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現代金融システム改革論序説 : 公共性優先の金融システムへの転換をめざして

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(1)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 49巻―第

1号

(1998)

│ 1

]

現代金融システム改革論序説

一一公共性優先の金融システムヘの転換をめざして一―

経済学研究室 イまじ め に一―問題の所在一一

I

現代の金融 システム改革に欠落 している視点

1.バ

ブルの教訓 と金融システムのあり方 2。 現代の金融 システム改革に欠落 している3つ の視点

H

公共性 を優先する金融システムの構築にむけて

1.金

融機関の「効率性」 と「公共性」

2.「

効率性 と公共性の調和」論 とその問題点

3.金

融機関の「公共性」 と「自主性」 4。 金融 自由化 とバブル経済期の銀行行動 Ⅲ 金融労働者の役割 と現代金融機関の社会的責任

1.金

融機関の「自主性」 と社会的責任

2.金

融機関の自主性を生かす道

3.金

融機関における金融労働者の現状 と問題点 Ⅳ 現代の金融システム改革 と公的金融のあり方

1.公

的金融 と郵便貯金

2.現

代 における郵便貯金の社会的存在意義

3.21世

紀 日本の社会 ―と郵便貯金の役割

4.国

民不在の郵貯民営化論 お わ り に は じ め に一 ― 問題 の所 在― 一 橋本首相 は1996年11月

, 6大

改革の目玉の 1つ として金融システム改革

,い

わゆる日本版 ビッグ バ ン構想を打ち出した。そこでは

,Free(市

場原理が働 く自由な市場

)Far(透

明で信頼できる市 場)Global(国 際的で時代を先取 りする市場)の

3原

則 を金融システム改革のスローガンにし

,2001

年 までに東京 をニューヨークやロンドンに並ぶ金融市場 として再生する目標を掲げた。 こうして

,い

よいよ日本 においても今年 (1908年

)か

ら2001年にかけて

,大

胆で急激な金融 シス 田

(2)

