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終戦直後の中学校数学教育

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(1)

終戦直後の中学校数学教育

著者 長崎 栄三

雑誌名 学芸大数学教育研究

巻 11

ページ 69‑82

発行年 2000‑03

出版者 東京学芸大学数学科教育学研究室

URL http://hdl.handle.net/10297/6340

(2)

学芸大数学教育研究第11 19 69‑82 

6 9  

中等数学第一類・第二類の墨塗りと暫定教科書

一終戦直後の中学校数学教育ー

長 崎 栄 三

昭和

1 5

年に始まった数学教育再構成運動を発端とした『数学第一類・第二類』

の発展として戦後の数学教育史をとらえ、昭和

2 0

2 1

年代の数学教育について、

墨塗り教科書、哲定教科書を中心に明らかにした。これらの時代の教科書も「生 徒が自ら数理を発見する

J

という精神のもとに作られており、また、暫定教科書 は、微分・積分、確率・統計などの教材の扱い方の現在の原型をも提供している。

I はじめに 中学校数学の国定教科書にも数学教育再構成 運動の理念は引き継がれていた1>。本論にお 昭和

1 5

9

月に始まった数学教育再構成運 いては、この教科書の戦後の再改訂を中心に、

動は、昭和

1 7

3

月に新しい数学の教授要目 昭和

2 0

8

月の終戦以降から、新制中学校教 として結実した。この要目では、数学の内容 育が始まる直前の昭和

2 2

3

月にかけての中 領域を「第一類」と「第二類」の

2

領域に分 学校数学教育の主な変遷を明らかにするとと け、関数の観念、図形の動的考察、図的表現、 もに、戦前から戦後への数学教育の連続性を 測量、統計を重視し、近似値や極限の概念を 示すことにする目。

扱い、微積分の基礎や力学な.どを含むという、

画期的なものであった。その後、この要目に 沿った教科書が昭和

1 8

年から発行された。こ れらの教科書は、生徒自らが数理を発見する ことを目指したものであり、各章の構成

l

ま、 問題場面において事象を数学化することから 数学の世界に入り、問題を次々と解きながら 数学的な理解を深めていくという問題中心主 義を取っており、それまでの中学校数学科教 科書には見られない思想と形式を持ったもの であった。その問、昭和

1 8

1

月には「中等 学校令」が公布され、中学校は

5

年第jから

4

年制へと変わり、それに従って「数学

J

「理数科数学

J

となり、中学校の教科書も検

II.軍国主義・国家主義的内容を削除した

『墨塗り教科書j 一昭和

2 0

年度一

1.文部省による学校教育の再開3)

昭和

2 0

8

1 5

日の終戦とともに、文部省 は、矢継ぎ早に方針を発表していった。

8

1 5

日には、太田耕造文部大臣が各地方長官宛 に戦争終結の訓示を通達し、翌羽田には「動 員解除ニ関スル件」を通達して学徒勤労動員 を廃止した。そして、

2 1

日には、 「戦時教育 令」を廃止し、

2 8

日に「時局ノ変転ニ伴フ学 校教育ニ関スル件」を発することによって、

学校の授業を再開することを通達した。

9

月 定教科書から国定教科書に変わった。そして、

1 5 8

には「新

B

本建設ノ教育方針。を発表し、

(3)

国体護持のもとに軍国的思想を払試し平和国 昭和

2 0

年中に

4

つの大きな教育指令を作り、

家を建設するために科学的思考力を養うとし それらは

GHQ/SCAP

から発せられた。

T

こ。

2 6

日には疎開学童の復帰を通達した。

1 Q

2 2

日の第

1

の指令「日本教育制度ニ対ス また、文部省は

1 0

1 4

日に「中学校、高等 ル管理政策

J

においては、軍国主義的、極端 女学校学徒勤労動員解除ニ伴フ学カ補充ニ関 な国家主義的イデオロギーの普及を禁止し、

スル件」を発して4ヘ勤労動員によって授業 それに沿った教科書の改訂を進めることにつ ができなかった分を補うために最高学年の

4

いて指示を出した。

年に対して、中学校教科課程案を示し、昭和

2 0

1 0 月 1

日から昭和

2 1

3 月 1 7

日までの約

2 0

週間は、数学は週

7

時間にし、次のような 内容を示した。

第一類:多項式、系列ノ考察、逮続的変化、

統計ト確率

第二類円運動ト三角函数、総括

これらの内容は、昭和

1 8

1 9

年の検定教科書

『数学第一類・第二類』の

3

4

学年の内容 と概ね一致している。

戦災によって校舎が焼失していたり、食糧 難の中での学校の再開であった。

2 .

連合国軍最高司令官総司令部の 教育政策日

一方、昭和

2 0

8

2 8

目、日本占領軍であ る連合国軍の先遣部隊が厚木に進駐し、

3 0

日 には最高司令官のマッカーサ一元帥が来日し た。連合国軍最高司令官総司令部

( G e n e r a l H e a d q u a r t e r s

S u p r e m e  C o m m a n d e r  f o r  t h e   A l l i

dP o w e r s :  GHQ/S CAP)

は、

1 0 月 1 1

日に幣原喜重郎首相に対して、

5

大改革指 令、すなわち、婦人参政権の実現、労働組合 の組織奨励、教育の自由主義化、特高組織の 撤廃、独占的産業支配の改善、の指令を出し た。

GHQ/SCAP

において、教育を担当

したのは民間情報教育局

( C i v i lI n f o r m a t i o n   a n d  E d u c a t i o n  S e c t i o n  :  C  1 

E)であり、

3 .

文部省・

GHQ/SCAP

による教科書 修正の指示町

教科書に関しては、文部省は、

9 月 2 0

日に

「終戦ニ伴フ教科用図書取扱方ニ関スル件」

を発することによって、 「教科用図書ニ付キ テハ追ッテ何分ノ指示アルマデ現行教科用図 書ヲ継続使用シ差支ナキモ戦争終結ニ関スル 詔書ノ御精神」によって、不適当な教材は削 除省略して現行数科書を使うこととした。

「不適当な教材」の基準は次の通りであった。

国防軍備等を強調する教材、戦意高揚に 関する教材、国際の和親を妨げる恐れの ある教材、戦争終結に伴って現実の事態 と著しく遊離したり今後の児童生徒の生 活体験と甚だしく遠ざかる教材

それまでに使われていた教科書について削除 省略する部分を実際に切り取るわけにもいか ず、生徒は、教師の指導によって、塁で黒く 塗り潰してその部分が見えないようにした。

そこで、この時代に使われた教科書を総称し て後に『墨塗り教科書』と呼ぶようになった。

なお、これらの教材を削除した後の補充教材 としては次の教材があげられていた。

国体護持・道義確立に関する教材、文化 国家の国民にふさわしい教義・真実等に関 する教材、農産増強に関する教材、科学 的精神啓培に関する教材、体育衛生に関

(4)

