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市民運動を記録する営み 記憶(運動経験)を継承する

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はじめに 日本の近現代史の一角には、権力によらず、既存組織 とも無関係に、人々が個々の自主的・自律的な判断と意 志に基づき、社会の問題や矛盾に声を上げ、その解決へ とたたかう活動が、個人や一地域におけるささやかな動 き か ら、 他 者 を 巻 き 込 み 大 き な う ね り と な っ た も の ま で、いわゆる市民運動の系譜として存在している。それ ら は、 当 事 者 に よ る 主 体 的 で 責 任 あ る 行 為 を 基 盤 と し、 解決への模索を通して社会のあり方を問いかけ、その内 部に個々の人間的成長と目的集団としての発展、問題解 決に必要な方法や理論の開発などを擁して展開されてい る。 そ の 意 味 で、 「 下 」 か ら の 社 会 変 革 と 新 た な 文 化 創 出の試みともいえ、活動内容はもちろん、それらが放っ たメッセージや及ぼした社会的な影響には、市民社会の 進展に重要な手がかりが含まれている。 しかしながらこうした動きは、独立した自由なもので あるがゆえに、存在自体や活動実態を知らせ伝える術を もたぬまま、人びとの記憶にとどまることなく、忘れ去 られていく場合も少なくない。歴史とは、時代を生き社 会を構成する者たちの経験を紡ぎ、つづく世代の経験を さ ら に 紡 い で、 何 層 に も 何 重 に も わ た っ て 織 り な さ れ、 受け継がれていく、社会の記憶といえるだろう。通史に 収められる事件 ・ 出来事や国家 ・ 権力の趨勢のみならず、 たとえ一時であれ、生まれるべくして生まれ存在意義を 放った、市井の人びとの思想や行動もまた、歴史を構成 するかけがえのない要素である。それらを過去に置き去 りにせず、未来へ開かれたものにすることは、歴史とは

市民運動を記録する営み

社会文化研究・第 18 号

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誰がつくり誰のためのものかという本質的な問いにつな が る 重 要 な 課 題 で あ る。 そ し て そ れ を 可 能 に す る の は、 市民自らの手による文化創造(社会文化)の試みにほか なるまい。 本稿では、意識的な記録化なしには歴史に埋もれかね ない市民運動について、その軌跡を記録し社会の記憶と していくための条件や方法について検討し、記録という 営みがもつ市民運動としての側面と社会文化としての可 能性を明らかにしたい。 検討するのは、運動資料(記録)の保存と公開の問題 と、記録を媒介にした経験の継承の問題である。前者に ついては、記録を保存し活用につなげる役割を誰が担う かに論点を置き、後者については、運動を記録する側と その記録を活用する側の具体例を、東京都練馬区で市民 の立場からまちづくりを志向した「練馬母親連絡会」と 同会が残した記録をもとに地域史をつづる「練馬女性史 を拓く会」にとり考察する。この二つの会を事例とする のは、いずれも、記録することを重視し、しかもその記 録を通して地域で記憶をつなげる活動をしている点、そ して筆者自身が練馬の住民としてそこに関係している点 で、より実態に即した考察が可能であるからである。 市民運動の軌跡を伝えようとする試みは、単に事実を 見える形で残すだけではなく、その事実に触れた者がそ こから何を読み取り、何を受け継ぐかまでをも想定した 幅と深みをもったものになるはずである。本稿では、そ れを、記録を守り活用へつなげる仕組みと、記録を通し て運動の経験を伝えて行く市民の実践に確かめたい。   一   市民運動の資料と保存・公開    ―記憶を記録し、伝えるために― ⑴市民運動の資料の三つの層 本稿では、市民運動の資料を、運動の当事者や関係者 による運動の記憶の記録ととらえ る ( 1 ) 。これは、記憶と記 録の主体や対象等により、以下の三つの層からなると考 えられる。 一つは、運動を展開していくなかで、必要や状況に応 じて書き留めたり、印刷して発行したり、音声や映像に 収めたりして、運動を当事者のレベルから記録した資料 である。これは、運動の展開とともに積み重ねられてい

