化学と生物 Vol. 50, No. 1, 2012 11
今日の話題
られる現象である.このことから,mRNA輸送体が多 様化することによってmRNA 成熟ネットワークが形成 され,機能分化した細胞ごとに巧妙かつ微細な遺伝子発 現の制御ができるようになり,生物の複雑さを許容する 原動力の一つとして寄与した可能性が考えられる.今 後,他の多様化したmRNA輸送体の独自機能やこれら の輸送体間のネットワークを明らかにしていくことで,
この問いに答えの出せることを期待している.また,今 回見いだしたAREX複合体はがん細胞で高発現してお り,生物進化だけでなく細胞増殖や発がんなどの様々な 生命現象に重要な知見を提供できる研究対象であるの で,こちらの機能解析も楽しみにしている.
1) G. Orphanides & D. Reinberg : , 108, 439 (2002).
2) A. Kohler & E. Hurt : , 8, 761
(2007).
3) R. Reed & E. Hurt : , 108, 523 (2002).
4) S. Komili & P. A. Silver : , 9, 38
(2008).
5) M. B. Fasken & A. H. Corbett : , 6, 237 (2009).
6) T. Yamazaki : , 21, 2953 (2010).
7) F. Kapadia, A. Pryor, T. H. Chang & L. F. Johnson : , 384, 37 (2006).
8) A. Pryor, L. Tung, Z. Yang, F. Kapadia, T. H. Chang &
L. F. Johnson : , 32, 1857 (2004).
9) S. Masuda, R. Das, H. Cheng, E. Hurt, N. Dorman & R.
Reed : , 19, 1512(2005).
(山崎智弘
*
1,増田誠司*
2,*
1ハーバード大学医学系研 究院,*
2京都大学大学院生命科学研究科)酸素分圧の変化をモニターするインスリン様成長因子システム
酸素分圧の変化を胚の発育速度の調節につなげるしくみ
酸素は,すべての動物細胞において細胞内で化学エネ ルギーを効率的に産生するために欠くことができない分 子である.したがって,生体あるいは細胞を取り巻く環 境中の酸素分圧は,多くの生命現象に影響を与える重要 な環境要因の一つといえる.ヒトでは,低酸素が低栄養 とともに発育遅滞の主要因であることはよく知られてお り,初期胚の周りの酸素分圧がどのように発生速度に影 響するかについて,鋭意研究が進められてきた.筆者ら の研究グループでも,発生速度が速く,遺伝子導入や胚 体操作も容易で,何よりも体外発生であるため母体の干 渉を受けず胚発生が容易に観察・評価できるゼブラ フィッシュ胚を用いて,酸素分圧の変化に応じて起こる 発生速度の変動の分子機構を調べている.この過程で,
酸素分圧の変化が細胞内外の様々な因子の変動を介し て,成長因子のひとつインスリン様成長因子(IGF)の 細胞内シグナルを調節し,胚の成長速度が変化すること が明らかとなった.ここでは,筆者らの研究成果を中心 に,IGFシステムを介した酸素分圧と胚成長速度の連携 機構について紹介したい.
IGFはその名が示す通り,インスリンと構造上相同性 の高いペプチドホルモンで,IGF-IとIGF-IIの2種類の 分子種が存在する.IGFの生理活性発現は,IGFが標的 細胞の細胞膜に存在するIGF-I受容体に結合し,受容体 が内蔵するチロシンキナーゼを活性化することに始ま る.これを引き金として,下流のホスファチジルイノシ
ト ー ル 3-キ ナ ー ゼ (PI3K) 経 路 やmitogen-activated protein kinase (MAPK) 経路などにシグナルが流れ,
種々の細胞の増殖や分化の誘導,細胞死の抑制など広範 な生理活性を発現する.その結果,個体レベルでは,発 生や発達,成長や成熟,タンパク質代謝をはじめとした 物質代謝,そして老化を制御する.このように,IGFは 動物の一生にわたって同化反応の促進に重要な役割を果 たしている.
IGFには6種類の特異的結合タンパク質 (IGFBP) が 存在し,体液中ではほとんどのIGFはIGFBPと結合し ている.IGFBPは,体液中のIGFの寿命や生理活性,
さらに局所でIGF活性を調節する.特に標的細胞周辺の IGFBP-1は,IGFが標的細胞のIGF-I受容体と結合する のを競合的に阻害し,IGF活性を減弱させることが知ら れている.さらに,IGFの細胞内シグナルも,他の細胞 外因子のシグナル経路と相互作用し,その結果,IGF活 性が増強あるいは抑制される.
