第
1
5
5
号
昭和5
1
年
6
月
1日発行
〒1
1
3
東京都文京区本郷
2-1-1
I1慎天堂大'字
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,;.,t'.~-:.,~ ミ園峠から山中湖を望む口
目 次
1
-法人だょっ……・・・…ぃ-一 2 大学だより……...・..一. 6 ..-ji:郷…...・H・-…・….7 病 院....・e・-・ぃ…-…・12 明ぷ野……一…...・H・.16 健康管理室だより・……19
1
埼3館だより………20 白石だより………-…ぃ…21 ~iJ 窓会だより‘...・ H ・ ..22 ひ ろ ば … … … ・υ・…一23 50年度のメモ……・・ー…・・26法人だより
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一
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3
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人
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法 人 役 員 選 任
昭和 51仔 3 月 31U で任期満了となる本法人の理 '1~. 監 事の選任については,学校法人JI関天並大学寄附行為に基 づき,さる 3月2411の理事会および.f'f.議員会, 3月311j の時事会において,全員の I'訂正が決定した。 なお.理事長については,理事会の互選により従米通 り:}f山校時事が理事長に就任した。 本法人の役員は次の通りである。 (ABC'liO 理事長 打Il!笠 〔任期)1明,f1J51年 4月l日..._.55年 3月31日(似し 評議員在任rl
'
1
)
〔略i世〕医学博士・元JI闘天堂医科大学長・元11関天 堂大学長・11頃ぷ堂大学名訴教授 理 事 点 俊 郎 〔任期 )s{{和51年 4月1日--55年 3}i31U 〔時限〕医学時上・元順天堂医科大学教授・元JI摂 天堂大学教授・元JI関天堂大学体育学部長 -)1鼠天堂大学1:i誉教授 ,Ci河平JIJ!'l
〔任期〕昭和50年4J
J
1日より学部長在任中 〔略歴)J頼天堂大学教綬・IJ関天堂大学体育学部長 懸田克拐 (fで}明〕昭和51年 4月 1Uより学長在任中 〔略隊〕医学博土・元I1関天堂医科大学教授・元JI慎 天堂大学教漫・元JI領夫堂大学医学部長・ 順天堂大学名社教綬・順天立大学長 小 柄 井 望 〔任期〕昭和50~4}j 1 [Jより医院長在任中 〔略陛〕医学持土・JI買天堂大学教綬・附属 lI~i天堂 医院長 1~~ 島英 f.ì ((T:期)1昭和150~:.4}1 1 Uより学部長在任中 〔略歴〕医学博上・元!願 X~医科大学教J受・ 順天 主大学教授・JI慎天堂大学医学部長 大 野 大 (f壬期〕昭和51ι4}j1日-55 3.:刀
31L
I
(Htし 評議員在任中) 〔略歴〕経済学土・前順天堂大学総務局長 商 園 寺 実 〔任期)ss和51年 4月 1fI..._.55住 3}j31U 〔略陸〕法学上 ・j亡t(l;.~U行取締役話II.üJi取・元 8i
n
J
化学工業取締役会長・国士館大学教授 {Jr.J藤 誠 〔任期JI昭和51年 4月1f1-55年 3)13111({II,し 評議n
在任rjl) 〔略歴〕医学博土 ・元JI原天堂保科jく学助教授・願 天堂大学助教授 監 事 岡田純夫 〔任期〕開平051年 4)i1 11"-'55年 3片311J 〔略服〕法学上・元総理府総務部長・ 元沖縄北方-対策長行事務代m
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・元沖縄開発fT総務同 長・地万競馬全国協会理ヲJ
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鈴木竹雄 〔任期 JII{:! 不~151年 4Jj1日"-'55帆 3)13111 〔略歴〕法学t'~土・元東京大学教綬 ・;ê}lt 京大ザ: 法学部長 ・東京大学名主主教綬 恒例の}I関天堂祖先祭は.IJ頃天堂創始者佐藤必然先'1:の ご命日(明治 5{f-4月10日)にあたる 4H
10H
(上)タ, 上野和益軒で‘佐藤家並びに本匂:関係者あわせて 160名が 列席して開催された。 初代案・然先生!'1,よ化元住 (1804i'''..)にお生れにたの 長崎に医学を学び, 天保 9公二・ (1838年)r
[
戸薬研堀(現 症の東日本橋2r
fJ.fl1d悶橋の近く)に医:取を聞き.つ いで天保14年(18
4
3
:
っ佐合滞痢回伎の招きに此:じて, かの地に移り今U
J)順天堂の礎を築かれた。願天堂の 史はこの伝 (1838 ,)をもって始まり,~$~;tfl1JiL
138 11:'にあたるョ 組先祭は明治の頃から毎年行われ.佐藤家および原木 立関係者が国製い.組先の休業を偲び.あわせて頗天掌 の-}';1の発展を折るr
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裂な行事となっている。 2-新規採用職員講習会・歓迎会
本法人でほ4JjlF1(木)から51.:1 ()j)にかけて 昭和5
1
年10H
1
日以降燥用の職!1(男t
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4
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)を対,"1 象に,恒例の新規採用職員端科会を5~}館講堂において 開催し,翌6fl(火)に!ま東広・1.1山の椿山荘'hl土の稿! で歓迎祝'}k会を構大に行った。 祝「宴会に先立ち.n
山理事長は 「病院は世の中の状態 にかかわらず,不幸に対処するため2
4
時間勤務の態勢を 常時整えておく点託がある。そのためには病院に働〈者 同志が相虻~解と{,~艇の強い紳で結ぼれていることがノ〆 切である。今日から皆さんも日緒に病院の特殊性につい ての社会の認議を改めるよう,一府努力しようd と投拶 当日はあいにくの小雨模様ではあったが,新職員は祝 宴後,午後2f時過ぎまで桜風吹きの庭闘に散策を来しん 日待山荘にて 和やかに歓談する歓迎会風景図書館・講堂新築状況
所築工事は.花崩岩の外装がいつまでも美観を呈する よう臥竜に進められている。 9号館と凶J
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飯{.講堂(有 山記念館)の2つの建物を集中管理する「防災センターJ
l土 , 7月8日の_['
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引き渡し, 9月6日(月)の開館に 先立つて5
月3
0
日からその使用が開始された。 図虫館部分の5
号館からの移転作業(,1,7
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日(月) せり舞台の仕上げ,どん帳の準備が進む3
階講堂 法人だより 組み立てが進む替庫 から8J
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6日(金)の期間に専門業者の手によって実施さ れるため,凶古館は7月1
2
日から9月5日までの間,11
1
釘{の予定である。広大なスベースとは言えないが,近代 的な機能を将来にわたっても十分に果たし得る医学図J
3
館として, 9J
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4日(土)予定の竣工式にはご覧いだけ るものと期待されている。 一方,幽占館・3
拝堂建設資金の持集委員会について は,さる 5月1
0
日・(月)に副委員長会議を開催し,①必 金状況の報作,②問委n
会を解.散し,残務はjJ}:務品が処 理にあたることを了承,追って突行委員会を開催し正式 決定の予定,③組織変吏に伴い法人課で行って来た業務 を総務部総務課に引き継いだ旨報告された。 なお,募t
長期間はs昭和5
2
年3
月3
1
日までである。入 金額が目標の5
億円を達成できるよう協ノJ方が要J
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され ている。 申込金1
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億9
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円 入 金1
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円 (昭和5
1
年5
月6日現在)実 天 草 組 織 規 則 の 一 部 改 正
すでに発表されたとおり,本法人は昭和5
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年4
月1
fl より順天堂大学組織規則に定める組織機構のー部改正を 行った。昭和4
0
住 5月 1日に改正された後,部分的には 新規機構の追加があったが, I用手f
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伊の新館開設を機に 教職n数が急滋に増加し,特に管理部'
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弘 パ ラ メ デ ィ カ ル部門においては,各部課の組織機構を再検討しなけれ ばならない時期に到達した。 諜を部に昇格 r臣!の改正の要点は学内通知に示されているが,その 主眼の一つは椴吠人民や業務内容の必要性から諜を部に 外格したことである。即ち,総務局については人事部, 施設部を,また病院については,診療部,管理部をそれ ぞれ診療部門,管理部門と改称し,事務部.看護部.~ ftlJ部‘栄長部等を設置した。 - 3ー法人だより また,法人課を廃止して,その業務を総筋部,人事部 で分相することとし.資材課は胞設部へ統合した。 ー ・ヅj.医学部事務室では,従米の全学的庶務業務はこ れを総務部に移し,専ら教
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.
