トップPDF 「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「ボアズの片腕としての歳月」に見るミードの想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ボアズ片腕として歳月見るミード想い A Translation of Margaret Mead’s Article on Ruth Benedict’s Years as Franz Boas’ Left Hand 菊 地 敦 子  福 井 七 子 Atsuko Kikuchi   Nanako Fukui The translation of the massive 583-page book “An Anthropologist at Work” was started by Professor Fukui and myself towards the end of 2009. It has been a slow process, finding time between our other university commitments, but we have now translated about two-thirds of the book. The book has never been translated into Japanese before, probably because of its sheer volume. Some may wonder why we are translating this book that was first published back in 1959. This is a legitimate question because most translators choose to translate books that have been published more recently. We feel, however, that the content of this book is as relevant to our society today as it was back in 1959. Today, we live in a society facing constant fear of the unknown. The so-called “Islamic State” is something that most of us do not understand and is something which we simply label as “evil”. However, if we look back into history, Japan was once considered an “evil state” by the people of other countries. But in those days of World War II when discrimination against the Japanese was rampant, there was an anthropologist who took the time to meticulously collect data about the unknown and who tried her best to examine the Japanese mind without any bias. That was Ruth Benedict. For that, we think that it is well worth translating this book now. Her writing teaches us how important it is for us, as scholars, to maintain an open mind, and how we have the duty to prevent our society from rushing into mass hysteria against the unknown.
さらに見せる

18 さらに読み込む

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ファーゴー教授 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

るさびれた裏通り入口いた。むさ苦しい家屋が私たち並んでいた。アイルランド人 浮浪児が家入口と溝間で六人ばかり私たち足もとで寝そべっていた。 「分かった!分か った!」彼は叫んだ。「分かりました ― 分かりました!」「何が分かったですか?」という 問いに対して、彼は次よう答えた。 「科学が長年にわたって探し求めてきたものです ― 測 り知れないものに対する解答です!おそらく、私運命でもあります。間違いなく私永遠 生命です!急いで、急いで!消え失せてしまう前書きとめなければなりません」そして彼 薄汚い宿私を急がせた。戸口で彼は立ち止まった。 「今は話すことができません」と彼は叫ん だ。 「まず書きとめなければならないです。しかし、今晩公演を聞ききて下さい。最初ひ らめきがやってきたとき、私は一気にお話しすることができると思います」公演は必ず行く と約束した。そのとき、大佐部屋窓から不吉なファーゴー教授顔が見えた。それまで私 は大佐情熱で興奮していたが、教授出現で体からさっと熱が引いた。大佐突然ひらめ きは素晴らしいものであったかもしれないが、自分宿屋根下で同僚会ったというショ ックせいで、せっかくひらめきをつかみ損なうではないかと心配した。一瞬彼をそのま ま姿勢しておくため口実を見つけ、教授姿が見えなくなってしまうを待った。次 瞬間扉が開き教授が入ってきた。彼は急いで帽子をかぶっただろう。ふんぞり返った彼い つもの歩き方究極よう勢いよく一方傾いていた。エクセルシオール・ホールと きよりも明らか彼は上機嫌だった。しかし、教授微笑もしかめ面も正直者それではなか った。大佐と私極めて寛容な微笑を向け、反対方向帽子を傾け、前をとおり過ぎようと した。しかし、彼は突然思い直して立ち止まり、ポケットから黄色い小さなチケットを取り出 して私よこした。エクセルシオール・ホール入場券だった。
さらに見せる

