクトは魅力ある人間であった。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

自ら神聖な行為を追及すると同時に、このわき道つき当たり光る青くて深い海広がり をちらっと目するとき、彼はほっとするような感謝気持ちを感じるだった。彼はただち 岸壁へと下りていく道進んだ。道が途切れた場所四人乗り馬車が停めてあった。その 持ち主は見当たらなかった。そこをとおり過ぎると、不意突き出た小路によって岸壁表面 が砂浜とつながっている場所出た。その小路を下ると、遠く広がる砂浜と急激盛り上がる 波うねりと同じ高さいる自分気がついた。気持ちいい風が海から吹き寄せ、小さな白 波が騒々しいたくさん音と同時に転げまわっていた。オズボーンは一瞬心地良い気持ち高 ぶりを感じた。岸壁ほうちらりと目をやり、その方向へ歩みを速める原因となった光景を ぼんやりと認識したとき、この心地良い気分影響中で彼はまだ数歩も歩いてはいなかった。 波うち際から十二ヤードほどところある広い水平上で、五歳くらい男の子 ― ブ ロンド髪をして上品着飾られた美しい男の子 ― が、恐怖おびえて手をねじり足を踏み ならして立っていた。状況を理解することは難しくはなかった。海面がまだ低い間男の子は 岩よじ登り、水面浮かぶ豊富な海恵みを小さな木シャベルで掻き回すことあま りも夢中なって、海面が上がってくること気がつかなかっただ。点在していた岩を波 は完全覆ってしまい、砂浜と彼間でうねっていた。男の子は風と波向かって大声を上げ、 救助いくオズボーンまったく応えられなかった。そうしている間、オズボーンは男 子を浜上げる準備ができた。しかし、ジャンプして飛び越えるは水面幅があまりにも 広いことを嫌悪感とともに見て取った。しかも、あわてて取り乱した女性という形で男の子 親が今も現れることを考えると、服を脱ぐは適当ではないと考えた。仕方なく彼は、それ 以上躊躇することなく水入ると、男の子を抱えて水を搔き分け、何とか彼を陸地連れ戻し た。オズボーン中で彼は怯えた鳥よう震えていた。男の子を立たせて落ち着かせる と、「一緒来た大人はどうしたんだい?」と尋ねた。
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

