論 文 リカ
1
ドゥ蓄積論の構造
()
とくに﹁機械論﹂の意義について一
富
塚
良
三
︑ ︹目 次︺
序 節 問 題 視角
第一節資本蓄積と分配理論の骨骼 ・・ リヵードゥ体系の主題 ■ H リカードゥ分配論の構造 ■ 皿 利潤率の自然的低下傾向論 ︹ ︹補説︺ いわゆる︽富源の終焉∀
一りヵードゥ蓄積論の構造! について
一
一論
文1
第二節 資本蓄積と賃銀率の変動
ーリカードゥ動学の構造1
1 ﹁賃銀の自然率﹂の規定iスミスとの対比 ■ H資本蓄積と労働生産力の発展i﹁賃銀の自然率﹂と﹁市場率﹂の変動 ■ 皿 蓄積の﹁自然的﹂行程における﹁賃銀﹂の変動 ︹ ︹補説︺ ︽資本の絶対的過剰生産︾の原型について第三節 資本蓄積と雇用
1リカードゥによる︽可変資本︾把握1
口 再生産過程における資本把握1︽V+Mのドゲマ︾との連繋 コ H ︽労働維持ファンド︾としての︽可変資本︾把握 ■ 皿 生産資本の循環としての再生産把握 ︹ ︹補説︺ 労働需要の決定について第四節 機械と失業 ︹以下次号︺ 1 新機械論への変遷事情 ■ H 旧機械論の論理構造 ■ 皿 新機械論の問題提起とリカードゥの定式化 ︹ ︹補説︺ 新機械論と実現の理論
︹総括︺資本蓄積と雇用・失業 ーリカードゥ機械論の意義と限界一
二
−亀
1
序節 問 題 視 角
﹃経済学原理﹂ ︵O男往覆8&P等馬§曽﹄魯魚︑oミ魯ミ卑︒さミ亀醤織↓聴畿︒ミしω什①一〇︒嵩・︶の第三版 ハユロ︵一八二一年︶において︑リカード踊.が︑機械と失業の問題に関するジョン・パートンの命題をその基本的論旨にお
いて容認した﹁機械論﹂ ︵Oコ蜜㊤9ぎ︒蔓︶を︑第三一章として挿入したことは︑古典派の資本蓄積と雇用の理論か
らマルクスの﹁相対的過剰人口﹂の理論への発展の一歩を劃するものとして︑学説史上に重要な意義をもつものであ
ることは︑よく知られている事実である︒産業革命の進行途上におこなわれた経済学の古典へのこの新たな一章の挿
入という事実は︑たんに学説史的な興味をわれわれによびおこすだけではなく︑痛切な現代的意義をもつ理論的問題
といえよう︒およそ﹁技術的進歩と雇用・失業﹂の問題を論ずるほどのものならば︑リカードゥがあえて﹁機械論﹂
の一章を新たに挿入したことの意味を︑先ず顧みる必要があるとおもわれる︒筆者はさきに︑マルクスの﹁相対的過
剰人口﹂の理論の理解に関して︑技術的進歩は﹁中立的﹂であるとする想定を妥当とし﹁相対的過剰人口﹂の問題を
資本量と労働者人口との間のたんなる数量的関係の問題に解消してとらえようとする近代理論的見解と論戦を交える
機会をも麗また︑資本関係把握に諜づけられてのマルクス蓄積論の意義を浮彫せしめる意図をも.て︑スース蓄
ハおロ積論の基本構成を批判的・体系的に明らかにするよう努めたのであるが︑小論においては︑そのスミスとマルクスと
の間に︑必要な経過点として介在するリカードゥの資本蓄積と雇用ならびに分配の理論の構造を︑とくに第三版で挿
入された﹁機械論﹂の意義との関連において検討してみたい︒
リカードゥがその理論体系のうちに新たに﹁機械論﹂の一章を挿入したことは︑如何なる意義をもつか︒それはり
ーリカードゥ蓄積論の構造i 三
−論文!︑・.四
︵4︶ ︵5︶
カードゥ理論の﹁革命的変革﹂を意味するのか︑それとも﹁発展的拡充﹂を意味するのか︒つねに首尾一貫を期する
ち ち ち セ む
りカードゥは︑パートンの命題を如何ようにその理論体系のなかに包摂しようとしたか.それは成功しえているかど
うか︒また︑﹁機械論﹂の導入は︑ ︽資本蓄積と恐慌︾の問題に関するリカードゥの見解一﹁誤算﹂による︽部分
的過剰︾以外の︽商品の︵したがってまた資本の︶過剰生産︾はありえぬとするリカードゥの見解 ︵第三版の﹁機械
論﹂以後にも持続したことが資料的に跡付けうる含9震巴因葺︾の可能性否定論︶と如何なる理論的関連にあるものとみる
︵6︶
べきか︒総じて︑リカードゥが︑産業革命の事実認識にもとづいて自ら提起したその問題−こうした問題を敢て提
起し︑しかもそれをあくまでも理論的に解明しようとした点に︑彼の経済学者としての偉大さを先ずみるべきである
が一は︑リカードゥ理論の再構成を迫るものではなかったか︒こうした問題意識のもとに︑リカードゥ﹁機械論﹂
の意義をその蓄積論の構造との関連において検討し︑もってマルクスの資本蓄積論がどういう学史的系譜を踏まえな
マロ
がらその批判的再構成として展開されたものであるかを明らかにすると同時に︑それをなおいっそう精密化し発展せ
しめるための手がかりをえたいとおもう︒
第一節慰準備的考察であり︑力点は第二節以降︑とりわけ三︑四節におかれている︒
︵1︶ リカードゥ﹁機械論﹂との関連において重要な学史的意義をもつい切胃8コの見解︵O曾等難ミ&菖§慧恥偽㌣ミミー
豊島ミ霧ミミ急き㌦ミ§8き恥S講ミ§亀遠鳴﹄暮︒ミき吋偽ミ旨蔓毯職衡量︸い︒口αo昌冨旨と題するパンフレットに発表
されたもの︶については︑真実一男氏の労作﹃機械と失業ーリカードゥ機械論研究1﹄ ︵理論社刊︶の第一篇第二章に
立入った解説があるので参照されたい︒その理論的な部分については後に関説する︒なお︑同著の第一篇第一章には︑パー
トンおよびリカードゥの﹁機械と失業﹂に関する見解を知るに必要なかぎりでの︽ピβα象8鼠︒括目︒口8︾ ︵1第一波・
+V・.
