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戦後アメリカ行政学の再整理

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戦後アメリカ行政学の再整理

夫 七六五四三ニー序

目 次アメリカ行政学再整理の視角

創始期⁝から挑戦期まで挑戦への反動ーサイモソ・コンプレックスの影響ー

パラダイム3政治学としての行政学  焦点の喪失ー

パラダイム4﹁組織と管理﹂科学としての行政学一位置の融解

自立への諸力﹁科学と社会﹂と﹁新しい行政学﹂  変革期と行政学ー

パラダイム5行政学としての行政学一展望−

結 語

序 アメリカ行政学再整理の視角

 アメリカにおける現代行政学の成立と展開を整理するならば︑一般に次のようにまとめられる︒第一に︑一八八七

年のウッドロウ・ウィルソンによる﹁行政の研究﹂を出発点とし︑グッドナウ︑ウィロビーらによってその基礎が築

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かれる︒第二に︑こうした基礎の上に一九三〇年代のPOSDCORB行政学に代表される﹁正統派﹂行政学が形成

される︒第三に︑ニュー・ディールの洗礼を浴びた一九四〇年代から﹁正統派﹂に対する批判が始まる︒その先鋒と

なったのがドゥワイト・ワルドーとハーバート・A・サイモンであることは広く知られている︒そして第四に︑この

両者による事実と価値をめぐる両極的立場の主張を口火として︑第二次大戦後のアメリカでは︑行政の諸現象に対す      ︵1︶る多様な視座と研究方法が提起され︑足立忠夫教授のいう﹁百家争鳴の時代﹂へと到る︒以上のような図式は︑我国       ︵2︶の行政学の多くのテキストにおける記述に共通しており︑筆者も別稿でこれにならっているとおりである︒

 しかしながら︑第四の時期︑すなわち一九四〇年代後半以降のアメリカ行政学の解釈については︑西尾勝教授が指

摘するように﹁ともかく多様に分化したと指摘されているだけで︑その流れが的確に整理されているとはいいがた

︵3︶い﹂のが現状である︒尤も︑政治学や経営学から社会学︑社会心理学︑統計学︑文化人類学︑計量経済学に到るまで

多様な学問分野の成果や分析用具を広汎に摂取する形で研究対象を拡大し続けた戦後のアメリカ行政学の流れを的確

に整理しあげることは︑恐らく至難の技であろう︒しかも︑戦後三〇年以上にわたる一因みにワルドーの﹃行政国

家﹄は↓九四八年︑サイモンの﹃経営行動﹄は一九四七年にそれぞれ出版されている一さまざまな学説を網羅的に

分類するという作業は︑労多くしてその割に意義の少ない作業であるといえる︒なぜならぽ︑組織論︑管理科学︑官

僚制論︑比較行政学等々のラベルのもとに展開されたそれぞれの学派の主張の間には︑一方では研究対象や方法論に

多くの重複がみられ︑他方ではそこで用いられる概念や分析用具について明確な合意が了解されているとは必ずしも

いい難いからである︒したがって︑こうした流れを再整理するには︑網羅的な学説史の記述に代えて︑関連する社会

科学の諸分野に対する行政学の位置づけという巨視的な判断基準に基づく︑アメリカ行政学全体の流れの野駈図的把

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戦後アメリカ行政学の再整理

握を試みることが有益であろう︒このような観点から本稿は︑主としてニコラス・ヘンリーによる記述に依拠しつ

つ︑戦後のアメリカ行政学の全体像を耽かなりとも明らかにすることを目的とする︒

 ヘンリーは︑ ﹃行政と公共事象﹄の第二章を﹁行政学の苦節の九十年﹂と題し︑行政学の位置と焦点︵δ2ω雪α

ho︒易︶という基準を用いて︑アメリカ行政学の展開過程の整理を試みている︒ここで位置とは︑行政学の研究分野が

制度上いかなる領域に置かれるか︑という基準である︒これに対し焦点とは︑行政学を特色づける内容は何か︑とい        ︵4︶う基準と解釈できる︒この二つの基準を用いてヘンリーは︑ウィルソン以来のアメリカ行政学が︑政治学eoぎ♂巴

ωoδ琴Φ︶と﹁組織と管理﹂科学︵鋤αヨ一⇒一ωけ﹁〇一一く①.ωO一①昌OΦ︶ のそれぞれとの結合と分離の関係を通じて次第に独自の

位置と焦点を確立しつつある時代へと向かう流れを︑次のように︑五つのパラダイムとそれに派生する幾つかの傾向        ︵5︶として分類している︒

 ・創始期

 ・パラダイムー政治一行政二至論︵↓ず①勺2三︒甲﹀住ヨ凶器ωけ轟二8U8げ083気︶︑一九〇〇一一九二六年

 ・パラダイム2H行政の諸原理︵目げ①呼ぢ9宮①ωoh>α日一昌一ω茸讐δづ︶︑一九二七1一九三七年

 ・挑戦期︵﹈りげΦ Oげ9Ω=O旨σqO︶︑一九三八i一九四七年

 ・挑戦への反動︵即①碧二88爵ΦOげ巴δ口σqΦ︶︑一九四七−一九五〇年

 ・パラダイム3政治学としての行政学︵℃=一︶一一〇 ﹀住ゴP一当一ω一﹃9酔一〇昌 四ω ℃O一一一一69一 ωO一①口O①︶︑一九五〇1一九七〇年

 ・パラダイム4﹁組織と管理﹂科学としての行政学︵﹈℃庫げ一一〇 ︾α日一コ一ωけ﹁9一一〇旨 螢ω 諺α9一昌一ωけ﹃⇔け旧くO ω6一ΦづOO︶︑一

 ・九五六i一九七〇年

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 ・自立への骨力﹁科学と社会﹂と﹁新しい行政学﹂︵↓げ︒閃︒零Φωo出ω①b費︒江ωヨ..ωユ︒昌8㊤pqω09①蔓..餌口争

  ..Z①≦弓偉σぎ︾α目ぎ凶ω茸9二〇ロ..︶︑一九六五1一九七〇年

 ・パラダイム5行政学としての行政学︵勺信σ一凶6 ︾αヨ一口凶ω一﹃餌け一〇5 ⇔ω 引臼σ一一〇 ︾島日一七一ω一丸曽一凶O口︶︑一九七〇i?