研究開通業務を取扱うこ ととした。なお,健康管理室.11闘天堂史編纂'奈は業務の 性 怖 に 総 務 向 か ら 法 人 的 新 の 組 織に移したψ 有効適正な人員配置 これらの改正のu
的!主,むやみに組織の規模を拡大し て人民を噌やすことではなく,むしろ業務の実態を勘来 して,より合開がjな).J1tf:態勢をとり,でき得る限り現状 以F
の人t
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をもって能事(('jな業務を遂行できるように改 蒋することである ちなみに.0
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年4
月1U
現-在2
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ず1にまで!膨張 した全法人有給教職H
の有効適正な人n
配!rtと能本地進 の実行が急務であり,教職n
各{止の絞版的ご協)Jをお願 L、する次第である。-…
組織機構改正に伴う
.
主 な る 人 事 異 動
。総務局
総務局 総務局長事務取扱大野大(前総務局長) 総務部 総務部長 石~可能犬(前医学部事務長・庶 務課長) 総務課長 安附尚之(前管理課長)文"
~課長石厳司良夫(併任) 人事部 人'jc部 長 小 林 裕 司 ( 前 人 払 課 長 ) 人事課長 前原 j目(前人事課員補佐) 給 与 課 長 前 原 旭 ( 併 任 )j
i
生 課 長 小 林 裕一 (併任) 財務部 財 務 部 長 大 橋 臨 ( 前 財 務 部 次 長 ) 財 務 課 長 大 橋 隆 ( 併 任 ) 経 理 課 長 古 田 イ : (前管制課長) 管財課長約水rJj木良11(前法人課長) 施設部 施 設 部 長 加 藤 哲 之 ( 前 施 設 謀 長 ) 施 設 課 長 加 藤 哲 之 ( 併 任 )学 校 法 人
11慎 天 堂
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一ーーーー-:..- -- 4 ーー法人だより 診 療 部 門 相 当 河 村 正 三 (f)
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任) 管理部門相当(副院長世務取扱) (併任) 同(副院長補佐) J 11北祐卒(併任) 事務部長小林裕ー(前人 'j~課長・ 前病院 'J手 務長併(f:) 庶務課長 笠原点夫(前資材課長) 際 務 課 長 宇J
下冗(,7: サ ー ピ ス 課 長 阿 部fネ 君護部長 'irJ;田ちか(前看護課長) 右巡業務課長・:
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・説教育課長・右 越H
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生課長1
吉田ちか(併f
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薬剤部長 広瀬相次(前薬品長) 調布!課長・製 剤 課 長・薬品管県課長 広瀬朝次(併任) 栄 護 部 長 原 沢 美 智 ( 前 栄 益 課 長 ) 栄益課長心得 佐 藤 節 夫 (I~有栄養課係長) 調 理 課 長 以 以来智 ( 併任) 小酒井望。医学部附属医院
副 院 長 ~I鳥盛雄 医学部 事務室 医 学 部 事 務 長 上 西 守 犬 ( 前 教 務 課 長 ) 教 務 課 長 上 西 守 夫 ( 併 任 ) 学 術 課 長 伊 藤 英 雄 ( 前 教 務 課 長 補 佐 ) 資材謀長心得。医学部
事務部 看護部 栄養部 薬剤部 本館) 9号館,新館 本郷キャンパス(左から8号館,機
叫dι
寸ー大
織
構
図
内 向 、 世 4 4 崎 博 弘 ヴ 河 馬 祖 一 R T m 芹 小 園 毘 a h T m 庁 科 引 引 串 1 8 甲 & 碑 A H M 引 gh 宇 担 丹 E 形 hH7 m 串 民 官 制 乍 閉 可 証 H F E h. 7 a 際 限 HH 字 員 百 耳 鼻 噌 閣 制 乍 揖 ・ 0 検 制 明 緯昆 7 m n - m 靖 人 U 什 乍 m e m 麻 酔 7 m 甲 也 床 輯 荷 下 m 置 事 a 叫 れ 宇 厳 司 型 唱 民 掛 川 崎 ? 自 r 兜 苧京
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制 服 段 高p 吃 現 段 掛 静 輔 栴 膚 経 由型経国官官時,~ (量 唱 人" 噌 書 判 柄 拘h判 外 崎 内HE
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4科 副 判 事 ;fl!;H f手111.1<円1111 '1 H ~・斜‘'"-
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大学だより
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懸 回 学 長 任 期 更 新
懸匠1;ι射学長には,昭和5
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満4カ仇のヴ:長 任期!満了に伴い,学民選任嵐程に基づき3}]18日本郷, 押,怠野,伊豆長岡地iぎにおいて選挙投梨を実施,この結 果報告に基づき 3)124日開催の理事会におレて懸回学長 の再任が決定した。 懸日j~J:長は, "(1和6住東1
:
七帝同λ
学医学部卒業後, [ilj 大副f
,J:巨大講師j等を歴任後11日和25年4JH関天堂医学専 門サ,校教援(精神医乍),3
5
年1
0
月本法人珂¥'
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,評議H
.
