大学の大衆化と教育方法の改革
芋 川 勝
美 大学改革の問題を教育改革の問題としてとらえる時,新制大学発足以来の急 速な量的拡大,すをわち大学の大衆化は,民主教育の理念の実現への歩みとし て槙極的に評価すべきことであるが,同時に多くの教育上の問題を生んだこと に留意しなければならない。 第一・に大学の巨大化と多人数教育の問題である。戦前,わが国には5,000人 以上の学生をもつ大学はわずかに4校で,10,000人以上の学生をもつ大学はな かった0 ところが,昭和42年の統計によると,5,000人から10,000人の学生数をもつ大学が37校,10,000人以上が26校にのぼっている。学生数の増加はこれ
にともをう教官数の増加が行なわれをいために,多人数教育がますます多くな る。文部省の調査によると,昭和30年度の大学の本務教員1人あたり学生数は 13.8人であったのが,昭和45年度には18.4人となっている。このような大学の マンモス化,マスプロ教育は大学側からは学生の掌握指導を困難にし,教官と 学生との人間的接触交流をさまたげ,学生相互の交流も成立しがたい状況とを り,教育の場としての基本的条件を欠いているといわをくてはならをい。 第二に,学生の量の増加は,虫の問題にとどまらず,質の変化をきたしてい ることが認識されなければならをい。戦前■には,同一・年令人口中の高等教育機 関への就学率はわずかに3%前後であったものが,昭和44年には21.4%に怒っ ている。つまり5人に1人は大学に行く現状にあるのである。ある調査によると,昭和40年度に4年制大学に入学した学生の高校時代の成績は,ABCDE
の5段階に分けると,Aが26.7%,玉が39.4%,CDEが33.3%であったとい
う。つまり,高校の中以下の成績の学生が相当にいるわけである。かつての大 学生は文字どおりの知的エリートであったが,今の大学生は普通の能力をもっ た者が多いということである。さらに,学生の家庭の所得階層をみると,昭和41年度で,所得100万円以下の者が38%もある。また,家庭の職業についてみ
ると,勤労者世帯54%,中小企業経営者屑23%,大企業あるいは自由業8.3%, 農林水産業9.9%である。これは,今日の学生がその出身階層において,低所 得層,勤労者層さらに農民層にと,かをり広い範囲に及んでいること,そこに 学生生活に対する意識の多様性の存在を示しているといえよう。このことは教 育上十分考慮を要する点であろう。 第三に,以上のことと関連して,今日の学生の生活意識の実態が,かつての ように学習や研究に向かっていないことに注意したい。たとえば,NHKの調 査によると,昭和40年の学生と高校生との生活時間を比軟すると,勉強時間は, 学生5時間57分,生徒8時間28分,自宅での勉強時間は,学生1時間49分,生 徒2時間27分,全く勉強しをかった者は学生44.4%,生徒22.8%でいずれも高 校生の方が多い。また,京都大学教育学部が昭和40年に行なった関西地区の大 学生の意識調査によると,アルバイトの理由として勉学のための経済的困難に よるとするものは僅かに17%であるのに対して,生活のゆとりがほしいからと するもの30%,大いに青春を楽しみたいからとするもの10%であった。同じ調 査で,学生生活の楽しみについてのアンケ・−・ト結果によると,サー・クル活動等 の集団活動への参加,個人的交友,個人的な趣味や教養をあげた者が62%にの ぼるのに対して,勉学や読書をあげたものは僅かに11%にすぎをかったという。 こうした意識をもった学生に対して,学問的態度や方法を数えるということは 容易夜ことではない。 以上,大変おおざっぱではあるが,大学の大衆化といわれる現象のもつ教育 上の問題点を指摘したのであるが,問題は,これに対してどのような対応策が あるかということである。大学規模の適正化,私立大学への国庫補助の大巾増 額,教官定数の引あげ,入試制度の改革,高校教育の改革,等が抜本的な対策 として考えられる。だが,これらのどれをとってみても早急に実現できそうな ものはないようである。といって現状を放置するわけにはいかをい。とすれば, 個々の大学,あるいは学部でできること,ないしできそうなことからでも手々 つけをくてはならをい。