天二上二年・第二波・天一六年︑第三波二八三ハ年︶を忠とする匿的背景の諾奮る.t但し︑もう少
し広汎な︵﹁一の社会革命としての﹂・︶産業革命史的視野をもった﹁基礎過程﹂研究の出現が希まれる︒
︵2︶蓉尚夫氏﹃人・・資奎よび羅﹄︹﹃商学塗﹄第馨第3号︺に対する筆者の批判.﹃産業予輩の理3﹄︹同 誌第馨第毒︺蒙罠の−ジョィンダー・﹃﹁合︑資本および雇傭﹂への補論﹄︹同華讐第・号︺に対する再批
判●﹃肇予蟹の理強﹄︹同輩蓉第2号︺.馨氏の論文は回答も禽て罠著﹃資本主義経済と鷹﹄に再讐
て れ︑筆者の論稿は幻mとも岸本英太郎氏編﹃資本主義と失業﹄に収録されている︵いずれも日本評論新社刊︶︒ てじ う︵3︶筆者箏﹃スース墓論の基本震﹄︹富諺轟﹃真経済学研究﹄集甕刊︺.スースに関する右の拙論はとく
に︑小論におけるリカードゥ蓄積論の構造把握と直接の連繋をもつので︑参照比較されることを希望する︒
︵4︶﹃リカードゥ全集﹄の薯序文に示され隻ラッファの見解︹ぎき︑葡⇔自ミ︒.︑︑軸物辱︒醤匙試も色鳥b黛︑︑蕊藁q亀︑飛︒・
︒言為ぎ欝≦三富︒︒琶︒菖8︒ま≠O︒げ言量碁二婁−零<︒=﹂<一一・以下これを受︒︑融ωと
略記する︺︒これがほぼ通説を代表するとみてよい弔︑あろう︒
︵5︶豊倉享竺リカァドゥの議論﹄︹﹃経済学論究﹄第九奮喜︺.この論文はのちに罠著﹃真派恐慌論tマルサ
スとりカードゥとの論争史一﹄ ︵弘文堂刊︶に第四章として収録された︒この一見異端的ともみられる豊倉氏の新説︑な
らびに・﹁旧緩論﹂の所在を明言汽てはいないという意味で・てれと葦の覆点をもつとも窶れる堀経夫博士の見
解・﹃リカァドゥ﹁経済学及び課税の諸原理﹂の構成について﹄︹﹃経済学論究﹄第七巻第一号t﹃理論経済学の成立一
リカァドゥの価値論と分配論i﹄序章︺に対しては︑真実一男氏が前掲書第二篇第二章で批判を加えられ︑その後も︑真
実豊倉震の間に・男−㌧の﹃峯﹄第一蔵以前の旧撮論と新機械論との間の連続.断絶喬をめぐって農ある
論争が続けられている︹﹃経済学論究﹄第13巻第4号での豊倉氏の真実氏前掲書に対する書評︑真実氏の最近稿.﹃リカァ
ドゥ機械論の解釈﹄・﹃経済学雑誌﹄第姐巻第3号での反論︺︒また︑右の豊倉・真輿両氏の論争を主たる手がかりとしなが
ーリカードゥ蓄積論の構造一五
一論 文一 六
ら︑両者とも異なる独自かつ特異の見解を展開したごく最近のものとして︑羽鳥卓也氏﹃リカアドウにおける機械と失業﹄
︹﹃商学論集﹄第29巻第1号︺がある︒このように︑リカードゥ新機械論の解釈については︑とくに最近のわが国において
研究が活溌であり︑また諸説乱立しているのが特徴的であるが︑そうした論争の成果を有意義的ならしめるうえにも︑いま
.一度根本にたち返って︑スミスおよびマルクスとの対比においてηカードゥ蓄積論の基本性格と構造を内在的・批判的に解
明し再構成するという仕事が必要であるようにおもわれる︒
なお︑前記のわが国最近の諸研究にいたるまでのりカードゥ機械論の内外研究史については︑真実氏が前掲の労作の第二
篇第一章において︑周到にして簡潔な展望を与えられているので参照されたい︒リカードゥ機械論をどうみるかは︑要する
に︑その研究者がどういう理論︑とくにどういう蓄積論を抱懐しているかによってきまる︒ ﹃剰余価値学説史﹄第二巻第二
部第四章における︑リカードゥおよびパートンの機械論に関する周知のマルクスの検討 ︹男髷曽鉾Sぎミ︑§き無銭§
■§ぎミ俺葦>垢αgg畠鳴一器ω︒器口竃帥⁝玲暮π西日寄目穿αR旦諄9窪Oぎ3巳Φ︑︑︸汀ω菌■<8界
囚餌三舞質ω鮮目↓o二軍ヨωψ基山謡甲︺が︑今日なお依然としてリカードゥ﹁機械論﹂研究の高い水準を示すものと
みられるのは︑この理由による︒ ﹁価値論﹂研究の旧くからの盛況にくらべて﹁機械論﹂はりカードゥ研究において比較的
閑却されてきた問題領域であるが︑そのこと自体が︑リカードゥの﹃原理﹄はなによりも︽資本蓄積と分配関係の変化︾に
関する動学体系であり︑まさしくその基礎づけとして価値論が展開されたのであることの理解が不足していたことを物語っ
ているようにおもわれる︒
︵6︶ この問題は︑ ︽リカードゥにおける﹁セイの命題﹂︾と︽﹁V+Mのドグマ﹂︾の問題に︑すなわちリカードゥの再生産と
実現の理論の問題に︑帰着する︒アての場合︑同じく﹁セイの法則﹂といっても︑労働価値説の基礎上に︑また利潤率の平均
化運動との関連において︑部分的過剰月過少の関係を︑ ﹁価値﹂ ︵﹁自然価格﹂︶からの﹁市場価格﹂の乖離とそれへの
収斂を通じての・生産諸部門間への資本・労働配分の不均衡の均衡化の問題として︑それなりに明確に定式化しえたリカー
﹂
ドウと易用価値説に拠りじ慕って義︑部分的過剰−過少による価格変動がそれからの乖離として把握さるべきその
基準砦相対的価値開展さえ麗しえなか建J・B・セィあ問の︑理論としての本質的差異が︑明確絶馨れてい
なければならない・ケィンズィア重鰹﹁誓典派﹂の︽完全雇用の島的成立︾の命碧︽セィの法則︾繋論
︵労働需給問題への毒用︶とみ・それをその叢本来の古典派である−カードゥ解釈にも当てはめて理解しようとするの
であるが・そうしをらえ方は・︽セあ命題︾蘭する−ヤドゥと膚あ右の責的な蓑をみえていない点で妻
な難点がある・︵1それは・ケインズ香身の理藩造が両葦区別すべき葦をξえていない!による.︶.﹂の点
についてはすでにエリック●︒ルの磊落禦ある.︹寛︒目玉睾菖葛§・ミ§.ミ箋論昌貸︒2霧号. 畢三婁釜・中野正﹃均纂窒曲の発生﹄︹﹃経済嚢﹄充四八年五.六月号︺︑﹂.B.セ嵩恐権関する
書簡﹄訳書︹日本叢社●世界古典文庫︺得し高氏の訳者蟹︑署三里﹃−忍ドゥの部分的過剰説﹄︹﹃経済学
論究﹄第暑第2号︺・ならびに・召監さ︒ぎぎご8薗︒亮一︒畳目豊国︒︒昌︒菖︒ω一昌国口笛四目α馬︒醤§〜.
勾︒σ﹂雷9吉田洋一訳﹃イギリス古典経済学﹄ ︹未来社刊︺の第一論文などを参照されたい︒
リカードゥとセイとの峻別のうえに立って︑第三版での新機械論の導入が︑リカードゥの再生産と実現の理論に︑ ︽全般
的過剰生産︾とそれによる貸本の過響の可窪窪の理韓︑いかなる変更を迫るべきものであったかが︑リカードゥ
に内在的かつ批判的に問われなければならないのである︒
︒ールは前記の区別のうえに立って・リマドゥの旧緩謹﹁セィの法則﹂︹の﹁リカードゥ版﹂︺の﹁系論﹂である
とし・新議論はそれの部分的放棄であるとみる.その線垢って真実昏鶉書で新旧議論の評価馨れているの慕 ︹鶉富械実業﹄二四圭頁二四一⊥責︺︑しかし︑その雪慰響下げは必ずしも充分荷ないよ昆誓
われる・但し・右の真実氏の評価がセィと−ヤドゥとの区別をわ窪えない嚢であるとす嘉島氏の前嚢文︵八了
二頁︶での︵ロール←︶真実氏批判は︑すでに述べたところがらして︑やや不適切ではないかと考える︒
七ーリヵードゥ蓄積論の構造ー
1論 文! 八
︵7︶ マルクス蓄積論の学史的系譜を明らかにすることは同時に︑リカードゥ以前的ないしはスミス以前的なマルクス批判の反
ヤ ヤ ヤ ヤ 批判としての意義をもつ︒雇用量ならびに賃銀率︵資本賃労働の分配関係︶ の決定と︑生産力発展をともなう動態過程
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ における・その変化様式を︑価値論旺剰余価値論の基礎づけのもとに︑資本蓄積論の観点から統一的に展開しようとしたと
ころに︑ス・くス・リカードゥに代表される古典経済学の理論構造の特色があるのであり︑それは︑ ︽限界革命︾以降の︑限
界生産力説による﹁価格論﹂に解消されるものとしての・いわゆる﹁分配理論﹂のエレガントな空虚さと鋭い対比をなして.
