内 容
(1)問題提議 小内 透 (北海道大学大学院教育学研究科 教授)
「豊橋市における日系ブラジル人の子どもたちの現状と課題」
(2) パネルディスカッション 司会 伊藤 雅春(コミュニティ政策学会理事)
コメンテーター 小内 透 事例報告 ・NHK名古屋放送局の取り組み
・豊橋市岩屋住宅の取り組み
・豊橋市多米地区多文化共生ワークショップの取り組み
パネリスト 鈴木 豊 (岩屋住宅自治会長) ・・・・・・住民 榎本 早菜絵(CSN豊橋) ・・・学生ボランティア 柳原 伸行(NPO法人東三河ハートネット)・・NPO 本馬 基次 (豊橋市企画部国際交流課) ・・・行政
コミュニティ政策学会 第 8 回シンポジウム
開催日時 : 2009 年 3 月 28 日(土) 14 時〜17 時 *午前中に理事会開催予定 開催場所 : 豊橋市役所 東館 13 階 講堂
〒440-8501 愛知県豊橋市今橋町1番地
お問合せ先 : コミュニティ政策学会事務局 TEL 0565-35-7031
参加費(資料代として) 500 円 ※ 当日会場にて、徴収させていただきます。
(豊橋市在住,在勤,関係者の方は無料)
コミュニティ政策学会(愛知学泉大学コミュニティ政策研究所内)
〒471-8532 愛知県豊田市大池町汐取 1 電話:0565-35-7031 E-Mail:a-compol@gakusen.ac.jp
HP:http://www.gakusen.ac.jp/commu/a-compol/
開催主旨
1990 年の入管法改正によって、日系外国人に「定住者」などの資格が与えられ在日ブラジル人が 急速に増え始めてから来年で20年目になる。定住傾向が広がる中で多文化共生の問題は、中部地域 においてとりわけ重要な問題となっている。加えて、昨今の経済情勢の激変の中で雇用の流動化が新 たな問題を生み出す恐れもある。様々な問題がある中でも教育問題、ダブルリミテッド状態におかれ た子どもたちに対する対応は、緊急を要する問題である。
今回のシンポジウムでは、日系ブラジル人の子どもたちの教育権の問題に焦点を当て、この問題に詳しい 北海道大学の小内先生からの問題提起を受けて、日系ブラジル人が多く集住する豊橋市における問題解決 の可能性をコミュニティとして何が何処までできるのかという視点から議論したい。
コミュニティ政策学会第8回シンポジウムの記録
『多文化共生社会におけるコミュニティの役割と課題
~豊橋市における外国人児童・生徒の生活支援活動を通して~』
2009.3.28
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伊藤:皆さん こんにちは 私はコミュニティ政策学会の事務局をさせていただいております 愛知学泉大学コミュニティ政策学部の伊藤と申します。よろしくお願い致します。司会 をさせて頂きます。本日はコミュニティ政策学会第8回シンポジウムにお集まり頂きま して、どうもありがとうございます。
今日は多文化共生社会におけるコミュニティの役割と課題ということで、特に豊橋市 における外国人児童、生徒の生活支援活動を通してと、タイトルを付けさせて頂きまし た。特にこの地域、三重、岐阜、愛知、静岡には日系の外国人の方がたくさんお住まい になっておりまして、豊橋市は全国でも2番目に日系ブラジル人の方が多いということ があります。コミュニティ政策学会としても、こういった問題に対して、コミュニティ 政策学会なりに考える機会を持ちたいということで今日のシンポジウムを企画させて頂 きました。
本日は豊橋市で2006年、2007年と調査をされた北海道大学の小内先生を問題提起者と してお招きすることができました。その後、NHK名古屋の佐藤さん、そして豊橋市で
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いろいろ活動をされている自治会の鈴木さん ボランティア活動をされている榎本さん 東三河ハートネットで地域と一緒にワークショップをやりながら共生の問題について取 り組んでおられる柳原さん、豊橋市の国際交流課の本間さんということで、全国的視野 から豊橋の現場の方までを交えて、パネルディスカッションを企画しています。
5時までという長い時間になりますけれども、こういった問題について基本的なこと を学びながら、そして現場でのコミュニティの取り組み、問題解決の可能性について、
議論が出来たらいいなということで、会場の方からもご発言を頂きたいと思います。
それでは最初に、コミュニティ政策学会の会長であります中田先生よりご挨拶を頂き たいと思います。よろしくお願いします。
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中田:コミュニティ政策学会の会長の中田と申します 今日はご参加ありがとうございました
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コミュニティ政策学会と言われても なかなかピンとこない方が多いかと思いますけど コミュニティというカタカナ書きにしておりますが、コミュニティは、社会の基本的な 単位であると思っています。従って複合的、総合的な分野で、このコミュニティという
、 ものを健全に発展させていくというのが社会の発展の一番の基盤であろうということで 社会について単にあれこれ批判的に見るだけではなくて、この基盤からどう作り上げて いくのか、再生、あるいは発展させていくのかということを政策的に考えていこうとい うのがこの学会の趣旨であります。2002年6月にスタートしまして7年目、まだ若い学 会です。対象が総合的ということでありますので、この問題についてはコミュニティに 関わってきたいろんな分野の研究者、政策的ということになりますと、これを進めてい く上では行政が大変大きな役割を持っています。そして市民の活動団体の方々、こうい う単に研究者だけの学会というよりも、市民、行政、研究者を含めた総合的、且つ実践 的な学会として活動しているところです。
毎年1回、全国シンポジウムということで、今回は8回になりますけれども、今年は 豊橋でやらせて頂くことになりました。ご承知のように、世界同時不況の中で、特に外 国人の問題が大変深刻になってきているというのはご承知のところであります。これは 普段、あまり表に出てきていない問題がこういう時期に顕在化してきたということかと 思いますし、同時に日本という社会が持っている格差、貧困の構造の問題が、露呈して きているということかと思います。
今日のテーマは多文化共生社会におけるコミュニティの役割と課題ということで、主
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に外国人の児童 生徒の生活支援 学習支援の問題と言うことで取り上げますけれども その前に様々な問題があるというもご承知の通りかと思います。国籍の問題でいろんな 問題がありますし、生活の問題、言葉や文化の問題、様々な問題がここには絡まってい ると思っております。これからこういう外国の方との共生、1つの社会が一民族だけの 国家なんてありませんけれども、ますます多文化共生型になっていく、そういう中で社 会の一番基盤であるコミュニティというところで、どう共生するのかということは、将 来的に大変大きな問題であろうかと思います。
今日取り上げられるのは、その中のほんの一つの視点からということではありますけ れども、この問題は単に子どもの問題、豊橋、愛知県の問題ということではない広がり のある問題であろうと思っております。そういう広がりの問題を今日、皆さんと一緒に 考えていきたいと思っております。
問題提起として、豊橋の調査をされているということはありますが、わざわざ北海道 大学大学院の教育学研究科、小内先生に来て頂くことが出来ました。大変、ありがとう ございます。それからこの学会は市の行政の方も含めているということですから、いつ も開催地の自治体と学会の共催という形でこういうシンポジウムを組ませて頂いており ます。今回も豊橋市に大変お世話になりまして、市の後援ということでやらせて頂いて
