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終戦直後の常磐地方炭礦労働組合の結成と運動

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(1)

終戦直後の常磐地方炭磯労働組合の結成と運動

司 吉 之 助

 終戦直後の石炭業は︑戦事中軍需工場用に増産を強行されたのに対して︑占領軍と政府の増産政策の下におかれ︑その

ため労働者は一層の苦難の中で生産に従事した︒しかし︑労働組合法と労働基準法は︑労働者の生活と人権を守る権利を組

合運動により獲得できることを示した︒以下︑二十二年までの炭磧労働者の組合結成と運動の状況を述べることにした︒

         一 戦後石炭産業の状況

    1︑石炭鉱業資本の常磐地方分布

 終戦直後二十年の磧業状態は明かでないが︑二十一年十月の調査にかかわる東部石炭鉱業会の会員名簿によると常磐地

方と茨城地方をふくめた鉱山所在町村は常磐地方で十八力町村︑茨城地方で六町村︑この磯山数常磐地方で六三ヵ所︑茨

第1表

磧山数

磧数 町村名

1435σ1533541321113里232322呂

本間来井郷崎田人野部浜輪野戸田岡岡山       遠  ノ         計 湯好勿赤内磐山田上川久箕広木滝富上金 形萩郷川原本

  中     計

樹高南華磯関

城地方は一四カ所存在した︵第1表︶︒この町村の内磧山数の多い町村は内郷一

   一終戦直後の常磐地方炭硬労働組合の結成と運動一 七が最も多く︑

  次   に   五

  カ

  所

一  の

  町

  村

  は

  赤

  井

  、

(2)

滝山 田田

、  

−終戦直後の常磐地方炭蹟労働組合の結成と運動一       二

川部︑四ヵ所好間︑久ノ浜︑三カ所勿来︑田人︑上遠野︑広野︑金山︑ニカ所が木戸︑一カ所湯本︑磐崎︑

富岡︑上岡等である︒茨城地方では三カ所高萩︑華川︑ニカ所櫛形︑南中郷︑磯原︑関本である︵第2表︶︒

    第2表 東部石炭鉱業会会員名簿︵福島・茨城両県一二・一〇.一〇︶

磯  業

所長名

箕輪︑

炭磧名

鉱業権者名

常  聲常磐炭磯㈱

好間蒲鉱業㈱

    大日本炭磯㈱勿  来    日曹鉱業㈱赤  井

福  島

    一隅田川鉱業㈱

隅田川

小  田小田炭磧味

戸  部戸部鉱業㈱

小野田   〃

矢  郷   〃磐城

品川内郷       〃 高  階       〃

    伊東 綴伊東

倉橋       〃 上白水

内  郷        〃

    川合  寿

    大昭鉱業㈱

上山田

日  新       〃 中  山       〃

大貫 経次 岡田完二郎

神奈川磐城神奈川炭破㈱矢郷 磧  業

所長名

 岩川 与助  青木均一

    〃

  小田吉次   内田  愈   戸部光衛

    〃

  川合  晃      倉蔵

    〃

    〃

栄︵代矢郷倉蔵︶

    〃

    〃

晃︵代水野一寿︶

  池口光之助

    〃

    〃

炭 破 炭磧名 所在地

  池水  矢戸  矢 戸渡佐 村鈴伊大

, 口野 郷部 郷 部部藤 松木藤越

  菱一 倉光 倉光孝忠保本文

  助寿  蔵衛  蔵 衛一助 寿一健新

〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃 〃〃〃石

好問村

勿来町赤井村

好間村

 〃

内郷町

磐崎村

内郷町

 〃

 〃

 〃

 〃 〃

 〃

 〃 山田村

 〃

 〃

鉱業権者名

園  磯﹁

所在地 三 挺

品川黒田品川赤井一三  和

万治一万漢薦

東  海東新炭艦㈱笹島 不動沢﹁広  部

 旭

福  旺琢︑︑.川蝉

﹇日高見  川部〃  綴東新 不動沢

上好間

富久浜

藤  岡     中村採炭㈱    品川白煉瓦㈱       〃    =二和炭磧㈱    笹島不動沢㈱    東採炭磧㈱    旦高見鉱業㈱       〃

内田  愈

青木 均一︵代服部梅雄︶  び︵  〃  ︶内田   愈

老沼  尭 長原芳郎 笹島 鉄雄 菊地徳太郎

松木清右衛門

伊藤 精七 滝  亀次 遠藤  鼎 富安幸次郎 菅沼恒一郎 中山  半 仲田  繁 岡田  衛 藤岡清吉

中村 研

星野恒治 富永 十郎 梅原  正 根本春治郎 松井 政吉 笹島 鉄雄 菊地徳太郎

松木清右衛門

山口  昇 滝  高雄 遠藤  鼎 菅沼恒一郎 菅沼恒一郎

佐々木幸之助

仲田. 繁

︵代工藤正大郎︶

岡田  衛 藤岡 清吉

      ︐      ノ      ノ      ノ      ノ      ノ      ノ      ノ      ノ      ノ      ノ      ︐      ノ      ノ      ノ      ノ       二石城郡勿来町

双葉郡  好問村  内郷町  〃  〃  〃  川部村  勿来町  川部村  内郷町 上遠野村  山田村  田人村  赤井村

π

 田人村

久ノ浜町 〃

(3)

上赤竜双木浅福大高古赤大成小日浪安田植下久

      菱 東  ノ

岡城田葉戸倉広野倉滝栄和沢宮宮花行人田滝浜

  曙一 一千諭  小日大田東

  鉱 代浅       宮本 明人  北

  業田倉   炭採鉱炭 産

  ㈱ 鉱炭       磧炭〃業磧  業     業破       ㈱㈱ ㈱㈱  ㈱     ㈱

酒井  清酒井 長尾欽弥      飯野      三好 小林金重 金子長次郎     佐藤 石橋      石橋

  〃

小沢     石川 小宮     不宮 宮村     宮村 鈴木     鈴木 梶野     梶野 小田 飯野      大野大野      西西藤右衛門      高橋高橋 平原      佐川佐川 宮原     宮原 新妻     新妻      阿部阿部     久    武夫    房吉

   亀一

   伝明     敏    吉次

   義男一飯野

   房吉     正

   重吉■諸戸

   直躬    義典     鉄     勇     清

   篤一   忠一

   金平     久 鯉淵亀五郎    正理    房吉

   亀一

   伝明     敏

阿部政右衛門

   義男    房吉  藤右衛門     正    昌平    直躬    義典     鉄     勇

石城郡〃〃 上遠野村ノ        ノノ        ノ〃  田人村〃  山田村〃  内郷町           ノ︐       ノ︐        〃  箕輪村〃  赤井村  ︐         〃  内郷町  一        ノ双葉郡広野村ノ       ノ  〃  木戸村ノ        ノノ        ︐〃  竜田村〃  富岡町

〃  上岡村

中神磯大関東山重常上大山高櫛東昭富白石大         磐       士         合       白

郷 山原子本亜口内同田東一萩形新和河相川久

   〃 常磐炭磯㈱ 大日本炭硬 大子炭磯㈱ 関本炭破㈱ 山口炭砿㈱ 重内鉱業㈱ 常磐合同炭破㈱佐野 上田炭磧㈱ 山一炭砿㈱ 高萩炭磧㈱ 高萩炭磧㈱ 東新炭磧㈱ 昭和企業㈱ 日産鉱業㈱

