化学の 窓
Plipastatin と Fengycin における構造混乱終結
物質の生理活性や物理的特性を決定する最大因子は,
分子内の置換基や電荷の空間的広がりを決定する分子構 造である.一方,これまでに多くの天然物の構造が決定 されてきたが,その構造が訂正されてきた例も決して少 な く な い (1) .Plipastatin A1(以 下 plipastatin) (2) と fengycin X1(以下 fengycin) (3) も構造混乱が長く続い た例と言える.これら天然物は多くの論文で別の構造を もつと報告されてきたが,複数の知見から同一物質の可 能性も示唆されてきた.最近筆者らは,これら天然物は 同一物質であり,その構造は plipastatin のそれに収斂さ れることを実験的に証明した (4) .
Plipastatin は,1986 年梅澤濱夫先生らによって食中毒 原 因 菌 の 一 つ バ シ ラ ス 属 セ レ ウ ス 菌(
BMG302-fF67 株) か ら 単 離 さ れ た (2) .一 方,fengycin は Vanittanakom らによって同年にバシラス属の枯草菌
( F-29-3 株)から単離された.興味深いこと に,これらは 誌 (3) の同一号に報 告された.Plipastatin を報告した梅澤らは連続する 4 報 の論文のなかで詳細に構造を議論し,環状デプシペプチ ド構造 1 を提出した( 図1 ).一方,Vanittanakom らは fengycin の構造について plipastatin と同一の構成アミノ 酸を報告したにとどまっていた.Fengycin の全体構造 は,1999 年,Budzikiewicz-Deleu らによって plipastatin の L -Tyr4 と D -Tyr10 が入れ替わったジアステレオマー 2 として報告された.彼らは fengycin をクロム酸処理後,
酸加水分解したところ L -Tyr の消失を確認し, L -Tyr10 と決定した (5) .また,plipastatin と fengycin では生理活 性が大きく異なるとも述べている.後に か らも plipastatin が単離報告されているが,当初は生産菌 が異なっており,別構造を考えたことにさほど矛盾がな かったと言える.さらに,両者の NMR スペクトルは異 なると報告されるなど,両者が別物質であるという考え 方は定着した.
Fengycin は広い抗菌スペクトルを示す.生産菌であ る枯草菌 ( ) はいわゆるナットウ菌 (
var. ) を含むように,枯草菌の安全性は経験的 に証明されている.以上のことから,菌自身をフィール ドに散布する生物農薬としての応用も期待されてい る (6) .このような背景の下,これまでに 200 を超える学 術論文が報告されてきた.生合成研究もその一つで,多 くのグループにより非リボソーム生合成の詳細が報告さ れている.その生合成酵素クラスター中,ラセマーゼと 考えられる配列はむしろ plipastin の構造を支持するも のであったことなどから,構造について矛盾・混乱が発 生した.これら化合物について依然ジアステレオマーと 記述する論文も少なくないが,矛盾回避のためか, L - Gln8 を L -Glu8 としたもの や 同一物質 といった記 載するものなど (7) ,さらに 非常に類似した物質 と いった曖昧な表現をする論文も見られた (8) .ケアレスミ スと思われるものを含めると 5 種類以上の構造が存在す る.構造の混乱を記述した論文も複数存在する.しか し,前述の構造決定の論文以降,MSMS 解析によりア ミノ酸配列を確認したものを除いて,天然物を用いた構 造確認を行った報告は全くなかった.
さて,筆者らは新規有用生理活性二次代謝物の探索研 究を展開している.その一環で本学植物病理学教室の糸 状菌ライブラリーから紫紋羽病菌を恵与いただき培養し たところ,その培養液に強い抗菌活性を観察した.実際 には紫紋羽病菌ではなくコンタミした枯草菌 H336B を培養していたのだが,微生物培養に疎い筆者 は,紫紋羽病菌の培養は容易ではないことを知らず,培 養ろ液残渣の形態が通常の糸状菌とは異なるとか,抽出 液にブタノール臭があるなど違和感を覚えながらも,目 的菌を培養したと信じて疑わず単離構造決定を行った.