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おります 合わせて本当はスタートの時には NHKの名古屋放送局の方もご後援頂く 一緒にやろうということだったんですが、こちらは上手くいかなかったようですが、大 変いろいろお世話になりましてありがとうございます。これは皆様のご参加があって初 めて成り立つことでございます。
5時までちょっと長いのかもしれませんけれども、報告者の方々も含めて、活発な有 益なシンポジウムになりますことをお願いしまして、ご挨拶とさせて頂きます。どうぞ よろしくお願い致します。
ありがとうございました。それでは早速これから始めたいと思いますが、はじめに問題 伊藤:
提起ということで、北海道大学大学院教授の小内先生からお話を45分ほどですが頂きた いと思います。先生、よろしくお願いします。
こんにちは。ただいま紹介にあずかりました北海道大学の小内と申します。私は群馬県 小内:
の太田市の生まれで、太田市でも特に大泉町のすぐ近くで生まれて、高校までそこで過 ごしておりました。その関係もあり、この外国人問題について、少しずつ取り組み始め たわけです。既にそれでも14~15年経ちました。ブラジルにも4回程行って向こうの実 状も調べましたし、日本では豊橋だけではなくて、豊橋と浜松と大泉、この3つを比較 しながら、いろいろと調べております。
今日は、豊橋の調査を2006年と2007年にやらせて頂きましたので、それに基づいて、
豊橋市における日系ブラジル人の子ども達の現状と課題ということでお話をさせて頂き ます。ただ現状と言いましても、今、非常に問題になっております、昨年の後半以降の 未曾有の不況の中で起きている様々な問題、これについては直接、ここでは取り上げる ことが出来ません。むしろ先ほど中田会長先生の方からお話があったように、実は今の 流動的な話というのは元々本質的なものが浮かび上がってきたものだという観点で受け 止めて頂けたらと思います。元々抱えていた姿、現実というものを今日はお話しさせて 頂くという形で理解して頂ければと思います。もう一つだけ、子ども達の現状と課題と いうタイトルなんですが、主に今日は焦点を、公立小中学校の親子、それからブラジル 人学校に通っている子ども達とその親御さん、この両方を比較しながら特徴についてお 話をするという形で進めさせて頂きます。
早速ですけれども、この写真は湖西にありますブラジル人学校で調査させて頂いた時 に写した写真です。最初に大前提として、そもそも日本の中で日系ブラジル人がどうい う形で増えてきて、子ども達がどれぐらいいるのかということから簡単にお話をしてい こうと思います。皆さんもご存じだと思いますけれども、基本的には1990年、正確に言 いますと1989年12月に新しい出入国管理法というのが出来ました。1990年6月にそれが 施行されてそれ以降、急速に今のような形での外国人が増えたということがあります。
それなので1990年以降の動向について、1990年以降に新しくやってきた外国人という意 味で、ニューカマーという言葉を使います。今お話ししたように、出入国管理法が改訂
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されまして 基本的には在留資格 ビザが10程増えました 増やしたことに伴いまして
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ずいぶんと外国人人口が増えていきました これは違法で入ってきている人達を除いた 法律的に認められた形で入っている人だけの数です。2007年の段階で、200万人を超えて
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います 今 日本の中で外国人としてきちんと正式に認められて日本にいる人達ですね 1978年に76万人だったものです
から、ものすごい勢いで増えて いる、3倍弱ぐらいに増えてい るということです。その人口比 はまだまだ少ないけれども、昔 に比べればずいぶん増えて、1.9
%という形になっています。こ の辺(1990年)が境になって急 に増えています。これは出入国
。 管理法の改訂に基づくものです
どういう国籍の人が多いかと
いうと、つい最近、大きな質的な変化がありました。ずっとトップだった韓国・朝鮮籍 の人達が少しずつ減ってきまして、もちろん新しいニューカマーの韓国人の方も来てい ますけれども、それを相殺しても結局減り続けているわけです。そしてその代わりに急 速に増えたのが中国です。中国が今、トップになりました。2007年の一番新しい統計で 見る限り、中国籍の方がトップ。それで今話題にしようとしているブラジル籍の人達、
ブラジル人がどんどん増えてきたと言っても、中国よりはその勢いは低いわけです。た
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だ順番でいくと 中国 韓国・朝鮮 そして3番目がブラジルという風になっています
ブラジル人は1986年に2000人しかいなかったのに、今では31万人います。31万人という 数字がどういう数字かというと、日本からブラジルに移民した人達の数、これが戦前か ら戦後にかけて、全部合わせて25万人と言われています。ですからそれを上回る形で日 本にやってきているということになっています。外国籍の人口の中で14%になっている ということです。
中国のことは今日は話題ではないので横に置いておいて、ブラジル籍の人がなぜこれ まで増えたかというと、定住者という新しいビザを出入国管理法改訂の時に作ったんで す。この定住者という定義は、日系三世という定義です。日系三世の人であれば、それ を証明するものがあれば、日本に自由に住んでいいよというものです。自由に住んでい いよという自由の意味は何かと言ったら、活動に制限がないという意味です。どういう 仕事をしてもいいと、仕事をしなくてもいい、とにかく住めると。もちろん年限は決ま っているわけで、それを更新しなくちゃいけないんですけど。それが作られたというこ とと同時に、もう一方でちょうどブラジルが1980年代、ものすごく経済的にひどい状況 にありました。千%のインフレーションと言われていたことがありました。そのことも あってブラジルから日本にやってこようとしていた人達がいた時に、日本ではこういう 資格を作って、これは基本的には日本は景気が良かった時期ですので、それで出来るだ け3K労働に就きたくないという日本人の代わりになる人達、これを呼び込もうとして こうなったわけです。
ブラジル人の場合には他の外国人とはちょっと違うところがあります。どういうとこ ろが違うかというと、家族でやってきたり、あるいは単身でやってきたとしてもすぐに 家族を呼び寄せたり、あるいは子どもも一緒に連れてきたり、さらには日本国内でブラ ジル人同士が結婚したりして、つまり家族で暮らすという形態が多いわけです。他の外 国籍の人の場合は、どちらかというと単身でやってくる人の方が多く、家族を形成する と言っても日本人と結婚する場合が多い。けれど、ブラジル人の場合は家族で生活する というのが多くて、必然的に子どもも増えていきます。実はもうすでに2006年の段階か ら、14才以下の人口だけで言いますと、外国籍の中でトップになりました。かつてはも ちろん韓国・朝鮮籍の子ども達がトップだったんですけど、2006年から、日系ブラジル 人の子どもが外国籍の14才以下の子どもの中で一番という形になっています。ですから 必然的に、日本の外国人の子どもの教育問題を考える時には、ブラジル人の子ども達の 問題を取り上げざるを得ないという必然性が出てくるわけです。在日の韓国・朝鮮籍の 人達ももちろん問題は問題ですけれども、日本社会に長い間根付いている部分がありま して、それとは質的には違うということで、いろんなところで議論がされているところ です。