36年7)j極ザ:部長(併任).41年1月日本学術会議会員, 43年 5月全国医'
1
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部長 ・病院長会議会長等を際任 .47a 3)1本学教授なE
住退任,同住4
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本学学長就任 明治39 年1
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生まれ7
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j-. 学長:任期は5
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カ年である学長再選に
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か け だ か つ み懸
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午長としてIlff.f占れて第,ーに脳災に浮んだことは,こ の時期に学長i鞍をつづけるというιとは大変な決立を要 する乙とたぞ.お前はその負託に耐えられるか,というr
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符でありました。 そのi
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午の趣旨に員JIり,ますますその特色を発揮しな がら,大γ
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としての使命を果たし.1
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1つ,自じのプ fデ ソティティを保持し発展をつづける上で, 11顕天堂大学は いま非常に大事な時期を迎えていると思いますu たえず きびしい決断と実行とが求められる時期だということで もあゐと思います。 弘はいま多くを語ろうという礼持はありません。ただ このl
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j誌をもちつづけて,全教戦.n諸君と-体になり, L、ままでよりもより探く,よりぶく考え, より多く努β して任務を全うしたいと願っています。皆さんの協力を 切に願うものであっます。主 な 忍 人 事 異 動
昭 和5
1
年3
月3
1
日付 南右内教授(医進・数学)退職(定年) 板東丈夫教援(薬理学)・閣ilJ館長(併任)退職(定年) 内藤翠二教授(内科学)・伊豆長岡病院副院長(併任)退 任 塩川挺ー診療部長・副院長選任(任期満了・併任) 栗本閲夫学生部副部長・習ぶ野学生課長事務取扱i
品伝 (任期満[.併任) clj賀苦住持心寂々監退任(併任) j京貞雄事務長(総務局財務部)退職(定年)4
月1
日付 今井fJ.~ ー教援就伍(民進・ 数字) 小川嫡男教援就任(薬理学) Ä~j英 fr-.i教媛事務取扱退任(公衆衛生~~'f:) (医乍部長'
j
f
任) 内藤 1~-: 古:J;1 教提就任(内科学) 千葉裕典学生部副部長 ・現ぶ野学生課長・h
務取撤就(.f: (併任) 米林長男啓心政々監就任(併任) 糸j池正・図i,~館長就任(併任) 河村正三副院長就任(診療部門担当・併任) 大 野 大 総 務 局 長 事 務 取 披 就 任 (3
J
J
3
1
日付総務}..j長短 年退職による) 懸田克娼学長任期史新 板点丈夫名営教授称号記媛与 l封右内名作教援称号記段う: (抱織変更に伴う人事異動‘!:4京法人だより$Wj)4
月2日付 福島ー.!t!)教援就任(公衆衛生学)5
月1
日付 前j]¥ .火助教段.>1-([:(1付t
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下.{J} v.長!刈病院) 伊藤和文s)J救援j!-i.f:(脳神経外科.(Jt瓦長 W~病院)6
-名 誉 教 授 称 号 記 授 与
称 号 記 を 伍授叢
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ち省
。 誉 教 授 昭和5日1年 4月 1Ll千付f
をもつて紋東丈ノ夫た前教授(楽舟 t に こ r~才名ノう1 当誉=教捜J 第l凶0刀.称実巧号;
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記己, 雨,{_-j内前教援 (数学) に 同第11号称号記が懸田克釘守:長から援与された。なお, 悶称~;-,j己{ま.本学教援として 20年以上勤務し,特にザJ紛 のあった者等に援与されるものである。毒
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大学だより (本 郷)「
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郷
教授就任に
あたって
楽到!学識停; お が わ や す お小 川 靖 男
この度,有山理事長を始め持様の暖いご支援により, はからずも板東丈夫教授の後任として薬理学を担当する ことになりました。板東教授が鋭意努力して作り上げま したこの薬理学教宅をさらに発展させて行きたし、と念願 しております。 現在,薬理学界では,策の有効性,安全性の検討.副 作用(催奇形性,発j高性,特民体質の機斤:の解明!なとも 合めて)の検討,また環境汚染物質の生体に対する作用 など,難問題が山部しております。しかし徒らに新1守な ものに走ることなく,生命現象の基本的なメカニズムの 解析, さらにそれに対する薬物の泌を厚を解明することを これからも研究の基本ノj針として行きたL、と思います。 今までは主として骨絡筋筋小胞体の生理的機能を生化 学的手訟を用いて解明して参りましたが,これからは心 筋,平滑筋の興f
!'i収縮連闘の問題ιも手を拡げたいと思 っております。本学には幸いにも •t
:
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島学部長.I
期限教 援というこの道の大先述がおられ,適切な助J
が何られ ますし,また竹内教援を始め皆機大変よいお仕:
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をなさ れている方々が多数いらっしゃいますので,大いに仕事 をしなければならないと決意を新たにしております。何 分;こも若縦ですので,ひと様の研究指滋などと大それた ことには I~I'(J がありませんが,n
分がt
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1
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-
線に:立って仕 事を進め,立場にとらわれす.に実験事実にもとづいた討 論が自r
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こ出来るような鉱閉気にしたL、と思っておりま す。 皆段Cl)t
品いご蹄.解,ごJ(援をお願い致しますとともに 五らぬ点がありましたらご叱i
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,ご折噂ドさいますよう お願い致します。一
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昭和5
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日付就任。問手U
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京大医,...;:二部."I" 業.同44年 3Jj,同大学院院学研究科修了後同大学助手 (薬理学)就任。この!日J.昭和47~9 月より問 50 年 2 月 まで米国ロッタフzラ{大学に留学。主な研究領域は筋-
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ー大学 だより (本 郷) 収縮の
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化 ・薬W.
タンパク合成。ご家族は奥様 とおk兵隊 2 人《題味:土中~(,I~とオペラ叶;観l担ilo IIs.:tt1l4年生 れ,杉校 r).(~~IIJ 佐ケ弁!判 1-21-11 にご{E (:Ì:。教授就任に
あたって
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乍講仲: ふくしま いちろう福 島 一 郎
心のたび:まからずも小谷新太郎前教段の後任として公 衆術生学,j梓陣をれ!~ちするょっ仰せつかりました。わが悶 の多くの主f、学の111でも独特の優れた校風と教 Tf研究スタ ッフを料る本ザ:に迎えられたことを大変幸せに感じてお 〉ます, .f},!ま終戦後,占領軍の指令によって始まったイ ンタ{ン制度が適用された蚊初のクラスの一員としてH白 羽J21~ 二に東大限学部を卒業いたしましたが,その f ソタ ー γrll のある U. 小谷前教綬を始め、~!時NA:_省のノえリノ リの中i核技'釘であった先.
