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B O O K R E V I E W
国際政治学に「帝国」が再登場したのは
1980年代、決定的に増えたのは「9
・11米同時多発 テロ事件」後、そしてイラク戦争以降である。以後、タイトルに帝国を冠する書籍はアメリカ で枚挙に暇がないほどに刊行された。なかには当然、アメリカの対外政策を批判する印象論的 時評も多いから、概念定義や論理構成が明確にはならず、論議には混乱も含まれることになっ た。そしてアメリカがイラクの戦後再建で躓き、それが米中間選挙における共和党敗北として 現われると、帝国論は一場の政策論議として後景に退こうとしているようにみえる。『「帝国」の政治学』は、この帝国をめぐる議論の意義をきちんと国際政治学のなかに回収しておこうと する研究である。そこには著者長年の明確な問題意識が反映している。
しかしここにローマ帝国や大英帝国にも似た、新しい勇壮な帝国の興亡史を期待する読者は 落胆するであろう。ここに示されるのは曖昧で、非公式な帝国、移り行くさまざまな対外政策 のひとつとしての帝国(主義)的政策である。それは一般的な帝国イメージから言えば、わざ わざ帝国として分析の俎上にのせる必要があるか、と訝しく思わせるかもしれない。まさしく 著者がこの大著で述べたかったことのひとつは、現代の帝国を論じようとすればそれ以外の多 くの人間社会の組織原理、形態、規範との相克のなかに「曖昧にあるもの」を論じるしかない、
そこにこそ現代の帝国の本質がある、ということだったのである。
このような帝国論の提示は、しかし今日の国際政治学の地平を大きく拓くことになると思う。
第二次世界大戦後の国際秩序形成には、先発の植民地帝国、後発の帝国主義を共に克服しよう とするモメンタムが強く働き、それは国際連合を中心とする主権平等、国際民主主義というひ とつの規範として根を下ろした。そこでは「帝国」はマルクス主義の非難用語でしかなかった。
そういうなかで明確に意識しにくくなったのが、国際社会が本来的にもつ階層的性格が作り出 す政治の局面であった。それでも冷戦期までは現実主義的な理論を米ソ、東西の勢力均衡論と して流用し、説明できた。しかし冷戦後、単極構造の下では従来の国際政治理論と国際的事象 が乖離し、現実主義もいくつものアドホックな派生的説明を作らなくてはならなくなっていた。
大国の政策、国際政治のある局面を、たとえば「帝国」として明確に表徴し、国際政治学のな かに体系的に組み込まなければならなくなっていたのである。本書が力みもなく淡々と達成し たのは、このような厄介な仕事であった。
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第
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の貢献は、なによりも錯綜した諸概念の整理にある。帝国は、経済・軍事力の卓越、価 山本 吉宣 著『 「帝国」の国際政治学
―冷戦後の国際システムとアメリカ』
評者
納家 政嗣
値の普遍性を基盤とする非対称的な影響力の行使で、
単独主義的に実行され、他国内政の統制にまで及び
(帝国的)、時に強制を伴う(帝国主義的)と定義され る。これによって定義がまちまちだった単極構造、通 常の大国、覇権(対外政策の統制)、帝国を分析的に使 い分けることが可能になった。ひとつの含意は政策と 構造の分離にある。それは単極構造下でも優位国が普 通の大国、覇権国として行動することもあり、逆に優 位国が帝国的政策を修正しても帝国システムは残る、
という見通しを可能にする。帝国的政策をとる国家が 形成する帝国システムは、力関係と価値共有度による 同心円的構造をもち、政策の種類からみれば帝国は周 辺にしか帝国(主義)的政策をとらないから、システ ムはドーナツ型である、などなど。かくして定義に始 まる本書の分析ツールの解析能力はきわめて高い。
第
2
の意義は、現代の帝国の本質を探り当て、それと従来の国際政治学の議論との関係を明 確にした点にある。現代的帝国の本質を作り出すのは、本書で繰り返し言及される2
つのパラ ドックスである。まず今日の主権規範の強い世界ではかつてのようなフォーマルな帝国が形成 される余地はほとんどない。この逆説は本書のタイトルの形容矛盾が端的に示している。帝国 が存在すれば国際政治は帝国の内政になるのであって、すでに国際政治は存在しないはずだか らである。この逆説には、現代の帝国はその行動を主権国家体制のルールや規範において正当 化する以外にないという解が与えられる。もうひとつのパラドックスは、アメリカが自由と民 主主義の帝国だという点に発する。アメリカは帝国であることを否定し、たとえレジーム・チ ェンジに及んでも植民地化はせず、目的を達成すると早急に引き上げるのである。こうした逆 説のせいで帝国的政策のコストが大きくなり、国内的、国際的な支持も得られなくなれば(フ ィードバック・メカニズム)、帝国の政策は覇権、または普通の大国のそれに修正されうる。主 権国家体制は帝国のリーダーシップによりアナーキーや不作為を避け、帝国は政策移行によっ てオーバーロードに陥ることなくシステムを維持できる。帝国システムと主権国家体制の均衡 という形で、本書の「帝国の国際政治学」イメージは焦点を結んでいる。第