さて、日本全体の状況はこれぐらいにしまして、豊橋はどうなっているかということ で、豊橋のことについてまず統計的なデータを見ると、豊橋の外国人登録人口は2009年 1月1日で、2万人を超え総人口比5.32%、先ほどの日本の総人口比は1.9%ですから、
それと比べれば4~5倍の数字なので、豊橋市の場合、やはり外国人が相当多くなって いると考えていいだろうと思います。ブラジル人の数だけで言えば、全国の市町村の中 で浜松に次いで2番目に多いというのは皆さん、ご存じだろうと思います。ちなみにこ の人口比で言うと、一番多いのは先ほど名前を出しました大泉で、大泉は既に16%です
からもう豊橋の比ではないんです。でも豊橋も日本の中ではかなり高い外国人の割合に なっているということです。豊橋の場合、特徴的なのは圧倒的にブラジル人が多いんで す。外国人人口の中で、韓国・朝鮮籍の比率は非常に低くて、これはこの地域の特徴だ ろうと思います。外国人はどこの地域にも満遍なく住んでいるのではなくて、国籍別に 住んでいるところに偏りがあります。この辺の豊橋とか浜松は、圧倒的にブラジル人が
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多く住んでいるという形になっております どうも最近 今年の1月のデータで見ると ブラジル籍に次いで韓国・朝鮮籍を超えてフィリピン籍が2番目になりました。これは 確実な数字をつかんでいませんけれども、いろんな話を聞きますとフィリピン人という
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のは 日本人と結婚する人も多いですけれども ブラジル人と結婚する人も多いんです ブラジル人はビザの資格から言うとすごく安定的なビザなので、その人と結婚するとす ごく安定的に日本で暮らせるというのがあります。ブラジル人と結婚するフィリピン人 ということもこのフィリピン人が2番目になっている原因かもしれません。
子ども達ですけれども、ブラジル人の就学適齢者、つまり小学校1年からだいたい中 学3年ぐらいまでの人達の数ですが、基本的には数字の取り方というのは、公立小中学
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校に通っているブラジル籍の人 それからブラジル人学校に通っているブラジル籍の人 そして外国人登録人口の中で、この2つの学校のどちらにも行っていない人の数、これ を組み合わせて作ったのがこの表です。これは豊橋市教育委員会で作った資料を見せて もらいました。一番新しいデータでいくと、公立小中学校に通っているブラジル人の子 どもは63.6%、これが一番多い割合です。それに次いで多いのがブラジル人学校で、2 割です。6割、2割、そして不明者というのが14.8%になります。不明者というのがい わゆる不就学の人を含んでいるということです。ただ不就学というのは、以前はかなり 問題だと言われていたんですけれども、実は一番の問題は、不就学かどうかも分からな い場合が問題でありまして、実際には外国人登録をしている人の中から、この2つの数 字を引いた数がこれであって、実際には外国人登録をしているんだけれども帰国してし まった人とか、あるいは転居してしまった人とか、それが分からないわけですね。数字 だけが残ってる部分もあって、ここでは慎重に不明者という表現を使っているんだと思 います。最近は昨年の後半以
降の不況の中で、不明者では なくて、本当の意味で不就学 の人はずいぶん増えてきてい るようです。ブラジル人学校 に通っていたけれども、もう 通うお金がなくなって家にい させるとか、あるいは何かで 働かせるとか、そういうこと が多くなってきているようです。
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ちなみに全国と比較してみますと 全国とあまり変わりありません 全国と言っても 全ての自治体ではないですけれども、不就学の実態を調べようということで文部科学省 が補助金を出して調べた数字がまとまっています。それでいきますと公立学校が6割、
外国人学校が2割、残りが不就学。ここでいう不就学というのは実際に不就学だと確定
出来たもの。実際に訪ねていっていた人のことで、不明の数の中にも実際に不就学者が
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含まれている可能性もありますけれども いずれにしても不就学は意外と少ないという そういう宣伝として使われる数字であります。ただ6割、2割という点では豊橋も全国 と同じような数字だということです。
さて、これがだいたい全体的な動向ですけれども、公立学校とブラジル人学校に分け て、我々が調査をした結果について簡単にお話してみたいと思います。最初に公立学校 の子ども達のお話をしていこうと思います。実はブラジル人の子どもが問題だと言って いるんですけれども、入管法が改定されてからもう20年ぐらい経つわけですね。そうす ると、必然的に日本生まれの子ども達が増えてくるわけです。我々も調べてみて、本当 に増えているなと印象を持ちました。私たちは、たまたま1998年に大泉町の学校の調査 をしたことがあります。それと2006年に豊橋、2007年に浜松でも同じようにブラジル籍 の子どもについて調査をする機会を得ました。そうしましたら当然のことながら、1998 年の時には調査になった子ども達は100%ブラジル生まれでした。ところが2006年に豊橋 でやった場合に、4割まではいかないですけれども、3割の後半、35.9%が日本生まれ になっています。その1年後にやった、これは誤差の範囲かもしれませんけれども、浜 松では4割が日本生まれということになっています。ですからいつまでも外国人で何も 分からない人達が日本
にやってきて、そうい う子どもを育てるのは 大変だ、学校は大変だ ろうと思っていると、
、 意外とそうではなくて 日本生まれの人達が多 いということで、これ を少し頭に置いておい
た方がいいかもしれないです。
公立学校の場合には、当然のことながら日本の公立学校ですから、日本語で日本のカ
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リキュラムで日本の文化を教えていくわけです 日本の文化を教えていく大前提として 日本語が分からない人には、日本語を覚えてもらうことが大前提ですから、当然のこと ですけれども、それを教える時間が必要なわけで、それを教えるところが国際学級と言 われるところです。地域によっては日本語学級とかいろんな言い方をするところがあり ますが、豊橋では国際学級という言い方をしています。この公立学校と国際学級という のは、今言いましたように、日本語を教えて、日本の文化を教えていくという役割を果 たすわけで、当然のことながらブラジル人であっても、ブラジル人のアイデンティティ を教育するわけではありません。日本人として育っていくような教育をしている、これ
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は別にいいとか悪いとかの問題ではなくて そういう役割を持っている そういう中で 実は日本で生まれて日本の公立学校に行って、日本語を覚えて日本式の文化を覚えてと いうことになっていくと、だんだんとアイデンティティそのものが変わっていくわけで す。家庭ではブラジル人の親御さんと生活していますが、日常の生活時間の大半を日本 の学校で過ごしていきますと、だんだんと脱ブラジル人化していくというふうに考えて