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くもので、当事者のそのときどきの記憶を封じ込める形 で記録した資料といえる。 二つ目は、必要な知識や情報を得たり、何かの参考に 用いたり、たたき台や学習の材料に利用するなど、運動 を進めるうえで依拠する形で使われる資料である。これ らは、当事者が自ら生み出したものではなく、他者の手 に よ る も の で あ る。 だ が 運 動 に 必 要 で あ る か ら 用 い ら れ、その時点での運動を構成する一部をなし、運動がど のようなもので、どのように進められたかを物語る役割 をもっている。その意味で、運動の記憶を間接的に記録 した資料といえるだろう。 さらに、当事者以外で運動に関心をもつ者が、上述の 記録資料等を活用しながら、運動の記憶を新たに記録化 した資料がある。それは、上の資料が運動のそれぞれの 場面を断片的に語るものであるのに対して、運動の特定 の部分や全体を関連づけてまとめたり、運動を客観的に 分析・評価したりする形で、運動を説明し紹介する意味 をもつもので、運動を一般に知らしめ、運動への理解を 広げていくうえで、有益な資料となる。 長年、市民の自主的な活動の資料研究に携わってきた 平川の「市民活動資料」の分類に従えば、上の一つ目の 当 事 者 の レ ベ ル か ら の 記 録 は、 「 市 民 活 動 の な か で 生 み 出された資料」 、二つ目の間接的な記録は、 「市民活動の なかで集められた資料」にあてはまり、三つ目の記録を 活 用 し て 新 た に 生 み 出 さ れ て い く 記 録 は、 「 市 民 活 動 に 役 立 つ 資 料 」 と い え る。 そ し て そ れ ら を 構 成 す る の は、 紙 資 料( 印 刷 物、 文 書 な ど )、 音 声 資 料( 録 音 テ ー プ )、 映 像 資 料( 写 真、 ビ デ オ テ ー プ、 映 画 フ ィ ル ム な ど )、 マイクロ資料、 電子資料 ( CD-ROM 、DV D など) 、博物 (モ ノ)資料などであ る ( 2 ) 。 市民運動を伝えていくためには、これらの資料の存在 が大前提であることは言うまでもない。とりわけ「市民 活動のなかで生み出された資料」と「市民活動のなかで 集められた資料」が存在せずには、運動の記憶自体が存 在しないことに等しい。つまり当事者自らの記憶をとど めた記録と、他者の手によるものながら当事者の活動を 間接的に物語る(運動の過程を記憶させた)記録が、資 料として残らねばならないということである。これらが あったうえで、それに基づいた新たな記録化(=「市民 活動に役立つ資料」 の生産) が第三者によって行なわれ、

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記録を通した記憶の伝達がはかられるなかで、運動経験 を継いでいく営みが生まれてくるのである。 ⑵市民運動に関する記録と保存・活用の問題 このように市民運動の資料とは、運動自体から運動経 験の伝達までのなかで生み出され用いられ再生産される 形で生じる記録を言い、それらが保存され、活用に付さ れて、市民運動の軌跡が歴史に刻まれることが可能にな る。 しかしながら記録と保存が当然視される行政資料等と は異なり、市民運動においては、まずは当事者や関係者 による記録が残されるかどうか、さらに記録されたとし ても、それを資料として保存し活用に付す役割と責任を 誰が担うのかという問題がある。記録に残さなかったた めに、あるいは記録が保存されなかったために、人々の 記憶に残らぬまま消えた運動もあるだろう。記録化され た市民の記憶の資料的価値を認めて、収集・保存のルー トを確立させ、公開・活用の術や倫理をつくり出すこと が、社会に関与し歴史に参加した市民の足跡を、個人や 特定の集団内の記憶から社会の記憶へと広げ、時代を超 えて学び語り継ぐものとするために不可欠である。 当然ながら、運動の渦中にいる者にとっては、運動を いかに有効に展開するかが優先され、活動と並行してそ のすべてを記録していくのは難しい。だが出来事や確認 事項を書きとめ、意見や感想を文章にするといった作業 は、 多かれ少なかれいずれの運動にもともなってこよう。 また運動の過程で用いられる参考資料や関連資料は、そ の内容とそれを用いた事実において、運動の進行状況や 課題への取り組み状況を物語る記録となる。したがって 運動が記録を残さぬまま忘れ去られるというより、記録 していても、記録の意義や資料としての価値が理解され ぬために、整理も保管も十分に行なわれず、結果として 記録が残らないというのが正確なところだろう。また保 管されたとしても、それが当事者や関係者の個人的な努 力にとどまる限り、公開や活用にはつながらず、ひとた び保管が困難な状況に陥れば、散逸・消失の憂き目にあ う。 このように市民運動においては、記録することも、そ れを保管することも、当事者や関係者の自由と努力に任 されており、そのことが運動の記録を残すことの難しさ

