トップPDF データブック (2004年10月 ~ 2009年3月) 自己評価点検報告書|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

データブック (2004年10月 ~ 2009年3月) 自己評価点検報告書|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

データブック (2004年10月 ~ 2009年3月) 自己評価点検報告書|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

< 自己点検評価委員会活動 > 〔活動記録〕 【平成 17 年度】 第1回 平成 17 4 13 日 全学自己点検評価委員会事項について 第2回 平成 17 5 11 日 全学自己点検評価委員会事項について 第3回 平成 17 5 18 日 全学自己点検評価委員会事項について 第4回 平成 17 6 8 日 全学自己点検評価委員会事項について 第5回 平成 17 6 29 日 全学自己点検評価委員会事項について 第6回 平成 17 7 6 日 全学自己点検評価委員会事項について 第7回 平成 17 7 19 日 全学自己点検評価委員会事項について 第8回 平成 17 11 16 日 全学自己点検評価委員会事項について
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吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

吉田健一と英文学 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

れば「良い生活」が可能だと知った父は、一週間うち六日は「酒は一切飲まない」など、 厳格な生活規律を確立し、まことに勤勉な人生を送った。(吉田暁子 282)  若き日吉田健一は、激動する世界情勢なかで政治家として天寿を全うした実父・吉田茂 とは異なり、「言葉世界」で生きて行くことを決意し、実際その初志を貫き通したことを、吉 田健一娘・吉田暁子は読者に伝えてくれる。そしてその吉田健一は、「ただ生きるだけでな く、人生与えてくれる良いものを楽しむこと」にも重きを置いたとことである。学問や芸 術全般を己実人生と密に絡めて追究していこうとするその好事家的生き方は、若き日英国 留学薫陶たまものであったと思われる。吉田健一人生に対する態度には英国精神真髄 が感取できるからである。現に晩年 1974 に吉田健一は、『英國に就て』と題する著書を刊 行しているが、そのなか「英国文化流れ」章で、文学と実人生と関係について持論 を展開している。そして彼はその持論を実際に己人生において実践したである。その際、 彼人生観根幹には、吉田暁子が言うところ「強靭な精神」があっただ。「勤勉な人生」 を基調とした吉田健一理想的ともいえるホリスティックな文筆活動豊かな実りを通して、 後代私たち現代人、特に筆者ような日本で英米文学を専攻する者は今、先達・吉田健一が 遺した卓抜な人文学的知性を感受し、体得しうるである。人文学領域、とりわけ英米文学研 究界にとって停滞・沈滞という過酷な状況下にある現代私たちは、吉田健一が後世に伝えた 偉大な足跡評価を通して、生き直すことができるだ。よって吉田健一は、われらが救世 主たりうる存在だと、筆者は確信している。なぜなら第二次世界大戦後、少なくとも大学を中 心とした日本アカデミズム世界では人文科学分野も自然科学分野と同様だと考えられる風 潮が強まり、学問研究なるものはおしなべて客観的・実証的態度に徹するべきで個人感情等 を吐露してはいけないだという、まことしやかな教義が主流を占め、現に大学に籍を置く英 米文学研究者ほとんどは己個人的感情等は封印し、権威ある学会というアカデミズム世 界にひたすら閉じ籠るようになってしまったからだ。英米文学研究者は、己が属する学会や大 学を中心としたアカデミズム尺度・基準によって下される業績評価に一喜一憂する傾向が強 まった。しかしこれはひとつ間違えば、現実社会から逃避になりかねないと思う。言わば、 大学や学会という閉じた組織・機関へ引き籠り現象である。こうした風潮に敢然と逆らい、 警鐘を鳴らしたが『太平洋戦争と英文学者』(研究社、1999 )著者・宮崎芳三である。宮 崎芳三は、「学問研究」という名美辞麗句に守られているがために実質的には脆弱なものとな ってしまった日本英文学研究界実態を、しんから憂え、活性化ため処方箋を模索した
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オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