いいんだろうと思います。実際に自分がブラジル人だ、あるいは外国人だと感じるのか という質問を3つの地域で同じようにやったんですけれども、大泉の時には、外国人、
ブラジル人だとは思わない数字が36.6%だったものが、豊橋では半数以上になっている ということ、だんだんブラジル人だと思わない数が増えているんです。日本語能力も当 然向上していくわけで、たまたま調査票の中に浜松の時点から入れ始めたので、浜松の
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ものしか取れてないんですが 日本語と母国語 母国語という言い方も本当にいいのか 本当は母語の方がいい、母語と言っても日本生まれ、日本育ちのブラジル人の子ども達 の母語は何かと聞かれたら、本当は難しい問題なのでややこしいんですけど、一応ここ ではポルトガル語としております。そうすると、こういう数字になっています。一番多 いのは日本語もポルトガル語も出来るという子が一番多いんです。その次に、どちらか というとポルトガル語の方が分かるという人と、どちらかというと日本語の方が出来る という人を比べると、日本語の方が出来る人の方が多くなってきているんです。両方出 来るという人と、日本語の方が出来るという人が多くなってきていて、だんだんと日本 語能力は、これは自己評価ですから、端から見るとそれで出来るのかというのがあるか もしれないですけれど、自己評価でいくと、日本語能力は確実に高まっていると言って いいと思います。この状況はもっともっと進んでいくだろうと思います。
というのは、今日本の学校に入る前に、子ども達は日本の公立の保育所に入るか、あ るいはブラジル人の託児所に入るか、その2つのパターンしかありません。あるいはど こにも入れないかですけれども。ブラジル人の託児所に入れると言っても、それも先ほ
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ど言った比率とだいたい同じように考えていいだろうと思います 公立の小学校で6割 ブラジル人学校で2割と同じように考えると、やはり公立の託児所に預ける人の方が多 いと思います。実際に保育所の調査もやらせて頂きました。保育所の調査では、調査を やった時点で保育所に預けている親が、保育所が終わった後、どういう学校へ子ども達
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を進ませたいかという質問をしました そうしましたら 日本の保育所が終わった後は 日本の小学校に上げたいという人達が圧倒的多数です。そうすると、保育の現場で保母 さんにインタビューをしたことがあるんですが、全く言葉のない段階からブラジル人の 子ども達を保育所に預けるんです。そこから言語を学んでいくわけです。もちろん家庭 ではポルトガル語かもしれないですけど、日本の保育所の中では日本語です。言葉のな い段階から、初めて出会うのは日本語になるわけですね。当然のことながら、日本語が 母語になっているのかもしれない。家庭がポルトガル語ですから、そこがまた難しいと ころですけれども。そうしますと、日本生まれで日本の保育所に入って日本の小学校に 入って、そうしたらいつまでも我々が学校でブラジル人の子ども達にどうやって日本語 を教えなくちゃいけないかという観点だけでものを考えていたら、話がおかしくなって
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しまうという状況になっていると思います 今のことを少し一般化した言い方をすれば 日本生まれのブラジル人の子ども達は、だんだん日本人化してきていると思います。も ちろんこれに対して、逆に親は心配することが出てくると思います。
今見たのは主に公立学校のお話ですけれども、他方でブラジル人学校の子ども達はど うなんだろうということです。豊橋には2つブラジル人学校がありまして、さらに湖西 に1つあり、豊橋からかなり通っているんです。ですから湖西のブラジル人学校を合わ
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せて3つの学校を調査させて頂きました それで見ますと 生まれた場所を調べた時に
公立学校と比べるとブラジル生まれの人が多いという傾向があります。日本生まれの人 は、公立学校に行っている比率より少ない。そういう意味では自然な形になっているの かなという風に思います。ただ日本で生まれた人も2割ほどおりました。更にブラジル 人学校に通っている子ども達というのは、想像出来ることですが、日本の保育所に行っ ている経験は非常に少ないということで3割程度になっております。ブラジル人の託児 所に行っているのも少ないので、もともとブラジルで生まれて、学校の段階になって日 本にやってきたと考えた方がいいのかもしれない。更に、これは実際に体験したことで すけれども、日本のブラジル人学校に入っている子ども達、これがブラジル人学校の始 まる前の時間は託児所に預けられて、託児所からスクールバスでブラジル人学校に行っ て、ブラジル人学校の時間が終わったら、またブラジル人託児所に戻って、そして夜遅 くお母さんが迎えに来る。朝早くお母さんが託児所に預けて、こういう生活をしている 子ども達もおりました。これは非常に驚いたんですけれども、実際にいるわけです。そ れだけ長く子どもさんを預けているということです。
ブラジル人学校は公立小中学校と違って、ブラジル人性を維持するのに貢献をすると いう意味を持っているわけです。具体的には教育の内容が、ブラジル準拠になっていま すので、ポルトガル語で授業をやりますし、ポルトガル語を教える、そういう仕組みに なっています。それからもう一つ特徴的なのは、ブラジル人学校というのは日本社会と の接点が非常に少ないというのが特徴だろうと思います。実際には、個別の学校によっ ていろいろと違いが出てくるんですけれども、大まかに言いますと、全体的にはこれが 特徴と言えると思います。それはどうしてかと言うと、一つは託児機能を非常に重視し てるんです。学校が終わった後も長く面倒を見てあげるというのがあるんです。それで も足りない人がブラジル人託児所にまた行くということです。学校の方針がどうかと言 うと、ブラジル人学校が出来たばっかりの時には意外と日本の公立学校との交流があり ました。少なくて珍しかったものですから、交流する相手のブラジル人学校がないんで すね。大泉にあるブラジル人学校でもその話を聞きました。出来たばかりの時には、日 本の学校で総合的な学習の時間を使って、ブラジル人学校を訪ねたりだとか、逆にブラ ジル人学校の生徒達が部活に参加させてもらったりだとか、こういうことをやっていた わけです。ところが今は、ブラジル人学校は、実は朝鮮学校よりも日本の中で数が増え てしまいました。全国で今、正確な数は分からないですが、91という数字が一番最近、
私が見た数字であります。91のブラジル人学校が全国に出来ております。そうするとど ういうことが起きるかと言うと、学校間での交流という時の対象が、公立学校ではなく てブラジル人学校同士になるんです。ブラジル人学校協会というのも出来ていますし、
そうするといつも何かスポーツの交流と言っても、ブラジル人学校同士になってしまっ て、そういう意味からいくと日本社会との接点がどんどん少なくなってきているという のが現状だろうと思います。その中で日本にあるのだから、日本語とか日本文化を少し 勉強した方がいいんじゃないかなと思いますが、それは非常に少ないです。
実際にはブラジル政府が日本にあるブラジル人学校を、ブラジルの正式な教育機関と して認定する制度がありまして、それを認定するためには、最低1時間、1コマは日本 語を教える時間がないと認めてくれません。そういうことはありますが、最低ラインに しているところもたくさんあります。たまたま一つの学校の例ですが、日本語というの