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につながっている。 そこで市民運動の独自性を損ねせず、 しかも個人的努力にすがるのでもなく、記録資料を保存 し、活用に結びつける仕組みが必要になる。そしてその 仕組みを担う組織としてアーカイブズ機関の存在が重要 になるのである。 もちろん運動資料の場合、行政資料が公文書館等の公 的機関での保存が原則であるのに対して、どこが収集し 保存するかに定まったルールはない。運動体が組織力や 資力をもち自ら保存し公開していくのが最善だが、すべ ての運動体にその力量や余裕があるわけではない。それ ゆえに、公か民間かを問わず、資料の価値を適切に認め たうえで、収集や保存や公開に責任を負い、市民運動が 残した記録を「開かれた資料」として活用できるように 公開する、記録の媒体となるアーカイブズ機関の存在が 求められるのである。 ⑶アーカイブズ機関の役割 この保存 ・ 公開に関わるアーカイブズ機関については、 本 誌 掲 載 の 平 野 論 文 が 分 類 と 事 例 を 紹 介 し て い る の で、 参照された い ( 3 ) 。ここでは、その論文で平野が提示してい る運動記録の保存・公開の「理念型」に注目し、アーカ イブズ機関の役割を考えよう。 平野によれば、運動記録は運動体自らが保存・公開す るのが理想だが、それが難しい現実においては、次のよ うなあり方が考えられる。 つまり組織力のある運動体は、 できるだけ自ら保存や公開に努める。アーカイブズ機関 は、運動当事者との取り決めのなかで、運動記録の管理 をサポートし、運動体で管理できなくなったものについ ては管理を引き受け、可能なものは公開する。そのうえ で終了した運動の記録に関しては、運動記録専門機関を はじめ、運動の地元の図書館や博物館や研究機関の資料 センターが受け入れ公開していく。近年は公文書館も民 間資料を受け入れているので、そこにも方途を探り、所 蔵 情 報 は I C T 技 術 を 用 い て ネ ッ ト ワ ー ク 化 し て い く、 というものである。平野がこれを提示するのは、運動記 録の保存や公開に関わる経験をもつ者が増えれば、運動 記録の価値を知る者も増え、それによって運動記録も残 るようになり、多様な人が記録に触れ、運動については もちろん、記録の外にあるさまざまなことにも関心を広 げるようになる、そしてそこから社会を動かす契機も生

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まれうるという、運動記録がもつ可能性に期待するから であ る ( 4 ) 。 この指摘で筆者が想起するのが、鎌倉市中央図書館近 代史資料室に所蔵されている鎌倉アカデミア関係資料で ある。 鎌倉アカデミアとは、一九四六(昭和二一)年五月に 鎌倉市材木座の光明寺を仮校舎に鎌倉大学校の名で開校 し( 後 に 鎌 倉 ア カ デ ミ ア と 改 称 )、 産 業 科、 文 学 科、 演 劇 科 を 擁 し て( 後 に 映 画 科 も 設 置 )、 民 主 主 義 の 精 神 の もと、科学的な思考と自主性を重視する高いレベルの教 育を行なった学校であ る ( 5 ) 。財政難のなか四年半で閉校に 至ったとはいえ、学生の主体性を重んじた教育と民主的 な学校運営、教授陣と学生との自由で闊達な相互啓発と 知的交流は、その後も人びとの関心に訴え、教育と学問 の本質を追求した運動として、折々の教育課題に即して 再評価が繰り返されてきた。地域においては、一九七〇 年代半ばの「鎌倉・市民アカデミア」の誕生にも影響を 与え、近年では市民有志が毎年五月に「鎌倉アカデミア を伝える会」を開催し、その精神を伝えていくことに取 り組んでい る ( 6 ) 。 鎌倉アカデミア関係資料は、関係者や同窓会組織から 寄贈されたものをもとに、学校経営や教育活動に関する 資料、学生(卒業生)や教員に関係する資料、鎌倉アカ デミアについて記された資料などからなり、文書を中心 に、写真、映像、博物資料などで構成されている。図書 館側の理解と協力に支えられ、またボランティアの卒業 生の丁寧で献身的な資料整理によって、目録等を備えた 充実したコレクションをなし、調査研究や一般利用に供 され、鎌倉アカデミアの記憶に触れることを可能にして いる。公立図書館が地域の運動資料のアーカイブズ機関 の役割を果たしている見事な例といえよ う ( 7 ) 。 一方、市民運動資料の専門機関としては、平野がアー キビストとして勤務する立教大学共生社会研究センター を忘れてはなるまい。センターの詳細は平野論文の説明 に詳しいが、この機関は、運動資料を受け入れ公開する のみならず、それら資料の保存・公開に関する研究活動 の発信地として、市民運動の記憶を未来へとつなげるこ と に 貢 献 し て い る。 次 節 で 取 り 上 げ る「 練 馬 母 親 連 絡 会」の資料も、もともとは個人の保有物で、当センター が受け入れたものだが、センターが保存・公開を保障す

