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Title

自白排除法則の研究(五)

Author(s)

関口, 和徳

Citation

北大法学論集 = The Hokkaido Law Review, 60(6): 91-153

Issue Date

2010-03-31

DOI

Doc URL

http://hdl.handle.net/2115/42993

Right

Type

bulletin (article)

Additional

Information

File

Information

HLR60-6_003.pdf

(2)

1 1 1 1 1 1 1 4 関 崎 品 一

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自由排除法則の胡究

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司 け ら へ ヱ ケ i Z一字問起の所在 初 日 以 円 卒 。 刑 事 正 統 に お け る r 斗 の 地 い い 台市川自白排除在同ハに院す

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設 立 川 の 町 一 程 ﹂ 口 と 枝 一 色 の 動 丙

士 山 山 ♂ イ j ~::: '1'字00:,6'91)14ち3

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第二加アメリカ法の一小喰││ミ一ブ

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判決 符 凶 加 木 研 究 の 課 題 一研究の対象││同門排除法則の整宇 一 研 究 の

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角 と 本 一 惜 の 構 戒 第 一 市 ア メ リ カ の 自 亡 排 除 法 川 第 加 不 仔 空 自 己 の 排 除 法 則 │ │ 自 斗 法 則 一 白 p しは則の成立とアメリカ法への継呈 一 適 ↑ 止 干 続 U 任主性説

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乙 第 節 違 法 収 集 自

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の排除法則 一マクナプリマロリ、.ルールと第川修 7 1 の山白への述凶 一 マ 什 イ ア 判 決 二 九 六 四 年 ) = エ ス コ ピ lv 判決(一九六四年〆 四 マ サ イ ア 判 決 お よ び ヱ ス つ ど 11 ト判決の意義と課題 第 二 日 ミ ラ ン ダ ル ル 土 そ の 説 題 湾 出 向 内 法 則 の 析 民 間 ミ 一 ブ ン ダ 判 決 ( 九 六 ハ 年 ) と ミ ラ ン ダ -ル ー ル 一ミラ、〆ダ空件 一 ミ ラ ン ダ 判 決 = ミ ラ ン ゲ 判 決 の 忘 我 第 加 ミ ラ ン ダ ノ 判 決 以 降 の 判 例 の 展 開 │ │ ミ ラ ン ダ ・ ル ル 円 弱 保 化 と 強 化 一 ミ ラ 、 〆 ダ ル ル の 弱 体 化 一ミランダ・ル

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ルの強化 符二郎ミ一フンダ・ル、 i ルの憲法卜の地位

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ティカ)ソン判決(ひ一リパノ午) ( J r p 弓

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与に同に一つ) ( 以 卜 、 五九巻一号) 北法印(6.92)1484 (以卜、五九巻三号) ( 以 卜 、 五 九 程 式 号 ﹂

(4)

111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1:

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一 条 l y ご 三 フ ン ダ ル ル ﹁ 下 防 法 則 一 論 一ムロ衆庁い法典八紘 一 デ ィ カ l ソン事刊 = デ ィ カ 1 ゾン判快 四 デ ィ カ ) ソ ン 判 決 の 巨 + 十カディカ 1 ソン判決後の判例の反開 第 山 町 ミ 一 ブ ン ダ ・ ル ル の 課 題 一 は じ め に 一ミランダ判決以降の被疑省取調べの諮問抱 一

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ミ一フンダは主務に影響をワえたか﹀

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密室ぞの権利告知子続 一

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ミ一フソ〆ダ・ル、ルに反する取調べ

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虚偽

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ミ 一 ブ ン ダ ・ ル

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ルの課題 = 学 説 に お け る 提 言

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弁護人ーとの相談を料ていない白河の全日的排除 一

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弁護人の自動的な選伴

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弁護人の 4 会いの在い中

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得られた j円 山 門 的 九 十 回 的 排 除 一

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身体拘束 !一門の向向の全面的排除 第 立 町 小 折 第 一 一 V 円本の自コ排除小山則 第 節 r J 日 誌 に み , Q j 十 h 排除法則 一 は じ め に 一 市 偽 排 除 説 F以卜、六つ巻一号) 北1生町J(6 .9311485

(5)

= 人 権 雑 誌 説 四 H R R H U M L 説

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仔 窓 生

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仔意性而説 有 注 法 排 除 説

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鈴木説 一

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松国税 六折衷一副 七 総 ム n 説 八 ま と め

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上、本号) ( 州 市 三 苧 目 未 完 ﹂

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第川市 山 品 川 、 音 γ 自

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排除法則の埜序 結沼

日本の白白排除法則

第一節 学 説 に み る 自 門 排 除 法 則 北法印(6.94)1486

(6)

はじめに 先にも述べたように、育改二八条二唄は、﹁強制、必問川前しくは脅迫による白'川又は不当に長く抑留者しくは拘禁さ れた後の山

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は、これを証拠とすることができない﹂と規'疋し、これをうけた刑訴法二二九条一項は﹁強制、拷問又は 脅迫による自白、不当に長く抑留文は拘禁された後の向川口その他任 υ 肯にされたものでない疑のある向叶は、一﹂れを証拠 とすることができない﹂と川比定している。このように任煮件に疑いのある白内の証拠能力を否定する原則が白内法則で あるが、この白門法則の松拠、すなわちなぜ任意性に疑いのある白川口を排除すべきなのかをめぐっては、学説

l

、虚偽 および違法排除説を軸にした散しい議論が展開されてきた c もっとも、序 同 で述べた本稿の同 排除説、人悔擁護説、 通認識からこれまでの学説の議論をみると、そこには大きな山題が横たわっていると二円わざるをえない 木節では、個々の学説を詳細にブォ口ーしてこれまでの宇品の議論の軌跡を辿るとともにその刈達点を位認したうえ で、それぞれの説の

E

義と問題占、について検討を加えることとする c それによって、これまでの白門排除法則に関する 学説の議論に内在している恨木的な問題白 t が浮主駆りになるであろうの 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: 虚偽排除説 (一)山口山法則の恨拠について、最も士口くから、土張されてきた凡肝が虚偽排除説である。取偽排除説とは、憲法一八 条一項および川訴法一一一九条引の趣旨を、虚偽向白を排除するためのものと解する説であるっすなわち、強制、拷町 などによって得られた任意性に疑いのある岡山は、その内芥が点偽であるおそれがあることから、誤判防止のためにも 北1生町](6'95)1487

(7)

証拠能力を否定すべきと解するのである。もっとも、虚偽排除説といってもその内容は論者によって大きな違いがある( 以下では、虚偽排除説にたっ代表的な論者である藤宥陸郎冗検祭官および栗本夫元裁判官の見解と、虚偽排除説が陥

"

りやすい問題点を鮮明に見て取ることができる阪村幸婦教授の見解をとりあげ、それぞれ検討を加えることとするハ 三三まず、藤山百元検察官の見解をとりあげる。政岩冗検察官の見解は次のようなものであるわすなわち、﹁任肯性 のない自白は証拠から排除されるという規制は、 一定の粂件の下における供述は信想力がないという経験上の恨拠に来 一般に証人の供述は不当な影響力の結巣として真実性を失い従って情活力を欠くことがある。この点反対尋問を経 ない証言や誘導尋問の一ホ峻によって何た証一百が事情によっては排斥されるのと原理は同じであるが、犯罪の嫌疑を受け く た苫の場令にはこのような事態はその性質改ぴ斗力において特異なものがあるが故に、法は一層高度のリ取格件を以って

