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1 大学美術教育学会 美術教育学研究 第 50 号 (2018): バウハウス再考に基づく今日的なデザイン教育の実践について バウハウスの ニューヴィジョン からスペキュラティブ デザインへの展開 Practical Design Education Based on Reconsid

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1大学美術教育学会「美術教育学研究」第 50 号(2018):353–360

バウハウス再考に基づく今日的なデザイン教育の実践について

―バウハウスの「ニューヴィジョン」からスペキュラティブ・デザインへの展開―

Practical Design Education Based on Reconsideration of the Bauhaus Art School:

Developing a “New Vision” of Speculative Design Using Bauhaus Principles

本村健太

1

Kenta Motomura

1 [要旨]2019 年のバウハウス創立 100 周年を目前にして,バウハウス研究において筆者がこれまで継続してきたバウハウス 神話を「脱神話化」するための歴史的考察と,バウハウスの「諸芸術の統合」及び「芸術と技術の融合」という芸術的理念を 今日に引き継ぐ事例研究として取り組んだ筆者の映像メディア表現の実践を再確認するとともに,現代にまで有効なバウハウ スの理念を再考し,バウハウス研究を基礎とする今後の実践的展開を示した。バウハウスに学び,未来を見据え,新しい展望 によって造形における提案や解決を行う姿勢を「ニューヴィジョン」と設定し,昨今の「望ましい未来」を提案する「スペキュ ラティブ・デザイン」などに同様の姿勢をみた。その実践として著者が学生とともに参画し,成果を残した「岩手発・超人ス ポーツプロジェクト」を紹介するとともに,このテーマで思索するための「ペラコン課題」を教材化の事例として提案した。

AAstractt] In light of the 100-year anniversary of Bauhaus Art School’s founding in 2019, the author presents historical research of the Bauhaus movement, “demythicizing” the Modernist movement, along with practical study of visual expression of artistic ideas such as “integration of various arts” and “integration of art and technology.” The author also reconsiders those principles that endure today, making a case for developing educational methods for today’s students based on this study of the Bauhaus Art School. “New vision,” which served as a key phrase for the movement’s sense of innovation, was heralded as a proactive framework providing far-sighted solutions in art and design. This framework can be seen in the recent “speculative design” movement that aims to design a “preferable future.” The author also discusses the “Superhuman Sports Project in Iwate.” The author took part in this design challenge with his students, obtaining excellent results. He showed the students’ work “one-sheet task” of this theme. This research could be used to develop a new curriculum for speculative design.

キーーーー旨 バウハウス,ニューヴィジョン,スペキュラティブ・デザイン,超人スポーツ [Key  word旨 Bauhaus, New vision, Speculative design, Superhuman Sports

[] 旨 1岩手大学(Iwate University) [受理旨 2017 年 12 月 24 日

1 はじめに

1919 年にバウハウス(Das Staatliche Bauhaus)がドイ ツのヴァイマールにおいて創立してから 100 周年を迎え ようとしている。かつてのバウハウス所在地であるヴァ イマール・デッサウ・ベルリンにある関連施設が連携し, 「バウハウス同盟 2019(Der Bauhaus Verbund 2019)」1

結成しており,2016 年,バウハウス誕生の地であるヴァ イマールに「100 years of bauhaus」という事務所が開設 された。同名の公式 Web サイトでは,当時のバウハウ スに関する解説などが発信され,2017 年からの「プロ ローグ展覧会(Prologausstellungen)」2とともにバウハウ ス創立 100 周年を祝う機運を高めようとしている。 筆者は,今日におけるバウハウスの意義を再構築する ために,形骸化して神話化された近代バウハウスの受容 から脱すること,すなわち「バウハウスの脱神話化」を 研究課題の一つとしてきた。この内容での最初の拙稿は 1993 年の宮脇理編『デザイン教育ダイナミズム』にお ける第 3 章「バウハウスの脱神話化」3である。この論 考の段階では,近代モダニズム建築の反動として流行し たポストモダン建築やそれに関する論説の状況を背景に 意識しており,かつて日本においても様式として受け入 れられ,築き上げられた「バウハウス神話」への問題提 起であるとともに,その間違った神話を根拠に展開する ポストモダン的な言説によるバウハウス批判への牽制を 意図したものであった。しかし結局,当時のポストモダ ニズムの主張は流行的なものに留まり,現在においては あまり効力のないものとなった。 これまで筆者は,バウハウスの神話化とともに確立さ れた建築・デザインにおける「国際様式」や「バウハウ