オズボーンの復讐 ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 表向き反感を示した最初振る舞いあと、ヘンリエッタ・コングリーブは、友人かつ姉常連客としてとても喜んでオズボーンを迎えるようになった。彼は、自分が次ように考 えても馬鹿げていることにはならないと考えた。つまり、読者がどう考えようと、自分行動 全体が浮かれた愚か者それだとオズボーンが考えていないは言うまでもないこと、そして、 彼女を取り巻くほとんど若い男性よりもヘンリエッタは彼に好意を持っていると考えること である。オズボーンは自分持って生まれた資質を正しく評価していたし、感情的なことに厳 しく制限しなくても、より洗練された社会的な目的ために、ひとかどの人物になる素質も備 わっていることが分かっていた。彼はささいな事には関心がなかった。しかし、ウィルクス夫 人客間ではささいな事はほんのわずかな役割を果たすに過ぎなかった。ウィルクス夫人は単 純な女性だったが、愚かなわけでも軽薄なわけでもなかった。そして、コングリーブ嬢はさら に優れた理由でこれら欠点から影響を免れていた。グラハムがかつて多少苦々しさを込 めて次ように言うを聞いたことを思い出した。 「女性は本当は自分に何か言ってくれる男性 だけが好きなんだ。女性はいつも何かニュースに飢えているんだ」オズボーンは、コングリ ーブ嬢が通常あつめられる以上ニュースを自分がもたらすことができることを考えて満足し た。彼は素晴らしい記憶力を持っていたし観察力も鋭かった。その点についてはコングリーブ 嬢も同じだったが、社会についてオズボーン経験はもちろん彼女それよりも十倍広が りを持っていたし、彼は常に彼女不完全な推論を補足し、間違った憶測を正すことができた。 彼女憶測は素晴らしく如才がないように思えることもあったし、無邪気で愉快なこともあっ た。しかし彼は、まったく新しい事柄が持つ魅力について事実を彼女に提供できる立場に自 分がいることにしばしば気づいていた。彼は旅行をし、男女を問わずさまざまな人物に会って きたし、もちろん、通常女性が読むべきではないと考えられている多く本を読んでいた。彼 には自分強みがよく分かっていた。しかし、彼知的な資質を披露することによってコング リーブ嬢が大変楽しんだとしても、一方で、彼女関心が彼知性に非常にさわやかな影響を もたらしているようにも思えた。
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アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

アディナ ヘンリー・ジェイムズ 著 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 目に見える影響を暗くて古い町に与えるローマ初春空気は、ご存知とおり不思議な魅 力があるけれども、どちらかというと外国体にはしばしば辛いことがある。北アフリカか ら熱風が二週間途切れることなく続いたあと、ワディントン夫人活発だった気分が落ち込 んだ。彼女は「熱病」にかかるではないかと心配し、急いで医者と相談した。医者は、何も 心配することはなく彼女に必要なは単なる気分転換だと言った。そして、一ヵ月ほどアルバ ーノに行くことを勧めた。というわけで、二人女性はスクロープ付き添いもとアルバー ノに行くことになった。ワディントン夫人は親切にも私も一緒に来るよう誘ってくれた。しか し、親戚者がローマにやって来ることになっていて、私は彼らためにガイド役を引き受け ることになっていたので、ローマに残っていなければならなかった。機会があればアルバーノ を訪れると約束だけはしておいた。私叔父とその三人娘は申し分ない観光客で、私には 次から次へとすることがあった。しかし、週末にはやっと約束を果たすことができた。私は宿 に泊まっている彼らを発見し、二人女性が、汚れた石造り床としわ寄った黄色いテーブ ルクロスについて意識を、窓から見える霧かかった海ように広大なローマ平原について 恍惚とした黙考に溶け込ませているを見た。景観は別として、彼らは楽しい日々を過ごし ていた。その地域美しさと山間見慣れない古い町美しい近郊を思い出していただきたい。 その地方は早咲き草花が咲き誇っており、私友人たちは野外空気中で暮らしていた。 ワディントン夫人は水彩画スケッチをし、アディナは野生花々を摘んでいた。スクロープ は満足気に二人間を行ったり来たりして、時折、ワディントン夫人絵の具使い方やアデ ィナスイセンとシクラメン組み合わせについて歯に衣をきせない酷評をしていた。みんな とても幸せそうで、嫌味ではなく私はもう少しで、神々からもっとも望ましい贈り物とは、 自身欠点なさに対する終始変わらない確信ではないかと思うところだった。しかも、心に やましいところある恋人でさえ、アディナ・ワディントンような自分人生における予想 もしない愛らしさ存在によって、当然報いというものが存在することが信じられなくなる ということがあるかもしれない。
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人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

