化学と生物 Vol. 50, No. 9, 2012 631
今日の話題
運動学習の記憶を長持ちさせるのに , 適度の休憩をとることが大事なのはなぜか
運動記憶の固定化の脳機構
“Practice makes perfect” という英語のことわざがあ る.「継続は力なり」と訳されている.このことわざの 意味するところは,一夜漬けでまとめて学習をするより も,少しずつコツコツと学習するほうが,学習によって できる記憶がより長く続くということである(図1). この現象は19世紀より知られており,心理学では分散 効果 (Spacing Effect) と呼ばれる(1).分散効果は,エ ピソードや意味に関する記憶(陳述記憶)にも運動学習 の記憶である運動記憶にもあるが,そのもとになる生物 学的メカニズムについては,昆虫などの無脊椎動物の運 動学習を除くと,ほとんど研究されてこなかった.筆者 はこれまで,マウス,ウサギとサルの眼球運動を用い て,小脳による運動学習の脳メカニズムを研究してきた が,最近,分散効果を用いた実験プロトコールを開発 し,運動学習を効率よく行うことに成功した.これを用 いて分散効果のもとになるメカニズムを調べたが,記憶 の原因となるシナプス伝達の可塑性の生じる部位が,神 経回路上を移動することがその原因の一つであることを 突き止めた.さらに脳の神経細胞で作られる未知のタン パク質と,休憩時の神経細胞の電気活動が,それに必要 であるという新しい知見を得た(2, 3).
運動学習の実験モデルとして,視機性眼球反応 (Op- tokinetic response, OKR) の適応パラダイムがある(4). OKRとは,外界が動いたとき,その動きを補償するよ うに生じる眼球反射であり,ヒトでは,電車の中でぼん やりと車窓から外の景色を眺めるときなどに観察するこ とができる.実験室では,動物のまわりにチェックやス トライプの模様のドラムをおき,それをゆっくりと正弦 波状に回転することで,OKRを誘発する.誘発された 眼球運動を,テレビカメラなどで記録する.OKRが誘 発されて眼が動いても,ドラムの動きが速いときには,
眼がドラムの動きに十分には追従できず,外界がぶれて 見え,反射に一種のエラーが生じる.OKRが誘発され たときにこのエラーが十分生じるような状況が持続する と,適応が生じ,OKRの効率(ゲイン)が増加する.
OKRの神経回路はすでに同定されており,副視索路,
小脳核,小脳皮質の片葉と外眼筋運動神経核からなる
(図2).
まず,分散効果を用いてマウスのOKRの適応のプロ トコールを開発した.800周期のドラムの回転を1時間 集中的に行った(集中練習)ときと,同じ回転数の練習 を30分〜 1時間の間隔(休憩)を与えながら2.5 〜 4時 間かけて行ったとき(分散練習)で,適応によるゲイン の増加を調べた.適応によって生じたゲインの増加は集 中練習と分散練習で差はないが,集中練習によるゲイン
図1■分散効果
図2■OKRの神経回路
集中練習と分散学練習により生じた適応の記憶痕跡の場は,それ ぞれ小脳皮質と小脳核である.小脳核の長く持続する記憶痕跡の 形成には,小脳皮質のプルキンエ細胞と呼ばれる神経細胞で作ら れるタンパク質と,細胞自身の電気活動が重要である.
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の増加は24時間で回復するにもかかわらず,分散練習 によるゲインの増加は24時間以上持続した.
記憶を作り出す神経活動の変化は,記憶痕跡 (Memo- ry Trace) と呼ばれる.新たに開発したプロトコールで 生じたゲインの適応の記憶痕跡が,図2の神経回路のど こにあるかを調べるために,局所麻酔剤(リドカイン)
による神経活動遮断の実験を行った.もし遮断した部位 に適応の記憶痕跡があるならば,適応で生じたゲインの 増加は消えるはずであり,そうでないならば,出力遮断 した部位には記憶痕跡はないことになる.適応が生じた 直後に小脳皮質を遮断すると,集中練習によって生じた ゲインの増加は直ちに消えたが,分散練習で生じたゲイ ンの増加は全く変化しなかった.このことは,集中練習 によってできた適応の記憶痕跡は小脳皮質にあるが,分 散練習によってできた適応の記憶痕跡は小脳皮質にはな いことを意味する.先行研究は,1日1時間の集中練習 を4日続けて生じた適応の記憶痕跡は小脳核にでき,か つこの記憶痕跡は数日以上残ることを示している.した がって,4時間の分散練習による適応の記憶痕跡も小脳 核にある可能性が高い.すなわち1時間の集中訓練で は,適応の記憶痕跡は小脳皮質にできるが,休憩を入れ て分散訓練をすると,4時間以内に適応の記憶痕跡が,
神経のつなぎ目であるシナプスを超えて小脳核にできる ことになる.この現象を,記憶痕跡のシナプス間移動と 呼ぶが,これが,運動学習における分散効果の原因であ ることが初めてわかったのである(図2).
1970年代からラットの迷路学習と薬物を用いた実験 により,タンパク質の合成は,短期の記憶には必要でな いが,長期の記憶には必要であるとされている(1).しか しながら,運動学習については今まで調べられてこな かった.そこで,この分散練習によってできる長期の適 応に,タンパク質合成が関係するかどうかを,タンパク 合成阻害剤を用いて調べた.タンパク合成阻害剤は集中
練習による適応には影響しなかったが,分散練習による 適応を抑制した(2).次に,記憶と睡眠との関係を調べ た.分散練習終了直後に,毎回ムシモールという薬物を 用いて神経活動を強制的に止めたところ,記憶痕跡のシ ナプス間移動によって生じる長期間持続するゲインの増 加は起こらなかった(5).海馬が関係する陳述記憶では,
睡眠,特にREM期と呼ばれる時期の睡眠が記憶の形成 に重要であるが,小脳が関係する運動記憶では,練習直 後に休憩をとり適度の神経活動を維持することが必要で あるが,積極的に睡眠をとって神経活動を休ませるのは よくないことになる.
このように,練習中に小脳皮質で新たに作られるタン パク質と,練習終了後の数時間の小脳皮質の神経細胞の 活動を維持することが,小脳皮質から小脳核への記憶痕 跡の移動を促進することがわかった.小脳皮質の出力細 胞であるプルキンエ細胞の軸索突起の長さは,マウスで は2 mm程度であり,かつこの細胞は毎秒50発以上の高 頻度で自発的にスパイクを発火するのが特徴である.神 経細胞はスパイク発火を生じると,伝達物質を軸索終末 より放出することによりシナプス後細胞に情報を伝え る.このことから,練習中にプルキンエ細胞で新たに作 られたタンパク質が,速い (1 mm/h) 神経軸索流に よって軸索終末に送られ,そこで神経伝達物質ととも に,シナプス後側の小脳核に放出されることが,小脳核 で長期の適応の記憶痕跡が形成されるのに重要である と,筆者は推定している(図2).このタンパク質が何 であるかが興味深く思われる.
1) L. R. Squire & E. R. Kandel :“Memory from mind to mol- ecules,” Henry Holt and Company, New York, 1999.
2) T. Okamoto : ,31, 8958 (2011).
3) 永雄総一:生体の科学,63, 34 (2012).
4) 永雄総一,北澤宏理: , 60, 783 (2008).
5) T. Okamoto : , 504, 53 (2011).
(永雄総一,理化学研究所脳科学研究センター)