9 -一 これを定型的に信惣力のないものと定めて排除したのである﹂、﹁ある種の自白を排除する恨拠が、 一定の条件のド i に おける供述は信強力がないということにあるとすれば、その条件とは白 p什時の自白者の心中に虚偽の自向を誘引する頃 のある心理状態、即ち利益に対する希望立は一音恵に対する畏怖を生げ一しめる情況があったということである。しか も問題は当訟の場合に現実に虚偽の自門を誘引したか川口かではなくて、 その情況が虚偽の目白を誘引することが公正に 疑われるようなものであったか台かにあるそのような情況の下になされた向川口は定型的に信想力のないものとして証 拠能力を失うのである﹂、﹁白内は一定の条件の卜になされたものであるときは伝怨力がないというのがその証拠能力 一昨日ぴ証拠他力がないとされても、結局そのような条件が白門の内容を害するよ の 制 収 ほ に 存 す る 理 五 一 主 で あ る と す れ ば うな影響を及ぼさなかったことを証する情況が明らかにされたならば、 その証拠能力を恢復すべ主である ο 例えば、後 に 八 ヤ く 任

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性を疑われる一﹂とのない被告人向身の供述により前の供注の内零が催認されたとき、また当該自白よ竹前の 同じく任立性の疑われない白白とその内存が同一であるとき、 の如きである n 任立性のない白山の結果、これに来いて 北法印 (6.96)1488

(8)

捜索が行われて該目内をその重要な白 tにおいて確認する事実が発見されたとき、該自白が証拠能力を恢復するというの も 一 ﹂ の 理 論 に よ る ﹂ 。 藤 川 七 説 は 一見すると、白川口の証拠他力の判断にあたり、﹁虚偽の白内を誘引する﹂﹁情況﹂を重視するものであるよ うに、すなわち、当該取調べが虚偽白円を誘発するおそれのあるものであったか百かという取調べの外形を重岡促してい るものであるようにみえるしかし、藤有説は﹁証拠能力の恢復﹂なる概念を認めている。すなわち、 ﹀

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を誘発するような取調べによって何られた自白であったとしても、役に国内が点偽でないことが川明らかに なった場骨にはその証拠能力を認める立場にたたれているのである、このようにみてくると、脱出行説の主張する虚偽排 の 険 j直 を

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合 さ む や 見 公 解 目 正 で 白 さ あ 法 を る 則 幸 干 と と 視 い 自 し わ 白 亡 さ の し、{る~iE る6を 切j え 力 む と

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同 桐 る 見 解 vノ勺 あ り 除 説 と は 、 証拠能力の問題と証明力の問題とがあいまいになる危 このことに加え、学説においては ︹イ﹂実体的真実を強調するあまり手続 (口一山内に北川ワいて他の証拠が発見された場八一門には、同白が虚偽でないことが催 認されたことになり、そうすると、そのような場合には、 拠法力をア内定する理由に欠けることになるが、 いかなる強制、民間なと一よって得られた自円であっても証 そのような帰結は憲法二八条二引の飽同を形骸化しないか、といった 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: 批判も向げられているが、これらの批判はいずれも正鵠を射たものという、へきであろう (一二続いて、面対木一夫元裁判官の見解をみるコ栗木冗裁判官の見解は次のようなものであるロすなわち、﹁任骨'性 のない白白とは一体いかなるものかということはこれを倍 J疋しておかなければ貝作的の場合に当該自白の任意性の有無 を決する乙とは凶難となる r そこでこの点を考えて見るに、これは任

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性のない山岡山は何故に証拠花力を否ー疋されるか という点に遡る必要が止するのであるが、この点について泣母法たる米法上にも一、 三 の 説 が あ る 即 ち 、 強 制 、 拷 町 等により得られた自白は木人の自己に不利益な供述を強要せられざる特権一七三﹄-去のお

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ニ 己 { 己 η 2 B 己主 2 亡 を 侵 北1生町](6'97)14凹

(9)

石しているから証拠能力を γ 川固定されるとする説、強制、拷問、脅迫等により得られた自門に証拠能力を認めることは公 干の精川刊に反するとする誌の如さがあるようであるが、これらはいずれも通説ではなく結局強制、拷問、脅迫等一ドよ旬

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は虚偽の供述たる蓋然件が高いかりという説が通説であるようであるハこの考方に立てば、結局白川口の任 台作のム伺鉦を決定する規準は当該自白がなされる抗日に日臼者以外の者により虚偽の供述を誘発するような行為がなされ

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っその行為によってその向叶がなされたか?〆ごっかとい、つ凸 tにあるという一﹂ととなろう L O ここから明らかなように、栗本説の内市什は究にみた藤岩説とはんきく列なるものであるり藤岩説が自向の内容が虚偽 であるか百かを問題トとするのに対し、柴木説は、向白の得りれた状況が虚偽の自白を誘発するようなものであったかど うかを問題とする見解なのである。この白川で、栗本説は、山国

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の任 υ 甘件と囲内の証明力とを同一視する藤山石説とは本質 ( 3 一 的に異なっており、日除岩説に向げられている批判を克服できそうにもみえる。しかし、かりに被疑者が虚偽の困川口を せざるを得ない状況に置かれていたか台かを証拠能力の判断基準としたとしても、虚偽肉

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をする状況の作存は被疑者 の心理、対する具体的な影響を考慮しなければ判断できず、結局は自白内零の真偽を判断することとなって証明力の同 埴と端れて証拠能力の同組として山白法則を論ずる草昧がなくなることになりはしないだろうか。また、昨偽回白の おそれを類型化することの凶難性も学説において半くから指摘さ﹂れてきた υ さらに、もし虚偽向門のおそれの類型化 が閑静であるとすれば、点偽の口

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をするおそれの有無は事案に即して被疑者の心理過程をたとって判断することにな そのような判断方法での自白排除の実効性の碓保についても権問が向けられてきた η らさるをえないことになるが、 (囚)ところで、藤岩説も京本説もアメリカでは鹿偽排除視が有力であるということを伯捷に慌偽排除説を主張され ている占で共通している。たしかに、本脱出中一章でみたように、回白法則は、 八世紀末のイギリスにおいて、強制 によって得られた白白を点偽の危険性を恨拠にその証拠能力を否定したことにより発生したものであり、連邦最高裁 北法印 (6.98)1490

(10)

{ 刊 司 困臼法則を継一一交した時点では虚偽排除説にたち、それからしばらく虚偽排除説を維持していた。しかし、 、 包 ハ牛にだされたブラウン川決を晴矢として、席偽困自の排除という観出 Jから適正手続の保障の観点に軸足が移り、日円 本国憲法が制定された時点におけるアメリカの白門法則の発展段階は適正手続 H 任党竹説、よる排除の方向が閉まって 一 円 ) いたのである c このようにみてくると、アメリカの日ム円法則を松拠に虚偽排除説を主張することげは多大の疑問が残 るところである も 九 (有)藤粁説や州市本説とはやや異なる視点から点偽排除説を王張されるのが阪村手持救出山市であるロ阪村教同一況は、﹁任 賞作概念は、典型的な強析による白門の成斗過程を基礎に据えて、宵白排除という効果を考慮しながら、政秘権侵害 f人 権擁護説)を中伎とする、刈快かっ実用にたえうる概念を構築することが吏ぶされる。その孫は、切り追え尋問の最高 裁判例のいう a 虚偽の自白を誘発するおそれ ﹄ が、回内排除のための説得作をもち、かっこの程度の強さの強制が要求 されるものと解される。だが ﹃ おそれ ﹄ では不明確であり、結局は、﹁心理的強制をうけ、虚偽の自

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が誘発される影 響 力のある自白﹂が不任意自白ということができよう η したがって、この見地かりは、取調べの違法性、不当性を格別 いう必受性はないことになる﹂、

7

不任煮-の同山という以トは、山内獲得過程の直接的人権侵害性と同時に、虚偽の 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: 自白を誘発するおそれのある自円借内手段を防き避けることにあり、 したがって、両苫の函からの理論が要求されるの 不 で 任 あ マヤ ヲ 回 心 自 白 要 と す は る 'L、

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生町〕情的)1491 阪村説は、﹁不任宜 ー 一 同

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とは ー レ理的強制をうけ、虚偽の山口内を誘発する影響力のある困白﹄であると解することに なる一としてお旬、一﹂こ点をとらえるならば虚偽のおそれのみならず、被疑者の供述の自由を問題にしているともいえ、 一見すると後にみる任立件説一いたっているようにもみえるロしかし、阪村教佼は、上記の叙述に続いて、白白の証拠