いるといえ︑帆う.﹁馨理論﹂の﹁︹空の︺道具箱﹂を捨てて・﹁巨視的動学﹂としての﹁矯論﹂歓謙﹁分露﹂を
展開しうるためには︑いま一度古典派の3巴で身コヨ言な世界にたち帰ってみる必要があるのではなかろうか︒
資本蓄積と分配理論の骨骼
一 リカードゥ体系の主題 ︹ ﹁機械論﹂の意義を明らかにするためには︑先ず︑リカードゥ蓄積論の骨酪を明確に把握しておく必要がある︒
リカードゥの﹃原理﹄の主題は︑賃労働者・資本家・地主の三大階級間の分配関係︑換言すれば︑賃銀・利潤・地
代の三所得範疇間の分配関係を規定する法則を︑価値論を基準として︑確定するにある︹ギ冒ユ巳09ギ︒壁8・冬ミ評・
<︒︼・ンP押ピ︒窪︒同一︒ζ四一浮Gの・OO︒一﹂o︒零ミミ貫く阜≦員戸曽φ︺︒その場合︑スミスと異なって︑リカードゥ
においては︑投下労働量による価値決定の命題が堅持きれ︑投下労働量によって決定されるその価値が︑賃銀・利
潤.地代に︑分割されるものとされる︒したがって︑三所得範聴聞の分配関係は︑相互に密接不可分な関連をもつも
ボのとして把握される︒なお︑分配関係という場合︑リカrドゥにおいては︑基本的には︑なによりも先ず︑価値の相
㌧
対的分配関係であって︑ただたんに物としての生産物の絶対量を︑各階級がそれぞれ各個にどれだけ取得するかとい
う意味での分配関係ではない︒1﹁われわれが利潤︑地代および賃銀の率を正確に判定しうるのは︑各階級が取得
する生産物の絶対量によってではなく︑その生産物を獲得すをに要する労働の量によってである︒﹂ ︹ギぎ︒芭$倉・
Hあ9﹃<算ミミ貢ぎ一﹂一Pお︺ リカードゥ体系においては﹁富の分配関係﹂が論じられていないというのではな
い︒価値の相対的分配関係との密接な関連においてのみ︑富ないしは使用価値の相対的分配関係が把握されるのであ
蔚菅
る︒そうした理論構造をリカードゥは採る︒リカードゥを論ずる場合︑スミスおよびマルサスと決定的に異なる右の
諸点を︑先ずもって︑明確に理解しておくことが必要である︒
苦 但し︑賃銀対利潤の分配関係と︑この両範疇に対する地代と一.︑は︑その関連の仕方は異なる︒直接に敵対的な分配関係に
あるとされるのは賃銀と利潤との間のそれであるが︑しかしまた︑地代は︑農業生産力の変化と穀価変動に関して︑これら
両範疇と利害相反する関係にあるものとして把握される︒
甚管 リカードゥ体系において︑ ﹁価値﹂の相対的分配関係と﹁富﹂のそれとを関連づける結節点となっているのは︑1投下
労働量による価値決定の法則を大前提としたうえで︑一﹁労働の自然価格﹂ ︹労働力の価値︺の規定と︑最劣等地ないし
は最終投下資本による穀物生産に要する︵単位量当り︶労働量による穀価決定の命題とであると筆者は解する︒この二点が
確定され︑農・工両部門の生産物間の相対価値の変化様式が理論的に明らかとなれば︑価値の相対的分配関係との関連にお
いて富の相対的分配関係が理論的に把握できる︒これが︑リカードゥが先承ス・︑スおよび論敵マルサスに対置した独自の万
法的観点にほかならない︒
ところで︑リヵードゥを理解する場合に︑いま一つ注意すべきことは︑右の意味での﹁分配の理論﹂が︑社会の静
態状態を前提するという意味での﹁静態理論﹂として展開されているのではなく︑すぐれて﹁経済動学﹂として︑し
tリカードゥ蓄積論の構造1・ 九
1論 文i . 一〇
かも利潤率の変動を軸線とする︽蓄積論︾として展開されている︑という点である︒そこにリカードゥ理論の核心が
・ある︒資本蓄積が所得諸範疇間の分配関係を如何ように変化せしめ︑後者すなわち分配関係の変化がまた︑利潤率の
変動を規定することによって︑前者すなわち蓄積の進展に如何ような反作用を及ぼすかという問題観点からする︑資
本蓄積と分配の理論を︑価値論の基礎づけのもとに展開し︑かくして蓄積過程を規定する諸法則を確定しようとした
菅ところに︑リカードゥ経済学の真のねらいがあったのである︒.苦 マルサスを古典とするケインズ理論の長期動学化の意図をもってリカードゥ︵およびJ・S・ミル︶を再評価しようとす
るハロッドは︑その古典派の動学理論には︑﹁動力の理論︵穿8曼OhヨO菖奉OO毛R︶﹂と﹁累進的再分配の理論︵浮︒?
曼9鷺︒鳴︒器財︒話象ω秒ユげ三δ昌︶﹂との二面が含まれているとし︑彼自身は︑資本と労働との間の所得の相対的分け前
を不変とするような技術的進歩・﹁中立的な技術的進歩﹂︵ならびに﹁利子率不変﹂︶の仮定のもとに︑︽爵oo蔓9ヨ9ぞ︒
ロ︒毛霧︾の側面だけを採ってそれを展開しようとする ︹甲劉=胃3身Soミミ勢ξ醤§荷馬8ミミ苛♂一思oo︐Oマお−
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ 陣︺のであるが︑利潤率の変動を軸線とする資本蓄積論として︑この二側面を統一的に展開しようとしたところに︑リカー
ドゥ理論の真のねらいがあったのである︒ ﹁マルサス的人口法則﹂や﹁収穫逓減の法則﹂を撤去するのはよいとして ︵但
し︑筆者はリカードゥにおいてそのままの意味での﹁マサス的人口法則﹂が想定されていたとは考えないのだが︶︑ この
肝要な点を見逃したのでは︑リカードゥを再評価したことにはならないし︑また︑方法的に古典派以下的であると評さざる
をえない︒
一 リカードゥ分配論の構造 ︹ リカードゥの地代論が︑穀物の価値は最劣等地ないしは最終投下資本による穀物の生産に要する労働量によって決
定されるという命題に基づくところの︑ ︽差額地代論︾として展開されたことは︑周知のごとくであるが︑ここで
︷
は︑ ﹁機械論﹂の意義を検討するための前提として︑資本家と賃労働者との間の︑利潤と賃銀との間の分配関係の決
定とその変化様式を規定する法則が︑リカードゥにおいては如何ように把握されていたか︑また︑そうした資本蓄積
と分配の理論において︑どのような雇用理論が前提されていたかの基本点を︑みておこう︒
賃銀と利潤との間の分配関係は︑リカードゥにおいて︑以下の一連の三つの命題のもとに把握されている︒
e︑一定数の労働者の労働は︑労働の生産力がどのように変化しようとも︑また﹁分配﹂関係がどのように変化し
ようとも︑つねに同一量の価値を生み出す︒ ︵その場合︑労働時間および労働強度は一定という暗黙の前提がおかれ
ている︒︶
口︑﹁労働の自然価格﹂は︑ ﹁労働者たちに︑平均して︑彼等の種族を増減なく維持し永続せしめるに必要な価
格﹂であり︑それは︑労働者とその家族を養うに必要な生活資料の価値によって︑すなわち︑それを生産するに要す
る労働量によって決定される︒したがって︑生活資料の︑とりわけ穀物の価値の増減にともなって︑ ﹁労働の自然価
格﹂は増減する︒
㊧︑﹁利潤﹂は︑投下労働量によって決定される価値量から﹁賃銀﹂ ︵﹁労働の自然価格﹂ないしは﹁賃銀の自然率﹂に
雇用労働者数を掛けたもの︶を引いた残りの部分であり︑ ﹁利潤率﹂はそれの﹁資本﹂に対する割合である︒雇用労働
量が生み出す・決定された価値量のうちから﹁賃銀﹂を引いた残りが﹁利潤﹂なのであるから︑︵そしてまたeによって
﹁賃銀﹂の変化によっては﹁価値﹂目﹁自然価格﹂は変化しないのであるから︑︶したがって︑﹁利潤﹂は︑主として穀物価
ち ヤ う ヤ セ ね じ モ む ヤ ち ち う ち値によって決定される﹁労働の自然価格﹂の増減にともなって︑その結果として︑それに照応的に︑ ︵賃銀と逆方向