中等数学第一類・第二類の墨塗りと暫定教科書

7 1  

する教材、国際平和に関する教材 あった。そこで、中学校の数学科における墨 この時期の塁塗りは、文部省が主体となって 塗りは、これらの教科書でなされた。

「国体護持

J

のもとで、主として軍国主義的 中学校数学科教科書の墨塗りについては、

な内容を削除するものであった。

GHQ/SCAP

も文部省も指示を出してい その後、

GHQ/SCAP

は、

1 0

2 2

日の ないので、具体的にどのような部分が削除さ 第

1

の指令「日本教育制度ニ対スル管理政策」 れたのかは、現存する墨塗り教科書からしか で、すべての教育内容から軍国主義的な内容 見ることができない。

だけではなく超国家主義的な内容をも排除す 埼玉県の県立川越農蚕学校の

1

年で使用さ るようにとの指令を出した。文部省の指示と れていた、国定教科書『中等数学一第二 の迷いは、削除内容に超国家主義的な内容す 類j (昭和

1 9

1 2

月初日修正発行〕では、次 なわち国家神道関係の内容も含めたことであ の

1 0

か所に墨が塗られた円。

る。国家神道関係の内容を削除することは、

5

頁ーの学校の絵の「お宮」の部分

1 2

1 5

日の第

3

の指令「国家神道の禁止」に

5

頁 四の全文

c r

氏神ノネ土」を含む)

よって一層明確になうた。こうして塁塗り指

1 6

頁 三 の 全 文

c r

気球」を含む)

示の主体は

GHQ/SCAP

に移った。

そこで、

GHQ/SCAP

の意向を受けて、

昭和

2 1

l

月に文部省教科書局長から、国民 学校用の教科書のうち国語と理数科算数につ いては、各県宛に具体的な削除内容を示した 指示が出された。しかし、中学校や高等女学 校の数学科の教科書については、国民学校の 理数科算数のような具体的な削除の指示は、

GHQ/S CAP

からも文部省からも出され なかった。そこで、県段階などの指示で、削 除、つまり、墨塗りカ匂すわれた。

塁が塗られた『数学第一類・第二類』

.  r

中等数学第一類・第二類』

墨塗りは、終戦以前の昭和 18~20年に教室 で使用されていた教科書をもとに行われた。

当時、中学校の数学科で使用されていた教科 書は、

1

2

l

立、昭和

1 9

年以降に発行され

た国定教科書の『中等数学第一類・第二類』

であり、

3

4

5

年は、昭和

1 8

1 9

年発行の 検定教科書の『数学第一類・第二類』で

1 7

頁 六 の 全 文

c r

敵陣

J

、「砲撃」、

「観測班

J

を含む)

2 6

頁説明文の「軍隊」の部分

2 7

頁 五 の 全 文

c r

軍用双眼鏡」、「敵」、

「立哨」を含む)

2 7

頁 六 の 全 文

ci

飛行機」を含む)

2 8

頁四の影絵の「飛行機」の部分

3 8

頁説明文の艦船の「鑑」、「航空機

J

の部分

6 5

頁 聞 こ の 全 文

c r

神明造

J

の図及び言 護を含む〕

ここでは、神道に関する内容が削除されてお り、

GHQ

の指令が出た

1 0

2 2

日以降に墨塗 りがなされたと恩われる。

福岡県の福岡中学校の

3

年で使用されてい た検定教科書『数学

第二類j (昭和

1 8

3

1 7

日発行)では、次の

4

か所に墨が塗

られた目。

2 2

頁 問

2

の全文(

r

敵機」、「戦闘機」、

「追撃」を含む)

2 4

6

の全文

c r

観測所」、「大砲」、

(5)

「敵陣」を含む)

3 7

1

の全文

c r

砲兵陣地

J

、「敵陣

J

「観測班」、「射距離

J

「砲撃」を含む)

5 2

頁説明文の「飛行機」の部分とそれに 関する絵の部分

なお、

3 0

頁の縮図法の説明における「参謀本 部

J

、「陵地測量部

J

は墨が皇室られていない。

この教科書には、神道の内容が含まれていな いために墨塗りの時期は定かではない。

すべての生徒が必ずしも教科書を持ってい

ニ伴フ措置ニ関スル件」が発せられ、

1

年か ら

4

年までは改訂教科書を使い、最高学年に ついては教科書を使用しないこととなった。

その後、

4

9

自の「新学期授業実施ニ関 スル件」によって、

1

年から

4

年までは「暫 定教科書」を発行することが明記され、

5

年 は戦時中の授業が満足に行われなかった実情 を考慮して教科書を新たに発行しないことに なった。新教科書はこの文書によって「暫定 教科書」と呼ばれるようになったので、文部 省著作の固定教科書ではあるが『瞥定教科書』

たわけではなしゅ卵、このような墨塗りの作 と呼ばれるようになった。

業は、教師にとっても生徒にとってもつらい

作業であった。

2 .

暫定教科書『中等数学第一類・第二類』

の原本

m .

連合国軍最高司令官総司令部の許可を 暫定教科書は、昭和

1 9 ‑ 2 0

年に発行された 得て発行された『暫定教科書』 固定教科書、謄写版刷りの原案、検定教科書 一昭和

2 1

年度ー を原本として、それを修正して編集された考

1.新教科書作成の指示10)

GHQ/S CAP

は、昭和

2 0

1 0

2 2

日の 第

1

の指令「日本教育制度ニ対スル管理政策」

において教科書の早急の改訂を促していたが 文部省は、昭和

2 1

年度を迎えるにあたって、

戦時下の教科書を再版し、昭和

2 0

年度も同じ ように一部削除すなわち墨塗りで対処しよう

していた。ところが、昭和初年

1 1

1 0

日、

C 1  E

から、新教科書は

CIE

の許可なしでは 出版できないこと、その新教科書の英文はす べて

CIE

に提出するようにとの指令が口頭 で出された。これを受けて、文部省では、昭 和

2 1

年度用の教科書の編集を始めた。

昭和

2 1

2

2 3

日には、 「中等学校令」が 改正され、

4

月からは

4

年制から

5

年告]1に戻 すことになり、 「中等学校修業年限延長実施

えられる。これをまとめると表

1

の返りであ る(表

1

では・を原本とした)。

1

暫定教科書の原本

1検定│謄写│国定│哲定

1

10 e

→ 口 第

12

年1.

0

・ → 口 一

1 3

10 0

・ → 口 類

1 4

年 │ ・ → → → → → → → 口

5

l o i ‑ ‑ i ‑

‑ → 口 . → 口

・ → → → → 口

" → → → → 口

宅ーー:

: 0 .