(11)

能力と信用性との関迫につき次のよ、つに述べられている﹁目白の任

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牲を認 J疋するにあたり、 向山の信用牲によりか か つ て 、

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の任昔日性を認定しているのが判例の傾向である。それは、証拠法上の山題であるけれども、県本的には、

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見 詰 い ず 亡 る る と ことに鑑みると、阪村説も虚偽排除説に位置づける一﹂とが安当といえよう。たしかに、事実認定は遇正なものでなけれ ばならず、ここから事実認定は注

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剥 経 験 引 に の っ と っ た 客 観 的 分 私 的 な も の で な け れ ば な ら な い と い う 結 論 が ( 部 、尊かれる、したがって、阪村教伐のいわれるように、事実認定においては、﹁科、リ J 的実証王義的方法﹂を軽んじるべき ではない それが、証拠能力と証明力を区別する川事訴訟法 、 川 へ の基本理念一刑訴伐一一一七条)を歪めるようなものであってはならないのではなかろうかハ しか

L

、﹁科学的実証、土義的ん法﹂を重視するとしても、 人権搾謀説 (ご人権擁護説は、憲法二八条一項で猷秘権が保防され、憲法二六条では拷問の禁止が定めにりれているなと、被疑 者に対する手厚い人権保障比定がイ自存しているが、そのような宣二 回 だけでは十分ではなく、これら黙秘権を巾心とする 被疑者の人権保障の実効性を倍保するためピは、崎制など人権を侵正口する方法によって得られた白門を俳除すべきであ 一 以 ) る、と肝する説である r 人権侵害によって得ちれた同内について、被疑苔の供述の一向山を侵害していることに着目し て排除の結論を導く占に人惟雄護説の特徴があるコ 人権擁護説にたつ論苔としては、 まず横井太一一元検察(円を挙げることができるつ横井元検祭官は、﹁強制、持 コヒィ長60情 100)1492

(12)

山又は強迫による目内及び不当に長く抑留又は拘禁された後の囲内の証拠能力のないことは、すでに笹山法の主ていする と一﹂ろである。強制、拷問及び脅迫の観念を分和することは余り実話がないロ安するに証理にさせられた自白を表現す 3 るための形容詞、すぎない﹂とされたまた、﹁不当に長く抑留又は拘禁された伐の白

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の証拠とならないことも憲法 に刈丈がある不当に長いかどうかは具体的事情に即して考えなければならない﹂とした卜で、そこでの問題の焦占 j は﹁通常人ならば昔痛に柑唱えかねて向円をしてしま、つであらうと思われる桂川止の期間であるかどうか﹂である、とさ 市 レ 一 、 、 1 i 7 いずれも、被疑者の供述の自由に重点を置いている一﹂とが窺えることから、人権擁護説にたっ見解と位置づける こ と が で き よ う 、 鴨良弼博士も人権擁護説にたっ代表的な論者の一人である J 鴨博士は次のように、土張される{﹁目内の任立性の法理は、 被害人の凶由権の保障を基盤としている。被告人は、犯罪事実についての供述に問

L

亡、供述の固山を仔っており、円 定するか、否定するかいすれかを選択しうる合同心浪定の自由がある J か民うな自由権を侵半口してなされた自白は、任党 性のない白

U

でありて、事実認定の資料としてその適絡性に値しないものである η かような白山には、 百 一 実 問 の あ る 事 実を内容としているものもあろうし、反対に、真実性を含まない場合もあろう。おそらく佼者の場合が多いであろう。 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: し か し 、 た 卜 y ご足、真実の自門が含まれている場合でも、佳意牲のない山 p川は向由権を侵害しているという理由でその証 。白

H

の任青い性の法理は、白内そのものの証拠能力を否定する機能があり、内容の盲(実性を同 わないとこみに本質がある﹂。鴨博上の見解も、白山の任意件を﹁供述の白山権﹂から理解していることから、人権擁 拠能力はみとめられな 特捜説に位置づけることができる{ こじ人権擁護説は、指偽白内門のおそれの有耐止を問わずに被疑者の人権を侵五口し、供述の凶由を侵害したことを恨拠 に自門の証拠能力を否定する点に特徴があるコかりに取調べの過程に被疑苫の供述の白山川を侵吾するような人権侵害が 北

1

生町](6'101)1493

(13)

認められたとしても、 目白が虚偽あることが確認きれた場合干、虚偽同'川のおそれがなければ目白の任

E

牲が肯定され る一﹂とにならさるをえない虚偽排除誌に比べると、人悩一雄護説はその名が端的に示すように、被疑者の人権保障を実現

"

する問点かりは優れた見解であるといえよう。また、白白法制を被疑苫の供述の白白の時保という観点かり構成する白、は、 一 弘 官官官法二八条一項が日己負罪拒台特権(猷秘梓)を保障したうえで、続く二唄が日門法則を脱走している憲法の条丈構造ゃ、 そのような宵涼の規定を、つけた刑訴法ゴ九粂一項が、自白法則を﹁任煮にされたものでない疑のある向は﹂を排除す るものであると敷討していることとも整令的といえ一ゐのではなかろうかコもっとも、人惟雄護説に対しては、学説卜次 のような批判が向けられている fィ)供述の肖自の侵害の有径を排除基準とするため、殿、秘権侵百以外の人権侵害によっ 一 JA) て得られた同山に十分に対処しえないのではないか、口)それ ー 一 同 体 必

1

しも人権侵害とはいえない利話の約束による 白川口の排除を根拠づけることが岡難となるのではないか、 (ハ﹂供述する側の状況を問地にする ζ ーとは虚偽排除説と共 、 判 川 一 はたして向

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排除の支効性を挙げることができるのか、 日 )

υ

法則とを同一但すべきではない c 通しているが、 てご自己負罪似合特権 F黙秘権 の保障と自 凶 任 い 肯 性 説 ( ) 以上にみてきた虚偽排除説および人権擁護説は、ともに、 一ィ}憲法二八条一周?と刑訴法二九条一班十一不任 廿'目白を排除するための規定と解する点、 (ロ)同門の任煮件の判断において、被疑者が慌偽同門をけ一さるをえない状 況におかれていたか否かないしは被疑者の供注の向由が侵害されていたか一作かという被疑者の心理内を重視する点、に ぶいて共通の問題認識を有している。また、刑一訴法二二九条一項にいう﹁任玄にされたものでない疑のある自門﹂ コヒィ長60情 102)1494 の 世 九

(14)

り 一 味を解き明かすことをめざす点においても共通しているといえようハ もっとも、府偽排除説のみにたつと、強制による回向であってもその内零が真実であったり、府偽自向を誘発するよ うな状況が認め Aつれなければ排除する理由に欠けること、なる v 他 i 刀、人権時地護説のみにたつと、利リ耐誘 導 の よ う な 、 虚偽一日臼を導きやすいものの人権侵害があったとまでは必ずしもいい難い方法によって得られた自門を併除する理向に 一 一 日 一 欠けることにならざるをえない そ一﹂で、虚偽排除説と人権擁護説とをともに考唱し、相互を補完しあわせることによっ て同門の証拠能力を判断すべきとする、任志位説と呼ばれる説が主張されるようになる このような任

E

也説の話理構造を典型的にありわ

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ているのが、江家五男晴士の見解である、 ( 、J 江家博上は次のように主張されたりすなわち、﹁扉偽排除説に!斗関すれば、任意件のない同山であっても、そ の真実である一﹂とが確認された場合には、これを証拠ーとして許脅し得るということを、当然の帰結ーとして待ちもうけな ければならないが、果してこの帰結を是認してよいであろうかり M 史米の川例がこの帰結を是認することに必すしも一致 しておらず、たりん自円にんよって得りれた事実のみを許容し得るという刊例もあることから見て、 そこに人権擁護の配 置が存することを推測し得るりだが、他方、人権擁設現に立脚するとえば、まず、育法一八条二度を