に︶減増する︒そして︑﹁利潤率﹂は︑﹁資本﹂を事実上において可変資本にのみ帰着せしめるか︑あるいは︑ ﹁資
!リカードゥ蓄積論の構造一 一一
1論 文! 二一
本﹂に対する雇用労働者数の割合に変化がないとする暗黙の前提の下に︑利潤量の増減にともなって上昇︑下落する
ものとされる︒
かくして︑投下労働量による価値決定の法則の下に︑労働生産力の増大︵減退︶にともなって﹁労働の自然価格﹂
T﹃労働力の価値﹄︺が減少︵増加︶し︑その結果としてそれに照応的に︑ ﹁利潤﹂ ︹口﹃剰余価値﹄︺が増大︵減少︶
し︑﹁利潤の自然率﹂︹﹃剰余価値率﹄︺が上昇︵下落︶するという関係が︑リカードゥにおいてはじめて︑ ﹁厳密
に定式化﹂され︑その意味で︑蓄積過程を規定する内的力学が把握されえたのである ︹界ζ碧きb塁映息㍉︑鼻
キ等㊤舶〜竃白き冒旨旨ρ田・一ωψ置φ︺︒この点に︑リカードゥのスミスに対する決定的な優越と︑学史上の没しえない功績がある︒だがそれと同時に︑右の定式化が︑e︑労働時間および労働強度を一定とし︑また︑⑫︑ ﹁資本﹂
を事実上において可変資本にのみ帰着せしめるか︑あるいは︑資本に対する雇用労働者数 ︵これはeによって雇用労働
量と同義︶の割合に変化がないとする︑︒二つの暗黙の前提の下になされたものであることが︑注意されなければなら
ない︒とくに︑当面の問題に関して︑第二の前提が問題となる︒
苦
但し︑ ︽商品関係︾把握から出発したアダム・スミスとは異なって︑資本制的生産を当初から自明の前提するリカードゥ
においては︑ ︽剰余価値の発源︾の問題は全く意識されることさえもなかった︹胃ζ曽卸b禽壊覧融き切貸トω・㎝自・︺︒
この点は明らかにスミスからの後退である︒しかしまた︑その反面︑議論をもっぱら蓄積にともなう︽相対的剰余価値︾の
量的変化に集中することによって︑その側面から彼は資本制的生産の﹁生理﹂と運動様式とを把握しようとした︒彼は﹁分
配﹂をテーマとすることによって﹁すぐれた生産の経済学者﹂であった ︹囚・蜜鶏〆Nミ肉篭︑幕良ミ旨ミ︑涛ミ暑◎ぎミ?
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤミ黄腎ω瞬〜冨薗・■冒oo一一ε戸ωoo・器O−一︺iスミスとリカードゥとの剰余価値把握の︑したがってまた蓄積過程の法
章
則性把握の差異については︑前掲の筆者稿・﹃ス芝ス蓄積論の基本構成﹄の第四章﹁補論1﹂を参照されたい︒
量 利潤率の自然的低下傾向論
じ﹁賃銀﹂対﹁利潤﹂の分配関係決定の論理に関する右の定式化に基づいて︑リカードゥは︑周知の利潤率の﹁自然
的﹂低下傾向論を展開する︒
﹁人口は︑それを雇用すべきファンドによって︑みずからを調節し︑したがって︑つねに資本の増減にともなって増
減する﹂︹寒ミ酵受〇一・H・マお︺ という命題︵この命題自体は︑ス︑・・スから引き継がれてきているものであるが︑リカードゥ
蓄積論の基本性格を規定すをものとして重要な意味をもつ︶ を前提として︑リカード.ウは︑ ﹁資本﹂の蓄積にともなって
︵それと比例的に︶﹁労働維持ファンド︵9①旨口駐α8けぎa8﹃け密旨鉱旨9響89ポσo震︶﹂が増加し︑それによ
って︵労働者︶人口が増大し︑その人口増加分の需要を充たすべく︑ヨリ劣悪な条件の土地が耕作されるか︑あるい
は︑ヨリ﹁生産率﹂の低い追加資本が耕作に増設され︹受ミ誇﹂も・器︺︑したがって︑最劣等の限界土地ないしは最
終投下資本による穀物の生産に要する︵単位量当り︶労働量が増大し︑穀物の価値が騰貴し︑かくレて﹁労働の自然
価格﹂ないしは﹁賃銀の自然率﹂が上昇し︑その結果としてそれに照応的に﹁利潤の自然率﹂が低落してゆくことと
なる︑と推論する︒その帰結は︑蓄積の停頓による︽富源の終焉︾である︒利潤率の低落にともなって資本家の﹁蓄
積への動機﹂が弱化し︑やがて利潤率がある一定点以下に低落することとなるや︑蓄積はすべて停止し︑もはや追加
労働は需要されることなく︑かくして︑資本も人口も全く増加することのない︽ω$ユ︒轟.蜜ω9け︒︾ にいたる︒ こ
の︽静止状態︾においては︑労働者に賃銀︵それは価値的ないしは貨幣的には高いが物的には低い︶の支払いをなしたの
ちには資本家の手には﹁利潤﹂として殆んど何物も残らず︑その国の生産物は殆んど挙げて地主の所有となる︒地主
ーリカードゥ蓄積論の構造! 二二
一諭 文− 一四
は価値額ないしは貨幣額として高い地代を受けとるだけでなく︑﹁穀物地代﹂としても高い地代を享受する︒︹ギ﹃︒7
豆090ダ<H︑O昌勺3諏冨ミミ諒鮮OO・誌ρ旨9︺
﹁この傾向︑利潤のこの重力ともいうべきものは︑幸いにも︑必需品の生産に関する機械の改良︑ならびに︑農業
科学上の発見によって︑われわれが︑従来必要とされた労働の一部を排棄し︑したがって労働者の主要必需品の価格
を低下することが可能となることによって︑しばしば阻げられる︒﹂ ︹§8℃﹂撃︺外国貿易によって穀物その他の
生活必需品が安価に取得しうるようになることも︑同様の効果をもつ︹7ぎ︒旦39<戸O昌ぎ量的β学区巳︒
だが︑これらの反対に作用する諸原因によって阻げられながらもなお︑ ︽富源の終焉︾を帰結とする利潤率の﹁自然
的﹂低下法則は絶えず﹁重力﹂のように作用し続け傾向的に貫徹するものとされる︒
以上が︑リカードゥの画いた資本蓄積と分配の理論の︑長期動態論の︑基幹線である︒その基幹線そのものの敷設
にさいしては︑資本の蓄積にそのまま比例して﹁労働維持ファンド﹂が増加してゆくという︑スミス以来の想定が︑
暗黙の前提とされていることに注意されたい︒反対に作用する諸原因として﹁機械の改良﹂や﹁農業科学上の発見﹂
その他による﹁農業生産の改良﹂などを挙げる場合には︑それによって﹁従来必要とされた労働の一部が排棄﹂され
ることが述べられているのだが︑しかし︑それは﹁必需品の価格を低下せしめる﹂という側面においてのみ問題とさ
れているにすぎず︑﹁労働の節約﹂を可能ならしめる﹁機械の改良﹂や﹁新たな機械の導入﹂や﹁農業生産の改良﹂
によって︑資本蓄積による雇用の増加速度そのものが減退せしめらるべきことは︑全く述べられていない︒第三版で
新たに挿入された﹁機械論﹂は︑右の基幹線の敷設にさいして前提されていたスミス以来の想定を覆えすか︑あるい
はそれの大巾な修訂を要求するほどの問題提起にほかならなかったのである︒
1
︹補説︺ いわゆる︽富源の終焉∀について
リカードゥが利潤率の﹁自然的﹂低下傾向の帰結として想定した︽富源の終焉島oo温気話8賃8豊なる状態が如何な
る社会状態を意味するかを明確に理解しておくことは︑リカードゥ蓄積論の性格を知るうえに︑かなり重要であるので︑この
点について少しく論述を補足しておきたい︒
利潤率の低下傾向の﹁自然的﹂帰結として想定された︽富源の終焉Vとは︑すでに本文で述べたように︑資本蓄積←労働
需要増大1←︵労働者︶人口増加1←︵最劣等の限界土地ないしは最終投下資本による穀物生産に要する労働量の増大.︶穀
物価値の騰貴1←﹁労働の自然価格﹂の上昇!←﹁利潤の自然率﹂の下落という経路を通じて︑蓄積にともなって低下してゆ
く利潤率が遂に︵資本を生産的に使用するうえでの資本家の﹁煩労と危険を充分償うに足り顧﹂ほどの︶ある一定点以下とな
るや︑﹁蓄積の動機﹂が失われ︑蓄積の停滞によって︑資本と人口の増加がそこで停止するところの︽静止状態∀を意味す