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る こ と で、 資 料 は 生 ・ き ・ 、「 練 馬 女 性 史 を 拓 く 会 」 を は じ めとしたその資料を用いたさまざまな研究活動を成り立 たせ、練馬母親連絡会の存在や運動を記憶として引き継 いでいくことを可能にさせている。 資料については運動体自らが保存・公開するのが最良 とはいえ、アーカイブズ機関がそれを助け、あるいは運 動体や個人に代わって、資料を整理し使えるようにする ことで、運動が残した記録は、より「開かれた資料」と なる。運動をどう伝えるかは、記録を読み取り新たな記 録化を試みる者の意図と手腕に任されているが、そうし た運動を伝える試み自体が、資料の保存と中立的な公開 があってこそ可能なのである。その意味でアーカイブズ 機関は、記録者と記録の使用者とを結びつける媒介役と な る。 記 録 者 の 活 動 の 成 果 を 消 す こ と な く 次 へ つ な げ、 その記録に近づこうとする者を記録の提供によって支え て、両者の記録を通した交流を可能にするという、資料 を過去から未来につなぐ役割を果すのである。 こうした役割を果す機関、もしくはそれに少しでも近 い場を増やしていくことが、市民運動の記憶を未来に手 渡していくために必要である。資料の受け入れに積極的 な公立図書館がそうあるわけではなく、共生社会研究セ ンターのような専門機関の存在も珍しい。また資料を適 切に整理し活用への橋渡しができる者が、継続して資料 管理にあたれるかどうかも難しい。 たまたま縁があって、 ある運動の記録は残り、 ある運動は縁も手段もないまま、 記録とともに消えていく、でよいはずはないのである。 この点に関しては、 二〇一四年四月にオープンした 「市 民アーカイブ多摩」に、 一つの希望と展望を見出したい。 市民アーカイブ多摩は、東京都立多摩社会教育会館の閉 館(二〇〇二年)により行き場のなくなった市民活動資 料を守るための運動のなかでつくり出され、市民の手で 運営されているアーカイブズ機関であ る ( 8 ) 。これが市民運 動によって生まれ、市民運動のなかで成長していること に、 記 録 資 料 の 価 値 を 知 る 者 た ち の 連 帯 と 協 力 の 輪 が、 さまざまな発想や工夫を生み出し、自らの手で独自の道 を拓きながら、新しい価値観を社会のなかに広げている ことを感じ取れるからである。平野が指摘した運動記録 の可能性を予感させる例といえるのではないだろうか。 次に、こうした保存・公開の仕組みに支えられて、記 録 を 通 し た 運 動 経 験 の 継 承 を 試 み て い る 例 を み て い こ

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う。 二   記録を通した運動経験の継承    ―練馬の女性たちの運動を事例として― ⑴練馬母親連絡会の記録活動   ―実践を記録し後へ残す― 練馬母親連絡会は、一九五七(昭和三二)年秋に、第 三回日本母親大会(一九五七年八月三 ~ 五日開催)の報 告会を練馬で開催したのをきっかけに、練馬で活動する 女性たちの連絡 ・ 交流をはかることを目的として発足し、 その後半世紀近くにわたって、練馬の女性団体や個人を 緩やかにつなぎ、それらの交流・学習・行動を実現させ ながら、生活や政治や社会にかかわるさまざまな問題の 解決に取り組んだ組織である。 発足直後より同会は、教員の勤務評定(勤評)反対闘 争、警察官職務執行法(警職法)改定反対運動、社会教 育法の改定に反対する運動、 その後の高校増設運動や 「子 どもを小児マヒから守る運動」など、子どもや教育の問 題をめぐって巻き起こった国民運動の練馬における担い 手となった。一九六〇年代後半より市民運動・住民運動 が急激な経済成長と都市化がもたらす問題に対峙して噴 出すると、練馬の女性たちのさまざまな活動やグループ の結節点となって、問題の改善や解決をめざす力強い動 きを形成した。そのなかで練馬母親連絡会は、毎月の例 会での情報交換、議論、他団体との連絡調整といった活 動に加えて、事務局を務めた林 光 ( 9 ) の自宅を拠点に、問題 解決を共に探り行動へ発展させていく、女性たちの運動 のセンター的な機能もみせ、 教育、 文化、 消費者、 福祉、 環境、都市計画、平和、女性問題などの課題に学習・交 流を通して取り組み、個々の市民意識の形成にも影響を 与える運動体となっていっ た )(1 ( 。 こうした活動を通じて、練馬母親連絡会は多くの記録 を 残 し て い る。 会 で は、 『 練 馬 母 親 ニ ュ ー ス 』 を 三 回、 その後一九七六年三月から『豆ニュース』という通信を 毎 月 一 回 発 行 し た。 『 豆 ニ ュ ー ス 』 に は、 練 馬 母 親 連 絡 会および関係団体や個人の活動報告、呼びかけ、情報な どを通して、その時々の問題に取り組む女性たちの姿が 生き生きと記録されている。この編集・発行には会の関 係者が交替であたり、二〇〇〇年三月の第二六四号まで