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ス様式」,あるいは造形教育における「バウハウス方式」 といった様式化が,バウハウス本来の理念的なものを捨 象するばかりか,バウハウスが本来目指したものに逆行 してしまう可能性もあることから,もう一度,歴史とし てのバウハウスの多様で柔軟な動的姿勢やそこに共存し た様々な思想について見直していく作業が必要であるこ とを主張してきた。近代化の流れの中でバウハウスを捉 える神話化の過程には,効率性・機能性・合理性・明快 性・簡易性・力・スピードなどへの羨望とともに,科学 技術への魅惑があった。そして,こちら側に光が当てら れたことによって影になる個性・多様性・地域性・体験・ 祝祭などの面は無視されてきた傾向がある。そこで,バ ウハウスが産業化路線を明確に打ち出す前の「初期バウ ハウス」を再評価する試みを行った。バウハウス教師ヨ ハネス・イッテン(Johannes Itten, 1888–1967)に関する 一連の研究4はそれらを例証するものであった。 もう一つ,筆者がバウハウスの今日的な意義を見出し ているのは,当時のバウハウスにおける芸術関連の理念 として重要であった「諸芸術の統合」と「芸術と技術の 統合」である。このような芸術統合の理念については, 「デジタル・バウハウス」,あるいは「エレクトロニック・ バウハウス」と呼ばれる今日的展開の可能性がある。筆 者は,これらの理念を意識した自身の実践的取り組みと して,映像表現の即興演奏的なパフォーマンスである 「VJ(ヴィジュアル・ジョッキー)」5による映像演出を 1999 年から 2010 年まで展開し,大学における研究・教 育の糧としてきた。関連して,バウハウスの歴史にも照 らし合わせ,バウハウス学生からゲゼレ(職人)となっ たルートヴィヒ・ヒルシュフェルト=マック(Ludwig Hirschfeld-Mack, 1893–1965)の開発した色光装置の先見性 を再評価6した。また,今日においてバウハウス大学ヴァ イマール造形学部及びメディア学部も関わった VJ に関 するプロジェクト7についても調査した。 このように,これまでバウハウスを研究対象としてき た筆者が,まさにこの創立 100 周年を迎えようとしてい る瞬間に興味を抱いているのは,やはりバウハウスの真 価を問うこと,今日の科学技術の状況や新しいデザイン の動向からバウハウスをいかに再考するか,また,学校 としてのバウハウスから見出される人材育成に向けた教 材開発などについてである。学校としてのバウハウスに おける芸術教育的観点と,近代デザインを確立する運動 としてのデザイン原理の観点の双方において,バウハウ スから何を引き継ぎ,そして何を後世に伝えるべきなの か以下に今後の道しるべとして整理したい。 2 バウハウスの歴史から今日的課題へ 2-1]芸術と技術をめぐって 19 世紀後半に成長したイギリスの「アーツ・アンド・ クラフツ運動(the arts and crafts movement)」では,産業 革命の影響を受け,人々の生活環境が急速に変容してい くことに異議を唱える「反機械」の立場が濃厚であった のに対し,ドイツのバウハウスが推進した「バウハウス 運動(Die Bauhaus-Bewegung)」では機械技術とともに芸 術を生み出す方向に転じていた。この点では対比的な二 つ の 運 動 で あ る が, そ の 間 に は「 ド イ ツ 工 作 連 盟 (Deutscher Werkbund)」という連結部が存在し,アーツ・ アンド・クラフツ運動の手工芸的精神はすでにドイツに もたらされ,初代学長となる建築家ヴァルター・グロピ ウス(Walter Gropius, 1883–1969)によるバウハウス創立 においても引き継がれていた。このことは,建築史の立 場からバウハウス前史に焦点を当てたジョン・V・マシュ イカ(John V. Maciuika, 1965–)による『ビフォー ザ バ ウハウス』8(副題:「帝政期ドイツにおける建築と政治 1890–1920」)においても明らかである。マシュイカによ ると,建築家でありプロイセン官吏であったヘルマン・ ムテジウス(Hermann Muthesius, 1861–1927)は,建築や 工芸が市民層を教育する手段となりえることを念頭に, 新しいドイツ文化の精神に基づいた学校改革を誘導しよ うとしていた。ムテジウス指導のもとでプロイセン商務 省は,当時の先進国イギリスにおいて始まったアーツ・ アンド・クラフツ運動の精神をドイツのデザイン技術に 応用することを目指し,管轄下にある工芸学校はその実 現のために改革されていったのである。 1914 年の工作連盟におけるムテジウスと建築家アン リ・ヴァン・ド・ヴェルド(Henry van de Velde, 1863– 1957)の有名な対立は,ムテジウスの推進する規格化(標 準化)と,ヴァン・ド・ヴェルドの擁護する芸術的個性 の対立として単に捉えられてきたが,マシュイカによる と,ムテジウスの背後には切り離すことのできない政治 的文脈があった。そもそも,ムテジウスは「規格化 (Standardisierung)」ではなく,厳密な定義を避けた「定 型化(Typsierung)」という造語を使い,規範となる建築・ 芸術・工芸の分析によって導き出される文化的規範も含 意されていたとする。マシュイカは,この規格化論争で のムテジウスの立場を,実はヴァン・ド・ヴェルドやグ ロピウスたちが過去に表明してきた芸術的立場と矛盾す るものではなかったのではないかと援護している9 当時のドイツ工作連盟におけるグロピウスの態度は芸 術性を主張するヴァン・ド・ヴェルドの側にあったが,