は、1週間の時間割の中のたった1コマで、これで日本語が出来るようになるとはとて も思えません。もちろんブラジル人の教育をやるわけですから、いらないと言えばいら ない。実際には日本語のことは教えていない。ですから日本語能力は当然低いわけで、
ブラジル人のアイデンティティが維持されるという上では非常に有効だと考えてもいい のかもしれない。この数字を見てもらえば、日本語はなかなか身についていないことが わかります。身につける場所がないですから。
こういう公立学校とブラジル人学校の子ども達の様子を見てくると、スローガン的な 言い方で大まかに言ってしまえば、分化、分離するブラジル人の子ども達という言い方 が当てはまるのではないかと思っています。分化するというのはどういうことかと言う
、 、 、
と 公立学校の子ども達全員がそうなっているわけではないですけれども 傾向として 日本人化していく子ども達というふうに特徴づけられるだろうと思います。これに対し てブラジル人学校の子ども達はブラジル人性を維持している。分離するというのは、先 ほどもお話したように、公立学校とブラジル人学校の子ども達、同じブラジル籍の子ど も達なのにも関わらず、交流する機会が非常に限られて別の世界に生きているというふ うになっているのではないでしょうか。もちろんブラジル人同士の子ども達だけではな くて、日本人の子どもとブラジル人の子どもも、公立学校では当然交流というか、一緒 に生活しているわけですが、ブラジル人学校の子どもと日本の学校の子どもが接する機 会が非常に乏しいということになっています。
今度は親御さんと子どもさんの意識について少し触れてみたいと思います。公立学校 の方から見ていきますと、公立学校の親御さんの意識で最初に確認しておく必要がある のは、ずるずると長期滞在が進んでしまう問題がよく指摘されています。しかし、この
。 問題を見ますと実は定住化を意識する親御さんも増えてきているということがあります これだけ長く住めば当然それは言えることかと思います。豊橋で見た場合には、とにか く日本に残りたいというのが、4割弱まで増えてきています。36.3%。意外と昔と比べ ると増えてきているわけです。何があってもとにかく帰国するというのは1割しかいな くて、やっぱり条件が整ったらというのが多いです。この条件はもちろん母国の経済状 況が改善されたらが多い。日本は今未曾有の危機だといわれていますけれども、ブラジ ルはそれに対してBRICSの一角で、経済成長を遂げつつあるといわれていますけれ ども、やはりなんといっても経済状況を見ると日本の方がずっといいわけで、この経済 状況が改善されたらというのは、いつまでたってもなかなか実現しない。今、十何年住 んだ人が帰ったりしています。ところが、ブラジルで発行されている日本語の新聞の記 事を見てみますと、向こうの人たちも心配しておりまして、日本に戻ってくることを考 えるときに、二回考え直せというスローガンが出ているそうです。やっぱり仕事がなく なったから帰るといっても、向こうに行っても仕事がないんです。それに仕事がないだ けじゃなくて、こちらに十年以上住んでしまうと、ブラジルの文化と全然違った文化の 中で生活していますから、なかなか向こうに再適応が難しいということで、向こうの日 系の研究者の中で、帰国症候群という言葉が作られたりしています。これは大人もそう ですし、子どももそうです。子どもがもし公立学校に入っていて、日本語しか出来なく なっていた人が、親御さんに連れられてブラジルに帰って、ブラジルの学校に通っても 結局適応できなくて、そっちの不就学になったりするんです。その問題も出てきている
わけで。ですからこれは条件が整ったら戻るということなんですけども、これがなかな かはっきりしないということで、展望が明確に出せないという人たちが多くいるという ことです。後で数字を見てもらえば分かると思いますけれども、親御さんたちは子ども 達に日本語を学んで欲しいということで、学校はそれを学ぶいい機会、いい場所だと思
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っています その日本語習得を望んでいるので そのために日本人との交流というのも 親から見れば大きな望みになっています。日本人と交流して日本語をきちんと学んで欲 しいという考え方です。その背後には親御さんたちの高学歴志向というのもあって、や っぱり日本の学校で学んでいくのならば、日本語がよく出来ないと学歴を高く出来ない という、学歴に対する期待です。日本人と比べたらすごく高い。特に大学院までの期待 が3割とか出てくるわけですから。
しかしもう一方で、母語も学んで欲しいという気持ちも非常に強いようで、日本の学 校で母語を使うのは当然だという考え方や、日本の学校でも母語教育、この母語という のはポルトガル語ですね。これを教えて欲しい、教えるべきだというのが7割もいるわ けです。ですからどちらかと言うと、バイリンガル志向ということになるんだろうと思 います。その背景には、当然家庭での会話の問題があって、家庭では親御さん達は日本 語がきちんとできない人が多いですから、そうするとポルトガル語で会話をするのに、
日本の学校に行っちゃうと日本語しか出来なくて、会話が出来ないという悩ましい問題 が出てくるわけです。両方出来れば子どもさんに通訳をやってもらうことになります。
子どもと会話をするときには基本的にはポルトガル語が多いということで、公立学校の 場合で6割、日本語で会話をするのは1割しかいないわけです。ブラジル人学校はもっ と極端ですね、当然のことですけれども。
教育に無関心なブラジル人という言い方をたびたび耳にすることがありました。私が 大泉の調査をやった時には、7つの学校を回ったんですけど、全ての校長先生が言って ました。何でこんなに無関心なんだと。子どもを預けっぱなしにして、託児所の代わり にしてというふうに言っていました。でも調査をするとすごい高学歴志向だし、バイリ ンガル志向だし。その気持ちをちゃんと家庭教育の中で活かしてるのかという責め方も
できますけど、実際の意識そのものは非常に教育熱心だという部分も見られるわけで す。ですからそういう意味では教育に無関心なブラジル人という我々の見方自身、これ も少し見直す必要があるのかなと思います。ただし、親御さんに責任がないわけではな くて、それだけ教育熱心なのに、子どもの将来に関してはなかなか本当に展望を見出し ていないという、そういう姿があると思います。というのは、親御さんが、じゃあ公立
学校を出たら日本の学校で最終学歴をとるのか、そう望んでいるのかなと思うと、必ず しもそうではないんです。日本で日本を最後の学歴にしたいという人は50%きっている わけです。ブラジルの学校に行って欲しい、最終学歴の大学や大学院が2割弱いるし、
あるいは、3割は子ども任せというのもいるわけです。これはまだまだ最初に言った、
将来展望、帰国するかどうか不明確だということと少し関係しているんだと思いますけ れども、こういう状況にあると言えるだろうと思います。
他方、ブラジル人学校の場合どうかというと、ブラジル人学校は公立学校に子どもさ んを上げている親御さんと違って、はっきりと帰国を前提にしてブラジル人学校に入れ ています。ブラジルで進学するためにというのが約9割弱。そういう意味から言えば、
日本人が外国に日本人学校を作っていて、日本人学校に行かせて帰国したら帰国子女と して日本の大学に行かせる、そういう発想と同じだと見ることも出来るわけです。子ど もさんもその考え方を受け継いでいます。従って、日本の学校にはほとんど行った経験 がないという状況です。2割ぐらいしか行ったことがない。よく言われることですけれ ども、日本の学校にあげてたんだけれども、いじめとか日本の学校文化に合わないから 転校したんだという言い方をする人がいますけれども、それもいないわけじゃないです けれども、多数派ではないです。基本的に最初から日本の学校に行かせずに、ブラジル 人託児所とか、ブラジル人学校に通わせていると考えた方がいいと思います。ただその 選択をする一番の中心人物は誰かというと、やっぱり親なんです。子どもよりも親で、