藤田安一 :現代金融 システム改革論序説 テムの大改革 三日本版 ビッグバ ンが始 まろうとしている。 この ビッグバ ンは

,単

に銀行

,証

,保

険会社 な ど金融機関の規制緩和 を進 めるだけではない。外国為替や会計制度か ら税制

,商

,雇

用 慣行 まで

,お

よそ金融 システム全般 を

,国

際基準 (グローバル・ スタンダー ド

)に

合わせて徹底 的 に改革す ることを目的 としている。 予定 どお り

,こ

うした金融 システム改革が実施 されていけば

,株

式売買手数料や金融商品の設計 は自由になるばか りか

,銀

,証

,保

瞼会社 の相互参入 は促進 され

,銀

,証

,保

瞼 とい う業 態の枠 を越 えた再編が急速 に進 んでい く。 さらに

,持

株会社 の解禁や外資系企業の参入が

,こ

の再 編 を加速 させ

,体

力のない金融機関に洵汰 を迫 るのは確実であろう。 事実

,ビ

ッグバ ンの波 は

,早

くも私たちの眼前で金融機関の相つ ぐ破綻 とい う形で表れている。 1997年 11月の三洋証券の会社更生法適用申請 に始 まった金融破綻の波 は

,北

海道拓殖銀行 の北洋銀 行への営業譲渡

,山

一証券の自主廃業

,徳

陽 シティ銀行 の仙台銀行 な どへの営業譲渡へ と広がって い き

,ま

さに止 まるところを知 らない感がある。 この現在の極 めて深刻 な金融不安でさえ

,今

年か ら稼働す るビッグバ ンの影響 に 'ヒ ベれば

,単

な る序曲にす ぎない と言 えようか。 それほど大 きなインパ ク トを社会 に与 える金融 システム改革であ るにもかかわ らず

,こ

の金融 ビッグバ ンには基本的 に重大な問題点が指摘で きる。その問題点 は, 1980年代半 ばか ら本格化 したわが国の金融 自由化 によって

,現

在 まで

,さ

まざまな金融 システムの 改革が行われて きたが

,金

融 ビッグバ ンに至 る今 日まで持ち越 されて きた ものである。 本稿 の課題 は

,

この金融 ビッグバ ンに欠落 している視点 をとりあげ

,そ

の視点 をとりあげること の重要性 を指摘す ることによって

,今

後の金融 システム改革の望 ましいあ り方 を提示す ることにあ る。 したがって

,本

稿 の こうした課題上

,金

融 システム改革 をその諸点 にわたって詳細 に論 じるこ とは他 日に期 し

,本

稿では

,現

代 の金融 システム改革の基本的かつ根本的な視点 を論 じることにし たい。 これが

,本

稿 のテーマを「現代金融 システム改革論序説」 とした理 由である。

I

現 代 の金 融 シ ス テ ム 改 革 に欠 落 して い る視 点

1.バ

ブルの教訓 と金融システムのあ り方 では

,金

融 ビッグバ ンを合 めて

,現

代わが国の金融 システム改革 に欠落 している視点 とは何であ ろうか。 それを指摘す るにあたって

,こ

の第1章では

,ま

ず1980年後半か ら90年代 はじめにか けて のバ ブル経済期 に

,金

融 自由化 と金融機関の行動が

,ど

のようなインパ ク トをわが国の金融市場 に 与 えたかを明 らか にし

,つ

ぎに, この経験か ら, どのような教訓が引 き出され るかを論 じ

,最

後 に, 現代 の金融 システム改革 に欠落 している視点 を

3点

にわたって指摘 してお こう。 「民間金融機関 による自由な効率性 の追求 こそが

,資

金の適正な社会的配分 をもた らす」一一 こ の考 えが

,実

はフィクションにす ぎなかった ということを示す決定的な出来事 こそ

,1980年

代後半 か ら90年代初 めに発生 したバ ブル経済 にほかな らなかった。 そこでは

,金

融 自由化 によって金融機 関の自主性が一層拡大す る状況の下で

,も

っぱら効率性 を追求する民間金融機関の激 しい競争の結 果

,国

民経済 を収拾 のつかない混乱へ と導いていったのである。 そのため

,バ

ブル経済の崩壊 を契機 として

,い

っせいに金融機関による偽造預金証書 の発行やそ れ を担保 とす る不正融資な どの金融不祥事が

,次

々 と明 るみに出た。外見的には

,厳

格で規律性 に 富み

,精

密機械 のように誤 りを知 らない と思われていた銀行。常 に口を開けば,「公共性」の必要性 を訴 え続 けてきた銀行。 そのベールが はがれ

,つ

いに銀行の内幕が国民の前 に露呈 された感がある。

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第49巻 第

1号

(1998) 「銀行が聖域か らひ きず り出された」のである。バブル経済期 の銀行行動 ほど

,銀

行 の外見 と内 実

,言

葉 と実態 とのズレを鮮明に映 し出す ものはない。 こうしたバ ブル経済期の銀行行動が如実 に示 した ように

,資

金 の配分 を銀行 の効率性 にのみゆだ ねることは

,収

益性 の多寡 を基準 にした銀行 に とっての効率性 にほかな らず

,社

会的には資金の適 正配分 を攪乱す る要因 になった。 しか も

,こ

のような行為が

,し

いては銀行 自身 にも負の遺産 とし て重 くの しかか り

,現

在 に至 って も

,ま

だ巨額 な不良債権 の未消却問題 として資金の適正 な社会的 配分 を妨 げているのである。 以上

,バ

ブル経済が私たちに教 えた ことは

,一

国の金融 システムは

,金

融機関の効率性 よりも国 民生活の公共性 を

,ま

ず最優先 に考 えて運用 されなければな らず

,そ

うして初 めて

,金

融機関 自身 の効率性 も発揮で きるとい うことである。公共性が保証 されて初 めて,効率性が発揮で きるのであっ て

,そ

の逆ではない ことに注意 しなければな らない。 しか し

,今

,民

間金融機関は

,金

融 自由化の本格化 に伴 う金融機関の競争の激化 によって

,ま

す ます公共性 を発揮す る基盤 を弱 めるであろう。 それ を放置 して民間金融機関の 自主性 にまかせて おけば

,バ

ブル経済期 のように

,

リスクは大 きいが収益性 も高い分野への貸 し出 しを積極化 させ る 危険性 をはらんでいる。 この危険性 を回避 しようと

,

リスクを国民 に転嫁すれば

,今

日のような社会的金融危機 を招 き, 国民経済 を弱 めて しまう。国民経済の弱 まりは

,金

融機関 自身の効率性 をも低下 させ る。 まさに悪 循環である。

2.現

代の金融システム改革 に欠落 している3つの視点 この悪循環 を断ち切 る視点 を

,以

3点

にわたって述べ よう。同時 に

,こ

の視点 は

,現

代の金融 システム改革 において欠落 しているか

,あ

るいは極 めて弱い視点で もある。 第1に

,国

民生活 を守 り福祉 を増進す るための資金配分の適正化 こそが

,金

融機関の効率性 よ り も

,よ

り上位 の公共性 を体現 した理念 として社会的に認知 され ることである。 そして

,こ

の基準 に基づいて

,現

代 の金融 システムのなかで緩和 した方がよい規制 と

,そ

うでな い規制 とを峻別 し

,関

係業界 の利害調整 とい う観点か らではな く

,国

民が金融機関 に求めているも のは何か

,あ

るいは

,金

融機関が国民経済の安定的発展のために

,ど

の ような公共的役割 を果たす べ きか とい う観点か ら

,社

会的 に必要 とされ る規制 を行 うことである。 この点 を無視 して

,民

営化や金融 自由化 とい う名 の もとで

,こ

れ まで公共性 を保証 して きた金融 システムを廃止 した り

,規

制 を一律 に緩和 した りすれば

,金

融機関の内外でその歯止めを失って, バ ブル経済の再現 とな りかねない。民営化や金融 自由化 による競争原理の章入は

,金

融機関に対 し て利益 の追求 を認 めて も

,決

して

,社

会 に不利益 をもた らす自由は認 めていない ことを忘れてはな るまい。 第2に

,金

融機関で働 く労働者が

,自

らの労働条件の改善 を通 じて自己の金融機関の経営に参画 し

,金

融機関の反社会的行為 を内部か らチェックで きるような体制 をつ くることが必要である。 この点では

,現

在 の金融 システム改革の論議 において

,金

融機関 に対す る外か らの検査・ 監督機 能 の改善 を強調す るあまり

,内

か ら

,特

に金融労働者 による金融機関へのチェック機能の必要性 に ついては

,全

くといって よいほ ど言及 されていないだけに

,注

意 を要す るといえよう。 第3に

,民

間金融機関の もう一方の極 にある公的金融機関 を

,金

融 システム安定化のための重要 なファクター として活用す ることである。

(4)

