日本近代体育 の思想 と実践
(7)
保健体育科教育教室 己 は じ3う に 明治10年代後期か ら呼号 されて きた画―主義,形
式主義体育批判 と体育改造論 は,明
治後期 にお ける樋 口,谷
本,吉
田等の社会的教育学説中の活動主義体育論,あ
るいは高島等の人格主義的,あ
るいは修養論的な体育論 として集約 され,さ
らに,そ
れ らの体育思想 は姫路師範学校,同
附小のほ か,成
瞑実務学校,帝
国小学校等私立の新学校 において具体的な実践 として具現 されるに至 った。 そ して,よ うや く自由体育運動の展開期 である大正期 を迎 えることになる。大正期 における教育政策 の基本的性格,また自由体育運動の特質 と発展段階については,別の機会で論 じたので割合するが;け 大正期教育 の特徴 を的確 についている小原国芳の次の ことばがある。 「 この時代 は総 じて言 えば,明
治時代がその実 を結 び,昭
和時代が発芽する転換 の時代 であった と 私 は解 したい。明治時代がその実 を結ぶのは,大
正の初 めであ りその意味で大正 の前半 は,む
しろ 明治時代の延長 と考 えてもよい。 しか しそれ とともに,大
正時代の後半 には,昭
和時代 に入 って展 開するいろいろな ものの萌芽がすでに見 られ るか ら,そ
れは昭和時代 を準備 しつつあった時期 とし て,その意味では昭和時代 に属す ると言 うことができる。(中略)そ こに大正時代 の面 白さと明 るさ, それ と同時 に暗 さと苦聞がある▼と この明 るさと暗 さは,大
正 自由体育運動の過程 でみることになるが,本
稿で は,大
正前期 におけ る以下の点 について考察 したい。(1)明
治か ら大正への転換期 における第二次西園寺 内閣の教育改造政策,な
らびに山本,大
隅内 閣の立憲的教育政策 と体育政策。 り)学
校体操教授要 目公布前の学校体育 の実態。(3)教
授要 目体操の性格。 は)学
校体操教授要 目公布直後 における学校体育 の混迷。I.立
憲 的 教 育 政 策 と体 育 改 造 政 策 論1.西
園寺内閣の瓦解 と桂 内閣の成立 明治44年8月,第
二次西園寺内閣が登場 した。西園寺 は,日
露戦争後 にお ける景気の停滞 と財政 の建 て直 しをはかるため,軍
備縮少 を最重要課題 として掲 げたが,軍
縮 に反対 し,む
しろ2個
師団 克 江増設 を主張す る上原陸相が
,天
皇 に単独で辞表 を提 出するとい う異例の事態のなかで瓦解 した 「 この問題 をきっかけに反武断政治の声が まき起 っているが,『日本』の社説「武断排撃第一声」は, 次のように述べている。 「今回二個師団増設の案内閣の議 に上 りた りと聞 き,国
民 は版起 して其非 を鳴 し,国
論 は其増師案 を排撃 して止 まず,以
て今 日世論の沸騰 を来せ し所以な り,是
れ国論が武断を排 し閥族 を抑へん と 欲 して,始
めて揚 げた る第一声な りとす,国
会の開 けて以来既 に二十有余年 を経過す る も,遺
憾乍 ら我帝国は政権閥族 の掌握に帰 して,武
断政治の勢力 は侵す可か らざるの程度 に在 り,随
て国民 は 斯歴史的政弊の本嫁 に向て,戦
闘 を開 きたるものな り,武
断政治 に反抗せん として国民の覚醒 した る一事 は,此
際内外観察者の最 も注視すべ き所 な りとすよと また『萬朝報』 は,「憲政擁護の戦Jと
題 して,次
のように主張 している。 「我邦に議会開かれて より既 に廿余年,其
間幾多重要なる憲法上の問題生 じたることあ るも,未
だ 此の如 く重大 なる問題生 じたることな く,一部の国民 に影響すべ き問題 は屋 ば起 りた ることあるも, 全国民に影響すべ き問題 は,此
以外 に起 りた ることな し,否
本来起 り得べ き問題 に非 ざるな り,然
も陸軍当局者が此問題 を提供 したるは,国
民 に対 して宣戦 を布告 したるに異な らず,即
ち明治維新 以上の問題 な り,若
し此問題 に関 して官僚派 に左祖するものあ らば,其
徒 は即 ち国民 を敵 とす るも のな り,何
人が後継内閣 を組織するも,議
会 と国民 と挙 って憲法の為 に争 はざるべか らず,憲
法の 為の戦 は義戦 な り,陛
下 に忠実なる者の悉 く組せ ざるべか らざるものな り,憲
法の根本義 にお て, 国民 は仮令一人た りとも此義軍 に反対するを許 さ ゞるな り 'と 代 つて桂 内閣が成立 したが,こ
の内閣 は,元
老山県有明の影響下 にあ り,大
正元年 にブルジ ョア ジーを加 えた憲政擁護運動が繰 り広 げられ,退
陣 を余儀 な くされた伊 ところで,こ
の明治期か ら大正期への転換 を象徴す るものは,乃
木大将の自刃であった。 この事件は
,教
育界にも大きな波紋を操げかけ
,そ
の是非をめぐって論争されたが
,谷
本富は
,機
会ある
ごとにそれを非であ るとして批判 している。 「乃木大将 は余の所謂人格の人である,然
るに人格 の人 は薬 であって食物ではない,総
体 よ り評せ ば大将の如 きは,人
間 として固よ り第一流の智識 を備へた る人 とは云へないだ らう,之
は死者 に対 して甚だ失礼 なが ら学問上公平に斯 く論断 し,以
て世の識者 とか或は教育者 などいへ る人が,往
往 にして時勢後れの奇激 なる教訓 を施す ものあるを,戒
めたい とす る理由に出づるものな り,殉
死 の 今 日の科学観 よ りして無意味なるは言ぶ に及 ばず,勿論人情 としては甚だ立派の様 に も思 はれ るが, 之れを古 くしては巳に垂仁天皇の時殉死 を廃 して,土
偶 を以て之 に代へ られたる伝説 もあ り,近
く は武家の世 にお て も屋次之 を禁止せ られたるもの,即
ち又国法の上 より観れば復締 と殉死 は,三
も 賞賛すべ きことでない と思はねばな らぬ,然
し乃木大将の死 は尚低気圧の如 きもので,之
によ りて 必ず時勢の悪風 を矯正 し,之
を反省せ しむるの効 を奏すべ きや疑 なき所,大
将たる者亦以 て地下 に 瞑すべ きであ らう,大
将の死 を犬死 な どといぶのは夫 は人間 を知 らぬに由るのである『 と この批判 に対 して谷本の出身地である香川県教育会 は,同
会か らの除名 を決議 してい/plぼまた,倫
理的帝国主義 を鼓吹す る浮田和民 も,「不忠」であると論評 している。 「教育の理想 として又道徳の理想 として,成
るべ く奨励せねばな らぬ ことは,一
般国民が之 を真似 得て且つ実行 し得 るものでなければならぬ,或
る特別の事情,或
特別の境遇 にあるもの ゝ行動 は, 仮令其心実には同情 して も奨励すべ きものではない,一
般国民が実行 して国民の発展 ともな り,国
家の永久 に存続 す る基 ともなるべ きものでな くてはな らぬ,此
の標準か ら推 して,乃
木将軍夫妻の 自殺 は之 を聞いて誰人 も感動 はす るが,其
の行為の形式や方法通 を国民が実行すれば,今
上陛下 に鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第28巻 第
2号
- 353
は不 忠 とな り,国