  大岩武伊石山岩佐上石菅菊菊最小三 石村

,,貫川田藤揚・崎野嘱谷池池原林矢ノll田

  経与+鴫清隆嬬隆寛寛芳嘉彦喜

  次助郎蔵門浩七一一門良実実郎実一 治一 副大副大鈴 伊石山戸鈴上石菅菊浜大小土管伊村

富越

P越爆口龍木豊鱗異奎林黙畢

栄新進新一  蔵門拮」盤一門良実輔夫実郎郎七一  名 名杁 〃〃〃〃名

多賀郡高萩町

,, 名

ノ        ノ       ︐ 〃  高萩町 ︐       ノ        多賀郡郷形村 ノ            ︐

 面〃〃

       ノ   

  金山村

西白河郡 〃  広野村 〃 久ノ浜町

南中郷村

 華川村

 磯原町

 〃 華川村 関本村

 常磐地方の磯山労働者の状態については二十一年の調査によるとその数二八︑三九一人で︑この年の出炭高一

六九トン︑送炭高一七一︑八二九トンであった︒一人当りの日産高○・二八トン︑賃金は平均月収五四一円であった︒

十二年には三四︑四六六人に増加し︑出炭高二一九︑二三六トン︑選炭高一九八︑六四八トンで︑一人当り○・二八トン︑

   −終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動−      三 久弦郡大子町多賀郡華川村多賀郡関本村

〃 南中郷村

 八三︑二

    二

(4)

第3表出炭,労働者数と平均月収

一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動1

i平均月収

醗糊百館

選炭高1貯炭高

   円   541 1,986 5.199 トン

0.28 0.28 0.27    人 28,391 34,466 39島173   トン 46,272 62,367 73,801    トン

171,829 198,648 237、138 出炭高

 トン

183,269

219,236 250,771 年度

21年 22年 23年

備考 r戦後に於ける東部炭破労働統計集』

九︑七二七人で︑坑内夫は一六︑

坑外夫二二︑二三七人であった︒

月には坑内夫が一八︑五七九人︑

四四人となる︒二十三年六月は坑内夫二一

︵第4表︶︒ 平均月収一︑九八六円︑二十三年は三九︑一七三人に増加し︑出炭高も二五〇︑七七一トンで一人当日産高○・二七トン︑平均月収五︑一九九円に増額している

︵第3表︶︒

 さらに二十一年

六月の坑内夫と坑

外夫の総数は二

   四九〇人︑

   二十二年六

   坑外夫一五︑

       ︑

,第4表常磐地区常用従業員数

%㈱③

 ⑧

合計

坑外夫

  坑   内   夫

直接夫内探嶽i間接夫t調

1,39了

「9,1265砂3卜16・49・113・237129・72715551

熱1難雛i欝羅

  6月21年

  12月

  6月22年

  12月 23年6月   12月

八六五人に増加し︑総数で三四︑

   坑外夫が一八︑

 備考 前掲

第5表 東部管内勤続年数(1年一3年以上)

三三八人︑ 四

合計

3年以上2年以上 坑外夫

坑内夫

坑外夫

坑内夫

  人 4,557   100

5,238 四

  100 2,864   100

人  人

51 156

L1 P3・4

409

P502

7.8− 9.6

5611381 9・6い33

327人

7.2

343人

7.5

う94  593 1.3 i1.3   1

5261 366 8.4 12.8

 坑外夫

上 年以

 坑内夫  坑外夫

満 年末

 坑内夫 鷺論

 人「 人  人1 人

,632 93014981620

114!2嫁Illll1

23・8奄X・5i13・3113・3

4391147!263…181 15・315・1…9・2163

23年1人員    %

24年人員

  一%

!2降人員

1」%

備考 前掲

二二〇人で総数三九︑四六八人に増加している

(5)

 このように毎年労働者は増加を示しているが︑この外二十一年の臨時夫が︑一︑四三五人︑職員が二︑九三九人存在し

た︒

 炭磧労働者の勤続年数は二十三年の総数四︑五五七人の調べでは一年未満は坑内夫一︑六三二人総数の三五.八%︑坑

外夫九三〇人の二〇・四%で一年以上が坑内夫四九八人の一〇・七%︑坑外夫六二〇のコニ.六%で二年以下と一年未満

で坑内夫四六・五%︑坑外夫が三四・○%を占めていた︒二年以上は坑内夫三四三人の七.五%︑坑外夫三二七人七.二

%である︒三年以下の多数の労働者が存在した︒二十五年になると一年未満は坑内夫四三九人の一五.三%になり一年以

上では二六三人の九・二%︑二年以上が一八・四%︑三年以上が一九・六%というように増加してくる︒二十年から二十

三年ころの労働者の状況を知られる︵第5表︶︒

    2︑炭礪新賃金制度とその実際

 賃金制度は労働基準法の施行で新たな制度を生むことになり︑特に終戦直後の物価高は賃金体系をどう整備し体系づけ

るかに問題をもっていた︒炭磯における賃金は︑日本石炭鉱業会で二十一年九月九日に﹁炭礁賃金制度﹂案を出した︒こ

の案は後にいくたの賃金制への橋渡しになったと思われる︒

 賃金は基本給と手当とし︑基本給は時間給と請負給とし︑時間給は全部時間給と全部請負給および併用の三種とする︒

手当は家族︑坑口より現場の往復︑勤続︑役付︑臨時の五種とする︒この制度より除外するものは賞与︑扶助料︑退職手

当︑出炭奨励金等は別途考慮する等で賃金の標準額は各地毎に協議するというものである︒

       炭横賃金制度︵案︶

      日本石炭鉱業会

       二一・九・九

   −終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動−      五

(6)

   1終戦直後の常磐地方炭硬労働組合の結成と運動−

一、

タ金は基本給及び手当とする

二︑基本給は時間給及び請負給とする

 ω 時間給は現場についてから︑現場をはなれる迄の稼働時間に対し時間割で支給する︑

   する︑各人の時間給の単価は職種︑技能︑経験に応じて賃金査定委員会で決定する

 ω 請負給︑単価は賃金査定委員会で決定する

三︑時間給と請負給との適用は炭破により又職種によって次の三種の場合がある

 qけ 全部時間給のもの

 ㈹ 全部請負給のもの

 圖 時間給と請負給を併用するもの

   両者の割合は炭磧により又職種によって夫々標準を定めるものとする

   但し③圖の請負給については稼働時間に応じて一定額の保障をする

四︑手当の種類は左の通りとする

 コ

(5)(4){31(2)(

家族数に応じて支給する手当

坑内夫につき坑口より現場迄の往復に対して支給する手当

勤続年数に応じて支給する手当

役付手当

臨時特殊の作業に対して支給する手当

ノ、

但し所定の稼働時間を超える時は歩増しを

五︑次のものは一応本制度の対象外とする

 ω 期末賞与

 ② 扶助料︑退職手当等の給付

(7)