人種偏見のメカニズム 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

pologist t Work: 1965: 356 382)を翻訳したものである。  「連帯感」は日付ない原稿であるが、1942 年頃書かれたものであろう。「戦後人種差別」 は未発表原稿で、1947 年頃書かれたものである。最後「戦争自然史」は未出版原稿で あるが、1939 にフランツ・ボアズと間で交わされた書簡からも明白であるように、1939 頃書かれた論文である。これら 4 篇論文は戦前、戦中、戦後とアメリカを取り巻く状況が大 きく変化した時期に書かれたものである。このことから、戦争が及ぼしたベネディクト考え 方向や心情変化を読み解くことは興味深いことである。ベネディクトがこれら論文を執 筆してすでに半世紀以上経過した現在、人種差別に反対する意識は世界中で高まりを見せては いる。しかし、アメリカ合衆国のみならず、世界的にみても人種に対する偏見・差別はベネデ ィクトが執筆してした当時とさしたる変化は見られず、それどころか差別・偏見は複雑化し、 民族問題ともからみ、それらを解決する糸口はいまだ見出せずにいる。偏見・差別は過去問 題ではなく、いまも我々に突きつけられている大きな問題なである。ベネディクトが正面か ら向かい合って取り上げたこれら問題に対する科学的考察を今一度振り返って読み直すこと は、連綿と続いている偏見・差別もつ根深さを考えるめにも意味あることと考える。  ヨーロッパ人にとって戦争は 1939 9 1 日、ドイツによるポーランド攻撃で始まった。ア メリカ人にとって事実上戦争が始まるは、その後 2 ほど経過してからことであった。何 に対して戦う価値があるか、そしてまた死ぬ価値があるか、また何を変えるために戦う か考えざるを得なくなっていった。ユダヤ人、黒人、またアジア人に影響を及ぼすかどうかも 含み、ベネディクトはさまざまな人種差別に反対するため活動も増やしていった。それはま た戦争によって基礎を危うくされている学問自由という原則を守るため、人前で話しをする ことが苦手であってもベネディクトはラジオ放送を通して話したりもした。「アメリカにおける 人種偏見」もそうした活動一つであった。
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ヨーロッパ共通参照枠とフランス語教育—レベル設定・自己評価表・行動主義— 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ヨーロッパ共通参照枠とフランス語教育—レベル設定・自己評価表・行動主義— 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

rôle฀central฀qu’elle฀assigne฀à฀la฀communication฀langagière฀et฀aux฀fonctions฀langagières฀(les฀ actes฀de฀parole).฀฀ (p.17)  したがって、 3 章で紹介した「聞く」「読む」「会話に参加する」「自分意見を述べる」「 く」といったコミュニケーション能力は、より具体的・社会的・現実的行動課題遂行ために 獲得するものと理解されなければならない。学生が、「なぜ、こんなに苦労して外国コミュ ニケーション能力を身につけなければならないか?」と質問してきた時に、「実際に外国 人々とコミュニケーションを取れるようになるためだ」と答えたでは、彼ら質問に対する 真答えにはならないだろう。学生が外国教室から外に出て遂行したい行為(Puren actionにあたる)とは何だろうか。たとえば、旅行したい、世界中に友人を持ちたい、外国 企業に就職したい、専門分野研究を原語でいちはやく読みたい、外国歌をうたってみた い、映画を字幕なしで見たい、など想定してみることができる。クラス内授業活動(Puren tâcheにあたる)も、それら社会活動とつながる可能性を持ったものにする必要があるだ ろう。たとえば、フランス語で作ったクラス新聞をホームページで公表する、フランス大 学、市町村、企業などにメッセージを発信する、フランス語で広告を書いてみる、フランス語 履歴を書いた上で就職面接シミュレーションをする、フランス語で書かれた最新専門 分野文献を読んでフランス語を学んでいない他学生にその内容を紹介する機会を設ける、 などである。
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フランス語タンデムコミュニケーションクラスについて 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

