トップPDF 国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Key words international collaboration, conflict resolution, facilitation skills 1 .ASEP 教育効果  毎年 12 月最終週、中華民国高雄市において、AJET (Advanced Joint English Tele commu- nication)と WYMC (World Youth Meeting Committee)が主催し、高雄市政府、國立中山大学、 高雄高級中学、他後援により ASEP (Asian Student Exchange Program)が開催されている。 そこでは、アジア各国(台湾、日本、韓国、インドネシア、マレーシア)から中学・高校・大 学生が集い、ICT を活用した事前交流、2 カ国協同英語プレゼンテーション、対面交流を通じ た国際交流活動が行われている。(昨年度で 11 回目:[http://www.kageto.jp/asep/2010/]参照)  この ASEP による教育効果とは、一言でいうと「実践による学び奥深さ」である。このこ とは、ネイティブ・アメリカンが遙か昔に気づいており、次ような諺として先祖代々語り継 がれている:
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トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

トーマス・ロッカー絵本の整理と展望 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

  , by Thomas Locker. New York: Harcourt, Inc., 2001.  「大自然が踊る」というテーマ第三弾で、前二作構成を踏襲している。テキストは三人称 視点から書かれおり、様々な偉大な山々姿を映し出している。巻末に載せられたクリスチ ャンセン、および地理学者ドナルド・フィッシャー(Donald Fisher)による科学的説明に助け られ、それら山々がどのように作られたか、また変化していくかを読者は知る。アメリカ合 衆国内よく知られた山々が例として挙げられており、地学、地理テキストとしても読める、 面白い趣向絵本である。短い時間で変化する水とは異なり、山々が何万年かけてダンスを踊 っていると捉えられているところがユニークである。最後見開きでは、たくさん星がきら めく群青色空を背景にした山々姿を描き、“Beneath the stars, / mountains dance their slow dance / that goes on and on / in the endless beauty of the universe.” というテキストが配され ている。読者を悠久彼方へと誘い、宇宙神秘を感じさせる。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ベネディクトが生きた第二次世界大戦前後アメリカ社会は、黒人、ユダヤ人、女性に対す る偏見ばかりでなく、少数民族、敵国民、性的マイノリティーに対する偏見が充満している社 会だった。そのような偏見に対してベネディクトは感情に流されることなく、あくまでもアカ デミックな手法で、偏見は社会が作り出すもので、一つグループ人間が別グループ人 間に勝るとは言えないことを淡々と論じている。それは、ベネディクトネイティヴ・アメリ カン研究においても、日本研究においても、一貫して保っている姿勢である。そして、ベネ ディクトは自分考えを証明するため努力を惜しまなかった。戦争足音が刻々と近づいて いる中、ボアズは懸命にユダヤ人へ差別無意味さを説き、ベネディクトは戦争を引き起こ す社会構造を分析した。彼ら努力もむなしく、アメリカが戦争に突入した時落胆は大き かったに違いない。戦争が終わりに近づくと、ベネディクトはアメリカ政府を説得するために よりいっそう科学的な手法で日本人行動パターンを分析し、それを悪と決めつけられない理 由を明確にした。当時アメリカ政府がベネディクトやボアズような研究者に耳を傾け、彼 ら意見を少なからず尊重したことは、歴史において幸いなことだと言える。
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日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

日本語教育における学習者コーパスの構築とICLEAJ 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

学習者日本語コーパス CIA 作文コーパス コーパスデザイン ICLEAJ 1 .はじめに 1 . 1  本研究背景  学習者コーパス研究が最も進んでいるは英語教育であるが、1990 年代初頭にはすでに研究 者や EFL 専門家、出版社が電子化学習者コーパス理論的、実践的な可能性を認識し、プロジ ェクトを立ち上げた。学習者コーパスとしては、「ICLE」(International Corpus of Learner English、国際学習者英語コーパス、母語数 16、サイズ 200 万)、「LLC」(Longman Learners’ Corpus、ロングマン学習者コーパス、母語数 20、サイズ 1,000 万)、「HKUST (Hong Kong University of Science and Technology) Corpus of Learner English」香港科技大学学習者英語コ ーパス、入学試験と定期試験英作文、サイズ 2,000 万)などがよく知られている。たとえ ば、「ICLE」は 1990 年に始まったプロジェクトで、2009 年に初版 CD ROM(ICLE V1)が、 2009 年に ICLE V2 が公開されたが、上級英語学習者(大学 3 ∼ 4 年生)から一人 500 以上 論説文を集めて編纂された、200 万規模学習者英語コーパスである。筆者らが邦訳した Granger(1998) Learner English on Computer は、同コーパス構築や同コーパスに基づ
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北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