藤田安一 :現代金融 システム改革論序説 これに関 して

,現

在の公的金融 とりわけ郵便貯金の民営化 を進 めようとす る議論 には

,国

民生活 を守 り福祉 を増進 させ るための資金配分の適正化 とい う理念があるとは思 えない。 この理念 に適合 し得 るシステム として

,郵

便貯金 をもっ と評価 して もよいので はなか ろうか。 以上の3つの視点が

,現

代 の金融 システム改革 において もつ意義 とその重要性 について

,以

下の

2章 , 3章 , 4章

でそれぞれ論ず ることにしよう。

H

公 共 性 を優 先 す る金 融 シ ス テ ム の構 築 に む け て

1.金

融機関の「効率性」 と「公共性」 かつて笠信太郎が

,彼

の著書 『花見酒の経済』 において

,日

本人 のクセ として次の ような興味深 い指摘 をした ことが ある。 「 日本では『言葉』がで き上が ると

,そ

れで安心 もし

,事

は大体説明 された と思い込 んで しまう 傾向があるらしい。……・便利 な言葉 を発見 し

,そ

れ を慣用 し出す と

,そ

れ以上 の原因や理 由を探求 しようとは考 えないで

,そ

れだ けで考 えがス トップして しまう。 こうい うクセがある。……言葉が, それか ら先へ進むべ き議論の一切 を吸収 して しまう。 そして

,ひ

とは

,安

心す るか

:長

嘆す るか, それだけである。」(り こうした傾向が

,果

た して 日本人 に固有 な ものか どうかは詮索 しないでお くとして も

,確

かに私 たちは

,便

利 な言葉であればあるほ ど

,常

用 されだす と

,い

つの まにかその言葉で安心 して しまっ て

,本

質的 に重要な ことを

,そ

れ以上 に探求 しな くなる傾向があると言 えそ うである。だが

,そ

の うち次々 と現実だ けが進 んでいって

,つ

いに無視 しえないほ ど深刻 な問題が生 じて くる と

,や

っ と その言葉の意味 を

,現

実が生起 した問題 に照 らして検討することが必要であると気づ くようになる。 本稿で とりあイデる「効率性」 とい う言葉 も

,こ

の種 の ものではあるまいか。 金融 システムの「効率性」や金融機関の「効率性」 として

,特

に現在 なじみのある用語であるが, 非常 に響 きの良い言葉であ り

,も

うこれ以上

,文

旬 のつ けようがないかのように思 える。だが

,金

融機関がその効率性 を追求 した結果

,招

いたバ ブル経済 とその崩壊後の金融 システムの混乱 をみる と

,一

体,「効率性」とは何 なのか と考 えざるをえない。今 まで

,効

率性 とい う言葉 によって

,現

実 の重大 な金融問題 の所在が隠 されてきたのではないか

,

とさえ思 える。 それ を

,効

率性 と公共性の「調和」 とい う言葉 によって修正 して も同 じである。バ ブル経済期の 金融機関の行動 にみ られた ように,「調和」どころか

,も

っぱら公共性 を無視 して効率性 の追求 に終 始 した感がある。 その結果

,引

き起 こされた金融不安 の真 っただ中に

,い

ま私たちは生活 している のである。 この金融危機か らいかにして脱却 し

,安

定 した金融 システム を

,

どのようにした ら創 る ことがで きるのであろうか。 本章 の課題 は

,こ

のような問題意識 の もと

,

これ までの金融機関の「効率性」論や「効率性 と公 共性 の調和」論 を再検討す ることによって

,現

代 における金融機関のあ り方 を考察す ることにある。 まず

,本

題 に入 る前 に

,効

率性 と公共性 の概念 について

,こ

こで簡単 に整理 してお こう。 経済学で効率 とい う場合

,次

の2つの意味 を含 んでい る。技術的効率 と社会的効率が

,そ

れであ る。前者の技術的効率 とは

,同

一の商品をで きるだけ低 い生産費で作 ることを可能 とするような技 術上の効率 を意味す る。 それに対 して

,後

者 の社会的効率 は

,資

源や資金が経済の各部門・ 分野 に 適切 に配分 され るとい う配分上の効率 を意味す る。 したがって

,効

率性 とい う概念 を

,上

記の どち らの意味で使用す るかによって議論が変わって く

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 49巻 第

1号

(1998) る。い ま仮 に

,本

稿で使用す る効率 とい う用語 を

,後

者の社会的効率 とい う意味で用いれば

,公

共 性 とほぼ同 じ意味 にな り

,概

念上の区別がつかな くなって しまう。 そこで

,従

来の「効率性」論 は, 効率 とい う言葉の もつ こうした側面 を利用 して

,あ

たか も金融機関が効率性 を追求すれば

,自

然 に 公共性 を実現す るかの ような論理 を展開 した。 そうした考 え方への批半」が

,本

稿 の基調 をなしてい る。 他方

,金

融機関の公共性 とい う概念 も

,従

来か ら2つの意味 をもつ とみなされてきた。第1は, 預金者 の保護や信用秩序の維持 を図 るとい う静態的に とらえられた公共性であ り

,第

2に

,資

金配 分面等の適切 な発揮 をはか るとい う

,い

わば動態的

,積

極的にとらえられた公共性である。 この2つの意味の公共性 は

,社

会 の発展 に照応 してお り

,従

来の

,預

金者保護 と信用秩序の維持 を中心 としていた金融機関の公共性の内容 に加 えて

,現

在では

,資

金配分の適性 。円滑化 と公正取 引の確保 とい う機会均等 に関連 した新 しい公共性が

,そ

の内容 として要求 され るようになって きて いる。 しか し後 に述べ るように

,銀

行側 は

,こ

の後者の公共性 を認 めることは銀行の自主性 を損 な うものだ と言 って強 く反対 しつづけている。その ことが

,銀

行の公共性 を弱めていると同時に

,銀

行が反社会的 。反国民的行動 をとる重要な原因 となっている。

2.「

効率性 と公共性の調和」論 とその問題点 ところで

,現

代金融機関のあ り方 を検討す る上で

,非

常 に注 目すべ き答 申は

,1979年

金融制度調 査会の「普通銀行 のあ り方 と銀行制度の改正 について」である。 この答 申が重要な意味 をもつ理 由 は

,言

うまで もな く

,1927(昭

2)年

の制定以来

,実

に50年ぶ りに銀行法の抜本的改正 を指示 し た ことにあった。だが

,こ

の こと以外 に

,本

稿 の課題である金融機関の効率性 と公共性 の関連 につ いて

,一

つの見識 を示 した ことにある。 それが

,現

代 における金融機関のあ り方 を考 えるのに

,重

要な手がか りを与 えて くれ る。 とい うのは

,次

の理由か らである。 従来

,金

融 の効率性 とい うと

,ど

ち らか といえば金融機関 自体 の効率性 に重点が置かれ

,金

融機 関の効率性 を追求す る過程 において

,自

動的にその公共性 も保証 され るとい う考 え方 に基づいてい た。 しか し

,こ

の答 申で は

,い

かにして金融機関の機能 を効率的に発揮 してい くか とい う問題 を, 社会が金融機関に求 める公共性 とはなにか

,

とい う国民経済的観点か ら見てい くことの重要性 を強 調 している。 これが

,新

金融効率化行政の理念的特徴である。 この新金融効率化行政のね らいは

,確

かに

,高

度経済成長期か ら低成長段階への移行 にともな う 金融構造 の変化 によって

,金

融機関の経営環境が極 めて厳 しくなってきた こと

,お

よび経済の国際 化 に ともなって金融の国際化 も進展 して きた ことへの対応 として

,金

融の効率化 をいっそう推進す ることであつた。 このため

,従

来 と同様 に

,競

争原理 と金利機能の活用 をすすめてい く必要性が強 調 された。 しか し同時 に

,新

金融効率化行政 においては

,従

来の効率性一辺倒 にたいす る反省か ら

,競

争原 理の活用 による自由化の推進 にあたって

,

リスクの増大や中小企業金融専門機関の経営 などに種々 の弊害 を伴 うため

,効

率性 と公共性 とを「調和」 させ るように十分な配慮 をしなければな らない と い う考 えが

,今

後 の金融機関のあ り方 として提起 されたのである。 ここに

,新

金融効率化行政 の認 識 における積極的意義 を認 めることがで きよう。 しか し現実 には

,そ

れ以降

,バ

ブル経済期の銀行行動 に典型的にみ られた ように

,金

融機関の行 動が

,効

率性 と公共性 の調和 という視点 を著 し く後退 させ

,競

争原理の強調 による効率性の追求 に 一面化 されていった。なぜ

,こ

のような結果 に終わつて しまったのか。その原因 を

,新

金融効率化

(6)

藤田安一 :現代金融システム改革論序説 行政の理念上の弱点 と

,1981年

改正の新銀行法 をめ ぐる公共性論議の中にさ ぐってみ よう。 まず

,前

者の新金融効率化行政の最大の問題点 は

,公

共性 の発揮 をあ くまで も金融機関の自主性 に委ねた点である。事実

,1979年

の金融制度調査会答 申では

,せ

っか く個々の金融機関 による競争 原理の弊害 と限界 を指摘 してお きなが ら

,依

然 として個々の金融機関の自主性 に信頼 を置 くという 論理展開になっている。 思いか えせ ば

,1970年

代 において

,金

融機関の社会的責任 を国民が きび しく追求 した理由は

,金

融機関の自主性 に委ねておいては

,適

切 な資金配分

,具

体的には社会的に不正な融資 の規制や歩積 み 。両建預金 な どをな くして

,個

人 。中小企業 な どを含 むすべての借 り手 にたいす る借入の機会均 等 を実現す るような

,公

共性 を体現 した金融 システムにはな らないか らである。それにもかかわ ら ず

,こ

れ らの点 を依然 として金融機関の自主性 に委ねるかぎ り

,国

民が望 んだ公共性 な ど実現 され るはずのないのは

,当

然の ことであった。 こうした新金融効率化行政にみ られるような

,公

共性 を強調 しなが らも

,実

際 には公共性の重要 性 を著 しく弱めてい く動 きを決定的に押 し進 めたのが

,つ

ぎにみる銀行法改正 をめ ぐる論議である。 したが って

,こ

の ことを明 らかにす るために

,1981年

銀行法改正 をめ ぐる金融機関の効率性 と公共 性 の考察へ と移 ろう。

3.金

融機関の「公共性」 と「自主性」 1970年代初頭の地価 の高騰や第

1次

石油 シ ョックの発生な どを背景 として

,大

企業

,特

に商社の 行動 と

,そ

れに密着 した銀行の融資態度が国民の批判 を浴びた。 これに対 して

,選

別融資規制

,大

口融資規制等の指導が行 なわれたが,銀行批判 はなお も続 き,やがて銀行法改正の要求へ とつながっ ていった。 こうして

,1974年

12月 20日に

,三

木首相が衆議院予算委員会 にて銀行法改正の検討 を約束す るが, その前後か ら

,1981年

の新銀行法制定 に至 るまで

,つ

ぎつぎと各政党か ら銀行法の改正要綱が公表 され

,マ

スコ ミも種々の議論 を展開 した。なかで も

,ひ

ときわ注 目を引いたのは

,当

事者である全 国銀行協会連合会 (以下

,全

銀協 と略記

)の

主張であった。全銀協 は金融制度調査会 における審議 をにらみなが ら

,1979年

3月22日 ,「銀行法改正 に関す る全銀協の意見」を金融制度調査会 に提 出し た。つづいて

,1979年

6月20日

,金

融制度調査会の答 申「普通銀行のあ り方 と銀行制度 の改正 につ いて」が公表 され る。 この答申で は,「銀行法 の改正 を速やか に実現す るための努力が払われ るこ とを希望す る」 と述べて

,金

融制度調査会小委員会 の名で

,20項

目にお よぶ「銀行法改正の具体的 内容 に関す る小委員会の意見」が同時 にまとめ られ提 出された。 これ を受 け

,法

案作成作業が大蔵 省銀行局 を中心 にすすめ られていったのである。 以下では

,1979年

の この銀行法改正 に関す る小委員会 の意見が

,先

の全銀協 の意見 によって

,ど

の点が どの ように修正 されて1981年改正の新銀行法 に結実 してい くのか を

,金

融機関の効率性 と公 共性 に関す る論議 を中心 に検討 しよう。 1981年改正の新銀行法 には

,戦

後の法律 の通例 にしたがって

,旧

銀行法 にはなかった 目的規定が 冒頭 に置かれた。 その第

1条

1項

,明

確 な形で銀行業務 の公共性 をうたい

,そ

の健全かつ適切 な運用 を図 ることによって

,国

民経済 の発展 に貢献す ることを銀行法の目的 として掲 げた。 この規 定 は

,金

融制度調査会小委員会の銀行法改正 に関す る意見が要望 した 目的規定 と同 じである。 しか し

,こ

の同 じ目的規定の第

1条

1項

につづいて第

2項

として

,運

用 にあたっては

,銀

行の 自主性 を尊重す るとい う規定が挿入 された。だが この規定 は

,目

的規定 として

,金

融制度調査会小

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 49巻 第

1号

(1998) 委員会の意見 には

,全

くなかった ものである。 それにもかかわ らず

,何

故 こうした規定が入れ られ たのか。調べてい くと

,こ

れ は全銀協の意見が色濃 く反映 した結果であることがわか る。金融制度 調査会 に提出 した全銀協 の意見 は

,銀

行法改正 の基本的な考 え方 を

,つ

ぎの ように述べていた。 「経済社会の運営 にあたって

,そ

の基本 となるべ きものは

,各

経済主体 にお ける『自己責任の原 則』である。企業が各々その自主性 を保持 し

,市

場原理の下 に活力 を発揮 してい くことは

,国

民経 済の発展 に とって不可欠の前提である。 もとより国による監督 。規制が必要 とな ることも否定で き ないが

,そ

の場合 も企業の自主的な活動力 を損なうことのない よう

,最

小限に とどめられ るべ きで ある。」(0 こうして

,新

銀行法 に全銀協 の意見が採 り入れ られたが

,文

字 どお り法律 の目的 を定 める条頂 に, あえて法律 の運用上 の基準 を設 けるということの不 自然 さは国会 の審議 において も問題 となったk3j。 しか し