フランス語タンデムコミュニケーションクラスについて 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

問題点としては、教師間連絡に時間がとられることであろうか。この連絡がうまくいかな いと学生は混乱することになるであろうし、授業内容も、同じこと繰り返しであったり逆 に説明が不十分だったりして、授業効率上大きな問題が生じるであろう。お互い授業がまっ たく関連なく平行線で進む場合(たとえば、日本人教員は文法を日本語で教え、フランス人教 員は日常会話を教える等)は、学生教員に対する不信感も生まれるであろう。そのほかに、 欠席者に対するフォローをどうするか(しかしこの問題はタンデムクラスに限ったことではな いが)、評価をどうするか、といった問題もある。結局ところ、タンデムクラスは、教員同 士コミュニケーションがうまくいくかどうかが成功大きな鍵になると思われる。また、レ ヴィと太治が同時に教壇に立つ授業を希望する学生もいた。日本人アシスタントいるフラン ス人教員授業を希望していると思われるが、単にアシスタントとしてではなくより積極的に 授業運営に関わっていくためには、日本人教員は何をしなければならないか。この問いに対す るひとつ答えは、教育研修へ定期的な参加ではないかと思う。最新教育方法を学び、そ れを日本大学における外国教育という文脈中で問い直してみることによって、現実ク ラス運営を担っていくは、日本人教員ひとつ役割ではないだろうか。たとえば、日本人 学習者フランス語語彙力を伸ばすにはどうしたらよいか。会話中にわからない単語に出会っ たとき、辞書に頼らず、会話を中断することなく、その会話を続けていくにはどうしたらよい か。聞き取り能力(細かな部分にこだわることなくメッセージ大意を理解できる能力)を身 につけるにはどうしたらよいか。われわれはこうした問題に真剣に対処していかなければなら ないだろう。
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岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

岐路に立つルクセンブルクの3言語主義 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 ルクセンブルクが国語として法的に規定されたは 1984 ことであり、国象徴と位置 付けられている。文学作品もルクセンブルクで書かれたものがあるが、学術言語として整備 されているとは言い難く、実際に学問を担っているはフランス語とドイツである。ドイツ は学術言語としても成熟しているので、ルクセンブルク人にとってはドイツを通じて勉学 を行うが最も効率的である。小学校では、まずドイツが主たる授業言語として用いられる はそのためである。しかし、学年が上がるにつれてフランス語が学術言語として機能を担 っていくシステムになっている。ルクセンブルクを学術言語として自立させるためコーパ ス政策を行わず、ドイツとフランス語を使用するがルクセンブルク特徴だ。また、欧州 有力な言語であるドイツとフランス語を使うことができるメリットは計り知れないほど大 きく、アイデンティティ言語としてルクセンブルクを話し、実用言語としてはドイツとフ ランスを使うというルクセンブルク多言主義は現実的な形態であるといえよう。  外国学習では、母語に近い言語を学ぶ方が系統的に遠い言語を学ぶより容易であるは言 うまでもない。ルクセンブルクで公的地位を有するルクセンブルク、ドイツ、フランス語 言語間距離を考えれば、ルクセンブルク人にとって複言語主義がどの点で難しいか、あるい は容易であるかがわかる。また、英語と関係も見ておかねばならない。ドイツとフランス が重要な役割を果たす欧州においても、英語重要性は増すばかりである。公的地位を有す る 3 言語学習に加えて、英語学習もルクセンブルクでは必須である。さらに、人口約 43% 2) を占める外国人住民存在も、多言形態に影響を及ぼしている。外国人で最も多い
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想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