 個 出炭奨励金等臨時の手当︵今直ちに本制度に含めて規定せず便宜別途考慮するものとする︶

六︑賃金の標準額は随時各地区毎に協議するものとする

 この案の特徴ともいうべきは時間給と請負給に最小限の手当を加味したというもので︑特に能率給を主体とし︑複雑な

制度を簡素化し石炭の生産目標の達成を目指したもので︑各炭礪の実情に適応させられる︒賃金は能率によって支給され

るが労働者に強制し︑賃金制度の改革で増産を図るものではない︒技術の改善と職場の規律や厚生施設︑食糧の確保等に

よって行われるものである︒最低賃金はこの制度では別途に考究される︒本制度は過渡的実施であるとした︒

炭磧新賃金制度説明書 日本石炭鉱業会

(一・九・二〇︶

      第一本制度の概観

      H 特  色

一、

{制度の特徴とするところは時間給と請負給を主体としてそれに最小限度の手当を附加した簡素な形態をとってみる点である

二︑本制度は﹁炭破新賃金制度の趣旨﹂にある通り能率給を主体とした働き良いそして判り易い制度を樹立して従来の複雑な制度か

 ら生じた種々の混乱と非能率とを排除すると共に当面の問題として石炭の生産目標の達成を目指してみる

三︑本制度は原則的な大綱だけを盛って︑実施に当っては各炭磧の地理的伝統的技術的特殊事情を充分考慮できるよう融通性をもた

 せてある

四︑本制度は賃金の制度だけを対象としたもので賃金の額には触れない

      口 基本給と手当

五︑基本給として時間給と請負給を採用してみるが︑時間給も請負給も性格的には何れも能率給与である︑時間給の方は能率と労働

  一終戦直後の常磐地方炭磯労働組合の結成と運動−      七

(8)

   1終戦直後の常磐地方炭暖労働組合の結成と運動一       八

  を時間によって結びつけ︑請負給の方はそれらを出来高によって直接に結びつけるものである︑之等は米ソ英等何れの国でも採用

  されてみる一般的な賃金形態である

 六︑手当は原則として直接能率と関係ないものに陥ることとし然も最小限度の種類にとどめた

       日 運用その他

 七︑本制度は賃金が能率に応じて支給されるように考慮されてるるが逆に賃金制度によって能率の向上を労働者に強制し或は賃金制

  度の改革だけで増産を計らうといふやうな事を本制度に期待することは無理である

  能率を向上させるためには本制度の実施と共に技術の改善︑職場規律の確立︑厚生施設の整備︑食糧の確保︑資材の注入等が伴は

  なければならない

 八︑本制度から一応除外した期末賞与と出炭奨励金等臨時の手当とは本制度と密接な関連をもつものであるから本制変とにらみ合せ

  て運用する

 九︑最低賃金は本制度には織込んでみないが之については別途考究することとし地区毎に最低生活費を調査して之を定める

  ︵参考口労働基準法草案第二十六条乃至第二十九条では最低賃金は賃金委員会の協議を経て行政官庁が之を定めることとしてみる︶

       第二 本制度の内容

       H 基本給

 十︑賃金は基本給と手当とに大別した︑その各の性格は第五項及第六項に述べた通りである

十一︑基本給として時間給と請負給とを採用した

十二︑時間給は現場についてから現場をはなれる迄の稼働時間に対し時間割で支給するとなってみるが﹁現場﹂とは坑内では採炭切羽

  堀進切羽其他の作業現場をいふ︑坑外では便宜上着到場を現場と看做す

十三︑所定時間を超えた労働に対しては歩増しをするがその歩増率は地区毎に協定して定めることとする

   ︵参考11労働基準法草案第三十五条ではその率を二割五分としてみる︶

(9)

十四︑各人の時間給の単価は職種︑技能︑経験に応じて決定するが之は各炭磯に賃金査定委員会を設けて審査決定する︑例へば職種毎

  に数等級に分けて単価を定め各人の条件を審査して等級にあてはめ単価を決定する等の方法をとる

十五︑請負給は所謂出来高払であってその単価及び団体請負の場合の各人の持分は時間給同様賃金査定委員会で決定する

十六︑時間給を適用する職種と請負給を適用する職種と両者を併用する職種とは炭磧の実情によって異るものがあるが︑作業の方法等

  の技術的条件の外従来の習慣等を考慮して定めるものとする︑両者を併用する職種について両者の割合も同様の考慮のもとに職種

  別に決定する

十七︑一般に直接夫については間接夫よりも請負給を多分にとり入れ︑請負給が基本給の中に占める割合を大体六〇%以上とする

十八︑請負給を採用するものについては稼働時間に応じた︸定額の保障をする︑全部請負給の職種については一時間幾らといふ保障額

  を定め請負給による賃金がこの額に達しなかった場合この保障額を支給する︑但しそれは実際の稼動時間に応じて支給する一部

  請負給を採用する職種についてはその請負給の部分だけについてこの方法を採用する

十九︑保証給は最低賃金とは別個の観念である︑保証給は請負給の欠陥を補正する為のものであり︑最低賃金は最底生活の保証であっ

   てこの最低賃金については別途考究することyしてみる

      口 手  当

二十︑手当は左の五種類に整理統合した       ω 家族数に応じて支給する手当︑所謂家族手当であって之は法定の家族手当及びそれと同性質の手当を指す

  ② 坑内夫につき坑口より現場迄の往復に対して支給する手当︑之は坑内夫の基本給を現場建とした関係から設定したもので︑現

    場毎に所要時間の長短︑辛労の度合に応じて金額を決定し各現場毎に一定額を支給するものである

   圖 勤続年数に応じて支給する手当︑所謂年功手当等である

   困 役付手当

   引 臨時特殊の作業に対して支給する手当

   −終戦直後の常磐地方炭畷労働組合の結成と運動−       九

(10)

二十一︑二十二︑

二十三︑

二十四︑

二十五︑

二十六︑二十七︑

二十八︑二十九︑

三 十︑ 1終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動i      一〇      国 本制度から除外した事項期末賞与には本制度では触れてみないが︑その現状は支給方法︑金額共各社によって区々であって︑その性格も賃金的なものであるか︑利益分配的なものであるか︑はた又慰労金的なものであるか明瞭ではない︑この支給方法と金額とは差当り各地区毎にその都度協定するものとする出炭奨励金もこの制度から一応除外されたが之は別途支給方法金額等を定めるものとする扶助料︑退職手当等法令又は内規により支給されるもの及びその他法令によって支給される金銭的給付は本制度とは関係なく別個に支給されるものである賃金の標準額は各地区毎に協議し協定することとし制度とは切離して処理する

一部の炭積で支給されてみる住宅手当︑通勤手当等は実費補償の性質をもってみるから之は本制度の対象としない

        第三 本制度の実施

      H 過渡的実施案の作成

賃金制度の改革は常に困難を伴ふものである︑特に現在の複雑な制度から一足飛びにこの賃金制度に切替へることは徒らに混

乱を招くのみで逆に新制度の効果をあげることができなくなる怖れがある︑そこで次の二段の方法をとって実施に移すことNす

本制度の具体的細目を地区炭磧別に決定する

次にかくて具体的に定められた制度に切替へる迄の過渡的実施案を決定する︑之が過渡的賃金形態として炭磧では現行の制度

から先づ之に乗り移る

前々項の本制度の具体的細目決定と前項の過渡的実施案作成のため各地区毎に︑又炭磧毎に事業主︑労働組合間に完全な了解

を得ることと併せて関係官庁と充分の連絡をとることとする

右目的のため︑地区毎に又炭硬毎に賃金委員会の如きものを設ける︑すでに実質的に類似の機関をもつものはそれを利用する

(11)