口発行済み、・

1

京本

(6)

中等数学第一類・第二類の盛塗りと暫定教科替

7 3  

暫定教科書の原本は、本来、昭和

1 9

2 0

年 「立体図形ノ表現」に棺当し、

D

は検定教科 に発行された国定教科書『中等数学第一類・ 書

4

年二類の第

2

節「球面上ノ図形」に相当 第二類』であるが、国定教科書が発行された している。

のは、

1

2

年のー・ニ類、

3

年の一類の

5

冊 これらの原案は、いずれも、検定教科書と だけであった。そこで、その他の原本として 同じような問題中心主義の構成となっており、

は、

3

4

年の二類については、昭和

1 9

2 0

年 両者の編集方針には変わりがない。なお、

に作られたと恩われる国定教科書の騰写版刷 「三

J

の表紙の擦題はいずれも縦書きである りの原案があり、

4

年の一類については、昭 が、 「四」の標題は横書きである。

2 0

年に発行された検定教科書『数学

第一類』が原本となったと思われる。これら

暫定教科書『中等数学第一類・第二類』

の原本をもとに、墨塗りと同じ趣旨で修正が の編集

行われ、暫定数科書が作成されていった。 文部省では、戦時下の国定教科書等の

3

種 これらのうち、国定教科書の謄写版刷りの 類の原本を修正することから、暫定教科書 原案

( B 5

判)は、現在のところ

4

冊見つかって 『中等数学第一類・第二類』を編集し始め いる11)。これらの原案が戦時下の国定教科 た。この原本の修正には、佐藤良一郎、宮崎 警の原案であることは、そのうちの

1

( 3

勝弐らの東京高等師範学校・同附属中学校関 年一類)が国定教科書とほとんど同じである

ことから分かり、また、これらが戦時下に作 成されたことは軍隊を題材として使った問題 が含まれていることから確認できる。それら の名称と章構成等は、次の通りである。

A:  r

中 等 数 学 三 第 一 類j

( 4 0 p )

箇数ノ処 理、系列ノ考察処理、誤差ト近似値

係者がかかわったと恩われる12>。

この時期、文部省でこの編集にかかわった のは、和田義信、丸山俊郎の

2

名だけと思わ れる。昭和

2 1

年からは、和田、丸山の

2

名だ けで、昭和

2 1

年度版瞥定教科書の編集、昭和

2 2

年度版学習指導要領の作成、昭和

2 2

年度版 教科書の編集を並行して行うという激務をこ

B:  r

中 等 数 学 三 第 二 類j

( 4 7 p )

対数、周 なさなければならなかったと思われる。文部 期運動、三角形ノ解法、軌跡 省において戦時下の数学教育の職責を担った

c :   r

中等数学四図法卜ソノ基礎』

( 3 6 p )  

[掌はなく

1 0

節:内容は図法]

D .   r

中 等 数 学 四

J ( 4 5 p )  

[章はなく

1 0

節:内容は地球]

多くの人々がすでに文部省を去っていたので ある。下村市郎、前田隆一は昭和

1 8

年に文部 省を去っていた。昭和

2 0

年に入ると、土星野直 道は

5

月に金沢高等師範学校へ移り、森規矩 謄写版刷り原案の章構成を、昭和

1 8

1

月 男も

7

.11に金沢高等師範学校へ移り、内藤卯 の理数科数学教授要目と比較すると、

A

B

三郎も

1 2

月に奈良女子高等師範学校へと移つ はそれぞれ

3

年一類・二類に沿った構成であ ていた。一方、和田とともに戦後の数学教育 るが、

C

D

4

年二類とは異なり、円柱、 の復興に活躍した中島健三、島田茂はこの時 円錐の切断がなくなる一方で球面が入ってい 期にかかわっていなかった。中島の文部省入 る。なお、

C

は検定教科書

4

年二類の第

l

節 省 は 昭 和

2 1

5

月であり、島田はこの時期シ

(7)

ベリアに抑留中であった。また、昭和

1 5

年か た日付だったのである。

ら外部から中心的にかかわってきた東京高等 暫定教科書の原稿は、『数表』が一番早く、

師範学校附属中学校教諭の田中堅運は昭桓

2 0

昭和

2 1

1

月中に

CIE

に提出され、

l

2 6

年末には故郷の岐車に帰ってしまっていた。

暫定教科書の編集においては13>、文部省 で、和文の原稿を作成したのち、外部に英文 翻訳を依頼し、その英文原稿をタイプ打ちし た後で(実際には手書きのものもある)、

CIE

に和文と英文の両方の原稿が提出され た。和文活字原稿と英文原稿は「前・後

J 2 

日には

CIE

の印刷許可を得て、

2

1 7

日に は印刷された。これは、昭和

1 9

4

8

日発 行の『数表』の和文のところに手書きで英文 を書き込んだものであった。しかし、その他 の教科書には、完全な英文原稿が必要であり、

編集・発行は遅れた。昭和

2 1

3

5

目、

『中等数学ー第一類前』が初めに発行 回に分けて

CIE

に送られ、

CIE

の検関を され、その後、

5

2 9

日までに

1

年から

4

年 受けた。なお、教科書として出版されたとき まで、合計

2 4

分冊の教科書がすべて発行され には、各学年各類とも、 「前・中・後」の

3

た。これらは、いずれも表紙のための特別な 回に分けて印刷されイ英文の「後」が、和文 紙はなく、新聞紙大の大きさのザラ紙に表紙 の「中・後」に分けられた。

編集における文部省と

CIE

の関係を、

や目次も含めて両面で

1 6

頁分が印刷されもの を折り畳んだものであり、生徒が自分で切れ

『中等数学ー第一類前』を例に取って 自を入れて教科書の形にするものであった。

示すと、次の通りである14>。昭和

2 3

1

3 1

日、文部省から

C1  E!

こ、発行年月日等だ

4 .

英文原稿と

CIE

の検問

けが空白となった『中等数学一第一類』

CIE

は、和文原稿と英文原稿をもとに検 の前半部分の和文原稿とその英文原稿が提出 関を行った。和文原稿は、先に述べた原本を された。それが

2

7

日まで調べられ、

2

1 3

日には校正終了、

3

1

日には印刷許可が 出された。校正終了と印刷許可には

i H J W j

元に作成された原稿でありすでに活字で印刷 されていた。英文原稿は、主として東京文理 科大学や東京府下の中学校に依頼されて翻訳 のイニシャルが付されている。その後に、和 されたようである。マイクロフィッシュでは、

文原稿は

CIE

から文部省に戻され、印刷・ 『中等数学三第二類』の英文原稿だけに 製本に回り、教科書の裏表紙には、

i T r a n s 1 a t e d  b y  T e a c h e r s  o f  t h e  T o k y o  

昭和

2 1

3

1

目印刷同日翻刻印刷

J o n a n  M i d d 1 e  S c h ∞

ljとあり、東京の城南 昭和

2 1

3

5

日発行向日翻京JI発行 中学校(現在の東京都立城南高校)の教師が

[昭和

2 1

3

5

日 文部省検査済] 作成しちことが分かる1530

A P P R O O V E D  B Y  M I N I S T R Y  O F  E D U C A T I O N  

英文原稿には、手書きとタイプのものがあ

( D A T E  M a r .  1 .   1 9 4 6 )  

る。ほとんどが

i S U G A K U1 ‑ R U I J   ( A l g e b r a )  

と、印刷され、学校に送られたのである。最 などと表書きをされているが、

4

年二類だけ 後の英文では

i M I N I S T R Y j

となっているが、

i M a t h e m a t i c s  f o r  S e c o n d a r y  S c h o o 1 s  I V .  