想い出すことども 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 16 号(2017 3 ) を食べさせようとご配慮によるもの。  さらに、折にふれて、梅田近辺から北新地界隈にかけて、和洋中レストランに招待をうけ ることもある。いちど、第一ビル神仙閣でひらかれた新年会では、ドン・ペリニョン(ブリ ュット)、同(ロゼ)を含めて、何と時価 17 万円相当シャンパーニュをふるまわれ、度肝を 抜かれた。わたしは生来、下戸なだが、美酒はいくら飲んでも悪酔いしないことを、そのと き実感した。たしかに微醺を帯びただけれど、きちんと佳肴に舌鼓を打つことも忘れなかった。  七子先生が避暑に出かけられる由布院常宿、玉の湯別棟暮らし話を聞かされると、そ もそも住んでいる世界が違うと思い知らされるけれど、先生話は単なる自慢話で終わること はまれである。では、今度、いちど行ってみようか、という方向に発展することが多い。ただ し、玉の湯は、タクシーですぐ行ける距離ではないので可能性はうすいが、ひょっとしたらと 思わせるところが七子先生なである。
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自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

自己調整語彙学習における自己効力感の影響 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

習を計画したり(プランニング)、学習を行っている間に使用している認知方略がうまく使えて いるかを考えたり(モニタリング)、使用した方略が効果的であったかなどを振り返る(評価す る)などという、より高次な(=メタ)レベル行為や思考と考えられる、メタ認知方略(meta- cognitive strategies)である。メタ認知方略は、語彙学習において認知方略よりも重要な要素 であることがわかっており、語彙学習がうまく行える学習者は、メタ認知を使った「体系的な 学習方法」(structured approach)を用いていることが明らかになっている(Fan, 2003;Gu & Johnson, 1996;Kojic Sabo & Lightbown, 1999;Sanaoui, 1995)。また、語彙学習方略指導にお いても、メタ認知方略を含むほうが、認知方略のみ指導よりも効果的であることが知られて いる(Mizumoto & Takeuchi, 2009;Nyikos & Fan, 2007;Rasekh & Ranjbary, 2003)。  このように、語彙学習方略研究では(他学習方略研究と同じように)、認知方略とメタ認知 方略を主な対象とすることが多いが、動機づけ、学習スタイル、年齢、性別ような個人差 (individual differences)要因も同時に調査され、語彙学習方略使用に影響があるということ が報告されている(Catalán, 2003;Gu, 2002;堀野・市川,1997;Kojic Sabo & Lightbown, 1999;Mizumoto, 2007;Nakamura, 2002;Schmitt, 1997)。外国学習における個人差では、動 機づけがもっとも重要であるということは言うまでもないが(Cohen & Dörnyei, 2002;Dörnyei, 2005)、語彙学習方略においても動機づけは大きな影響を及ぼすことが明らかにされている (Mizumoto & Takeuchi, 2008;Tseng & Schmitt, 2008)。動機づけがなければ、意図的に語彙学 習方略を使用することはないだろう。逆に、語彙学習方略知識が不足している場合には、動 機づけが高かったとしても効果的な学習ができない。このような理由からも、語彙学習方略と 動機づけは別々構成概念としてこれまで研究されているものの、表裏一体ものであると考 えられる。
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2009年度ケベックスタージュ報告 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