ものとする

       口 過渡的実施案の内容

三十一︑過渡的実施案では基本給はできる丈本制度によるものに切替へる

三十二︑定額日給は時間割として時間給に切替へる

三十三︑請負給は出来高払本来の特長を発揮して︑確実に実施する

三十四︑請負給についての保障額は労働者が通常受け得べき請負給額の六〇%以上を保障するように定め︑且つそれを所定稼働時間で

   割って一時間当りの保障単価を定める

三十五︑現行の手当を急速に廃止して新制度による手当に改めるため混乱を招く怖れある場合は一応現行の手当を整理統合するにとど

   め︑ついで基本給に最も近い性質の手当は基本給に繰入れその他を新しい手当に改める方法をとる

三十六︑斯様に一応整理統合された手当と基本給とはなるべく基本給が総体の凡そ七割以上を占めるように調整する

三十七︑各種手当の整理統合の参考資料として九州地方の炭破で現在実施中の手当を分類したものを次に掲げる

      一︑物価手当的な諸手当    2︑精勤賞与的諸手当      3︑役付手当的諸手当

      4︑年功手当的諸手当     5︑有給休暇手当的諸手当    6︑生理出産休暇手当

      7︑特別勤務手当的諸手当   8︑準基本給的諸手当      9︑特別作業手当的諸手当

      10︑傷病手当的諸手当     n︑道具代補償的諸手当

 このように暫定案で特に基本給は整理統合の上総体の凡そ七割以上とし︑また請負給は請負給額の六〇%以上を保障単

価とした︒各種手当は十種に上っていた︒

 この新賃金制度案は各炭磧の実情に応じて実務され︑それは労働組合の闘争の目標でもあったとみられる︒賃金値上げ

については政府はこれを抑制しまた後に述べるように争議の最大要求でもあるがこれが実施については明かにし得ない︒

   一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動−      一一

(12)

   一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動一      二一

 二十一年十二月常磐石炭鉱業連盟は十二月以降の賃金取扱いを次のように申合せている︒

一、

ニ族手当は扶養家族一人に付月額六〇円︑但し暫定措置としての米価値上りによる価格差補給は廃止

】、

ニ族手当を含まざる基準賃金︑坑内五〇円︑坑外夫三五円︵保護鉱員を除く︶︒

 さらに二十二年一月から三月までの賃金について鉱員︑職員の給与を日本石炭鉱業連盟と炭礪労働組合全国協議会との

間に次のように賃金を確認した︒

一、

鼬視yび二月︵総収入日額︶︑坑内夫九五円︑坑外夫六〇円︵保護夫を除く︑一般坑外夫七二円程度︶

一、

O月︵総収入日額︶坑内夫一一〇円︑坑外夫六〇円︵一般坑外夫七二円程度︶

 また二十二年四月十二日の協定では﹁能率の増進を図り出炭三千万トン達成のため凡ゆる努力を尽す事を誓い﹂行われ

た賃金協定によると︑拘束八時間︑賃金は生計費の変動によるスライド制とし︑賃金形態は人格尊重︑賃金制度の確立等

を取りきめている︒

 右は二十二年四月までの実際であるが︑当時は暫定賃金に組合の要求との関係で漸次整合されていくような状況であっ

た︒女子の膿内労働については二十一年九月十四日付で政府は禁止を命じているが︑保護坑夫︑女子後山夫︑不具廃疾者︑

十六才未満の者︑老年者︑勤労不良者等に対する退職慰労金︑手当等を次のように規定した︒

       覚  書

今般マ司令部並商工省石炭庁ヨリノ通牒二因リ保護坑夫女子坑内就業禁止ヲ命ゼラレ︑依ツテ当炭破二於テコレが急速対処シ可然方針

ヲ決定シ実施致度︑莚二左記方針ヲ決定シ実施致度菰二左記方針二基キ実施スルモノナリ

       記

諸手当支給条件ハ左ノ通り異議ナク実施ス

   一︑保護坑夫女子後山夫    H 三ケ月ノ収入平均一ケ月分ノ慰労金支給

(13)

二︑不具廃疾者

三︑満十六才未満

四︑老 歳者

五︑勤労不良者

長期欠勤者︵無届︶

口←1口口口H口H口

普通退職手当金 三ケ月ノ収入平均一ケ月ノ慰労金支給 勤続年数ノ五割増ノ退職金支給 三ケ月ノ収入平均一ケ月分ノ慰労金支給 勤続年数ノ五割増ノ退職金支給 三ケ月ノ収入平均一ケ月ノ慰労金支給 勤続年数ノ八割増ノ退職金支給 三ケ月ノ収入平均一ケ月分ノ慰労金支給 勤続年数ノ八割増ノ退職金支給

  附記 退職ノ場合一ケ年未満ハーケ年ト見倣シ計算ス

右覚書通リニ相違無之候也

 昭和二十一年九月十四日

矢郷炭磯労働組合

    組合長

  代理副組合長

    書  記

木坂松 村井木 正松佐 治義吉

神奈川炭磧株式会社

 横業所長  矢 郷 倉 蔵 殿

 註 A 退職手当二関シテハ昭和二十一年四月二十二日同組合ヨリ左ノ如キ要求アリ

     要求第三条 退職ノ際ハ退職手当金トシテ坑内外男女職種ノ別ナク勤続年数一ケ年二付一〇〇円宛ノ割合ヲ以テ支給セラ

  一終戦直後の常磐地方炭磯労働組合の結成と運動−      一三

(14)

   一終戦直後の常磐地方炭磯労働組合の結成と運動−       一四

       レタシ

      五月九日会社側ハ左ノ如キ回答アリタリ

      回  答  承  認

      ︵但シ退職手当二関スル法令発布サレタ場合ハ組合ト相談シ第三条ノ基本二基キーケ年一〇〇円の割合ヲ以

       テ処理ス︑支給細目ハ後日協議シ決定ス︶

    B 老歳者トハ年齢ヲ限ラズ老イテ能率低下セル者ヲ言フ

    C 長勤欠勤者︵無届︶ノ期間ハ十五日以上ノコト

 以上は終戦直後の賃金状態についての概要を述べたが︑以下では二十一年当時の賃金の実際をみることにある︒

 常磐炭磧の基準内外平均賃金は二十一年は坑内六五八円︑坑外三九八円︑平均して五四一円であった︒二十二年から坑

内二︑四七八円︑坑外一︑四〇二円︑平均して一︑九八六円に上り︑二十四年は坑内九︑九七一円︑坑外五︑六八○円で

平均八︑二〇四円となっている︵第6表︶︒このように二十一年は最も賃金が低く後出のように労働組合の結成によって

       6  9  4

第6表基準内外月平均賃金

全鉱員

平均

 円  541

1,986

坑外夫

    円    398   1.402

\項目一

 \ 坑内夫 年度\

3ア388!  5,19     1

5.6801  8.20    円

  658 2,478 6,701 9,971 21年

22年 23年 24年

備考 前掲

たたかわれたものである︒

 二十一年三月三日の常磐炭磧労働組合で会社に出した歎願書によって当時の組合の要求

状況がみられる︒物価手当︑味噌醤油と塩の配給︑家庭燃料︑副食物の即時増配等の生活

必需品︑手当は出勤︑皆勤および賞与と厚生年金の支給および生理休暇︑妊娠分娩時の休

暇等︑賃金は最低賃金の確保等でこの外甲種税の会社負担の要求であった︒

       歎願書

一、

ィ価手当を支給されたし︑一人に附金五十円︑本人扶養家族共に含む

一、

b勤税 会社負担とされたし

(15)