家 の損耗 とな って国民道徳 上模 範 とす る こ とは出来 ない,国
民 として皇室 に忠義 を基 さん と欲 すれ ば,先
帝 の御遺 志 と今上 陛下 の大 御 心 とを能 く奉体 して,国
家 の発 展 を期 せ ね ば な らぬ…… …乃木大将 夫妻 の如 き特別 の例 は之 を批評外 とす る……Pと
。2.山
本,大
隅内閣の立憲的教育政策 大正2年
2月 に登場 した山本権兵衛内閣 は,「財政,行
政,税
制の整理」をスローガンに掲 げ,教
育政策 としては高等教育会議 (明治29年設置)を
廃止 し,同
年 7月 に将来の教育改革の方向を明 ら かにす ることを目的 とした教育調査会 を設置 した。同調査会 は,ブ
ルジ ョアジーや 自由主義的な私 学の代表者 な どを委員 とし,次第にブルジ ョアジーが,教育 の政策決定 に権限 をもつ ようになったよ° そして,師
範教育 の改革 とともに,教
育の実際化が標傍 されていった。例 えば文相奥 田義人 は,「教 育の本義」 と題す る一文のなかで次のように語 っている。 「諸般の文物制度 は,寝
々乎 として日に進み月に進歩 し,今
や寒郷僻隙 と雖 も文化 に浴す るに至れ るが如 き,皇
に聖代 の余澤な り。今之 を我教育 に観 んか,教
育 も亦時代の昌運 に伴 ひ,学
者教育 家 にして熱心之が研鑽攻究に従事するもの愈々多々,理
論技術 に船て其進歩発達の蹟著 るしきを覚 ゆ るは,誠
に欣幸 に堪へ ざる所 な りと雖 も,教
育の本義 たる唯理論形式の完備 を以て満足すべ きに非 らず,又
施設制度の整頓 に依 って,其
能事至れ りとなすべか らず。能 く国民の道徳心 を涵養 して, 其人格品性 の陶冶向上 を計 り,学
問智識の発達増進 に努 めざる可 らず。然 るに近時学者教育家 に し て,国
に高尚なる哲理 を論 じ,深
遠 なる理想 を説 くものあ りと雖 も,窮
行実践範 を子弟 に垂れて, 其徳性の感化教養 に従ふ ものに至 りては極 めて蓼々,韓
た寂蓼の感 に堪へず。(中略)教育家 も家庭 も社会 も,倶
に輿 に国民道徳の根本 を教養すべ きものにして,其
間三 も隔差等 を観ず。共 に相提携 して其任 を全 うし,以
て忠良なる国民の素質 を培養せ ざる可 らず。而 して智能の教育 も亦之 と同様 にして其教育 した る子弟が後 日社会に立 って活動す るに当 り,最
も緊要適切 なる実科的智能技能 を 授 け,時
代 の進歩 に順応 して,敢
へて困難穀阻 を感ぜ しめざる様勉 めざる可 らずよJ また奥田は,大
正2年
8月の中等教員夏期講習会の席上,な
らびに同年H月
の師範学校長会議で も,今
日の師範教育 は,形
式主義的であると批判 しているよりその山本内閣 も,シ
ーメンス事件 によ って瓦解 したが,近
代的な帝国主義国家をめざす教育の合理化政策は,大
隅内閣に受け継がれてい った。大正3年
4月に成立 した大隅内閣は,基
本的には立憲主義的な教育政策を展開 し,そ
の立場 から明治教育 を論難 していった。既に大隅は,明
治41年 5月に開催された全国小学校教員会議に参 加の教員を招待 した際,教
育勅語を一部批判する演説を行っている。 「外人或は我が▲教育勅語 を以て,其
の国民の義務 を説 くに切にして,権
利 を説 くに粗な りとな す,誤
れるも亦甚しと云ぶべ し,然
れども予は密に憂ぶ,全
国小学教員諸君にして,仮
令此の外人 の如 き見解を持たず とするも,其
訓ゆる鹿或は権利 を措て,義
務の一方に偏するに非ずや と云ふ事 を,聖
旨に所謂常に▲国憲を重んじ,国
法に従ひとあるは,我
が国民の最 も注意すべ きな りとす!」 また彼 は,明
治教育 を「封建時代の遺物J,「形式的」,「英雄主義」的であると,次
のように述べ ている。 「回顧すれば帝国憲法の発布せ られて以来,既
に二十五年 を経てをる,然
るに憲法の知 られ ざる事 此 くの如 きは何 ぞ といへば,そ
れは実に新 日本帝国の国是 を知 らぬか らである,換
言すれば立憲精 神の一大重要素たる,自
由独立の精神が尚ほ甚だ幼稚で,旧
来の最大願習たる形式に捉 はれてをる か らである。故 に教育 の精神 におては,此
の封建時代 の遺物たる旧思想 を打破するよ り,重
要 に し て且つ緊要なるは無いのである。(中略)我輩の観 る所 を以てすれば,今
日の教育 は形式的であって,立憲国民の教育た る所以が甚だ乏 しく,明治五年の学制の御沙汰 にす らも劣 ってをる様 に思ふ。(中 略
)今
日の教育者 は退嬰保守 をこれ事 とし,殆
ど進取改新の精神が鋏けて居 る様 に思ぶ。殊 に所謂 教育者の年寄達の中に,さ ういぶ者がある様 に見 えるのは,我が国教育上の一大遺憾 である。(中略) それ ら老込の勢力の及ぶ所 には,凡
ての進歩発達が一切停止 して,昔
話の愚痴が教権 とな り,其
の 事業は単 に形式 に馳せて,改
新 といふ事 は不可能 となる。然 るに又 これは自由独立の精神 と反対 し てをる事であって,何
で も昔風 を可 しとし,階
級形式 を重 んずる様 になる。 これが即 ち我輩の所謂 封建思想である。而 して我輩の観 る所 を以てすれば,此
の封建思想 は,師
範教育 にお て最 も多 く含 まれて居 る様 に思ふ。若 し果 して師範教育が,此
の願旧思想 を最多 く含んで をるな らば,其
の教育 を受 けた教師 を以 て しては,国民精神を教育 して,立
憲的な らしめるな ど >い ぶ事 は到底出来 ない, 故 に我輩 は全国の教師の頭,殊
に師範学校の教師の頭 を改造 し,先
づ これ をして立憲的な らしめる 事が,即
今 日の教育上 の最要最緊事業 と思ふのであるよ? 一方,文
相一木喜徳郎 も,大
正3年
7月27日 に東京音楽学校 で開催 された中等教員講習会の開会 式 において,次
の ように訓示 している。 「―,教
育 の目的 は,国
運発展の源泉 を涵養するに在 り。由来教育の事業たるや直 に其成果 を得 る にあ らざるが,故
に,不
知不識の間におて,動
もすれば沈滞の弊 に陥 り易 し,荀
くも教育の事 に従ふ者 は,常
に智徳の修養に志 し,倫
安退嬰の晒習に陥 らざらんことを期すべ し。 一,抑
も中等教育 は,将
来国家の中堅 となるべ き国民の為 に,堅
実なる品性 を涵養 し,健
全なる 常識 を敷行 し,崇
高なる人格 を陶冶するを目的 とするものなるを以て,諸
子 は独 り捨任の学科 を,教
授するを以 て能事畢れ りと為 さず,各
員協力魏力 して生徒の薫陶 に遺憾 なか らん事 を望 む。 一,中
等学校 は動 もすれば,学
科 目教授の調和統合 を鉄 くの弊に陥 り易 し,是
れ斯の教育の本 旨 を全ふする所以 に非ず,能
く相互の連絡統一 を保 ち,互
に補益 し以て生徒在学の間 は常 に教授 の針 を― にせん ことを斯せ ざる可 らず。是れ徒 らに教授の分量 を繁多にして,所
謂詰込主義 に 流れ啓発の趣 旨に戻背するが如 きことある可 らず云々よゴ これ ら立憲的自治,自
由,権
利等の理念 にもとづ く教育改造への要求 は,第
一次世界大戦の勃発 (大正3年