2009年度ケベックスタージュ報告 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

8 7 日(金曜日) 8:30∼11:30:教授法(第 9 回目)。ヒヤリングについて。「大まかな理解を目指して聞く」、「詳 細を聞く」、「言外意味をくみとる」 3ヒヤリングについて説明をうけた。その後、実 際にケベックフランス語聞き取り授業を受けた。聞き取り練習問題に入る前にキーワードを黒 板に板書し、「誰が話しているか」、「職業は何か」、「年齢はいくつか」など諸情報を与える ことがいかにその後内容理解を助けるか、また、具体的に何を聞きとらなければならない か、その情報を使って何をするかを明確にすることがいかに重要であるかを実際に体験する ことができた。内容を聞き取れたかどうか評価は多く場合、「書く行為や話す行為」でなさ れることが多いが、正確に聞きとれていても、それを言葉で再現すること方にむしろ問題が あることが多いので、絵や動作を使って評価するなど、評価方法に工夫が必要なことも学んだ。 午後 1:30∼ 4:30:講演「ケベック文学について」(講演者:Marc Rochette)。前半は、今日
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「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

「日本の英文学研究」考 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

として文学者苦悩や秘めた思いを追求する松浦和夫は、著書『文学者 知られざる真実』 (2012) 中で以下ように記している。  いったんは法学部客員教授になり、そこから転じた慶応 SFC 教授職に江藤は適 応することができなかった。その学部はコンピュータと語学を重視して世界に通用す る学生を育てるだそうだ。江藤は IT 技術を嫌った。SFC 教員へ事務連絡はす べて E・メールでなされていたが江藤教授には事務職員が書類を持参していた。効率 だけでは学問はやれぬと学部雰囲気にも違和感を擁いていた。『SFC は慶応か』と つぶやき三田にあるというアカデミズムに最後まで共感していた。江藤は三田にある 法学部で、研究室からイタリア大使館裏庭が見えると喜んでいた。彼妹が嫁いだ 国大使館である。学生時代に自分通った三田キャンパスとその周辺に蓄積された 伝統街に江藤は郷愁を感じていた。ほかでもない福沢諭吉が開いた三田キャンパス に教授として通うことを夢見ていただ。かつて閉ざされた夢を。(松浦和夫 46)  現に江藤は著書『作家は行動する』(1959)において、自然科学的研究態度よりも、人間を 相手にする文学的態度を好んでいる様子が見て取れる。江藤にとって湘南藤沢キャンパス環 境情報学部は、文学的本領を発揮できる場所ではなかったようである。
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Analog pleasures in a digital world 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Analog pleasures in a digital world 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

So I applied, and after an exchange of letters, I fl ew to Edmonton for an interview. My theater history credentials were good, but I noticed that the man who was leaving had stuck to the Western theater tradition. He had taught nothing about performance traditions in India or China or Japan. I wanted to include Asia in my curriculum. It was a very pleasant interview, and at the end the Theater Department chairman said he would pick me up later a my hotel, and we would have dinner at his home, “and a few drinks till it gets dark.” I didn’ t realize that this last comment was a joke. Edmonton, Alberta, is about 800 kilometers north of the continental US. It was late in June, about the time of the longest day in the year. I didn ’ t fully appreciate how important that combination of place and date were until later. We had a lovely dinner, and some scotch and water afterward. And then another, and another. I started to get very drunk, and then I looked at my watch. It was 10:30 at night and the sun was still up. The chairman saw the puzzlement in my face and laughed and said, “Welcome to Canada in the summer, Scott. If you keep drinking till sundown, you ’ ll be in bad shape tomorrow. Go back to your hotel and come to my offi ce tomorrow morning at ten.” The sun went down about midnight. And it came up at 2:30 in the morning. This was a very exotic experience. The next morning, the chairman asked me to sit down while he made a telephone call. He phoned the Dean of the Humanities Faculty, and he told the Dean he wanted to hire an American teacher. The Dean apparently asked a question, was happy with the answer, and when the Chairman hung up, he said, “You’ re hired. Congratulations. “ I was delighted, but also curious about the question the Dean had asked. “He asked if any Canadians with equal qualifi cations had applied, and I said no. ” I was very impressed with the speed and effi ciency of all this, not to mention the power of chairmen and deans at the University of Alberta. So, a couple of months later, I drove to Edmonton, and started my fi rst full-time job as a teacher.
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ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