,こ

れは単 に法律作成上 の技術的問題だ けではない。金融機関の公共性が

,効

率性 を重視す る各金融機関の自主的運営 によって損 なわれ るとい う

,金

融 システム全体 のあ り方 にかかわる重大 問題であった。したが って

,目

的規定 に性格 を異 にす るこの

2種

類 の条項が同居す ることによって, 第

1条

における金融機関の公共性 の理念が弱 め られ るのではないか とい う疑念 に対 し

,わ

ざわざ国 会で政府委員が,「この

1条 2項

の規定が置かれた ことによりまして

,1条

の公共性 を弱 めることに なるとい うもので はあ りませ ん」 “ )と答弁せ ざるをえなかったのである。 さらに

,目

的規定 に関 して

,金

融機関の自主性 を尊重す るように要望 した全銀協 の意見 に

,見

落 とす ことので きない論点が ある。 それは

,従

来の預金者保護や信用秩序の維持 とい う金融機関の公 共性の内容 に加 えて

,現

在では適切 な資金配分 を行 なうという公共性 の現代的意義 にかかわる点で ある。全銀協 は

,こ

の後者 の現代的公共性 は金融機関の自主性 を損 な うものだ として

,目

的規定 に 盛 り込 まない ように要望 した。 しか し

,資

金配分の適正化 とい うことは

,銀

行 の不当な融資 を排 し

,大

企業や大 日預金者 と同様, 中小企業や小 日預金者 にも不不Uにな らないように借入の機会均等 をはか る上で

,非

常 に重要な公共 性の現代的内容 となっている。 ところが, これ を無視 して

,銀

行 の自主性 にまかせ ることは

,よ

り 高い金利で運用 しうるところへ

,よ

り多 くの資金が流れ

,短

期的 には収益性が小 さいが公害対策や 福祉な ど

,社

会的 に有用 と考 えられ る分野への資金の供給が妨 げ られて しまう可能性 を高 めること になる。 ましてや

,現

在の金融 自由化のなかで

,銀

行間競争の激化 と資金調達 コス トの上昇 を口実 に

,金

利 も高 いが リスクも大 きい分野への貸 出 しを積極的に行 なったバ ブル経済期 の銀行行動 をみ ると

,

とうてい銀行 の自主性 に頼 ることは許 されないであろう。 つぎに

,デ

ィスクロージャー (企業 内容 の開示

)の

問題点 に移 ろう。 ディスクロージャー を「銀行 に対す る社会的要請 と銀行の私企業性の調和 を図 ってい く」ための 積極的な手段 として重視 したの も

,金

融制度調査会の1979年答 申「普通銀行 のあ り方 と銀行制度 の 改正 について」であつた。 この答 申では

,日

本のディスクロージャーがアメ リカな どの主要国 と比 較 して遅れてお り

,特

に「最近社会的に関心 を集 めている銀行の資金運用状況

,社

会的責任 に関す る事項等の開示 については

,全

般的に不十分である」。)として

,デ

ィスクロージャーの一層の拡充や 活用 を提起 した。 さらに答 申では

,銀

行 のディスクロージャーの重点 は資金運用状況 に置 くようにすること

,並

び に

,銀

行法の改正の時 には

,こ

の資金運用 に関す るディスクロージャーについて

,法

律上の位置づ けを明確 にす るように要望 した。銀行 の効率性 と公共性 を調和 させ る手段 として

,国

民 に とって関 心のあ る資金運用状況 を

,法

律的規定 を伴 って銀行 に開示 させ ようとした ことは

,注

目すべ き提起

(8)

藤田安一 :現代金融 システム改革論序説 であった。 しか し

,全

銀協 は「銀行法改正 に関す る全銀協の意見」 において

,資

金運用状況 につい てのデ ィスクロージャー を

,法

律 によって義務づ けることに反対 し

,あ

くまで も各銀行 の自主的判 断にまかせ るよう金融制度調査会 に要望 した。 この結果

,デ

ィスクロージャーは新銀行法の第21条に盛 り込 まれた ものの,「信用秩序 を損な うお それのある事項」や「銀行 の業務 の遂行上不当な不利益 を与 えるおそれのある事項」な どは開示の 必要性がない とされ