一、

﨎カ年金 会社負担とされたし

一、

o勤手当 坑内外共五円支給されたし︵採炭支柱を除く外男女を問わず︶

一、

。噌︑醤油 三倍増倍されたし︑但し実現困難の場合は塩一人︼キロ

一、

F勤手当 五十円支給されたし︑但し責任方数満勤者支柱夫︑採炭夫二四︑坑外二人︑製作二六

一、

カ理休暇 有給五日を認められたし︑但し出勤者には倍額支給のこと

一、

D娠分娩時の前後六十日間有給休暇を与へられたし

一、

ニ庭燃料を確保されたし

  薪 二人−三人 月八把    木炭 月一俵

    四人−六人 月十把      同一一一・五俵

    七人以上  月十二把     同二俵

一、

ニ庭電器を取り付けられたし

一、

ワ与金は職員︑磧員の区別なく四カ月分支給されたし 但し︑稼働日数を撤廃せられたし

一、

E員の本給を即時増額せられたし

一、

寳H物の即時増配を確立せられたし

一、

I戦手当を支給せられたし︑但し終戦時の在籍者にして現在在籍者金額本人五〇〇円︑家族一人に付一〇〇円宛

一、

ナ低賃金を確保されたし

  採炭夫  四十円  但し出炭手当五円を加う

  支柱夫 三十五円  一般坑内夫二十五円︵但し女子書記︑女子捲手を除く︶

  坑外夫  甲二十五円︑乙二十円︑丙男子十五円︑女子十円

   昭和二十一年二月十四日

   一終戦直後の常磐地方炭礪労働組合の結成と運動一      一五

(16)

   一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動−      一六

      常磐炭横労働組合    武 藤 武 雄

      常磐炭磧内郷労働組合  渡 辺 勝 治

      ︵﹃おいらの歩み﹄四十一頁︶

 これに対する会社側の回答には物価︑出勤︑皆勤手当は政府の考慮による︒甲勤税と厚生年金は従来通り︑味噌醤油は

政府の配給の減配策により三倍増は不可能︑生理︑妊娠︑分娩の休暇は制限付き支給︑燃料は世帯人員二人一三人が五把︑

四人一六人七把︑七人i八人が八把︑九人以上九把︑賞与は六月より支給︑賃金は賃金制度委員会を設置︑終戦手当は在

籍者に一カ月分支給等の回答を得ている︒その後救済金百万円の支出等の回答があった︒

二 労働組合の結成と組織活動

 戦争中労働組合の運動は禁止され︑その主張も要求も禁圧された炭磯労働者は︑終戦直後に労働組合法の制定や言論︑

出版︑集会の自由を獲得した︒民主主義運動がひろまり鉱山労働者は直ちに労働組合の結成と組織の強化を行うに至り全

山に組合の旗がひらめいた︒以下組合結成の状況を述べてみる︒

    1︑常磐炭畷労働組合の結成状況

 終戦直後の常磐地方の炭礪労働組合の結成は調査によって異なっているが︑第7表では二十年八月以後十二月までに五

組合または七組合というように実数はつかめない︒およその組合結成を表示したのが第7表で︑二十一年分は四月までの

もの二十五組合が結成されている︒

 二十年はいずれも十二月結成で鉱山組合と鉱夫組合︑全炭等に属したもので︑組合員は最少一五〇名︑最高三︑〇五三

名である︒二十一年は一月︑二月︑三月とで毎月結成され︑組合員は最少二九名から最高四︑〇五〇名の間であった︒系

(17)

1終戦直後の常磐地方炭磯労働組合の結成と運動一

第7表  常磐地区炭磧労働組合一覧表(21年5月現在)

葦月割

A・

20.12.11常磐硬山労組赤井第一支部  12.28 常磐地方鉱夫組合東海支部 12.g渓日本岩磯三沢新鉱労組合     1

 12.231常磐炭破磐崎鉱労働組合     1

 12.231古河好間炭破労働組合     k

21.1.11 常磐炭磧湯本磯労働組合   1.27 〃   内郷職員組合   1.24 〃   製作所労働組合   1.11大日本炭磧勿来労働組合   1.1 隅田川炭磧労働組合

  1.2[常磐地方碩夫組合宮支部戸部班

  1.81矢郷炭麟働組合

  1.10 小野田炭磯労働組合   2.7 常磐炭磯湯本鉱成員組合   2.10 〃   内郷破労働組合     l

ll羅麟欝,水支部職員部

2.71  1 2.17 3.3

3.211   1 3.8 3.7 3.23 3.51 3.81   卜3.10.

3.231

3.20 4。13

上山田炭磯職員労働組合 三松炭磧労働組合

目曹赤井破業所成員組合 常磐炭鹿島磧労働組合 常磐地方磯夫組合日水支部寿班 上山田炭積労働組合

〃  第二坑労働組合 品川黒田炭磯労働組合 三和炭磯労働組合 旭炭磯労働組合 広部炭破労働組合 田川炭磯労働組合 小田鉱業労働組合

合数一組員

 166名1  150  467 1,146

:3,053

053390312059184007590472057334598648281240603458630248114238   11523111  49

4         2      1

組合長矧系統

五十嵐初吉 藤田 彦蔵 土屋 一男 山田 儀雄 大河原一次 武藤 武雄 駒木根三好 生田千代作 浅野千代作 根本彦太郎 高島 清美 松木 佐吉 新井 万治 斎藤 修平 渡辺 勝治 安斎 徳弥 萩谷 留吉 三国 春吉 渡辺 平二 小林 忠男 渡辺恒次郎 山田 民茂 清水 元章 大沼千代春 岸波 彦蔵 鈴木治三郎 伊藤  清 小山三之助 八木正二郎 大谷 一郎

鉱山組合 鉄夫組合 鉱山組合 全  炭 鉱山組合 中  立

全  庚 申  立 破山組合 磧夫組合 全  炭 中  立

磯夫組合

1礁山組合 中  立 磯山組合 全  炭 磯夫組合 磯山組合 全  炭 硬夫組合

中  立

磯山組合 備考  r戦後に於ける東部炭積労働統計集』東部石炭鉱業連盟

(18)

   一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動一      一八

統は磧山組合︑鉱夫組合︑全炭︑中立等に分れていた︒

 さらに二十一年九月二十日の調査によると二十年の最初の結成組合は十一月二十四日の日曹福島炭破労働組合とされ︑

この外労組法施行以前の結成もみられ︑六一組合に上ったのである︒

 組合結成の状況は労働者が自覚的に結成をもったのは少く社会党︑共産党の組合オルグ等の第三者の指導によったもの

があるという︒後に組合ボスの排斥となる︒二十年十二月に社会党系の加藤︑高原︑松井等が常磐炭磧内郷暇を主軸とし

て鉱夫組合を結成し︑二十一年一月に大井川幸隆の手で古河好間労組等の組合結成があり︑これ等は常磐鉱山労組連合会

の結成となった︒二十年末から共産党春日正一等が矢郷炭磧等の単独組合を組織︑全日本炭連に加盟し︑後全炭連の福島

支部を結成した︒古河好間労働組合は二十一年七月には常磐鉱山労組連合会を脱退して総同盟に直結し︑常磐内郷磧労組

も鉱夫組合をはなれて単独組合となった︒

       常磐炭田労働組合概要︵東部石炭協会調︶      二一.九.二〇

炭砿労働組合結成の状況

常磐地方に於ける炭磯労働組合は昨年二十年十﹈月二十四日結成の日曹福島炭砿労働組合に発足し︑労働組合法施行以前に過半数の炭

磧に於て夫々の単位組合が結成された︑月別に見れば左の通りである

組合状況

!結成年!組合数 I   l

1   6

20

@11 10 4 7

1

20年  11月  12月 21年  1月  2月

明明明朗用

61

右の結成に当っては現場労働者の自覚的意図に基き結成せられたるものは比較的少く多くは社会党︑共産党の組合オルグ即ち第三者

の指導に依り結成せられたのは何れの組合運動の初期に於けると同様であったが八月︑九月に至って漸く組合自主化の表れがあり第三

(19)

