第 3 章 多国間協力の限界性と ARF プロセス 第1節 協調的安全保障
第3節 評価と展望:限界と限界突破をめぐる一考察
本稿はアジア太平洋地域の多国間安全保障協力を考察する上で、協調的安全保障および 信頼譲成措置の限界性を同地域に当てはめながら検討してきた。アジア太平洋地域での多 国間安全保障協力はシステムレベルおよびアプローチレベルそれぞれから限界性および問 題点が浮かび上がり、協調的安全保障については常に同盟関係のサブシステムであること、
信頼譲成措置については第二段階(検証・監視型)および第三段階(規制型)へ移行が極 めて難しいことを指摘した。
しかしこのような限界性は、アジア太平洋地域が安定的な安全保障秩序を将来にわたり 保てないということを意味するものではない。「紛争抑止・対処」アプローチが安定的に保 たれている限り、この地域において大規模な紛争の発生する可能性は極小化されるからで ある。本稿が意図したのは、多国間安全保障協力が主眼とする「予防アプローチ」の進展 の難しさを示すことである。
では、このような「予防アプローチ」を主眼とした多国間安全保障協力はどのような形 で進展が可能なのであろうか。いわば本稿が示した限界性を突破する可能性は、三つの側 面から検討が可能であろう。第一は、現在のアジア太平洋地域では、信頼譲成措置の第二 段階および第三段階への移行をそもそも必要としていないとする視点である11。第二は、そ のような段階への移行が必要であり、何らかの手段を考えなければならないという立場で ある。第三は、信頼譲成措置そのものを必要としなくなるような国際環境が招来するとい う考え方である。
第一の可能性は、アジア太平洋地域における安全保障対話の制度化を急がずに、ルール 設定各国の自主性に委ねるLevy=山本吉宣のいう「奉賀帳外交」(tote-board diplomacy)の 可能性である12。奉賀帳外交とはある問題についてのルールを決めようとするとき、協議に よって一定のゆるやかな「モデル」(ルール)を設定する。そしてそのモデルに付して「奉 賀帳」が各国に配られ、それぞれの国は「奉賀帳」に自国がそのモデルを採用するかしな いかを自主的に書き込むような外交様態をいう。
第 1 章において、信頼譲成措置に付されている自主性は、明確な権利・義務関係を規定 していないために、ひとつの措置の内容に様々な解釈を生み、憶測や騙し、選択的な不履 行などさまざまな弊害を生むことを述べた。しかし、この奉賀帳外交は、そのような規定 による明示的な制裁ではなく、まさに「奉賀」という形式を取る結果、他の国々や国内か らの説得やプレッシャーが生じ、外側と内側からの圧力が生じ、結果的に国家が協調的な 外交姿勢を強めざるを得ないという期待を念頭においている。
山本自身述べているように、このアプローチは「タダ乗りや、レジームのルールに帰依 しない国の存在を原則的に許容」し、また「レジーム形成にも時間がかかる」という欠点 を内包する13。それは信頼譲成措置の自主性という問題が抱える問題の基本的な性質の延長 線上にあるものである。しかし、これまで指摘したような欠点をかろうじて免れているの
は、そこにピアープレッシャーを想定していることである。すなわち、信頼醸成の具体的 な措置への合意、履行に際し、あからさまに勝手な解釈や不履行を繰り返すことがその国 の内外からの信用性の低下につながるのである14。このような奉賀帳外交が各国の死活的な 利益を脅かすような共同措置が提起されるまでの間、一定の効果をあげること期待できる であろう。
第二の可能性は、あくまで権利義務関係の生じる多国間安全保障協力を制度化すること である。この第一の方法は、先に示した「協調的安全保障が有効に機能する条件」、および
「信頼譲成措置の段階移行の条件」が整うことである。その際、両者に共通するのはいか に問題領域についてのコンセンサスを参加国間で形成するかという問題である。そして、
それぞれの条件で重要な要素となるのは、多国間安全保障協力に消極的な国々の認識の問 題であろう。国際レジーム論の議論にあるように、レジームの形成と継続過程において、
取り引き費用の軽減と共通の規範の拡大が、参加アクターの協力的な態度を引き出す要素 があることは事実であろう15。しかし、いくらレジームが参加国の協力的な認識を醸成する 効果があるとはいえ、それが第二段階、第三段階への信頼譲成措置の発展を可能にするか どうかは疑問である。それには少なくとも、中国が自らの軍事情報および軍事活動に対し て参加国に査察・検証を認めるような認識変化が必要となるが、そのような可能性は現在 のところ想定しにくいからである。