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の相似規定と 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: 解することに、辻棲のん門わぬものがあることに注意せねばならない。第二項によって担保される規定は、第一項よりも、 むしろ、第二六条の拷問禁止規定の方がふさわしいのではなかろうかのまた、この 7 4 場に斗っときは、英米法のいねゆ る約点に基く白門の不任意性を適巾﹂に説明しがたい

L

、第一二九条頃品川段の ﹃ その他任官 τ にされたものでない疑のあ る回門 ﹄ の廿'昧内容を正しく把握し行ないことになろう・ そ れ で 、 わたくしは、内説を折衷した立場に立ち、向川口の任意性を人権擁護と市偽排除との両面から考察することに したいコそして人権擁護の基礎は、憲法第一一八条一頃又は第コ六条の規定ばかりでなく、憲法の机本精神特に箭今二一条 北

1

生町J(6'103)1495

(15)

以下の刑事手続における人権保障に関する諸規定の総合的考察にこれを求め、虚偽排除の荒健は、 向 臼 の 証 明 力 に ? ﹂ れ をもとめることにしたい。何となれば、回向が証拠としての利用価値をもつためには、 その証明力が削旧民とならなけれ

"

ばならないのであり、 一定の情況の下にされた白門が 般的に真実件三之しいときは、これを証拠として事実の判断 を誤る危険を侵すべきではないからであるわこのことは、反対 尋 問の吟味を一受けない供述は、 という理由で、原則として排斥されなければならないのと同じである﹂ なお、江家悼上は、刑訴法一二九条一頃の 一般的に真実性け之しい ﹁強制、拷問又は脅迫による白向、不当に長く抑留拘禁された役の自向﹂ という部分と﹁任

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にされたものでない疑のある白内﹂という部分とを分嘘し、前者については人権擁護説の純白川から、 後苫については虚偽排除説の観点から同自の証拠法力が決せられるという立場にた

L

、後者によって排除される叫型的 なう

l

ストとして、不起訴などの約束のャになされた白川口を挙げられている山白の任肯'牲を判断するうえで、鹿偽排 除説の槻点と人権維謀説の観点をともに宅置するのではなく、人悔雄謀説の立場から排除の対象となりうる

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円と、虚 偽排除説の!斗一場から俳除の対象となりうる口

U

を、それぞれ同定する点に江家説の特倣があるのであるれ (二)しかし、このような江家説の考え方に対しては、任女性乳に好党的な論者からも、次のような批判がなされた すなわち、任党牲の問題は本来続的に理解されるべきであ旬、﹁ある不任意事由は専ら人権探設の立場から、他のあ る 不 任 背 ' 事 由 は 間 J ら虚偽排除の立場からというように、ことさら二元的に取り扱かぶうとするとこ三に江家説の欠陥 があるこのような問題点に加え、江本説は、﹁虚偽排除の基礎は、自門の証明力にこれをもとめることにしたい﹂と している乙とから、少なくとも江米説の﹁任 υ 肯にされたものでない疑のある同臼﹂ の解釈に対しては、藤岩説に対して 向けられている、証明力と証拠能力を混同すべきでない、という批判がそのまま宏当することとなろうハ (四)このように江芸品にはいくつかの問題点が存在しているといわぎるをえないか、任立性説という枠組み自体は コヒィ長60情 104)1496

(16)

学説に好

E

的に受け入れられ、以降、学説においては任肯'件視を支持する見解が相次いでだされることになるたとえ ば、伊達秋雄元裁判官は、﹁任意件の理解について、通説はむしろ虚偽排除説的な考え LA を採るのであるが、わが策法 の強制する刑事手続における人権保障の精神かりみて、虚偽排除説の見地と相並んで、人権擁護説の見地かりも、ロ

U

の任首九件を理解するのが正しいであろうわかように解するときは、 ‘任煮というのは、当該山口ム円をなすにつき虚偽の供 注をするおそれのある状況が存しなかったこと、 および供述の固山を侵害する如え一連涼・不当な仲迫が加えられなかっ たことを指すものと解すべきである ﹄ とする説に賛成せきるを得ない﹂とされた J ま た 、 会 平 政 士 円 悼 上 は 、 ﹁ 白 内 は 十 凶 くから ﹃ 証拠の女王﹄とさえいわれているが、それは 真 実を告白するかぎわりにおいてであるハ現行法が特に白門の任世 τ 性を強く要請するゆえんは つ に は ー 一 同 白 を 治 要 す る 弊 五 口 を 除 か ん た め で あ る が 、 こには、任敢に山たものでないかぎ り宜一,宇六位の古からも遠ざかってゆくからである。そこで怯は、・単に強要されたもの、長期にわたる拘禁伎の自門の 外に、さらにすすんで強要の蓋然性または危険件のある状態のもとでなされた自白とても証拠能力がないものとしてい 一 川 刊 ) るのである﹂とされた c 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: (ア主乙のように、任意性説が学説支出刊を得た浬山は、任意性説は、昨偽排除説と人権擁護説を折衷させた説であ る一﹂とから、向者の利点を取的込むことができる古にあるように巴われる。しかし、任立性説は、虚偽排除説と人権拡 謀説を折烹させた説であるがゆえに、両者に対して向けられてきた少なからぬ批判がそのまま安当することにならざる をえない点に課題が残る ο また、そもそも虚偽俳除説と人権擁護説という異な勺た自

U

排除の原理が、どのような根 お 拠で結びつきうるのかが必ずしも明らかにされていない点についても雄山の余地があろう。 ところで、任

E

性説にたっ場合に、虚偽排除説と人権擁護説のいずれの観点を重視するかについては、論者の問で遵 いがみられる。たとえば、青柳﹃止雄博士は、﹁ ﹃ 人権 し というのが ー 虚偽性 し にくらべて価値的要素が強くそれどけを県 北

1

生町](6'105)1497

(17)

準にしがたい﹂ とされていることから 回臼排除の基準としてはど

ι

らというと虚偽排除説に重占を置いているもの

"

( 憲 法 三 人 条 一 一 項 一 、 虚 偽 排 除の観点はそれほど亘視する必要がない A ﹂とを理山に、人権擁護説の観占 d を強調すべきで虚偽排除説は補充的に考える べ き 、 ー と ド エ 張 さ れ て い る 。 と解されるっこれに対し、高田卓爾悼上は、自白には補強証拠が要求されている一﹂とから また、人権擁議説にい、つ﹁人権擁護﹂ の捉え l 刀も論苫によってまちまちである(﹁人権雑誌﹂ の考え方についての相 違 凸 Jは、違法な手段で得られた口

U

に対する対処方渋において顕在化する一﹂とになるが、この相違点は、適正手続の用品 防に対する考え方、 ひいては刑事訴訟のあり

h

に対する木質的な考え方の相速に起因する、重要な相違点というべきで あろう{そして、 ζ の観占から任意性乳を分類するならば、 A 目白法則を不任煮目白のみを排除するための脱牢一で あると解

L

﹁すなわち向門渋則の挫骨には達怯排除説は含まれない﹂、違法収集証拠排除法則の適用の可能件にも台定 ﹁ 出 一 的な説(以下では、使{ 同 上、任意竹

I

説 と す る 、 、

( B

)

人権推護説といっても違法排除説に限りなく近い人権擁護説 を主張していると思われる説(以卜では、便宜上、任古い性

E

説 と す る 一 、 ぽ同様の考え方にたつが、 戸

C

)

自白法則の解釈としては任党問

T

説とほ 向臼法則とは別の根拠により達法収集同白の排除の可能性を残していると思われる説(以卜 では、便官上、任煮性山説ーとする の二つに分類することができる。 以下では、この分類にしたがい、任古百件い説にたっ学説について分析することとする。

(

λ

)