8月)に
よって,よ
リー層の危機意識 を もって叫 ばれるようになるが,そ
れは近代 的な 帝国主義国家へ と脱皮 をはか らない限 り,世
界分割競争 に参加 し,欧
米 に打 ち克つ ことは不可能で あるとする認識 による ものであった。 そして,そ
のために帝国主義的課題 をよ り効率的に遂行 し得 る実行型の臣民一公民の養成がめざされ,(1)風教刷新,り
)実業教育 の重視,は
)師範教育,中
等教育 の改善,に)学校衛生 と体育 の改善,G)通
俗教育の振興,が
政策課題 として浮上 して くるのである。 大正4年
8月,一
木 に代 って文相 に就任 した高田早苗 は,「今や欧米の地戦乱の巷 と化 し,欧
州先 進国の文明一時中絶 の状態 に在 り,力
を国外 に伸張す るの余裕 な し,吾
人 は他人の憂 を以て吾喜び と徴す者 に非ず と雖 も,此
機逸す可 らざる也,実
に千載一遇の好機 は吾 に来れ るものにして,比
機 を利用 して体力 を養成 し,奉
公の念 を抱 き内立憲の美果 を収 めて海外 に勇躍 し,以
て平和的通商的 利益 を収捨すると同時 に,遅
れ勝 ちなる此後進国の文明 を して,夫
の欧米先進国の文明 と同一地平 線 に向上せ しめ遂 に之等 と雁行角逐するの潜勢力 を養成す可 き也,教
育の方針此外 に在 る無 く,若
し今之 を逸 し去 りて計画鳥有 に帰するあらば日本国民の前途実に知 る可 きのみ」ωと述べ,さ らに,大 正5年 5月 に開催 された第6回全国小学教員会議で文相代理 として講演 した文部次官福原錬二郎 も, 戦後教育経営の重大性 をこう力説 している。 「今次の大戦乱 は,各
国 とも国民の金力 を挙 げて相争ふてゐる,さ
れ ど結局各国 とも,学
術 と教育鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第
2号 355
との戦争であるといふ ことが出来 ると思 う。荀 くも男子 にして兵役 に堪へ得 るもの は,悉
く戦地 に お て活動 してをる,
といぶが如 きことは,少
くとも過去 におては無かった事実である。而 してか く の如 き場合 にお て,国
民教育 の成績如何 は直 ちに戦争の勝敗如何 といふ ことになる,モ
ル トケ将軍 が戦勝の功 は小学教師 に在 るといった語 は,今
日の欧州戦争 にお て最 も痛切 に感ず る次第である。 況んや戦局終結の後 は,各
国の国民間の競争 は益烈 しくなるの時 に当 り,将
来列国の間 に立 って落 伍者た らざらんが為 には,特
に小学校教師の力 に倹 って,大
に国民教育 を盛 に し,国
民道徳 を作典 し,国
民性 を確立せねばな らぬ。此の点 にお て当局者及び実際家共 に力 を合せて,国
家の為 に大 に 努力 しなければな らぬよ]3.大
正前期 の体育改造政策論 政策主体の側 か らの こうした全般的な教育 の自由化論 は,当
然,体
育領域 にも波及せ ざるを得 な かった。大隅 自らも体育 に注 目し,既
述の全国小学校教員会議 (会長沢柳政太都)で ,次
の ように 述べている。 「体育の不進 を以てせん と欲す,夫
れ教育上 にお ける体育 の意味 は,菅
に頑丈粗暴 なる荒武者 を作 るの意にあ らず,近
来体育 的美即 ち身体美 は,寧
ろ美術家方面 よ り研究せ られつつあるが,教
育家 にお いて も其の体育上理想 とする所 は,結
局此の美術家の所謂 自然美 に帰せ ざる可か らず,凡
そ学 問にお いて も事業 にお いて も,其
の成功す ると否 とは意志の撃固なる意志即 ち健全 なる意志 は,虚
弱なる身体 に求 むべ きにあ らず,古
諺 に所謂健全 なる精神 は健全 なる身体 に宿 るとは,真
に之 を謂 へ る至言にして,即
ち健全 なる意志は,健
全 なる身体 と相伴ふ ものたるは,亦
争ふ可か らざる事実 な り,或
は煩悶に苦 しみ懐憮 悩に悶え果 は華厳 の霊瀑に死屍 を浮ぶるの醜状 を演ず るが如 きは,畢
党此の健全なる意志 な きの致す庭 にして,随
て道徳上 にも終世の汚点 を加ふ る所以 な り!] また文部次官福原 も,先
の講演の一節で衛生思想の養成 についてふれ,「国民の体力 を旺盛 ならし むるには,先
づ第一 に衛生思想 を養成 しなければな らぬ。当局 にお いて も衛生課 を復活 し,其
の官 制 も遠からず発布 され ることと思ぶ。而 して之 に依 って,着々 と学校衛生の改善 を図 らうと思ふが, 抑此の問題 は実際家 と共 に基力 して,そ
の効 を致すべ きであると思ふのであるか ら,切
に諸君の援 助 を望む次第である」のと述べている。こうした体育改造に向けての動向は,次
第 に教育現場 に下降 し,自
律,発
動,自
治,協
同一致 とともに,体
力の充実,衛
生思想の普及が叫ばれていった。例 え ば,大正2年
秋の全国師範学校長会議では,「―,向上の精神 を発揮せ しむること。二,自律的発動的 精神の涵養に努 むべ きことY° が決議 され,ま た大正3年
4月 の全国小学校教員会議で も,「我国現下 の国状 に顧 み普通教育上特 に留意すべ き諸点如何」の問題 について討議 され,「―,自
治 自律的精神 を養成すべ きこと。二,自
律的発動的精神の涵養 を努 むべ きこと写1)が決議 されている。 一方,既
述の第6回
全国小学校教員会議では,第
6号
議案「時局 に鑑 み小学教育上特 に注意すべ き事項如何」を審議 してい るが,そ
のなかで同議案 は,「我が国民が赤誠 を以て上下一致国運興隆の ために基痒せ ざるべか らざる事今 日の如 く切 なるは轟 し我国歴史あって以来未だ會て有 らざる所 な り。我国が一百年前の独逸 にお けるが如 く教育興国の国是 を樹立 し教育上心 を新 にすべ き改革案 を 断行すべ き秋 は今 な り。之がためには一国の教育系統 を整理 し人材養成機関 と実社会の要望 との間 に緊密不離の関係 あ らしむることを始 として論ずべ き事項多々あ りY分 と述べるとともに,「我が国民 教育 をして世界列強 に伍 して能 く之 に対抗 し得んがためにP「
教師其人 に優良なる人物 を得る策学° を講 じ,「列国の生存競争 は年 を追ふて益激甚 を加ぶ るものなる事]を知 らしめ与「立憲国民たるの思 想 と性格 を得せY° しめるべ きであるとしている。そ して,さ
らに「産業 に対 する基礎的陶冶Vり を行い,「海外発展の気風 を起すYOこ とのみな らず,「大 に体力の充実を図 り剛建の気風 を養ふY働 ために, Цl)積極的衛生思想の普及 を図 るべ し 鬱)学校体操の改良 をはか るべ し (3)鍛練的競技及 び武道 を 奨励すべ し は)尚武の気象 を涵養 し国民皆兵の覚悟 あ らしむべ し雪°と述べている。 これ ら体育改造への気運 は
,次
第 に地方 レベルに も浸透 していった。信濃教育会 は,大
正4年
3 月に研究課題 の一つ として,県
の諮問事項である「近時の情勢 に徴 し体育上進歩 に関 し如何 なる施 設 を要す るか」 をあげ,そ