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発行された。他にも、練馬母親連絡会名や個人・団体名 で行政に提出された陳情書や要望書、学習会の資料、各 種行事のチラシ・パンフレットなど、その軌跡を物語る 記録は膨大な数にのぼる。それらは林光によって保管さ れ、林の死後、埼玉大学共生社会教育研究センターに寄 贈され、現在は立教大学共生社会研究センターに移管さ れて、練馬母親連絡会資料として保存 ・ 公開されている。 記録資料のなかでも通信(とくに『豆ニュース』 )は、 会にかかわる者たちが、活動や出来事を報告したり、地 域や政治社会の問題に意見や考えを述べたり、情報を交 換したりするために、 その都度書きとどめた記録である。 体験したことや考えたことを忘れぬように文字化したも のだが、そこに閉じ込められた当時の記憶に近づくこと を可能にする歴史的な資料である。おそらく通信を書き 発行していた当時、本人たちには活動を記録していると いう意識などなかったであろう。多様なグループと個人 が交わる組織では、情報を共有するうえで、何かあれば 書 い て 記 事 に す る の は 当 た り 前 の こ と で あ っ た は ず だ。 出来事や思いを書き記す活動は、記録化という意識も意 図も特段になく、会の日常的な営みであったといえる。 また記録することは、学習活動でもあった。書くこと 自体が自分の考えを文字に移しまとめる学習であり、書 かれたものを読むことで他者の体験に触れて知らないこ とを学びとる。さらに通信に誰が何を書くかを決め、編 集し、発行し、関係者に送付する作業も、話し合いや協 力、工夫や模索という学習を通じて行なわれた。毎月の 例会は、通信をテキストにして懇談し議論が交わされた という。まさに学習会であった。記録することを通した 学習が存在し、記録が学習のためのメディアとして機能 した。 さらに、通信が歴史的な資料であるとは、後の世代が そ れ を 通 し て 当 時 を 知 る こ と が で き る か ら だ け で な く、 会が自らの活動の軌跡を振り返り必要な情報を得るうえ での情報源となった点にもある。練馬母親連絡会発足満 四〇年と『豆ニュース』発行満二〇年を記念して林光編 『練馬の主婦たちの歩み/略年表』 (一九九七年)が発行 されているが、この年表作成に用いられた最も有効な資 料の一つが、通信『豆ニュース』であった。年表づくり は林の個人的な作業として行なわれたものの、分類別の 項目の点検や原案については、その分野で活動した会員

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の協力を得ている。通信の記事に過去の活動の詳細を確 かめながら、年表がつくられ、その年表は今また、練馬 母 親 連 絡 会 を 知 ろ う と す る 者 た ち の 情 報 源 と な っ て い る。 加えて言えば、陳情書や要望書等の行政に提出した文 書は、自分の考えや意見を記録したものであり、同時に 責任をもってそれを表明したことの記録である。こうし た文書の作成や提出も、会での議論や校閲作業も含めた 学習のなかで行なわれたはずである。 このように練馬母親連絡会の活動に存在した記録とい う営みは、出来事や事実、時々の感想や意見を書き留め る こ と で、 活 動 の 軌 跡 を 記 憶 と し て 残 し た の み な ら ず、 学 び 合 い や 交 流 や 協 力 に つ な が る 機 会 や 場 を つ く り 出 し、そこに集う者たちの気づきや考え・行動の変化、さ らに練馬母親連絡会として、また個人として、どう社会 とかかわるかの模索にも関係する内実を備えていた。そ してこの営みのなかで形をなしたものが、林光の努力と 立教大学共生社会研究センターの力添えのうえに練馬母 親 連 絡 会 資 料 と な っ て、 後 の 世 代 に つ な が る 可 能 性 を もったのである。 ⑵練馬女性史を拓く会の記録活動   ―記録に学び、新たに記録し伝える― 練馬母親連絡会の記録に学ぶ活動を地域で行なってい るのが、練馬女性史を拓く会である。 練馬女性史を拓く会は、一九九六年から一九九七年に かけて行なわれた練馬区教育委員会主催の人権講座「女 性史を拓く―従軍慰安婦」 (全一〇回、講師・鈴木裕子) の終了後(一九九七年二月)に結成された自主グループ で あ る。 当 初 は 練 馬 区 在 住 の 女 性 た ち の 聞 き 取 り を 行 なっていたが、二〇〇〇年九月に女性史研究家の折井美 耶子を講師に迎えて開催された講座「娘に伝える母の歴 史 」( 練 馬 区 教 育 委 員 会 主 催、 全 七 回 ) を 機 に 編 集 作 業 を軌道に乗せ、記録誌の作成や調査研究、そして執筆へ と 活 動 の 幅 を 広 げ て き た。 戦 後 の 練 馬 の ま ち づ く り を 担 っ て き た 女 性 た ち の 足 跡 を 記 録 化 す る こ と を め ざ し て、 練馬区立男女共同参画センターを主な活動場所とし、 毎月の定例会を通して学習、調査・研究、出版といった 活動を続けている。現在メンバーは八名であ る )(( ( 。 この会では、練馬母親連絡会を中心とした練馬におけ る女性たちの住民運動・市民運動を研究対象とし、関係