E

I

説 f ご 任 賞 作

T

1

m

は、王として痕査実務の経験をもっ論者によって支持されている説であるったとえば、青柳文雄博 士は、次のように主張される。﹁わが国では任立性のない向臼が証拠能力を失うのはそれが真実でない疑いがあること、 コヒィ長60情 106)1498

(18)

人権の保障に反することを中心とすべきであっ亡、軍忠法一二条に摂拠を見出だす違法収集証拠だからとの肯'昧は補充的 一 日 } なものだと解すべきである勺 たしかにこれをみる限りでは、青柳噂士は、﹁憲法ニ今条に根拠を見山山だす違法収集証拠だからとの煮味は補充的な ものだと解すべきである﹂とされている一﹂とから、基本的に任意性説にたちつつも、違法収集

H

円の排除を百{荒する趣 一 日 旨を含むものではないとも解しうる。しか

L

、青柳博上は、別の著書において、違渋排除説にたっ団藤亘光博士の見解 をとりあげ、それを次のように批判されている。すなわち、﹁不当に長い抑留、拘禁の場合はその後でありさえすれば、 抑留拘禁との囚米関係は要らないとの説(団政重光氏) は需凶法の条文の文理を根拠とするが、刑一訴はこれらをすべて任 首件の疑いのある自門の例示にしてしまっているし、憲法の解釈もそれでよ と考えるので、これらはすべてそこに規 定されている閃了と回円ーとの問に相当肉呆関係を必要とするとの古味に解する﹂ハこのようにみ亡くると古柳説は、直 法収集自自の排除の則能件を否定する任意性

I

説にたつものと解するのが妥当であろうロ (一ご十本武両元総察官も任

E

I

説を支持される η 土本元枚察官は、﹁[自白が 筆者注]排除されるにはその任 山廿性が否定されなければならす、任意性が台{更されるためには、第に同自の採取手段が違法・不当であること、第二 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: にその違法・不当な向は採取手段卜と当該囲内門卜どの聞に肉果関係が存在する一﹂ーとが必要である(向川口を得ょう L とする苫 f

くの場合援賢官) のなす白円を行る才段が違法でなければ、虚偽白

H

が誘引されることはないし供述苫の人権を封、っこ ともないから初めから任意性の有径は問題になりないまた肖白係取

T

段が違渋であ勺ても、それと当該自白との聞に 因果関係かなければ向山の任甘'性を再定する理由にならない ι 虚偽緋除説、人権擁護説、またはその競合説からすれば、 以は当快の埋である一とされている。また、物証については遵法収集証拠排除総則の適用を認めた最高裁判例があ るがこれは白円についてのものではなく、﹁非供述証拠としての物証は、その収集方法のいかんによって、その物向体 北

1

生町](6'107)1499

(19)

その証拠としての価伯に消長を米たす乙とはない・のに対

L

、仏述証拠た る同門は、その段得手段いかんによって、庄一終的な人悩侵害のおそれがあるのみならす、供述内市内に烹異が生じ、その 証拠としての制値、影響をは札ぼすおそれがあるが、その危険を生み山川す原因は、白山はが ﹃ 不任 J 廿 し になされることがあ 一 回 るがゆえに、証拠から排除するにしても不任育な一日臼に限'疋してよいという追いを石過してはならない﹂ともいわれる。 の作質、眠状に従質

ι

τ

きたすことはなく、

"

十本元検察官の王張は、任党性

1

説における、手続の達涼と困内の証拠能力との関係を品川(型的にあらわすものといえ ょ う 任 古 u 性

I

説の絞心は、違法収失白白であっても肉

H

の証拠能力は中元すべきではなく、自自の任

E

性に疑いがあ る場合に限って自白の証拠能力を否疋すべき、という点にあるのである、 ( 一 ) 任 甘 ん 件

T

説の性格を端的にあらわす見解と

L

ては、鈴木義男冗検州市官の見併も、羊げることができる。鈴木一冗検 察行は、最決昭アー九二九八凶 一九刑矢士一八巻二門勺囚七九頁(グリーンマンンヨン事件)に関する判例研究の 中で次のように、王張された。﹁いうまでもなく、取制べ L M法が違法であることを理山として白向の証拠能力を川口定する 注法排除説の考えんは、違法な授育方法によって収集された証拠の証拠能力を否定する証拠俳除法則の一環として、 メリカ連邦最高裁によって付開閉されてきたところである。ぞれが宇、体真実の発見よりもル

l

ルの遵守を重便する

7

メリカ独山の訴訟間ーと省棲に関連する法別であり、

l

口 y パでこれに倣う同は況トとんとないこと、 7 メリカでもその ゆきすぎた適用に反省が起こっていることなどを考慮すれば、これを我が国に導入することには特に慎亘でなければな ( ヮ らないと思われる﹂、﹁円笠岡同裁は、違法に収集された物的一証拠については、 L 重大な違法 -がある場合に限って排除法則 を適用するとしたが・、被告人の供述については、不任立の同 p 川だけでなく、 ﹃ 任煮にされたものでない疑のある向山﹂ をも排除する殺が法制(川訴法一一九条引)の下では、取削べの過程に違法があるとはいえ、任窓性に具体的な疑い があるとは認められない供述の証拠能力を台定する必要はない。なお、別件逮捕・勾留の問題についてはすでに判例が コヒィ長60情 108)1500 7

(20)

固まりつつあると思われるが、別件による身柄の拘束が違法であったとされる事実では、長時間にわたる畢理な取調べ によっては

U

せざるをえなかったとみられる場台が多いのであるから、逮捕又は勾留が違法であったかどうかではなく、 そ う い p つ状況下における取訓べが供述の任古 u 性に疑いを止じさせるものであったかとうか、よって証拠能力の有無を刊 断することいしたんが、適正な結訟を得るのに適していると思われる﹂ 鈴木元検察官は、手続の連訟を理由に困円の証拠能力を再定することについて批刊されるとともに、手続の連訟を理 由に物証の証拠能力を否 J 疋する違法収集証拠排除法引それ白体に対しても強い疑問を向けられている。このようにみて く る と 、 任 九 世 π 作

T

説は、たんに虚偽排除ニ剥と人権擁設説の観占を重視すべきとする説ではなく、実体的真実発見を亘視 する指向と分かち難く結びついた説であることが明、句かとなる ο (囚)ト八野恒太郎検察官も任

E

I

説を支持される論者の一人である大野検察官の見解は、自門伐則の解釈 L と し て 任 官 品 位

I

説が妥当である浬山川について比較的詳細に述べられており参考になる。十八野検察官は次のように王張される。 ﹁法がとくに供述証拠である自円について、任青い性に疑いのあるものを排除する己円規定している趣旨について考えて九 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: 証拠物と異なり、任青い性に疑いのある場合には類型的に虚偽である蓋扶性が向いという証拠 しとしての特牲を有しているのであるから、向げは法則が達広収集証拠排除法則ーとは全く別伺の指偽排除的観点を有するこ とは、疑いのないところである﹂、﹁法が自白訟則の通用を任意竹の疑いの有証にかからしめている理由は、供述証拠 ると、そもそも、 同 国 内 門 叶 品 、 である自白の場合においては、証拠採取手続と採取された一証拠とが

E

結する証拠物の場合と異なり、自円の採取に閑述 する手段には取訓べから身柄の拘束その他の手続に手るまでさまざまなものがあるうえ、これらの手段と目白との聞に は困門をするか合かやその内容に係る供述者の意忠決定が介在している構造的特件を有することから、向は排除の要件 として、違法または不法な手段により右の立思決定の白白が侵害された結果白白がなされた疑いがあるという玄味にお 北

1

生町](6'109)1501

(21)

( 位 一 げる肉果関係の存在を要求したものと解される﹂ (五)ところで、学説の中には、帰偽排除説と人権時間表説だけでなく、違法排除説の観点をも考意して自自の任志位

"