者勢力︑組合ボスの排斥の声が出たのは組合運動の健全なる運営上炭硬労働者の地位の向上へ一歩前進したものと見るべきであらう

 昨年二十年十二月二十三日社会党系加藤木誠一郎氏︑高原浅市氏︑松井政吉氏寺により常磐炭横内郷磧を主軸として常磐地方鉱夫組

合が結成され不偏不党を標榜として発足︑本年二十一年一月二十二日には社会党︵総同盟︶常磐支部長大井川幸隆氏に依り古河好間炭

破労組︑日曹赤井炭磧労組傘下に常磐鉱山労働組合聯合会の結成を見るや昨年末より一月に亘り共産党中央委員春日正一氏等は常磐炭

田に於て活躍︑初め矢郷炭積労組︑常磐磐崎磧労組︑常磐製作所労組等単独組合を組織し挙げて全日本炭礒労働組合︵聯合会︶に加盟

後七月十四日全日本炭磧労働組合福島支部協議会を結成した

 以上は福島炭田に於ける七月上旬頃までの指導分野であったが古河好間炭横労組は七月十二日常磐鉱山労働組合聯合会を離脱し総同

盟に直結し又常磐内郷磧労組も亦七月二十五日常磐地方鉱夫組合を離れて単独組合として発足した

 茨城炭田では社会党系鈴木等の提唱で県北の労組を組織し︑茨城炭田労組連合会を組織し︑櫛形労組の結成︑共産党の

水谷等の高萩炭磧労組連合会の結成があり︑また︑全日本炭労組茨城支部協議会を結成︑後常磐炭磯中郷労組合が活動を

展開した︒

 茨城炭田に於ては嚢に社会党系鈴木藤太郎氏の提唱により︑県北の重内・山口等五労組よりなる茨城炭田労組聯合会を三月一日結

成︑組合左翼化より防止せんとしたが其後櫛形炭磯労組を除き共産党水谷孝氏・椎野悦郎氏等の指導のもとに高萩炭破労働組合聯合会

を主軸として十六労組は五月十五日全日本炭横労働組合茨城支部協議会を結成︑議長に高萩の高山慶太郎氏が選任されたが当時の高萩

炭磧の生産管理及高萩・山一・大東の八月ゼネスト等の結果各単位組合は全炭支部の名称は存在しても実質的には其の指導精神より離

れ宿主的運営に依り九月三日には茨城県北七労組は茨城県出炭対策研究会を創り既に独自の立場より救国増産運動を実施して飛躍的増

産を示してみる常磐炭積中郷積労働組合を中心として増産運動を展開せんとしてみるのは注目に値するものがあらう

 以上は二十一年九月までの組織状況であるが︑みられる通り結成には社会党︑共産党等の党の指導が入り︑自主的結成

は少かったようである︒これ等の組合はそれぞれ連合会を組織し︑その傘下に結集された︒二十一年六月十五日現在の炭

   −終戦直後の常磐地方炭蹟労働組合の結成と運動−      一九

(20)

   一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動−       二〇

礪労働団体の調べによると︑さきに述べたように二十年十二月二十三日に常磐地方磯夫組合︵組合長渡辺勝治︶が組織さ

れた︒これは常磐地方礪夫組合東海炭磧支部と常磐地方常磐炭磯磐城第一支部外宮︑寿︑田人︑笹島等二十組合によって

組織されていた︒

 さらに二十一年一月二十二日に結成された常磐磧山労働組合連合会︵会長大井川幸隆︶は日曹︑赤井︑古河︑小田︑隅

田川︑上山田︑上好間の各組合を以て結成されている︒二十年十一月から十二月まで結成した単産四組合と二月から五月

までの四組合とを以て組織された一この二つの連合体は二十一年一月までに急速に結合されたものである︵第8表︶︒

       第8表福島県炭磧労働団体一覧      ︵一二.六.一五︶

      組 合 名炭磧名結成日組合員 組合長氏名

−︑常磐磯山労働

組合聯合会

結成二一・一・二二

会長 大井川幸隆

常磐磧山福島労働組合同   赤井労働組合    ︵赤井共栄︑深江︑古河好問炭破労働組合小田炭磧労働組合隅田川炭積労働組合

上山田炭磧労働組合

植田地区石炭積込労働組合

上好間炭硬労働組合

常磐地方磧夫組合東海炭積支部東

常磐地方常磐炭硬磐城第一支部

同同

日曹福島同 赤井

古滝各支部︶

古  河小  田

隅田川 上山田

同職員組合

上好間

 第二支部

 第三支部

職工支部常磐

_海

一・二四二・ 二

一二・二三

一二・二三

一丁二一丁三

二一一一二五二  二一  八一二 一七五一一五

二七四三七五

二︑五〇〇

  一六〇

  二五一

  二二六

   九〇

   一五

  一二七  二二六 .五十嵐  初  吉土  屋  一  男

大河原

中斎渡本佐佐川三浦柳大

西藤辺田藤藤村国水沼谷

道源年辰丑忠巳春之喜一一

之 三   代  代

助作郎雄造吾吉治章視郎次

(21)

2︑常磐地方磧夫

組合結成二〇・コ丁二三

組合長渡辺勝治

同同同同同同同同同

宮支部 一

同同

 寿炭磧支部

 この外共産系労働組合︵組合長

磐︑勿来︑三松︑日曹赤井︑旭︑

3︑共産系︵労協︶

組合長 箱崎満寿雄

平支部

町田支部宮沢支部職員支部

戸部班戸 日東班日

東部_

浪花炭硬支部

万治炭積支部

品川黒田炭破支部

田人炭磧支部

笹島不動沢炭磧支部 笹島不動沢

高階磧支部 高階

川部支部日高見川部班

〃   福島班

 箱崎満寿雄︶は磐崎︑鹿島︑

広野︑ 日高見班目高見栄  寿  浪  花  万  治   品川黒田   田  人 六・一五六・ 九六・ 二六・一五

五五二二二一一 八七三三二三三   

@ 

@ 

@翻 lゥ刑部︶至・

       矢郷︑上山田第二︑

曙等の組合が結成されていた︒

常磐炭破磐崎労働組合

同   鹿島〃

同   製 作 所

矢郷炭破労働組合

上山田炭磯第二磧労働組合

東新不動沢炭磧労働組合

﹁小野田炭磧労働組合 磐  崎鹿  島

製作所

矢  野上山田第一磧東新不動沢

小野田

一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動一

○八四一三

一〇 二五二二三四 六〇 六八 九七

一一三一六七

 五〇

 六二

山野須高田管樋町 内口田島辺野口田 東海林 東千堺大鈴脊

出葉 木木畠

英百正藤安民忠佐清要利亀

     四

雄衛実夫正郎治蔵恵助美実一吉治

東新不動滝が属し︑外に小野田︑常

一一四六五四〇

四八二

四九二

 一〇五

二八﹈

新大大松生渡山 井島沼本田辺田

一二

万時千佐千恒儀

 次代 代次

治郎寿吉作郎雄

(22)