,事

実上

,記

載 内容 は銀行 の自主的判断にまか され ることになった。 この条項 によって

,社

会的に必要 とす る情報や国民が知 りたい情報 な どは,「信用秩序 を損 なう」 あるいは「業務上不利益である」 と銀行が半J断すれば

,デ

ィスクロージャーの対象か らはず して も よい と法的 に公認 され ることになった。 こうして

,当

初 のデイスクロージャーの積極的意義が失わ れ

,ま

た して も自主性 とい う名 によって

,銀

行 の公共性 を確保す る手段が形骸化 されたのである。

4.金

融 自由化 とバプル経済期の銀行行動 以上

,1970年

代半 ばか ら1980年代初頭 にかけて

,新

金融効率化行政か ら新銀行法制定 に至 る

,金

融機関の効率性 と公共性 をめ ぐる論議 の特徴 とその問題点 を考察 した。 そ こでみた ことは

,1970年

代初頭 の銀行批判 と金融機関の社会的責任への国民の厳 しい追求 を反 映 して

,金

融機関の効率性 と公共性 の調和が強調 されなが ら

,結

,銀

行側 の強い要望 によって, 銀行 の自主性 にもとづ く効率性 の重視 に傾斜 してい く姿であった。 とりわ け

,1970年

代 に始 まった金融 自由化の動 きは

,わ

が国の場合

,80年

代 に急速 に進展 し

,従

来の 日本 の金融 システムに大 きな影響 を及 ば した。 その動 きに合わせ るかの ように

,各

金融機関 は 金融 自由化 による生 き残 りをか けて

,厳

しい環境 に耐 えるための経営体質の改善 をめざ し

,効

率性 とい う名で

,あ

か らさまな収益至上主義 に傾 いていつた。例 えば

,当

時住友銀行 の頭取であつた小 松康氏 は

,1985年

夏 に開かれた金融財政事情研究会主催 の「 トップ。セ ミナー」で

,次

のように語 つ ていたのである。 「そ こで

,今

後 の銀行経営 はいかにあるべ きか。私が常々考 えてい るところをお話 したい。 まず, 基本的な経営姿勢 として重視すべ きであると思 うのは

,次

2点

である。第1は

,収

益重視 を行内 のすみずみまで徹底することである。加速的な環境変化 に直面 して

,何

をす るにも最終的に頼 れる のは自らの知恵 と体力だ けであると思 う。その知恵 と体力 を

,最

も効率的かつ最大限に導 き出すた めには

,た

め らうことな く収益拡大 を最優先の経営 目標 として掲 げることが肝要であろう。……第 2は

,明

確 な経営戦略 を策定 し

,経

営者 と従業員

,本

店 と支店が一体 となって経営

,業

務 に邁進 し うる体制 を整備す ることである。」K61(傍点 は引用者) こうした銀行や証券会社 による収益至上主義的な経営戦略の必然的帰結 として

,1990年

代初頭, いっせいに金融・証券不祥事が明 るみに出た。いわゆる

,偽

造預金証書の発行やそれ を担保 とす る 不正融資 な どの不祥事が

,同

時多発的に起 こったのである。 まずその発端 は

,1991年

6月 の大手証券会社 による巨額 の損失補填の発覚であった。つづいて, 日本興業銀行が関連 ノン・ バ ンクな どとともに

,暴

力団 とのつなが りが指摘 されていた料亭の女将 に

,東

洋信金の架空預金証書等 を担保 に5000億 円に ものばる資金融資 を行 なっていた。 また

,富

士 銀行や東海銀行

,協

和埼玉銀行では

,架

空預金証書 を偽造 しノン・ バ ンクか ら巨額 の資金が引 き出 され不正融資が行 なわれていた。 さ らに

,住

友銀行が社長以下多数の役員 を送 り込み

,巨

額 の融資 を行 なっていた中堅商社 イ トマ ンが

,ゴ

ル フ場や絵画取引に2500億 円の資金 をつぎこみ

,そ

のほと ん どが闇に消 えた事件 な ど

,お

よそ表面化 した事件だけで も

,銀

行 の反社会的・ 反公共的行為の多

(9)

庁 鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第49巻 第

1号

(1998) 様性 とその規模 の大 きさに驚か され る。 しか も

,そ

うそうた る都市銀行が

,こ

の種の事件 に名 を連 ねた。 以上の事件簿 は

,現

代 の金融機関が「効率性」 と「公共性

Jと

の統一 に失敗 したファイルの数々 である。 こうしたバ ブル経済期 の銀行行動が如実 に示 した ように

,資

金の配分 を銀行 の効率性 にのみ委ね ることは

,収

益性 の多寡 を基準 にした民間資本 に とっての効率性 に外 な らず

,社

会的には資金 の適 正配分 を攪乱す る要因になる

,

とい うことであった。 しか も

,こ

のバ ブルの過程で国民が見た もの は

,小

日投資家 を犠牲 にした大 口投資家への損失補填や

,暴

力団 と癒着 した株 の仕手戦での株価 つ り上 げのための銀行融資 とい う

,利

益相反の典型例であった。 このような行為が

,し

いては銀行 自 身 にも負の遺産 として重 くの しかか り

,現

在 に至 って も

,ま

だ巨額 な不良債権 の未償却問題 となっ て

,資

金の適正 な社会的配分 を防げているのである。 以上

,本

章では

,新

金融効率化行政か ら金融 自由化・ バブル経済お よびその破綻へ と

,金

融機関 の効率性 と公共性 をめ ぐる論点 と現実 を整理 しなが ら

,現

代 における金融機関のあ り方 を模索 して きた。 その結果

,到

達 した結論 は

,効

率性優先の議論 は言 うまで もな く

,効

率性 と公共性の調和論 でさえ

,こ

れ を超 えて公共性 を最優先 にした金融機関のあ り方 こそ

,国

民経済 とそれ を担 う金融 シ ステムの健全 な発展 に とって必要であ り

,し

いては

,そ

れが金融機関 自身の効率性 をも保証す ると い うことである。 江 (1)笠 信太郎『花見酒の経済』朝 日新聞社,1976年,54∼55ページ。 (2)全国銀行協会連合会「銀行法改正に関する全銀協の意見J『金融』1979年8月 号,31ページ。 (3)銀行法の改正に関する国会論戦については

,全

国銀行協会連合会F銀行法改正に関する国会論議集』(1981年)を 参照。 は)1981年 5月 6日

,衆

議院大蔵委員会における前田政府委員の答弁より。 (5)金融制度調査会「普通銀行のあ り方 と銀行制度の改正 についてJ『金融』1979年 7月号,60ページ。

(0

『金融財政事情』1985年 8月19日号。 Ⅲ 金 融 労 働 者 の役 割 と現 代 金 融 機 関 の社 会 的 責 任

1

金融機関の「自主性」 と社会的責任 前章では

,1970年

代半ばか ら1980年代初頭 にかけて

,新

金融効率化行政か ら新銀行法制定 に至 る, 金融機関の効率性 と公共性 をめ ぐる論議の特徴 とその問題点 を考察 した。 そ こで

,私

が主張 したかった ことは

,金

融 自由化や規制緩和 とい うスローガ ンによって

,日

本 の 金融 システムの運用 を容易 に民間金融機関の自由性 に委ね ることへの危険性であ り

,こ

れ まで国民 生活 を金融機関の反社会的行為か ら守 ってきた規制 まで もが

,金

融 自由化 とい う名の下で

,大

幅 な 緩和 の対象 にす ることへの警告である。そして

,果

た して この ことが

,金

融機関の社会的責任 を強 化す ることにつなが るものなのか, との疑間である。 確かに

,金

融機関 は

,口

を開けば常 に金融機関 としての公共性の重要性 を述べて きた。 しか し, 金融機関の公共性 は

,効

率性 を追求す ることによって必然的に達成 され るので はな く

,あ

くまで も

(10)