の判断をすべきとするものもある v た と え ば 、 河上和雄元検察官は、このような立場にたたれ、﹁刑事訴訟法は実体法 の実現を

H

指す手続法であっと日己

u

的的ではないから、事案の真相の解明という観点を捨象し切れるものではなく、 遺伝排除といういわば手続法にとっては、その

H

的の抜棄ともいうべきことを貫徹するのは山己矛盾であるので、虚偽 排除と違法排除ないし人権擁護とが相互にバランスのとれた折衷的 1 4 場が最も望ましい﹂と説かれるロこの見解は、﹁虚 偽排除と違法排除ないし人権擁護とが相与にバランスのとれた折衷的立場が最も望ましい﹂という部分を重視すれば、 後にみる﹁折衷説﹂と調和的であるようにもみえるが、﹁虚偽排除﹂と﹁逮法排除ないし人権維護﹂との﹁バランス﹂ ( 似 一 を説かれていることや、河上一冗検祭巴一日が違伐収集証拠排除法則に対して批判的な斗一場にたたれていることを考えると、 違法な手続によって何られたということのみを机拠に肉

H

の証拠能力を合﹃返する趣旨まで含むのかについては疑問が残 る c このように考えると、河上元検察官の凡解も任意性

I

説に位置付けるのが妥当といえよう c (六)以上にみてきた任

E

T

説をどのように許伽す、へえであろうか c 任直性

I

説は、たしかに、目円の任古 E 性を同 地にしている刑訴法一一九条引の文理に忠実であるうえ、同白の供述証拠ーとしての特性を十分に踏まえつつ向叶の任 背 戸 糾 い 慨 λ 中山の解明を試みている点などマぶべき占'は少なくないコしかし、管法一一 条 山 γ 川訴法一条が保障する適正子統の 実現という観白'からは、離が残る見解であるといわぎるをえない η 任

E

I

説 は 、 かりに違法な手続の山中で白門がなさ れたとしても、連法な手続と自内との聞に岡田本関係がない限り F 囲内の証拠能力を認める兄肝であり、端的にいえば、手 続の違法件を自門の任肯'件の中に解消する見解だからである与このような任窓性

I

説 の 理 念 に 対 し 、 両 国 昭 正 救 出 投 法 、 ﹁ 任 女竹判断を ﹃ 相対化 ﹄ できる理論枠組みさえ設﹃にできればよく、 その理論枠組みの中での任立性判断そのものについて コヒィ長60情 110) 1502

(22)

l土 ﹃ 形式化 し つまり、被疑者・被告人側の佃 ﹂ 疋 型 化 し すなわら効率化・簡素化が徹底しじ追求されることになるハ 人的・王観的事情という本来復緋で個別的な事情については、むしろ軒視する、あるいは自自の任立性を白﹃にさせる事 一 酌 一 情となる限いりで、片面的にしか擬用しないもの、なるのである﹂と批判されているが、この高回数伐の批判は

E

悦を 射ているというべきであろうり 戸

B

)

任 古 u

E

説 (二続いて任

E

E

説についてみることとするまず、問中和夫博上は次のように説さ任

E

E

説を支持された、﹁任 首件のない目白に証拠能力なしとする理由として、二つのことが考えられる。一つは、虚偽排除のためであって、強制・ 拷問等による自門には虚偽の自門が多いからである。他は、人権擁護のためであって、強制・拷問等による回門に証拠 能力がないことにすれば、度賢官が白円を何ょうとして強制・路間等を加えることがなくなるであうっと考えられるか らである η 従って、類型的にいって指偽の口

U

に導くおそれのある清川の下でした自白、及び、そういうおそれの有佳 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: にかかわらず不法不当な見力の下でした回向が、任意性のない自円であって、この趣同に従って第ゴ九条の脱走を解 、 制 ) 釈しなければならない一。 田中説は、白円の証拠能力を川口定する理山としては、虚偽排除と人権擁護の A を挙げている J たしかに、このような 叙述のみを見れば任

E

I

説との相違は判然としない η し か し 、 問中教授のいわれる人権推識には、被疑者の供述の自 白という観占 tを超えたものが存在していることを見て取ることができるように思われる{まず、田中教授は、人権擁護 説の煮義につき、﹁強制・拷同等による白川口に証拠能力がないことにすれば、捜査官が自川口を押ょうとして強制・拷町 等を加えることがなくなるであっっと考、えられるからである﹂とされているが、ここにはまさに、通正手続の以降と、 北

1

生町](6'111)1503

(23)

産法捜査の抑制の観点が合まれ、違法排除説と共通の苓曜を窺うことができるハまた、田中説は、﹁佳山首百'併のない一同山

"

の証拠能力の問題を一般化すると、違法に収集した証拠の証拠能力の問題となる﹂として、

u

U

の 章 の 小 で 物 証 一 ド つ い ての違法収集証拠排除法則について論じている v さら﹂、偽計﹂よる自白の証拠能力を山口定した最大判昭凶五 一 九

一・二ム刑集一回巻二一号一六七

O

頁をとりあげ、由加偽排除から完全に脱却したものとまではいえないとし つつも、﹁一﹂の判決は、証拠能力に閉して立見の刈断をし、しかも、慰安手続は憲訟の保障下にある川事手続の一段であっ一 て、適正に戸れわれなければならない一﹂と いかえるとアメリカ流の過法手続戸デュ

l

・プロセス) の 国 同 点 か ら 論 じ て い る白'において、同期的な意誌をもっている、違法な方法によって収集した白内には証拠能力を認めないという違法排除 崎 一 その回収版にあるものとみることがで主るのである﹂として連法排除説に親和的な判例であると位置づけ の 考 え 方 か 、 たうえで、これを好

E

的に評されている。このようにみてくると、田中説も、任五位

E

説に位置づけることができるの ではなかろうかロ (一ご古田卓飼博上も任立性

H

説にたたれているものとみられる c 高同博上は次のように土張される η ﹁ [ 憲 法 二 人 条 二反および刑訴法一二九条一項の筆者、出]規定は回向の証拠能力を認めるための要件として任意性が必要だとの趣旨 ( m w -アメリカにおける

R

近の判例の動き[マクナプリマロリ・ル

l

ル しと解するのが従来の通説であったこれに対し、 筆者注]を参酌して、心の無法の規定は全体として、違法収集の向白は任古い性の有佳を同わず証拠能力がないと する趣己円ではないかとの見解がとなえられに主っている ( : : : 違 法 排 除 説 と 呼 ば れ る ) c もともと従来のわが学説にお い て は 、

F H

F U

に任煮性が必要とされる理由として、由加偽排除(任窓性は虚偽の目白を排除するために必要とする。虚偽 と人権擁表(任意性法供述の向由を侵害すべき違法・不当な片迫を排除するため必要とする。人権 排除説と呼ばれるし 擁護説と呼ばれる) とがその県碇にあるとされているのであって ( 元 v 示、英米のコモン・ロウでは、虚偽排除の槻点か コヒィ長60情 112) 1504

(24)

ら任

E

牲が要求される)、後者を強調する場合には、前記アメリカの判例と実質的に同じ結論が両日られる。わが同では、 自白に補強証拠が必要とされることによって虚偽排除の点をそれほど重視する必要がないことを考え併せると、人催雄 一 刊 ) 一次的な要素と解するのが安当と考える L A 護の占を強調すべきであり、虚偽排除の点はこれを祈充する清 高間説のいう﹁人権擁議﹂にも、田中説けおけるそれと岡山祢に、従米の人権擁謀説の

E

味をこえるものが存在してい るように里われるりたしかに、両国説は人権推議と違法排除とを用語を使い分けて両苫を明珠に区別した、?えで、人権 擁護説を強調するとともに、虚偽排除説を補充的要素とすべき、 としていることに鑑みるならば、高田説は任志位