では,われわれの学部でできること,できそうなことは何か。それは,教育 課程とこれを実施する講義内容と方法の改善である。教育課程の改善について は,−・般的教育における総合科目,ゼミナ−ル,実験科目の設置など除々なが ら実行に移されており,今後もこれを発展させるべきであろう。学部専門課程 では,教職諸科目と教育実習との総合化が当面の改善課題だと思う。 講義内容の改善は教官各自の研究活動の反映であるから,各教官の努力にま つほかはない。しかし,講義の方法になると,教官各自の努力ヤエ夫はもちろ ん前提条件であるが,それだけでは十分の成果はあがらをい。け‘だし,板書と 口頭説明による講義の限界は明らかであり,これを補うための各種の印刷資料 や視聴覚教材の利用が考えられるが,これを可能にする条件の丑備は,個々の 教官の努力には限度があるからである。 さきにのべたように,多人数教育は,マスプロ教育として非難されその解消 が求められている。しかし,学生増に対して常に教官定数増がともなわず,あ まつさえ.行政整理の名のもとにさらに定員減が強行される現状では,この要求 の実現は教官の授業負担増によるほかはをく,このことが教官の研究活動を阻 零することになり,結局は講義内容の低下になりかねない。この恵循顔を避け るためにはある程度の多人数教育はゃむを得ないのではないか。ただし,無手 勝流の多人数教育はもちろん避けるべきであり,この欠陥や弱点を補うための エ夫が必要である。それには何よりも多人数教育を有効に行をうための設備を 整えることである。100人を越え.るクラスでは肉声で100分の講義は教官の疲労 は大きい。拡声装置の設置がのぞましい。地図,統計図表,ダイヤグラムなど は多くの講義にとって不可欠の資料と思われる。これらを必要に応じて利用で きるオーバーヘッド・プロゼクタ・−とスクリ・−ンは,黒板と同様すべての教室 に設置せられる必要がある。スライドや映画が講義を効果的にする資料である ことは広く認められているが,これが利用できる部屋は視聴覚教室にすぎず, 1番教室,2番教室は暗幕があって映写機がをい。すみやかに設置すべきであ る。外国語や国語,国文学などでは録音教材の利用が有効をことはよく知られ ている。外国語の教官の中には小型録音機をぶらさげて教室に向かうのを見か
けるが,適当を教室に録音再生装置を設ければ−㌧段と効果をあげることができ るだろう。 自然科学系科目では・一般教育であっても観察ヤ実験がのぞましいが,多人数 での観察・実験は困難であるとすれば,スライドヤ映画さらにITVカメラや ビデオ・テープ・レコーダー (VTR)による観察や演示実験を考えるべきで あろう。 VTRは浜示手段としてすぐれているだけでなく,学習者自身の学習行動を 記録し,即時に再生することかできる特性をもっているので,たとえば体育実 技,音楽の演奏技能,美術における表現技能,をど各種の技能訓練の効率化に すぐれた効果を発揮することができる。本学部には,すでにある程度の設備が ととのっている。これが活用につとめるとともにさらに設備の充実をはかるべ きだと考え.る。 多人数教育の効率化とともに重要をことは,教官と学生,学生相互の人間的 交流を軸とする小人数教育であることは前にものべたとおりであるが,さらに 学生ひとりひとりの自主的な学習研究を促進するためのエ夫がもつと重要だと 患う。元来,教育は,人間の発達に対する外部からの働きかけであるが,それ は外からの助力をしに発達する能力すなわち自己教育の能力の形成を最終目標 するものである。大学教育は,学校教育の最終段階であるから,自己教育をも うとも重視すべきで,そ・れには,学生ひとりひとりの自主的学習研究を促進す るようを条件設定が考え.られてよいと思う。そのびとつは図書資料の整備と利 用サービスがある。現在行なわれている学生用参考書の充実,指定図書制度は もっときめこまかな運用が考えられるべきだし,講義や演習に関連づけた利用 指導がのぞましい。 新しい分野として,図書以外の資料にも着日すべきである。たとえば,外国 語ヤ音楽などの分野ではレコードや録音テープが学習研究資料として重要を価 値をもっている。これらの資料は図書館で利用できるようにすることがのぞま しい。また,「リスニング・センター・」 の方式も考えられる。これは,アメリ カのいくつかの大学で実施されている録音教材の個人利用システムである。教