実際にはその日付は、

CIE

が印刷を許可し

2 ‑ R u i j

となっている16>

i

J

に当たる英

(8)

中等数学第一類・第二類の盤塗りと暫定教科書

7 5  

訳は、まちまちで、

r Q u e r y J   r Q u e s t i o n J  

文部省著作の哲定教科書『中等数学第一類・

r Q u e s t J   r P r o b .  J r Q . J

が使われており、 第二類』の

4

学年分、各

3

分冊、合計

2 4

分冊 また、 「種々ノ問題」も

r P r o b 1 e m J r P r o b ‑

(前・中・後〉が発行された。それぞれの各章、

1 e m s J   r V a r i o u s  P r o b 1 e m s J

がある。なお、 頁数、発行月日、総頁数は、次の通りである。

「問」の次にある問題には

r E x e r c i s e J

.を当 【第一類】(1年)図表卜式、比例、正ノ数負 てているものもある。このように、英文原稿 ノ数〔前

1 4

3

5

目、中

1 2

4

2 0

日、後

2 4

の表記上の統一は取られていない。複数の外 頁

4

2 0

日、合計

5 0

頁〕、

( 2

年)一次函数、式 部に翻訳を依頼して統一せずにそのまま

C 1 

ノ計算、ニ次函数〔前

1 4

3

9

目、中

1 2

5

E

に持ち込んだようである。 月

3

日、後

3 3

5

3

目、合計

5 9

頁〕、

( 3

年〉箇 英文原稿には分冊ごとに同ーの書式の表紙 数ノ処理、系列ノ考察処理、誤差ト近似値 が付けてあり、

r A p p r o v e d  f o r  P r ∞ f J   ( 校

〔前

1 4

3

1 7

目、中

1 2

5

1 7

日、後

2 3

5

正終了)、

r A p p r o v e df o r  P r i n t i n g J  

(印刷 月

1 7

日、合計

4 9

頁〕、

( 4

年)函数ノ変化ト極 許可)の欄があり、それぞれにイニシャルと 限、統計ト確率〔前

1 4

4

1 3

日、中

1 2

5

日付が書き込まれている。なお、この際、

C 2 9

日、後

5 0

5

2 9

目、合計

7 6

頁〕

1  E

が立てた削除のための一般的基準は、軍 【第二類】

( 1

年)測量、図形ノ書キ方、図形 国主義、超国家主義(国家神道〕であった。 ノ観察〔前

1 4

3

2 9

日、中

1 2

4

月初日、後 ほとんどの巻のイニシャルは、

n

!J

w J

であ

2 4

4

2 0

日、合計

5 0

頁〕、

( 2

年)図形ノ移動、

り、このほか

r T o m J r I O

、または、

J C

J H

相似形、三角函数、円ト球〔前

1 4

3

2 9

日、 とも読める」が

2 . 3

ある。

H J W

とは、

1 1 . J .

ワ ン 中

1 2

4

2 2

日、後

2 8

4

2 2

日、合計

5 4

頁〕、

ダリック海軍少佐のことであり、数学の専門

( 3

年)対数、周期運動、三角形ノ解法、軌跡 家ではなかった17'。英文原稿のうち

1

題だ 〔前

1 4

4

5

日、中

1 2

4

2 2

日、後

3 4

4

けに斜線が引いてあるだけで、その他にはー

2 2

日、合計

6 0

頁〕、

( 4

年)図法、球面上ノ図 切修正や削除の指示はない。しかも、斜線が形〔前

1 4

4

5

目、中

1 2

5

2 4

日、後

5 3

5

引かれてある

1

題は、暫定教科書には削除さ月

2 4

目、合計

7 9

頁〕

れずに載っている

u

中等数学

3

第二類』 この教科書は、法的には昭和

1 8

年の「理数

4 7

頁二)。これらのマイクロフィッシュを分

析する限り、日本の和文・英文原稿は

CIE

によって一切修正・削除されていない。した がって、普定教科書は、

CIE

の削除指令と いう枠内ではあるが、日本によって作成され たことになる。

5 .

折り畳み式の暫定教科書

『中等数学第一類・第二類』

昭和

2 1

3

5

日から

5

2 4

日にかけて、

科数学

J

の教授要目に基づいて編集されたこ とになっている。そこで、教授要目と哲定教 科書の章繕成を比べ、暫定教科書において標 題が変わった章をあげると次の通りである。

( ) ~は教授要自の章。 【第一類】 (1年) 比例(一次函数)、

( 3

年〕誤差ト近似値(近似値 ト誤差)、

( 4

年)函数ノ変化ト極限(連続的変 化)、統計ト確率(統計)【第二類】 (1年)図形

ノ観察(対称・回転・合同)、

( 2

年)相似形(直角 三角形)、三角函数(直角三角形)、

( 3

年)周期

(9)

運動(三角函数)、三角形ノ解法(三角函数)、

( 4

年)図法(立体図形の表現)、球面上ノ図形 (なし)。暫定教科書の章の構成は、この教授 要目と検定教科書との折衷案となっており、

検定教科書や固定教科書と同様に、教科書が 教授要自に必ずしも従っていない。

全体として、瞥定教科書の内容構成の仕方 は、検定教科書、国定教科書と同様に、問題 中心主義に則った形式が継承されている。す なわち、一つの節が、導入の場面から入り、

それに関連した「問」を出題し、その後、練 習問題があって節が完了し、そのような節が いくつか集まった章は、最終節が「種々ノ問 題jで終わっている正導入の場面も同様に工 夫されている。つまり、暫定教科書の精神は、

検定教科書『第一類・第二類』と同じである。

6 .