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後にバウハウス創立後の理念転換においては産業化路線 に切り替えた。そして今度は,バウハウスにおいて芸術 的個性の育成を目指すイッテンとの対立が起こることに なる。この対立によって,イッテンはバウハウスを去る ことになるが,後にグロピウスの態度を理解するに転じ ている10。このように「芸術と技術」または「芸術と産 業」を巡って,作家の個性や創造性を重視する芸術の側 と,規格による効率化や産業を重視する技術の側という 二項対立の関係は,時代や場所によって様々なかたちで 立ち現れることになる。 今日に話を戻すと,芸術と技術の問題については,メ ディアアーティストであり情報処理関連の研究者である 落合陽一,その一人によって大きな思想的課題が突き付 けられている。その著『魔法の世紀』においては,映像 技術と映像表現の高まりをみせた「映像の世紀」から, コンピュータ(魔法の箱)によって「新しいメディア装 置」を生み出す「魔法の世紀」への転換が説かれている。 さらに,美術史上の文脈において作品を生み出す「文脈 のアート」ではなく,「心を動かす技術」として装置を 考案する「原理のアート」11に注目を促しており,結論 として,メディアアートの作品では,そこに投影される 映像などの内容(コンテンツ)よりも,その作品のため に発明された装置そのものが強調されることになる。つ まり,落合によると,何らかの表現を実現する仕組みを 科学技術によって発明・創造すること自体が「芸術」で あるということになる。そうして,「魔法の世紀」の世 界は常にデジタルとアナログが往来する自然,すなわち 「デジタルネイチャー」12の時代となる。今日,芸術と技 術をめぐる言説はさらに次の時代,新たな世界観の問題 に直面しているのである。 2-2]デジタル・バウハウスについて 機械技術時代のバウハウスにおける芸術統合の理念 が,電子技術時代の今日においても有効であることを前 提に,前述の通り,「デジタル・バウハウス」,または「エ レクトロニック・バウハウス」という表現が使われるこ とがある。ドイツのメディアアーティスト,ユルゲン・ クラウス(Jürgen Claus, 1935–)が,1987 年の著書『エレ クトロニック・バウハウス(Das elektronische Bauhaus)』13 において,「序論:今日のバウハウス−今日のエレクト ロニクス(Einleitung: Bauhaus heute - Elektronik heute)」と 記したように,時間の流れとともに新たなテクノロジー が発展してくれば,それはまた,芸術との統合において 新たな創造につながるものとなっていく。バウハウスに おける理念,そしてそれに基づく創造活動は,常に技術 発展の推移とともに刷新されていくことを示している。 (ただし,手仕事を含む過去の技術は単に軽視されるべ きものではないことは明記しておく。) ドイツのカールスルーエに設立された「ZKM」(アー ト・アンド・メディア・テクノロジー・センター)は, そのようなデジタル・バウハウス(エレクトロニック・ バウハウス)の有名な事例として芸術・メディアの博物 館と研究所が融合した施設となっている。初代館長であ るハインリッヒ・クロッツ(Heinlich Klotz, 1925–1999)は, NHK の番組「世界わが心の旅」の「バウハウスからす べてがはじまった」(デザイン評論家・柏木博,1996 年 5 月 18 日放送)でのインタヴューに際し,以下のよう に ZKM の意義を述べている。 「バウハウスは機械技術に即して芸術を発展させまし た。20 世紀末をむかえた今,我々は電子〔デジタル〕 技術と芸術を結合させて新しい表現をしていきたい。 そんな基本理念〔基本プログラム〕で取り組んでいま す。 我々は可能性の具現化を考えています。ポスト・モダ ンを乗り越えて,新しいモダン〔または第二のモダン〕 への発展。それが我々の目指しているものです」14 (番組内の字幕参照。〔 〕内は筆者がインタヴューの 独語音声を聞いて補足した。) このように,芸術をデジタルの時代に更新していく使 命をもって,ZKM は 1989 年に創設されたのである。 日本においては,1999 年に展覧会「デジタル・バウ ハウス−新世紀の教育と創造のヴィジョン」(NTT イン ターコミュニケーション・センター[ICC])が開催され, 展覧会カタログにおいて,バウハウスを手本として「そ の時代にふさわしい教育・創造活動のヴィジョンが多様 な角度から模索」15されているとしている。この展覧会 の監修者である美術史家の伊藤俊治は「デジタル・バウ ハウスへ―創造と教育の新しい回路」の章において, 「デジタル・バウハウスもまた現在の新しいメディア・ テクノロジーの展開を見通しながら,高密度情報社会に おける新しい芸術と社会のヴィジョンを精密に描くこと を求められている」16としている。 補足すると,歴史としてのバウハウスの遺産を引き継 ぐヴァイマールのバウハウス大学においても,今日,「デ