ビセンテ・ウイドブロ『北極の詩』(抄) 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

(1917) Paris, Paul Birault を刊行したが、これは『楕円形天窓』詩人ピエール・ルヴェル ディが主宰する前衛誌『北 ノールーシュド ‐南』で活動を通じて得た新しい方法論に則ったものであった。 クレアシオニスム(創造主義)名前を与えられたその詩学は、1916 『水鏡』に始まるも ので、長詩『アルタソル』Altazor o El viaje en paracaídas(1931) Madrid, C.I.A.P. でひとつ 頂点を迎えることになる。「詩人は、詩なかにしか存在しえないものを創造しなくてはなら ない」というその主張は、『北極詩』にも詩的キュビスムというかたちで反映されている。  『北極詩』刊行経緯に話を戻すと、1918 マドリード訪問は詩人にとって二度目 機会であった。南アメリカ大陸からスペイン南部港町カディスに到着した後、パリに移動す る途中で立ち寄った最初折が一ヶ月にも満たなかったに対して、このたび滞在はもう少
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《スパイラルの会》の歩み ― ボランティア活動20年の記録 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

《スパイラルの会》の歩み ― ボランティア活動20年の記録 ― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

外国学部紀要 第 13 号(2015 10 ) 48 皆様方に感謝している。  50 回まで流れについては、すでに前報告で解説したように、アジア系アメリカ文学から、 児童文学、ヤングアダルト文学へと関心が移って行ったことがわかる。この 5 年間は、自分自 身関心から絵本とも関連付けて講義を組むことが多かった。また、大学で翻訳授業を受け 持つことになってからは、翻訳に関連する事項を取り上げ、授業と往来を楽しみ、また、そ れを充実させることもできた。
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母音梯形と母音三角形 ─ 発音指導と評価 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

母音梯形と母音三角形 ─ 発音指導と評価 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 伝統的な教授法時代に出版された教科書は、正書法から始まり、文字から発音記号へ、そ して発音記号を「読む」ため発音解説があり、母音発音解説には母音相互関係図が使 われていた。コミュニカティヴ・アプローチに基づいたフランス語教科書として日本で初め て制作された『フランス語 ’90』(1990)は、口頭運用能力養成を主眼とした教科書だ。しかし 口頭運用基礎であるはず発音に関する記述はまったくない。この教科書は、文法授業と 平行して使用されることを想定して書かれ、発音は文法授業で扱われることが前提となって いる。この時期以降数多く出版された口頭運用ため教科書大半は、発音練習を簡略化ま たは完全に省略している。発音が文法に委譲された顕著な例は、Manuel pratique de langue française(1991)、Grammaire と Lecture 2 巻で構成された教科書で発音位置づけに 見られる。Lecture は日本語では「講読編」となっているが、19 課中 17 課まで会話、つまり口 頭運用を中心に構成されている。ところが発音解説は、Lecture ではなく Grammaire 冒頭 にあり、アルファベットを含め、5 ページが割かれている。
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《Spiralの会》の歩み―ボランティア活動15年の記録― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