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者 へ の 聞 き 取 り や 調 査・ 研 究 活 動 を 重 ね て、 『 始 ま り は ひとりから―練馬の女性たちの記録』 というタイトルで、 これまで聞き書き編三冊、テーマ別の総論編三冊を自費 出版してき た )(1 ( 。行政等からの援助を受けない、まったく の独立した立場から、歴史に埋もれがちな市井の女性た ちの動きを、公平かつ正確に取り上げ地域の歴史に位置 づけていくという意思が、 メンバー間で共有されている。 女性史研究は、女性という視点から既成事実や男性中 心の歴史観を問い返していく試みである。とくに地域女 性史研究は、地域史という狭い枠のなかですら見過ごさ れてきた女性たちに光をあて、彼女たちの存在を明らか にし社会的に評価しようとするものである。練馬女性史 を拓く会が行なっている試みも、練馬の正統な歴史には 取り上げられないものの、実際に存在した女性たちの動 きを可視化させ、地域の歴史の現実を総体的にとらえる ことを可能にしようとするものにほかならない。 一般に地域女性史研究が抱える困難は女性に関する資 料の不足にあるが、練馬女性史を拓く会の場合は、林光 が残し現在は立教大学共生社会研究センターに保管され ている練馬母親連絡会資料を活用できるという条件に恵 まれている。資料のなかには、通信『豆ニュース』のよ うに、 当時の記憶に触れることを可能にする記録もあり、 そうした記録を通して、練馬女性史を拓く会は、同じ地 域に生活や仕事の基盤をもち、直接的にも間接的にもど こかで人生の道を交差させたかもしれない女性たちの姿 に迫り、 そこでの発見や論理的検証を書きつづっている。 いわば当事者の記録に学びながら、客観性と全体的見通 しを加えた歴史としての新たな記録化に挑んでいるので ある。 歴史を誰がどう記し伝えるかに、絶対的な条件や方法 があるわけではない。同じ記録でも、読み手によってい くらでも読み替えられ、そこから書き記される歴史も一 様ではない。現に練馬母親連絡会資料も、練馬女性史を 拓く会のみならず、立教大学のゼミの学生や研究者、練 馬母親連絡会や同時代の歴史に関心をもつ者など、さま ざまな人によって読まれ解釈され、それぞれの歴史叙述 の根拠に用いられている。 そのなかで練馬女性史を拓く会の記録化の営みがどう 特徴づけられるのかといえば、何よりも、同じ地域に生 き、地域への関心を共有する者たちの、世代を超えた経

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験の継承を成立させる点があげられよう。先行する世代 にあたる練馬母親連絡会の女性たちの活動や意思を記録 から読み取り、それを地域の歴史として記録化すること で社会の記憶とし、次の世代にその記憶を引き継いでい くという、過去から未来へ地域の記憶を受け渡す役割を 担っていることである。しかもそれは、これまで表立っ ては描かれてこなかった女性たちの運動の軌跡を明らか にして、 他者や後の世代にその実態を知る機会を用意し、 地域社会のあり方や自らの立ち位置を考えるきっかけを 与えるという、社会的な意味合いも有している。 このように特徴づけられるのも、練馬女性史を拓く会 の記録活動が、研究目的の研究というよりも、地域の運 動経験を当人に代わって伝えることに意義をおくものだ からであろう。同じ地域で生活し地域のために活動した 先 行 者 へ の 関 心 と、 そ れ を 知 っ た 者 と し て の 責 任 か ら、 記録を介した当事者側との相互作用を土台にして、彼女 たちの運動の軌跡を新たに記録化して伝えていく実践な のである。会では、事実の確認や具体的な証言を得るた め、聞き取りや面談といった当事者との直接的な接触も 重ねてきた。当事者とのそうした友好的で協力的な関係 も、同じ地域に生活し地域を思う者同士の連帯感から形 成されるものであり、その関係性のなかで運動経験が引 き継がれていく。 さらにこの会の記録化の営みは、先行者たる女性たち の記録から学び、会の記録活動を通してメンバー同士が 学び合い、そのなかから生み出される歴史記録が未来の 誰かの学びを可能にするという、学びと人間形成の機会 をもつくり出している。市民運動の記憶を記録し伝える 営みは、運動経験に学び、それを引き継ごうとする意思 と実践に支えられ、そうした精神性を広げる教育的な空 間をも形成することを、この例は教えている。 三   市民運動の記録化の諸相 市民運動の軌跡を歴史に位置づけ伝えていくという課 題を、運動資料(記録)の保存・公開の問題と、伝える 実践としての記録活動の意義から考察してきた。ここか ら、市民運動を記録し伝えるための条件として、次の三 点が見えてきた。 まずは、運動の当事者が運動を記録し記録を残すこと