一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動一

常磐炭硬湯本磧労働組合同     職員組合

大日本炭破勿来磧労働組合同   三 沢 新 破

三松炭硬労働組合

日曹赤井炭磧職員組合・

旭炭磧労働組合広部炭破労働組合

曙︵竜田︶炭破従業員組合

曙広旭月三〃勿〃常

   曹    赤

 部 井松〃来〃磐

久ノ浜三炭破︵久ノ浜藤岡富久浜︶労働組合

  ︵略称磐炭聯︶の現況︵東部石炭鉱業会調︶

三三三三二四一二一 三三〇三七一一七一

四〇五〇

三六二八三三

二〇〇一一八

一二四

 五四

 八七

一五〇

一一八

半松小伊小渡鈴浅斎武

二二

井本山藤林部木野藤藤 春金三 忠平利千修武   之    代 治吾助清男二明作平雄

 常磐地方炭硬労働組合聯合会

福島炭田の全炭磯労組は共同の目的遂行のため横断的連絡機関の必要性あるに鑑み各労組代表間には三月中旬頃より其の発足に関して

胎動中であったが六月五日常磐地方炭磯労働組合聯合会の結成を見るに至り常任委員制を採り常任書記として横夫組合の高原浅市氏を

迎へ其の後食糧対策の自主的運動労務調整問題・加配米獲得等に関して活濃なる活動を見たが九月三日の第四回執行委員会に於て次項

に述べんとする日本鉱山労働組合常磐支部聯合会の発足を廻り同聯合会と常磐炭磯内郷磧労組及全日本炭積労働組合系労組等の意見の

対立を見て折角の統一戦線も分裂の危機に曝されつつある現状である︒

    2︑全日本炭労と日鉱労の二大連合組織

 二十一年七月になると常磐磧山労働組合連合会に属した古河好間炭磧労組は総同盟に属し︑さらに共産系労協の磐崎・

鹿島・矢郷・上山田・東新不動沢・日炭平支部等が全日本炭磧労働組合福島支部協議会べ︵議長山田儀雄︶を結成するに

至った︵第9表︶︒この協議会は全日本炭磧労働組合に属し協議会は北海道・九州に各支部をもち茨城にも支部協議会を

結成している︵高萩︑合同︑外+組合︶︒福島支部協議会は最初二十一年二月十二日福島地区全炭連を結成したが︑この年四

(23)

月二十二日に中央組織の全日本炭磧労働組合が結成されてから七月に全炭福島支部協議会と改称したものである︒

1︑総

2︑

第9表

全日本炭磧労働組合

福島支部協議会

三年七月 議長 山田 儀雄 福島県炭蕨労働団体一覧表︵二 組    合    名 古河好間炭砿労働組合

一全日本炭破労働組合磐崎支部

[一

P111!

〃 〃 〃 〃 〃 〃

    鹿島支部

   製作所支部

    矢郷支部

上山田第二坑支部 東新不動沢支部

   小野田支部

i日本石炭株式会社平支部

         九 日小東上矢製鹿磐古炭.

 野 山 作   碩_

炭田新田郷所島崎河名○

         現          在       == 調 五一五三一一三__結)

・・・・・・… @ 成

一一一 j  二二ニ二日

○〇三〇八四一三三

東部石炭鉱業会

組合員二六七五

一一〇七

 五四〇

 四八二

 三八三

 一三五

 一〇三

 二六四

  六五

鈴新大大松熊渡山大         河組          ム 木井島沼木田辺田原口          長          氏 光万時千佐豊恒儀一          名   次今  次

雄治郎春吉次郎雄次

 さらにこの年七月三十一日中央に総同盟系の単独組合を以て日本鉱山労働組合が結成されたのを機に九月二日常磐地区

の労組も総同盟の常磐地方磧夫組合︵組合長加藤木誠一郎︶と常磐磧山労働組合連合会︵会長大井川幸隆︶が合同し︑また

常磐湯本︑大日本勿来︑高玉︑沼尻労組も参加し︑茨城にもまたがる日本鉱山労働組合常磐支部連合会の結成となった

︵第9表︶︒

 日本鉱山労働組合常磐支部聯合会︵東部石炭鉱業会調︶

福島県における最大の単独組合常磐炭破湯本碩労働組合︵三︑二四六名︶は結成の頭初より自主的組合を標榜してみたが九月二日総同

盟系大日本勿来炭磧労働組合︵一︑九九一名︶常磐破山労働組合聯合会︵二︑九九三名︶及常磐地方鉱夫組合︵一︑三七九名︶と更に

茨城炭田の櫛形炭破労組及東新労組其の他高玉︑沼尻等の鉱山をも含めて一萬二千余名の勢力を結集して日本鉱山労働組合常磐支部聯

合会の結成を見るに至り︑会長に湯本破労組々合長武藤武雄氏推され飽くまで不偏不党純精組合運動を理念として発足した︒その行動

綱領は其の性格を限定するものであろう︒

    一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動−       二三

(24)

1終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動1

一常磐破山労働組合聯合会 結成 一二︑一︑二二

  会長 大井川 幸 隆

  労働組合

  常磐支部

  聯合会 一

 結成  一二・九・二

会長︵湯本︶

   武藤武雄

 副会長︵櫛形︶

   細井 正雄

 副会長︵勿来︶

  大友  力一

副会長

  未   定

3︑日本磯山1常磐地方磯夫組合 結成 二〇︑二一︑二三  組合長 加藤木誠一郎 1常磐磧山福島労働組合一〃   赤井労働組合一小田炭磯労働組合一隅田川炭破労働組合一上山田炭磧労働組合−上好問炭硬労働組合 福 島

赤井

小 田隅田川上山田上好間

f植田地区石炭積込夫労働組合

一常磐地方磧夫組合東海炭磧支部東海

 1

ノノ

11

ノノ 〃

 1

 E

 1

田人支部伊里議

  笹島不動沢支部

川部支轟高槻川郷班裂 旦蕪

  浪花炭磧支部  万治炭礁支部

     人

〔嫁

坙{誰講購

常磐炭磧湯本破労働組合

三松炭破労働組合

旭炭硬労働組合

広部炭礁労働組合

久ノ浜︵三炭磧︶労働組合︐白棚炭磧労働組合

笹  万浪日日戸  黒田  高 島田人治花見東部  }      一

勿 来三沢新

湯 本三 松

広 部 旭

久ノ浜

白 棚

一丁二四

︷二二一三一二・二三二・ 二二・ 三

五二五

二・ 二一二・二八

一 二

一・ 三二二二一

五五二

〇七三

五三三三二一四一 九七三〇七一一一       }

三二八五四一

一〇二〇四八七

四六五

 一四八 二二

 一九四

二七九

 九三  六三

 七一

 八四

一七九

 黎

一九九一

三七七五 一四六

  五九

  八五

 一九六

  八一 二四五十嵐

東酒鈴大脊東野須高管有大富根大浜      海

出井木木畠林口田島野賀槻永本谷谷

英正藤安忠佐清源勝政彦一

    四        治太 雄實章夫郎治恵助美蔵清晴郎郎郎昇

初 吉

  昇

一 郎

彦太郎

政治郎

田小小下渡武矢浅

   遠 神室山野部藤吹野

末精三政平武三千

  之    吉

治一助治二雄郎代

(25)