28 さらに読み込む

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国語教育における「翻訳」の再考 ― メタ言語能力としての翻訳規範 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 . 7  歴史まとめ  ここまで言語学習教授法歴史を主 Richards & Rogers(2001)および Cook(2010) 沿って概観してきたわけだが、文法訳読法から CLT まで変遷中で、幾つか 2 項対立的な キーワードを巡って振り子が動いているが分かる。1 つは、形式 vs. 意味である。文法訳読法 や直接教授法では形式を重視するに対して、CLT では意味重視なる。もう 1 つは、無意識 的 vs. 意識的振り子である。直接教授法から CLT 一部まで、無意識下で学習がおこなわれ ていると考える傾向は強いようであるが、フォーカス・オン・フォームでもみたよう、最近 では学習者意識的な気づきを促したり、注意を向けさせることが必要であると考えられてい るようだ。無論、この議論は本来チョムスキー言語学から受け継がれる議論であり、言語知識 はほか人間技能とは異なり教育影響を受ける度合が小さい、という第二言語習得論命 題と深く関係するものではあるだが、本稿目的はこの是非を論じるものではい。むしろ、 特筆すべきは、これまで見てきた歴史中で揺れ動く二項対立軸に対して、フォーカス・オ ン・フォームよう近年アプローチは、そのどちら振れようというものではなく、 その中間収まろうというような傾向が見られるということであろう。そうであるならば、言 学習大切なは、形式か意味どちらかではなく、形式も意味も、両方ともが大事なので ある。つまりその両方を、言語「機能」と「コミュニカティブ」であることを考慮して、意 識的であろうと無意識であろうと、それはあまり問題とせず達成できるであれば、言語学 習目標は当面は果たせると考えるわけである。この立場立てば、後述する翻訳(規範)を 基軸とした翻訳教育は、現在外国教育教授法が目指す目的と真っ向から対立するもので はないと考えられるだ。
さらに見せる

22 さらに読み込む

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 「さあ」と私は言った。「あの石を手放しちゃったことを後悔するは分かるよ。誰かが君 話して納得がいかなくなったんだろう。」  「それこそみんなですよ!僕はどうしようもない馬鹿で、何て馬鹿なことをしたか黙っておけ ないんだと。十一スクードを持って帰って、使い切れないくらい金を持っていると思ってい たんです。最初したは行商人から金メッキ髪どめを買って、それをニネッタプレゼン トしたんです ─ 村女の子で仲良くしていたんです。その子はそれをおさげ挿して、鏡で 自分様子を見ていました。それから、どうして突然僕がこんなにお金持ちなったか聞く んです!それで『そうさ、僕は君が考えているよりお金持ちなんだ』って言ったんです。それ で持っているお金を見せて、石話をしたんです。その子はとても頭いい子で、頭いい奴 がちょっと一言いえばすべて分かっちゃうんです。彼女は私面と向かって大笑いし、私が何 てまぬけで、あの石は少なくとも五百スクード価値はあっただろうし、その外国人はひど いペテン師だって言うんです。私はそれを持って帰ってきて、兄や信頼できる人見せるべき だったって。結局、彼女言うことは正しかったんです。私は大きな富を手していたのに、 それを犬与えてしまったんです。彼女はこのありがたい話を終わらせようと、頭から髪どめ を外してそれを私顔めがけて放り投げたんです。彼女は二度と私会おうとしませんでした。 そんなことするくらいなら、道端で出会った目不自由な乞食と結婚する方がましだと考えた だと思います。私何が言えるでしょうか?彼女は、ローマで貴婦人 ─ 公爵夫人なんで すが ─ 侍女をしている姉がいるんですが、その夫人が、ローマ平原で見つかった古い宝石 で作った高価なネックレスをお持ちなんです。僕はうなだれてその場を立ち去り、自分愚か さを呪いました。僕は自分金を地面放り投げて、その上つばを吐きかけたんです!フォ リエッタを飲み酒場行きました。そこで三、四人知り合い会ったんです。僕はみんな 酒をおごって回りました。自分持っている金が憎くて、全部使ってしまいたかったんです。 もちろん彼らもどうして僕がそんなに羽振りがいいか知りたがりましたよ。ですから正直 話したんです。あのニネッタような雌ギツネよりはもうちょっとましなことを言ってくれる んじゃないかって願ってましたけど。でも、彼らはグラスをテーブル叩きつけて声をそろえ て僕ことを馬鹿したんです。どんな間抜けなロバでも、草をはんでいるときそれだけ 宝物を鼻で掘り出したら、口くわえて飼い主ところ持って帰るだろうって。何慰め もならない慰めでしたよ。僕はワインで怒りを流し込み、瓶を次から次へと空していきま した。生まれて初めて酔っ払いましたよ。あの夜は最悪でした!次日、私は残った金を叔父 ところ持って行き、それを貧しい人たち与え、教会ため新しいろうそくを買い、そ して不敬な僕魂を償うためミサ言葉を述べるよう頼みました。叔父はその金を真剣見 つめて、それを邪な方法で手入れたではないだろうなと質しました。僕は叱られる覚悟 ができていましたので、彼 4
さらに見せる