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である。何といっても、市民運動が歴史に刻まれるかど うかは、当事者の記録にかかっている。当事者による記 録がなくては、運動の記憶は残り得ないのである。運動 においては、広報活動、仲間内での議論、運動方針の決 定 な ど、 い ず れ の 場 面 に も 記 録 と い う 行 為 が 付 随 す る。 そこで生じたチラシもメモも参考書類も、みな運動の記 録 で あ り、 運 動 の 記 憶 を 含 ん だ 原 資 料 と な る。 問 題 は、 こうした記録の意義に気づかず記録を残せないことにあ るが、記録が役立つことを示す事例や記録を残す工夫を している例が、市民運動のネットワークのなかで情報と して共有され、記録の意義や資料価値への認識が広がっ ていけば、それぞれの運動体においても記録に対する関 心や記録するという意識が高まってくるのではないだろ うか。 次に、当事者が残した記録を守り生かす仕組みを整え ることである。せっかくの記録も保存されなければ、活 用もされず、運動の記憶とともに消えてしまう。残され た記録を集め整理し保管する、そしてその記録が生かさ れるように公開の責を負う、そうした保存・公開の仕組 みを成り立たせることが重要である。アーカイブズ機関 は、その仕組みを担うものとして、記録の媒介役となっ て、記録者と記録の使用者とを結びつけ、記録を過去か ら未来につなぐ役割を果す。市民運動資料の専門機関に 頼 る だ け で な く、 公 立 図 書 館 や 公 共 施 設 な ど も 含 め て、 こうした役割を果す場をいかに増やすかが、市民運動を 記録し伝えるうえでの大きな鍵となる。 もう一つは、 第三者が、 当事者の残した記録をもとに、 運動を新たに記録していくことである。記録は、それを 受けとめる他者があって初めて社会的な意味と影響力を もつ。運動記録は、そこにこめられた記憶を社会の記憶 に発展させる第三者の力を借りて、当事者の記録から歴 史の記録となり、 さまざまな人の目に触れる機会を得て、 運動の経験を生かし続ける。その意味で、運動記録に基 づき他者が行なう運動の記録化は、運動経験という記憶 を過去から未来へ受け渡していく役割をもち、市民運動 を伝えていくうえで欠かせぬ条件となる。 このように、市民運動を記録するもの、その記録を管 理して記録者と記録の使用者との間の記録の橋渡しをす るもの、さらに新たな記録化によって、記録のなかに込 められた記憶を過去から未来へと渡すもの、これらの記

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録の営みが交わり結び合うなかで、市民運動の記憶が社 会の記憶として歴史に刻まれていく。そこには、さまざ ま な 人 や 組 織 や モ ノ が か か わ っ て、 模 索 や 協 力・ 交 流、 個々の内面的成長や行動の変化をも導きながら、市民運 動の経験を記録に織りなして、 伝え、 受け継ごうとする、 文化空間が形成されていく。それはまた、市民自らの手 で、市民運動の記憶を歴史に位置づけていこうとする運 動でもある。   おわりに 最後に、記録の営みにかかわる個別の例として、本稿 に登場した練馬女性史を拓く会に所属する筆者が、練馬 の市民運動の記録化に取り組むなかで感じていることに 触れ、結びとしたい。 練 馬 の 女 性 た ち の 運 動 に 接 し て ま ず 目 を 見 張 る の は、 彼女たちの社会意識の高さと行動力である。彼女たちは 日常生活のなかで抱いた疑問や思いを、 たえず声にして、 実践に結びつけてきた。彼女たちが残した記録には、仲 間をつくり、学習を重ね、問題解決に取り組み、一人の 市民へと成長していく姿が読み取れる。同時に彼女たち を活動に駆り立てた原動力の一つが、平和への思いであ ることも記録が語っている。戦時体験をもつ者にあって は「二度と戦争を繰り返してはならない」という決意か ら、戦争を直接には知らない者も先行世代と活動するな かで平和の意義を学びながら、平和な社会の根底を揺る がす問題とたたかい、平和を守り平和の意味を追求する 運動を繰り広げてきた。その軌跡を記録にたどりながら 痛感するのは、平和とは所与のものではなく、終わりの ない努力からつくり出されることである。どんな小さな 問題も見過ごさずに声をあげ、協力と連帯のなかであき らめずに行動を重ねる、そうした率直な思いと強い意志 が、社会を変えるきっかけをつくり、平和を守る力を生 み出していくという事実であ る )(1 ( 。 私は、練馬という地域に生きる一市民として、彼女た ちがたたかいながらつくり出してきたものの上に今の私 たちや地域があることを心していたいと思う。記録が教 える彼女たちの思いや行動は、問題に対してどう向き合 い、 ど う 行 動 す る か を 示 す、 一 つ の モ デ ル な の で あ る。 そこから何を学び、何をいかに引き継ぐかが、市民とし