の根拠 につ いて,こ う説明 している。 「文運の隆盛 に伴ひ社会の情勢や ゝもすれば文弱 に流れ国民の体格 また寒心 に堪 へ ざるものな きに あらず而 して列国対時の形勢年 と共 に激甚 な らん とするに際 し我が国民の元気 を鼓舞 し体育 に関す る国民の風 尚を作輿せん とす るは実 に時運の要求 と謂 うべ し其の学校教育 たると社会民心の指導た るとを間 はず国民全般の身体 を鍛練 し衛生 を進 め以 て国運の発展 に資せん とする将 に如何 なる奨励 施設 を加ふべ きか即 ち本問題 を提供 する所以 な りす1)と c また山形県で も,大
正3年
6月 の郡市長会議 に出席 した同県知事 は,国
民道徳 の刷新 と新人物 の 養成 をはか るべ きであると司│1示している。 「国家の健全 なる進歩発達 を計 るには種々の方法手段 あ りと雖 も其の根抵 は国民道徳の振興 にあ り と信ず。た とひ富国強兵の一時的現象あ りとす るも其の根抵たる国民道徳 に して萎徴顔廃せん力W胎 も空中楼閣の如 く忽ち顛覆するを免れず。然 るに現時我が国の民風 は奢修の風漸 く長 じ浮華軽兆俗 を成 し私慾の念漸 く盛 にして風紀将 に頼廃せん とす る傾 あ り。職 に公務 に従事す る者此の際極力是 等悪風の防過 に努 め国民 を して進取剛健の気象 を養成せ しむべ し。実に今 日我が国 は世界の競争場 裡 にあ り。故 に民風 をして常に凌刺たる生気 を具へて向上 の精神 を融合せ しめ期か も倫安退嬰の情 気 を帯 び しむべか らず。国民斉 しく有為潤達の意気 に富む と共 に益々自制力 を振起 し上下一致国力 の発展 を期せざるべか らず。此の如 き根抵あ りて こそ文物制度以て盛なるべ く殖産興業以て大なる ことを得べ し。教育の要 は人物 を養成するにあ り『? 知事 は,人
物養成のために(1)国民道徳の涵養,修
)勤労主義,は)実際的教育,は
ガ固性教育 の確立, を強調 し,大
正6年
の郡市長会議では「体育及 び学校衛生の奨励Jに
関 して,次
の ように言 ってい る。 「健全なる国民の養成 には岡」健 なる体格 を作 り上 げることが必要である。然 るに近年壮丁検査の成 績 に徴するに其の体格 は身長 に増せ ども体重 に船 て補減少 し一般国民の体力漸減の傾 向 を示せ るは 国家の為前途是に寒心 に堪へない。而 して之が救済の途 は固より国民生活の向上 と相倹たなければ ならないが小学校児童体力の増進 を計 ることが急務であるとして百万体育の向上 を奨励 した。(中略) 学校の体操科 は極 めて重要な位置 に立つ ものなるに本県に船ては頗 る不振の観 あるは遺憾 である。 その原因は一 は家庭の罪で― は学校の罪である。多 くの家庭 にあっては他の科 目の不成績 なるもの に対 しては相 当に顧慮 して居 るが体操科 は軽視するのが常態である。又学校 にお て も国語算術等に 対 しては頗 る慎重なる取扱方 をして居 るが体操科の如 き健康及規則 と密接 なる関係 を有 する学科 に 対 しては現今 は従前 と異な り特 に深 く注意すべ き時代 になって居 る。従 って今後体操科教授の改善 を促 しただに身体の鍛錬 を期す るのみならず兼て精神の訓練 を図 り護国の精神 と共同の観念 とを発 揚せん ことを期 し或 は課外 に船て時々快活なる野外運動 をなさしめ或 は高学年児童 にあ りては撃剣 を奨励 して体力の鍛錬 を期せ しむべ し。又体操教授 に器械 を要す るを理由にして近来屋 内体操場 に おてのみ課 する傾向があるが体操 はなるべ く屋外 にお て課するを本体 とすべ きであ るよ〕鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第
2号
4.学
校体操教授要 目公布前の体育 以上のような立憲的人物 の養成 という課題 の実現 に伴 って,体
育改造が呼号 され るなかで,学
校 体操教授要 目 (以下,教
授要 目と言 う)が
公布 されることになるが,明
治後期か ら大正期への転換 期 における体育の実情 は,い
かなるものであったのか。 それは体育振興のかけ声にもかかわ らず, 依然 として低迷 と混乱 を続 け,特
に児童の体力問題 に対 する焦燥 は極 に達 していた。『教育時論』も, この問題 をとりあげ,青
年,児
童等の体重の減退 をこう指摘 している。 「明治二十二年の壮丁平均体量 は十四貫三百五十二匁なるに,四
十二年 は十四貫百十九匁,四
十三 年 よ り四ケ年 を通 じて十四貫三十七匁な りしが,大
正元年及二年 は十四貫二十七匁 に減ぜ り。斯の 如 く青年の体量の減退す るは由々 しき大事 に して,特
に教育 ある者最 も甚だ し く,中
学校卒業以上 にして甲種並 に第一種 に合格せ る千分比例 は,中
学 は四〇六,高
等専門は三三二,大
学 は二五二 な り。然 して小学校卒業者 は三分の一以上の合格あ り,今
東京市の小学校卒業歩合 に就 て見 るに,四
ケ年教育 は一〇〇 に対 し八二,に
して六ケ年教育 にあ りては六五 となる,更
に全国小学校 を調査す るに平均八五な りと云ふ。斯 の如 く就学年限の永 き程,体
量の減退 を来す傾向あるにお ては,他
日 国家の年城なる者 は小学校 出身にのみ限 る如 き奇現象 を呈 し,幹
部た り将校 た るもの如上の統計 に ては,軍
国の前途憂へざるを得 ざるな り留 また体育 の現実 は,永
井道明 をして次のように嘆かわ しめるほどであった。 「我国にお ける体操の現状 は,ど
うであるか といぶ ことに就て,自
分が帰朝以来の所感 を述べてみ や うと思ふ。 日本従来の学校体操 は極 めて簡単 な形式によってゐたのである。一例 を挙 ぐれば,独
逸体操の中の軽体操 を以て直ちに器械体操 としてゐたのであるし,又 ,瑞
典体操 もその強い烈 しい 運動 を鋏ひて,他
の一部 しか行 はれてゐない。併 し,近
頃,余
が視察 した二三縣の体操の有様,そ
れか ら,数
年前の体操 に比べて一段 の発達 をな してゐることは事実である。之れは確かに文部省の 遊戯体操委員諸氏の研究 になれる報告による事 と信ずる。 自分 は,此
報告に全々賛成 であるとはい へぬが,併
し大体 にお ては,尊
敬 を以て之 を迎 えるのである。 ところが,実
際之 を行 ってゐる人々 の有様 をみると,疑
惑 を抱 きなが らやってゐるらしく,
どうも,力
瘤が入 ってゐない ものを多 く見 受 ける。之れは一法令 の罪である。かの調査委員の報告 は,実
行上 もその罪 を帰せねばな らぬ。体 操 に関する意見が区々で,形
式 も色々異 った ものが出てゐる。之れがため,世
人 は迷 はされて,新
書体操の間に,街
往 しつ ゝあるためではあるまいか と思ふ。 自分 は此現状 を見 て,我
体育界の無見 識 を歎ぜざるを得ないのである。全体,諸
外国 におては体操の種類が沢山ある。 ところが,我
国で は其中の僅かに一二種 だけ用ゐてゐる。 しか も,そ
の撰繹,取
捨 に迷 ってゐる。何れの体操で も其 適用 さへ巧みであれば,即
ち適材 を適所 に置 きさへすれば,相
当の効果 はあるものである。 そこで 只一二種の ものについて,そ