37 さらに読み込む

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

at Workにみるルース・ベネディクトの肖像 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

意味で共通悩みなではないかと思っている。ベネディクトが抗い難い時代軋轢悩みな がら、いうならば当時社会絶対的な基準や常識と考えられていたことに対してどのよう 対応し、諸問題をいかにして切り崩していこうとしたか、彼女底知れぬ強さと忍耐過程 は猛烈な模索期間であるとともに、彼女個を求めていくこと繋がっていくことでもあった。  マーガレット・ミードとベネディクトは一時期、同性愛関係あったことは事実である。 しかし、その関係は長くは続かなかった。本著を翻訳している過程で、私たちは何度も同性愛 やフェミニズムについて討論した。同性愛という観点からベネディクトをとらえ、書かれた著 書もある。それも研究として可能かもしれない。しかし、ベネディクト書いたもの触れて いると、そのよう結論を出すは少し短絡的ではないかと感じさせられる。ベネディクトは 理屈っぽく、幼いころは自分自身をコントロールできず、激しい癇癪悩まされていた。自 分気持ちを理解してくれる相手を希求していた。ミードとは違い、ベネディクトは自分気 持ちを率直出すタイプ人ではなく、内こもっていくタイプ女性であった。肉体的 なハンディ、つまり片方聴力が極端悪かったことも一因かもしれない。しかし、それだか らこそ、一時期ミードがベネディクト果たした大きな役割は、重要なものであったことも想 像難くない。聞き取れない講義をミード援助によってハンディを軽減されたも大きな助 けとなったであろう。性格においてもミードとは異なるが故に、惹かれるものがあったも事 実であろう。ミードにとっても、ベネディクトは魅力ある人間であった。
さらに見せる

28 さらに読み込む

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語教育に必要とされる文法知識 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

―学習コンセプト  教材学習コンセプトは大きく 2 種類分けられる。Alphabetix、『話してみようフランス 』、『場面で話すフランス語 1』はフランス語でコミュニケーションを行うことを念頭編ま れた教材である。特に後二者はそのタイトルが明示すよう、フランス語で発信する能力を養 成することを念頭において製作されている。Alphabetix と『場面で話すフランス語 1』では機 能・概念シラバスが採用されている。前者では各課単一あるいは複数社会的あるいは機能 的コミュニケーション目標(ex. 自己紹介する、注文する、情報を求める)が設定される。後 者では各課「家族」「持ち物」ような大きな概念テーマがあり、そのテーマ応じて「家族 について話す」「持ち物を言う」などコミュニケーション各場面が展開される。文法要素や 語彙・表現はこれらコミュニケーション目標を実現するため「道具」として配置されてい る。『話してみようフランス語』は機能・概念シラバス文法項目がテーマとなることもあ る(ex. 6 課:~へ行く、~から来る、8 課:~するつもり、~したばかり)。一方、『ピエール とユゴー』と『カジュアルフランス語』は、実践的な会話練習を取り入れながらも、伝統的 な文法中心学習進度に従って構成された教材である。前者は物語主人公である二人少年 が旅途中で出会う事柄(ex. 3 課:切符がない)が各課会話エピソードとして取り上げら れる。後者は 4 技能養成を重視する傾向対応するため、「無理なくフランス語基礎がバラン スよく身つく(『カジュアルフランス語』「はじめ」より)」ことを目標としており、大学 生日常生活場面(ex. 4 課:映画、9 課:キャンパスで)を題材各課会話が作られてい る。両者とも会話は日常的で自然なフランス語なるよう配慮されているが、会話テーマ と学習する文法項目や語彙と機能・概念的関連性はほとんど見られない。
さらに見せる