……祖父牧野伸顕もとで育てられ、幼少頃から身近この明治気概を持つ祖父を見 ながら成長した十八歳日本人留学生吉田健一は、異国あって美しいケンブリッジ空 気安穏ひたっていること居たたまれない何か別な衝動駆られていたではないか。 ………………………………………………………………………………………………………… 成人後英国留学した夏目漱石が文明開化を外から眺めて苦々しく思ったとは裏腹、 吉田健一が常に文明開化を内から眺めて苦々しい思いを噛み締めなければならない位置 いたということである。…………………………………………………………………………… ………………………………………………………………………………………………………… 外国人として自己―小学校以来、英語という「第一母国」で何不自由なくやってき た吉田健一は、ケンブリッジ来て初めてアウトサイダー位置立たされた。………… ………………………………………………………………………………………………………… 圧倒的な過去が実在するケンブリッジ近代感染することによって、生まれて初めて英 が自分「第一母国」でないことを痛切意識した違いない。その母国を生ん だ過去深みはまればはまるほど、否応なくその彼ら「文化」から自分がアウトサイ ダー位置いること気づくこと―なん因果か「中途半端付焼刃」でないがゆえに、 まさにそれゆえこそ吉田健一は自分拠って立つ根幹が揺らぐほど窮地立たされた と言っていい。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トドロフ(Tzvetan Todorov)が著書『文学が脅かされている』(2007、小野潮訳 2009)) 13) 中で、人間理解ためも幅広い分野で文学作品が果たす役割は大きい、と述べている点注 視するも意義あることだろう。 文学対象が人間条件それ自体である以上、文学を読み、それを理解する者は、文 学分析専門家なるではなく、人間存在を知る者となるだろう。人間を認識する という作業何千年来取り組んできた大作家たち作品沈潜する以上優れた、人 間振舞い、情念理解ため導入教育があるだろうか。そうであってみれば、人 間関係立脚するあらゆる職業ため準備として、文学教育以上優れたものがあ るだろうか。もしこのよう文学を理解し、このよう文学教育を方向づけるなら、 未来において法学を学ぶ学生、政治科学を学ぶ学生、未来ソーシャルワーカー、心 理療法士、歴史家、社会学者にとってこれ以上貴重な助力があるだろうか。………… こうして文学研究は、人文諸科学内部において、事件歴史、思想史といった学 科傍らその場所を見つけられるだろう。これら諸学科は諸作品によっても諸教 説によっても、さまざま政治的行為によっても、社会的変化によっても、諸民族 生活によっても諸個人生活によっても、自らを発展させ、その結果思考を進歩させ るである。(ツヴェタン・トドロフ 73 74)
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し長く、7 月から 9 月にかけてほぼ三ヶ月渡っている 3) 。  一時的せよウイドブロがフランス都を離れたは、パリ迫りつつあった第一次世界大 戦戦火を避けるためで、マドリードたどり着く前は、トゥール近郊所在するボーリウ・ プレ・デ・ロッシュで過ごしている。この時、避難生活を共に過ごしたが、リトアニア出身 彫刻家ジャック・リプシッツとスペイン出身画家フアン・グリスで、その僻村で彼らと家 族ぐるみ付き合いを持った。『北極歌』冒頭載る二人友人へ献辞は、その時思い 出寄せたものである。
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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 CS 研究に関するレビュー論文である田崎(2006: 65)が指摘するとおり、これまで異なる 二言語併用コミュニティを対象とする研究によって、様々な CS 機能リストが提案されてき た。それらは共通する部分も多く見られるが、対象とするコミュニティによって全く異なる 機能が含まれている場合もある。本稿冒頭部で指摘した通り、キルギスとロシア CS は、近年 CS 研究傾向とは異なり、多数派であるキルギス人間で頻繁観察されること が特徴である。また、キルギス共和国では CS が言語政策上主要な論点となり、CS をめぐる 言説が活発展開されているという背景も大きな特徴として指摘できる。以上を踏まえ、キル ギスとロシア場合顕著見られるが、他事例は当てはまらない機能有無を検討 することが、今後探究すべき課題 1 つとして挙げられよう。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 エベレットは約束父親であるエベレット氏エスコートで現れた。エベレット氏 は物事を望ましい形式で行うことを大変誇りしており、あらかじめバクスター紹介されて いた。バクスターとマリアンと短いが丁寧な挨拶が交わされ、その後で二人は仕事取 りかかった。エベレットはバクスター希望や思いつき気持ち良く応じ、同時に、どういう ことをすべきでどういうことはすべきでないかについて多く確信を臆することなく披露した。  彼女確信が的を得ており彼女希望は余すところなく共鳴できるものであることその若 い芸術家はまったく驚かなかった。頑迷で不自然な偏見と折り合いをつけることも、自分最 善意図を近視眼的な虚栄心犠牲することも要求されないことが彼は分かった。  エベレットが中身ない女性であるかどうかということはここで言及されることではない。 しかし少なくとも、彼女は次ことを理解するだけ分別は持ち合わせていた。つまり、蒙を 開かれた聡明さ関心は、それが絵画主たる目的であるだから、画家視点から見て良い ものであるべき絵によって最も良く満たされなければならない。さらに、彼女名誉ため 以下ことをつけ加えてもいいだろう。絵画が、その情熱持続というまがい物 ― へたな模 倣 ― 以上何かなるためは、情熱要請によって遂行された絵画どんなに偉大な芸術 真価が適切付与されるべきであるか、彼女は余すところなく理解していた。そして、彼自 身ためであれ他人ためであれ、非論理的で利己的な関心介入ほど芸術家情熱を冷めさ せてしまうものはないことを、彼女は本能的悟っていた。
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フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

―学習コンセプト  教材学習コンセプトは大きく 2 種類分けられる。Alphabetix、『話してみようフランス 』、『場面で話すフランス語 1』はフランス語でコミュニケーションを行うことを念頭編ま れた教材である。特に後二者はそのタイトルが明示すよう、フランス語で発信する能力を養 成することを念頭において製作されている。Alphabetix と『場面で話すフランス語 1』では機 能・概念シラバスが採用されている。前者では各課単一あるいは複数社会的あるいは機能 的コミュニケーション目標(ex. 自己紹介する、注文する、情報を求める)が設定される。後 者では各課「家族」「持ち物」ような大きな概念テーマがあり、そのテーマ応じて「家族 について話す」「持ち物を言う」などコミュニケーション各場面が展開される。文法要素や 語彙・表現はこれらコミュニケーション目標を実現するため「道具」として配置されてい る。『話してみようフランス語』は機能・概念シラバス文法項目がテーマとなることもあ る(ex. 6 課:~へ行く、~から来る、8 課:~するつもり、~したばかり)。一方、『ピエール とユゴー』と『カジュアルフランス語』は、実践的な会話練習を取り入れながらも、伝統的 な文法中心学習進度に従って構成された教材である。前者は物語主人公である二人少年 が旅途中で出会う事柄(ex. 3 課:切符がない)が各課会話エピソードとして取り上げら れる。後者は 4 技能養成を重視する傾向対応するため、「無理なくフランス語基礎がバラン スよく身つく(『カジュアルフランス語』「はじめ」より)」ことを目標としており、大学 生日常生活場面(ex. 4 課:映画、9 課:キャンパスで)を題材各課会話が作られてい る。両者とも会話は日常的で自然なフランス語なるよう配慮されているが、会話テーマ と学習する文法項目や語彙と機能・概念的関連性はほとんど見られない。
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社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 どの文化人類学者にとっても、前提となる懐疑主義は厳密定義されねばならない。この懐 疑主義はいかなる正式な文化制度による影響をも疑うものである。民主主義であろうが、君主 制度であろうが、金権主義であろうが、どの主義も活発で安定した国家において実現されてい る。確信をもって自分目標を追求した部落においても、また最悪魔法を使うような部落で さえも、民主主義は君臨した。民主主義は、我々イデオロギーが賞賛する個人自由を浸透 させるため政治的形態でしかないことは明らかである。しかし、民主主義は個人自由を必 ずしも保障するものではない。一夫多妻制度が安定したまとまりある家族を形成することもあ る。他社会では一夫一婦制がその機能を果たす。しかしそのいずれもがより大きな摩擦があ るような分裂した家族も生み出しうる。他文化的な特徴に対しても同じことが言える。神聖 な王位であろうと、花嫁つけられる値段しても、魔法しても同じである。このような習 慣によって社会がスムーズ機能すると言える。また王が神と崇められるので、自分快楽 ため人を利用したり、殺したりすることもある。花嫁値段がつけられるため、若い男が結 婚できなかったり、魔術師が誰に対しても自分魔法が使えるため、社会対立や暴力があ るとも言える。
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有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