る︒その状態は︑﹁土地の制限性﹂と﹁収穫逓減の法則﹂によって余儀なくされるところの・増加人口の需要を充たすべき穀
物の追加生産における労働生繭赤み西下によってもたらされるものであり︑その過程で︑地主の︵差額︶地代は価値的ないし
は貨幣的に増大するだけでなく﹁穀物地代﹂として物的にも増大してゆくのだが︑しかし︐利潤は︑労賃騰貴によって価値的
にも物的にも減少し︑そして労賃は︑価値的ないしは貨幣的には増大してゆくが物的には増大せず︑むしろ減少するのであ
る︒ ︵何故労賃が物的には減少すると考えられたかは︑後でみる︒︶ーー要するに︑資本蓄積の終点としての静止状態は︑地
主を除いては決して豊饒な社会状態ではなく︑資本家と労働者にと﹁てはかなりの困窮象93器を余儀なくされる社会状態
として想定されていたのである︒こうした社会状態を終点とするところの・資本蓄積と分配関係の変化経路に関するリカード
ゥの理論は︑﹁穀物法﹂による地主階級の高穀価政策に対する批判の武器としての意義をもつものであった︒すなわち︑︐資本
ヤ ヤ ヤ ヤ 蓄積の﹁自然的﹂帰結たる困窮状態が︑ ﹁穀物法﹂による高穀価政策によって﹁人為的﹂に早められて現出せしめられること
になるというのが︑リカードゥの批判であった︒一八一九年二一月一六・二四の両日における一九年恐慌現象に関してのリカ
・iリカードゥ蓄積論の構造− 一五
一論 文! 一六
iドゥの議会演説の論旨は︑その適用であり具体化であると筆者は解する︒ 一九年現下のディストレスは︑﹁有効需要の不
ヤ ヤ ヤ ヤ足﹂にもとづく﹁過剰生産﹂←﹁資本の過剰﹂によって生じた︽不況︾ではなく︑穀物法︵ならびに多額の国債による重
税︶などの人為的諸規制によって利潤率が異常に低められた結果としての︵その意味で過剰なもしめられた︶資本の海外流
出1←﹁資本と雇用の不足﹂によるディストレスであるというのが︑その論旨であった︒
ところで︑一八二〇年五月二日付のマカロック宛の手紙Po詳霞8霞8三一9F受ミ蕊︑≦鍔P一〇〇じおよびその二日後
の五月四日付のマルサス宛の手紙︹い︒穽霞ε蜜巴浮島唖ミミ評賢く目一マ一〇〇9などで︑リカードゥが︑﹁富源の終焉にゆき
ついたその場合を除いては︑資本と労働とが同時に過剰となることはありえない﹂と述べていることから︑ ﹁富源の終焉﹂に
おいては﹁資本と労働との同時的な過剰﹂が生ずるとりカードゥが考えていたかどうかの問題が残る︒だが︑これらの手紙で
のりカードゥの論旨は︑ ﹁有効需要の不足﹂によって﹁資本と労働とが同時に過剰となりうる﹂というマルサスの理論を批判
ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ しするにあり︑その批判の論旨は︑﹁有効需要の︵全般的︶不足﹂ということ自体がありえない︑というにあったのであるカ
ら︑リカードゥ理論からすれば︑︽富源の終焉Vなる社会状態においても︑その意味での﹁資本と労働との同時的な過剰﹂が
生ずることはありえない︒事実︑リカードゥも︑翌一八二一年七旦二日付のマルサス宛の手紙 ︹■09R 8冨巴島β9
ミミ訂﹂〆マN伊︺において︑︽富源の終焉Vにおいても︑︽ω鼠瞬口讐δ畠や︽薗︒昌R包笹葺︾は生じえないと述べているの
である︒リカードゥ理論からして推論可能な﹁資本と労働との同時的過剰﹂は︑利潤率の最低限以下への低落によって資本が
その﹁生産的﹂用途を見出しえなくなるという意味で過剰となり︹頃二昌9巳8もダ×首・蚕ミ諄・朗唱砧8・︺︑他方︑蓄積に
ともなって増加してきた﹁労働者の供給﹂はその需要増加が停止することによって過剰となり︑蓄積過程において﹁労働の自
然価格﹂以上に高められていた﹁労働の市場価格﹂は︑﹁僅かに現人口数を維持するに足りるだけ﹂の﹁自然価格﹂ ︵ないし ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ はそれ以下︶にまで低落せしめられ︹ギョ︒旦雷もF<.ミミ神ヌ一もP一9・8︑その意味で過剰となる︒一利潤率に規定
ヤ ヤ ヤ ヤ されての右の意味での﹁資本と労働との同時的過剰﹂以外には︑リカードゥ理論においてはありえない︒しかし︑いずれにせ
よ︑資本蓄積の﹁自然的﹂行程の帰結としてリカードゥが想定していた︑︽富源の終焉︾なる社会状態は︑︽ωけ餌菌ロ四一一︒ロ︾や
︽讐翫賢︾壁泉わぬとはいえ︑地主豫いた生産的薩愛︑かなりの盆ω一同︒ωω︾を強いる社会状態銑毒に
ほかならなかったので零したがってまた4犠の使用﹂ら農菱産の諸賢﹂・﹁外国夏による安価な穀物の輸
入﹂などの反対に作用する諸原因が︑きわめて重要な意義をもつものとされる︒
菅あ観点か乞て・﹁−ヤドゥは奮源の終焉︾を︽奨の活力ある状態︾と呼んでいるのである.﹂という羽鳥氏の 解釈は譲青である嘉もわれる︹習卓也﹃−カードゥにおける資本蓑と恐筐第四節︑﹃商学塗﹄第蓉筈号
ヤ ヤ四六i昔︺・氏のそう髭﹁静止状態﹂讐︑リカトゥよりはむしろ︑峯§あそ是ヨリ近いのではなかろうか
︹︒こψ垂㌔誉曼偽ミ嚢ぎ葭§華・き毫・;ω蚕・醤﹄犀﹂ぎ葺く・寛箸.基︐藝・︺.と乙
ろで・翠氏のあ解釈は・奮源の終焉︾を︽自然的なディストレスと窮乏︾の状態とみる内田氏の解釈︹竃義彦﹃古
典経済学の展開∵都遷囹茉素﹃経済学入門﹄ゴ一五責葛批判する旨いして立てられ慧のであるが︑その批
判は・︽富源の終焉︾において︽¢語邑9︾が生ずるわけではないという論旨の︑前掲天三年七月二百付マルサス
宛の手紙を引合い話してい歪とからも智れる志づに︑谷§ω︾とはすなわち︽不況︾を蕊するという︑即断の
うえ笠ぞ馨れ蕪蟹もとづくものと奪われる.内罠はそこで︑蓄積の自然的帰結としての︽富源の終焉︾は
︽重き︾の甚重るといっているのであって︑︽置曇︒・︾笙ずると解釈しているわけではない.しかるに氏は︑
リカードゥそのものの解釈においても︑ ︽良ωヰ8ω︾即︽不況︾だとする解釈で︑おしきろうとされる︒ことは一九年恐慌
をリカードウがどうとらえていたかに係わり︑リカードウ蓄積論の性格を理解するうえにも重要な論点であるので︑氏の見
解を論評しながら私見を述べておき慕.先ず︑・カードゥが︽隻き︾という昌一一口葉を用いる場合︑それが必ずしも﹁︐不
況︵§釜百︶﹂を意味していななをとは︐左記の﹃原理﹄第+九章の周知の整からも知る量がで全う.1
一七ーリヵードゥ蓄積論の構造i
1論 文一 一八
︑.↓富駐富器喜喜鷺◎8aω言ヨ話毒一¢葺9富貴訂魯臼昆ω冨ざ三︒二星多尋88岩畳8
餌α目ぎ5一89甚︒昌暮8巴︒碧一猛る且偶﹃o霞︒碗替山og緯oo一890蔓⁝凶区穽毛◎三α冨浮田冨げ︒良農〇三什8
℃oぎ什ogξ目胃ざ耳箸置9浮8ヨ欄σog2壁什︒ぞ象ω寓薦ロ一号︒阜::..︹苺ミ評.く︒ピ押ワbo零︺
﹁貿易の急変﹂などによって惹きおこされる部門間資本配分の不均衡による︽象暮3器︾と︑﹁国民資本の減少や社会の
退歩的状態にともなう︽象ω霞︒器︾﹂とは︑混同されやすいがゆえに明確に理論的に区別しなければならないことを︑リカー
ドゥは主張しているのである︒後者の意味での︽色黒器器︾は︑すくなくもリカードゥにおいては︑如何なる意味での﹁不
況﹂をも意味しえないであろう︒しかるに氏は︑この意味での︽島9お器︾も﹁不況﹂にほかならないとされることによっ
て︑前掲論文の結節において︑前記の一八一九年一二月一六・二四両日にやけるリカードゥの議会演説にみられる﹁雇用の