 以下では︑こうした分類に従って記述を進めてゆくことにする︒但し︑既に述べたように︑本稿は戦後のアメリカ

行政学の展開過程に視点を置いている︒それゆえ︑創始期︑パラダイムー︑パラダイム2︑及び挑戦期については︑

まとめてその概略を記するに留めたい︒

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一 創始期から挑戦期まで

 言うまでもなく︑一八八七年のウィルソンによる﹁行政の研究﹂ ︵↓げ①ωε身oh︾仙ヨ一巳ω霞p︒江︒づ︶の発表をもっ

て︑アメリカ行政学の創始期とされる︒行政は政治に固有の領域以外の実務の領域である︑とするウィルソンの主張

は︑政治・行政二分論の明確な出発点であると説明されている︒尤も︑リチャード・スティルマンが指摘しているよ

うに︑ウィルソン自身の観点は︑政治的領域と行政的領域との妥当な関係はどうあるべきか︑という点について必ず      ︵6︶しも明確ではなかったとする解釈もみられる︒しかしながら︑何れにせよウィルソンの﹁行政の研究﹂によって︑行

政学が研究に値する学問としての存在意義を認められたことは明らかであり︑彼をもってアメリカ行政学の創始者と

する評価には︑もはや異論の余地はないであろう︒そして︑このウィルソンの観点に基づく政治・行政二分論が︑ア

メリカ行政学における第一のパラダイムとなる︒

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戦後アメリカ行政学の再整理

 このパラダイムを代表する学者は︑フランク・J・グッドナウとレオナード・D・ホワイトであり︑前者の﹃政治

と行政﹄︵ぎ︑ミ霧§職﹄織ミミ象ミ§§︶の出版された一九〇〇年から︑後者の﹃行政学研究序説﹄︵ミ蝿こ§ミ§き

導恥⑦ミ畠売口ミら﹄亀ミミ箕︑ミ軌§︶の初版が刊行された一九二六年までがこの時期に相当する︒ここでは行政学の

位置が重視されている︒すなわち政治と行政−立法権と行政権1を峻別する立場から︑行政学の位置は政府官僚

制機構に据えられることになる︒

 第二のパラダイムは︑W・F・ウィロビーの﹃行政の諸原理﹄︵︑識§膏︑aミ︑導︑苛︾犠ミ篤ミ無ミ職§︶の出版から

L・ギューリックとL・F・アーウィックの編纂による有名な﹃行政科学論集﹄ ︵ミ㌧ミ偽§§偽勲馬§題ミ﹄儀ミ・

ミ肋ぐミごミ︶の出版までの時代における行政の諸原理である︒すなわち︑行政における科学的原理の存在を仮定し︑そ

の発見と習得が行政学の科学化を促すとするウィロビーの主張に始まり︑ギューリックによる組織の四原則やPOS

DCORB概念の提起によって完結する﹁正統派﹂行政学のパラダイムであった︒しかしながら︑ここでいう諸原理

とは︑飽くまでもアドミニストレーションの原理であって︑パブリック・アドミニストレーションの原理ではない︒

したがってこの時代の行政学は︑組織の原理についての専門家︑換言すれば管理のエキスパートを育成するための学

問としての専門知識の追求と提供を通じて焦点を拡大してゆくことになる反面︑パラダイムーにおいて明らかであっ

たところの︑政府官僚制に限定されていた位置を融解せしめることになった︒実際︑アドミニストレーションの原理

は︑それが原理であるがゆえに︑文化や機能︑環境︑職務等の相違に拘わらず︑政府や私企業を通じてあらゆる組織      ︵7︶の運営に適用することができると考えられたのである︒それゆえ︑凡そ組織が存在しその能率的な管理が要請される

場は︑すべて行政学の位置として認められるに到った︒そして︑このような傾向に実践面から最も大きな影響を及ぼ

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したのが︑フレデリック・W・テイラーの提唱した科学的管理法とニューヨーク市政調査会に代表される行政調査運

動であったことはいうまでもない︒

 パラダイム2に対する挑戦期は︑チェスター・1・バーナードによる﹃経営者の役割﹄︵↓ミ壽ミ味︑︒蕊ミき馬肉箸争

らミ馬竃︶をもって始まり︑その強い影響を受けたサイモンの﹃経営行動﹄︵↓ミ﹄亀ミミ無ミき鳴切偽隷ミごOへ到るま

での時代とされる︒ニュー・ディールと第二次大戦をはさんだこの時期︑アメリカ行政学は二つの面からの﹁正統

派﹂行政学理論に対する批判を中心に展開された︒第一は政治・行政二分論及びそのコロラリーとしての価値・事実

二分論に対して︑第二は行政の諸原理のもつ矛盾に対しての批判である︒第一の点については︑既に一九三六年に

﹃行政の未開拓地﹄のなかでM・E・ディモックが政治と行政とを過度に区分することの危険を警告している而評そ

の十年後の一九四六年に発表されたブリッツ・モーンスタインnマークスの編集による﹃行政の諸要素﹄ ︵肉貯ミ§冴

ミ︑導︑詩臥ミミ詮︑ミごミ︶を︑ヘンリーは政治・行政二分論に対する本格的な疑問を投じた最初の書物として挙げ

ている︒そしてヘンリーは︑この論文集に執筆した一四人の学者の誰もが﹁しぼしぼ価値自由な︿行政﹀と見なされ      ︵9︶ているものが実際には価値を背負った︿政治﹀である︑とする新しい認識を明示している﹂と評価している︒さらに

その翌年︑一九四七年の﹃行政学評論﹄冬季号の巻頭論文﹁行政の科学  三つの問題﹂でロバート・ダールが︑H

行政学における規範的価値の明確化︑国行政における人間行動についてのより深い理解︑日行政と社会的環境との関       ︵10︶連を捉えた比較研究の発展︑の三つを条件としない限り行政学の科学化は果され得ないと指摘し︑同じく春季号では

P.H.アップルビーが﹁より良い行政を求めて﹂と題する論文のなかで﹁私の現在の願いは︑行政に対して︑より       ︵11︶広汎でより人間的な︑そしてより深い民主的なアプローチをすることである﹂と述べている︒そしてさらにこの翌

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戦後アメリカ行政学の再整理

年︑アメリカ社会の発展に対する歴史的分析を挺子として︑ ﹁正統派﹂行政学の理論に鋭い批判のメスを加えたワル

ドーの﹃行政国家﹄︵↓ミ﹄織ミ篤ミ無ミ職罵的ミ牒︶が発刊されたことは周知のとおりである︒

 第二の諸原理に対する批判は︑サイモンの主張に代表される︒一九四六年の論文﹁行政の諺﹂及び翌四七年の﹃経

営行動﹄を通じての彼の﹁正統派﹂理論に対する批判と行政学の科学化の主張については︑既に多くの文献で紹介さ       ︵12︶       れ︑筆者もまた別稿で触れているとおりである︒要約的に述べるならば︑サイモンの方法論上の特色は︑8事実と価

値をより厳密に区別する論理実証主義の立場から︑口組織の意思決定過程を研究の中心に据え︑日社会心理学的分析

に基づく行動論アプローチを展開することにより︑四行政学を客観的な検証に耐え得る科学として成立せしめようと

試みた︑とまとめることができよう︒

 こうして今世紀半ぽまでの間に︑アメリカ行政学における二本の支柱一政治・行政二分論と行政の吉原理一は

放棄されるに到った︒そしてこの支柱の放棄が︑その後の行政学における一体性を喪失せしめ︑この一体性は未だ回       ︵13︶復されてはいないと言われる︑とヘンリーは結んでいる︒以上がヘンリーの区分による創始期︑パラダイムー︑パラ

ダイム2及び挑戦期の概要である︒

二 挑戦への反動ーサイモン・コンプレックスの影響一

ここで︑挑戦に対する反動とは︑主としてサイモンによってもたらされた衝撃に対する反動として捉えられる︒

﹃経営行動﹄の出版とときを同じくする一九四七年の﹃行政学評論﹄夏季号に︑サイモンは﹁︿行政の科学Vにつ

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いてのコメントしと題する僅か四頁の小論を載せている︒この論文は表題から一見して明らかなように︑前に述べた