上記のように,IGFは正常な発生や胎児発育に必要で あるが,近年になり,外環境の酸素分圧の低下で惹起さ れる子宮内胎児発育遅滞 (IUGR) とIGFシステムとの 間に密接な関係のあることがわかってきた.すなわち,
低酸素状態に応答して起こるIUGRの胎児血清中には,
IGF活性を強く抑制するIGFBPであるIGFBP-1が顕著 に増加することが報告された.『胚発育の遅滞』という 表現型や『IGBP-1の発現上昇』はヒト,マウス,ゼブ
化学と生物 Vol. 50, No. 1, 2012
12
今日の話題
ラフィッシュの胚で共通の低酸素に対する応答であり,
このことは脊椎動物間で保存された低酸素環境下におけ る胚の発育制御機構と,そのことに対するIGFシステム の関与を示唆している.筆者らは,ゼブラフィッシュ胚 を用いて,この分子機構とその生物学的意義を検討し
た(1, 2).その結果,転写制御因子である低酸素誘導因子
(HIF) がIGFBP-1の遺伝子発現を促進することが明ら かとなった.HIFは,酸素分圧の低下によりその量が増 加する分子であり,細胞の酸素分圧感知のマスターレ ギュレーターである.同時に筆者らは,低酸素状態で IGFBP-1に特徴的なリン酸化修飾が起こることも発見し た.アミノ酸欠乏下でもIGFBP-1が発現し一部のアミ ノ酸残基がリン酸化修飾を受けるが,低酸素条件下で産 生 さ れ たIGFBP-1と ア ミ ノ 酸 欠 乏 下 で 産 生 さ れ た IGFBP-1とでは異なるアミノ酸残基にリン酸化修飾が起 こる(3).そして低酸素条件下で産生されたリン酸化 IGFBP-1はIGFとIGF-I 受容体との結合をより強く阻害 することもわかってきた.
以上の事実を考え合わせ,「酸素分圧の低下を感知し て増加するHIFがIGFBP-1遺伝子の転写を促進する⇒
これを反映して合成が増加したIGFBP-1がリン酸化の 翻訳後修飾を受けてIGFとさらに強く結合し,IGFと IGF-I受容体の結合を強力に阻害する⇒これを反映して IGF細胞内シグナルが抑制され胚発育が遅滞する」とい
うメカニズムが稼働していると筆者らは結論した.IGF の細胞内シグナルやHIFが結合するDNA配列はヒトと ゼブラフィッシュを比較してもよく保存されていること から,上述の機構は脊椎動物胚の低酸素環境下における 発育速度調節に共通するものと思われる.IGFシステム を介してIUGRをひき起こすことの生理的意義は,発生 や成長に費やされる細胞のエネルギー消費を抑え,低酸 素という過酷な環境をやり過ごす,初期胚にとっての一 種の適応戦略と考えるとよく説明ができる(図
1
-中央).では,低酸素状態で発育が遅滞した胚を再び常酸素状 態に戻すと,その後の発育はどうなるだろうか? 低酸 素で発育遅滞に陥ったゼブラフィッシュ胚を再び常酸素 環境に移し, 胚発育を追跡したところ, 興味深いことに,
低酸素状態で発育が遅滞していた胚は常酸素状態に戻す と明らかな加速成長を示し,短期間のうちに低酸素処理 をしていない胚の発育度に追いつく,いわゆる『catch- up growth(追いつき成長)』が起こることを発見し た(4).追いつき成長におけるIGFシステムの役割を検討 するため,IGF-I受容体を阻害したところ,常酸素状態 への復帰に伴う発育の加速が観察されなくなり,追いつ き成長にはIGFシグナルが必要であることがわかった.
さらに詳しくIGFシステムの変動を調べたところ,追 いつき成長が起こっている期間では,常に常酸素状態に 置かれていた胚と比べてIGFリガンドやIGFBPなどの 図1■ゼブラフィッシュ胚を用いた研究から想定される異なる酸素分圧下に応答したIGFシグナルと発育速度の調節
線幅の大きさは各シグナルの強度を示し,矢頭の大きさは各シグナルの発育促進にとっての重要度を示している.破線で囲う部位は特に酸 素分圧の変化をIGFシステムに反映させる上で重要と考えられる.