ヤ ヤ さ 不足と︑それにともなうミ詮還鴇︹これを羽鳥氏は不況と訳される︺﹂ ︹苺︒暮⇔一〜PωN︺は︑まさにそれと同義の﹁不
況﹂であるとし︑もって︑ 一九年恐慌を︑リカードゥが︑ ﹁穀物法によって︽部分的過剰による不況︾が優瞥価され︑ ︽資 ヤ ヤ 本および雇用の不足による不況︾に転化せしめられたことによって生じたものとみていた﹂という︑吉沢氏の旧説︹吉沢芳
樹﹃古典経済学の完成﹄・出口勇蔵編﹃経済学史﹄昭和認年版一六σ一一頁︺と実質においてよく似た解釈に到達されてい
る︹但し︑旧説においても吉沢氏は︑ ︽国民資本の減少や︑社会の退歩的状態にともなう異物㌣象亀を注意深く︽難渋︾と
訳されている点が異なる︒ なお︑この旧説は昭和30年新訂版においては改められている︺︒ だが︑すでにみたように︑前
記の議会演説におけるリカードゥの論旨は︑当時の一九年の現象は︑ ﹁有効需要の不足﹂による﹁資本の過剰﹂によって生
ヤ ヤ ヤ ヤ じた﹁不況﹂ではなく︑ ︵穀物法や租税の重圧による利潤率の人為的且つ異常な低落によって資本が海外に流出した結果と
しての.︶ ﹁資本の不足﹂による︽島9器器︵困窮︶︾なのだ一それが事態の本質だというにあったのであり︑その意味
で利潤率低下一︽富源の終焉︾なる理論的想定の一適用であったのである︒他万においてリカードゥは︑穀物法などの人
為的諸規制が︽部分的過剰の延引︾に作用しうることを指摘している︹蚕ミ討﹂・P89︺︒ そこで︑ この指摘をも生か
﹇ ・化
し︑当面の膿扇するリヤドゥの藷のすべてを釜するならば︑先年恐慌に関するリカードゥの揺は二重であり︑
︽部分的鶏の延引︾と・葉および雇用の歪による暴量と︑この一一様のものが重なりあって現われており︑
そしてそのいずれもが務馨どの人為的諸揚によって生じおをみていた︑と解すべきではなかろうか.但し︑重点
は明らかに後者におかれ・篠その腎墾いて事撃重視してい琶なわれる.しかし︑いずれにせよ︑薯の意味で
の隻旨︾が﹁違化﹂され2とによぞ後者の意味での︽α一馨ω︾に﹁変質.転化﹂したのだとりカードゥが主
張しを解するのは・!如煙して薯が後覆﹁餐・慧﹂するかの恥愈説明が全くないことを仮りに問わないと
しても1要姦別すべきと皇硬してい惹きの−ヤド・自身の叙述からしてたんな6リカードゥ解釈としても妥
そ ヤ ヤ ヤ ヤ ヤ き ロ当でないよう瓢もわれる・いな・そもそも︑﹁資本と雇用の不足による不況﹂とは氏において何を意味するのであろう力宏あ訳語は・墨正氏の義﹃天一九年の恐慌と−ヵアドォ﹄.﹃経済志林﹄髪容2号にそのま一︑感拠られ砦の
かとも推察されるが・資本の欝的鶏生産論の蓋用落雷氏の智の解謬ついては︑後に関説しよう.︺
一一
資本蓄積と賃銀率の変動
ーリカードゥ動学の構造1
リカードゥの資本蓄積と雇用ならび畳銀率変動の理論を︑いま少しく詳細にみておこう.先ずスミスとの対比に
葱て考察し藷くのがり空ドゥ理論の特警みるうえに有効であろう.
D ﹁賃銀の自然率﹂の規定ースミスとの対比t
詳轟第扁第八章纂いてスースは︑e︑先ず︑﹁雇主﹂階級と﹁職工﹂階級との﹁型︒相反する﹂二階級
の﹁団結﹂による抗争関係の−アルな観察を通じて︑この対抗における両者の力関係からすれば賃銀は不断に圧下さ
一九 ーリカードゥ蓄積論の構造1i論 文一 二〇
れる傾向にあることを指摘し︑だがそれにもかかわらず︑社会が︹資本が︺その必要とする﹁労働種族﹂の一定量を
維持しその世代としての再生産を確保してゆくためには︑賃銀には﹁それ以下におし下げることが不可能﹂な﹁一定
の率﹂すなわち﹁普通の人道に惇らない最低の率﹂があるとして︑労働力の価値は労働者を︵その家族とともに︶維
持し再生産するに︵最小限において︶必要な生活資料の価値によって決定されるという基本関係を︑事実上認識ず
る︒⇔︑次いで︑スミスは︑右の認識のうえに︑﹁最低の率﹂を基準として︑﹁賃銀の自然率﹂がそれ以上の水準に
あるか︑あるいはそれと等しい水準にあるか︑またはそれ以下の水準にあるかは︑社会の﹁発展的︑停滞的︑衰退
的﹂の各状態に応じて︑ ﹁労働者に対する需要﹂したがってまた﹁賃銀の支払に充当されるファンド﹂が︑持続的に
増加しつつあるか︑あるいは変動しないままか︑それとも減少しつつあるかに依存するとする︒その場合︑ ﹁賃銀の
レヴィニュニ ストック
支払に充当されるファンド﹂の増減如何は﹁収入と資本﹂の︑﹁国民の富﹂の増減如何と同義だとされ︑また︑右
の三様の場合を規定するのな︑﹁国民の富﹂の現存の大いさではなくて︑その持続的変動の方向と速度の如何である
とされる︒ ﹁労働の賃銀が最も高いのは︑最も富んだ国においてではなくて︑⁝⁝最も急速に富みつつある国におい
てである︒﹂白︑以上のように︑ ﹁労働種族﹂の同一量を維持するに必要な﹁賃銀の最低率﹂を基準として︑社会の
﹁発展的︑停滞的︑衰退的﹂の各状態においてそれぞれ﹁賃銀の自然率﹂が決定されるとしてのち︑スミスはさらに
論歩を進めて︑労働者に対する需要の増減速度の変化に応じて︑ ﹁賃銀の市場率﹂が変化し︑その︑﹁賃銀の自然
率﹂をめぐる﹁市場率﹂の変動によって︑労働者に対する需要の増減速度の変化に対応的な労働者入口の増減がうな
がされ︑かくして︑ ﹁社会が︹資本が︺必要とする﹂だけの﹁労働種族﹂の供給がおのずから確保されるとする︒
以上が﹁賃銀の自然率﹂および﹁市場率﹂についてのスミス的思考の概要である︒スミスにおいては︑社会の﹁発
し 一︹
展的︑停滞的︑衰退的﹂の各状態に応じて﹁賃銀の自然率﹂そのものが異なり︑その﹁自然率﹂をめぐって﹁市場
率﹂が変動するものとされている︒﹁賃銀の自然率﹂が﹁最低の率﹂と等しいのは社会の︽ω5江︒昌昌ωけ掌︒9︾にお
いてのみであり︑社会の︽区話8言四ω富3︾においては﹁自然率﹂そのものが﹁最低の率﹂を超え︑ ﹁ストック﹂ キ
の急速且つ持続的な増加の下では︽高賃銀︾こそが﹁賃銀の自然率﹂そのものをなす︒斎 以上のスミスの﹁賃銀の自然率﹂の規定については︑前掲の筆者稿﹃スミス蓄積論の基本構成﹄第四章を参照されたい︒
これに対して︑リカードゥにおいては︑ ﹁賃銀の自然率﹂ないしは﹁労働の自然価格﹂は︑前節でみたように︑
﹁労働者たちに︑平均して︑彼等の種族を増減なく維持し永続せしめるに必要な価格﹂︑すなわち﹁労働種族﹂の同
一量︵といっても恒常不変の同一量ではなく︑その時その社会における同一量である︶を維持するに必要な率であり︑スミス
の場合の﹁最低の率﹂と等しい︒社会の︽区茜糞言のω富盆︾においても︑リカードゥの場合は︑﹁賃銀の自然率﹂
そのものはこの﹁最低の率﹂と等しく︑﹁市場率﹂はこの意味での﹁賃銀の自然率﹂に絶えずひきつけられ︵圧下さ
を や
れ︶る関係にあるものとして把握される︒1﹁労働の市場価格が如何にその自然価格から乖離しようとも それは
︹他の︺諸商品と同じく︑これに一致しようとする傾向をもっている︒﹂労働者需要が供給を超過する場合には︑﹁労
働の市場価格﹂は﹁自然価格﹂を超えることになるが︑﹁しかし︑高い賃銀が人口増加に対して与える奨励によって
労働者数が増加するときは︑賃銀は再びその自然価格まで下落し︑ときには実に反動のため︑それ以下に下落しさえ む するのである︒﹂︹ミミ費ンワ零︺しかしながら︑リカードゥ体系においても︑蓄積によって資本と労働需要が継
続的に増加してゆく場合には︑﹁労働の市場価格﹂が﹁自然価格﹂以上の水準にとどまっていることができる︒!