ダールの主張に応えることを意図して書かれたものである︒そのなかでサイモンは︑航空機を設計するにあたってエ

ンジニアが習得すべき知識の例をひき︑学問における純粋科学︵O¢﹁円① ωO一Φ一PO①︶と応用科学︵碧覧冨αω︒δ口8︶の在

り方を論じている︒彼によると︑純粋科学者は人間のもつ何らかの知識領域について正しい命題を発見しこれを検証       ︵14︶することを課題とし︑応用科学者は科学的知識の断片に依拠して諸決定を下すことに関心をもつものとされる︒した

がって︑前者は自己の望むところに応じて研究対象となる現象を独自に選定することができるが︑後者にはそうした

自由はない︒例えば︑物理学者はパイロットの生理学や燃料消費率についての正しい知識をもたずとも航空力学につ

いての理論を構築することができるけれども︑応用科学者は自己の対象とする問題に含まれる一連の価値に関連する

すべての現象を扱わねばならない︑とサイモンは指摘している︒そしてこうした区分を行政学の分野に適用し︑彼は

次のように述べる︒

 ﹁行政の純粋科学は︑次のような質問に答えようとする︒ 〃組織によって達成される能率の度合いを決定する要因

は何か〃或いは〃政府機関において公的責任が確保されるのはいかなる状況のもとでか〃︒こうした問いかけに対す

る答えは︑研究者自身のもつ価値観に左右されない︒これに対し応用科学は︑純粋科学によって確立された経験的命       ︵15︶題の体系を用いて一定の価値体系の実現を果たそうとするものである︒﹂

 このようにサイモンは︑行政学における純粋科学と応用科学の両方の在り方を論じたにも拘わらず︑彼の純粋科学

の要求の方だけがとりたてられて︑当時の行政学者に不快感を抱かせることになった︒その理由としてヘンリーは︑

次の三点を挙げている︒r第一には︑当時既に行政学の分野では︑純粋科学の主張に基づくPOSDCORB概念に対

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戦後アメリカ行政学の再整i理

する不満が増大していたことである︒四〇年代後半の挑戦者達は﹁行政の諸原理﹂が決して究極的な科学的表現では

ないことを示し︑その結果行政学者は︑行政の諸現象を全面的に科学的言葉で理解できるという点に疑問を抱き始め

ていた︒第二に︑社会心理学が行政行動を理解するための基礎を提供するというサイモンの主張は多くの行政学者に

衝撃をもたらした︒彼らの大部分は︑社会心理学については全くの素人だったからである︒第三の理由は︑若し科学

を﹁価値自由なもの﹂として認めるならぽ︑行政の科学は多くの行政学者に対して︑彼らがそれまで豊富な研究資源

として認めてきたところの規範的政治理論︑公共の利益の観念︑人間の価値観についての全体的な展望などに関心を       ︵16︶もっことを禁じることになってしまう︑という点である︒これらが︑当時の人々のサイモンに対する一方面解釈に基       ︵17︶つく理由であるとしても︑こうした理由によってアメリカ行政学界に一種の﹁サイモン・コンプレックス﹂ともいう

べき状況が生じたことは否定できないであろう︒

 このような状況のなかで︑サイモンが伝統的パラダイムに対して突きつけた挑戦は︑行政学者と政治学者の双方に

影響を及ぼした︒まず行政学者にとっては︑それは彼らが政治学の内部に留まることのみならず︑行政学と政治学と

の概念上の結合を強化するための誘因としてプラスとマイナスの両面に作用することになった︒プラス面とは︑二つ

の学問分野の間に公共政策の形成過程という面での概念上の結合の維持がはかられたことである︒すなわち︑行政学

はこの過程の〃内面〃i政府官僚制内部における公共政策の形成とその政治体制への配分1を研究し︑政治学は

この過程の外面−政治体制において政治的・社会的変化を生ぜしめる圧力1を研究する︒こうした関係を維持す

る論理は︑両方の学問分野にとって認識上の便宜をもたらすことになるのである︒これに対し︑マイナス面とは︑行

政学が技術的に方向づけられる純粋科学へと向かうことによって政治的・社会的現実との接触を失うのではないか︑

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      ︵18︶という懸念が生じたことである︒他方︑政治学者の側においては︑行政学が次第に政治学から独立した学問分野とな

ってゆくことに対する抵抗が生まれつつあった︒当時恰も政治学自体が︑行動科学の挑戦に直面していた︒そして行

動科学の手法を政治学の領域にいかに応用してゆくかの模索が続けられていたとき︑行政学においてはいちはやくサ

イモンによって行動論アプローチが明確な方法論として提示されたのである︒それゆえ︑行政学がもはや政治学の一

分野としてではなく︑独立した学問領域として行動科学という巨大な学問体系のなかに政治学とは別個の位置を占め

ることになるという点に︑アメリカの政治学者達が危機感を抱くようになったといえよう︒一九五二年の﹃アメリカ

政治学評論﹄誌に発表されたロスコウ・マーチィンの論文は︑こうした政治学者の立場を明示しているが︑これにつ

いては次節でとりあげることにしたい︒

 何れにせよ︑一九五〇年代からのアメリカ行政学は︑一方ではサイモンの衝撃に対する反動が政治学者からの危機

感と相侯って政治学との接近を深め︑他方ではサイモンの思想を継承して展開される﹁組織と管理﹂科学への接近と

いう二つの方向へと︑位置と焦点が分化してゆくことになる︒

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三 パラダイム3肋政治学としての行政学−焦点の喪失−

 行政学の政治学への接近が︑サイモンの衝撃に対する反動の結果であるとしても︑その根底には第一節で述べたウ

ィルソン以来の政治・行政二分論に対する批判があることは明らかであろう︒J・M・ガウスが﹁行政理論の協動       ︵19︶向﹂と題する論文の末尾を︑ ﹁われわれの時代の行政理論は政治理論をも意味する﹂と結んだ一九五〇年以降の二〇

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戦後アメリカ行政学の再整理

年間が︑政治学としての行政学という第三のパラダイムの時代である︒

 換言すれば︑それは行政学の〃高なる学問〃への回帰を意味する︒前節で触れたロスコウ・マーチィソの﹁政治学

と行政学﹂と題する論文は︑こうしたパラダイム3の在り方を政治学者の観点から述べたものと考えることができ

る︒ここでマーチィンが展開した論旨は次のような三つの提言から成り立っている︒第一に︑行政学の拾頭はひとつ

の遠心分離的傾向を示すもので︑これが抑制されない限り政治学と行政学の完全な絶縁がもたらされることになりか

ねない︒第二に︑こうした傾向を生ぜしめている幾つかの作用因の必ずしもすべてを抑制でぎないとしても︑この傾

向を逆転させないまでも何らかの手段が講じられることになろう︒そして第三に︑こうした手段が講じられるなら      ︵20︶ぽ︑それは政治学にとって極めて有益となるであろう︒以上のような観点から彼は︑行政学が一個の学問分野として       ︵21︶の独立を志向しつつある傾向を﹁政治学の行政学に対する絶えざる優越性への重大なる脅威﹂と見なしている︒そし