コンタミが判明したのは,活性成分がバクテリアの生産 物 plipastin あるいは fengycin であると判明,さらに本
菌の提供者である原田幸雄弘前大学名誉教授から「あの 菌,培養難しかったよね」と言われた後であり,結果的 にこれが功を奏したとはいえ,あまりにもお粗末な培養 であった.
説明の都合上,われわれの単離した化合物を A と呼 ぶこととする.単離した A の分子式は質量分析計によ り C 72 H 110 N 12 O 20 を候補分子式とし,NMR スペクトルの プロフィールよりペプチド性化合物であると推定した.
A は塩基性条件下容易にメタノール付加体 3 を与えた.
このことにより,本化合物はラクトン構造,すなわち環 状デプシペプチド(デプシペプチド:エステルやチオエ ステルを有する分子内に有するペプチド化合物)である と判断した(直鎖構造であればフラッグメント化,分子 量は減少する).次に A を酸加水分解,生じたアミノ酸 混合物に Marfey 法により不斉補助基を導入後,続いて LCMS を 用 い た 解 析 各 ア ミ ノ 酸 の 絶 対 配 置 を 決 定 し た (9) .ペプチドの酸加水分解で Gln 残基は Glu となって しまうが,推定分子式の窒素数を考慮することにより,
構成アミノ酸を L -Glu(×2), L -Gln, L -Orn, D - -Thr, D - Ala, L -Pro, L -Ile と,両鏡像体の Tyr と決定した.未帰属 の 16 炭素については二次元 NMR スペクトルの解析によ り,3-ヒドロキシヘキサデカン酸ユニット (Acyl1) を 推定した.本ユニットは塩基性アルコリシスを受けな かったことから,アミド結合によりペプチド部と結合し ていると判断した.これによりすべての炭素を帰属する ことができ,水素不飽和指数から単環式化合物であると 決定した.以上の情報を基に文献を検索したところ, A は plipastatin,あるいは fengycin のいずれかであると判 明した.NMR スペクトルを文献値と比較したところ,
fengycin とほぼ一致したが,plipastatin とは明確な違い が見られた.
筆者らの精製では,最終段階で 0.1% トリフルオロ酢 酸を用いた逆相 HPLC 分取を用いており,精製後の A は遊離酸,あるいはトリフルオロ酢酸塩である.文献に おける fengycin の精製も同様であった.一方,梅澤ら の plipastatin の精製最終段階では,酢酸‒酢酸カリウム 図1■Plitastatinおよびfengycinの旧構造と収斂した構造,および文献で見られるfenzycin生合成酵素クラスター
図2■活性成分Aの 1 H NMR スペ ク ト ル(DMSO- 6 , 500 MHz, 下:
TFA含有条件でODSカラムで精製 したもの,上:酢酸カリウム/ゲル ろ過によりK + に変換したもの)
緩衝液を用いた逆相 HPLC 分取,その後ゲルろ過により 脱塩を行っており,精製された plipastatin はその構造か らカリウム塩といえる.筆者らは A が plipastatin でない ことを確認する目的で,精製した A を酢酸カリウム水 溶液で希釈した後,梅澤らの文献の最終段階と同じ手法 で脱塩を行い, 1 H NMR を測定したところ,スペクト ルは劇的に変化し,plipastatin のそれとほぼ完全に一致 することが判明した( 図2 ).上記操作で異性化など構 造変化が起きていないことは,処理前後の LCMS を比 較 し て 確 認 し た.こ れ ら の 実 験 か ら,plipastatin と fengycin は同一物質であることが初めて実験的に証明さ れた.言い換えると,plipastatin と fengycin のいずれか
(あるいは両方)の構造に間違いがあることになる.そ こで,筆者らは今回単離した A を演繹的に構造決定し,
構造混乱の収斂を目指すこととした.