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に、単極構造の経験がないこともあり整合的な論理構成の難しかった冷戦後の国際政治 が、帝国システム間関係(多帝国間、競合〔2〕帝国間、単極帝国)の比較検討において初め て鮮明に描出された。今日の国際政治では、イデオロギーは対立焦点とならず、軍事力は帝国 の警察・治安維持の機能を担い、同盟は帝国システム管理網の一部となり(必要なら有志連 合)、周辺に集中する紛争、内戦は人道や民主主義といった価値体系から捉えられる。帝国へ の挑戦は周辺における前近代的な強いローカリティーをもつ宗教、文化に根ざす伝統的価値で あり、それは統治が難しいため、その平定いかんが帝国の限界を画することになる。それは単 極構造下の帝国システムだから生じることなのである。説明に窮する冷戦後の多くの国際・国書 評
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東信堂、2006年10月 A5判・441ページ 定価4700円(本体)
内問題がここでは構造とシステムの性格から骨太に説明され、説得力がある。
もう一点、帝国論の細部をデータに基づいて問い詰める方法論的な姿勢も付け加えるべきで あろう。ネオコン(新保守主義者)とは誰か、米国の保守化と帝国的政策、有志連合の変遷、
軍事基地網の変化に関するデータに基づく検証は、今日の帝国論には印象論による水ぶくれが 大分含まれていることを浮き彫りにしている。
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本書がこうして階層政治のスペクトラム全域を国際政治学に組み込みえたことは間違いない。
ただ読み終えて気になった点もある。ひとつは、体系的論述と文献サーベイのためとはいえ、
ここに提示された重なり合う多くの概念や類型の錯雑した関係は、帝国のイメージを不必要に 曇らせているのではないかという点。とりわけ帝国概念で分析する積極的理由はもう少し丁寧 に述べられてよいであろう。端的に言えば、帝国の政策は覇権や普通の大国の政策に修正され うるとされるが、なぜ普通の大国が帝国的な行動をとった、という見方では足りないか。これ は言葉遊びではなく、本書の主題の妥当性にかかわる問題のように思われる。
もうひとつは、本書は冷戦後の単極構造下の国際政治の分析であるから、帝国論とアメリカ 論を分けるのは至難である。しかしなお、2つの感想が残る。ひとつは、なぜアメリカか、の 説明があれば、現代的な帝国の条件、もう少し一般的に言えば現代世界における優位システム とはどのようなものかを逆照射できたのではないか、という点である。帝国はその時代の最大 の安全と富を生む、しかも普遍的な価値を体現する最も強力なシステムであろう。しかし経 済・軍事的な力とともに、ルール形成への意思、問題を技術的に克服しようとする信念、多民 族・多文化の許容性、トランスナショナルな領域を拡大する社会の開放性と自律性、保守が最 も革新(現状変更)的であるような政治思想など、ここに描かれた現代的帝国の要件は、従来 の
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世紀的な国民国家に達成可能かどうか。その分析は現代的帝国と帝国システムの性格をさ らに鮮明にしたのではないか。いまひとつ、アメリカの行動に帝国を読み込む結果、提示されたのはアメリカ標準の帝国論 ではないか、一般的に国際政治における帝国の位置づけをどう考えたらよいか、という思いも 消えない。もちろん、いつでも帝国(システム)が存在するわけではないが、それにしても別 の国家は当然ながら別のタイプの帝国を形成する。アメリカ国家の特殊性と帝国の地位が近す ぎて他国家がこの位置を占める可能性が感じられないために、時にこの議論は近代国際体系に おける非歴史的な「歴史の終焉」の印象を残すように思われる。アメリカを相対化する視点が もう少し強く入れば、時間的にも奥行きのある帝国の遠近法が得られるのではないか。
もちろんここに述べた点は、今後の研究が知見を積み重ねてゆけばよいことである。そのた めには帝国を後ろめたさなしに、価値中立的に議論できる地平が必要であった。本書が成し遂 げたのは、そのために国際体系の階層性がもたらす帝国を含む政治を明示的に国際政治学に定 礎するということであった。本書の重要性は、視野狭窄を脱した研究が蓄積されることで時間 が経つほどに明らかになってゆくであろう。
書 評
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なや・まさつぐ 一橋大学教授