てマーチィンは︑政治学と行政学との結合関係について︑以下の五点を指摘している︒

 6 政治学は依然として行政学の本来的な学問上の基礎であると認識される︒この認識は普遍的ではないにせよ︑

これに対して徹底的に反論する主張は殆んどみられない︒

 口 政治学の一部門と見なされることによって行政学は︑政治学の他の諸部門と比較して特に利点を敵討してい

る︒ 日 行政学は︑その固有の性格からもたらされる利点のおかげで特別のステータスを得ているにも拘わらず︑行政

学が政治学を凌駕したり︑或いは過度に分離したりする明らかな根拠は無い︒

 匹 政治学と行政学は同一の全体的な研究主題領域への関心を通じて親戚関係にあるのみならず︑相互に必要性を

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共有しあっている︒両者は相互に貢献しあう依存関係にある︒

 国 しかし同時に︑行政学のもつより広汎な意義を無視することは現実的ではない︒過去において規定され実践さ

れてきた政治学は︑行政学に対してあまりにも狭い文脈しか与えてこなかった︑と主張する政治学者も増大しつつあ

る︒政治学の行政学に対する優越への脅威は現実にさし迫っており︑政治学の側に︑想像力に富む思考の必要が早急       ︵22︶に求められている︒

 家出をしかけている息子に多少の反省をこめて懸命に説得している父親の姿を連想させるこの主張にみられるよう

に︑パラダイム3の時代は︑政治学と行政学との概念上の結合を回復するための広汎な試みが展開された段階であっ

た︒そして︑公共政策の形成過程を共通項とする両者の結合と役割分担の関係が再形成されることにより︑行政学の

位置は︑再び政府官僚制機構へと据えられることになった︒

 しかしながら他面︑これによって行政学の独自性を示す焦点が失われた︒一九五〇年代の行政学についての記述

は︑政治学の﹁ひとつの強調点﹂乃至は﹁一関心領域﹂︑さらには政治学と殆んど同義語として語られるようになり︑

ヘンリーによれぽ︑このときから行政学は学問としての一体性の喪失へと向かって長い螺旋階段を下り始めた︑とさ

 ︵23︶れる︒そして一九六七年忌は︑アメリカ政治学会年次総会のプログラムから行政学の部会は削除されてしまった︒当

時のワルドーの言葉によれぽ︑政治学者の多くは行政学に無関心であるぽかりか反感を抱く者さえあり︑行政学者は      ︵勿︶コ一流の市民権﹂しかもっていない︑とされるのである︒しかし︑こうした政治学との結合のなかで発展がみられた      ︵お︶二つの分野としてヘンリーは︑事例研究と比較行政学を挙げている︒

 行政の事例研究は︑既に一九三〇年代から試みられていたが︑一九四〇年代以降五〇年代にかけての増大は︑行政

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戦後アメリカ行政学の再整理

学における行動科学への対応のひとつの現われと解釈される︒すなわち︑一九三〇年代からの古典的行政学を受け継

ぐ研究者にとって︑事例研究は︑行動科学的手法を用いる格好の場として歓迎され︑しかもサイモンの厳密な純粋科

学に代替する都合の良い研究分野を提供することになったのである︒これに対し︑行動科学の最盛期に政治学の部門

のなかで育ってきた比較的新しい行政学者は︑行動論の挑戦に妥協する手段として事例研究を受け容れることになっ

た︒さらに専門教育科目としての評価が低下した割に学生からの需要が高まっていた当時の行政学の講師として︑し

ぼしぼ現役を退いた元公務員が迎えられたことも事例研究の増大を促したとされる︒彼らの多くは︑公務員時代の自       ︵26︶己の具体的な体験に基づいて行政学へのアプローチを行なったからである︒

 他方︑比較研究については︑既にウィルソンが〃人を殺そうとしている男からもナイフの研ぎ方を学ぶことができ       ︵勿︶るという意味の言葉に託して︑その必要性を説いたことは広く知られている︒しかしウィルソンが主張したのは︑

飽くまでも政治・行政二分論を前提とした技術としての行政の比較研究であった︒そこでは︑あらゆる国家の統治構

造に妥当する共通の行政の原理を発見することが目的とされ︑この観点が一九三〇年代の行政の諸原理︵パラダイム

2︶の主張へと結実していったのである︒これに対し戦後の比較行政学は︑前述のダールの論文にみられるように︑

普遍的と見なされていた行政の諸原理及びその前提としての政治・行政二分論に対する批判を土台として展開され

た︒その背景としてワルドーは︑第二次大戦とその後の占領政策の影響を挙げている︒すなわち︑多くの行政学者や

政治学者がこの時期に海外︑特に非西欧諸国での戦後の統治政策に関わることによって︑各国の統治システムに内在       ︵28︶する文化的要素に着目し︑そのことが新しい比較行政学の開拓を助長したのである︒それゆえ︑こうした比較行政学

はハ対象となる国々の政治体制全体の比較研究と密接に関連して展開されることになる︒フェレル・ヘッディは一九

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六六年に発表した著書において︑比較行政学のパースペクティヴの前提を次のように述べている.︑﹁国家の行政シス

テムの比較を試みるにあたっては︑行政は行政システムが作動する一側面に過ぎないという事実を銘記しなければな

らない︒このことは当然︑比較行政学が︑比較政治学と緊密な結びつきをもち︑政治システム全体についての比較研       ︵29︶究の最新の成果から提供される基盤を出発点としなければならないことを意味する﹂

 比較行政学の発展が︑政治学と行政学との結合︵パラダイム3︶のもとに形成されたと見なされる所以は︑こうし

たヘッディの記述から理解することができるであろう︒

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四 パラダイム4鱒﹁組織と管理﹂科学としての行政学−位置の融解

 パラダイム4はパラダイムとほぼ同時期における︑ ﹁組織と管理﹂科学としての行政学である︒ヘンリーはその始

まりを︑ ﹃アドミニストラティヴ・サイエンス・クォータリー﹄誌が創刊された一九五六年に求めている︒政治学の

なかでの﹁二流の市民権﹂に不満をもつ一群の行政学者に対して新しい選択肢を提供したのが︑この第四のパラダイ

ムであった︒p︒匹∋四面ωけ鑓曳く①ω︒凶①暮①は︑従来﹁行政学﹂或いは﹁経営学﹂と文脈に応じて訳しわけられてきた言葉

である︒ここで﹁組織と管理﹂科学という訳語を用いたのは︑それが組織理論と管理科学の両方を包含するものであ      ︵30︶るというヘンリーの指摘に従ったからである︒

 ﹁組織と管理﹂科学は︑行政学以外の学問領域から多くの成果を得て形成された︒すなわち︑組織理論においては

組織行動への理解を深めるために社会心理学︑経営学︑社会学の貢献に負うところが多く︑管理科学においては組織

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戦後アメリカ行政学の再整理

のプログラムの有効性をより詳細に測定し管理能率を高めるという課題について統計学︑システム・アナリシス︑コ

ンピュータ⁝工学及び経済学の成果に依拠している︒そしてとりわけ一九六〇年代初頭から多くの行政学者に新しい

焦点を提供したのが﹁組織開発﹂︵○お餌a鑓二〇昌∪Φ<巴8ヨΦ曇  以下ODとよぶ︶の分野であった︒ODの特色は

次のようにまとめられる︒日学問的にはエルトン・メイヨー以来の人間関係論の系譜に属し︑またセルズニックらの

主張する環境論学派とともに組織を開放系として捉える︒国組織内部における自己刷新のプロセスを仮定した組織変

動に関する行動科学的アプローチのひとつである︒日社会心理学の知識に基づく交流分析︵霞きω碧二8き巴誘一ω︶と      ︹31︶感性訓練︵ωΦコω一一一く一一矯一﹃⇔一コ一昌﹂四︶の技術を通じて︑組織を構成する個人の自己活性化と人間関係の調和をはかる︒こ