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数ずlがP/
生省への就職勧誘に 大学に来られたのがきっかけで,公衆衛生の道にとび込 み,今日ι
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宅っております 小谷前教授とのその時の出 会いがなかったならば,私は内科医の道を択んでいたは ずで,今さらながら日に見えない述命の糸に操られてL るn
分を感ずる次第です 小谷r
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教J
疫が HarvardUniv. School of PublicHealth こ学ばれたのは昭和24,.._,25民でしたが.その6年後のP{'. 手n30...,31年に払も同じ大学に儒学しました 判11年京北).:. 学医'
γ
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部公衆衛生学教室の助教援でしたがt Harvardて 蚊も感銘採かったのは“Thecommunity is the labora. tory ofpublic health"と,i民った精神で‘した。 それから の私は,日本の地区レベル,県レベル,悶レベルの公衆 衛生実務の他, WHO職L1として中央アジアの γフガ スタンでフィールト経験を-b'i
むなど,もつばら公衆静j生 分野の practitionerとして生きて参り支した これまでのいろいらな communityへのアプロ{チを 試みて午:んたささやかな経験をもとに,これから医'下生 i 諸A
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に,将来医師としての地域社会のリーダーになった 場令どうしても必要な社会医学的知識を伝え,地域保健 治!
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の展開の仕 }jを論じ合いたいと考えております。た だ,臨床医学系の講r
4Sでは大学の中で患者を学生諸君の 日の前に示して教育ができますが.公衆衛生学の教i
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の
場合には診断・治療を要すべき communityがいつも大 学の外にあるというのが大きなノ、ンディキャッブですむ 臨地訓練の方法に(ilJか名案を与え山さなければならない と思っております。一
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昭和51~1=_4n
2日付就任。昭和21住9月京大医学部卒 業後,ぷ北大助教援,伊勢崎保健所長等を歴任,同45年 4}j群馬以衛生研究所長就任。この間,昭和31年ハ-." ード大学マスタ{オプパブリックヘルス修f
。主な研究 領域は邸境汚染, 地j域保健。 ご家族は奥禄とご千,弘 1 人.お嬢様 1人態現行土釣り。大正 10年 生 れ 北 区 阿 ケ j反1-40-10-705にζ.(f住。 !fVJ物併の?r~2次発展期ともいえる34民6月.5 月~.trî!tr'/築完成f安保上に移転した
。外:)!之を,衣干
とミソで味付!すしガスの大釜で飼料を点る状況 ではあったが,空調化与れた H~r'.î主も完備し. 英国の動物愛護協会本部から口;t:-の近代的動 物 舎 と し て 表 時 を 受 け た り も し た 。 技 術fH
実験動物を集中管理するよ・〉になったのは, I昭和32t
i
,収容制打数も約2,500匹となって35年1月には総務i
年1J
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の初め 5~J-館増築前の 8 乃館寄りの空地に本 諜から医学部所属になり動物委民会も発起した。 : 浩 平 家 法42坪の助物舎が新築され.練炭ストーブで動 第3期にあたる45住12Jj,9
分 館13踏に動物舎が完r
;物の保出をするという粗・米な施設ではあったが.とに し,ノミ,狭. 11簡を除く小動物が移転。恒温恒混の飼有軍 ;かくこれがみ:学での助物舎の始まりである。当時の飼 に自動洗糠飼育機の設備は投が悶の大学研究室としては ;打数はノミ35頒,忍30羽,ラット 150匹, マウス100 初採用,最も機能的な動物合となった。 5号館跡は動物 jV
c
,孔11.-司ツト 200tJ.
c
で,その年の犠牲数延5,620jTC 実験部門に分化し.47年4月に巾央共同研究室制度の発 ;であった。染谷さんと非常勤獣医の原本見先生の2人 記に伴い「中央動物飼i
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室J
と改称。 49年l
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1
の9芳朗;が主任lfì 管理にあたり.閤型島iJ~;t もない当時,
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カラを 増築部完成に{半い,5
η館へはノミのみを残し,猿,摘を
:等で,投てエサにしたり,厳冬の早朝j から~í;: \,、氷をわっ
収容,問先類n
類比び代謝動物飼打室をもっ 645m'のi てた舎を洗うという厳しい仕 11~が就いた。
最新飼i
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宝となった。f
実 験 の 基 礎 と な る 動 物 凶 に同
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学 内 プ ロ ジ ェ ク ト 研 究
講1車問jの協)Jにより研究の進展をはかるため,大学医 学部ではs{{和48年から,フ口ジェクト研究費制度が実施 されており, 51年度は前年度からの継続 7研究に新規 6 研究を様択した。 1件あたりの配分研究費は多くはないが,採択件数は 13件 と 増 加 し 総 額 400万円が医学部研究委員会の審査 に基づき配分された。 課題 番号 研 究 課 題 配 分 額 (万円) フロ研!脳組織の成長とそれに拶│解IT,小児, 761 持を与える外的因子に関│児外I
50 する基礎的研究l
松 本 明 衛 生,寄 生 虫I
30 古村堅太郎 生化,前内, 神経I
30 平 山 忠 造i
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摘発生に関する臨床的│消内,消外 764 ならびに実験的研究I
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(継続) 一一大学だより (本 郷) プロ研~I 消 化 器 悪 性 随 蕩 の 血 管 造 病 理f 前内 76 彬像と組織漂の対比 有山 麓 40 /1 Halothane肝障討の予防 前内,消外 766 とその発生機序に関する 40 研究 山 f 1 毅 ' ー ー /1 消化管ホルモンの形態学 小児,消外 7叶 的 根 に 病 理 生 理 学 的 研 究 渡 部 洋 ゴ 30 │ 限 勝 脱 慨 に 対 す る 内│
7問 視 蜘 ] ク ラ イ オ サ ー ナ 泌 尿 30 リ{の開発に関す(継る統研究) 山 崎 忠 光I
l乳絡における質的及進展 病理) -外, 769 度の診断に関する研究 胸 外 , 放 射l
30 (継続) 八 木 義 弘 病一理版外射,,胸内E
外E
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E 7610 に関する研究 30 (継続) 放石 明ゴニ -,I
全 身 性 ヱ リ テ マ ト ー デ ス 病 理 内 慶 7611 I の抗DNA抗体と臓~~病 変に関する研究(継続) 橋 本 博 史 30 7612I
Prostaglandin産 生 央 - 常 東 島 利 夫 慢性中耳炎の化学療法に 細菌,耳t:I~-, 7613I
関する基礎的並に臨床的 臨1丙 30 研 究 rli川銀一郎 しく制打管理することが両度な研究成果をあげるJ とい るが, 50年 度 は10,800匹が医学の犠牲となった。 ー う有山fÌÎj学長の Jj主 I'~,こより,コンパクトながら • J施設と 助物飼育室の第4
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・函としては,面積的には学内1