《Spiralの会》の歩み―ボランティア活動15年の記録― 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 地震がもたらした大きな影響は、わたし研究姿勢見直しという形でも現れた。それまで 自分が行ってきた文学作品批評は、単なる言葉上で操作にすぎなかったことに気づかされ ることになった。それは、上記したように、地震直後我が家リビングルームから見えていた 光景 ― 次々とビルディングをのみこんでいく火の手、そして長田町を焼き尽くした、猛威 を振るい続けた火事 ― がきっかけとなっている。それまでにわたしは、ある中国系アメリカ 人作家作品に関してステレオタイプ問題を考察する論文において、新しい世界観に到達す るためには過去因習から解放される必要があるとし、その作品に用いられていた図書館が焼 け落ちる場面に着目し、その重要性を強調していた。それは比喩表現にしかすぎなかったとは いえ、現実に目前に火事で多く人々いのちが奪われていくのに、何もすることができな い自分無力さを強く感じ、自分取り組み方について再考を迫られることになった。そして、 その延長線上に、絵本・児童文学実際的な効果を基本とした今日研究姿勢がある。  スパイラル会で扱う作品が児童文学へと方向変換し始めたころは、題材選択傾向が変わ ったことに戸惑われた参加者もおられた。しかし、最近では、児童文学を再発見し、その魅力 に取り付かれている方々も少なくない。孫と対話に役立つと声も聞く。別方からは、大 学生お嬢さんと同じ本を読み話し合う機会が持てて幸せです、と聞かせて頂いた。病気が私 を変え、まわり人たちにも変化をもたらしていることが実感される。題材選択に対する責任 を感じ、身ひきしまる思いがする。
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Analyzing an Achievement Test 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Analyzing an Achievement Test 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

Analyzing an Achievement Test 到達度テスト検証 Hiroko฀Yoshida  本稿目的は、ある大学語学クラス(Academic฀Vocabulary฀Class)で使用された到達度 テストを検証することである。到達度テストは目標基準試験(criterion-฀referenced฀test:฀ CRT)であり、学習者授業理解度を問うために、筆記試験として授業内で最もよく使用さ れている試験である。到達度テストは通常、成績に大きな割合を占めるが、試験実施後にそ テストを検証することはあまり行われていない。本研究では60項目からなる期末試験を項 目分析(item฀analyses)を用いて検証した。まず、項目分析により、不良項目を削除した改 訂版テスト(41項目版と27項目版)を作成した。さらに、オリジナルテストと 2 つ改訂版 テ ス ト 項 目 基 礎 統 計 量(item฀statistics)、 記 述 統 計(descriptive฀statistics)、 信 頼 性 (reliability)、並びにファイ(ラムダ)指数(phi฀(lambda)฀dependability฀indexes)を分析した。
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福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

福井先生との翻訳の仕事 外国語学部(紀要)|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 福井先生と一緒に翻訳仕事を始めてから 7 あまりになる。週に 1 回、総合研究棟 6 階研究室で会って 4 時間くらい作業をする。授業がない時はもう少し頻繁に会う。気分転換 に梅田喫茶店で作業することもある。私研究室で作業する時は福井先生が必ずデパートで おいしいお弁当を買ってきてくれる。お弁当を食べながら、まずはその週にあったできごとに ついておしゃべりをする。大学で起きたこと、うちで起きたことについて話す中で、学問に対 する、あるいは人生に対するお互いスタンスを確かめ合う。長年一緒に翻訳をしてこられた は、こうしたおしゃべりを通して福井先生経験を知り、先生価値観を学び、先生に対す る尊敬念を抱くようになったからである。
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“得”字補語文について 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

“得”字補語文について 外国語教育フォーラム|外国語学部の刊行物|関西大学 外国語学部

 中国教育において、初級教科書で扱われる文法事項中で、学生にわかりにくい(教師が 教えにくい)用語は「主述述語文」と「補語」ではないかと思われる。中国ほとんど教 科、文法では、形容詞述語文 1 種と思われる文を「主述述語文」と呼ぶ。また、補語に ついては、 回去 回 は動詞であるが、 走回去 回 は補語であると言われ、可能補 には結果補語と方向補語が含まれる、つまり、補語中に補語があるという状況である。   得 字補語文呼称、構造についてもさまざまな議論がある。例えば教科書では、「日中い ぶこみ広場(朝日出版社)」は 得 字補語文を「様態補語」と呼び、「大学生ため初級中 国語24回(白帝社)」は「状態補語」と呼んでいる。文法では、「現代中国総説(三省堂)」 は「程度補語」と呼び、李 1993は「 得 字補語文」と呼んでいる。本稿は、この 得 字補語 文(以下 得 字文)構造について考察するとともに、新たな分析を提示し、中国教育 一助としたい。
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