25 さらに読み込む

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

博識無双の凛然たる人、北村裕教授 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 私畏敬する人生友、北村裕教授が満 65 歳定年を迎えて本学を退かれる。言い知れない 寂寥感を覚えてならない。  外国学部前身である外国教育研究機構(2000 年 4 月発足)機構長を 4 年半長き 亘って務められた北村教授は、当時学長コーナーならびに全学共通教育推進機構と度重な る交渉・折衝骨身を惜しまず専心された。日本外国教育学高遠な理想を掲げ、変通自 在長けた北村教授犀利で俊敏な学内行政感覚は、類いまれなものであった。戦国時代 争乱生きる武将勇姿そのものであった。解決すべきすべて懸案事項に対して北村 機構長は、うわべを糊塗したり言い逃れたりはせず、責任は一身背負い、正々堂々と真正面 から対峙された。志操堅く信義篤かった。はたで見ていて清々しく、私は常に畏怖念を抱 かざるをえなかった。
さらに見せる

3 さらに読み込む

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し長く、7 月から 9 月にかけてほぼ三ヶ月渡っている 3) 。  一時的せよウイドブロがフランス都を離れたは、パリ迫りつつあった第一次世界大 戦戦火を避けるためで、マドリードたどり着く前は、トゥール近郊所在するボーリウ・ プレ・デ・ロッシュで過ごしている。この時、避難生活を共に過ごしたが、リトアニア出身 彫刻家ジャック・リプシッツとスペイン出身画家フアン・グリスで、その僻村で彼らと家 族ぐるみ付き合いを持った。『北極歌』冒頭載る二人友人へ献辞は、その時思い 出寄せたものである。
さらに見せる

16 さらに読み込む

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 16 号(2017 年 3 月) 22 人書簡を翻訳する中で、私と福井先生は当時状況と現在社会情勢、そして我々学者役 割についてよく話しをする。世界は今 ISIS 怯えている。その恐怖を取り除くため外国人を 占め出し、自分たち価値観だけを守ろうとしている。そして、メキシコから移民、イスラ ム教徒に対して度々暴言を放ったトランプ氏が先日次期アメリカ大統領決まった。自分たち とは違う人たちことを理解しようとする姿勢がどんどん失われつつある。そうした社会を変 えるは、私たち研究者がベネディクトやボアズがしたよう、こつこつと客観的な事実を集 め、どのようして今社会状況が生まれたかを説き、科学的な方法で人間を分析し、それ 基づいて正しい判断をするよう世界人を説得するしかないではないかと思う。それが 私たち学者使命なではないだろうか。その足掛かりとなるが、今福井先生とやっている 翻訳仕事だと私は考えている。
さらに見せる

3 さらに読み込む

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

キルギス語とロシア語のコード・スイッチングに関するパイロット研究 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 以上よう、個々 CS 機能が特定できる場合がある一方で、CS 発生頻度が最も高い C は、3.1 文内 CS 例③よう、母体言語が不明で複雑な CS が多数見られ、個々 CS 機能は必ずしも明確ではなかった。Poplack ( 1980: 588 )が指摘するよう、安定的な二言語 併用コミュニティにおける特定発話状況では、CS 自体が規範となる事例もある。その場合、 話者は CS を通して混合アイデンティティを表現していると考えられ、前掲 6 つ機能のう ち「表現機能」該当する。よって、安定的な二言語併用環境である首都ビシュケク市生ま れ育ったインフォーマント C にとっては、キルギスとロシア CS 満ち溢れた会話様式 がありふれたものであり、CS を通して、キルギスが優勢な地方在住キルギス人とは、異な るアイデンティティを表現していると考えられる。
さらに見せる