その運符は裁が悶の故先端をゆくものである。現住 9り ではすでに限度であるため施,没の充実ということにな:館ではlOfì の n !fi}J洗j俗的機呼で10穂
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郎!日i助教疫が動物委員長として 官li列おから大野?を孔桝働物質伐比絞り 実現が困難をきわめている。 さん,後列右から小JIIさん.松111さん,渋谷 1 . :JI用者側との調整て宇に当っている。 室長総佐,歓伝版本;先生s市野瀬さん 「大学の規模が大きく発展するにつ: 現在の利用者は解剖, 薬理等基礎 10,U~雌,消内, 消外 れ,助物実験も増大するが,増築は限度なので今後は:等臨床 16&~i坂の必とんど全誹肢で
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笠録:缶数は 298 才1 で
できる範聞で質的な充実を計りたい。優秀な技術H
に ; ある。蚊近の状況は. )(.ラットの実験が揃え,特に発 Jぶまれ,良質な実験動物が得られることは研究者にと j 癌,免疫的な慢性長期実験が多くなっている。慰益法要って幸いで,一匹の動物の命たりとも尊重しさらに ρ~
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b例年10月に実験動物の2
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を慰めるものとして執行され 度な業献をあげていただきたし、J
と大野室長は諮る。 ',',・・・.白...・・ 1・・....・・・・...,..,...・...・...・・・1・・・・.'・ ・0・・・・・'..・.・・....・・・・・....・ ・・・",・・'''h''・・...",・'"''''・.・・・・...‘・・・・・・・...'1・・・・"・.・・・'"・ ・・・...・・..,.・・・・・・・ ・.,.・・6・ ・・ ・・.・...-
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ー大学だより (本 郷)
第
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@ ] 医 師 国 家 試 験
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20IJ1'/生省から,節目団医向I1同家,試験の結果が発 反された 本学卒業~I.I:主:82'f.が受験して741',が合栴し たの合格率 (190.20oで.全同γ
均80.4%を大きくt
廻る HI}(献であった とくに, 51年3fl卒業者(新卒)については, 73,'19
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'f.が合栴L
,これはf
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勝中97.39oで私立医大1
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校小で 断然第イなであった。第2
位(
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以下との間に法 大きな差があり,全問の国公広立医大50校rllでも第3位 の成献であった。 次間以 i経もさらに-Jt:1の努力を í~ ね,近い将来には 100<?oの合持率を果たしたし、と念願している。海 外 研 修 を 終 え て
一欧米の病院病理 病 問 学 講 師i {中央臨床倹盆~I1 H旬) 〈脅:>1'):;ら桑原
のりゆき紀之
るにヴ:振興福祉会の!明和50年度海外研修良として,欧米 における病院病瑚のあり方,病理学教育状況の観察等をI
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的に昨1"'.8月から約9カ月間jにわたる海外研修を終え { ,4月九,H
弱いたしました。当初5カ月はLosAngele の じCLAと小児病院に絡をおき,その後RochesterのMayo Clinic
,
ChicagoのNorthWestern大'れ BostonのMGHとRetinaFoundation, BethesdaのNIHと AFIP, New-YorkのBethIsrael病院と Mt.Sainai
jぐ、f:.さらにドイツ FreiburgのAshoffhausをrll心
工 Goeth)':}f~ , Max-planc!iJf究19f,Wien)ぐ下, Basel
大',?, Geneve大学.St.Mark 病院労,さうにイソド ゴリラの銅像を密んで,左から藤原先生,筆者 北原先生, 平井先生=1975年11月サンチアョの動物 鳩にて のAgra大 ヴ 救
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センター ,-
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の台北大学を訪問し てまいりました Cて,本来, f両用学!主基礎に属しながら大きな1.1常業 務として‘臨床診断を行う性絡を持ち合わせてし、ますが そ乙で,欧米のこの辺の‘J~伯について少し触れてみたい と思し、ます。 米国に代表される病院病理は 臨床系の十}として院 内(特に,手術宅と隣接・)で述常され,'
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検・外科材料 の検 ft と ;~'IJ 険の :AIl 常業務をこなし, さらに基礎的製 本的仕事をする研究室を全く別個に,あるいは附紙させ, 臨床の専門的要求にl呼応して臓器別のスタッフが,ひと つの流れの中で材料を所用しています。しかし,病院の 格差が持しいのも米闘の特徴で,小病院では,病用組織 を合む全ての臨床検査を2--3
人の医師で補う所もあり ます。ここ数年,生検.-y.術材料の増加とは反対に,諸 穂の 'j~↑,ljiJ‘ら剖検数!ま減少し,現在?ま松盛時のう分の 4 となっています 方,従来通り多くの削除数 (1,000"-'2,000体/年) を維持し,独自の建物を有し落ち訴して研究を進めるド イツに代表される病珂研究所も,年々期加する生検.
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術材料に均衡が崩れ,新設された大学では検体の迅速な 流れに{(.~守、をおく配慮がなされています。これら,ふた つのシλテムには,問状,国民性,歴史等の違いにより それぞれに長所があり,なるほどと感ずるところがあり ます。 私にとって興味があったことは, 日本の流れを浪む台 北大学の場合で,日常業務の増加に伴い,基礎系から離 れ,検査病棟(政射線,臨床験査,病理)へ教室こ・と移 転し,臨床との接触を椅にし臨床系に生れ変り.u
的を 充分述して活動している併でありました。このニと!J:, 発展する JI慎天堂にあっても,ひとつの考雌すべきデ~1; ーと)ラえます。 紙耐が限られており, 十分な紹介が :ID~ず伐念にがじ ますが,旅行中,海外で的脱しておうれる本学関係者, 新谷先生(35年半),1
謬内科の安倍,阿部先生.脳外科の 佐藤, 下地.杉村先生 病理の松本先生,眼科のドI
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先 生,渡辺先生 (50従卒)に,お世話になっ,また Lo 滞在中には消外科の山崎,横田先生,小児外科の平凡 北版,藤原先生の訪問を受けたことは,心細い外国生t'ii での励みとなりました。このrJI債天裳だよりJの誌面を 通してはるか話先生に以く御礼申しあげる次第です。 10-白 梅 会 総 会
解剖学'五円の九めI
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前 よ り 本'''f:へ献体をt:"Jす 篤 ぶ 者 間 体「ド1怖会J
節目回総会が,さる 5Y
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2911(士)駒込六祥 寺大川院栴部隊!のr
IlJにおいて開催された 現在,内情会々n
総 数 は , 男 子324:1う.Y_・r