北村 裕先生との四半世紀 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

竹 内   理  我々が敬愛する北村 裕先生が、65 歳定年を迎え、本学をご退職になられる。言葉では言 い表せない、強い寂しさを感じずにはいられない。  北村先生とは、お互い前任校時代から数えて、もう 25 年を越えるおつきあいとなる。私が まだ 20 代後半、先生が 40 代前半時であった。学会でお会いしたが初めてであったが、そ 素晴らしい英語力には感服するしかない、と印象を覚えた。その後、先生が長期留学経 験を一切持たず、日本でのみ英語を学んできたという話を聞き、ふたたび驚いた次第である。 また、ご研究面でも、パソコンという言葉がまだ一般化していない時代に UNIX ワークス テーションを駆使して、まさに外国教育工学という言葉にふさわしい業績を打ち立てられて いた。その後も、ベルギー著名な心理学者 G. d’Ydewalle 先生と共著で眼球運動に関する認 知心理学的研究を行われたり、米国 CNN 社と契約して英語教育教材を開発されたりと、常に フロントランナーとして、面目躍如たる活躍を続けられていた。これらに加えて、恩師大西 昭男先生(関西大学元学長・理事長)薫陶を十分に受け、幅広い分野で深い教養をお持ちで もあった(更にフルート名手でもある)。このように、私からすれば、北村先生は真に仰ぎ見 るような存在であった。その先生と、国際研究大会実行委員会メンバーとして、またその後 は、(先生が愛してやまない)関西大学同僚としてご一緒させていただき、間近に接する機会 が持てたことは、後研究者・教育者として人生に大きな影響を与えたことは言うまで もない。
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自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 表 5 に、量的変数である自己効力感Ⅱ、不安、態度、意思コントロール、語彙サイズテスト について基礎統計を示す。データ正規性が確認されて、クロンバック α 信頼性係数は十 分高い値であった。  表 6 は、これら変数間相関係数である。自己効力感Ⅱは、不安(r=−.61)や意思コン トロール(r=.59)とある程度相関を示している(不安と意思コントロール相関係数も r =−.47)、自己効力感と不安は負関係が見られるという先行研究(Bandura, 1997)と同様 結果となっており、本研究で使用した尺度が妥当なものであると解釈できる。しかし、態度 は、他尺度と相関はあまり高くない。また、語彙サイズも他尺度と相関がそれほど高 くなかった。これは、Tseng and Schmitt(2008)モデルでは、意思コントロールと語彙サイ ズ間には、実際学習行動である語彙学習方略使用が入っていることからもわかるように (表 1 を参照)、語彙学習方略使用と語彙サイズには直接的な関係が想定できるが、語彙学習方 略を介さない場合は、他変数と語彙サイズ間にはそれほど強い関係が見られないが原因
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外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 7  歴史まとめ  ここまで言語学習教授法歴史を主に Richards & Rogers(2001)および Cook(2010)に 沿って概観してきたわけだが、文法訳読法から CLT まで変遷中で、幾つか 2 項対立的な キーワードを巡って振り子が動いているが分かる。1 つは、形式 vs. 意味である。文法訳読法 や直接教授法では形式を重視するに対して、CLT では意味重視になる。もう 1 つは、無意識 的 vs. 意識的振り子である。直接教授法から CLT 一部まで、無意識下で学習がおこなわれ ていると考える傾向は強いようであるが、フォーカス・オン・フォームでもみたように、最近 では学習者に意識的な気づきを促したり、注意を向けさせることが必要であると考えられてい るようだ。無論、この議論は本来チョムスキー言語学から受け継がれる議論であり、言語知識 はほか人間技能とは異なり教育影響を受ける度合が小さい、という第二言語習得論命 題と深く関係するものではあるだが、本稿目的はこの是非を論じるものではい。むしろ、 特筆すべきは、これまで見てきた歴史中で揺れ動く二項対立軸に対して、フォーカス・オ ン・フォームように近年アプローチは、そのどちら極に振れようというものではなく、 その中間に収まろうというような傾向が見られるということであろう。そうであるならば、言 学習に大切なは、形式か意味どちらかではなく、形式も意味も、両方ともが大事なので ある。つまりその両方を、言語「機能」と「コミュニカティブ」であることを考慮して、意 識的であろうと無意識であろうと、それはあまり問題とせずに達成できるであれば、言語学 習目標は当面は果たせると考えるわけである。この立場に立てば、後述する翻訳(規範)を 基軸とした翻訳教育は、現在外国教育教授法が目指す目的と真っ向から対立するもので はないと考えられるだ。
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大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

