14 スーピロは次のように述べ、セルビア人との協力関係の構築を最重要の課題とした。 「セ ルビア人と協力すれば成果は大きいが、彼らと手を結ぶことなしには成果は少ない。まし て彼らを敵に回すことになれば何の成果も得られない」(ibid., p.28)。
15 1905 年 10 月、トルムビッチらの招集により、クロアチア、ダルマチアおよびイストラ の主要なクロアチア人政党の代表はアドリア海の港町リイェーカで会議を開き、 「リイェ ーカ決議」を採択した。決議は、ダルマチアをクロアチアおよびスラヴォニアを統合する ことを条件に、マジャール人(ハンガリー人)の国権拡大闘争を支持し、同時に政治的自 由の実現のための諸改革を要求した。この直後にダルマチアおよびクロアチア議会のセル ビア人議員もザダルで集会をもち、リイェーカ決議と同様にマジャール人の国権闘争を支 持し、クロアチア人がセルビア人を対等に処遇することを条件に、ダルマチアとクロアチ アおよびスラヴォニアとの再統一を支持する決議を発表した。ダルマチアで成立した政治 的連携は直ちにクロアチアに波及した。その年の 12 月には5つの政党が合流して、「クロ アチア人・セルビア人連合」という統一政党を結成した。
さらに見せる
26
さらに読み込む