材は中央管理センターに設置された多数の録音機にセットされ,いつでも,ど れでも利用できるようにをっている。これが,利用者に便利な学内の各所に分 散設置された学習ブ・−スと電話線で結合され,ダイヤルまたはプノシ.ユボタン で呼び汁iし,イヤホンで聴取できる。現在l三l木でもかなり普及している語学実 習賓(L…L)の発展形態であるが,学佳の自習を前提とし,その条件を生え るものとして注目してよいとノ臥う。本学の外国語自習室の構想は同じ発想によ
るもので早期の実現を期待する。なお,これは外国語だけに限らザ,苫楽鑑賞, 朗読や演劇,有名学者の講義など広い分野にわたって利用することも考えてお くべきであろう。 自然科学系での実験観察,音楽や体育等の実技の練習では,作業や動作り示 鞄と学生白身の練習が不可 欠である。これをきめこまかに行なうにはマン・ツ 1−・マンの個別指導が必要であるが,これは極めて困難であり,何らかの打開 策が求められる。その一例としてペンシルバニヤ州立大学,生物学教室の「オ 、−・ディオ ・チエ・−トリアル・ラボラトリ・−」の実践はおもしろい。一・程の個人 用学生観察室で,教室の山・部をベニヤ板で仕切った,L・L・に似たブ、−スが ある。各ブ、−スには録音機と顕微鏡などがある。教室の他の側には戸棚や整理 棚があり,スライド,8ミリフイルム,録音テープ等が整理しておかれている。 学生は事前にブース使用の申込をしておいて,自分の都合のよい時に来る。観 察はテ、−プに録音された教官の指示に従って個別に行をう。スライドや映画は 同じ教室の【一・角で個別に見られるようになっており,観察力法を学んだり,自 分の観察と比較して自己評価するために使われる。わからない時は,助手に相 談したり,教授の指導を求めることになる。こうしたことは準備に相当の労力 が必要であるが,−・たんできあがれば教官の手数は大いにはぶかれる,と同時 に教育上大きな効果を生むことは確実である。 以上,思いつくままに,大衆化した大学の教育問題に対処する方法の中で, われわれの大学でも出来そうなことを考えてみたのであるが,この程度のこと でも個人的熱意や努力では実現はむつかしいだろう。教官個々の熱意や努力に 協力し,設備投資を全学部的立場で計画実施する体制が必要だと思う。こうい う点で最も大規模で組織的な活動をしているのはペンシルバニヤ州立大学であ る。この大学は学生数35,000人,学部数11というマンモス大学であるが,ここ に「大学数青菜務部.(UniversityDivisionofInstructionalServices)というの がある。その目的は,全学の教官が必要とする教育資料をその求めに応じて制 作し供給することで,部長は副学長である。数十人の専任職員がいて,つぎの 各部に分れて活動している。
●映画部一講義中に使用したい教材映画(16ミリ,8ミリ)があれば,ここへ 申込めば制作してくれる。 ●グラ・アイック部一同じ目的の図表,ダイヤグラム,OHP資料を制作供給す る。 ●静画写真部一写真,スライドの制作,供給。 ●テレビ部一大小三つのテレビスタジオ・をもち,学内の求めに応じて,各種の VTR教材を制作供給し,また学内にはりめぐらした同軸ケ1−ブルを利用して 教室に送りこむ。 ●試験部−一教官の求めに応じて,講義の前後ヤ中間で実施する各種の試験問題 の改善について協力し,また答案の処理も引受ける。 ●研究開発部一以上の各種教材の制作ヤ利用法の改善について研究するほか, 講義内容や方法の改善について,教官に協力し援助をあたえる。 こ.のような大規模なものは,本学では不可能だし,また必要ではないだろう。 しかし 授業の改善を必要とし これを実行しようとするのならば,万難を排 して,この種の体制を整えることが必要だと私は思う。最近スタートした学部 研究センタ・−の発想の中には,こうした面からの大学改革も含められていると 思う。さらに,「教育工学センター」の発足も間近かい。これも研究施設とし ての使命をもつとともに,学部数育の抜本的改革に積極的に貢献するものであ ってほしい。ここに設けられる設備が,学部の授業改善のための中核としては たらくことを期待している。