の長短 を論ずることを止めて,宜
しくあ らゆる種類 の体操中か ら適当 な ものを撰揮 して,之
れ を各種の生徒児童 に適用するや うにすべ きである。 されば,そ
んなに迷ふ ことはい らぬ と思ぶ。要するに新体操が出て進歩 した点は確かに認むることが出来 るが,又
一方に は雑駁 となっていることも亦事実である留 一方,永
井 は,中
学校長会議 (明治42年8月 に開催)で
も体操 に関す る講演 を行 い,「体操 には, 身体 を均斉 に発達せ しめんが為 めに必要なる,鍛練的訓練的の重体操goと 軽体操があるが,「然 るに 軍人の先生中には,狭
き軍隊用体操 を知 りて,学
校生徒 に適用すべ き体操 を知 らざる者 あ り,普
通 体操の先生中には,一
部分 なる軽体操のみ を重 ん じて,強
健的体操 を忽 にす るものあ り。二者併用 統一の事 は到て急要なるを認 むすつと述べているが,この永井の指摘 は,体
育科教育 の教材内容 を決 定する価値基準,こ とばを換れば,体
育科教育 の教科論がなお未成熟であった ことを示唆 している。そして
,そ
れに起因する混乱 は,日
常的な ものであつた と推測 され る。真行寺朗生 も,そ
の実態 を 次のように記 している。 「我が笹をして忌憚 な く日はしむれば,我
が現今の学校体操科 は実に無理想,無
主義 なるものにし て,尚
ほ支離滅裂殆ん ど混乱雑駁 な ものである。更 に我が衡をして別言せ しむれば,現
今の学校体 操科は其の教材のみ徒 らに多 くして教授者が之 を採 って以て実施すべ き教材の撰 澤に腐心 しつ ゝあ るにも拘 らず,我
が体育界の所謂先輩 と称す るものは,一
として確実なる主義 ある,主
張ある実際 案 として嫁 る可 き教材 を提案す るものが宅 もない。故 に現に各小学校 に実施せ られつ ゝある体操科 の実際 は,実
に区々実に不統一極 ったるものであると称 さねばならぬ。勿論我が笹 と雖 も体操科教 材 と同案ではないので,是
れを全体 の上 よ り観ずれば実 に不統一極 った ものである と称 さねばな ら ぬ。勿論我が衡 と雖 も体操科の全国統一 は実に研究 を要すべ き大事業であると思ぶ けれ ども,要
す るに現在我が一般学校 に船 ける体操科の鋏点 は実 に此の点 にあるのである,故
に此の鋏点 に して改 矯整理す るところがないならば,我
が将来の体操科の実際は益々混沌 たるものになって仕舞ふ と思 ふ と亦寒心すべ き現象ではなかろうか。 今試みに我が現今の学校 にお ける体操科教材の雑多なる査察すれば,我
が傍 は実 に直 ちに十指 を屈 することを得 るのである。 日は く各個体操,日
は く連続体操,日
は く唖鈴体操,日
は く球竿体操, 日は く信号体操,日
は く半輪体操,日
は く豆嚢体操,日
は く木環体操,日
は く木剣体操,日
は く薙 刀体操,日
は く欅体操等に実に枚挙す るに追がないではないか,(中
略)何と多数 なる教材ではない か,(中
略)其
の材料 の種類が雑多なる丈 けに其れ丈実際の教授者 は一々生徒・児童 に課すべ き実際 案の撰標に迷ふのである。(中略)而して更 らに目下普通体操 と称す る所謂坪井,可
児二氏の編成せ られた うちにも,進
歩 したる現今 に船 ける実際的の体育原理 よ り研究 して,省
略 して欲 しい運動 も あるや うに見受 くるは甚だ遺憾 とす るところである。(中略)近
代瑞典式体操の隆盛 な りしま ゝに, 疲労 と運動 を配合すれば,如
何 なる運動動作 も出来 るところより,疲
労 と運動 との聯関的原理 もお 構ひな しで,徒
らに新 を好 み奇 を街ふ というよ り,何
等の主義主張 もな く,種
々勝手 なる運動方法 を案出 して,而
か も何々体操 と称 して斯界 に提供出品す るけれ ども,是
等 は大々的に我れ我れ体育 家たるもの ゝ,猛
省 を要す ることであると思ふ『 」 永井,真
行寺の批判 に対 して,体
操・ 遊戯取調委員会の委員であった可児徳 は,問
題点 として体 育 に対する認識不足 と教員養成の不備 をこう指摘 している。 「体育 は大切である,体
操科 は学校訓練の中心 とな らねばならぬ,従
って教師其人 の撰押 には周到 の注意 を要す るとの御意向,感
心の校長 さんではある と対話 を進 めている中に,時
に君一人優良な 教師はなか らふか との御詫,待
遇 は ときけば,ど
うも今経費がないか ら二十五 円乃至三十円 (但し 柔道か撃剣が出来れば)と
の事……恐縮々々。実 は体育 は未だ真価値 を認 め られてないのだか ら致 方 もなか らぶ。十九年 には体操伝習所が廃せ られて以来,此
種の学校が再興せ られぬのが第一の證 檬である。唯―の私立体育会 も時運 に鑑みてか,段
々退嬰主義 を取 らる ゝ様 に もきいた。之 に反 し て他の専門教育 に属す る音楽だ とか,美術 とかいぶ方面 は,著しき進歩 をな しつつあるではないか。 政府 は先 に美術展覧会 を創設 した。近 く又展覧会場 を建設 さる ゝと伝へ聞 く。音楽方面 で も決 して 観過 されてはゐない。続々海外留学生の派遣 さる ゝので も,其
の一端 を窺ひ知 るに難 くはない。独 り体育方面が音沙汰 もな く,静
まり返 って居 るのは不思議な現象ではなか らうか側 同様 に寺 田勇吉 も,体
育の不振 と内容の混乱が教員養成 と研究機関の不在 あると批判 している。 「今 日我国の小学校,中
学校 に船 ける体操 を見 ると甚だ統一 を鋏 いて居 る,実
に不統一極 まるので ある,是
はどうして も体操の研究所 と云や うな もの を造 らねばな らぬ と思ぶ,現
に佛蘭西では日本鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第
2号
の戸山学校 みたいな所 で体操教員 を養成 して且体操法 を研究 して居 る,又
独逸では伯林 に中央体操 伝習所 と云ふ ものがあって,体
操教員養成の外 に体操の ことを研究 して改良を加へて居 る」ωが,わ
が国では,「亜米利力日か ら帰 って来た体育家 は其儘亜米利力日式の体操 を吾国の生徒 に教へ,瑞
典か ら 帰 った者 は瑞典式,独
逸か ら帰 った者 は独逸式 を教へ ると云ふや うな訳で,ど
の体操が 日本人の身 体 に適合するのか どうか と云ふや うなことは少 しも研究 されて居ない。従 って各学校 も勝手 な事 を して居 る,将
来 はどうか して体操の研究所 と云ふ もの を袴へ,而
して日本人 に適合す る体操 を研究 して之 を生徒 に課 さなければ吾々 日本人の身体 は良 くなるまい と思ふ子」5.学
校体操教授要 目の公布 学校体育 の停滞が指摘 されるなかで,大
正2年
1月28日に文部・陸軍合同調査会の統一案 を素案 とする教授要 目 (訓令第1号)が
公布 されたが,訓
令 は,次
のような ものであった。 「北海道鷹 府縣 学校 二船 ケル体育ハ主 トシテ体操科 ノ教授二侍 ツ然ルニ従来各学校二船 テハ其 ノ授 クル所 区々ニ 亘 り往々其 ノ準檬スル所二迷ヘルノ観 ナキエアラス乃干勉二本省委員 ノ調査二係ル学校体操教授要 ロヲ公示 シテ以 テ普通教育二船ケル該教科教授上 ノ参考二供 セシムルコ トゝ為セ リ