ジタル・バウハウス研究室(Digital Bauhaus Lab)」が開 設され,情報科学者・技術者・芸術家などが共同で学際 的研究に取り組んでいる。このように,時代を超えて, 様々な場におけるデジタル・バウハウス(エレクトロニッ ク・バウハウス)の展開がなされており,「来るべき時

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が継承され,その今日的な意義が更新され続けているこ とが確認できる。 2-3]バウハウスにおけるニューヴィジョン ここで,今日においても意義を失わないバウハウスの 理念的なもの,そして造形活動における姿勢として 「ニューヴィジョン」をキーワードにしたい。 バウハウスにおいてイッテンの残した予備課程におけ る造形教育実践は,芸術家としての立場を維持していた パウル・クレー(Paul Klee, 1879–1940)やヴァシリー・ カンディンスキー(Wassily Kandinsky, 1866–1944),そして イッテンの後継者であり,機能的・合理的な方向性を強 化したヨーゼフ・アルバース(Josef Albers, 1888–1976) やラースロー・モホリ=ナギ(László Moholy-Nagy, 1895– 1946)の教育実践とともに「バウハウス教育(学)」の 基礎を形成した。バウハウス教育における学究的な成果 としての「バウハウス叢書」では,クレーの『教育スケッ チブック』(1925 年),カンディンスキーの『点と線か ら面へ』(1926 年),そしてモホリ=ナギの『絵画・写真・ 映画』(1925 年)や『材料から建築へ』(1929 年)(英訳 『ザ ニュー ヴィジョン(The New Vision)』)に,運動や 時間,そして光に関連する内容が確認でき,今日にまで つながる映像・動画への方向性としての萌芽がみられる。 さらに,バウハウスの閉校後においても,アメリカに場 を移して,ギオルギー・ケペッシュ(Gyorgy Kepes, 1906– 2001)の『視覚言語』(1944 年),モホリ=ナジの『ヴィ ジョン・イン・モーション』(1947 年)によって,動的 な視覚表現への問題意識は受け継がれ,表現活動・教育 実践として開花している。 バウハウス教師による造形表現の可能性への飽くなき 探求は,造形教育においても芸術に関する経験や勘に基 づく暗黙知をそのままにするのではなく,少しでも教授・ 学習可能なものへと展開しようとする新たな試みにつな がった。モホリ=ナギの著書の英訳にみられる「ニュー ヴィジョン」については,「新しい視覚」と訳されてき たが,「ヴィジョン」には「洞察力」や「展望」という 意味もある。そこで筆者は,造形芸術学校バウハウスと バウハウス運動からの示唆として,未来を見据えた新し い展望によって造形における提案や解決を行う姿勢を 「ニューヴィジョン」という言葉で表現することにした。 バウハウスにおける「ニューヴィジョン」の事例の一 つとして,マルセル・ブロイアー(Marcel Breuer, 1902– 1981)が 1925 年に家具工房において開発を始めたス チール製のクラブ・アームチェアがある。これは 1960 年代になってイタリアのメーカーがブロイアーの椅子を 再生産した際に「ヴァシリー・チェア(Wassily Chair)」 と名づけ,以降,その名が定着して近代デザインの先駆 けとしての名作は今日にまで受け継がれている。 ヴァシリー・チェアは,近代建築のインテリアとして も調和のとれたものであり,当時のバウハウスが目指し ている方向性と合致している。椅子材には木材が当たり 前という時代において,金属パイプを使った椅子の提案 は画期的で先見性があった。1921 年にブロイアーが織 物工房のグンタ・シュテルツル(Gunta Stölzl, 1897–1983) とともに製作した「アフリカン・チェア(Afrikanischer Stuhl)」では,まだチェリーウッドやオークという木材 が使用されていたが,ブロイアーは自転車のハンドルか ら発想を得て,軽量で耐久性があり,かつ衛生的で美し いスチールパイプ椅子を世界で初めて生み出すことに なった。しかも,このようなスチールパイプの使用は大 量生産することにも優れており,家具デザインに革命を もたらしたのである。 機関誌『バウハウス』において,ブロイアーは「ある バウハウス映画 5 年間(ein buhaus-film, fünf jahre lang)」 という図版(図 1)を掲載している。「俳優:正しいも のを要求する生活」,「映写技師:この正しいものを認識 するマルセル・ブロイアー」と記してアフリカン・チェ アに始まる開発の経過を映画フィルムのような視覚表現 にまとめた。注目すべきは「19?? 年」とする最後の透明 の椅子である。ブロイアーは,「毎年よりよくなっていく。 図 1:ブロイアー「あるバウハウス映画]5 年間」