まず,ペプチド配列の解析から検討を開始した( 図 3 ). 13 C NMR スペクトルにおける A のカルボニルシグ ナルの分離は悪く,HMBC 解析からペプチド配列決定 することはできなかった.そこでメタノールおよび水で 環開裂させた 3 および 4 を用いて,MSMS 解析によりペ プチドの配列を決定した.原理的に b イオン(N 末端 側)は 3 , 4 とも同一質量であるのに対し,y イオン(C 末端側)では,メチルエステルである 3 のほうがカルボ ン酸である 4 に比較して 14 u 大きく現れることを利用し て フ ラ ッ グ メ ン ト イ オ ン 帰 属 を 確 実 に し た.ま た,
Pro8‒Gln9 間のペプチド結合が開裂した b 8 および y 3 イ オンはいずれも観測されなかったが,ESI 法におけるペ プチドの CID(衝突誘起解離)ではアミド水素の存在が 必要であるというフラッグメント化機構に矛盾しな い (10) .また, 3 は Ile11 のメチルエステルであることか ら Ile11 のカルボン酸部がラクトン環形成に関与してい ることも判明した. 3 および 4 の 1 H NMR スペクトルで は,天然物と比較して一対のチロシン芳香環シグナルが 有意に低周波シフトしたことからチロシンのフェノール 性水酸基がラクトン環を形成していると予想した.分子 内には 2 つのチロシン残基が存在するが,Ile11 の隣に位 置する Tyr10 とのラクトン形成は構造的に不可能なた め,Tyr4 とラクトン環を形成していると判断した.
次に Acyl1 部の絶対配置を検討した.梅澤らは分解生 成物 5 を精製しその比旋光度 (−35°, CHCl 3 ) から ( )- 体と結論している.最近の報告では,化合物 5 は光学純 度 が 高 い も の で も そ の 比 旋 光 度 は 小 さ く[( )-体:
−6° CHCl 3 ](11) ,信頼性のある被旋光度を測定するには 10 mg 量程度のサンプルが必要となる.今回のケースに 当てはめると,分解反応の収率が良いと仮定しても貴重 な天然物を 100 mg 近く分解する必要があり現実的とは 言えない.そこで適切な発色団を導入することにより微 量でキラリティー判別が可能となる円二色性 (CD) ス ペクトルを用いることとした (12) . A (10 mg) を酸性メ タノール分解して 5 とした後,カルボン酸をアルコール 図3■ 筆 者 ら が 行 っ たplipastatin/
fengycinの構造決定
へ還元,CD スペクトルにおける高感度を期待して 2-ナ フ ト イ ル 基 を 導 入 し て 天 然 分 解 物 6 を 得 た.標 品 の
( )-体 6 は 1-pentadecene より確実な方法で合成した.
天然分解物 6 は 0.9 mg (UV 吸光度より算出)と微量で あったが,合成 ( )-体 6 と 1 H NMR, HPLC 保持時間を 比較することによって確認することができた.次に CD スペクトルを測定したところ,両者ともに明瞭な同一の 負の分裂型コットン曲線を示したことから,Acyl1 部の 水酸基は( )-配置であると決定した.なお, 6 の CD ス ペクトルは極めて高感度で,実際の測定では天然分解物
6 を 100 倍希釈するが必要であった.
これまでの知見は,plipastatin, fengycin いずれの構 造にも矛盾しない.残る可能性は,Tyr4, Tyr10 のキラ リティーの違いのみである.Budzikiewicz-Deleu らによ る fengycin の Tyr 残基の絶対配置決定については前述 したが,その議論を否定はできないものの構造決定法と しては釈然としない.一方,梅澤らは遊離のチロシン フェノール部にジニトロフェニル基を導入し,その後分 解反応と組み合わせて D -Tyr10 を決定している.その一 方,加水分解体 4 をカルボキシペプチダーゼで処理し,
質量スペクトルでオクタペプチド Acyl1-Pro8 に相当す るイオンを検出したとも述べている.カルボキシペプチ ダーゼは L -アミノ酸を厳密に認識してペプチド鎖の C 側 から加水分解することを考慮すると, D -Tyr10 を有した ならばこの位置で反応は停止し,デカペプチド Acyl1- Tyr10 より小さなフラッグメントペプチドを与えないは ずある.したがって,plipastatin の構造にも疑問がない わけではなかった.