27 30 有余年大学生活を振り返って 福 井 七 子  関西大学時間は、学問を中心として私生活彩りを添えてくださった人々おかげで、 非常恵まれた期間だった。30 有余年にわたって、まったく波風がたたなかった時期がなかっ たとは言えない。ルース・ベネディクトという複雑な女性を研究テーマ中心したことで、 彼女思想・文化捉え方、また彼女異文化理解迫ろうともがき続けた年月であった。  研究性質から、私は常に一次資料を求めようとした。資料集めがうまくいき、というより 納得いくまでやり続けたというべきかもしれないが、そして多く人々助けられ、これまで あまり研究がなされていなかった分野を少しは明らかできたではないかと思っている。  アメリカは 6 回ほど調査旅行をした。第一回目調査旅行は実に不安な気持でいっぱいで あった。プキプシーあるベネディクト・コレクションを中心、エール大学や議会図書館 も出かけた。ニューヨーク図書館では思いもかけなかった資料を得ることができた。結果的 心配は杞憂終わっただが、資料収集だけでは何も発信できない。収集以上努力が 求められるは、それを読み解き、まるでジグゾーパズルよう時間軸を中心埋め込んで いかねばならない。
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国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

1 )Samoan Circle:両グループが一緒なって semi-circle を作り、周辺聴衆が circle を 作って議論過程を見守るという手法である。このような open fi shbowl(公開金魚鉢) 中で行われることメリットとして、極端な方向へ議論が流れるを防ぎ、鋭い対立 が起きないことがあげられる。これは ASEP において、例えば大学生同士議論を中学 生が見守ることにより、英語表現や議論展開手法を習得して行くことつながり、文 字通り正統的周辺参加が実践されることなる。実現すれば正に ASEP でのみ実現でき る手法である。
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職なられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力は感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代 UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉ふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これら加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このよう、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、「道徳的寓意」を描こうとしていたことが理解できる。(Millhouse, 66) 18)  寓意性を持つとは、描かれた対象が一義的な意味を超え、別次元で意味を帯びることで ある。描写が写実的である場合、意味はその次元とどまる。まさにロッカー場合がそうで、 彼は写実的な描写徹しており、描かれた人間が寓意性を帯びることはない。科学発展よ り科学的知識裏付けされた彼認識では、人間も自然も写実的とらえるしかない。彼作 品においては、自然中で人間が浮き立ってしまうことが多いが、自然不自然佇む人 間描写を見るとき、そこからは、自然と対峙する姿勢を身付け、もはや自然溶け込 むことできない人間ありようが伝わって来るようである。さらには大自然人間が配 されること自体が不自然である、という悲しむべきメッセージも聞こえてきそうである。ノヴ ァックよると、ハドソン・リヴァー・スクール画家たちは、その絵文明象徴であ る斧や汽車、そして人間を描くことで、来るべき未来を予感させることはあっても、「その未来
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杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

杉谷眞佐子教授 略歴及び主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

1971 年 3 月 九州大学 文学部 独語・独文学科 卒業 1971 年 4 月 九州大学 大学院文学研究科 独語・独文学専攻修士課程 入学  (在籍中 2 年間旧西ドイツ・オルデンブルク教育大学、ボン大学へ留学) 1974 年 3 月 九州大学 大学院 文学研究科独語・独文学専攻修士課程 修了 1974 年 4 月 広島大学文学部 助手

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