のような特色をもつODは︑一九四〇年代後半には専ら私企業組織への適用が試みられていたが︑五〇年代後半から

六〇年代にかけて政府組織にも応用されるようになり︑一九六七年にはクリス・アージリスが国務省内における外交      ︵32︶官と一般職員との集団間対立を解決するためにこの技法の適用を試みたとされる︒そして一九七四年には﹃行政学評      ︵詔︶論﹄誌の紙上シンポジウムのテーマとして︑ODがとりあげられるに到っている︒

 このように︑パラダイムとしての﹁組織と管理﹂科学は︑専門知識を必要とする高度に洗練された分析技術の提供

を通じて︑行政学者にひとつの新しい焦点を提示した︒しかしながら︑そうした専門技術がどのような制度的装置の

なかに適用されるべきかという︑行政学の位置の問題については︑何ら解答を与えるものではなかった︒ ﹁組織と管

理﹂科学はアドミニストレーションの科学であってパブリック・アドミニストレーションの科学に限定されない︒正

に︑パラダイム2の行政の諸原理の場合と同じ脈絡の問題が︑ここではより広汎に行政学全体の位置づけに関わるも

のどして再浮上してきたといえるであろう︒﹁組織と管理﹂科学だけが行政学のパラダイムと見なされるならぽ︑行

93

(16)

政学は︑政治学における﹁ひとつの強調点﹂としての存在から︑精々﹁組織と管理﹂科学の﹁一下位分野﹂へと入れ

換っただけに過ぎなくなる︒換言すれぽ︑パラダイム4は政治学に代って経営学が行政学を再吸収したことを意味す

るに他ならないのである︒

 こうしたディレンマを解決する鍵として︑ヘンリーは︑公共性の問題を行政学の研究領域の中心に据え直すべきこ      ︵34︶とを指摘している︒このことは︑行政学がアドミニストレーションの科学ではなく︑飽くまでもパブリック・アドミ

ニストレーションについての科学たり得るために︑当然導き出される論理的命題であり︑或る意味で行政学における       グレイ エリア永遠の課題である︒けれども︑現実の社会においては︑産軍複合体や第三セクターを始めとする所謂﹁灰色領域﹂の

増大︑国民の行政ニーズの多様化に伴う政府機能の変化などのために︑公的領域と私的領域を経験的に区分すること

が極めて困難になっていることは周知のとおりである︒それゆえ︑今日の行政学における﹁公的﹂という用語は︑単

なる制度的用語としてではなく︑より広い哲学的・規範的・倫理的用語のなかに位置づけられねばならない︒ヘンリ

ーの例によれぽ︑国防省とロッキード社の関係を考える場合に︑行政学者は︑前者を公的領域に固有の存在として捉

え後者の問題への関心を経営学者に委ねてしまうのではなく︑両者の契約上の利益関係や政治的影響力の関係等を含

む︑より広汎でダイナミックかつ規範的な関係として捉える視点をもたねぽならないのである︒公共性に対する古典

的定義に代わるこうした新しい﹁公一私関係﹂の定義が︑行政学における﹁公共事象﹂︵〇二三凶op秘事お︶とよばれる

概念に他ならない︒そしてこの﹁公共事象﹂のなかで最も重要な位置を占めるのが︑公共の利益の問題である︒なぜ

なら︑公共の利益を意識しなけれぽ︑ ﹁組織と管理科学﹂は︑いかに不道徳的な目的であってもそのために利用され

得ることになるからである︒したがって︑公共の利益を明らかにしこれを実現するという観念こそが︑﹁組織と管理﹂

94

(17)

科学の文脈では殆んど注目を払われなかったところの︑行政学における支柱となるべき位置を構成する︑とヘンリー

      ︵お︶は主張している︒

 このように︑パラダイム4は行政学者に対し︑政府官僚組織のなかに適用可能と思われる或る種の管理技術を提供

した︒そして同時に︑その価値問題に対する徹底した無関心が却って行政学者をして︑行政における公共性の現実的

意味についての規範的考察へとあらためて目を向けせしめたのであった︒

五 自立への諸力﹁科学と社会﹂と﹁新しい行政学﹂一変上期と行政学1

戦鐘アメリカ行政学の再整理

 以上のように︑パラダイムとパラダイム4の時代は︑政治学と﹁組織と管理﹂科学との間で︑行政学の位置と焦点

が両極的に揺れ動いた時代であったといえよう︒しかしながら︑そうしたなかにあって一九六〇年代後半からは︑改

めて行政学を独立した学問として再構築しょうとする試みが︑行政学者自身の手で模索され始めていた︒この傾向を

示す例としてヘンリーは︑大学教育における学際的なプログラムの開発と﹁新しい行政学﹂︵Z①≦弓二三ご︾qヨ一巳・      ︵36︶ω#讐δp︶の出現を挙げている︒

 第一の例は︑ ﹁科学と社会﹂或いは﹁科学・技術・公共政策﹂といった名称で︑一九六〇年代から各地の大学に新

設された一連のカリキュラムである︒これらは既存の学問体系を横断する知識の啓発の場として広汎な学際的性格を      ︵訂︶もつもので︑しかもこれを担当したのは︑多くの場合政治学科に属する行政学者であったとされる︒彼らは︑こうし

た学際的な研究・教育プログラムを推進することを通じて︑科学と公共政策についての新しい焦点を甘い出すことに

95

(18)

より︑行政学の新しい自立の道を探求する立場を得たのである︒第二の﹁新しい行政学﹂の主張は︑一九六〇年代後

半以降︑行政学の焦点を能率︑有効性︑より良き行政技術といった伝統的関心から社会的公正へと据え直そうとする

一連の運動であった︒この意味で﹁新しい行政学﹂は︑ほぼ同時期の政治学における﹁新しい政治学﹂運動と同様

に︑ポスト行動科学の時代の社会科学の在り方を問い直す広汎な知的趨勢のひとつとして位置づけられるであろう︒       ︵38︶ 以上に挙げた二つの例のうち︑ここでは特に﹁政治学と︿組織と管理﹀科学の双方からの独立宣言﹂といわれる後

者について少しくとりあげてみよう︒この運動の背景としては︑言うまでもなく︑当時のアメリカ社会の置かれてい

た諸状況が考慮されねぽならない︒すなわち︑ベトナム戦争の失敗︑ステユーデント・パワーや人種問題の激化等に

よってアメリカ国民の政府に対する信頼が激しく動揺していた時代であった︒こうしたなかで︑一群の行政学者の間

に︑行政学の現実社会に対する有意性についての疑念や危機感が広まりつつあった︒ワルドーは一九六八年の﹁変革

期における行政﹂と題する論文で︑科学技術︑暴力︑入種問題︑世代ギャップ︑都市問題︑犯罪︑モラル及び価値観

等︑現代における変革の諸様相を列挙し︑こうした変革に行政が深く関わりをもっことを指摘したうえで︑次のよう

に述べている︒ ﹁われわれが変革の時代に生きているという事実に︑行政はこれを強く意識して対応しているだろう

か︒原因.結果・過程のさまざまな形で変革にまきこまれているわれわれの存在について私が語ってきたすべてのこ       ︵39︶とに拘わらず︑私自身の答えはノーである︒﹂