12 さらに読み込む

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

社会科学の目的と「自由」に関する考察 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 文化人類学者は自分社会よりもなるべく違う社会を研究しようとするため、様々な集団 データを持っている。そして西洋文明影響範囲からはずれたところで発展したシンプルな社 会を特に研究する。文化人類学者はある集団が特定価値観基づいて実現した方略を研究す ることができる。その価値観とは自由という価値観なか、社会統一という価値観なか、権 力屈するという価値観なかを研究することができる。文化人類学者にとって部族役割は、 科学者が細菌生死を研究する実験室役割と同じなである。文化人類学者実験室は研究 者が自分で設定するではない。それは原住民が何世代もわたって、何千年もかけて生き方 詳細いたるまで設定したものである。しかしフィールド・ワーカーはその部族なか存 在する私たち時事問題を、たとえそれが違った姿であったとしても認識することができる。  フィールド・ワーカーが研究している裸プリミティブ・ピープルはもちろん社会保障条 例について話すわけではない。しかし彼らは老人や飢えた人をどのよう扱うべきかはっきり している。年寄りや飢えた人を守る部族もあれば、守らない部族もいる。そして文化人類学者 はそれがもたらす帰結を研究することができる。原住民は黄金率について語らないが、オース トラリア原住民からカラハリ砂漠原住民いたるまで、黄金率が働いていることは見受け られる。たとえば、「他人施しを与えなければ、誰が自分施しを与えてくれるだろう」、「他 人を敬わなければ誰が自分を敬ってくれるだろう」といった教訓は、若者たたきこまれ、 南洋島々人からティエラ・デ・フィエゴ冷たい霧すむ人至るまで、それを実践して いる。同時にこのような黄金率がまったくない原始社会があり、文化人類学者は黄金率が存在 する結果と、しない結果を研究することができる。黄金率は人を支配するだろうか?プリミ ティブ・ピープルなかで黄金率縛られた人間関係しか知らない人もいれば、相手を強いる 状況立たされたことがないプリミティブ・ピープルもいる。
さらに見せる

16 さらに読み込む

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

として文学者苦悩や秘めた思いを追求する松浦和夫は、著書『文学者 知られざる真実』 (2012) 中で以下よう記している。  いったんは法学部客員教授なり、そこから転じた慶応 SFC 教授職江藤は適 応することができなかった。その学部はコンピュータと語学を重視して世界通用す る学生を育てるだそうだ。江藤は IT 技術を嫌った。SFC 教員へ事務連絡はす べて E・メールでなされていたが江藤教授は事務職員が書類を持参していた。効率 だけでは学問はやれぬと学部雰囲気も違和感を擁いていた。『SFC は慶応か』と つぶやき三田あるというアカデミズム最後まで共感していた。江藤は三田ある 法学部で、研究室からイタリア大使館裏庭が見えると喜んでいた。彼妹が嫁いだ 国大使館である。学生時代自分通った三田キャンパスとその周辺蓄積された 伝統江藤は郷愁を感じていた。ほかでもない福沢諭吉が開いた三田キャンパス 教授として通うことを夢見ていただ。かつて閉ざされた夢を。(松浦和夫 46)  現に江藤は著書『作家は行動する』(1959)において、自然科学的研究態度よりも、人間を 相手する文学的態度を好んでいる様子が見て取れる。江藤にとって湘南藤沢キャンパス環 境情報学部は、文学的本領を発揮できる場所ではなかったようである。
さらに見せる