藤田安一 :現代金融 システム改革論序説 公共性 を基盤 にして効率性が追求 されなければな らない

,

とい う考 え方 に基づいて

,金

融機関の行 動が行われていたな らば

,バ

ブル経済期 にみ られ るような

,金

融機関が国民経済 に多大 な損失 をも た らし国民的批半Jにさらされなが ら

,金

融機関の社会的責任 を追及 され るような ことはなかったで あろう。 また

,不

良債権問題 にみ られ るように

,自

らの経営基盤 を弱体化 させ

,著

し く社 会的信用 不安 を惹起す るとい う状態 は起 こらなかったであろう。金融機関の社会的責任問題 については

,こ

れほ ど言葉 と事実

,意

識 と実態 とのズレを鮮明に映 し出す ものはない。 では

,ど

のようにすれば金融機関 はその社会的責任 を果たす ことがで きるのであろうか。現在, その答 えの種々な技術的手段 は ともか く

,そ

の考 え方の基本 は

,す

でに1979年の金融制度調査会の 答 申お よび1981年改正 の新銀行法 によって提起 された といえる。すなわち

,金

融 自由化・規制緩和 に基づいて

,あ

くまで銀行の自主性 に委ね ようとす るところに特徴がある。た とえば

,1979年

の金 融制度調査会答 申「普通銀行のあ り方 と銀行制度 の改正 について」では

,つ

ぎのように述べている。 「国民経済全体 の見地か らみた効率的かつ公正 な資金配分の実現 を図ってい くためには

,将

来 に 関す る不確実性の要素

,外

部不経済効果等の存在 もあ り

,市

場 メカニズムを通 じる競争原理の活用 のみによっては現実 には十分でない ことに留意 し

,銀

行が

,長

期的観点 に立 ち社会 のエーズ を的確 に把握 し

,自

己努力 によ り自主的に経済社会の要請 に対応 してい くことが必要である。 そのためには

,銀

行 の融資面の態勢 を整備 してい く必要があるとともに

,銀

行 によるニーズの把 握及び自己努力 を促進 し

,銀

行 に対 する社会的要請 と銀行の私企業性 との調和 を図ってい く自己規 正策 として

,資

金運用 を中心 とした銀行のデ ィスクロージャー を拡充 し

,活

用 してい くことが有効 であると考 える。」(D(傍点 は引用者) 以上

,わ

ずか数行 の引用文の中で

,自

主性

,自

己努力

,自

己規正 とい う類似語が散在 しているこ とか らわか るように

,せ

っか く答 申で個々の金融機関 による競争原理の弊害 と限界 を指摘 しておき なが ら

,依

然 として個々の金融機関の自主性 に信頼 を置 くとい う論理展開になってい る。 さらに

,1981年

6月 に改正 された銀行法 には

,銀

行サイ ドの強い要望 により

,そ

の第1条第2頂 において,「この法律の運用 に当たっては

,銀

行 の業務 の運営 についての自主的な努力 を尊重す る配 慮 をしなければな らない」(傍点 は引用者)と規定 し

,銀

行の自主性 を尊重す る内容 となった。 あ く まで

,現

在 の金融 システム改革 は

,こ

うした考 え方の延長線上 にある。 しか し最大の疑間は

,金

融機関の社会的責任 とい う公共的性格 をもつ問題が

,金

融機関の自主性 とい う心の問題 に置 き換 えられて よい ものなのか

,そ

れによって社会的責任 を果たす ことが客観的 に保証 され うるのか

,

という点である。 ここに

,現

代金融機関の社会的責任 をめ ぐる根本問題があ る。 だが

,こ

の疑間 に対す る答 えは

,以

下 にみるように

,す

でに歴史的に決着ずみであると言 ってよ セゝ。 1973年 の第

1次

オイル・シ ョックの直後,「狂乱物価」 とい う言葉 を生んだ ように

,諸

物価の著 し い高騰がお こった。 その原因 として

,物

価 の上昇 を見込んだ商社 による物資の買い占めや売 り惜 し みが指摘 され

,当

,国

民の不満 と怒 りは商社 に向けられていた。 しか し

,や

がてその商社 に投機 的資金 を与 えていた銀行 の批判へ と発展 し

,企

業 の社会的責任 とともに

,金

融機関の社会的責任が 問題 とされ るようになった。 こうして金融機関の社会的責任 を国民が きびしく追求 した理由は

,金

融機関の自主性 に委ねてお いては

,適

切 な資金配分

,具

体的 には社会的 に不当な融資の規制や歩積 み 。両建預金 な どをな くし て

,個

人 。中小企業な どを含 むすべての借 り手 にたいす る借入の機会均等 を実現す るような

,公

(11)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 49巻 第

1号 (1998) 11

性 を体現 した金融 システムにはな らないか らである。 さらに

,1980年

代後半か らのバブル経済期 に おける銀行行動が示 した ように

,金

融 自由化 によって銀行 の自主性が拡大 した結果

,公

共性 を犠牲 にして

,も

っぱら収益性優先 に傾斜 し

,企

業犯罪 をぶ くめた反社会的行動 に走 った事実 を想起すべ きである。 それ にもかかわ らず

,こ

れ ら金融機関の責任 を不間 にした まま

,依

然 として金融機関の 自主性 に委ねるか ぎ り

,国

民が望んだ公共性 な ど実現 され るはずのないのは当然 の ことで あろう。

2,金

融機関の 自由性 を生かす道 しか し

,だ

か らと言 って

,私

は民間金融機関の自主性 を全面的に否定 しているわ けではない。現 状の ままでは

,1970年

代 のオイル・ ショック期お よび1980年代後半のバ ブル経済期 における民間金 融機関の行動 をみれば

,金

融機関の自主性 は とうてい信頼で きない と述べた までの ことである。で は

,金

融機関にその自主性 を期待 しようとすれば

,何

が必要なのか。結論 を先取 りすれば

,金

融機 関の内部 において自己の金融機関の行動 をチ ェックす るシステムがつ くられていなければな らない。 この金融機関内部 の自己チェック機能がいかに重要であるか

,そ

のためには どの ような視点が必 要であるか を

,つ

ぎに述べてお こう。 従来

,わ

が国における金融機関への公的介入の特徴 は

,参

入規制 。店舗規制 な どの競争制 限的規 常1や人為的金利政策 を中核 としてお り

,既

存 の金融機関 を保護 し収益 を保証す ることで

,事

前的 に 経営破綻 をさけようとす る

,い

わゆる「護送船団方式」 と呼ばれ るものであった。 この護送船団方 式の もとで

,戦

後 の 日本 では,「銀行倒産 はない」,「銀行 はつぶ さない」 とい う表現で,「銀行不倒 神話」が成立 して きた。 もっ とも

,そ

の ことは戦後 の 日本で

,経

営破綻 に至 った金融機関が全 くなかった とい うわけで は ない。経営破綻 をきた した金融機関に対 して

,大

蔵省や 日銀な どの行政当局が

,そ

の金融機関の経 営 に直接介入 し

,行

政 当局 としての影響力 を背景 にして

,他

の経営体力 の強い金融機関への支援要 請や救済合併 な どの斡旋 を行い

,社

会的な問題 に発展 しない うちに処理 して きた までの ことである。 しか し

,1980年

代以降の金融 自由化の進展 と

,90年

代 における数々の金融不祥事 の発生 は

,こ

う した従来の護送船団方式 とい う金融行政の欠陥 をクローズア ップ した。 そこでは

,個

々の金融規制 の妥当性が検討の対象 になったわけではなぃ。そ もそ も

,規

制 を全廃 すべ きとい う議論 は論外であるとして も

,総

体 として

,事

前的・ 競争抑制的な規制か ら事後的・ 競 争促進的な規制へ と

,金

融規制 の性格その ものの変更 を迫 るものであった。 そして現在

,金

融機関の相次 ぐ破綻 と,「住専問題」とこみ られ る金融行政への国民的批判 とを背景 に

,金

融 システム安定化のための政策が さまざまな角度か ら提起 され

,護

送船団方式 に代 わる望 ま しい「ポス ト護送船団方式」のあ り方が論 じられている。なか には

,戦

後わが国 にお ける金融行政 の内幕 を暴露 した ものや

,銀

行マ ンによる職場 の実態 を告発 した興味本位 の もの も少な くないが, その大半 は

,真

剣 に今後 日本の金融機関のあ り方 を論 じた ものであることは言 うまで もない。 しか し

,一

,多

彩 な政策提起ではあるが

,こ

れ らの議論 には重要な論点が欠 けてい るように思 えてな らない。 それ は

,こ

うした議論 の圧倒的部分が

,金

融機関への検査 。監督 の強化や金融機関 によるディスクロージャーの拡充

,金

融機関が加盟 してい る預金保険制度の充実な ど

,金

融機関の 外的活動 に関連 した ものが大半で

,金

融機関の内的状況 に注 目して

,そ

こで働 く金融労働者の現状 とその改善の必要性 を

,今

後 の金融 システムのあ り方 との関連で論 じた ものは非常 に少ない ことに 気づ く。 金融 システムの改革 を問題 にす る限 り

,な

によ りも

,そ

こで働 く金融労働者 の状況 を視野 に入れ

(12)

藤田安一 :現代金融 システム改革論序説 なければな らないであろう。 しか し

,現

実 には職場 における金融労働者の現状 と意識が

,な

かなか 外側か らは見 えに くい。わずかに

,元

銀行員が匿名で職場 の実態 を告発す る著書な どによって推測 せ ざるをえない。その原因 には,金融機関が信用 を重 んじるあま り,職場で起 こっていることをオー プンにしない とい う従来か らの体質 をぬけきれていない ことにある。金融労働者 も