大学における翻訳教育の位置づけとその目標 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

改訂モデル=翻訳二重プロセスモデル  図 2 に示したモデルは、いわゆる「直訳」(言語表層構造にのみフォーカスした記号変換的 な訳)について学生注意を喚起し、より深いテクスト分析と意味処理必要性を訴えるため には有効なモデルである。本稿で取り上げたようなさまざまな問題点も、基本的にはこのモデ ルで説明することができる。したがって、学部レベルで授業では図 2 ような概念化ができ ればほぼ十分であると考えられる。ただし、厳密に言えばこのモデルでは不十分である。  図 2 モデルはいわば「直訳」を否定するためモデルであるが、実際には翻訳(や通訳) すべてが図 2 ルート②に示したような「深い処理」を必要とするわけではなく、語句レベ ルで記号変換的処理で済むことも少なくない。また、その比率が多ければ多いほど、翻訳(や 通訳)は効率的になる。とりわけ、情報伝達を主眼とするテクスト(informative text)場合 は「浅い処理」で十分に用が足りることが多い。例えば、貿易摩擦問題に関する報道文に“struc- tural impediments ”という表現が出てきたとする。この場合、通訳翻訳者にとって当面問 題はこの表現に対応する目標言語語彙 (lexical equivalent)― この場合は「構造障壁」― を知っているかどうかということだけであり、この表現が何を意味するかについて(当該分野 専門家ように)深く理解している必要はない。仮に目標言語対応語彙を知っているだけ では十分な翻訳ができない場合は、その都度、必要な範囲で調べればよいだけことである 21) 。  このことはしかし、翻訳や通訳は、基本的に対象テクスト内容について深い理解を必要
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交流授業 ― ドイツ語とロシア語― 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

交流授業 ― ドイツ語とロシア語― 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 また教室設備は AV 機器、CD、カセットテープ用機器が整い、まずまず環境中で授業 をすることができた(西村 2005)。  このような状況で学習して来るだが、 1 年生授業は、軽快に進んだのに、上位学年にな るほど授業時間が少なくなり、学生にとって、記憶蓄積が期待できず、モチベーションが大 幅に後退するが大きな課題となる。その背景には彼らは外国学部で学んでいるわけではな いことがある。したがって教師がいかなる働きかけをしようとも、ドイツ習得を目標とは し難い現実がある。単位を取るためだけならその場限り力を出すだが、それを持続させて いくだけ意欲を持たせることは大変難しくなる。それでもドイツを学習させることは諦め ず、学生たち意識にふさわしいトピックスや問題をドイツで常に用意しておくようにして いる。また、検定試験を目指すことで、モチベーション持続を図る。
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 この話には誇張があることをオズボーンは最大限考慮した。女性というものは ― 彼は考え た ― 話を都合よくまとめ上げるが大好きである。特にそれが不幸ときは。しかし彼 は大変心配になり、ただちに長い手紙を書いた。その手紙中でオズボーンは、ドッド夫人 話がどこまで本当なかを尋ね、もしそれがかなり部分事実であるなら、気晴らしため にすぐに町に出てくるよう強く勧めた。グラハムは実際に姿を現すことでそれに応えた。そこ でオズボーンはすっかり安心した。グラハムはこの数ヶ月で今までにないほど健康で元気そう だった。しかし彼と話してみると、精神的には少なくとも彼が深刻に病んでいることが分かっ た。元気がなくぼんやりとして、思考がまったく働いていなかった。オズボーン問いにも援 助申し出にも反応がないので、オズボーンはそれを悲しい想いで受けとめた。彼は生まれつ き感傷的な悩みを大変なことだと考えるタイプではなかった。階下住人が失恋で引きこもっ ていても、だからといって階段を上がる自分足音に気をつかうような人間ではなかった。し かし、グラハムをからかっても何効果もないだろうし、楽しさというものは必ずしも他人に 感染するわけではないということをグラハムは証明しているように思われた。グラハムはオズ ボーンに、自分ことを恩知らずな奴だと思わないで欲しいということ、そして、今回こと が癒されるまでその件については触れないで欲しいということを懇願した。グラハムは今回 件を忘れようと決意していた。彼がそれを忘れることができたとき ― 人はそういうことを忘 れるものなので ― 少なくとも今回先端をうまく過去に追いやることができたとき ― このことについてすべてを話すつもりだと言った。当面間は、自分気持ちを他ことで紛 らわせなければならなかった。何をすればいいか決めるは容易ではなく、当てもなく旅を するも難しかった。しかし、この耐えがたい暑さ中でニューヨークにとどまるも不可能 だった。ニューポートになら行けるかもしれなかった。
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