暫定教科書と原本の比較

暫定教科書の特徴を明確にするために、習 定教科書の

3

種類の原本、すなわち、戦時下 に発行された、検定教科書、国定教科書、謄

3

年一類

( 1 8 1

/ 5 1

頁→

1 8 0

/ 4 9

頁)、

l

年二類

( 2 4 9

/ 8 8

頁→

1 9 0

/ 5 0

頁)、

2

年二 類

( 2 2 8

/ 8 8

頁→

2 1 1

/ 5 4

頁)

1

頁当たり の問題数は哲定教科書の方が多く、限られた 頁数の中に問題がぎっしりと詰め込まれたこ

とになる。

削除された問題は、

1

年一類

3 3

題、

2

年一 類

1 2

題、

3

年一類

1

題、

1

年二類

1 2

題、

2

年 二類

2 7

題、全体で

1 4 5

題である。このうち、

削除理由に相当する軍隊や神道や領土に関す る事柄が含まれている問題は

2 3

題だけであっ た。実は、削除された問題の約

4

l

には図や 表が付いていた。そこで、限られた頁数にで きるだけ多くの問題を入れるために、図や表 が入っている問題が削除されたと恩われる。

このことは、問題は残ったが図が削除された 問題が

2 6

題に達することからも推測される。

つまり、削除理由に相当する問題だけではな く、図や表を含む問題、そして発展的な問題 などが削除されたと恩われる。このことは検 定教科書や固定教科書において現実世界と数 写版刷りの原案、とを比較する。 学世界の間の橋渡しの役害]1をしていた図や表 第

1

は、昭和

1 9

年発行の国定教科書と瞥定 が多く失われ、 「一類・二類」の魅力の一つ 教科書の比較であり、対象は

1

2

年のー・ニ類、 であった現実性が弱まり、一方で数学の抽象

3

年一類である。章構成はどれも全く同じで ある。しかし、章の中の節の構成を見ると、

国定教科書の

1

年一類「比例」の「三実験

度が高まったことを意味している。

ところで、軍隊や神道関係の問題は必ずし もすべて削除された訳ではなかった。削除さ ニヨッテ関係ヲ知ルコト」が削除されており、 れずに修正されている問題も、次のようにあ

1

年二類「図形ノ観察」の節構成が変わって る。

r

徒歩兵、乗馬兵」を「甲、乙

J

(国定 いる。固定教科書に比べると、頁数は激減し

l

年 一 部

1

頁問ー)、「伝令、本隊

J

を「甲、

ているが、

1

年を除き問題総数はそれほど減 乙

J

(国定

2

年一類

8 0

頁三)、 「氏神の社」

少していない。国定教科書から暫定教科書へ を「寺の屋根

J

(国定

l

年二類

5

頁図)。さ の問題総数、総頁数の変化をまとめると次の らに、暫定教科書には新しい問題が入ってい 通りである。

1

年一類

( 2 4 8

/ 8 8

頁→

2 0 3

題/ る。

1

年一類

3

題、

2

年一類

3

題、

3

年一類

5 0

頁)、

2

年一類

( 2 5 0

/ 8 8

頁→

2 3 9

/ 5 9

頁)

0

題、

1

年二類問題、

2

年二類

9

題、全体で

(10)

中等数学第一類・第二類の盤塗りと智定教科書

7 7  

3 1

題である。二類での新しい問題が目立つ。

特に、

1

年では、測量の「概損

I J J

、図形ノ観 察の「対称形」、 「球

J

などに新しい工夫が 見られる。このことは、暫定教科書は、単に 国定教科書を削除して作ったというので{まな く、それまでの指導実績を踏まえてより指導 しやすいように問題や問題配列に変えて改訂 がなされているということである。

定義についても若干変わっている。実験式 の節がなくなったのに伴い、実験式の定義が なくなり、 「等測図」は「等角投影図」に変 わっている。そして、円や三角関数に関する 細かい定義カ吋寸け加えられている。

また、

3

年一類の了誤差ト近似値」では

「・・・ヲ超エナイ」と断定的であったものが ほとんどすべて「・・・ヲ超エナイトシテヨイ」

と認容的に変わっている。これは謄写版刷り

きりとしたものになっている。

3

は、昭和

1 9

年発行の検定教科書と暫定 教科書との比較であり、対象は、

4

年一類で ある。全体的に章構成が大きく変わっている。

検定教科書は、系列ノ考察、連続的変化、統 計ト確率、という章構成であったが、このう ち「系列/考察」は

3

年一類に移り、 「連続 的変化」が「函数ノ変化ト極限

J

と変わり、

「統計ト確率」は標題は同じである。

3

年一 類・

4

年一類を通して見ると、微分・積分の 指導系列が大きく変わっている。区分求積法 の位置が導入場面ではなくなり、微分、積分 から入っていたの古久徴係数、導函数、積分 という順になった。また、指数関数・対数関 数の微分・積分が入るとともに、微分方程式 も入った。'そして、統計・確率の指導系列も 統計から確率へと整理され、期待値(希望金 原案への修正の書き込み(佐藤氏によるもの 額)が導入されている。微分・積分や統計・確

と思われる)を受けたものである。 率の数学的な系統化が図られ現在の指導の原 第

2

は、謄写版刷りの原案と暫定教科書と 型が確立され始めたと見ることができょう。

の比較であり、対象は、

3

年二類、

4

年二類 である。全体的に見て、いくつかの修正はあ り、また、問題数が若干減ってはいるが本質 的には同じと見なすことができる。

3

年二類 では、章構成は変わっていないが、 「対数

J

の章の「累乗と累乗根

J

が円旨数と対数」に 変わっている。

4

年二類では、 『中等数学 四 図法トソノ基礎』が「図法jという章に、

7 .

数学教育の再開

暫定教科書による教育が始まったが、実際 には、必ずしも昭和

2 1

4

月にそれらの教科 書がすべて学校に配布されたわけではない。

暫定教科書が配布されなかった場合には『墨 塗り教科書』を使った。しかし、墨塗り教科 書の使用は

8

1

日以降は禁止された(文部

『中等数学四』が「球函上の図形

J

とL、う 省

7

月初日「国民学校・青年学校・中等学校・師 章に相当する。

r

図法」では「機械製図」の 範学校及び青年師範学校において使用する教 節がなくなったが、その他の章構成は全く向 科用図書に関する件J)。また、暫定教科書が じである。

r

球面上ノ図形

J

では、 「地球」 渡ったとしても、それは紙質において教師や が「点ノ位置

J

に変わり、微分・積分に関す 生徒を満足させるものではなかった1830

る節がなくなっている。全体的に、暫定数科 目本数学教育会も戦後の活動を再開した。

警は原案を整理し数学的な系統性がよりすっ 『日本数学教育会雑誌』は、

5

1 0

日に第

2 8

(11)

巻第

1

2

号として復刊した。それは、内容は 発行されるようになった。昭和

2 1

年には『中 戦前に投稿されたものと思われる。そして、 等数学の研究(代数)

J、 『新数学ノ学ビ方

表紙も中の頁も粗末な同じ紙質の

2 4

頁のもの 初級用ー第一類一』、 『数学完壁自習書中 でホッチキスで綴じたのが見えるようなもの 等三年中期一類二類合本』など。

であった。

6

7

8

日には、東京高等師範学 知識人も発言を始めた。小倉金之助は「科 校附属国民学校で、戦後初めて、日本数学教 学教育の民主化」を発表し、学校教育・社会 育会第

2 8

回総会が関かれた。新しい活動の方 教育の両面からの教育の民主化を訴えた20>。 向が主要な議題であり、さらに、文部省図書 その中で、昭和

1 9

年発行の理数科の国定教科 監修官の和田義信が、 「新教科書について

J

害について次のように言及している。

r

実質 の講演を行った1引。そこでは、昭和

2 2

年度 的内容に於ては、相当の成功を収めたと言つ の教授要目、教科書、昭和

2 1

年度の教科書に てよい。主として問題となるのは、その叙述 ついて説明された。その後の質疑応答の中で の方法にある。即ちそれは従来の専門書的態 は、すでに発行・供給された、昭和