﹁賃銀のその自然率に一致しようとする傾向にもかかわらず︑その市場率は︑進歩しつつある国においては︑ある不
ーリヵードゥ蓄積論の櫛造! 二一
・1論 文一 二二
定の期間にわたって継続的に自然率以上であることができる︒というのは︑資本の増加によって労働に対する新たな
需要に衝撃が与えられ︑その需要に供給が応ずるや否や︑たちまち︑さらに新たな資本の増加が同じ効果を生じ︑か
くして︑資本の増加が漸次的且つ継続的である場合には︑労働需要は人口増加に対して連続的な刺戟を与えることが
できるからである︒﹂︹ヨミ評﹂・OP謹占・︺
菅 だが︑リカードゥにおいても︑﹁賃銀の自然率﹂ないしは﹁労働の自然価格﹂は︑固定不変の物理的最低限の意味で規定
されているのではなく︑国と時代によって異なり︑ ﹁国民の習性風俗﹃卸σ一8的ロq臼ω8ヨoooh穿︒罵︒巳︒﹂ によってき
まるものとされていることに︑注意されなければならない ︹ミミ謹朗℃マO?S︺︒ 但し︑だからといって︑ス︑ミスとリ
カードゥとの理論構成の差異を抹殺して考えるのは︑妥当ではない︒産業革命が︑両者の理論構造を区別七ている︒
ひとたび﹁自然率﹂以上に上昇した﹁賃銀の市場率﹂も︑労働者人口増加の圧力によって﹁自然率﹂︵ないしは︑と
も ヤ ち ちきにはそれ以下︶にまで下落せしめられる傾向がある︒ 8房S具な資本蓄積によって労働需要増加の連続的な 一目・ ち ヤ
讐一8が加えられる場合にのみ︑この傾向に逆らって︑ ﹁賃銀の市場率﹂が﹁自然率﹂以上の水準に浮揚せしめられ
ていることができる︒蓄積速度︵ないしは資本の増加率︶が逓増してゆく場合には︑︵﹁自然率﹂を超えた︶﹁賃銀の市場
率﹂がなおいっそう上昇してゆくことも可能であろう︒その場合には︑スミス的想定におけると同様に︑累進的蓄積
にともなって労働者階級の生活水準が漸次に上昇してゆくこととなる︒だが︑問題は︑資本蓄積と労働者人口の累増
にともなって︑前節でみた最劣等地︵ないしは最終投下資本︶による穀物生産に要する労働量の増大による穀価騰貴に
よって︑﹁賃銀の自然率﹂が︵物的には増大することなく︶価値的に増大してゆき︑それによって︑一方においてはや
がて蓄積が鈍化せしめられると同時に︑他方︑その﹁賃銀の自然率﹂そのものの上昇によって直接に﹁市場率﹂との
、
間のひらきが縮められてゆく︑という点にある︒
しかしガカードゥ体系繕いても︑この﹁自然的﹂簡を阻止すべ暑力董因として︑﹁機械の助力﹂や﹁農
業生産の諸改良﹂による労働生産力の発展がある.蓄積が労働生産力の発展をともな.てなされる場合︑﹁賃銀の自
然率﹂および﹁市場率﹂は如何ように変化するとされていたか︒それを次項でみておこう︒
コ 一 資本蓄積と労働生産力の発展 ︹ 1﹁賃銀の自然率﹂と﹁市場率﹂の変動ー
リカードゥは・資本の蓄積がおこなわれる場合︑追加穀物︵単位量当り︶の生産に要する議量の増大によ.て穀
物をその妻部分与る︵労響用︶必薦の橿を全体として上暑しめる場合と︑﹁機械の助力﹂による労働生
産力の発展をともなうこ彪よって生活必露の価値を上昇芒めぬかむしろそれを低下せしめさえする場合と︑こ
の二様の場合がありう塗とを・鋸する.第あ場合繧﹁蕩の自然価格﹂は騰貴し︑第二の場合には︑﹁労働
の自然価格﹂は変化せぬかあるいはむしろ下落する.︵労働生勇の護が馨れる竃かか怨ず︑﹁労働の自然価格﹂
が変化しない場合募るとされているのは・他方箋いて同慶︑冒然的﹂傾向による穀纏貴が作用していると考えられてい
るからである︒︶リカードゥは・いずれの場合にも労働需要の増加があるものとし︑その労働需要増加によって﹁賃銀
の市場率﹂が上昇するとするのであるが︑同じく﹁賃銀の市場率﹂が上昇するとしても︑﹁賃銀の自然率﹂もまた上
昇する場合と・蕩生産力の発髪よって﹁賃銀の自然率﹂が変化蕗かあるいはむしろ下奪る場合とでは︑﹁労
薯の状態﹂笈写その影慧大いに異るεて姿のように論じている.1﹁−−両者いずれの場合におい
ても・蕩の霧価格はその自爺格以上瞬貴−し︑いずれの場合髪いても︑それはその自然価格に一撃る鶴 二三
ーリヵードゥ蓄積論の構造−i論 文! 二四
をもつであろう︒ただ︑第一の場合には︑この一致は最む速かに果されるであろう︒労働者の状態は改善されはする
が︑それほどには改善されないであろう︒というのは︑食物および必需品の増大した価格が労働者の増大した賃銀の
大きな部分を吸収し︑したがって︑少量の労働供給ないしはほんの僅かの人口増加によって︑労働の市場価格はその
ときの騰貴した自然価格に帰着せしめられることになるであろうからである︒ 第二の場合には︑労働者の状態は
非常に大巾に改善されるであろう︒労働者は増加した貨幣賃銀を受けとりながら︑彼とその家族が消費する諸商品に
対してはなんら増加した価格を支払う必要はなく︑いなおそらくは減少した価格を支払えばよいであろう︒そうし
て︑人口の非常な増加があってのちにはじめて︑労働の市場価格はそのときの低減した自然価格にまで下降すること
になるであろう︒﹂︹モミ貫朗マ09
資本の蓄積が﹁機械の助力﹂による労働生産力の発展をともなってなされる場合とそうでない場合とについての︑
蓄積が労働者階級の状態におよぼす影響に関する右のリカー下ウの区別は︑後段の﹁機械論﹂との関連において︑き
わめて重要な意味をもっている︒ ︵なお︑蓄積が﹁機械の助力﹂による労働生産力の発展をともなってなされる場合にも︑そ
うでない場合と同様に労働需要の増加があるとする想定を支えるザカードゥ固有の論理については︑次節で詳細に検討する︒︶
コ
一 蓄積の﹁自然的﹂行程における﹁賃銀﹂の変動
︹しかるに︑すでに前廊においてみたように︑リカードゥは︑﹁機械の助力﹂その他による労働生産力の発展が有力
な反対要因として作用するにもかかわらず︑自然的資源の制限性にもとづく利潤率の﹁自然的﹂低下傾向が貫徹する
ものとみる︒そうした蓄積の﹁自然的﹂行程において︑賃銀率は如何ような変動経路を辿るとみていたのであろう
︼o ÷ 莞
カ リヵードゥは︑e 労働の需給関係の変動による﹁賃銀﹂︹の市場率︺の変化︑⇔ 穀価騰貴によって﹁賃銀﹂
︷
が騰貴してゆくさいの﹁貨幣賃銀﹂の変化と﹁穀物賃銀﹂︵実質賃銀︶の変化との間の関係の︑二座ついて論じて
いる︒そこで︑e︑Oの順にリカードゥの叙述を掲げて︑検討していってみよう︒
菅小論の本節においてい豪で検討の対象もてき島原理﹄第輩﹁賃鶏﹂の肇の鋸瓢いては︑﹁労働の自然価
格﹂と﹁市場価格﹂とを明確に区別して論じてきているのであるが︑これから検討の対象とする後半の叙述髪いては︑
廷﹁賃銀﹂という言夢用いイ重実上﹁賃銀の霧肇や﹁自然率﹂の変動蓋ずるという叙述方法がとられている.