T

説 を基耐とした見解であるとも解しうる

L

かし他方で、高田博では、 アメりカの判例の展開について言及しているし、 アメリカの問例を根拠に違法排除説が主張されているとするとともに、人権時叫設を﹁強調する場台には、前記アメリカ の判例と安質的に同じ結論が得られる﹂卜とした上で、﹁人権擁護の点を強調すべき﹂ーとの主張を展開されているこれ ら の 占 、 に 担 問 み る と 、 両 国 説 の ﹁ 人 権 擁 護 ﹂ の射程には、それを強制した形態である違法排除も含まれているとみること ができよう t もっとも、違法排除される自円の範凶についての高同博

l

の見解は、必ずしも明らかではない c ( 一 ) 任 意 性

H

説は、基本的に虚偽排除説と人権擁護説の折衷的な考えおにたちつつも、﹁人権擁護﹂ の概念を拡大 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: することで、違法な手段によって得られた向はの排除に迫を聞くものであるその占で、任立性

I

説と比べると、適正 手続の実現に資する見解であるといえる。しかし、任志位

E

説は、﹁人地雄護﹂を柔軟に解するが故に、﹁人権峰護﹂の 趣旨をわかりにくくしている側向があることは台めない c また、﹁人権時叫護﹂が従来の人権擁護説のいう﹁人権擁護﹂ 以上のものを含むとしても、それと違法排除説との関係が必ずしも明らかにはされていない点、すなわち、自門採取の 手段の違法性それ自休によって向はの証拠能力が台ー注される場九円がありうるとしても、 なのかが町住に一不されていない点にも、問題の余地が残されているといえようコ それが具体的にとのような場合 北

1

生町](6'113)同05

(25)

C

﹂任

E

E

説 (一)最後に、任志位皿説についてみることとするロこの説にたつと思われる論者としては、平場安治博士を挙げる

"

ことができる。ヤ場博士は、虚偽排除説と人権擁護説のそれぞれに内存している間過を指摘した上で、次のように土張 された ο ﹁要するに‘虚偽抗除説 a か ら で あ れ 、 ‘ 人 権 時 叫 護 説 -からであれ方的に自白の不任党作を決定するのは凶難 であって、既に ﹃ 自門の任立性﹄という説暗的概念が設定されている以

l

、この-向説を考慮しつつこの概念のワクを決 定すべく、それ以上に何れかの立場を日的論的に貫くぱあいには別個の概念 主 cff ょ の ろ 下 つ ﹂ ν 戸 例 、 え ば -証 拠 禁 止 し といった一によるべ 土己芥口正字、太田手犬同一冗裁判官の見解も任意性山説依置づけることができるのごはなかろうか F 谷円、太同而 冗裁判官は、まず、同白法則の解釈ーとしては、刑訴法二一九条一よ項の﹁任意にされたものでない疑のある

H

U

L

は 、 ﹁ 強 制拷問﹂を総括したものであり、﹁かっこれらとは向の任世品位との聞に悶果関係を要する趣旨である﹂とし、刑訴法今二 一九条瓜は全体として不任肯白山の排除を{定めたものという解釈、すなわち任煮件

T

説と同様の解釈を示した卜で、 け叩けて次のように王張された。﹁この解釈は目白をも含めた違法収集証拠排除の法理、或いは刑事訴訟における信義則 の適用を毛も汗定するものではない、のみならす、これらと任哲'作原則ーとの重畳的適用を考えなければならないで あろう﹂、﹁任煮性の基本原理についてはヴ説により二ユアンスの左はあるが、大別すれば点偽排除説、人権擁護説、 およびこれらの折衷説の三説があることは周知のとおりであるり右の三説に違渋川知除説を加え、或いは任党問の慨念中 に デ コ

l

・プロセスの思想を盛る考え方も成り立つが、・違法排除説は任宜性の概念を包摂するものであり、これと 任意性の基本原理に問ずる右の一一説とは何 F守矛盾するものではないし乙考える心の二説はいずれをとっても実際上 の適用においてはさして結論の差を 導 くものではないロ木稿では一応、向自の任立性を山 j 義 通 り 、 供 述 の 台 市 思 リ 決 定 の 自 コヒィ長60情 114) 1506

(26)

白をいうものと解する﹂、﹁以上の白 tを考慮して山白の証拠能力の構成要件をまとめると、 同 内 門 は ぷ、れがなされた とについて何干の外部的誘引 F拷同日さも存しない一﹂と、または外部的誘引が存しでも、これと白内が任煮になされた ごととの聞に肉米関係の存しないこと し ( 任 志 位 ) および の存しないこと、ま ﹃ その採取手続に重大な椴抗(拷同等) たは七の蝦抗が存しても、 (任煮と否とを同わぬ一 がなされたこととの聞け阿呆関係の存しないこと -( デ コ

l

・プロセスの要請) ".

量 れ

ず こ

るヨ同

」 口 ハ介口H太田武は、自白法引を不任貴国内の排除を定めたものと解する点では、任骨'件

T

説の枠をこえるものではないの しかし、﹁造法収集証拠排除法則の法理﹂と任九肯作

I

説との ﹁ 重 骨 的 適 用 ﹂ の必要性を説く(すなわ

ι

、白白法則には 違法排除説の飢占は含まれていないという理解である) とともに、任立性説と違法排除説とは、﹁実際上の適用におい てはさ

L

亡結論の茶を導くものではない﹂ーとした上で、向門の証拠能力を判断するにあたっては、﹁外部的誘引﹂

U

の任菅'件に与えた影響と、﹁外部的誘引﹂と白白との聞の囚果関係の存否 F ここにいう囚果関係とは、条件関係があ れば足りるとする)を検討すべきことを従言するものであり、任

E

性皿説、位置づける乙とができる二台口 H 太 田 説 は 、 理論的にみれば、﹁[任

E

性説と違法排除説とは筆者注]実際上の適用においてはきして結論の差を 導 くものではない﹂ 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: トどの主張に疑問の余地はありうる。しかし、﹁違法収集証拠排除法則の法理一と任立性説との﹁亘畳的適用 を説いている点なとは、後に詳しく検討する﹁競合説﹂にもつながる思考といえ、注日に仰する n また、谷口 H 太田 の必要性 説が主張されたのは、判例﹁最判昭五一一 法則が服用されるよりも以前である c 口取両裁において違法収集証拠杭除法則が採用きれる以前の段陥において、現職

[

-九・七刷集二一巻六号六七一氏) によ勺て違法収集証拠排除 煮 の 義 裁 が 判 存 官 存 に し よ L

ー亡 る 「

と 通

い 法 え

J

I

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よ 集 う型証 拠 排 除 法 目11 の 法 理 の向川口への適用が説かれたものである点には行口H太田説の重要な の 山 自 北1生町](6'115)同07

(27)

(一一)任廿百件目説にたっ市場説および件口太同説に共通する問題点は、 向臼に産法収集証拠排除伐則を適用する場 合の排除の基準を明碓に示していない占、である。もっとも、 両説が王張された当時は、まだ判例において違法収集証拠

"

排除法制は採用されていなかったし、学説においても違訟収集証拠の排除基準、ついて突き詰めた検討がなされていた ともいい剤師い状況いあったことを考えればやむをえなかったともいえよう。むしろ、任煮性

E

説が、﹁任意にされたも のでない疑のある自門﹂ の排除をめざしている、すなわ

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川の任煮併を問題にしている刑訴法二二九条一尽に忠実な 斗場にたちつつ、そこにおさまらない違法な手段によって得られたは向についても排除をめさす理念は、﹁読ん門説﹂に もつながるものであり、その先駆性はもっと積極的な評価がなされてきてもよかったのではなかろうか︿ 立 通渋排除説 以卜にみてきた諸見解にほぼ共通しているのは、白内の任意作を判断するの返附して、多かれ少なかれ取り訓べられ 目白の任

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性を判断するのに際して、収り調べられる側ではなく取り調べ る側に者団し、度苦手続か適正なものであったかとうかを問地にする説が違法排除説である(すなわち、手続に違法が る側に着