として文学者苦悩や秘めた思いを追求する松浦和夫は、著書『文学者 知られざる真実』 (2012) 中で以下ように記している。  いったんは法学部客員教授になり、そこから転じた慶応 SFC 教授職に江藤は適 応することができなかった。その学部はコンピュータと語学を重視して世界に通用す る学生を育てるだそうだ。江藤は IT 技術を嫌った。SFC 教員へ事務連絡はす べて E・メールでなされていたが江藤教授には事務職員が書類を持参していた。効率 だけでは学問はやれぬと学部雰囲気にも違和感を擁いていた。『SFC は慶応か』と つぶやき三田にあるというアカデミズムに最後まで共感していた。江藤は三田にある 法学部で、研究室からイタリア大使館裏庭が見えると喜んでいた。彼妹が嫁いだ 国大使館である。学生時代に自分通った三田キャンパスとその周辺に蓄積された 伝統街に江藤は郷愁を感じていた。ほかでもない福沢諭吉が開いた三田キャンパス に教授として通うことを夢見ていただ。かつて閉ざされた夢を。(松浦和夫 46)  現に江藤は著書『作家は行動する』(1959)において、自然科学的研究態度よりも、人間を 相手にする文学的態度を好んでいる様子が見て取れる。江藤にとって湘南藤沢キャンパス環 境情報学部は、文学的本領を発揮できる場所ではなかったようである。
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し長く、7 月から 9 月にかけてほぼ三ヶ月に渡っている 3) 。  一時的にせよウイドブロがフランス都を離れたは、パリに迫りつつあった第一次世界大 戦戦火を避けるためで、マドリードにたどり着く前には、トゥール近郊に所在するボーリウ・ プレ・デ・ロッシュで過ごしている。この時、避難生活を共に過ごしたが、リトアニア出身 彫刻家ジャック・リプシッツとスペイン出身画家フアン・グリスで、その僻村で彼らと家 族ぐるみ付き合いを持った。『北極歌』冒頭に載る二人友人へ献辞は、その時思い 出に寄せたものである。
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『水鏡』におけるビセンテ・ウイドブロの創造主義的手法の展開 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