化学と生物 Vol. 50, No. 1, 2012 13
今日の話題
発現には大きな差異が観察されなかった.これに対し て,胚を低酸素から常酸素へ移行すると,IGF-I受容体 からMAPK経路へ流れるシグナが増加していた.同時 に,追いつき成長を示す胚では,常に常酸素状態で成育 している胚と同じ強度のシグナルがMAPK経路に流れ ても,より強く発育促進が起こる,言い換えれば,低酸 素から常酸素への移行により,胚発育におけるIGF-I受 容体‒MAPK経路の重要性が増すこともわかった(図1- 右).興味深いことに,この際,MAPK経路と異なり,
いずれの胚のPI3K経路にも同じ強度のIGFシグナルが 伝達されており,このシグナルは等しく発生速度の維持 に重要であった.酸素分圧の低い状態から常酸素条件に 移行する際に,具体的にどのような分子(群)を介した 機構で,MAPK経路特異的にIGFに対する応答性の増 強が起こり,追いつき成長が誘導されるのかは,今後の 課題である.
ここまで,IGFシステムを介した酸素分圧と胚成長速 度の連携機構について筆者らの知見を中心に紹介してき たが,酸素分圧の変化は,当然,他の機構を介して細胞 の代謝や応答に様々な影響を与えている.たとえば,低 酸素状態が長期間持続すると細胞のエネルギー状態は変 化し,細胞内の化学エネルギーの貯蔵分子であるATP やNADレベルの変動を介して,AMPキナーゼや脱ア セチル化酵素のSirtuinなどの量や活性が変動する.こ れらはヒストンなどのクロマチン関連分子の修飾をひき 起こすことも報告されていることから,酸素分圧の変化 は,細胞核内でクロマチンの構造も大きく変化させ,代 謝系酵素や成長因子の生理活性を仲介するタンパク質な どの遺伝子発現パターンに影響することは容易に予想で きる.また,低酸素から常酸素への移行による酸素分圧 の急激な上昇は活性酸素の産生を促進し,IGFを含む成 長因子の細胞内シグナル伝達や種々の代謝酵素活性を修 飾することも報告されている(5).このように,酸素分圧
の変化によってひき起こされる多くの細胞内変化は,ま だまだ明らかとなっていない分子機構で,IGFシステム のみならず広範な情報伝達系や遺伝子発現に影響を与え 代謝系を制御することによって,合目的的な胚発育の調 節が可能となると考えられる.
ヒトでは,低酸素や低栄養によりIUGRとなった胎児 が出生後追いつき成長を達成した際に,神経発達や代謝 系などに「目に見えにくい」生理機能の変化が起こり,
成人期・老齢期に生活習慣病発症のリスクが高まること が報告されている(6).このことは,酸素分圧の大きな変 化を経験するという履歴が,IGFシグナルの変化だけで なく,初期発生の過程以降にも影響するエピジェネ ティックな変化をもたらしている可能性を強く示してい る.ゼブラフィッシュをはじめ小型魚類の実験手技は現 在も進歩を続けており,これらの研究にも十分利用でき そうである.今後,この実験系と哺乳類の実験系を併用 しながら,酸素分圧をはじめ胚を取り巻く様々な後天的 な要因が,胚発育の『速度』だけでなく,将来の個体の 表現型を規定する胚の『質』を変化させる分子機構に 迫っていきたいと考えている.
1) S. Kajimura , K. Aida & C. Duan : , 102, 1240 (2005).
2) S. Kajimura , K. Aida & C. Duan : , 26, 1142 (2006).
3) M. D. Seferovic, R. Ali, H. Kamei, S. Liu, J. M. Khosravi, S. Nazarian, V. K. M. Han, C. Duan & M. B. Gupta :
, 150, 220 (2009).
4) H. Kamei, Y. Ding, S. Kajimura, M. Wells, P. Chiang & C.
Duan : , 138, 777 (2011).
5) Y. Li, W. Xu, M. W. McBurney & V. D. Longo : , 8, 38 (2008).
6) P. Saenger, P. Czernichow, I. Hughes & E. O.
Reiter : , 28, 219 (2007).
(亀井宏泰
*
1, 2,梶村真吾*
1,Cunming Duan*
1,高橋伸 一郎*
2,*
1Department of Molecular, Cellular and Devel- opmental Biology, University of Michigan,*
2東京大学大 学院農学生命科学研究科)マイクロバブルの農業・食品分野での利用の可能性
効率の良い殺菌や植物の生育促進に効果
工業分野で用いられてきたマイクロバブル (MB) が,
工業分野以外でも利用され始めている.MBとは,直径 が50
μ
m以下の微小な気泡のことであり,OHラジカル の発生,負の帯電特性などの様々な特殊な性質を有することから,農業および食品分野においても,その利用が 注目されている.水槽などで日常見かける,エアーポン プなどの散気管を用いて発生させる気泡(ミリバブル
(MM))の直径は2 〜 3 mmとMBよりも大きく,強い