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が献体され,近年遺体不起に悩む医科大'芋の'
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-1で,本学 は i~lt
毎会員のこP
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仙tこより.1
と'1=.の解剖学史i吋は非常・にP
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H1となっている。 午前11時からの総会では,郡司自梅会p.r~'JcJ,去の挨拶に 引き続き.懸 11i学長の挨拶と品M ,託人のあ'i~11医学J ,解 剖学浅見 ・新J
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教 搾 の 御 礼 のJ
柴,総会議事などがあ り,午後31時供長搭(納什堂)に焼持して,散会した。卓 球 部 男 女 完 全 優 勝
-春 季 関 東 医 大 リ ー ゲ 戦.H
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都大間区体'(ft
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!Iで5)j411----6IJに か け て 開 催 れた“春の問点担三千:~大学卓球 J ーグ戦"で,本学医学部 F球部は~}{,(とも完全優勝を成し遂げた, この体業はf -ム却し設以来の快挙であり.I
均京阪大リ{グ史上でも前 例がない。岡部のポ齢に対して心からの拍手を送りたt。、 今大会の l蹴献を振り返ってみると,勝 fl~ としてはまず知
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で規則的な練何i立の都みi[(ねがあったことが民女と もに準げられる。また週3回のうち, クラブハウスコとりた によりふ;郷で21mの 練 習 か こ な せ る よ つ に な っ た こ と が.大きな要闘でもあった。 151竣全勝を飾った男子チームでは, レギュラー選手の 型としては,千字選子がそれぞれ個性的でパラエティに 自み,とくにカット rソの)1:上(5).{て柴C3).前 中 陣 速攻型のr
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5). 前陣ショート Yγ の平 ~II(4).これに 十一ルラウンドタイプのキャ/テン石本(5 )の布陣(ま 里見塁無比であり.加えて選手全日の協点に満ちたチーi ワークを1'tf
をしたい。 女f
チームで!む昨秋の悶リーグ戦で初優勝を飾・って 必り今問は連続優勝を成し遂げたわけだが, 13戦全勝と いう服組は同部がす1:夫r ともに阪大リーグの.tc E の f~íこ打 臨したものといえよう。とくにカットマン戦型では.無 誌を誇るτ三)t:規 C3).森 川(2)の名コンピが向くii'f-価さ れよ言。 ま た , へ ン 亨 ン の 井 敏 (2),附村(5上 野 村(3). カγト勺ンの協(4)の r{i~訟も.本大会では見逃せないも のがあった。本大会の連続優勝は,男「問機.選手全n
の気力とチ{ムワークの結集にあったものといえる。 たお, :{片手リーグ戦男y.・完全優勝を成し遂げた後は, 大学だより (本 郷) -・ ・・l・・・・・・ ・・ ・・ ・・・・・・... ... .... ー・・・ ・・・学内設置の学会事務所
学 会 事 務 所 名 学 部 内 線 連 絡 担 当 者u
本氏.
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通学会 朕. 310 池 本 j号蜂; 日本臨床病理ザ会 }/ 372 林I
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之 IJ本氏史'字会 544 柄)1ユシプ Ll4:熱(J)j学 会 11 2544 八 本 義zj !J本平衡神経ヴ:会 }/ 2143 tlJrI洋f
日本消化(,;):~丙研究会 1/ 324J
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.k堂医学会 11 200 ょ工島英{, ';国 際 体)J研 究 番 付 会 体 14A イ iìuJ 平IJ~~ ま ず 第 1に京阪体卓球部門の;側帯
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に口摂がおかれている の は い う ま で も な く , 今 後 ..J;t1の健闘を男k
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部 に 期 待 したし、。また,平訴から熱心に選子の心技ïlf~[面の指導に あたっている1
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座 談 会
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大学の組織機構改正に伴い,この4
月から病院内部の組織も部門・部課制へと1
0
年ぶりの機 構改正が行われ,高Ij院長 (診療部長)及ぴ総医局長の任期満了に伴う交替が行われた。河村正 三副院長 (診療部門担当:耳鼻咽喉科教授,) 八木義弘総医局長 (一般外科講師)のお二人に 抱負などを伺った。 司会は病院管理学川北祐幸講師。 司会 新任のお二人にお集りいただきお話を承りたい と思います。さて昭和21年佐藤達次郎先生が創立された j願天堂医科大学は, 22年より有山登先生が学長として突 際の設立に当られ, 27年に医学部と体育学部 (26年設杭) より成る新制11頂天堂大学となりました。 30年には有山先 生は佐藤先生から理事長を引き継がれて理事長兼学長と なられ, 34年大学院が設位されました。それにつれ病院 も次第に拡充され, 32年当時約3,200坪 で あ っ た 病 院 は,現在校舎,病院合わせて約20,000坪になり,病院 も当初の約250床から今では約1,000床に増し,外来患 お数は1Fl約2,000名です。そして今年からは今までの 発展をより充実したものへとする力を容積して次の時代 への礎石としようという時期に入っています。そのため こ組織機桝も改められました。一方,社会的には医療危 機といわれたりもしている。この大切な時期に新しく副 院長(診療部 rIJ}lt~':í).総医局長に就任されたお二人にお 出願ったわけで・す。相手の立場になって
河村 面11院長を悲のようなお唯がやらされてびっくり して,f
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をどうしてよいのかまごついているのが実状で す。まず,副院長とは何をするものかということです が.診療部門を代表して院長を補佐するのが主な伝務だ と思います。病院はその性情上,どうしても診療部門が 中心になって動くということになります。診療部が中,心 であるということは,医師が他の部署の人より優位にあ るということでは決してありません。他の部111)との官擁 な協力によって診療部の機能が十分に発揮できるように なることはいうまでもないことです。そのような協力を 得るにはどうしたら良L、かという点で医師としては反省 しなければならない点も多いでしょう。一方,これまで はIJ頂天堂が急速に大きくなって きた途上にあったため,むしろ やり易かった面もあります。し かし,ある程度発展してしまう と,できあがったものをどのよ うに活用してゆくかという点で 問題が1
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てくるのですね。いず れにしても病院全体が一致協)J して病院の機能をフルに前用す るのがさし当つての課題でしょうね。 河村副院長 司会 順天堂も規模が大きくなって各分野での専門分 〈ち 化がはっきりとして,協調と口では古い易いが実際には 沢山の問題点があると恩われますが。 河村 医者はひとりよがりになりがちですから充分 省しなくてはならないと思います その独りよがりを防 ぐためにも,よく話し合い桐F
の意見をきいて,相手の 立場になって考えてゆくようにしなければなりません。 司会 その話し合うことは時間のかかることでよく反 応が遅いということが;:われますが,その辺については。 八木 そのことについては.事実だと思います。特に 医局長会に出てくる質問事項や不満は,話し合った*項 ζ対する反応が遅いということがかなり大きなl