そこで,筆者らは, A (1.0 mg)を DNS[5-(dimethyl- amino)naphthalene-1-sulfonyl]化して Tyr-10 に DNS を 基フラッグとして導入した.実際には Orn3 も DNS 化さ れた bisDNS 誘導体 7 が得られた.DNS 基は強い UV 吸 収をもち,さらに DNS 基は ESI イオン化に有利なジメ チルアミノ基を有するため LCMS 分析では高感度が期 待できる.議論を複雑化させないため,この段階で HPLC を用いて精製した.そののち酸加水分解,得られ たアミノ酸混合物に Marfey 法により不斉補助基を導入 した.LCMS により分析したところ,Marfey 不斉補助 基が結合した L -Tyr,および ( -DNS)- D -Tyr 誘導体を検 出した.すなわち A において遊離のフェノール性水酸 基をもつのは D -Tyr,フェノール部がエステル化されて いるのは L -Tyr,すなわち L -Tyr4, D -Tyr10 を帰属するこ とができた.
以 上 の 実 験 結 果 か ら, A は 梅 澤 ら の 報 告 し た pli- pastatin と同一構造である.Plipastatin/fengycin が同一
物質という筆者らの結果を考え合わせると,ジアステレ オマーと考えられてきた fengycin の構造は間違いであ り,plipastatin のそれに収斂されると結論した.この構 造は fengycin 生合成酵素クラスターのラセマーゼの位 置にも矛盾せず,今後の生合成研究においても重要な知 見 で あ る と い え る.最 近,M. Deleu(fengycin を pli- pastatin のジアステレオマーと論じた論文著者の一人)
は,筆者らの結果を踏まえたうえで,その名称について は構造の正しい plipastatin に統一されるのではなく,論 文 数 が 圧 倒 的 に 多 い fengycin に 統 一 す る と 述 べ て い る (13) ことにも触れておく.
以上,長年続いた plipastatin/fengycin の構造混乱に 終止符を打つことができた.これら化合物は,いくつか の不幸な偶然が重なり,別物質という考えが定着してし まった.また,多くの研究者が確実な方法で構造を確認 することなく,近年急速に発達した LCMS などの比較 のみで構造を結論したことが,混乱に拍車をかけたと言 える.単離した物質の構造帰属では,文献との答え合わ せではなく,スペクトルなどの解析による構造の確認が 大切であると,改めて認識した経験であった.
謝辞:本研究を行うに当たり,新学術領域研究「生合成マシナリー研究」
により助成を受けました.また,菌の同定をいただきました弘前大学の 田中和明准教授,有用なご助言を多数いただきました弘前大学の原田幸 雄名誉教授,生合成機構について多くの情報をいただきました慶応大学 の柘植謙爾博士,MSMS スペクトル解析についてご教授いただきました 富山大学の紺野勝弘先生に深く感謝申し上げます.
文献
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( 橋本 勝 ,弘前大学農学生命科学部)
プロフィル
橋 本 勝(Masaru HASHIMOTO)
<略歴>1985 年北海道大学理学部化学科 卒業/1989 年日本学術振興会特別研究員
(北海道大学白濱研究室)/1990 年 3 月北海 道大学大学院理学研究科博士後期課程修 了,理学博士取得/同年 4 月相模中央化学 研究所嘱託研究員/1997 年米国コロンビ ア大学化学科博士研究員(中西香爾研究 室)/1998 年弘前大学助教授(農学生命科 学部)/2005 年同大学教授(農学生命科学 部)<研究テーマと抱負>天然物有機化 学,生物の不思議を分子の言葉で説明でき ることを目標にしています.天然物の構造 多様性にロマンを感じます<趣味>わけの わからない NMR スペクトルをああでもな いこうでもないと独り言を言いながら眺め ること