,地
方長官ハ宜 ク各学校長 ヲ督励 シ本案 ノ示ス所二考へ土地 ノ情況 卜生徒身体 ノ発達 トニ照 シ各々適切 ナル教程 ヲ 定 メ以 テ体育 ノ振興 ヲ図 り生徒身体 ノ健全 ナル発達 ヲ期セ シメルヘ シ 」り 教授要 目の公布 とともに,文
部省 は,機
会 あるご とにそれを範 として仰 ぐべ きことを強調 してい る。例 えば田所普通学務局長 は,大
正2年
5月16日に東京高師で開催 された全国師範学校 附属中学 校,高等女学校体操科教員講習会の開会式に奥 田文相の代理 として出席 し,「我邦 にては体育 は智育 及び徳育の進歩 に し′て,甚
だ幼稚なるは頗 る遺憾 に して,今
後大 に奮働改善 を期す る必要 あるは回 よ り多言 を要せず,而
して体操 は体育の方法なるを以て,之
れが教授の任 に当 り居 るもの は菅 く, 其本来の目的に着眼 し,各
種体操の意義 を明 に して,生
徒 に自覚 を促 し,彼
等 をして将来学校 を卒 業 したる後 に船て も,是
れを本 として自ら教育 の発展 に努力せ ざるべか らず留 この教授要 目の公布が,明
治以来の懸案である壮丁体位の低下問題 に歯止 めをか け,第
一次大戦 をめ ぐる国際緊張の間隙にあって,国
民的 自覚 に もとづいた国民体力の養成 という国家的課題 の解 決 を意図 していた ことは言 うまで もない。後 に臨時教育会議の委員 として,国
民体力の改善 を主張 す ることになる高木兼寛 も,同
様の主 旨の ことをこう述べている。 「国の強弱 は兵力の如何 に依 ることは勿論であるが,兵
力の強弱 といふ ことは,勿
論精神 的訓育の 如何 といぶ ことが最大 なる原因になるけれ ども,た
とへ精神的には如何 に健全 な訓育 を受 けて居 る にして も,此
の精神 を発揚すべ き肉体が弱 くては十分其の 目的を達 し得 られない として見 る と,兵
士の体力如何 といぶ ことは,実
に重大 な国家的問題 である。次 に如何 に兵士 を健全 な ものに しや う として も,其
の根幹た る国民の体質が健全でないな らば,兵
士のみを健全にするといふ ことは絶対 に不可能であるか ら,国
を強か らしめん とす るには,先
づ第一国民全体の強健 を計 らねばな らない, 殊 に国民全体が強健 であるならば,単
に兵士のみ強健 にす るの巧のみでな くて,農
商工業各般の生 産的動力 を強めるの効果驚 くべ きものである留 この軍事的観点 と経済合理主義 による体力増強論 は,教
授要 目公布の立役者である永井 に も共通している。彼は「我が国民の責任」として
,社
会ダーウィニズムの観点から国家的危機を次のよう
に訴 えている。 「適者生存 は生物 を支配す る永久の真理で,優
者劣敗な歴史上の明かなる事実で,世
は常 に実力の競争である。此事 は古今東西変 らざる現象であるが
,今
回の世界動乱 にお て,益
々其の真 なる事 を 覚 らしめた。而 して適者 と成 り,優
勝の者 と成 って生存繁栄 しや うと思へば色々為す可 き仕事があ り,轟
すべ き手段がある。其の為す可 き仕事,蓋
す可 き手段 の中で,最
も根本 と成 る可 きものは, 教育である。此の意味 よ りして,教
育 は国家の盛衰 を支配す るもの,実
力養成の最大根本であるこ とは今更贅言 を待たない。而 して教育の事業の中で,又
最 も其の基礎 を為す所の ものは体育 である。 此の意味 よ りして,体
育 は国家の盛衰,実
力養成 に対 すると云ふ も敢 て過言ではない。殊 に責任の 大なる国家程,又
特 に大 いなる体育 を施 さなければ,到
底其の責任 を全 うすることは出来 ない。我 が国民の責任如何 と云ふに,其
の重大なる事能 く言葉 の蓋 す鹿でない子ゴ そして,こ
うした認識 を背景に永井 は,世
界一等国 としての国民的 自覚,な
らびに国民体力の養 成が急務であると述べている。 「明治二十七八年即 ち日清戦役の後 におては,国
民の大多数 は,彼
の二国干渉の為 めに遼東還付 の 悲惨なる実例 に鑑みて,臥
新嘗謄の覚悟 をしたや うである。然 るに更 に世界的なる三十七八年の, 日露戦役の後 にお ては,我
が 日本が事実上世界 の一等国 に頭 を入れ始 めて,従
って其の責任が非常 に重 さを力日へたに も拘 らず,我
々同胞 は割合 に之 を自覚 しなかった。此の時 にお ける我々覚悟 の必 要なる事 は,臥新嘗謄 を成 した二十七八年の比で はなかったのである。勝 って甲の緒 を締 めて,益々 奮励す可 き実 に大切 な時であうた。然 るに我が国民の多 くは,戦
勝の熱 に浮かれて,油
断 をして浮 華軽薄に流れ,誠
に畏れ多い事 なが ら先帝陛下 を悩 し奉つ り,成
申詔書 を下 し給 はるの必要迄 も起 したのは,如
何 にも浮 されて居 る国民で も覚 めずには居 られ まい。如何 に油断 して居 る人で も,心
配せずには居 られ まい と思ぶ。即 ち我が国民の大責任 を自覚 し,大
いなる奮励 を要す るのは,今
日 を置いて,又
何 んの時かあ らん。」°6.ス
エーデン体操の 日本化 と教授要 目批判 ところで,永
井 は,「我が国の教育家 は,何
が故 に斯 く迷 ひ斯 く不統一 に陥てたか と云へば,是
は 従来体操科の発達の幼稚なるが為である。何が故 に我が国従来の体操科が幼稚であったか と考へれ ば,我
が国の国是,万
事世界的研究 を加ふ るに反 して体育体操科の ことのみは之 をや らなか ったか らである」つと言 い,従
って教授要 目は,こ
の幼稚 な体操科 を是正 し,学
校体育の混乱 に終止符 を打 つことを目的 としているのであって,決
して,学
校体育 を画一的に統制す ることを意図 している も のではない と述べている。 「従来迷 って居 て確 たる方針のなかった結果一方に船 ては矢鱈 に色々の ものを濫用 して少 しも統一 する事が無か ったのである。 これは教科の一 として甚だ不都合 な事で一国の教育上の仕事 に其の方 針に船て統一す る庭のないのは,国
の教育 として甚だ宜 しくない。是故に比の要 目は体操科の方針 を定め其の準嫁す る庭 を明 らかにする為 に,統
一 したのである。併 しなが ら此の統一 と云ふ事 は画 一 とは違ふのである。比の方針 に従 ってやれば誤 りがなか ろうと云ふ事 を指示するので,一
か ら十 迄全 く此の要 目の示 した通 り,画一的にやると云ふ様 な事 は出来 もせず また望み もしないのである。 殊 に教材の配 当な どに船ては,生
徒の発達 に応 じて,実
際 に力日減 をしなければならぬ もので到底画 一的などに行ぶ可 きものではないのである側 また,永
井 は,文
部・ 陸軍合同調査会以後,学
校体育 の内容 にスエーデン体操 を導入すべ きこと を強力に主張 したが,そ
の背景には,彼
自身「今回の要 目も,其
の主な出発点 を此の報告 に置 いて いるのである。併 しなが ら惜 しい事 には根本的なる三大暗流の裁決 をして居 らない。所謂瑞典体操 を大体採用す ると云 ひなが ら,矢