『水鏡』におけるビセンテ・ウイドブロの創造主義的手法の展開 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 実際、ウイドブロは次 2 行で、“El film 1916 / va a comenzar”と、新しい時代到来を、 映画というテクノロジーに寄せて謳歌している。その一方で、この版には、ヨーロッパを覆う 第一次世界大戦もたらした陰鬱な気分はない。  1916 年は、グリフィス『トレランス』が撮影された年であり、同じ頃、ヨーロッパでは 『カリビア』(1914)ような本格的な長編映画が制作されるようになっていた。ウイドブロは そのような作品いくつかを、きっと目にしていただろう。この手稿では、そうした映画 もたらした新しい美学が、直裁に賛美されている。しかし、それはウイドブロ詩学が映画 それを後追いすることを意味し、発表されたようなかたちへ手直しが、求められたではな いか。すなわち、映画という芸術誕生を寿ぐではなく、詩作技法にかたちをかえて映画 特質を取り込もうとしたである 6) 。
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ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 どのようにその週が過ぎたか上手く説明できない。今彼顔を正面から見つめている冷徹 な結びつきよりも死方が好ましいかように、そして、唯一可能な選択は彼財産をマリア ンに譲り自分存在を終わらせることであるかように感じられる瞬間がレノックスにはあっ た。また、それなりに自分運命と折り合いをつけているかような瞬間もあった。彼はただ 自分が持っていた古い夢や幻想を集めて、膝上で折ってしまいさえすればそれでよかった だ。それでことは済むだ。しかしそうはせずに、合理的かつ適度な期待こもった立派な束 を集めて、それを結婚式白いリボンで束ねることはできないだろうか?彼愛は死んでし まった。彼若さも死んでしまった。それですべてお終いだった。そこから悲劇を生みだす必 要などなかった。彼生命力は弱く短命であることが宿命であったので、消えてしまう なら結婚後よりも前方が良かった。結婚に関していうなら、それは予定どおり執り行われ るべきだった。なぜなら、それは必ずしも愛問題ではないからだ。彼にはマリアン将来を 奪ってしまうために必要な残酷な首尾一貫性に欠けていた。もし彼が誤って彼女を過大評価し ただとしたら、その責任は彼にあり、その罰を彼女が支払わなければならないとすればそれ は残酷なことであっただろう。彼女に問題があったとしてもそれは意図的なものではまったく なく、彼自身に関するかぎり、彼女意図が善意にもとづくものであることは明らかであった。 彼女と一心同体とはいかなくても、少なくとも彼女は誠実な妻であり続けるであろう。  この暗澹とした理屈力を借りて、レノックスは結婚式前夜にまで漕ぎつけた。これに先 立つ週、エベレットに対する彼振る舞いは一貫して優しく親切であった。彼愛を失うこと によって彼女はとても大切な宝物を失ってしまっただと彼は感じた。その代わりに彼は、尽 きることない忠誠を彼女に捧げるであった。マリアンは彼元気なさや何かに心を奪わ れているような感じについて聞いてみたが、調子が良くないんだと答えるだけだった。水曜日 午後、彼は馬に乗って長時間外出した。陽が沈むころ帰宅し、古くからいる家政婦に玄関で 会った。
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存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

存在命題の意味論的分析―フレーゲ再考― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Ⅵ.フレーゲ「『レオ・ザクセが存在する』は自明である」(本稿Ⅲ)に対して  フレーゲは、概念を主語とする一般存在命題だけでなく、固有名を主語とする単称存在命 題(singular existential propositions)についても、〈存在〉は主語固有名が指す個体属性 ではありえないことを主張する。上述ように、フレーゲ論敵ピュンヤーは、命題「ザクセ は人間である(Sachse ist ein Mensch./Sachse is a man.)」から命題「人間が存在する(Es gibt Menschen./There is a man.)」を導き出すためには、命題「ザクセが存在する(Sachse existiert./Sachse exists.)」も必要であると主張するに対して、フレーゲによれば、命題「ザ クセが存在する」は、命題「ザクセは人間である」自明な前提であり、余分(überfl üssig/ superfl uous)である。両者違いは、結局、「存在する」機能に関する理解違いから来る と思われる。ピュンヤーは、「存在する」が個体何らかの属性を表すと見なしており、彼にと っては、「人間が存在する」を導出するためには、「ザクセは人間である」に「ザクセが存在す る」が付け加わる必要があった。しかし、フレーゲにとっては、「人間が存在する」は個々人 間にとって命題ではなく、「xは人間である」xに当てはまる対象が 1 つ以上あること、す なわち、∃ xHx(Hx:x は人間である)を意味するから、「ザクセは人間である」が与えられ れば十分であった。この論理的導出に関する限り、フレーゲ主張に何異存もない。  しかし、ここで、「レオ・ザクセが存在する(‘Leo Sachse existiert/exists’)」は、個体レ オ・ザクセについてではなく、 ‘Leo Sachse’ について命題であり、その文は ‘Leo Sachse’ は空虚な音ではなく、何かを指示することを意味するというフレーゲ主張には、大いに異存 がある。この主張は、指示矛盾を避けるために時々用いられる。指示矛盾とは、‘Leo Sachse does not exist’ ような存在否定文において、これがもし個体レオ・ザクセについて命題 なら、‘does not exist’ が述語されるべき主語 ‘Leo Sachse’ 指示する対象が、そもそも存在 していないことになるので、‘Leo Sachse does not exist’ はナンセンスであるという矛盾であ る。ギーチも言うように 25) 、これは明らかに、名前指示(reference)と名前持ち主(bearer)
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ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ゴードン・スコット・ジョンソン教授 略歴及び主要業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