2 1

年度の 度、即ち著者その人が内容の主要部分を説明

3 . 4

年の内容について知りたいという希望が する、 L、わば議塩的態度を一掃して、ドイツ 出されており、暫定教科書は発行されていた のいはゆる作業警に似た形式を採用したので が、

6

月の時点で、実際には、学校にあまり ある0 ・・・殆んど全部、生徒が自ら考え、自 行き渡っていなかったことが分かる。 ら実験し、自ら計算し、自ら図表を描くので

数学教育関係の啓蒙害や数学の学習参考書 ある0 ・・・そこには一般的な法則も言明され も発行されるようになってきた。例えば、終 なければ、一般公式もわざと明示されないの 戦以降、昭和

2 2

3

月までには、次のような であり、大切な定義は些細な問題よりも、小 本が発行された。数学の啓蒙書については新 さく印刷されている0 ・・・文部当局は、方眼 刊に加え戦前の本の再販も出版されるように 紙が不足し、薬品はなく、参考書も求め難く、

なってきた。新刊では、昭和

2 0

年には『科学 本を読む余裕さへもなき大戦の最中に、かや の言葉=数j(河野伊三郎訳(ダンツィク))、 うな事録ヰ書によって苦学してこそ、最もよく

『図による計算

J

(石谷茂)、昭和

2 1

年には 「合理創造ノ精神ヲ福養」し得るものと、考

『ピタゴラスの定理実用幾何学の基礎ー1.1 えたのかも知れないが、それは無謀の挙で (大矢真一)、 『幾何学思想史j(近藤洋逸)、 あった。今やわが中学校科学教育は、殆んど

『初等数学概説.! (黒田孝郎)、『科学の指標』 手の付けやうもなき破滅状態に陥った」と、

(小倉金之助)、 『数学入門

J

(河野伊三郎訳 精神は評価しつつ、実際のあり方を厳しく批 (ホワイトヘッド))、 『数学史紗.l(小堀窓〕、

昭和

2 2

年には『百万人の数学

J

(竹内時男)、

『新中等数学続編微積分の応用と諸問題』

(清水辰次郎)など。数学の学習参考書は、昭

判している。

当時の実際の数学の授業についての記述は ほとんどな

L

、。昭和

2 1

1 1

月に暫定教科書

『中等数学ー第二類』の「概測J.の授業 和

1 9

年以降は殆ど発行されていなかったが、 について、 「教科書は薄いパンフレット式の 次のようなー・二類の教科書用問題集なども ものであり、戦争中のものを改変したのみで

(12)

中等数字第一類・第二類の姪塗りと暫定教科1!f

7 9  

あるため幾分纏まりの行き届かぬ粗末なもの

である。・・・自由教育を僅かなりとも試みよ うと希望したのであったが、結局従前適りの 講義を主とする授業になってしまった。.. . 

自分は努めてばらばらな教科内容を確実に把 握する様に纏める点で、相当の努力をした。

教科書編輯の問題に於て現在の所謂新教授要 自にはどうしても賛同し兼ねる

J

21)と実際 の指導の難しさを述べている。

8 .

新教育制度に向けて22)

CIE

、文部省はこのような瞥定教科書の 編集と並行して、昭和

2 2

年度からの新教育制 度の教育に向けても動いていた。本論では、

このような動きは主題ではなかったが、簡単 に時系列的に述べておく。

昭和

2 0

1 2

3 1

日、

GHQ/SCAP

は、

社刊〕が刊行され、中学校

1‑3

年までの新 教科書の刊行が開始された。

3

3 1

日、 「教 育基本法j、「学校教育法

J

が公布された。

昭和

2 2

4

月からは、新学告J1(六三制)に なり、中学校は

3

年制の男女共学の義務教育 となり、中学校の数学教育は、 『第一類・第 二類』とは一見異なる『中等数学』によって 行われるようになった。それはいわゆる戦後 の単元学習の始まりを告げていた。

I V .

おわりに

昭和

1 5

9

月に始まった数学教育再構成運 動は、昭和

1 7

3

月に中等教育の数学の新教 授要目として結実した。そして、昭和

1 8

年の 理数科数学教授要自の改訂、昭和

1 8

年からの 検定教科書、昭和

1 9

年からの国定教科書、日目 昭和

2 2

年度用の新教科書の作成を指令した。 和

2 1

年の暫定教科書の編集と続いた。それは 昭和

2 1

3

5

日には米国教育使節団が来

f

こった

7

年弱のわが国独自の数学教育改革で 回し、

4

7

日には教育使節団報告書が発表 あり、しかも戦時下の教育改革であった。

された。

5

5

日には文部省が「新教育の方 針」を発表した。

8

1 0

日には教育刷新委員 会が設置され、

1 1

3

日には「日本国憲法」

が公布された。

1 1

月、

GHQ/SCAP

しかし、この改革は、現在においても、わ が国の中等数学教育にとって非常に大きな意 味を持っている。この改革では、中等学校へ の微積分の導入や図形の動的考案などの現在

「コース・オプ・スタディ

J

(学習指導要領) の中等数学教育の基礎が築かれ、実世界との の編集を指令した。 関係の重視、すなわち、測量、統計、近似値、

昭和

2 2

1

7

自には教育刷新委員会が六 力学を扱うということが行われた。教科書で 三制の実施について建議した。

3

月、文部省 は、さらに問題中心主義という問題解決型の は

CIE

に小学校算数・中学校数学新教科書 学習を柱とし、実験や実測を重視し、計算尺 原案(英文)の提出を開始する。

3

1 5

日、文 や計算図表などの器具を積極的に利用した。

部省編『さんすう ー』が刊行され、小学校 特に、生徒が数学の概念を作るために、聞や

1 ‑ 6

年までの新教科書の刊行が開始された。

3

2 0

日、 『学習指導要領一般編(試案)

Jが

発行され、

3

月初日には文部省編『中等数学 第 一 学 年 用 上

J

(中等学校教科書株式会

問題の連続によって学習を構成しようとした ことは、生徒が自ら考えるという現代的な要 請を先取りしたものとも言えよう。

さらにまた、教授要目と

3

種類の教科書に

(13)

はそれぞれの特徴もある。教授要冒と教科書 の単元学習を経て、社会や文化を取り入れる の違いは、教科書が教授要目よりも実世界を ことをもっと強く忌避するようになり、気が 強調していることにある。そして、各教科書 ついてみたら、数学教育は社会や文化から離 を見ると、検定教科書、国定教科書、暫定数 れていたということはないであろうか。