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しまいに人は柔らかいエアークッションに座るようにな る」18としている。今日においては,ポリ塩化ビニルな どの素材で空気を入れるために成型された「エアーチェ ア」や「エアーソファ」などが製造販売されるに至って いる。これはバウハウス時代のブロイアーが空想した 「ニューヴィジョン」の実現ということができる。 バウハウスにおける「ニューヴィジョン」の事例につ いては,今後の研究課題において改めて明らかにしてい くため,ここでは個々に考察しないが,建築・プロダク トデザイン・芸術作品・造形理論・教育方法論など,様々 な観点で指摘することができると思われる。 2-4]スペキュラティヴ・デザイン 今日,デザインの領域における新しい思想の流れとし て,「スペキュラティヴ・デザイン(speculative design)」が ある。その代表的な提唱者であるアンソニー・ダン (Anthony Dunne, 1964–)とフィオーナ・レイビー(Fiona

Raby, 1963–)は,著書『スペキュラティヴ・デザイン』19 において,現実の問題がすべて解決可能であるかのよう に振る舞う「問題解決のためのデザイン」に集中した思 考から離れ,想像力を使って新しい見方を切り開くため の「思索するデザイン」,結果として未来に向けた「問 題提起のためのデザイン」に転換する必要性を説いた。 関連性のある「クリティカル・デザイン」(批評的デ ザイン)に関して,「思索的[speculative]なデザインを 提案することで,製品が日常生活で果たす役割について の狭い前提,固定観念,常識に疑問を投げかけるもので ある」20とする定義が思い起こされ,クリティカル・デ ザインは方法論ではなくアプローチする考え方や見方を 重視して,単なる様式に陥ってしまうことを危惧してい る。この点については,バウハウス運動の理念とバウハ ウス様式にみられる問題点と一致している。 さらにスペキュラティヴ・デザインのアプローチに近 いものとして,「デザイン・フィクション」があるが, この「フィクション」については SF が含意されており, 「テクノロジーの未来」を特に強調しているとする。物 語の世界からデザインを発想していくもので「SF プロ トタイピング」とも呼ばれている。ダンとレイビーによ れば,デザイン・フィクションは技術的進歩を称賛する ものであり,スペキュラティヴ・デザインはより幅広い 目的をもつとする21。このように,スペキュラティヴ・ デザインのアプローチによって,デザインの現場は,現 状の細分化や定量化の作業に陥るのではなく,「望まし い[preferable]未来」22について討論や議論ができる場 ともなりえる。 筆者は,このデザインアプローチがバウハウスにおけ る「ニューヴィジョン」を今日において具現化している ものであると捉え,またその「ニューヴィジョン」とは その時代に応じて更新され続ける創造活動の基点である と規定したい。これまでになされてきたデザインの基礎 学習における造形要素の課題のみがバウハウスから受け 継がれたデザイン教育であると矮小化するのでなく,バ ウハウス神話の影になる部分でもあった地域性や祝祭性 の取り込みも含め,研究室所属学生を対象としたスペ キュラティヴ・デザイン(クリティカル・デザインやデ ザイン・フィクションを含む)の実践的試みとして,以 下に紹介する「超人スポーツ」の開発に取り組んだ。 このように「望ましい未来」のデザインを模索する場 合には,SF 小説・漫画・映画のような空想の世界を参 照することも有意義なものとなる。「ニューヴィジョン」 の糧となる素材は定量化されたデータのみではなく, 様々なものに可能性を見出すことができるのである。 3 ニューヴィジョンとしての超人スポーツ 3-1]岩手発・超人スポーツプロジェクト 岩手大学の地域貢献を目的とした「平成 28 年度地域課 題解決プログラム」の枠組みで「〈岩手独自の新スポーツ〉 をテーマとするマンガやイラスト等,ヴィジュアル・コ ンテンツを活用した地域活性化」の課題が採択され,筆 者は学生たちとともに「岩手発・超人スポーツプロジェ クト」に参加した。 この「超人スポーツ」とは,科学技術を応用して「人 機一体」のスポーツを提案することによって,現在の人 のあり方を超え,性別・年齢・体格・障がいの有無など に関係なく,誰もが楽しむことのできるように開発を試 みる,未来に向けた新スポーツのことである。これに取 り組む「超人スポーツ協会」23は,2020 年の東京オリン ピック・パラリンピックを当面の目標として新競技の開 発と普及に取り組んできた。 平成 28 年度,岩手県においては「希望郷いわて国体・ 希望郷いわて大会」を機に,スポーツの枠を越えた県民 総参加による文化芸術イベントの開催などを推進するこ とになっていた。超人スポーツにおいて開発された技術 は他の福祉などに応用することも可能であり,筆者は, まさにバウハウスの「ニューヴィジョン」を今日的に展 開できる活動であり,新たな教育実践のあり方にも資す ると認識し,その企画段階から参画した。 超人スポーツ協会の支援によって,達増拓也岩手県知 事も参加した「キックオフミーティング」(2016 年 4 月