,そ

れに甘 んじ てい るともいえる。 それだけに

,金

融労働者 の状態 と意識 を正確 につかむ ことはむずか しい。 しか し

,

これほ どまでに金融不祥事が社会問題化 し

,金

融 システムの改革が叫ばれている時 に, そ こで働 く金融労働者 を視野 に入れない改革 は考 えられない。 したがって

,今

後の金融 システム改 革のあるべ き姿 を

,金

融機関の外部活動 との関連だ けで論 じるのではな く

,内

部の金融労働者 の置 かれた状況 とその改善方向 との関わ りで論 じることは

,極

めて大切 な視点であ り重要 な課題である。 それにもかかわ らず

,企

業の内部すなわち金融機関の従業員 による自己の金融機関の反公共的・ 反社会的行為 をチ ェックす るシステムが出来 あが つているとはいいがたい。いやむ しろ

,現

実 はそ の反対 の方向に向いているとさえいえる。

3.金

融機関 における金融労働者の現状 と問題点 「 このままでは殺 されて しまう。犬死 にさせ られて しまう。『銀行 って

,組

合 はないの』『文旬 を い う人 はいないの』『銀行 の人 には家族がいないの』と

,次

々疑問がわいてきます。で も

,そ

れ をわ か りなが らも働 いて疲れている夫 と議論す るわ けにもいかず

,毎

日を過 ごしてい ました。富士銀行 や興銀 の内幕が ほんの少 しだけ暴露 されたバ ブル崩壊 の一連 の事件 の時 には

,早

く夫の銀行の名が 出て

,少

しで もなにかが変わればいいのに と思っていました。」121 これは

,あ

る銀行員の妻が寄せた手記 の一節である。短 い一文の中に

,夫

の健康 を思いや る気持 ち と

,そ

の夫が務 める銀行への腹立た しさが うかが える。銀行の犯罪 にかかわって

,自

分の夫 の銀 行の名が新聞 に出 ることを願 う妻 はいるまい。だが逆 に

,そ

れによって夫の勤務す る銀行が

,夫

に とって働 きやすい銀行へ と変わ ることを願 う妻の気持 ちは

,よ

く理解で きる。その通 りだ ろうと思 う。妻 を

,こ

こまで思いつめさせた ものは何 なのか。銀行員である夫の置かれた職場で は

,何

が起 きているのであろうか。 現在

,大

企業が リス トラに名 をか りて

,企

業の一方的な理 由で退職勧奨や退職強要が行 なわれ, 従業員が事実上

,強

制的 に解雇 され る事態が広範 にお きている。金融機関 もその例外ではな く

,不

祥事への反省 を逆手 に とって

,金

融危機か らの脱 出 と金融機関の再建 を名 目に

,大

規模 な人員削減 を実施 中である。 その技術的基盤 は、1980年代 の急激 な金融 自由化 の進展のなかで

,都

市銀行 を中 心 に開発がすすめ られてきた第

3次

オ ンライン・ システムによる合理化 にあることは言 うまで もな ヤゝ。 そのため

,銀

行労働者数 は『全国銀行財務諸表分析』 によると

,こ

の10年間に37万3481名か ら35 万2487名へ と

2万

人以上 も減少 している。 しか も銀行 は

,従

業員の残業手当の支給 に関 し「時間外 賃金の予算化」 を進 めたため

,予

算枠 を超 える残業時間があって も従業員 に残業手 当を支払わない, いわゆる「サー ビス残業

Jが

常態化 したのである。 これ は

,明

らかに金融機関 による労働基準法違 反であ り

,従

業員の基本的人権 に対す る侵害であ り

,金

融機関が果たすべ き自己の労働者への社会 的責任 の放棄である。 その結果

,長

時間労働や過密労働か らくるス トレス と疲労 に銀行労働者がお そわれ

,1980年

代 の銀行 は「過労死

Jを

代表す る企業 となった。 それだけではない。重要な ことは

,こ

うした銀行労働者のおかれた職場での苛酷 な状態が

,一

連 の金融不祥事 を引 き起 こす要因 となった ことである。 この点 を

,あ

る新聞 は「残業手 当

,都

銀 など │

(13)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 49巻 第

1号 (1998) 13

労働法違反」 とい う見出 しで

,つ

ぎの ように述べている。 「現在

,都

銀の男子行員の月平均残業時間は20∼ 40時間程度 と言われ る。バ ブル (泡

)の

崩壊 で, ひ ところよ りはかな り労働密度 は緩和 されて きた とされ るが

,今

回の調査結果 は依然 として一部で 長時間残業が恒常化 していた。『案件が次々 と入 り

,書

類作成な どの処理 に深夜 までかかった』(都 銀幹部

)と

いい

,一

連の金融不祥事 の遠因 となった収益至上主義が過密労働 に拍車 をか けた。 ノル マ達成 を追 られた余裕 のなさが

,不

祥事 にたいする自己ブレーキが働かなかった原因のひ とつ

,

と の指摘 もある。

J0

1980年代後半のバ ブル経済期 に

,銀

行がその公共性 を投 げ捨てて極端 な効率性重視の経営に傾 き, ついに

,不

正融資事件や出資法違反事件 な どの社会的犯罪 にまみれていった背景 には

,個

々の金融 機関で働 く労働者が競争促進的な長時間かつ過密労働 を強い られていた こと

,し

たがって

,こ

うし た状態 におかれた銀行労働者 は

,日

々ノルマの達成 に追われ

,自

己の仕事 の もつ社会的意義 と責任 を自覚す る余裕 もな くなるばか りか

,自

己の属す る金融機関の行動 とその経営状況 をチェックで き る立場か ら

,ま

す ます遠 ざけられていた という事情がある。 ここに

,内

部か ら金融機関の反社会的 行為 を抑止で きなかった根本的原因があった と言 えよう。 この点 を

,金

融制度調査会の報告書「金融 システムの安定性・ 信頼性の確保 について」では

,つ

ぎのように述べている。 「昭和60年頃か らの急速 な円高の下で内需主導型経済への転換 を図るための金融緩和政策が採 ら れた こと等 によ り

,特

,土

,株

式等の資産の価格が高騰 し

,わ

が国経済 はいわゆるバ ブル経済 と呼ばれ る状況 となった。 また

,こ

の間

,金

融の自由化

,国

際化が急速 に進展 し

,金

融機関 をめ ぐ る環境 は著 しく変化 した。 こうした中で

,金

融機関 は

,経

営効率化の旗印の下 に内部管理部門の人 員 を抑制 し

,機

械化 を急速 に推進 したが

,そ

の反面

,審

査の充実,リ スク管理の徹底

,職

員の教育・ 指導面の対応等 は遅れがちであった。 この ように

,適

切 な内部管理 を怠 った ままに

,金

融機関が安 易な業容拡大 と収益の追求 に走 り

,ノ

ルマ主義等の下で職員 を預金・ 融資拡大競争 に駆 り立て

,投

機的な土地

,株

式等の取引のための融資 を拡大 していった こと等が今 回の金融不祥事 の原因等 と なった と考 えられ る。」141 したがって

,金

融機関が 自ら現在 の金融危機 を克服 し

,安

定 した金融 システム をつ くる主体 とし て再生す るためには

,容

易 に現在の金融機関の自主性 に頼 るので はな く

,外

か らの金融機関に対 す る国民的コン トロール を受 け入れ ると同時 に

,金

融機関は金融労働者が 自らの労働条件の改善 を通 じて金融機関の意志決定 に参加で きるような体制 を保証すること。 それによって

,金

融機関の内部 か らその社会的責任 を果たさせ るような制度 をつ くりあげることが必要である。少な くとも

,金

融 機関の自主性が信頼 で きるもの となるためには

,金

融機関の内 と外の両面で

,国

民 と金融労働者 と による, こうしたコン トロール を行 なえるシステムがつ くられ ることを前提 としなければならない であろう。 江 (→ 金融制度調査会「普通銀行 のあ り方 と銀行制度 の改正 についてJ(1979年 6月20日)『金融』1979年7月号,36∼37 ペー ジ。 121 横 田濱夫 『銀行 マ ンの妻たちは,いま』オーエス出版社,1992年,36ページ。 儡

)『

読売新聞』1992年 1月28日。

(14)

藤田安― :現代金融システム改革論序説 は

)金

融制度調査会「金融システムの安全性・信頼性の確保について」(1992年4月17日)『金融』1992年 2月号,41 ページ。 Ⅳ 現 代 の金 融 シ ス テ ム 改 革 と公 的 金 融 の あ り方