科書と経る間に、数学者等の批判へ応える形 で、重点が実世界から数学世界へと移り、数 学として系統化が図られたことであり、また、

教室からの批判へ応える形で、指導経験を踏 まえた配慮がなされるようになったことであ る。また、瞥定教科書の時期には、紙不足か ら図や表を含む現実性のある問題が削除され た。暫定教科書の時期に、紙の不足と

CIE

の新教育指示がなかったら、また十分な教室 環境があったら、と恩わざるを得ない。

今後の課題としては、初等教育をも含めた 戦時下の算数・数学教育の状況を描くこと、

また、個々の指導内容の歴史的な変遷をこの 時期を含めて辿ることなどがある。

ところで、現在、筆者は数学教育と社会や 文化との需離について関心を持っている山。

本論を書き進める中で、この事離の発端は

「墨塗り」にあるのではなし、かと思うように なった。そして、このことは二重の意味で現 在のわが国の数学教育に影響を与えているの ではないであろうか。第

1

に、直接的には、

社会・文化としての軍隊や宗教について教科 書で触れないようになったこと。第

2

に、軍 国主義、国家主義とは当時の日本の社会・文 化の根幹の一つであった。このことを削除す るということは、間接的には、その後、一般 としての社会・文化を教科書から削除する方 向につながってしまったのではないであろう か。社会・文化を取り入れるということは、

時には、予想もしなかった方向に流される事 もある。戦後のわが国の数学教育1;):,その後

引用文献

1 )

主として,筆者の次四

4

つの論文を参照のこと.

「数学教育再構成運動と数学第一類・第二類の誕 生一戦時下の中学校数学教育ーj

r

国立教育研究 所研究袋線』国立教育研究所.第

2 0

号.

1 9 9 0 .   P p .   8 5 ‑ 1 0 2 .   r

数学第一類・第二類の検定教科書の編 纂とその思想一戦時下の中学校数学教育ーj

r

立教育研究所研究集録』国立教育研究所第

2 1

1 9 9 0 .   p p . 4 3 ‑ 5 6 .   r

数学第一類・第二類の検定教 科書の使用と教科書国定化j

r

国立教育研究所研

究集録』国立教育研究所.

2 6

号.

1 9 9 3 .   p p .  5 3 ‑ 6 6 .  

「中学校数学教育の新しいパラダイムの出現戦 時下の中学校数学教育論の検討からj

r

学芸大数

学教育研究』東京学芸大学数学科教育学研究室.

7

号.

1 9 9 5 .   p p . 7 1 ‑ 8 0 .  

2 )

先行文献としては,例えば次のものがあるが,

中学校数学教育の菌から墨塗りや皆定教科替につ いては詳しく分析していない数学教育について は,日本数学教育会『日本数学教育会五十年史』

1 9 6 8 .   p p . 7 6 ‑

77.稲垣信夫「占領下の算数数学教 育史1j

r

埼玉大学紀要教育学部(教育科学)

( 1)

J

3 1

1 9 8 2 .   p p .  3 1 ‑ 4 6 .

奥招「戦後にお ける法令上の算数科の成立一昭和

2 0

8

1 5

日 昭和

2 2

4

1

日までの系譜ー」奈良セミナ一発' 表資料

1 9 9 3 .

等の奥招氏の一連の論文など.な お,一般的な教育状況については,西宮市戦後教 育史編集委員会綴

f

西宮市戦後教育史

‑ 2 0

年の歩 みー』西宮市教育委員会.

1 9 7 0

戦後における群 馬県教育史研究縞さん委員会編『群馬県教育史戦 後 編 上 巻j群馬県教育委員会.

1 9 6 6 .

など.

3 )

例えば,日本教育新聞編集局編著『戦後教育史 への証言』教育新聞社.

1 9 7

1. 

4 )

文部省績 『終戦教育事務処理提要』文泉堂出 版 第

1

集.

1 9 8 0 .   p .  7 0 .

【以下終戦以後の法規の き

i

周で本書に拠るものはその都度断らない】

(14)

中等数学第一類・第二類の盛塗りと暫定教科書

8 1   5 )

鈴木英一『日本占領と教育政策』勤草書房.

1 9  

8 3

久保義三『対日占領政策と戦後教育改革』三 省堂

1 9 8 4  

を参照のこと.

6)中村紀久二監修『文部省著作戦後教科書解説』

大空社

1 9 8 4 .  

7 )

三石初雄氏(福島大学)所蔵.

8)早川学而氏(福岡県)所蔵.

9)朝日新聞.声「書士科書を作れ

J

(新潟,富田正

道=中学生). 

1 9 4 6

1

1 7

日刊.

1 0 )

中村紀久二監修『文部省著作戦後教科書解説』

大空社.

1 9 8 4  

1 1 )

現在

2

セット確認しているー

l

つは国立教育研 究所教育図書館所蔵のものであり佐藤良一郎氏が 国立教育研究所に寄贈した.表紙に「佐藤用」の 記名があるーもう

1

つは,筆者が所蔵しており,

宮崎勝弐氏より筆者にお贈りいただいた.表紙に

「宮崎

J

の印が押してある.

1 2 )

佐藤氏の原案には「昭和二十年十二月

J

の記名 があって,内容の修正が示されている.宮崎氏の 原案には修正の書き込みは一切ない.

1 3 )

この編集過程は,国会図書館や国立教育研究所 等に所蔵されている

i G H Q / S C A PR e c o r d ( R G 3 3 1 .   N a t i o n a 1  A r c h i v e s  a n d  R e c o r d s  S e r v i c e ) J

のマ イデロフィッシュを見ることによって,詳しく追 うこと由、できる このマイヲロフィッシュには,

暫定教科書の和文活字原稿と英文原稿のほとんど が収録されている.

G H Q / S C A P  R e c o r d  ( R G 3 3 1 .   N a t i o n a 1  A r c h i v e s  a n d  R e c o r d s  S e

四目的の

i T e x t b o o k  a n d  C u r r i c u 1 u m  B r a n c h J  

(Bo

x  n o   5 5 0 0 ‑ 5 6 0 0 )

の中に,教科書の和文と英文の原稿 のマイクロ7ィシュがある.中等数学関係は次の 通りである.Bo

x  n o .   5 5 7 1  

:中等数学(男子用).

Bo

x  n o .  5 5 7 2  

:中等数学(女子用).中等数学(男子 用.

4

年第二類).Bo

x  n o .  5 5 7 4  

:数表(女子用,

男子用).Bo

x  n O . 5 5 7 5

・師範数学.

1 4 )   G H Q / S C A P  R e ∞ r d .  

Bo

x  n O . 5 5 7 1 .  

Bo

x  n o . 5 5 7 4 .   1 5 )  G H Q / S C A P  R e ∞ r d .  

Bo

x  n o . 5 5 7 1 .   r

中等数学

3

年第二類』の英文手書き原稿の表紙に

i T r a n s 1 a t e d  b y  T e a c h e r s  o f  t h e  T o k y o  J o n a n   H i d d l e  

Sc

h

田lJとある.