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24 日,岩手県公会堂)に始まり,「アイデアソン」(5 月 28 日,岩手大学)や「ハッカソン」(6 月 25 日・26 日, 岩手大学),リハーサル(8 月 20 日,岩手大学)を通して, 社会人と学生の混合チームが新スポーツ開発のためのア イデア出し,道具試作,ルール作り,そして自らプレイ ヤーとなるデモンストレーションまでを行った。 最終的に「クライミング・ザ・ウォールズ」,「ロック ハンドバトル」,「マタサブロウ」,「トリトリ」の 4 競技 がそれぞれ独自の観点で「岩手」に関連づけをして開発 され,その成果は「いわて若者文化祭 2016」(9 月 24 日・ 25 日,盛岡市内各会場)にて公開された。 結果として,「いわて若者文化祭実行委員会賞」(最高 賞)は「岩の手」の対戦「ロックハンドバトル」(写真 1) が受賞した。次点としては,風を操る競技「マタサブロ ウ」が「超人スポーツ協会賞」受賞した。達増知事は公 式の Twitter において,「技術の進歩で何でもできるよう な今日,『何をやるか』という創造性が決定的に重要。『超 人スポーツプロジェクト』は創造性を引き出す。今回生 まれた『岩手メソッド』で,地方からの,人間のイノベー ション」24という言葉で総括している。 3-2]新競技「ロックハンーバトル」の開発 SF 小説・漫画・映画のような想像上の未来も,テク ノロジーの進化によって現実のものとなりえることは, デバイス研究者,稲見昌彦が漫画『攻殻機動隊』の「熱 工学迷彩」から発想して開発した「光学迷彩」25やメディ アアーティスト八谷和彦が宮崎駿監督の映画「風の谷の ナウシカ」に登場する「メーヴェ」をモデルにした一人 乗りジェットグライダー26の事例などでも端的に表れて いる。それが空想の世界であっても,未来を思索するこ とは,それを現実化するための科学技術の開発も相補的 により重要度を増してくる意味のある作業である。 岩手の三ツ石神社の伝説から連想した漫画と連携して 開発した「ロックハンドバトル」チームは,木村有梨チー ムリーダー(慶應義塾大学院生)が牽引し,筆者の研究 室から 5 名の学生(高橋詩歩,鈴木芙由子,吉住彩夏, 畠山夏葉,大庭春)が参加して競技と漫画の制作に取り 組んだ。学生グループはスポーツ用具となる「ロックハ ンド」のデザイン案(図 2)の検討にも参加して,漫画 作品及び競技用の道具の最終的な具現化を目指した。制 作グループ内での検討は,個々人が試行錯誤しながらも, 発想の段階から具体的なイメージを共有して創発的に最 終的な目標に到達することができた。 岩手発・超人スポーツプロジェクトでは,他の競技の チームが「テクノロジー」を活用したことが明確に分か る用具の開発を行っていたのに対して,「ロックハンド バトル」のチームは,その点では劣勢(発想段階での原 点は「VR スポーツ」であったが途中で断念した。)で ありながら,漫画(図 3)を活用してより有効なイメー ジ戦略(物語の背景やキャラクター設定と連動したルー ル作り)を展開できていたことが審査員への訴求力を生 み,好評を得た要因の一つであると考えられる。 「ロックハンドバトル」を含め,岩手発・超人スポー ツプロジェクト 4 チームの開発した 4 競技は,結果的に すべてが超人スポーツ協会の公式認定競技27となり,海 外に報道される場面28もあった。岩手発・超人スポーツ 写真 1:「ロックハンーバトル」の実演(筆者撮影) 図 2:参加学生によるデザイン原案の事例(大場春)