張 り所謂普通体操迄 も,其
の形 を代 えて採用 して居 るのである。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第
2号
是即ち二兎を追ふ者 は一兎 も得ずと云ぶ諺に漏れず或は反て迷を加へたる如き観がある」9と語って いるように,普
通体操 とスエーデン体操を併置 したことに対する反発があった もの と解釈される。 しか も,こ
うして導入 されたいわゆる教授要目体操は,純
粋なスエーデン体操ではなかった。 この 点について永井は,そ
の体操は「決 して新体操 (スエーデン体操 筆者註)と
云 う可 きものではな いf° のであ り,合同調査会における文部省 と陸軍省 との妥協の結果,陸軍の歩兵操典 とを折衷 させ, 日本化された ものであって,日
本的な体操によって,は
じめてわが国体育の目的を実現 しうると述 べている。 「加ぶるに教育家が内に自か ら迷へるの時 に当 り,我
が陸軍 よ り恐 しき交渉 に接 して居 る。其の意 は,学
校の体操 は徒 らに形式 に馳せて,用
を為 さず,陸
軍の体操 は,数
十年の経験 に依 り,最
も完 全なるものなれば,学
校の体操 も,皆
な之 に依 らしむるを以 って,国
民教育上最 も有利 とす,と
の 意であった。之 に対 して文部省 は共々 に虚心平気 なる研究調査 を行 うを以てし,又
自か ら学校体操 の整理 もしなければな らぬを云ぶ事 に成 って居 った守りが,「吾人の最 も大なる教訓 を興へて居 るのは 夫の歩兵操典 な どであ る。我国の歩兵操典 は今 日では純 日本的な もの となって居 る と思ぶが,形
は 一朝一夕に出来たのではない。維新前 よ り或 は和蘭 を用ひ,或
は佛蘭西式に檬 り,明
治十八年頃 よ りは更 に独逸式 を採用 し,実
際にお ては維新の戦争 あ り西南の戦争 あ り殊 に対外的には日清戦争, 北清事件,日
露戦争の非常 なる経験があって,そ
れ等の結果始 めて 日本的 とな り得たのである。体 操科 をして真正 に日本 的な もの となすに就ては一方に我国の歴史 と我国民の魂 とを中心 に置 くと同 時に更 に一方にお ては科学的体育の幼稚なる日本 なることを反省 し我が国是の大方針の示す如 く広 く智識 と材料 とを世界 に求め,着
実なる実行 と恒久なる経験 とによ り始 めて其の 目的 を達成するこ とが出来るのである。本要 目は従前の撰鐸なき外国の模倣 よ リー大躍進 を加へて我国児童本位の主 義 により広 く内外の実際 を比較研究 して兎 も角成立 った ものであるか ら取 りも直 さず真正 に日本的 ならうとす る大 目的に進み行 く階梯 とも言 うべ きものである。雪り また田所普通学務局長 も,そ
の点 について「従来各学校 にお て教授せ られた る体操 は形式上 よ り 普通兵式の丙種 に区別せ られたるか,今
回発表 したる新教程 にては事実上 より体操及 び教練の二種 とな し,外
に遊戯柔道撃剣 を加へた り,而
して体操 は従来の方式 も欧米の方式 とに加ふ るに,日
本 国民の特質等 に鑑み,体
育の発達上最善 と認 めたる形式 を定 め,又
教練 にお ては全然歩兵操典 に準 嫁する事 とせ り,尚
な従来の教授要 目 (文部・ 陸軍合同調査会の統一案 筆者註)は
地方の情況 に 応 じ多少取捨撰澤 し得 るに止 まりしに今回は単 に参考要 目として之れ を参考 として各学校 に通 じて 適宜に教材 を排列撰禅せ しめん とした ものな り写°と記 している。 この ようにスエーデン体操の日本 化 の好機 とみた永井 は,「要 目実施上の注意」として(1)長期,短
期の講 習,(2)体操科器械 の改善のほ か,「器械 は生徒の為 に利用すべ き塩°こと,「運動 を容易 にす る為 に利用す るげ)こ と,さ
らに「生徒 を励 ます為 に器械 を利用す る雪°ことを指摘する一方,器
具のなかで も特 に助木 に深い関心 を寄せ, 体力養成の手段 として全国の小学校 に設置すべ きことを強調 している。 「瑞典式体操の特色 を器械 を以て代表するな らば,此の助木であると言 って,決
して過言ではない。 欧米各国を廻 って見て も,体
操場 に此の助木 なるものに依 って,瑞
典の体操が用 ひ られてあるとい ぶ ことに直 ちに看破す ることが出来 る。 自分が独逸国に遊 んで も,其
の伯林 なる陸軍の中央体操研 究所 に行 った時 に,最
も驚嘆 し,最
も安心 して,瑞
典 の体操 を取 って以て我が国民 を養成するの材 料 と為す可 しと結論 した ことも,実
はこの際彼の英傑 なる独逸のカイゼル陛下が,此
最 も有効 なる 助木 をば,其
の中央体操練習所 に備付 けしめ,こ
れ を研究せ しめこれ を実行せ しめつつあった とい うことを見た時であった。fつ永井 は
,文
部省 に全国の小学校 に助木 を設置すべ きことを働 きかけたが,彼
の期待通 りには実現 されなかった とい う。「其の理 由は外で もない,詰
り我が国の貧乏なること,我
が村落の貧弱なるこ とf9が余 りにも明 らかで,「余の正直なる頭か ら,ど
うして も出来 なかったξ9と述べている。7,教
授要 目の影響 と教授要 目批判 永井の このような嘆 きを超 えて,教授要 目は少 なか らぬ影響 を与 えていった。『新潟県教育百年史』 は,教
授要 目公布以後 にお ける学校体育の変化 について従来の球拝体操,亜
鈴体操,視
棒体操等の いわゆる普通体操が姿 を消 し,代
ってスエーデン体操 を中心 に,競
争遊戯,行
進遊戯 な どが実施 さ れるようにな り,県
下の各小学校 に助木,横
木が備 え付 けられるようになった と記述 している。 例 えば十 日町小学校 では大正7年
7月 に助木,平
均台,跳
箱が設置 され,同
年 8月 の夏季休暇 に は郡教育会の主催 による体操講習会が実施 され,約
200名の教員が参加 した とい う。 また同県では, 教授要 目の実施 に当って体育指導員,体
育主事 を新 たに設 けている『のこれは例示の一端にすぎない が,教
授要 目の具体化 に向けての動 きを伺 い知 ることがで きる。 しか し,こ
れ を もって直 ちに教授 要 目が,何
の問題 もな く教育現場 に定着 していった ことを意味す るものではない。永井 によると, 文部・ 陸軍合同調査会の統一案以後,伝
達講習は,明
治45年から教授要 目の公布 を経 て大正3年
ま でに4回実施 されている。即 ち,第
1回 (明治45年 5月 師範学校教員 を対象),第
2回 (明治45年 11月,女
子師範学校女教員 を対象),第 3回
(大正2年
4月 中学校教員 を対象),第
4回
(大正3 年 2月 高等女学校教員 を対象)である。 これ らの講習会の様子 を永井 は,「毎回いづれ も熱心の研 究 と誠実の奮励 とを以 て事 に従ぶ もの多数fl)ではあったが,「徒に枝葉の批評的態度 に出で しものも あ りて其等の人の着色眼 は遂 に真髄 を透視す る能 はず して止み しが如か りきfのと伝 えている。 また 各府県当局者や学校長の態度 も,必