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を占 めていると思います。これは組織が大きくなったことと, 12-それにさっき指摘された連係,協力等がどうしても途絶 えがちであることにも 1つの原肉があると思いますが. 診療科だけでなく病院組織のれ課が円分の科(諜)を中 心にして反応を示し,白分の課の範聞の仕 'J~のみに一生 懸命になることが反応の遅さにつながっていると思いま す。我々働いている者として考えますと,反応が早けれ ば早いほどよりい頼感が生まれますし,イ土 'j~ も実行し易 いと考えますのでその辺のところを診療部長が上手にコ ントロールして頂ければよりベタ{と思うわけで‘す。 司会 病院組織の中で総医応長は~I!要な職ですが,河 村先生から希望されることがありましたらお願いしま す。 河村 今まで医局長会とは縁がなかったものですから よくわからないのですが,診療1}員会と医局長会と lまs議 論されるべき問題が相当違うべきだと思います。今まで の記録を見ていますと,
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会械委H
会での i議題がそのまま 朕j斗長会でも議題になっていることが多いようですが, 意志の錬通をほかる上でほ必要と思う反面.その辺にお 互いに無駄があるように思いますが。診療委員会・医長局会の位置づけ
八木 私の医川長会に対する考え方は乙うです。まず, 病院における医μ
とはどういうものかということが 1つ です。全く何人としての意見ですが,医師という職業は いわゆる社会に対する適応能力とでもμ
いますか,広い な味での人間形成,教宵の坊が非常に;f:J~\' 、範囲に限られィ
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てしまうと思います。医局は医 者の社会の単位で,先輩が後乱 こ,倫理もz診療も研究に関しで も教えてゆく。そニに小さな社 会があると考えて良いと思うの ですが,その怠味で医者として の完成.人間としての完成に対 して絶対必要なものだと思うわ 八木総医局長 けです。 ての民局の代去をとりあえず阪防長と呼はせてもらっ て,それらの人々が集って医防長会をつくるp この民k
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長会が少くとも,病院組織の中でどこに位しているか, てして決定されたことがどういう形で病院の迩常に以映 されていくのか,要するに医品長会の性絡と権利,義務 とL、う点がもうーっすっきりしないと思います。ここカ' 制村先生のご質問につながってゆくと思います。 弘が{引t 日の~HJJ 長に当るかわかりませんが,恥個J としては医局長会は決定機関ではなく,あくまでも実務 的なことを討議し我々医局以がよりやり易い診療を中心 として研究教Tfが出来るよう病院に要諒する会議である ζ考えております。ただ,医川長会が診療委員会で決定道村さん
渡 米
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(水) 午後6時,道村政 :技副総婦長(教有 毘当)は・路r ュ 大学だより (病 院) {ヨークへ向け羽問を発った。欧米の医療及びJ
守護 現状,、政びに卒後教f
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の効果的あり )Jを研修するた め,ニュ{ヨークに 1年,英国ロンドソに半年,そ れぞれ滞在,研修に専念される。 当日は,洞見副総婦長の他41
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1の右越部の持さん がお見送りにかけつけた。いつもは気丈で頼もしL 副総射長も此の Uばかりは緊似気味,眼鏡の奥にキ ラッと光るものがありました。頑伝ってきて下さ い。道付さん。 されたことを実際に考えた時にできないという時には, もう一度診療委民会に炭して,再度討議して頂く形をと らざるを仰なレことも11¥て米るとは思いますが。 それから医町長としての立場から病院に対する希望事 項がI
I
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て来た場合1M
らかの形で,111.く結論を:
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してもら いたいと思います。できるものはできる,できないもの はできないという具合にはっきりした返事を出してもら いたいと考えております。待て待てといって半年も待た されるのは困ります。こういったことを解決することカ ら病院と医品とがおjれ、の信頼関係を打ててゆけると思 うのです。この二点を中心に~Jr,j長会をもってゆきたし と考えています。 河村 診療委員会についてもよくわからない点が多々 あります。はっきりしていることは‘要するに,院長の議 問機関であるということです。ですから色々なな見を11¥ すところであって,~は決定機関ではないだろうと理解 しているのですが,その点どうなんでしょうか。 司会 今お話のように副院長は診療i,?H
会,:.総F
料品 長は医lnJ長会に,疑問jを持っておられるようですが, 八木 すると,先の,
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にもどりまナが,医J,,)長会の性 絡としても,また,ひとつ光がみえてくるという感じで す。診療長.u.会が院長のil持問機関であるなら,阪M
長会 もまた, レベルのちがった議問機関と与えられますね。 そうなるとある程度の意見の許申ができるわけで.~Jr~j 長会では診~J;t 委 u 会での決践を充分討議してもし、し、し, それ以外のことを討議して符申してもよい会となると考 えてよろしいですね。またI lべ、かえれば診療-i?H
会を-13-大学だより (病 院) 1つのル{トとして考えてやってゆけば良いという考え )]があるとおうことでよろしいですね。 司会 すると,委員会というか組織として考えた場合, 病院の怠よ決定はどこでするのですか。先生方もその立 場に入っているのではありませんかn 河村 布、も面JI院長になってからだんだんわかってきた のですが.病院水脳会,いわゆる病院理事会的な会議が 決定機関のようです。 !J~項によってはもう 1っその上の 定例昭事会で決定しなくてはならないこともありましょ うれ3 事項によっては病院の部長会で決定ということも あるようです。結}o},部長会あたりからが決定機関で, それまでのものはs諮問機関のように理解していますが… 司会 その辺か病院組織の弱さだろうと思いますね。 新組織作りは,ここらも改善すべき時期に米ているだ ろうと思いますが,病院管理学 の中で~,iわれるようにはうまく ゆかないですね。 八木 しかし,官、は病院の怠 ぶ決定とはちょっと迎うところ 三医}.,j長会はあると思います。 少くとも医}"j長会は実務的な閣 での討議をする場であり,病院 司会・川北先生 の中では健かに大きな会である かもしれませんが,やはり,病院に対して怠見を具申す るという立場をとるべきであって,その決定に医舟長が 参罰することは考えられないことだと lfj,は思います。 司会 病院組織の近代化は.まだいろんな考え力'があ って整理がつかない薗が残っているわけで,新しいもの の考え方に落A守くには,今日,明日ではできないだろう と思いますね。
全員がフ。口意識をもって
司会1
両院にはあらゆる医療人にたいして教育の場と しての点任もあると思うのですが如何でしょうか。 河村 むつかしい問題ですね。我々が毎日やっている のは実際の診械ですから.岩波射さんも事務員さんもプ ロであってほしL、。プロにはブロとしての勉強が当然必 要で,そればむしろn
主的な勉強だと思います。そこで 何かの疑問が起ってきた時に rI6し合いが生じ,そこで討 議する。それが教官ということにもなると思います。プ ロの教育はそういうことしかないと思いますが。病院で すから,皆、者さんの前で討議するのは適喝な)j法ではない ので,その時には,ー・応仕事をスムースに終らせておし て,あとで討議するべきでしょうね。A
議する時にはお 瓦いに対等の立場でする。それが自分自身の勉強でもあ り,相手の人にとっても教育になると思います。その時夏バテ?