しかし・何故にそうした叙述方法の変化がとられているかは︑必ずしもその理由が明らかでない︒
e 蓄積の﹁自然的﹂行程における労働の需給関係の変動による﹁賃銀﹂ ︹の市場率︺の変動︒
﹁社会の自然的発展においては︑労働の賃銀は︑その需給関係によって規制されるかぎりにおいては︑下落への
傾向をもつであろう・何故乞ば︑嵩者の供給は同あ率をもってする増加を持続するのに︑労働者の霧は.
リ緩慢な率をもぞ増加するであろうからである.例えば︑仮りに賃銀が二%の率をもってする資本の年増加によ
って規制されていたとした場合に︑わずかに彦%の率で資本が蓄積されることにな.たとすれば︑賃銀は下落す
るであろう・資本殻か些覆いしは髪の率で増加すをと誓った与れば︑賃銀はなおいっそう低く下落
するであろう・そうして下落は資本︹の藷︺が静止するまで続くであろうし︑そのときには賃銀︹の下落︺も建
静止して僅かに現人口数を維持するに足りるだけのものとなるであろう︒﹂︹ミ︒︑初切﹄℃.旨一.︺
ここで問題とされているのは労働︹力︺の需給関係によって規制される﹁賃銀の市場率﹂の変動であるが︑そこに
は︑資本の増加率と賃銀率と人口増加率との間の動態的関係についての︑注目すべき見解がみられる︒一資本があ
る一定の増袈をもって増加している場合に︑その資本の増加率に適合的な人・増加率を維持するよう養墾が決
二五 ーリヵードゥ蓄積論の構造!
i論 文! 二六
定される︒独立変数は資本であり︑賃銀率および人口増加率はその従属変数である︒だが︑独立変数である資本の増 む 加率の変化に即時に対応して人口増加率が変化することはできない︒ある一定の増加率をもって資本が増加してきた
場合︑媒介要因である賃銀率に規制されて︑それに適合的な増加率をもって労働者人口が増加してくる︒そうした場
合に︑資本の増加率が減退するとすると︑いままでの資本の増加率に適合的な率をもって増加してくる労働者人口の
供給は需要に対して過剰となる︒そこで賃銀率は下落する︒その場合︑﹁労働者﹂の供給がその需要に対して過剰と
なるのであるから︑当然︵一時的にもせよ︶失業が発生するであろうし︑したがってまた︵その失業労働者の圧力によ
って︶賃銀率の下落もかなりに急激なはずであるが︑リカードゥは明示的にはその点について関諒することなく︑賃
銀率の下落も︑新たな資本増加率に適合的な人口増加率を維持すべき水準の賃銀率までの下落とみているようであ
る︒こうして︑最後に︑資本の増加がとまるや︑賃銀率は︑﹁僅かに現人口数を維持するに足りるだけ﹂の水準︑す
なわち﹁自然率﹂にまで下落して︑そこで﹁静止﹂することになるとリカードゥはみている︒だが︑前述の論理をも
ってすれば︑資本の蓄積が停止し︽ω欝二〇醤曙ω富8︾に入るその時期には︑かなりの失業者が排出・堆積されるこ
とになるであろうし︑この場合にこそ前掲︹小論一二頁︺のりカードゥ自身の叙述︹ミミ貫Hも・零︺にいうように︑
﹁賃銀の市場率﹂は﹁反動のため︹自然率︺以下に下降﹂しなければならないはずである︒このように︑資本の増加
速度が減退するさいに︑とくに資本の増加が全く停止するさいに生ずべき失業とそれによる賃銀率の下圧についての
キむ考察を欠いている点に重大な難点をもつといえようが︑右のリカードゥの叙述は︑資本の増加率と賃銀率と人口増加
率との間の動態的関係についての︑かなりに興味ある問題提起としての意義をもつようにおもわれる︒
苦.﹃原理﹄第九章における︑ ﹁労働の市場価格﹂の﹁自然価格﹂への一致にはかなりの期間を要すべきことを述べた左記の
@ 潟Jードゥの叙述を・動嚢鴛奮釜して読ま憂い.1﹁人間の数は︑資本の増加があった場合に︑これを一︑
@ 二年箆増聾すξ出来f轟本が嚢状養ある場合暴にその数を減少させることもできない.したがっ
@ て・労鍵持の募のファン益速かに鴇するのに︑働事の警徐々に増減するのであるから︑労働の価格が穀物お
@ よび必需品の価格によって正鰭規制されるまでにはかなりの習餐ければならないのである.﹂ミ.︑寄切.H.ロ.一.㎝.︺
菅苦もっとも・リヤドゥは賃輩の下落によって雇用量が興する暑えていたよ−にも解される.そう考えるとすれ
@ ホ︑賃讐が﹁自然率﹂以下の皇定点農低限の生存費水準を割らないかぎり失業は発生しないとも考えるこ辻湾
@
ォよう︒言して・そのような思葎︵﹁資本の舞触意志駁で敷される﹁価値構成﹂としての.︶﹁資本の
@ [獣応﹂なる悪業明確である袈−・し瑳てま星産霞と労勢とが任意にないしはかなりの程度←︑︑で
@ ﹁代替﹂可能であると考える誓−羅論理健は豊麗と−考えられるのである.但し︑リカードゥが︑︽賃銀率のフ
@
激Nシビリテイによる失業の島的解消︾器兀全庸の島的成立︾といった﹁新古典派﹂の機械的かつ非現実的な想
定をとっていたと解すゑとは︑妥当で寒いであろう.
口蓄積の﹁自然的﹂行程露ける﹁貨養銀﹂の変化と﹁穀物賃銀﹂の変化.
前掲の叙述に続けてリカードゥは︑﹁賃銀は労働者の需給によ・てのみ規制されるかぎりでは下落するであろう
がじかし賃銀は・それが費消される諸寵の価縫よっても規制されるものであること憲れては馨ない﹂も
て.左記のように論じている︒1
u人︒が増加するにつれどれらの必爺は︑その生産にヨー多くの労働を要するため︑不断にその価格が上昇
するであろう・だから・もしも・労働の賃祭費消されるところのあらゆる曹羅貴したのに︑労働の貨幣賃銀
が下落したとすれば・労讐は二重髭讐受け︑忽ちにして全くその生活資料を奪われることになるであろう.
二七 一りヵードゥ蓄積論の構造︐︐.r論 文! �