親がそうさせているんです。それは当然最初に言ったこととも関係しますけれども、親 が将来帰国するという気持ちが強いので、なんとしても帰国するというのは56.9%、さ っき公立学校の数字が1割ですから、ずいぶんと違うんです。帰るということの気持ちの 強い人たちです。ただ、複数回答でどうしても帰ると言いながら条件付のところにも答 えている人も多くて、そういう意味ではそんな確信を持っているわけではない。
それから先ほど言うのを忘れましたけれども、治安の問題というのが実はすごく大き いんです。私もブラジルに4回ほど行きましたので、いろいろ話を聞きました。ブラジ ル人の人たちは、日本の治安の良さというのは、すごくありがたがっているんです。こ んな治安のいいところに住んだら、ブラジルには帰れない。身体性も変わってしまうそ うです。ブラジルにいるときの体の動かし方というのは、常に何かに襲われないかと用
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心しながら歩いているらしいんですけれども 日本に来たら全く無用心になるらしくて これは身体性も変わってきちゃっている。長年日本に住んでいた人がブラジルにたまに 帰ったら、何でそんなバッグを気をつけないで持ってるの?という風に言われるらしい んです。ブラジルでタクシーに乗ったときに、日系人ではない生粋のブラジル人が運転 してたんですけれども、私は日本に行きたいというんです。何故行きたいんですか?と 聞いたら、だって安全でしょって。こんな危ない国はイヤだといいながら自分も赤信号 を渡ってましたけれど。すごい国だなと思いました。
このブラ ジル人学校 に通わせて いる親御さ ん達も高学 歴志向なん です。この 数字、比較 してみれば 分かるんで すが、公立 学校に子ど もを預けて いる親御さ
ん以上に、高学歴志向です。だからその高学歴をブラジルで実現したいと思っているの かもしれないですね。こうなってくるとブラジル人学校に子どもを預けている親御さん は、ブラジルを目指して、ブラジルに帰国することを目指して勉強させていると想像で きるのですが、同時に意外なことに、ブラジル人学校に対して日本語、あるいは日本社 会に触れる機会、これを要求してるんです。ブラジル人学校に望むことを聞くと、日本 語をきちんと教えて欲しいというのが出てきます。これもある意味、日本に住んでいる のだから真っ当なことかもしれません。全くそう思わない、あまりそう思わないという 人は本当に少ないんです。とてもそう思うというのがすごく多いんです。それだったら 日本の学校に行けばいいだろうと思うんですけれども、やっぱりさっき言った将来展望 が違うのかもしれない。それから日本の社会に触れるような機会を作って欲しいという のも多いです。ですから彼ら自身は自分から望んで、日本社会からの接触を絶っている というわけではなくて、少なくとも子どもには日本社会とうまく触れ合って、日本語も 身に着けて欲しいと思っているのだけれども、ブラジル人学校でそういう運営方針を持 っているところは非常に少ないです。そういう中で、やっぱり将来に対して親御さん達 は揺らいでいるところがあって、あれだけブラジルに帰る、ブラジルに帰るのを前提に ブラジル人学校にあげていると言っていたのに、最終的な学校についてはそれほどでも ないんです。ブラジル人学校の通学理由で、ブラジル進学と答えたのは88%、9割弱い たのに最終的な学校、これをブラジルだと望んでいるのは65%しかいないんです。実際 には子ども次第だという言い方になっちゃうわけです。将来がはっきりしているからブ ラジル人学校にあげていたという風に見えていたんですけれども、本当のところを探っ ていくと、意外とそこも揺らいでいるのが現状だろうと思います。
公立学校とブラジル人学校の両方を比較して違いと共通点を考えてみましょう。違い としては、生まれた場所、将来展望があります。共通点として両方とも高学歴志向、特 にブラジル人学校の方が強かったですけれども、日本人と比べれば高学歴志向です。そ れと同時に日本人とか日本社会との接触とか交流の要求というのは、どちらの学校の親 御さんも共通して、要求を持っていたと考えていいだろうと思います。更にどちらの学
校ともバイリンガル志向を持っていた。にもかかわらず、どちらの学校の親御さんも子 どもの将来に関しては揺らいでいたと言っていいだろうと思います。
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時間もなくなってきたので最後に課題と展望についてふれます 公立学校の場合には これからのことを考えたときに、日本語を出来るだけ覚えるようにするとともに、学業 達成とか進路の問題をきちんと保障するような取り組みをしないと、現実に合わなくな ってきているのではないかということです。日本語指導から日本語指導プラス学習指導 という考え方をきちんと据えなければいけないだろうと思います。同時にバイリンガル 志向の親御さん達、日本の社会と交流して欲しいと思っている親御さんがブラジル人学 校にたくさんいるのに、何で日本の学校にあげないのかと言ったら、日本の学校にあげ るとなんだか窮屈だとか、そういう感覚もあるんだと思うんです。ですから、公立学校
。 ではもう少し柔軟な教育システムというのを作っていく必要があるんだろうと思います 受け入れ態勢もそうですし、母文化に配慮する必要もあるのかもしれません。受け入れ 態勢の面では、例えば日本ではどうしても学齢主義がありますので、年齢で学年を決め てしまいますけれども、日本語の能力に応じて学年を年齢よりも低いところに入れてあ げるとかも考える必要があります。浜松では1年に限りそれをやっています。2歳を超 えてはやってないみたいですけれども。ですからそういう工夫とか、あるいはブラジル 人が多い学校に行きたいと言ったら行かせてあげるとか、いろいろな柔軟なやり方とい うのも必要になってくるのかもしれないです。
それ以上に大きな問題を抱えているのは、ブラジル人学校だと思っております。公立 学校とか日本社会との交流がなかなか出来ていないという問題があります。ブラジル人
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学校には ブラジル政府がブラジルの学校として認可しているところが90いくつのうち 半分ぐらいあります。ただ、ちょっと大胆な言い方をするんですけれども、学校として みると怪しいところがあります。ブラジル教育省にも行ってインタビューもしました。
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ちゃんと日本のブラジル人学校を見たんですかと言ったら 以前は見ないで認可してた 書類だけで審査してたって言ってました。ただ最近は、年に1回来る機会があって、そ こでちょっと見ているんだそうです。そうすると、校庭がないことも知ってるし、建物 が工場の跡だったり、あるいは結婚式場が倒産してその跡だとか、そういうのは見て知 ってるそうです。でも日本は国が小さいから、敷地が小さくてもしょうがないと答えて ましたけど。すごく条件が悪いんですね。非常に劣悪な教育環境で、それを改善するこ とが必要なわけで、我々はどうしてもそこにお金をあげて、補助金を出して、何とか手 助けをして各種学校にしてあげてって考えるんですけども、どうもその路線だけでいい のかなという気がしてくるんです。やっぱりブラジル人学校はもう一方でエスニックビ ジネスの側面があって、金儲けのところもあるんです、当然のことながら。ですから授 業料も高い。それはブラジル人の中でもそういう意見を持っている人もいます。だけれ ども、ブラジル人学校は商売でやっているのはおかしいと、なかなか日本人サイドから は言えない。それだったらもうちょっとブラジル人学校に通っている親御さんの要求も 含めて考えたら、基本的には公立学校にあげて、母文化、母語を学習するための補助学 校としてブラジル人学校を位置づける。こういう考え方だってあるんじゃないかと思い ます。そうすると授業料、時間が短いから日本の学校終わってから行く、あるいは土曜