反はどうしても食欲不 娠になりがちですがI 8 号館の食堂は,おいしく て冷たい「もりそばjが rl慢のひとつです。 1食 350Cal,生玉イ・を搭すと, 430 Cal。 長パテはしま せんように。 乙は教育する立場とか,教T
1
される立場というのではな く,f{..いにブロだという意識でやってゆくのがよいので はないでしょうか。学生のように集めて講義すれば良い ということではないと思います。 八木 今の川北先生のご質問に対しては総医局長とし ての答えはありませんが,病院としては...'ラメディカル の教1
守に対しての義務はあると思います。しかし我々医 応長にはその義務はないと思います。医応長でなく医4
者 自身としての立場から人!日]として医者として.λラメデ イカルの人達との意見の交換,ぶつかりあいというもの があると思います。その時には,それなりに討議します が,職員を教育してフロにするという時には,その義務 はないと思います。 司会 医師以外の教育も病院としては大切で,多くの 職員がこのことに闘して,新しい先生 }jへ注目するとこ ろだと思し、ますが。 八木 その問題については私たち医局長としてできる ことは,..{后3
護面では右il投畿サイドカか‘らE
医正師に対する要求1
項が!山1
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てきた場合,それを医局長会で討議してゆくこと ができるしまた医務課関係でも,医務課Ll.trから能主容 がjに考えて合理的なことが提案された場合には,当然討 議して何らかの形で協)Jしてゆけると思います。そうL、 う怠味の教育だったら私 n~t 協力を惜・しまないつもり です。 河村 例えば,ヨi~射さんについては. 対長がー応教 行も担当しているのでしょうから 大部分のことは材長 さんにやってもらうということでしょうね。その中で医 学的な箇でのこういう教育をしてほしいという要求がで てくれば,勉強会というようなJ~ のものを持つニとぷな るのでしょうね。 要するにどの職場にいる人たちもプロという怠識をも って徹してゆく。ブロが教"A'をうけるということは現場 での疑問に対して後で討議してゆくのが最もよい方法の ように思いますね。 司会 訟も同じですね。少くとも同じレベルでなけれ - 14-ば,また疑問がおこるというところまでゆかないと,協 力とか相手をれ煩して頼めるという岐にはならないだろ うとe思います その辺に,病院の協力耐としてレベルを あげる忠誠.技術的にあげてゆく必要性が).;.t、にあるの だと思し、ます。
望まれる将来計画の提示
河村 もう少し具体 :!~J な問題としてですね。今段々医 師が・許(nJを噌んでいるのかということですが.*館を 何とかしてほしいということです。新しい病院を作るた めには状々も, もっと努))しなくては実現できないと盟、 います。そのためには.ある程度先の“パラ色の本航" の社l萌をたててもらって,それを実現すゐためには, じ ゃ投々はどうしたら良いかということを考えさせてもら うなら,副院長としての立場は来しくなるのですがね 八木 今.医防長会で実際簡で.-
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許問題になってい るの(1
スペースがないということです。その意味で,も し病院が大きくなれば,もし悠て持えがU
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来ればという 考えブiは,非常に強くありますね。ですかウ,そういっ1
擦というものが,ある程度わかってくれば,先の希切 ヵ:持てて,もう少し待ってくれといわれたら,そうか, じゃあ.そこまで待とうかというような考え方もできる と思います。 という反間,病院の経済的運常はかなり-
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しいことは よく出!I..、ていますしその中でどういう立場でどういう 先生}jがその問題を点剣に考えて将来,f
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を女てるかと いうことについて知りたいですね。 河村 そうすれぽ,そういうな闘の下で.段々はじや これ、う・Jcで協))も努かもしようということもできま す もう少し先の社両を知りたL、ですね。 司会 そうですね。病院の経済的状態の実態的資料ば かりでなく.“パヲ色の野"というか.
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・い建物を壊し, 約 2 万坪弱の建物ができる。雄すのに 11~. 建てるのに 2.5年かかる そのために今から社両して10年後の病院 を砂:見て作ってゆくことも怠味がありますね。│問題4Ijに 修正して何年か後を考えて計ilhjしてゆけばL、いわけで, 学の作業としてやっては… 八木 筏念ながら任期は 1年 で す か ら わ か り ま せ ん 1),全ういう河持がないと張:)~t l_.、が ~I~ まれないことは るりますね。 河村 立が順天堂に来た時(泊三!昭和137祝)にはa診療 ~;長には毎月のれ科の収入などの資料が:1\てレたそう ですが,余り良くないということで廃止されてしまった ようですむそれ以後段々は収入に無関係にやっています が,よとの点有難いという聞はあるのですが,経済的に危 慢であるといわれても各臼がどのような努力をすれば良 いのかとまどってしまいますね。 大学だより (病 院)石
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1 1頂天堂カラーの紫 色のアジサイや騰の 花がl咲く本病棟、中庭 二,ポツンと-ii燈簡 があります。これは 新館建築にあたり昭 一 和45促 5月に取思し た6号館玄関前にあったものを務,没したものですか 大正10年9月1I鼠天盤研究所として建物が落成した時 に間かれたものか,相、可古い写n
にもこの布燈喜u
が 写ってはいますが,この',[j燈佑のいわれが下Ijりませ ん。 rli緒をご存知のブjは編集部までごー報下さし、。 司会 部門別件訴をする場合.病院というのは非常に むつかしいでしょうね《たとえば収入たけを対象にする と中央肱射線室等は収入ゼロになってしまうわけです。 ゼロなら外注にするのかというと,それはH
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来なし、。利 益本は思いけれどもそれによって他部門が世の中で,よ い評価を受げることになります。従って必ずしも部門別 評価だけでは決らないのではないかと思います。 河村 むつかしいですね。政雑だから間Iれには:1¥せな いが,器u
唯だから山さなくてもよいということにもなら ないと思います。広い視野に立って
司会 さまざまな昔、味で難民にある病院のifl:裂なポジ ションにつかれたおぶ人に.'ltif:去にひとiニとずっお前h
します 八木 j総医Jr,)長というt
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をひきうけた以上は,できる たけ各駅 }I~ め利益になるような立場で-医局長会を述併し てゆき,病院になるべく我々,t
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、医者の気持と要求をう け入れてもらうよう努力してゆきたいと思います。 河村 少しその逆になりますが,できるだけ広L、税野 でみて頂いてn
分の科だけを考えずに的院の良くなる )j 向を探してゆきたL、ですね9 八木 ノ?の;~.葉が実現するなら, ます。t
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,も全而 (1'.)に協 j)し 司会 全職H
の平均年令は大変;告し、ニともあり,新し い先生)jに対する期待は大きいと思います。よりよく働 ける場所への努力を期待致しております。有難うご主.い 脅した。 く了P -15-大学だより (習志野)