22 さらに読み込む

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

し、頭はコングリーブ嬢ことでいっぱいで、目は絶えず彼女顔を見ていた。ときどき彼女 と視線合うときがあった。激しい嫌悪感がふつふつと胸わき起こった。ヘンリエッタ・コ ングリーブ必要なは、彼女が他人を利用したと同じよう彼女も人利用されることだ と彼は独り言を言った。明らか今牧師を利用していると同じよう。水流中ほどで空し く底を手探りしながら、耳まですっぽり彼は恋落ちていた。その間、乾いた靴を履いたまま 彼女は水辺座っているだった。彼女は教訓を学ぶ必要があった。しかし、誰がそれを彼女 与えることができるだろうか?彼女すべて師が知っている以上ことを彼女は知ってい るだ。男性は彼女近づき、魅了され虜なるだけだった。もし彼女が、自分と同じほど明 晰な頭脳、活発な想像力、不屈意志を持つ者、あるいは師と仰ぐ者出会いさえすれば!テ ーブルをひっくり返し、彼女出先をくじき、彼女を虜し、そして突然時計を見て別れ挨 拶をする、そんな男性出会いさえすれば!そうすれば恐らくグラハムも安心して眠りつく ことができるだろう。人心をもてあそぶということがどういうことか彼女も分かるであろ う。というのも、彼女心は、まるでブロンズに対するガラスようなものだからである。オ ズボーンはテーブルを見まわした。しかし、カーペンター夫人招待客は、彼が心描く ― ブロンズ心と水晶頭を持つ ― 英雄ほんのわずかでも似ている男性はいなかった。彼ら はまさに、若い女性をそばはべらせるが似合う若者たち過ぎなかった。しかし、ヘンリ エッタ・コングリーブはそのような女性一人ではなかった。彼女は舞踏会いる単に軽薄な 女性ではなかった。彼女しぐさはどこか真剣で高貴な何かがあった。それは知的な喜びで あった。誠実な男性心を最後一滴まで飲み干し、恐ろしい食品白い花を咲かせるだっ た。オズボーンが辺りを見わたすと、周囲存在、サンドウィッチやシャンパンことを 一瞬忘れてしまったかよう見える若い女性目がとまった。彼が彼女ことを見ている 気がつくと、もちろん、その女性はすぐ視線を落とした。しかしオズボーン は彼女視線意味を読み取った。それ ― まだ清純さ残る乙女視線 ― は、容易翻訳 できる言葉で、「あなたこそ私が探し求めていた男性です!」と語っているよう思われた。つ まり簡単言うと、オズボーンさん、あなたは何て素敵な方なんでしょう、ということである。 オズボーンは脈が速くなるを感じた。彼計画は始まっただ。彼際立った容姿がコング リーブ嬢心を傷つける十分な装備だというわけではなかったが、少なくともそれは彼 任務を外向かって表現するものだった。
さらに見せる

36 さらに読み込む

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」が可能だと知った父は、一週間うち六日は「酒は一切飲まない」など、 厳格な生活規律を確立し、まことに勤勉な人生を送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一は、激動する世界情勢なかで政治家として天寿を全うした実父・吉田茂 とは異なり、「言葉世界」で生きて行くことを決意し、実際その初志を貫き通したことを、吉 田健一娘・吉田暁子は読者伝えてくれる。そしてその吉田健一は、「ただ生きるだけでな く、人生与えてくれる良いものを楽しむこと」も重きを置いたとことである。学問や芸 術全般を己実人生と密絡めて追究していこうとするその好事家的生き方は、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度は英国精神真髄 が感取できるからである。現に晩年 1974 年吉田健一は、『英國就て』と題する著書を刊 行しているが、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 を展開している。そして彼はその持論を実際人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹は、吉田暁子が言うところ「強靭な精神」があっただ。「勤勉な人生」 を基調とした吉田健一理想的ともいえるホリスティックな文筆活動豊かな実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者ような日本で英米文学を専攻する者は今、先達・吉田健一が 遺した卓抜な人文学的知性を感受し、体得しうるである。人文学領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷な状況下ある現代私たちは、吉田健一が後世伝えた 偉大な足跡再評価を通して、生き直すことができるだ。よって吉田健一は、われらが救世 主たりうる存在だと、筆者は確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学を中 心とした日本アカデミズム世界では人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮が強まり、学問研究なるものはおしなべて客観的・実証的態度徹するべきで個人感情等 を吐露してはいけないだという、まことしやかな教義が主流を占め、現に大学籍を置く英 米文学研究者ほとんどは己個人的感情等は封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界ひたすら閉じ籠るようなってしまったからだ。英米文学研究者は、己が属する学会や大 学を中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価一喜一憂する傾向が強 まった。しかしこれはひとつ間違えば、現実社会から逃避なりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮敢然と逆らい、 警鐘を鳴らしたが『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三は、「学問研究」という名美辞麗句守られているがため実質的は脆弱なものとな ってしまった日本英文学研究界実態を、しんから憂え、活性化ため処方箋を模索した
さらに見せる