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プロジェクトは,学生に未来をテーマに地域社会と関わ りながら創造を試みる場を提供した。 3-3]創造的な発想を支援するための教材化 前述の「岩手発・超人スポーツプロジェクト」に関連 して,実際に新スポーツ開発に関わる学生以外において も「ニューヴィジョン」の態度でスペキュラティヴ・デ ザインを行う課題を発想段階に限定して設定した。対象 となる学生は,新入生向けの「基礎ゼミナール」(平成 28 年度前期)や 2 年生を中心とする「デザイン論」(平 成 28・29 年度前期)の科目履修生である。 ここでは,提出する様式は A4 サイズの用紙 1 枚(ぺら) に図・絵と文字で表現すること以外は自由という設定で 「ペラコン課題」と題し,(岩手発)超人スポーツを提案 する(ゲームデザイン・未来の施設や道具のデザイン・ 人のデザイン)課題とした。(直前の授業内容にはスペ キュラティヴ・デザインの「望ましい未来」についての 解説も行っている。) 最終的には個人での課題(図 4)となるが,発想段階 では,グループとなり,検討を重ねた。今後は,単に言 葉での発想に留まらず,視覚的に,すなわち具体的な絵 (イラスト・漫画など)を描くことによって自らの発想 と他者との共有を支援していく試みも行う予定である。 この課題は特に超人スポーツに限定されるものではな く,汎用的なものであると思われる。このような発想に おけるイメージの活用を重視した教育実践は,「ヴィジュ アル・シンキング」の有効性の検証として,今後の事例 研究に発展することに期待している。 4 さいごに 2019 年のバウハウス創立 100 周年を目前に,再度, 筆者の継続してきた研究内容の確認を行うことで,バウ ハウスを再考し,そこから得られた造形活動の姿勢を継 承して,現代においても有効な教育実践を導く可能性を 示した。 バウハウスにおいて,時代精神や実験的精神によって 見出された「ニューヴィジョン」,すなわち未来の造形 イメージは,近代デザインを牽引するものとなった。そ のバウハウスに学び,未来を見据え,新しい展望によっ て造形における提案や解決を行う姿勢を「ニューヴィ ジョン」と設定したが,これは時代を超えて更新され, 芸術と技術の関係性を含めて常に「新しい」ものとなる。 ここでは取り上げなかったが,事例としては,バウハウ スでの「触覚板」による素材とテクスチャの学習につい ても,科学技術によって触覚を扱う今日の「パプティッ クデザイン」29に更新され,成果が出されつつある。 昨今のスペキュラティブ・デザインに,「ニューヴィ ジョン」の先鋭化された展開となる可能性を見据え,超 人スポーツ開発を通じてその実践に取り組むとともに, 発想段階での教材化を事例として紹介したが,海外では 図 3:競技と連携する漫画「ロックハンーバトル」表紙 図 4:超人スポーツを提案するペラコン課題作例