1.公

的金融 と郵便貯金 これ まで本稿では

,金

融 自由化が もた らす国民経済への影響 を検討 しなが ら

,従

来 の官僚主義的 規制ではな く

,国

民経済の発展 と国民生活の向上 に必要な金融規制 を再評価 し

,こ

うした意味の公 共性優先の金融 システムヘの転換 の重要性 を提示 した。そこで本章では

,こ

のような金融 システム の公共性 を保証す る重要な社会的 ファクター としての公的金融の存在意義 を明 らかにす ることを課 題 とす る。 ところで

,本

章のテーマにある「公的金融」 とは

,郵

便貯金

,簡

易保険

,厚

生年金や国民年金の ような公的年金の形態 をとって調達 した資金 を

,資

金運用部 を経由して

,な

ん らかの政策 目的のた めに公団

,事

業団

,地

方公共団体 な どに投資 した り

,政

府系金融機関な どを通 じて国民 に融資する 金融活動の総体 をさす(D。 また

,わ

が国の公的金融機関 には

,郵

便貯金制度

,公

的保険 。年金制度, 政府系金融機関な どがあるが

,な

かで も郵便貯金 は公的金融の最大の資金源泉であ り

,1993年

現在, 資金運用部資金原資残高326兆2859億 円の うち

,郵

便貯金資金 は181兆 1586億円②と

,実

に全体 の

55.5%を

占めている。 さて

,現

代 日本 の公的金融 は

,郵

便貯金 による資金調達面 と政府系金融機関 による資金運用面の 両面で

,民

間金融機関 とのあつれ きを激化 させているとして

,近

年わが国における公的金融のあ り 方 とその再編成 の方向をめ ぐり

,激

しい議論が展開 されてきた。なるほ ど

,金

融 自由化が進 めば進 むほ ど

,公

的金融 はさまざまな側面 において

,今

まで以上 に市場 メカニズムが作動す る金融市場 と の接触 を余儀 な くされ るであろう。 しか し

,そ

の ことをもって

,い

きおい公的金融の存在 を否定 し た り

,あ

るいは公的金融 をよ り競争促進的なシステムヘ と再編成 しようとす る議論が日立ってきて いる。 とりわけ郵便貯金事業 については

,最

近 とみに

,そ

の見直 しの トー ンを高め「郵貯民営化」の響 きを強めつつある。 こうした動 きは

,郵

便貯金が民間金融機関の営利活動 を圧迫 しているとす る巨 大銀行の執拗 な主張 にもとづいて,1983年 3月 の臨時行政調査会「行政改革 に関す る第

5次

答申―最 終答 申」 に示 された「金融 自由化の展望が得 られた段階においては

,郵

便貯金事業の経営形態の在 り方 について も再検討すべ きもの」 とい う考 えに沿 っていることは間違いないであろう。金融 自由 化 にむけての高いハー ドルであった金利 の自由化 については

,1994年

10月 17日の流動性預貯金金利 の自由化 によって一応の完成 をみた ことが

,改

めて現在

,行

政改革の一環 として郵便貯金事業 の経 営形態 をめ ぐる議論 を盛 んにしている一因である。 郵便貯金の経営形態 を見直 し民営化 しなければな らない とい う

,こ

の論拠の中心 に依然 として居 座 り続 けているのが

,言

うまで もな く郵便貯金の歴史的役割 はすでに終わった とす る考 えである。 根強い こうした主張 にもとづ く郵便貯金への攻撃が

,は

た して現在お よび将来 にわたって

,わ

が国 の金融制度 を発展 させ るものなのであろうか。 本章の課題 は

,こ

のような問題意識 の もとに

,金

融 自由化 を背景 とす るバ ブル経済 とその崩壊過 程 における金融 システムの現状 を踏 まえ

,バ

プル経済期以降の これ まで とは明 らかに異 なった局面 での公的金融の存在意義 を

,郵

便貯金 を中心 に考察す ることである。

(15)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 49巻 第

1号 (1998) 15

2,現

代 における郵便貯金の社会的存在意義 本章の課題 に応 えるにあたって

,ま

ず は

,郵

便貯金の歴史的役割 は終わつた とす る考 えを聞 くこ とか ら始 めよう。 「現在では民間金融機関は既 に十分 に発達 し

,預

金者保護対策 も整備 されて きてお り

,郵

便貯金 制度がその発足時 に意図 した

,一

般国民 に対 す る安全確実かつ簡便 な貯蓄手段 の提供 は

,既

に民間 部門によって達成 され るようになった と考 えられ る。 また

,郵

便貯金がその主た る原資 となってい る財政投融資 を通 じた政策金融 について も

,今

日では一部 を除 けばその緊要性が低下 し

,そ

のあ り 方の再検討が求 め られている。 このように

,長

期的な視野 に立 って考 えると

,郵

便貯金の歴史的意 義 はもはや薄れつつある とい う事実 を明確 に認識 しておかなければな らない。」。)「このように

,揺

期の民間部門の補完

,財

政投融資の原資調達等の郵便貯金制度の歴史的役割 は終わ り

,そ

の今 日的 意義が問われ るにいたっている。」 “ ) こうした民間金融機関 に対 す る過度の評価 と楽観的 ともいえる信頼 は

,バ

ブル経済の現 出 とその 崩壊の過程 によって

,み

ごとに裏切 られた。 ここに

,大

蔵省銀行局が作成 した 『金融機関別不祥事 件発生状況』 とい う内部資料がある。それによると

,平

成元年か ら平成

4年

まで に銀行 あるいは銀 行員が引 き起 こした内部不祥事 の合計件数 は18■件

,1393億

円。横領や着服

,不

正貸 し出 しな ど事 件 の種別 と件数

,金

額 な どが明 らかにされている。 この うち

,都

市銀行や長期信用銀行 な ど大銀行 が関与 した不祥事の割合 は

,な

ん と

50%近

くにのばっている0。 そもそも

,銀

行の基本的姿勢 としては

,元

本保障

,確

定利付 の預金 とい う形で顧客か ら資金 を預 かっているため

,そ

の資金の運用 に際 して細心の注意 を払 つて リスクを管理 しなければな らない責 任がある。すなわち

,資

金の使途 を厳密 に審査 し

,借

入金の支払いや元本返済が可能か どうか

,十

分 に調査 した うえでなければ貸 してはな らないはずである。 しか し

,バ

ブル経済期の銀行 は

,鈴

木 淑夫氏の適切 な表現 を借 りれば,「土地

,株

,高

級絵画の購入資金だ といわれれ ば

,二

つ返事で融 資 に応 じた。土地や株式な どが担保 に入れば

,地

,株

価 の上昇がいつ まで も続 くとい う『バ ン ド・ ワゴン』 に目が くらみ

,利

払いや元本返済の能力 は間違いない と考 え

,実

際の資金使途 を十分 に審 査 しな くなった。」k61 こうして

,住

友銀行 の出資法違反や富士銀行の不正融資な ど

,偽

造預金証書 の発行やそれを担保 とす る不正融資な どの不祥事が

,同

時多発的 に起 こった。 しか も

,銀

行 による不動産関連会社への 過剰融資が

,資

産 インフレを引 き起 こし地価高騰 を招 くことによって

,固

定資産税 の増税や家賃 の 値上 げをもた らし

,ま

た庶民のマイホームの夢 を奪 うな ど

,国

民経済 と国民生活全体 に与 えた損失 ははか りしれない。 つ まり

,バ

ブル経済期 の 日本の現実が教 えた ことは,「民間金融機関による自由な効率性 の追求 こ そが

,資

金の最適配分 をもた らす」 とい う考 え方が

,実

はフィクシ ョン以外の何 もので もなかった とい うことである。 この点 は

,郵

便貯金事業 の存在意義 を否定 し民営化 を唱 える論者 に共通す る主 張十一郵便貯金 は金融政策 の有効性 を阻害 し

,資

金の適切 な社会的配分 をゆが め

,国

民経済の活力 を奪 う一― に対す る有力 な反論 とな りうるであろう。 しか も

,バ

ブル経済期 における以上 のような銀行 の反社会的行為 に

,国

民の零細 な貯蓄が動員 さ れた意味 は大 きい。巨大銀行 は

,自

らの行為 を反省するだけでな く

,今

こそ

,同

じ国民の貯蓄 をあ つかいなが ら

,少

な くともバ ブルの演出 とは無関係であつた郵便貯金の存在 を

,謙

虚 に受 けとめな ければな らないであろう。郵便貯金事業の歴史的意義 は

,決

して失われたわけで はない。 それ どこ ろか

,つ

ぎに明 らか にす るように

,金

融 自由化 という不確実な金融 システム時代への突入 にあた り,

参照

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