19 さらに読み込む

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)を翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 年フランツ・ボアズ間で交わされた書簡からも明白であるよう、1939 年 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後とアメリカを取り巻く状況が大 きく変化した時期書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化を読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文を執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別反対する意識は世界中で高まりを見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的みても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆してした当時とさしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題ともからみ、それらを解決する糸口はいまだ見出せずいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々突きつけられている大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学的考察を今一度振り返って読み直すこと は、連綿と続いている偏見・差別もつ根深さを考えるめも意味あることと考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 年 9 月 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 年ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何を変えるため戦う か考えざるを得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人影響を及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎を危うくされている学問自由という原則を守るため、人前で話しをする ことが苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
さらに見せる

21 さらに読み込む

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生 ―仰ぎ見る存在として― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 14 号(2016 年 3 月) 2  先生は、遠州流茶道直門上席師範を経て、家元師範代という高い立場昇られており、茶 道に関する論考や、茶道語彙に関する研究も多数発表されてこられた。また、日本・日本 文学についても、その分野で修士学位( Oxon )を取得されて以来、継続して研究を続けら れている。しかし何よりも私個人印象残るは、その英文法教授に関する論考である。全 10 章からなるこの一連論文群と、それを発展させた書籍ドラフトを先生から数年前見せ て頂いた時は、そのユニークなアプローチ大いに感銘を受けた。40 年にわたり、日本大 学生と向き合った経験があるからこそ、生まれてきた考え方だと思われる。日本人にとって痒 いところ手が届くようなこの論考さらなる充実と、早い出版が待たれるところである。ま た先生は、発音や韻律教授法に関しても一家言をお持ちであり、90 年代はこの分野でも一 連論文を書かれている。陳腐な言葉かもしれないが、マルチな才能とは彼ような人物こ とを言うであろう。まさに仰ぎ見る存在と言わざるを得ない。
さらに見せる

2 さらに読み込む

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

国際交流におけるコンフリクトの解決スキル 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

5)最終意思決定結果として本番プレゼンテーション内容決定方法 8 .おわり  重要なことは、ファシリテーターが両グループへ向けて、アイデア要約、意見、提案、感 情(公正手続きが進められているか、次ステップを把握しているか確認)というフィー ドバック(report-backs)を常に行うことである。一方、避けるべきことは拙速物事を決め ることによる不満であり、せっかく国際交流が国際紛争ならないためも、十分な時間的 余裕をもって、事前交流、現地交流と国際協同プレゼンテーション、事後交流を企画運営して いくことであると思われる。その結果、ASEP「で」ではなく「でしか」できない学習環境(国 際ファシリテータースキル育成など)を創出して、それを後輩へ繋いで行くことにより、「人 びとが、国や民族を越えて異なった文化や思想を理解し、相互認め尊重し、協力しあうよう な、共に生きる平和な地球社会(UNESCO 憲章)」を作ることができれば、ASEP 実践意義 が更に高まるであろう。
さらに見せる

7 さらに読み込む

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アントニー・スティーヴン・ギブズ先生のご退職によせる想い 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

3 アントニー・スティーヴン・ギブズ先生ご退職よせる想い 福 井 七 子  私が初めてギブズ先生お目にかかったは、関西大学文学部頃でした。先生は英文学科 属しておられました。文学部時代はあまりお話をする機会もありませんでしたが、教授会 折、物静かな口ぶりでお話される先生を、いつも私は羨望まなざしで見ていました。  直接お話する機会をもったは、外国学部お移りなってからでした。私はその時、英 で論文を書かねばならないという、まったく荒唐無稽な仕事を抱えていました。まがりなり ではありましたが、一応英語で原稿は書いておりました。手を入れてくだされば有難いという 思いで先生お願いしました。先生は大学前喫茶店ほぼ時間通りお出でなりました。お 聞きすれば京都から新幹線をお使いなったということで、大いに恐縮したものです。しかし、 この恐縮は始まり過ぎませんでした。一文一文、誠に丁寧修正してくださり、最初は遠慮 がち聞いておりましたが、だんだん厚かましくなり、「それとこれとニュアンス違いは何 ですか?」など先生にとってはあまりに稚拙すぎる難儀な質問を何百回もしてしまいました。 ギブズ先生は一つひとつ本当に丁寧教えてくださり、無事論文は仕上がり、それは後ジョ ンズ・ホプキンズ大学出版から出版されました。残念ながら編集段階で若干修正がなされ ましたが、骨子については私も譲るわけはいかず、何回も、何度も編集人とやりとりをし、 出版までこぎつけることができました。
さらに見せる