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て生きるうえでの私自身の課題だと考えている。 同時に彼女たちの思いや行動に接した私は、それを他 の人びとや次世代へ伝える責任も受け継いだと思ってい る。 練馬女性史を拓く会で試みている記録化は、 私にとっ てその責任を果すための実践である。 冒頭で述べたが、市民運動の軌跡を伝えるとは、単に 事実を見える形で残すだけでなく、その事実に触れた者 が そ こ か ら 何 を 受 け 取 る か ま で を も 見 据 え た も の に な る。そのことは、本文で明らかにしたように、記録を通 した運動経験を伝える営みが、そこに関わる人びとや集 団の精神面や行動様式の変化・変容を促すような空間と 運動をつくり出していることからもわかるだろう。 私も、 その営みのなかにあって、市民運動の経験に学び、また その経験を伝えることに努めながら、市民としていかに 生きるかを探っていきたいと思う。 註 (1) 以下、 本文には、 文脈上、 または引用文献に合わせる形で、 「市民運動資料」 、「市民活動資料」 、「運動記録」 、「記録資料」 等の語も登場するが、 いずれも同じような意味で用いてい る。 (2) 平 川 千 宏「 市 民 活 動 資 料 ― 保 存 と 公 開 の 全 国 的 状 況 」『 大 原 社 会 問 題 研 究 所 雑 誌 』 No.666 、 二 〇 一 四 年 四 月、 七 八 ―八〇頁。 (3) 平野泉 「市民運動の記録を考える―アーキビストの視点か ら 」『 社 会 文 化 研 究 』 第 一 八 号、 二 〇 一 六 年 一 月、 四 二 頁 ―四七頁。 (4) 同前、四八頁―四九頁。 (5) 鎌倉アカデミアについては、 高瀬善夫『鎌倉アカデミア断 章―野散の大学―』 (毎日新聞社、一九八〇年) 、前川清治 『鎌倉アカデミア―三枝博音と若きかもめたち―』 (サイマ ル出版会、一九九四年)などを参照。 (6) 「 鎌 倉 ア カ デ ミ ア を 伝 え る 会 」 は、 二 〇 〇 六 年 五 月 の 「 鎌 倉 ア カ デ ミ ア 創 立 六 〇 周 年 記 念 祭 」 を 引 き 継 ぎ、 翌 二〇〇七年五月に第一回が開催され、 二〇一五年五月まで に第九回を数えている。 (7) 鎌 倉 ア カ デ ミ ア と 同 時 期 に 生 ま れ た 民 間 の 教 育 文 化 運 動 で、 このように資料が一カ所に集中的に保存されているの は珍しい。たとえば、 広島県で繰り広げられた美学者の中 井正一の文化運動は、 運動を再評価する動きが周期的に起 こり、 それをきっかけに集まった資料が尾道市立中央図書 館に保管されているものの、 それらは陳列棚の収納ボック スに無造作に入れられているにすぎず、 これ以上の蓄積は

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望めないうえ、紛失や散逸が心配される。 (8) 「市民アーカイブズ多摩」の設立までについては、 『大原社 会問題研究所雑誌』 ( No.666 、二〇一四年四月) の特集 「市 民活動 ・ 市民運動と市民活動資料、 市民活動資料センター」 所収の論文に詳しい。 (9) 林光(一九二二 ~ 二〇〇一)は、 日教組の職員として編集 の仕事に携わり、 日本母親大会の専門委員や東京母親大会 連 絡 会 の 役 員 を 務 め た 経 験 を も つ。 一 九 六 九( 昭 和 四 四 ) 年から練馬母親連絡会の事務局を担当した。 彼女の高い実 務能力と、 出入り自由な議論と交流の場として自宅を開放 するようなおおらかな人間性が、 練馬母親連絡会の活動の 広がりと発展に大きく寄与した。 ( 10) 練馬母親連絡会の成り立ちや活動については、 桜井由幾 「練 馬 の 女 性 と 運 動 ― 練 馬 母 親 連 絡 会 を 中 心 に 」『 始 ま り は 一 人 か ら ― 練 馬 の 女 性 た ち の 記 録   総 論 編 そ の 一 』( 練 馬 女 性史を拓く会、二〇一〇年、一―一一頁)を参照。 ( 11) 練馬女性史を拓く会については、 川㟢俊子「地域女性史シ リーズ②   始まりはひとりから―練馬の住民運動を担った 母親たち―」 (『月刊社会教育』二〇一四年二月号、 七四― 七七頁)に詳しい。 ( 12) 『始 ま り は ひ と り か ら ― 練 馬 の 女 性 た ち の 記 録 』 は、 こ れ まで聞き書き編が三冊 (二〇〇三、 二〇〇五、 二〇〇七年) 、 総論編として、 教育問題をとりあげた『その一』 (二〇一〇 年九月) 、福祉・保健・医療を扱った『その二』 (二〇一二 年一二月) 、人権 ・ 平和 ・ 消費者運動をテーマにした 『その三』 (二〇一五年四月)が刊行されている。次は、 『その四』と して、環境、文化・子どもなどをテーマに刊行をめざして いる。 ( 13) 練馬の女性たちの平和問題への取り組みについては、 山嵜 雅子 「平和を守る女性たち―練馬母親連絡会の活動を中心 にして―」 (『始まりはひとりから―練馬の女性たちの記録   総論編その三』二〇一五年、一九―五三頁)を参照。

参照

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