 このような警告を発するワルドーを後見役として︑同年シラキュース大学ミノウブルック会場に結集した若手行政

学者の見解を集約して七〇年に発表された﹃新しい行政学を求めてミノウブルック・パースペクティヴ﹄が︑規範

的理論︑哲学的考察︑実践への関心を重視し︑価値や倫理問題︑組織を構成する個人の人格的発展︑都市問題︑官僚

96

(19)

戦後アメリカ行政学の再整理

1顧客関係︑暴力等の広汎な課題に行政学者が積極的に取り組むべきことを主張したのは︑蓋し必然の帰結であっ

た︒しかしそれだからといって︑ ﹁新しい行政学﹂運動は決して従来のアメリカ行政学の在り方に対する全面否定を

主張するものではなかった︒この点についてこの運動の中心的リーダーの一人であるH・ジョージ・フレデリックソ

ソは次のように述べている︒

 ﹁新しい行政学に含まれる諸価値は広範囲にわたり︑しかもそれらが必ずしも矛盾しないわけではない︒それゆ

え︑過去の行政学における理論や規範を全面的に否定するごときモデルをもつ唯一かつ衆目の一致する新しい行政学

が存在すべきだという考え方には︑私は強く反対する︒すなわち私は︑新しい行政学における新しさ︵≦げp︒二ω昌Φ毛︶       ︵40︶とは伝統的な行政学を導いてきた諸価値から直接に由来すると主張したいのである︒﹂

 こうした観点からフレデリックソンは︑現代行政学におけるさまざまな学派を︑そこで最も重視されている価値を      ︵41︶基準として︑以下の五つのモデルに分類している︒

 第一は︑古典的官僚制モデル︵O剛①ωω圃O 田W信﹃①9二〇﹃国け一〇 冨O匹Φ一︶であり︑ウェーバーの理念型を起源としテイラーの

科学的管理法の概念︑ウィルソンからギューリックに至るまでの政治・行政二分論に基づく古典的行政管理のモデル

である︒前述のヘンリーによる創始期からパラダイム2までの時代のモデルといってよい︒このモデルでは︑能率︑

節約︑有効性が最大化されるべき価値と見なされていた︒第二のモデルは新官僚制モデル︵ヴ酬①Oび二﹃①帥二〇H餌け凶O竃O∩一①一︶

であり︑サイモンやマーチに代表される組織の意思決定過程に対する行動論的分析を特色とする︒このモデルにおい

て重視されている価値も能率︑節約︑合理性であり︑全体として第一のモデルのそれと共通していることから︑フレ

デ炉ックソンはこのモデルを新官僚制モデルとよんでいる︒第三は制度モデル︵一昌ω一一一二け一〇昌ρ一 ζO仙O一︶であり︑リン

97

(20)

ドブロムによる漸増主義や︑クロジェによる官僚制の病理現象の分析︑ガウスの比較文化的研究︑セルズニックの組

織と環境分析等の広汎かつ多様な内容が含まれる︒全体としてこのモデルに属する研究者の関心は︑組織はどうある

べきかということよりも︑現存する組織がどのように行動するかを分析し理解することに向けられている︒したがっ

て︑そこで追求されるべき第一義的価値は︑組織行動に対する客観的分析という点で共通している︒第四は人間関係

モデル︵霞ニヨ9づ 図①一P一一〇コω 竃OqΦ一︶である︒ エルトン・メイヨー︑F・J・レスリスバーガーらによるホーソン工

場の実験以来の成果を踏襲し︑組織を構成するフォーマル︑インフォーマルな入間関係を重視する学派で︑レンシス

・リッカート︑ダグラス・マグレガーらに代表される︒前に述べた組織開発︵OD︶も︑このモデルに含まれる︒こ

のモデルでは︑組織における労働者の満足︑個人の人格的発展を促進することに価値が置かれている︒第五のモデル

は公共選択モデル︵℃二げ財O OげO一〇Φ 冨O仙Φ一︶である︒このモデルを代表するのは︑本来経済学で主張されていた公共

選択理論を行政理論及び政治哲学と結合することに成功したとされるヴィンセント・オストロムである︒オストロム

は︑主著﹃アメリカ行政学における知的危機﹄のなかで︑ウェーバー・ウィルソン型の﹁官僚制の理論﹂に代えて︑

ハミルトン・マディソン型の多元的・分権的組織理論に基づく公共選択アプローチを﹁民主的行政のパラダイム﹂と       ︵42︶して主張している︒こうした公共選択モデルでは︑市民の公共サーヴィスに対する選択や平等な接近が︑最も重視さ

れるべき価値と見なされる︒

 既に述べたように︑フレデリックソンはこれら五つのモデルにおける諸価値の意義を否定してはいない︒ ﹁新しい

行政学﹂の新しさとは︑彼自身の表現によれぽ﹁布地が織られる方法についてであって︑必ずしもそこに用いられる      ︵43︶糸そのものが新しいというわけではない﹂とされる︒すなわち︑古典的官僚制モデル︑新官僚制モデル︑制度モデル

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(21)

戦後アメリカ行政学の再整理

において示された能率︑節約︑合理性といった伝統的価値は今後も﹁新しい行政学﹂に重要な影響を及ぼしてゆくで

あろうし︑人間関係モデル及び公共選択モデルで追求される個人の発展や尊厳︑市民の選択といった諸価値もまた      ︵44︶﹁新しい行政学﹂にとってひとつの出発点となるものとフレデリックソンは評価している︒しかしながら︑これらの

諸価値は往々にして競合し︑対立しあうものである︒そして時代の推移のなかで︑どれか一群の価値が最優先される

ことになる︒そこで今後の行政学においては︑前述の諸価値に加えて社会的公正︵ωo︒巨8巳ξ︶という価値が言わ

ば新たに織り込まれるべき糸として最も重視されねばならない︑というのがフレデリックソンの主張である︒彼によ

れば︑伝統的・古典的行政学は次の二つの問いに対する解答を追求してきた︒第一に︑ ﹁利用し得る資源によってい

かに多くの或いはより良いサーヴィスを提供し得るか﹂︵能率︶︑そして第二に﹁より少ない財源でいかにサーヴィス

の水準を維持できるか﹂︵節約︶という二つの課題である︒これに対し﹁新しい行政学﹂は次のような質問を附加す       ︵45︶る︒すなわち﹁それらのサーヴィスは社会的公正を高めるか﹂である︒

 ここで彼自身の展開する社会的公正の概念に対する分析と定義−全体としてJ・ロールズの﹃正義の理論﹄とこ

れについてのD・ハ⁝トの解釈に依拠している一についての記述は割愛するが︑要約的にいえぽ︑社会的公正と

は︑一連の価値選択︑組織構造の選択︑管理様式の選択を包括する概念であり︑ω公共サービスの平等性︑㈲諸決定

とプログラムの実施に関する行政官の責任︑価公共機関よりも市民ニーズへの対応︑㈹行政に対する学際的研究と教      ︵46︶育へのアプローチ︑を強調する概念とされる︒そして﹁新しい行政学﹂は︑これまで社会的公正の実現を阻害してき       ︵47︶た政策や政府構造の変革を志向するものであることが強調される︒以上が︑フレデリックソンの描くところの﹁新し

い行政学﹂の主張の概要である︒

99

(22)