2 さらに読み込む

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ある肖像画の物語 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 どのようその週が過ぎたか上手く説明できない。今彼顔を正面から見つめている冷徹 な結びつきよりも死方が好ましいかよう、そして、唯一可能な選択は彼財産をマリア ン譲り自分存在を終わらせることであるかよう感じられる瞬間がレノックスはあっ た。また、それなり自分運命と折り合いをつけているかような瞬間もあった。彼はただ 自分が持っていた古い夢や幻想を集めて、膝上で折ってしまいさえすればそれでよかった だ。それでことは済むだ。しかしそうはせず、合理的かつ適度な期待こもった立派な束 を集めて、それを結婚式白いリボンで束ねることはできないだろうか?彼愛は死んでし まった。彼若さも死んでしまった。それですべてお終いだった。そこから悲劇を生みだす必 要などなかった。彼生命力は弱く短命であることが宿命であったので、消えてしまう なら結婚後よりも前方が良かった。結婚に関していうなら、それは予定どおり執り行われ るべきだった。なぜなら、それは必ずしも愛問題ではないからだ。彼はマリアン将来を 奪ってしまうため必要な残酷な首尾一貫性欠けていた。もし彼が誤って彼女を過大評価し ただとしたら、その責任は彼あり、その罰を彼女が支払わなければならないとすればそれ は残酷なことであっただろう。彼女問題があったとしてもそれは意図的なものではまったく なく、彼自身に関するかぎり、彼女意図が善意もとづくものであることは明らかであった。 彼女と一心同体とはいかなくても、少なくとも彼女は誠実な妻であり続けるであろう。  この暗澹とした理屈力を借りて、レノックスは結婚式前夜まで漕ぎつけた。これ先 立つ週、エベレットに対する彼振る舞いは一貫して優しく親切であった。彼愛を失うこと によって彼女はとても大切な宝物を失ってしまっただと彼は感じた。その代わり彼は、尽 きることない忠誠を彼女捧げるであった。マリアンは彼元気なさや何か心を奪わ れているような感じについて聞いてみたが、調子が良くないんだと答えるだけだった。水曜日 午後、彼は馬乗って長時間外出した。陽が沈むころ帰宅し、古くからいる家政婦玄関で 会った。
さらに見せる

30 さらに読み込む

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

有余年の大学生活を振り返って 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

27 30 有余年大学生活を振り返って 福 井 七 子  関西大学時間は、学問を中心として生活彩りを添えてくださった人々おかげで、 非常恵まれた期間だった。30 有余年にわたって、まったく波風がたたなかった時期がなかっ たとは言えない。ルース・ベネディクトという複雑な女性を研究テーマ中心したことで、 彼女思想・文化捉え方、また彼女異文化理解迫ろうともがき続けた年月であった。  研究性質から、私は常に一次資料を求めようとした。資料集めがうまくいき、というより 納得いくまでやり続けたというべきかもしれないが、そして多く人々助けられ、これまで あまり研究がなされていなかった分野を少しは明らかできたではないかと思っている。  アメリカは 6 回ほど調査旅行をした。第一回目調査旅行は実に不安な気持でいっぱいで あった。プキプシーあるベネディクト・コレクションを中心、エール大学や議会図書館 も出かけた。ニューヨーク図書館では思いもかけなかった資料を得ることができた。結果的 心配は杞憂終わっただが、資料収集だけでは何も発信できない。収集以上努力が 求められるは、それを読み解き、まるでジグゾーパズルよう時間軸を中心埋め込んで いかねばならない。
さらに見せる

2 さらに読み込む

Show all 10000 documents...

関連した話題