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日に行く そのために授業料は少なくて済む それだったら補助金を出してあげられる
そうするともっと安くなる。もちろん完全に帰国を前提にしている人もいるから、全て をそうしてしまったらまずいのかもしれないですけれども、多くの場合、そういう改善 の仕方というのもあるのかなと思っています。実際に非常に劣悪な教育環境で授業料も 高いですから。
これはこの不況の中で、愛知県が県下のブラジル人学校に依頼して調査をした数値だ
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そうです 2008年5月にいた生徒のうち 2009年1月にどれだけ残っているかを調べた 1,155人がいなくなったんです。どれくらいがブラジルに帰ったか分からないですけれど も。ブラジルに帰った人も含まれていると思いますし、不就学になって家の中にいる人 もいるだろうと思います。それからなんといっても、ブラジル人学校の親御さんも、公 立学校の親御さんも、いろんなことを考えているみたいですけれども、最終的に子ども の将来についてはやっぱり揺らいでいてはっきりしない。自分達の出稼ぎのことを中心 にして考えているわけですから、これはある意味当然かもしれません。もうちょっと子 どもの未来をベースにした教育展望、教育戦略を考えないと、いくら周りがいろんな条 件を作ってあげても難しいんだろうと思います。
最後に、これからどのようなことが展開するか分からないんですが、ブラジル人の場 合には日本に定住するか帰るか、この二者択一じゃないですね。行ったり来たりという 人もいるんです。それを考えたときには、そういう姿はブラジル人だけに限らず、世界 各地で起きる可能性があるわけです。そうしたらトランスナショナルという難しい表現 ですけれども、国を超えて行き来しながらでも教育がつながっていくような仕組み、こ れを作っていくということが、遠い将来の課題になっていくんだろうと思います。日本 の学校を出てもブラジルの学校につながっていかなかったり、あるいはブラジルの学校 を出てもその学歴が日本で意味を持たなかったりというのが、現状です。世界の中では これを乗り越えるような仕組みの学校が、ほんの少しですけれども出てきております。
私がブラジルに行って訪問した学校、これはすごくリッチな人向けの学校の話しです。
ブラジルはすごい格差社会です。ドイツ系の学校で、実はここはドイツの正式な学校と して認められているし、同時にブラジルの正式な学校としても認められております。実 際に行き来するかどうか分からないですけれども、子ども達はどちらの学校も出たとい う学歴をとれることになっています。ただ残念ながらすごいお金持ちの学校なので、普 通の人はなかなか行けない。今のところ、普通のブラジル人を含めてそこの仕組みを作 っていくというのはなかなかすぐには出来ないことだと思いますけれども、遠い将来に はこういう視点を入れないと、なかなか問題は解決しないだろうと思います。
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伊藤:どうもありがとうございました 私は2年前に豊田にある愛知学泉大学に勤めましたが 豊田には保見団地というのがありまして、初めて行ったときにこれはなかなか大変なこ とだなという思いがしました。今、母語の話がありましたけれども、親とのコミュニケ ーションの問題や、抽象的な思考を支えていく言葉を獲得するというところに、非常に 困難を抱えている、そういう子ども達の問題をどう考えたらいいんだろうということが
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全く分からなかったんですが 豊富なデータと全体的な話をしていただくと なるほど そういうことかというふうに、少し考える手がかりが出来たような気がします。どうも ありがとうございました。実は今日、小内先生を紹介していただいた、都築先生が学泉 大学からいらしてます。都築先生も小内先生と一緒に調査をされているそうですので、
。 また後ほどパネルディスカッションのときにでも会場から発言いただければと思います
それでは引き続き、長くなりますけれども、休憩はパネルディスカッションに入る前 ということで、事例報告を3題続けて行いたいと思っています。
実は昨年、テレビを見ていたときに、NHKがポルトガル語との2か国語で番組を放 送しますと聞いたときに、NHKはこういうことをやるんだなということが頭に残りま
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した 今回の企画を進める時に 何かNHKがこの問題に取り組んでるんじゃないかと 気になって飛び込んでいったんです。そうしたら確かにそういう取り組みを意識的にし ておりますというお話を伺って、今回是非、そのことを話してもらうようお願いしまし た。またNHKなりの取材の中で捉えている現状についてもお話を伺えればということ で、今日、かなり無理を言いまして、年度末のお忙しいところ、佐藤さんという編成の 方に来ていただきました。佐藤さん、お願いいたします。
NHK名古屋放送局の佐藤と申します。今日お話しする機会を頂きまして、ありがとう 佐藤:
ございます。主催者の皆様、後援の豊橋市の皆様、ありがとうございます。
今日は、NHK名古屋放送局が昨年4月から始めたいくつかの在日ブラジル人向けサ ービスを簡単ですがご説明させて頂きます。サービスを開始したのは昨年4月からでし
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て ようやく1年が経ちますが 検討を始めたのは2年前 2007年の夏ごろからでした 最初に、NHK名古屋放送局はどういう視点に立ってサービスを考えているのかをご 説明します。NHK名古屋放送局が第一に考えたのは、生活習慣や文化などお互いの違 いを理解し合う場、もしくは日本人もブラジル人も共に感じたり楽しんだり出来る機会 を作ることでした。例えば、同じ地域に暮らす者同士が議論を重ねて悩みや課題を解決 する方策を考える番組があってもいいと思いますし、違いを越えて共に感動できるイベ
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ント 日本の文化をブラジル人の方に知って頂くことと同時に日本人にとっては改めて 日本にはこういう良さがあると実感して頂けるような発信をしていくことです。
そうした方針に基づいてNHK名古屋放送局が提供しているサービスを、具体的に紹 介させていただきます。1つ目は、FMで放送している「FMトワイライト (月~金・」 午後6時開始・中部地方向け)です。日本語とポルトガル語を話すことができるパーソ ナリティを金曜日に迎えました。ブラジル・サンパウロ出身で日系三世の歌手・南かな こさんです。ブラジルの音楽、情報、日本の生活情報を提供している番組です。
次にポルトガル語のポータルサイト(http://www.nhk.or.jp/brasil/)を、昨年の5 月から立ち上げています。ポルトガル語で提供している色々な情報のリンク集が中心で す。NHK独自のコンテンツとしては、東海地方のニュース、総合テレビの番組「週刊
」 「 」 。 、