100

六 パラダイム5行政学としての行政学−展望i

 行政学が独立した一個の学問分野として成立し得るための︑位置と焦点を確立しようとする新しい運動は今なお模

索の段階にある︒再びニコラス・ヘンリーに立ち戻るならぽ︑彼自身︑前節で挙げた二つの例が必ずしも十分な成果

を収めたとはいい難いことを認めている︒すなわち︑前者の科学︑社会︑公共政策をめぐる学際的プログラムは︑結       ︵48︶局のところ︑情報システム︑成長管理や環境管理といったトピックスについての専門的コースへと分化していった︒

また後者の﹁新しい社会科学﹂の主張も︑未だアメリカ行政学の主流を形成するまでには到っていない︒しかも︑こ

の運動を囲慶する現実のアメリカ社会は︑既に変革よりも安定志向へ︑巨大政府よりも効率的行政の志向へと移行し

つつある︒こうしたなかで︑敢えて社会的公正を前面に立て︑市民サービスに応じた行政サービスの平等化の実現を

目差す実践的行政学を展開する試みは︑北村公彦教授の比喩的表現を借りるならぽ﹁最悪の天候の下で登頂至難の山        ︵49︶に向かう登山家の心境﹂とされるのである︒

 しかしそれにも拘わらず︑パラダイム3とパラダイム4の時代を経て︑今や政治学と﹁組織と管理﹂科学の拘束を

再検討し︑行政学における学問の独自性という展望を明確にしなければならないという認識は︑七〇年代以降の多く

の行政学者の間に浸透しつつあるといってよいであろう︒確かに今日の行政学者の関心は︑政策科学や政治経済学︑

公共政策の形成過程及びその分析︑政策アウトプットの測定といった複雑に関連する広汎な諸分野に向けられてい

る︒けれどもヘンリーは︑こうした広汎な知的関心が︑前述のような認識のもとに︑全体として﹁公共事象﹂とよぽ

(23)

戦後アメリカ行政学の再整理

      ︵50︶れる研究領域へと収敏され︑そのことが行政学における新しい位置を確定するものと提言している︒言うまでもなく

﹁公共事象﹂の概念は︑単なる制度的意味ではなく︑より規範的︑倫理的意味において規定されねばならない︒この

意味で﹁公共事象﹂の主張は︑ブリデリックソンによる社会的公正の強調と相通ずるものがある︒すなわち︑ ﹁公共

事象﹂を形成する要素は政府を始めとする大規模組織間の関係のみではない︒そこでは常に︑組織を構成し或いはそ

の顧客となり︑さらには未だ組織化されぬまま既存の政治過程から排除されている︑といったさまざまな立場にある

諸個人の存在が視野に取り込まれねぽならないであろう︒ブリデリックソンが指摘するように︑市民Aと市民Bを同

一と見なし︑両者は等しく同じ程度で公共サ:ヴ弔スを亨受していると仮定することは理論上も実践的にも極めて便      ︵51︶利であるが︑そうした仮定が非論理的で経験的にも不正確であることは明らかである︒したがって︑個人と組織を包

括する広汎な﹁公共事象﹂に対するアプローチにおいて︑社会的公正の概念は︑行政学者に重要な規範的フレームワ

ークを提供することになるであろう︒そこでは︑この両者の概念の関係が︑公共の利益と個人の利益とをゼロ・サム

関係で捉えるごとき短絡的視点へとすりかえられてはならないのである︒

 他方︑焦点に関しては︑パラダイム4の時代に培われたところの︑高度に洗練された豊富な分析技術を擁する組織       ︵25︶理論と管理科学をその中心に据えることができる︑とヘンリーは主張する︒オペレーション・リサーチ︑システム分

析︑PPBS︑ZBB等々のさまざまな技術については︑規範性を志向する﹁新しい行政学﹂においても︑行政の変      ︵お︶革を促す用具として評価されている︒重要なことは︑言うまでもなく︑これらの技術をすべての行政学の分野で無批

判に濫用することはできないという点にある︒D・K・プライスは︑大学における行政学教育の直面するディレンマ

のひとつとして︑科学と価値の対立を指摘し次のように述べている︒ ﹁極めて科学的性格をもつ洗練された体系的理

101

(24)

論を教える場合に︑われわれはそれらを︑       ︵鈎︶バランスをとらねぽならない︒﹂ 基本的な価値問題や社会的正義の問題について同じ様に洗練された知識と ㎜

七 結 語

 ﹁行政学としての行政学﹂というパラダイムは未だ完成されたものではない︒そこにおいて位置として定められる

べき﹁公共事象﹂の概念にしても︑あまりにも包括的であるとする批判も当然予想され︑なお検討の余地を残してい

る︒実際︑ワルドーが一体性の危機を主張して以来︑既に十余年の歳月を経ながら︑今日の行政学者の関心領域は尚

一層多様化しつつある︒こうした傾向を﹁公共事象﹂という概念でのみ枠をはめようとするのは︑単なる言葉の遊び

に過ぎないと指摘されるかも知れない︒けれども︑それゆえにこそ今日の行政学者は︑斯学の位置と焦点を確立する

ための方法論における統一化の作業を絶えず追い求めてゆかねぽならない︒こうした作業を怠り︑概念や分析用具に

ついての合意を欠くまま対象領域のみを無限に拡大してゆくならば︑そこには︑分析的手法と規範的手法が両極化し

︵極言すれぽ︶学者の数だけ異なった行政の研究が併存するという状況が生れかねないのである︒そのとき﹁行政学

としての行政学﹂は︑統一的なパラダイムではなく︑文字どおりの空虚なトートロジーへと堕するであろう︒

 註

︵1︶ 足立忠夫﹃行政学﹄︵日本評論社︑昭和四六年︶︑一七八頁以下参照︒

(25)

戦後アメリカ行政学の再整理

︵2︶ 拙稿﹁現代行政学の成立と展開1その多様化と一体性の危機1﹂︑早稲田大学社会科学部学会編﹃新しい社会科学を求

  めて1社会科学の過去・現在・未来1﹄︵行人社︑昭和五八年︶︒

︵3︶ 西尾勝﹁組織理論と行政理論﹂︑﹃行政学講座1・行政の理論﹄︵東京大学出版会︑昭和五二年︶一七五頁︒

︵4︶密︒ぎ冨ω出①謹ざぎミ詩﹄軋ミミ絵ミ識§貸ミ穿ミ賊ら︾ミ龍9︒・08巳二三〇P牢︒曇8午国9二お︒︒ρ弓﹄刈・

︵5︶ この章は﹁行政学のパラダイム﹂と題して一九七五年の﹃行政学評論﹄に掲載された論文を加筆訂正したものと考えられ

  る︒︵国①霞ざ..℃費9巳oq3ω鼠℃口窪ざ﹀αヨ一巳ω茸巴ご篭︑噛︑§§︾職ミミ恥㌣ミ旨旨旨旨ミ§  以下では︑香沁と略すi

  <o一.ω9Zρ合弓戸ωN︒︒山︒︒①︶この論文では﹁自立への諸力﹂の節は無く︑パラダイム5が﹁出現しつつあるパラダイム

  行政学としての行政学﹂と﹁制度的パラダイム⁝カリキュラムの自立化へ向けて﹂という二つの節に分かれている︒内容的

  には前者の節がパラダイム5︑後者の節が﹁自立べの諸力﹂の前半部分に該当している︒本稿の節立ては概ね﹃行政と公共

  事象﹄の記述に従っており︑それゆえ本稿の註はすべて同書の頁数に依拠している︒

︵6︶空︒冨aいω二ぎき一一.︑︑芝8α3乏≦諺8帥島守︒ω一;身oh︾α巳巳ω昌昌ご三︾Z①雪ぎ︒犀碧き○匡国ωω錯.り

  ︾ミミ暁ミ蕊︑oミ詩ミ⑦ミ馬ミ鳴勘塁昔ミ①刈︵︸ロ昌︒目O刈ω︶鳩98α三身①β﹃ざ︒やoO.o騨二﹄QQ.