1 6 )

戦後,和田義信氏らによって作成された,

i a d a . Y ( e d . )  i R e p o r t  o n  H

a

t h e m a t i c a l  T e a c h i n g   i n  

Ed

u c a t i o n a l  S y s t e m  o f  S c h ∞ 1 s  a n d   U n d e r g r a d u a t e  C

o

u r s e  i n  J a p a n J   r

東京教育大

学教育学部紀要』第

2

巻別冊.

1 9 5 6 .

では,第一 類は

i F i r s t

Ca

t e g o r y J  

.第二類は

i S e c o n d

Ca

t e g o r y J

と英訳されている.

1 7 )

詳しくは,ワYダリック(土持ゲーリ一法一監 訳)

r

占領下日本の教科書改革』玉川大学出版部.

1 9 9 8  

1 8 )

朝日新聞.声「薄っぺらな教科瞥

J

(東京,梅

川勝彦〕ー

1 9 4 6

8

1

日刊

1 9 )

日本数学教育会『日本数学教育会雑誌』第

2 8

巻 第

3

号.

1 9 4 6 .   p p .  9 ‑ 1 3  

なお,昭和

1 8

年の中等学 校令の改正に伴い,昭和

1 8

8

月の日本中等教育 数学会の第

2 5

回総会において,会の名称が「日本 数学教育会

J

に改められた. (r日本中等教育数 学会雑誌』第

2 5

巻第6号.

1 9 4 3 .   p p . 1 7 9 ‑ 1 8 0 . )   2 0 )

小倉金之助「科学教育の民主化ー現下に於ける

科学教育の諸問題一

J r

評論』河出書房.昭和

2 1

5

月号.

1 9 4 6 .   p p .  3 8 ‑ 5 0 .  

2

1)小高俊夫『算数・数学 カリキュラムと授業の 追究』富士教育出版社.

1 9 8 9 .   p p . 1

3‑1

4 .   2 2 )

例えば,日本教育新関編集局編著『戦後教育史

への証言』教育新聞社.

1 9 7 1 .  

2 3 )

長崎栄三編著『算数・数学科における総合的な 学習の試み

( 2 ) J

国立教育研究所科研研究報告書.

1 9 9 9  

謝辞

「第一類・第二類

J

を追ってここまで辿り着く間 に、非常に多くの方々のご指導、ご助言等を受けま した。また、資料のご紹介やご提供もいただきまし た。その中にはすでに他界されてしまった方々もい らっL,.,います。本当にありがとうございました。

(ながさき えいぞう 国立教育研究所

1 5 3 ‑ 8 6 8 1

目黒区下目黒

6 ‑ 5 ‑ 2 2 )

(15)

「数学 第一類・第二類j関係年表(昭和

2 0

年 昭和

2 3

年)

年 数学教育及び教育一般

昭和初年

8

1 5

太田耕遺文部大臣、戦争終結回訓示

8

1 6

文部省「動員解除ニ閲スル件」

8

2 1

「戦時教育令」廃止

1 9 4 5   8

2 8

文部省「時局ノ変転ニ伴7学校教育ニ関スル件

J 9

1 5

文部省「新日本建設の教官方針」発表

9

2 0

文部省次官遥遠「終戦ニ伴7教科用図書取扱方ニ関スル件」

9

2 6

文部省、疎開学童の復帰を通達

1 0

1 0

河野伊三郎訳(ダンツィク)

r

科学の言葉=数』岩波書庖刊

1 0 . 1 1   GHQ/SCAP

5

大改革指令

1 0

1 4

文部省「中学校・高等女学校学徒勤労動員解除ニ伴7学力補充ニ関スル件j

1 0

1 5

石谷茂『図による計算』大阪教育図書刊

1 0 . 2 2   GHQ/SCAP

、 「日本教育制度ニ対スル管理政策」指令

1 0

2 4

国際連合発足

1 2 ' 1 5

大矢真一『数の発展』霞ヶ関書房刊

1 2 . 3 1   GHQ/SCAP

、新教科書(昭和

2 2

年周)作成を指令 昭和

2 1

1 .   1

天皇「人間宣言」

2

2 3

文部省「中等学校修業年限延長実施ユ伴7措置ニ関スル件」

3

5

米国教育使節団来日

1 9 4 6   4

7 GHQ/SCAP

、教育使節団報告替発表

4

9

文部省「新学期授業実施ニ関スJレ件」

4

1 0

斎藤防『中等数学の研究(幾何

) J

・横山保『中等数学の研究(代数

) J

共立社出版部刊

5

5

文部省「新教育の方針

J

発表

5

5

藤森消茂『新数学/学ピ方初級周一第一類一』績文堂刊

5

1 0

日本数学教育会『日本数学教育会雑誌』第

2 8

巻第

1

2

号(復刊第

1

号)

5

3 1

国民教育社訳(合衆国教育使節団)

r

合衆国教育使節団報告書』国民教育社刊

6

7

日本数学教育会第

2 8

回総会(東京高等師範附属国民学校・

‑8

日)

6

1 0

大矢真一『ピタゴラスの定理実用幾何学の基礎ー1J東海書房刊

7

2 0

文部省「国民学校・青年学校・中等学校・師範学校及び肯年師範学校において使用 する教科用図書に関する件

J

7

3 0

近藤洋逸『幾何学思想史』伊藤容庖刊

7

3 0

黒田孝郎『初等数学概説』東海書房刊

8

1 0

教育刷新委員会の設置

8

2 0

小倉金之助『科学の指標』中央公論社刊

9

1 0

東京数学研究会『数学完壁自習書中等三年中期一類二類合本』玉木光雄刊

1 0

9

文部省、男女共学制度の実施を指示

1 0

2 0

吉岡修一郎『論理学の新体系』全図書房刊

1 1

1

藤森清茂『新数学ノ学ピ方初級周一第二類一』績文堂刊

1 1

3

「日本国憲法j公布

1 1

2 0

河野伊三郎訳(ホワイトへつど)f数学入門』文求堂干IJ

1 2 ' 1 0

小堀憲『数学史妙』秋田屋刊

昭和

2 2

l '   7 

教育刷新委員会六三制の実施について建議

1

1 0

三矢七八『知慧と数学』和平曾房刊

1

2 0

中桐胤長『中等数学研究叢書近似計算法』文進堂刊

1 9 4 7   1

3 1 GHQ

ゼネスト中止命令

2

5

新学制実施の方針発表

2

5

竹内時男『百万人の数学』桃山容林刊

2

1 0

清水辰次郎『新中等数学統領徴税分の応用と諸問題j大阪教育図書刊

2

1 0

野田真『中等数学学習書中学校用第一類巻三』冨山房刊

3 ' ( ? )

特別科学教育学級を廃止

3

2 0

学習指導要領一般績(試案〕発行

3

3 1

「教育基本法

J

、「学校教育法

J

を公布

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