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すでにスペキュラティブ・デザインによって子どもの発 想をデザイン・プロセスに取り込む試み30も行われてお り,この方向での今後の展開も期待できる。 本稿は,デザイン史上のバウハウスを巡る研究や今日 的なデザイン制作,あるいはデザイン教育に関わる実践 研究についての思索の経過や取り組み方を整理し,筆者 自身の研究活動の道標として未来に向けたものである。 ここで筆者は,歴史としてのバウハウスの様式や方法論 を踏襲するような「バウハウス神話」を形成する方向で はない視点から,新たに「ニューヴィジョン」としてキー ワードを捉え直し,それが現在においては有効であり, さらに発展的な理論・実践研究につながる可能性を感じ ている。今後は,この方向性でのより具体的で詳細な事 例研究に取り組みたい。 註旨 1 Jubiläumsverbund, https://www.bauhaus100.de/de/bauhaus-100/akteure/(2017 年 9 月 8 日アクセス) 2 Prologausstellungen 2017/18, https://www.bauhaus100.de/de/heute/00_ Auftaktausstellungen-2017/(2017 年 9 月 8 日アクセス) 3 本村健太,1993,「第 3 章バウハウスの脱神話化」,宮脇理(編)『デ ザイン教育ダイナミズム』,建帛社,pp. 63–91 4 本村健太,2004,「ヨハネス・イッテンの造形教育とその今日的意 義について」,『美術教育学』,25,pp. 413–425 /本村健太,2009, 「ヨハネス・イッテンによる巨匠絵画の分析について―その理念・ 方法論と今日的展開の試み―」,『美術教育学』,30,pp. 339–409 5 本村健太,2005,「VJ とは何か―映像メディア表現の新たな可能性 について」,『大学美術教育学会誌』,37,pp. 463–470 6 本村健太,2014,「インタラクティブ映像メディア表現の構成学的 研究―ルートヴィヒ・ヒルシュフェルト=マックによる「カラーラ イトプレイズ」の考察―」,『美術教育学研究』,46,pp. 269–276 7 本村健太,2004,「VJ シーンの構造―映像メディアにおけるモーショ ン表現の可能性」,『基礎造形 013』,pp. 71–77 8 ジョン・V・マシュイカ(田所辰之助・池田祐子(訳)),2015,『ビ フォーザバウハウス 帝政期ドイツにおける建築と政治 1890– 1920』,三元社 9 同書,p. 373 10 本村,2004,p. 419 11 落合陽一,2015,『魔法の世紀』,PLANETS,p. 89 12 同書,p. 184

13 Jürgen Claus,1987, Das elektronische Bauhaus, Edition Interfrom, pp. 9–14 14 柏木博(インタヴュアー),1996,「バウハウスからすべてがはじまっ た」,『世界わが心の旅』,NHK,5 月 18 日放送 15 増田文雄,野崎武夫(編),1999,「デジタル・バウハウス―新世紀 の教育と創造のヴィジョン―」展カタログ,NHK 出版,p. 3 16 同書,p. 8 17 同書,p. 8

18 Marcel Breuer, 1926, “ein buhaus-film, fünf jahre lang”, In bauhaus1 1926, bauhaus-archiv gmbh Kraus Reprint, 1976, p. 3

19 アンソニー・ダン,フィオーナ・レイビー(著),久保田晃弘(監), 2015『スペキュラティヴ・デザイン 問題解決から,問題提起へ。 ―未来を思索するためにデザインができること』,ビー・エヌ・エヌ 新社,p. 27 20 同書,p. 67 21 同書,pp. 149–150 22 同書,p. 30 23 超人スポーツ協会 HP,http://superhuman-sports.org/(2017 年 9 月 8 日アクセス) 24 達 増 拓 也 TASSO 希 望 郷 い わ て(Twitter),https://twitter.com/ tassotakuya/status/779584373809029120(2017 年 9 月 8 日アクセス) 25 稲見昌彦,2016,『スーパーヒューマン誕生!―人間は SF を超える』, NHK 出版,pp. 11–16 26 ナウシカ「メーヴェ」再現機,滝川でテスト飛行順調北海道新聞 動画ニュース(2015/10/17),https://youtu.be/op2ZfjjM1h4(2017 年 9 月 8 日アクセス) 27 超人スポーツ協会認定競技一覧,http://superhuman-sports.org/sports/ (2017 年 9 月 8 日アクセス)

28 Reuters (May 15, 2017), Japan’s ‘Superhuman’ athletes mix legends with high tech, http://www.reuters.com/article/us-japan-sports-superhuman-idUSKCN18B17S(2017 年 9 月 8 日アクセス)

29 仲谷正史,筧康明,三原聡一郎,南澤孝太,2016,『触楽入門―は じめて世界に触れるときのように』,朝日出版社,参照

30 The Center for Children’s Speculative Design, https://scholar.harvard.edu/ davidrobert/links/center-childrens-speculative-design(2017 年 9 月 8 日 ア クセス)

図版出典旨

図 1 bauhaus1 1926, bauhaus-archiv gmbh Kraus Reprint, 1976, p. 3

参照

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