こどもニュース の 今週の大ハテナ をポルトガル語で提供しています この企画は 1週間の間に起こった出来事をひとつ取り上げて、子どもが理解できる優しい言葉で分 かりやすく解説するものです。これをポルトガル語に翻訳してホームページに掲載して います。さらには、在日ブラジル人コミュニティでは有名な有識者が執筆するコラムを 掲載しています。
ラジオ第2放送で、愛知県、静岡県、岐阜県、三重県の東海地方で午前1時から「ラ ジオジャパン・フォーカス (毎日・午前1時開始※木・金は午前0時40分開始・東海」 地方向け)というポルトガル語のラジオ番組を放送しています。この番組は、海外向け
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のNHKラジオ国際放送の番組です 時事トピックスの解説 日本文化を紹介する企画
日本語講座といった内容を毎日放送しています。
また、一昨年に豊橋市で開催させて頂きました「ラティーノ・ノドジマン」という、
南米出身者の方が日本の歌を歌う「のど自慢」形式の公開番組を開催しています。昨年 は名古屋市で開催しました。昨年は、ブラジル移住100周年という節目の年で、おかげさ まで大変盛り上がりました。日本人もブラジル人も一緒になって感動したり、笑うこと ができるなどご好評をいただきました。私たちがサービスの理念として掲げた「共生の 場」づくりのお手伝いが、微力ながらもできたかなという手応えを掴んでおります。今 年も第3回目を実施したいと考えています。
。 ここまでNHK名古屋放送局が独自に取り組んでいる地域サービスをご紹介しました ほかにも、全国に向けて提供しているサービスとしては、1つはラジオ第2放送の午後 6時半からポルトガル語による国内外の最新ニュースを放送しております。土日は6時2 0分からになります。また、緊急時の多言語放送があります。大津波警報、津波警報、東 海地震の警戒宣言が発表された時に総合・衛星第1・衛星第2・衛星ハイビジョンのテ レビの副音声、ラジオはラジオ第2放送を使って、英語、中国語、韓国・朝鮮語、ポル トガル語の4か国語による緊急放送を行うものです。しかしまだ、実際に放送したこと はありません。
最後に今後に向けてお話しさせて頂きたいと思います。今年1年、取り組んできた感 想ですが、NHKだけでサービスの充実を図ったり、共生の場を図っていくのは限界が あると私自身は感じています。ですから今日、たくさんの方がお見えになっていますけ れども、実際にブラジル人へのサポートや支援活動をされている皆様と力を合わせてや っていきたいと考えています。例えば、1つにはポルトガル語ポータルサイトへ情報を お寄せいただくこと、または皆様のアイディアや発想を生かしてこのポータルサイトを 自由に利用して情報を受発信していくということもできるのではないかと思います。ポ ータルサイトを核としたやりとりを通じて、人的なネットワークが構築されて、どんど ん広がっていけば、在日ブラジル人向けサービスがより多彩で豊かなものになっていく と考えております。2年目を迎えたNHKのポルトガル語サービスは、皆様のお力を借 りながら、充実を図っていきたいと考えております。
今日お配りした資料に、私の連絡先等も記載しております。情報なりご相談なりお寄 せ頂ければと思っております。どうもご静聴、ありがとうございました。
ありがとうございました。是非、この会場に来られている方も、佐藤さんの方に情報提 伊藤:
供をして頂ければと思います。このシンポジウムを組むにあたって、どういった情報を 取り上げたらいいのか、ほとんど情報がなかった段階で、何人かの先生方、淑徳大学の 小島先生にもお聞きしに行って、私なりにいろいろ考えました。そんな中で豊橋市の公 営住宅の壁画を子ども達と一緒に、大学生のボランティアの人達と自治会の人達で作っ たという話を知ることが出来ました。そういう手作りの現場の話を、データも押さえつ つ、現場ではどういうことかというのを見ていきたいと思います。次の事例をお聞きし たいと思います。
資料では最初に、CSN豊橋の榎本さんと書いてあるんですが、パネリストとしてお 呼びしている岩屋住宅の自治会長の鈴木さんから最初にお話を伺って、そして榎本さん の方に引き継いで頂きたいと思います。鈴木さん、よろしくお願い致します。
皆さん、こんにちは。ただ今紹介にあずかりました、岩屋住宅の鈴木です。では岩屋住 鈴木:
宅の状況について説明させて頂きます。現在、岩屋住宅の所帯数は200で、そのうち70所 帯が外国人が占めている、約1/3が外国人が占めている状況になっております。
今、やっている取り組みについて説明させて頂きます。ここでは3点ほど主なものを 紹介させて頂きます。1つ目は昨年の4月、NHKで紹介されました、地域共生懇談会 を岩屋住宅で行っているということです。これまでに3回程行いまして、外国人の参加 を積極的に呼びかけたところ、だいたい40名ぐらい参加して頂き、大変盛況でした。2 つ目は学生ボランティアCSNの活動を地域の活性化に結びつけたことです。子ども達 の学習支援や慣れない生活のサポートをしてくれています。具体的には夏休み中や毎週 火曜日に子ども達の勉強を見てくれます。勉強だけではなく日本の伝統文化も体験する
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ことが出来ました 昨年7月には七夕祭りを開いて みんなで楽しむことが出来ました また、ゴミの始末が出来ない子ども達のためにゴミ箱を作って、一緒に作業することで ゴミについて考える機会を作りました。3つ目は岩屋住宅の壁面の落書き消しを行った ことです。前々から壁面の落書きが絶えず困っていたところ、住宅の壁面に子ども達の 絵を描いてきれいにするという提案がありまして、早速自治会、CSN、豊橋市、住宅 課に中心になってもらいまして、地域の塗装業者もこの考えに賛同して頂き、資材を無 償で提供して頂き、多くの子ども達が集まってくれて、いろんな絵を描くことが出来ま した。これはありがたく思っています。
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これらの活動の結果 次のことが言えると思います 地域共生懇談会を開いたことで お互いの考えを知ることが出来、いろいろな問題が少なくなりまして、これまで以上に 住み心地の良い住宅になったと思います。ゴミステーションのゴミの始末がきちんと出 来、住宅地内がきれいになりました。早く出勤する外国人の意見を聞いて、ゴミを捨て られる時間を60分延長したからです。CSNの活動が外国人の日本の慣れない生活を支 えていることは間違いありませんが、言葉や習慣の問題をこのように日常的に支援して くれることは、子どもにとっても大きな成果があると思います。壁画については、自分 達の住んでいる家をみんなで一緒にきれいにするという、心を一つにした同作業を通し て、人と人とのつながりが出来たと思います。また子ども達の想いのこもった絵は、住 宅をこれまで以上にきれいにすると共に、そこに住む人間の心もきれいにしてくれたと 思います。これまでの状況の発表はこれで終わりたいと思います。どうもありがとうご ざいました。
鈴木さん、短くてすみません。またディスカッションの中で補足して頂きたいと思いま 伊藤:
す。鈴木さんは大工さんなんですよね。いろいろ今の活動の中に専門性が発揮されてい ると思います。じゃあ引き続きまして、CSN豊橋の榎本さんにお願いしたいと思いま す。
はじめまして、こんにちは。CSN豊橋の榎本と申します。よろしくお願いします。慣 榎本:
れないので間違えたらすみません。CSN豊橋という団体の紹介をまずさせて頂きたい と思います。皆さんご存じの通り、豊橋には約38万人の人口のうち2万人の外国籍の方 が住んでいます。それは20人に1人は外国人ということになります。その外国人の人達 は、どうして日本に来たかと言ったら、やっぱり仕事のため、先ほど出た言葉をお借り すれば出稼ぎのために来ています。そういった家族で来た人達は、子どもがいるんです