そ こ で 、 筆 者 は 第 二 の 方 法 論 を 想 起 す る 。 そ れ は 、「 暗 黙 の 制 度 化 」(Tacit Institutionalization)である16。暗黙の制度化とは、参加国のARFプロセス進展の意図と制 御方法から離れた、いわば自律的なメカニズムを用いて、レジームの整備を進めようとす る考え方のことである。第一の奉賀帳外交があくまで各国の自主性に委ねたアプローチで あるのに対して、この暗黙の制度化はいわばなし崩し的な制度化を目論むものである。
暗黙の制度化は、レジームの意思決定過程の中間段階におけるシステムを変化させなが ら、最終的な合意の内容に影響を与えていくという方法をとる。その基本概念は協力レベ ルの低い特定の参加国の認識の制御の範囲を超えたメカニズムで制度化の進展を目指すと いうものである。それは信頼譲成措置の制度化に関する認識論と制度論との相克なのであ る。
暗黙の制度化を推進する具体的な措置としては、例えば①トラックII レベルの会合をト ラックIに結び付ける、②政府間会合における議論、合意事項を次年度のARF会合におい て議題化する、等のメカニズムを挙げることができるであろう。例えば①についていえば、
CSCAPに代表されるようなトラックIIの協議機関がARFに対する具体的な措置およびプ
ロセス進展に対する提言を採択し、それをARFの本会合で報告、そして議題化するような システムをつくる。これにより、実質的にARF全参加国が含まれているトラックII協議の 合意事項が本会合で報告され、ARFの具体的な措置と制度化の進展に影響を与えることが できる可能性がある。また②では、政府間会合で検討された具体的なイシュー領域での合 意事項をARFの議題とすることを制度化し、実質的に具体的な措置へのアプローチを有効
に進める手段とする。このような方法による暗黙の制度化がARFにて推進される可能性も 残されている。
第三の可能性はアジア太平洋地域に信頼譲成措置そのものが必要なくなるような国際環 境が訪れることである。それは、安全保障共同体(security community)と呼ばれる秩序がア ジア太平洋地域に成立した場合である。安全保障共同体とは、共同体成員相互の大規模な 武力紛争を想定できない共同体をいう。典型的には、複数の国家間において戦争の可能性 がほぼ考えられない状態が確立した国家関係である。
理論的には1950年代にK・ドイッチュ(Karl Deutsch)にによって提示された概念であり、
「地域統合」「国際統合」の理論の構築の過程で、「不戦共同体(Non War Community)」の 必要性を提起したことにある。ドイッチェによれば、安全保障共同体は既に統合している 集団(国家関係)と考えられている。すなわち、「公式・非公式の制度・慣習が伴った共同 体意識、『長い』期間にわたって『無理のない』確実さでもって集団構成員どうしの平和的 変更を保障するのに十分な強固で広範な意識、に到達すること17」であるとされる。ドイッ チュは「統合」の概念を掲げつつ、統合の基本属性として国家の主権的存在を否定せず、
主権国家が併存する体系の中で成立する「多元的安全保障共同体(pluralistic security community)」にその意義を置くという特徴がある。
安全保障共同体は、武力行使の禁止の事実や違反に対する強制力の存在といった法的側 面(条約・協定)を必ずしも必要としない概念である。その意味では、軍事同盟を典型と する域外に対する集団防衛体制(collective defense system)や域内の武力を背景とした秩序 維持を目的とする集団的安全保障体制(collective security system)が自動的に安全保障共同 体を意味するわけではない。むしろ、複数国家の構成員が武力紛争の可能性を想定してい ないという文化・心理的な側面が必要十分条件なのである18。ドイッチェ自身も相互依存の 程度が高いことに加え、国家体制・歴史などの価値を共有していること(community of interest)を重要視している19。
このような安全保障共同体の概念を中軸に据えられるのが欧州統合のプロセスでありそ の結果として成立したEUであろう。また、スカンジナビア半島のNordic Council、ASEAN、
オーストラリアとニュージーランド、日本と米国などは安全保障共同体の典型的な例であ る。
しかし、アジア太平洋地域においてこのような安全保障共同体を構築するには、アジア 太平洋地域諸国の係争問題の解決を待たねばならない。また、そこには第二次大戦の戦勝 国と戦敗国との間で継続された心理的・政治的な隔たりもある。アジア太平洋地域におけ る安全保障共同体はこのような問題のそれぞれの論理的な解決の上にはじめて構築される ものである。それにはまだ長い時間が必要とされよう。