 このように常磐地方の労組は右の二大連合団体に統一されたが︑この外に単独組合に常磐炭内郷礪組の三︑

はじめ︑寿︑木戸︑竜田︑三和︑浅倉等の一〇〇名以上の組合と二〇名以上の四組合が存在した︒

3︑

単独組合1

1常磐炭硬内郷破労組合一〃   湯本硬職員組合;日曹赤井炭磧職員組合

1口I II I「

赤木浅竜下安三寿 城戸倉田滝行和

茨城地方には全炭協の高萩︑ 炭確労働組合炭磧労働組合炭磧労働組合炭積労働組合炭磧労働組合炭磧労働組合炭破労働組合炭磧労働組合大東︑山一

赤木浅竜下安三寿赤湯内 城戸倉田滝行和 井本郷

一二・二八

二・ 七三・ 三

 一・ 三

三・ 三

六・ 一二・ 一 三二四六 三六二  六五 二四四 一五〇  三二  二六 一七九  九九 一九七  四〇

横神若遠成志鈴斎小斎渡

の三組合︑日磯常磐支部連の櫛形︑東新の二組合︑

日炭労組の七組合がそれぞれ連合会に加盟している︒

      組    合    名        第10表茨城縣炭磧労働団体一覧表 ︵二一

全日本炭磯労働組合

茨城支部協議会

 議長 高 山 慶太郎

日本破山労働組合

常磐支部聯合会

田田林藤神賀木藤林藤邊

この外単独組合に山口と東亜の二組合があった

・九・一〇現在調︶

 炭磯名   結成日・

全日本炭硬労働組合高萩支部聯合会〃       大東支部

〃        山一支部

櫛形炭磯労働組合

東新炭破労働組合

全日本炭破労働組合華川支部〃       峰岸支部

一終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動一 高萩  三 一

大東  丁二〇

山一  一・ 一櫛形  三・ 五東新  三・ 七幸川  一・ 五

峰岸 

四・二五  組合員

一七九二二四六

四〇三

六四〇

 一五七

五九〇

 九二

二四六名を

一義 典仁 治慶忠修勝 吉雄亨夫蔵浩郎造男平治

  茨城県出炭対策研究会の全

      ︵第10表︶︒

東部石炭鉱業会

戸宮鈴細小宮川

組合長氏名

川原木井室脇又 米房正治荒秀 吉吉雄雄市夫

金太郎

二五

(26)

1終戦直後の常磐地方炭磧労働組合の結成と運動1

茨城県出炭対策研究全一

単  独  組  合1  ︐  ノ  ノ  ︐  〃

一山口炭磯労働組合

⁝東亜炭磧労働組合 神山支部中郷支部重内支部上田支部関本支部

東山関上重中神 亜口本田内郷山 七一一一一一一 二九〇四三九七  五二一八〇四 六三六三二二八 六四九一四八四 荒細古手白影川

川川塚鳥山村

二六

留三軍武芳清経 太  次

郎次次郎夫寿蔵

    3︑連合会と単独組合の組織状況

 二十一年の組合の結成は社会党︑共産党︑中立等に色分けされる程︑鮮明さが増してそれぞれに所属された時期ともい

える︒二十二年に入っては一月の調査では連合体の勢力分野が明確にされている︒常磐地方の炭磧労組の組織率は九四・

三%に達した︒一月七日から二十二日にかけて再組織が行われ︑団体は三つに分れる︒①は全日本炭磧労働組合福島支部

協議会︵議長新井万治︶︑七月七日に結成︑一︑四九〇名を以て組織され︑全炭労の矢郷︑小野田等と日炭平支部等によ

って成る︵第n表︶︒⑧は日本磧山労働組合常磐支部連合会︵会長欠︑副会長大友力等︶︑二十一年九月に結成されたこと

は前に述べた通りで常磐磧山︵大井川幸雄︶と常磐地方麟夫︵松井政吉︶の二大組合と大日本勿来︵浅野千代吉︶外の労組を

加えて七︑四二六名の勢力を持っている︒

 この二大団体で︑前年結成の時期と二十一年の時期では組合長が変っている︒二十一年九月の全日炭の議長山田儀雄

︵磐崎磧︶は二十二年一月では単独組合に入り︑二十一年九月の日膿常磐支部連の会長武藤武雄は二十二年一月では姿を

消し︑また常磐磧夫では二十一年組合長加藤木誠一郎は二十二年一月に松井政吉に代り︑下部組織も班より支部に変化し

ている︒       第11表 東部管内炭磧労働団体一覧表        ︵二二・一・二〇現在調︶

(27)

−︑

全日本炭破労働組合福島支部協議会

議 長

結成日勢力

2︑日本破山労働組合

常磐支部聯合会

会長 欠  員

副会長大友力

    一条与作

   重久篤義

結成日 二一・九・二

勢力 七︑四二六名

新井 万 治

二一・七・七一、

l九〇名

一常磐破山労組

 組合長大井川幸隆

 結成日 二一・丁二二

 勢力 二︑七五二名

1常磐地方磧夫組合

  組合長松井政吉

 結成日 二〇・ニマ二三

 勢力 一︑七四七名

 組

全炭労組

日炭平支店

常磐横山

小  田

上山田 上好間

植田地区常磐地方

ノ  ノノ    ノ   ノ       ノノ   

一終戦直後の常磐地方炭畷労働組合の結成と運動1  合   名 矢 郷 支 部 小野田支 部一上山田第二坑支部 寿  支  部 笹島不動沢支部. 東新不動沢支部

  従 労 組  結

一二二一

二二

二一

二一

二一

二一

    赤 石炭炭炭井赤福 炭   労 積硬磧磧組井島 込   深 夫労労労江労労 労   支

粗.粗.懇.組.部一一紐.狸

一一一 Z一〇〇

東海炭磧支部⁝

戸部炭破支部

日東宮炭磧支部 二〇・二一・

三一・

日高見綴炭砿支部⁝一二

大野坑支部一二

 浪江炭確支部三一 万治炭破支部三一 三和炭砿支部三一 田人炭破支部三一 黒田炭積支部二一

五五五一三一一成

q三、二道.三.Ω.Ω.八日

二丁二三 五・一Q

二丁二三⁝

二・ 三五二五⁝

二・ 二⁝

二二一二一八一一一二

三三.八三.三.六.三.三.三.八

組合員

四五三二九五

一三九二八六

一六一一〇九

 六五

 三五九

 五五三

  六一

一、

Z七八  喜二

外に中立組合三十七組合と純中立十四組合とに分れるに至った︵第13  表                                  表︶.                 .  卸 3︑日本破山労働組合常磐支部聯合会    ︵福島県同様︶勢力 八二七名  単独組合︵組織率九九・三%︶ 2︑常磐炭田磯原地区 労働組合聯合会     会 長影山 清奉     結成日 二一・一一・一〇     勢力五︑一四五名

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