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している点である。これに対

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、 認 め ら れ れ ば 、 そのことのみを理由に向自の証拠能力を否﹃注すべきとするのである。違法排除説に対しては、取り嗣べ られる側の心理状態を証拠能力の熟準とするものではなく、取り制、へる側の行為の外形を烹準とするため、証拠能力判 断の基準の客観化が同諸となり、一向山緋除の実効性が高まるのではないかという期待がもたれた ο また、連法排除説は、 手続に違法が認められれば、そのことを理山に自門の証拠能力を台定するため、憲法二二条の保障する適正干統の支現 ﹁ 川 町 一 、 何 一 にも資する見解ということもあり、向門法則の﹁閉塞状、刈﹂が叫ばれる中、リア説において通説的地位を占めているの コヒィ長60情 116) 1508

(28)

(イ)刑訴涼一一一九条項が、任肯'牲の有無を一同門の証拠能力の要件とし 、 将 一 ている一﹂とは明らかであり、違法な手続によって得られた白円が木頃により律せられているという解釈は困難である、 戸 郎 ) (ロ)違法収集証拠排除法則と比較しても実体的百一実とのバランスを欠く、といった批判も'川けられているところで である(もっとも、遣法排除説に対しては、 あ る わ ところで、違法排除説にたつと、違法収集証拠排除法則と向白法則とは、ともに適正手続担保のための証拠排除法則 として、﹁共通の論理構造﹂をもち、﹁体化することになる﹂。もっとも、その一体化の程度については、論苫によっ て大きな違いがあり、この点には注煮が必要であるつそこで、以下では、違法排除説を主張する代表的な論者である、田 一 対 ) および松出沿也教伐の見解{(じごについてそれぞれ検討する。 宮俗博士の見解三

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ご、鈴木茂嗣教授の見解 ( ( R ) ) 、

( A

)

田 古 門 説 凹宵博士は違法排除説の提唱者である η 凹 { 円 博 士 ( ¥ J まず同宮裕博士の見解について検討する c 周知のよう

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は次のように主張された。 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: ﹁向川口が排除されるのは、虚偽が排除きれるためでも猷秘権を担保するためでもない 手続(デユ

1

・プロセス一ないし合法手続を担保するための一つの手段なのであるコ裁判が、兵女というただ一点をめ 自白採取の過程における適正 ざしてまっしぐらに突進するものではなく、訴訟の過程にあらわれる諸利益の問に、具体的正義を:・:相々的にみつけ て い く つ の イ ン ス テ ノ テ コ

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シヨ/であることは、すでに述べた ο 違法を排除する受求の方が、被告人を有界にする 問、じよ円強い場合には、具体的正義の基準を刑者の方向に見出して、それで満足するというダイナミックな態度が、汁町 秩序を動かすためには必要どり違法にとられた白円を、思い切って排除するというのは、こういう思想を根本にもつコ 北

1

生町](6'117)同09

(29)

川 主 なお排除されなければならない﹂、﹁そうす ると、自白を排除する成法卜の恨拠は、憲法上では二二条の適正手続条項になるつその特殊な一場合として、同今二六条 の民間禁止がある・また、一今八条二項も、適正手続の要求の一部についての証拠排除面に関する、

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規 ﹃ 疋 と 解 す べ たとえ山白が真実のもので、 それだけで有罪を指向するものであっても、

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きであるわ通説は、これを、目円排除の唯一の規定とみているが、適正手続け反して証拠能力の奪われる典型的な例で あり、説明的規定にすぎない﹂。 どういう場合が適正手続違反かは、悩人の白由悔や幸福追求の利益を、最高の価値と している怠法の趣旨や、川事手続に関する諸規疋にてらして、裁判所が判断していく問題であるつ:・:弁護権を不当に ﹁ 一 一 ー ハ 条 三 八 条 二 項 以 外 で 、 制限してえた自門、令状主義を小心とする人身の ー 一同由をやぶって拘束する一)とによりえた目白、自門をうるためだけに フェア・トライアルの槻念に反する 一 山 一 ーもの、ないしは、文明閏家の県準である礼譲の硯念に反する場八一門がそれにあたるだろう L J ﹁違法俳除説をとると、排除されるのは、この意味の違憲の方法で採取されたものにかぎりない η ひ ム リ / ¥ 訴 ! 訟 法 規 の 行なわれるような、長時間の継続的取刊による自門など、刑事手続の基本にある、 山廿義で、不法にとられたものを附加除する一﹂とができる適正手続の問題のほかに乙の問題のある一﹂とを忘れてはならな い。とういう規定の違反か向叶の証拠能力に影響するかは、 一義的にでてはこない一これも具体的な場合に、決断を h i 一項の制定があるので、違憲の証拠を排除するのは、比較的 す判例の発展に期付するほかない J た ど 、 条や三八条 再認し干すいが、違法な白門を叶加除するには 一つの飛躍が必安なようにみえる η し か し 、 三人条二項を具体化した刑 訴 法 一 九 条 一 曜 は あ る 。 と く に 、 わ た く し の よ う に 、 憲 法 一 八 条 二 度 、 刑 訴 法 二 二 九 条 一 度 を 、 不任意の目内を 排除するものではなく、不法な過程でとられた自門を排除する趣旨に読めば、問題はなくなるだろう。一一一条に相当す いうなれば刑訴法条にないわけではないロまた、憲法上排除される白山は、自自の内容そのものに直接影 る 規 定 も 、 コヒィ長60情 118) 1510

(30)

饗する過程の不法性が問題となる事例だが、違法一般を問題にすると、手続の違法牲と同臼の悶係が速くなるという反 前があるかもしれない J しかし、テェ

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・プロセスの本質は、同内内存にかかわ h ないし、白

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するさいの被告人の自 由意思の侵一告という不法件にかぎるものでもないハ戸ユ

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・プ口セスをもち山山したのは、自円を排除することによって、 プロモウトしようとする他の利益があるからだったむ違法性一般を問題とするときも同じように苓えてよい。あえて自 はを排除する一﹂とによって、その遵法性を斥ける選択を、裁川所がのぞむときは、それを不能とする理山はない﹂。 (二)田宮武は、憲法三一条を自白排除の総括腿 I J疋と併し、同内法引を違法収集証拠排除法引の一適用場面と位置づ け る も の で あ る し た が っ て 、 憲 法 三 八 条 二 項 お よ び 刑 訴 法 ゴ 九 条 一 項 は 、 違 法 収 集 証 拠 排 除 法 則 に お け る 向 山 口 に 関 する例一不的なものを示した注煮的な規定に過ぎないもの僻されることになる r 田宮説の廿同義は、集約すれば﹁自白法則に関する伝統的な考え方が、向白の排除を専ら不任肯'自門の記団内で考えて いたのに対し、白

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法制を排除法制の一環と見る見方を介し、違法に何られた自白一般について、排除の展望を聞いた 一 的 一 占 j にある﹂といえる。後、詳しくみることとするが(十午前第二節)、従来の判例を点ると、手続に違法を認める一

h

で 、 具体的に慌偽自門のおそれや供述の白山の侵五日が認められないこと等を理由に目自の証拠能力を肯定したものが少なく 111'1排除法lj;)</)化│究( ) 1: な これに対

L

、間宮説は、手続か連伎であるかどうかに著はーし、手枕に違法か認められればそのことを埋山に端的 に自門を排除するものであるから、自白の証拠能力が否定される範凶は、任志位説と比べれば必然的に広いものとなるの また、虚偽自白を誘発するおそれや供述の口白の侵害といった事実は、取調べにおける被疑者の心理状泌を明らかけ f し なければ認定できないのに対し、手続の違法性は外形的な

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杭から認ー疋することが可能であり、排除の基準の客観化を

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た 煮 の 義 で を あ、も 'l%...., ,,~-__ J コ 田 円 五 見 1呈 「 土 排 除 己兄 法、適正手続と自白排除の実効性の確保を指向する 北

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生町](6'119)1511

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