(National Poetry Foundation)この本はフェノロサと平田喜一による能原稿訳文 転写で著者計 15 名 謡曲錦木(pp. 87-130)杜若(pp. 239-261)を担当  学術論文 “The Fenollosa-Hirata Manuscripts on Noh, and How Ezra Pound Edited Them” 単著  昭和 53 年  国際学者会議紀要第二十三号 pp. 49-59

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福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井七子教授 略歴および主要研究業績 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

研究発表 「関西大学留学生生活における現状について」(1994)大阪商工会議所 「日本研究ルーツ―『菊と刀』―」(1995)国際日本文化研究センター “Background Research Undertaken for “The Chrysanthemum and the Sword””(1996 年)米国 ネブラスカ大学『菊と刀』誕生 50 周年記念国際フォーラム

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キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2) 各国にその名を冠する民族ことで、「名称民族」と呼ばれることもある。 3) キルギス発展と普及を使命とする、大統領付属「国家委員会」議長が、2011 年にキル ギス共和国議会長に対して行った要請(Barakelde 2011.1.29)。 4) その背景としては、ソ連時代には研究遂行上非常に大きな制約があったことや、研究を実施するに あたってロシアおよび現地運用能力が必要とされることなどが挙げられるだろう。だが、近年 は旧ソ連地域言語状況を対象とした、個別事例を深く掘り下げる研究が徐々に増加しつつある。CS を扱うものとしては、アゼルバイジャンとロシア CS を対象とする Zuercher (2009)が挙げら れる。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

はドイツとフランス語を積極的に「公用」 (Amtssprache)ないしは「国語」 (Landessprache) と規定することをせず、ドイツとフランス語使用を憲法が保障することを示しているもの だ。これだけでは、司法 ・ 立法・行政に関わる公文書ドイツとフランス語で発行を義務 付けるという拘束力が直ちに発生するとまではいえない。したがって、この条文を根拠に 1848 年以来、ドイツとフランス語はルクセンブルクで公用地位を得たといえるかは検討余 地がある。例えば Fröhlich(1996:468 f.)は、「フランス語とドイツが対等関係で使用さ れることとなったが、フランス語は法律言語として効力を持ち、ドイツは下級行政レベ ルで使用されることが 1848 年に確定された」と指摘しているが、同条文は使用領域を規定する ものではないので、当時状況を承認する規定と Fröhlich が解釈しているに過ぎない。さらに、 同条文は第 2 章「ルクセンブルク人とその権利について」(Von den Luxemburgern und ihren Rechten)に含まれているので、基本的人権一部と位置づけられ、公用規定というよりは 言語権を保障する規定と解釈するが妥当と考えられる。公用位置づけについては、むし ろ「ドイツとフランス語使用に関する 1834 年 2 月 22 日大公命令」 4) (以下、大公命令)
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at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

意味で共通悩みなではないかと思っている。ベネディクトが抗い難い時代軋轢に悩みな がら、いうならば当時社会絶対的な基準や常識と考えられていたことに対してどのように 対応し、諸問題をいかにして切り崩していこうとしたか、彼女底知れぬ強さと忍耐過程 は猛烈な模索期間であるとともに、彼女個を求めていくことに繋がっていくことでもあった。  マーガレット・ミードとベネディクトは一時期、同性愛関係にあったことは事実である。 しかし、その関係は長くは続かなかった。本著を翻訳している過程で、私たちは何度も同性愛 やフェミニズムについて討論した。同性愛という観点からベネディクトをとらえ、書かれた著 書もある。それも研究として可能かもしれない。しかし、ベネディクト書いたものに触れて いると、そのように結論を出すは少し短絡的ではないかと感じさせられる。ベネディクトは 理屈っぽく、幼いころには自分自身をコントロールできず、激しい癇癪に悩まされていた。自 分気持ちを理解してくれる相手を希求していた。ミードとは違い、ベネディクトは自分気 持ちを率直に外に出すタイプ人ではなく、内にこもっていくタイプ女性であった。肉体的 なハンディ、つまり片方聴力が極端に悪かったことも一因かもしれない。しかし、それだか らこそ、一時期ミードがベネディクトに果たした大きな役割は、重要なものであったことも想 像に難くない。聞き取れない講義をミード援助によってハンディを軽減されたも大きな助 けとなったであろう。性格においてもミードとは異なるが故に、惹かれるものがあったも事 実であろう。ミードにとっても、ベネディクトは魅力ある人間であった。
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