らず しも永井の期待 に応 えるものではなかった。 「各府県当局者 は固よ り各学校長 は概ね非常の熱心 を以て会員の推挙 を図 られた り。殊 に其の会期 の学期中途 にして且つ普通の所謂講習に比 し檎々長 か りしに,関
はらず能 く一時鋏勤の損失 と永久 改良の利得 とを識別せ られた会員の出席 に便利 を興へ られたるを以て,各
国毎 に予定人員以上の志 望者 を生 じ文部当事者 をして,寧
ろ其の選定 に苦 しましめ し位な りき。之れ其の喜ぶべ き大体 の事 実 に付て言ふのみ,若
し其の遺憾 として見聞せ しものを言 はんか。国 く或府県には講習開催の通知 を普及せめざ りしものあ りとか,或
は学校長 にして教員の何の告 ぐる所 な く独断に出講希望者無 し と報告せ しものあ りとか,或
は甚だ しきに至 りては学校長 より差 出せ し志望願書 さへ粉失 した りと 言ふ府県 も二三あ りしやに濡れ聞れ り。」9 そして,さ
らにこれ らの問題 の根源 には,次
の四つの矛盾があると指摘 している。 「一体操科教員 自身奮励の足 らざ りしこと。(中略)熟々考ふ るに体操科教員 は国家教育の覚悟 にお て普通教員同等以上 な りしか,其
の常識,其
の人格 にお て普通教員同等以上 の実力 あ りしか,而
して其の修業にお て普通教員 と同等以上の苦心 と歳月 とを費や したるか,虚
心担懐之 を思ふ とき は蓋 し概 して其の否 らざるを認 めざるを得ず。斯 くの如 くにして普通教員 と同等以上の待遇 を得 ん とするは元来無理の注文 な り。然 り而 して其 の実際行ふ所多 くは教育 の対象主体 なる生徒其者 に触れず,或
は徒 に技術の未に拘泥 して蓄音機的形式教授 を演 じ,或
は空 しく口舌の体育 を弄 し て其の実行全 く無精神 に終 る者す らなしとせず,斯
かる教員其の技如何 に巧 なるも到底浅草の曲 芸師に及 ばず特 に其の浅薄 なる舞踏の如 きは女優 の比 にもあらず。斯の如 くにして曲芸師以上 に 尊敬せ られ,女
優以上 に待遇せ られん と望 む も蓋 し難 し,況
んや神聖なる教育家の待遇 を得 ん と するに船てをや今後 の我国体操教員たるもの発墳せず して可な らんや。鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第
2号
二我が国民が体育の必要 を自覚せざ りしこと。維新以後 におて我国民の体育 は殆 んど放棄せ られ た り,即
ち在来の武術す ら棄て ゝ修 めざ りし上 に,欧
米文明中体育の一事のみは其 の感化 を受 く る事最 も少か りき,加
之儒教派の餘風 も加 は りて明治当初の学者書生 とし言へ ば,其
の身体 に無 頓着なる,支
那儒者 までに甚だ しか らざるまで も,補
々之 に近 きものあ り,近
来漸 く覚醒 して国 民体格の衰退 を嘆ずるも,其
の自覚 は甚だ幼稚 に して未だ一般国民に普及せず。其の実行の如 き も未だ積極 的体格養成 の計画 を見 るに至 らず。従 って学校体育 も重んぜ られず,
また従て其の体 操教員 をも貴ばゞるの有様 な り。(中略) 三当局者体操科 を重んぜざ りしこと。按ず るに当局 の大臣にして体操科に対 し真面 目なる力 を注 がれ し者 は,前
後唯―の故森大臣あるのみ,其
の他 の大臣中偶々之 を言辞 に発表 す るも能 く事実 に之 を奨励 したるもの鮮央。 また各府県当局者 に在 りて も,時
には例外の人 あ りしと難 も多 くは 該科 に重 きを置かる ゝ人 にあ らざ りき,(中
略)次に学校長教育家の多 くは国に教育上体育 の基礎 た るべ きを述べ,筆
に訓育上体操科の重要なるを論ずれ ども,其
の際該科教員 を採用す るに当 り ては或 は最下級の俸給 を以てするもの無 きにあ らず,(中
略)近時漸 く其の非 を覚 り其の人の改善 に注意す るに至れ りと雖 も,未
だ普通の状態 に達 した りと云ふべか らず。 四当局者教員養成の道 を忽 にしたること。(中略)凡そ教員養成 に二途 あ り,―
に曰 く永遠の養成 即 ち普通 の養成,二
に曰 く目前の養成即 ち講習的養成之れな り。而 して体操科教員 に対 しては従 来此の二途共 に忽 にせ られた り,(中
略)一時体操伝習所の設置を見 しも間 もな く之 を高等師範学 校 に併せ,遂
には之 を発するに至れ り,(中
略)其の間 日本体育会 は体操学校 を起 し,教
員の養成 に努 めたれば大 に其の鋏 を補へる事実あ りしと雖 も其の養成の方法概ね姑息 に して蓋 し体操科教 員の地位 を低ふするの媒 とはな りしも,之
を向上せ しむ る道 とはならざ りし憾 みあ りき。(中略) 故森文部大臣の兵式訓練主義 は吾人 よ り之 を見れば大 に爛眼の策な りしに拘 はらず,其
の割合 に 其の効 を認 め らる ゝこと少な く或 は反て其の弊 を覚 るもの多か りし所以 も,実
は教員養成の主因 を忽にし,単
に軍人下士たる故 を以て直 に之 を教員 に採用 したる失計 によらずばあ らずζ° こうした永井の批判のほか,体
育の実情 を浮 き彫 りにす るさまざまな批判がな されている。高知 県幡多実科高等女学校教諭森 田豊稔 は,「顧 るに,我
学校体操教授要 目は大正三年一月公布せ られた るを以て,爾
来年 を閲す ること満三年餘,其
間忠実なる教育者 は,主
旨を誤 らず,着
々実行 に努力 せ られ,昔
日の如 き混乱す る所 なか りし体操科 をして,発
展の域 に向はしめた りと雖 も,元
来理屈 に過 ぎ,実
行 に疎 き教育者 は,種
々口実 を設 けて,真
面 目なる実施 を厭ひたるため,要
目の主 旨貫 徹上 尚多大の遺憾 あ りき子°と批判 し,具
体的に次の諸点 を指摘 している。即 ち,体
育 の授業時間が 「師範学校 を除 きては,大
抵三時間に して,か
ゝる僅少時間に果 して充分の効果 を得べ きや否や を 憂ふべ きに もか ゝはらず,本
時間 を無視 して,目
的なき郊外運動或は放縦 なる遊戯 に空費 し,又
他 科若 くは重要な らざる校務 に軽々 に流用 され易 しζO状態であ り,か
つ「教授法の巧拙精粗 は直 に生 の身体 に影響 し,其
健否 に関係 するものな り。然 るに此教授法 は最 も幼稚 にして,手
足 を動か し, 汗 を出さば事足れ りとなす寺小屋式か さな くば以 て非 なる軍隊式に陥 り易 し暫つと教授法の拙劣 さを あげている。 さらに上 田中学教諭佐藤保太郎 も,「現今諸学校 は其規定 (合同調査会の統一案 筆者註)に基つ き,体
操科 を課 しあるに関 はらず,其
目的 を満足 な らしめつ ゝあ りや,又
満足 に実行 し得べ き設備 を有せ るか,又
訓練的価値 を発揮す るに足 るべ き,相
当の待遇 を体操科 に輿へつ ゝあ りや。或 は日 く何れ も実行 しつ ゝあ りと,或
は然 らん,然
れ ども多 くは其満足なる実行 を遂 げず して,徒
らに其 形式 に馳せ,其
実行如何 をも顧 みず,単
に科の存ず るを以て実行 しつ ゝあ りと主張す るものにあ らざるかザ9と言い