︵7︶国︒霞ざ8.隻こO●ωωド

︵8︶ O︷.堂号ωげ9=国●∪一800犀.甫げ①︼≦o⇔三旨oq曽ロ傷ω80①o︷蜀二げ嵩︒>口切冒δけ鑓江︒昌.−噂ト︼≦●09ロρピ幽∪.芝三臼①9口α

  ﹈≦.国.∪一ヨ8ぎ︑︑oミ馬ミ的ミ︑§︑篤ら毎職ミ篤ミ無︑ミ馬§矯〇三80qρ目㊤ω9℃弓.ω1駆.

︵9︶国︒霞ざ89こO・ωω●

︵10︶ 図︒げ〇二︾●∪潜三噛..↓ゲ︒ωoδ昌80︷剛ロげ嵩︒>畠ヨぎ6一冨江︒昌目ゲお①℃8巨︒ヨω︑︑℃ 抽︸軍和<oドゴZo﹂鳩お艀S℃嵩.

︵11︶ 勺9巳=卿﹀℃茗①げざ︑︑目︒≦碧αヒdo二9勺二げ嵩︒諺ユヨ一昌凶ω#p︒二〇昌.︑ヤ聾知・<oド8Zgb⊇巳ミ鳩O.OO・

︵12︶ 前掲拙稿︑一七〇1一七一頁︒

︵13︶ =oづ﹁鴇︑oO・6騨こづ.ω①.

︵14︶ =9げ臼け﹀の2∋oロ︑︑︑>Ooヨ∋〇三〇昌︑↓げ︒ωoδ昌80h℃露σ嵩︒>α∋ぎδ一冨二〇づ...噛︑.斧沁・<oドメZo.ω層お心刈︾戸

  80・

︵15︶量住二£︒目・       鵬

(26)

︵16︶国︒昌﹃鴫二︒u・鼻こ℃︐ω①亀ωS      O4       1︵17︶ この言葉は︑岡沢憲芙教授が政治学における状況について指摘されている︽ガリレオ・コンプレックス︾という用語を行

  政学の文脈に置き換えて用いたものである︒岡沢憲芙﹁政治学の科学化運動と行動論革命の衝撃﹂︑前掲﹃新しい社

  会科学を求めて﹄︑ 二二五一一三六頁︒

︵18︶ =O昌円ざOP6搾二弓.ω8

︵19︶ ︸L≦噛09︒ロ9︑︑日嗣植傷ω物乞︒↓げoo蔓oh男犀ぴ翫︒>自記ぎ〆#讐聞︒耽℃抽秀知く巳﹂9Z9も︒︑這8︑℃﹂①Q◎.

︵20︶ 即︒ω8⑦︼≦葺けぎ鴨..℃oゴ菖︒巴ψ9①ロ89昌O℃二げ一甘>Oヨぎ凶ωけ雪駄︒昌﹀乞900嵩§Φω慈εo隔爵od巳︒昌︑︑噂﹄ミミ画自論

  ︑o嵩識︒ミψミ§驚沁馬ミ恥ミ噛<9.幽9ωo讐①旨げ︒さδ㎝卜⊇O.㊦2.

︵21︶ 一ぴ剛血二鳴Φ⇔軌・

︵22︶ Hげニニ切噂・①刈卜︒一①刈笥・

︵23︶ 出︒昌﹁ざoPo#ニロ.らoO

︵24︶ ∪≦︷讐酔ミ覧儀P︑︑ω8勺︒亀野︒自用Φo︻鴇oh℃禽び潔︒︾に§貯貯巨星ご昌︑︑贈ぎ智80恥ρOご山匡$≦o﹁導℃o傷§醤も恥︑§隷QG︑

  ︾ヨ①ユ畠⇒>8◎oヨ畷︒︷剛三一ユ09m目ユω09巴ω9¢昌oo噛ち①○◎願サ︒︒噂︒謬σ像首=oづHざoO・9〜やωり・

︵25︶ 頃︒コ同ざ︒唱曾9け二やや.ω㊤1鼻O.

︵26︶ Hぴa二噂唱・幽O一自.

︵27︶ Oh≦oo住8ミ≦埠︒︒oP..目70qDεら圃︒︷﹀匹雪ぎ房需舞剛︒⇒..︵戸G︒o︒刈︶・︻o費ぎ8ら↓ミ⑦出島織穂ミ︑寵ミ簿誤職ミ馬ミ無ミ馬軌§●

  ︾昌昌巴ωoh︾ヨΦ二〇簿⇒Oo<賃昌旨︒昌fおα9戸N卜⊃﹁

︵28︶ ⇔≦一讐⇔≦9ρ匡ρ..↓ず︒ωεα楓oh℃βび躍︒︾傷B汐δ一︻讐ご昌︑︑営営皆げ日記自ト匂D二崔巳櫛PH朗︑ミミ︑らム亀ミ慧蹄饗ミ㌧o謎nGo論ミ黛

  碧匹O器︒・・噛ω︒8民︒α三〇PおG︒O・喝﹂ω●こうした形での比較行政学を主導する役割を果したのが︑一九六〇年にF・W・

  リッグスをリーダーとして結成された比較行政グループ︵Ooヨ℃母p江く①︾侮Bぎδけ村讐ご昌O円︒信℃︶である︒ヘンリーは︑こ

  のグループが一九六二年にフォード財団からの研究助成金を提供されたことを契機として比較行政研究の目的が政治的要素

  の影響を受けるようになったと指摘している︒︵口︒霞ざ8.9二〇﹂卜︒.︶尚︑アメリカにおける比較行政学の展開に関する

  詳細な分析は︑根岸毅﹁行政学と比.較の方法﹂前掲﹃行政学講座1﹄︑二六八−二七七頁参照︒

(27)

戦後アメリカ行政学の再整理

︵92︶ 閃O﹁触O一=Φα団讐︑畿O︑︑ら﹄概ミ︑醤詠︑︑亀葛︒醤箆Oo§職︑亀識当馬ミ︑魯恥ら職壁魯℃︻O昌ユOOI国9一一矯 μO①①噂 ℃・ら・

︵30︶ 国O口﹃団層Oづ・O一け二 弓・劇9

︵31︶ 一び凶ユニ弓・刈膳●即僧一℃げOOげ櫛昌らδ層餌昌匹一Ω◎o閃O.℃5昌P ↓魯馬︑ミ守︑馬ら︾匙ミ軌帰馬9︒牒︑犠畿︒蕊b苛汗馬︒蕊犠︑曳噛Zo星団︒目閃讐目¢cobQ矯ロ喝●

   N81b⊃OH響

︵23︶ ﹈四〇づH団︒O℃.O津二弓●刈O.

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