日本英文学会関西支部
第7回大会
プログラム
研究発表要旨
日時 2012(平成 24 年)12 月 22 日(土)11:00 ∼
会場 京都大学吉田キャンパス 文学部
〒 606-8501 京都市左京区吉田本町
日本英文学会関西支部
〒 606-8501 京都市左京区吉田本町 京都大学文学研究科英語学英米文学専修内 E-mail:[email protected]京都大学吉田キャンパスまでの交通案内
主な交通アクセス
・JR・近鉄京都駅から市バス 206, 17 系統で約 35 分 ・阪急河原町駅から市バス 201, 31, 17, 3 系統で約 25 分 ・京阪出町柳駅から徒歩で東へ約 20 分、または市バス 201, 17 系統で約 10 分 ・地下鉄烏丸今出川駅から市バス 203, 201 系統で約 15 分 ※最寄のバス停は、「百万遍」または「京大正門前」開催校からのお知らせ
当日は、生協西部会館ルネが利用できるほか、百万遍や東一条界隈にも多くの飲食店があり ます。また、一般控室でも飲食は可能です。京都大学 キャンパスマップ京都大学 キャンパスマップ
東 大 路
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第7回大会プログラム
大会受付 10:30 ∼ 新館 1 階ロビー (受付、懇親会費納入) 開会式 11:00 ∼ 新館 2 階第 3 講義室 挨拶 日本英文学会関西支部支部長 佐々木 徹 研究発表・シンポジウム ◆研究発表(11:10 ∼ 12:35):第 1 室∼第 6 室 新館 1 階、2 階 ◆昼休み(12:35 ∼ 13:30) ◆研究発表(13:30 ∼ 14:55):第 1 室∼第 6 室 新館 1 階、2 階 ◆英米文学シンポジウム(15:10 ∼ 17:30) 「英米文学の慰め」 新館 2 階 第 3 講義室 ◆英語学シンポジウム(15:10 ∼ 17:30) 「言葉の意味・機能の拡張と変容」 新館 2 階 第 7 講義室 総会 17:40 ∼ 新館 2 階 第 3 講義室 閉会式 18:00 ∼ 新館 2 階 第 3 講義室 挨拶 日本英文学会関西支部副支部長 圓月 勝博 懇親会 18:30 ∼ カフェレストラン カンフォーラ 会費 4,000 円() ()
研究発表・シンポジウム要旨 目次
◆研究発表(11:10 ∼ 14:55) 第 1 室(新館 1 階 第 1 講義室) 1.「パリの家」に棲む第二の「魔女」 丹治 美那子 4 2.エドナ・オブライエンのアイデンティティ形成 ─アブジェクション概念を手がかりに 森本 有衣 4 3.The Temple of Nature における Erasmus Darwin のヒエログリフ観─ an universal visible language と hieroglyphic emblem 池田 景子 5 4.[招待発表] 苦痛を目撃することのトラウマ ─第一次世界大戦の脇役たち 荒木 映子 5 第 2 室(新館 1 階 第 2 講義室) 1.【発表なし】 2.奇跡の人の文学 ─ヘレン・ケラー『私の人生の物語』(1903 年)を読む 里内 克巳 6 3.The House of Mirth における「劇的」( dramatic / theatrical )小説空間 廣島 幸子 6 4.[招待発表] エミリ・ディキンスンと日本 鵜野 ひろ子 6 第 3 室(新館 2 階 第 4 講義室)
1.ポール・オースターの多層的物語世界
─キャラクターへの鎮魂歌としての『写字室の中の旅』 林 日佳理 7 2.The Stuttering or Tripping Art?
─ A Comparison of the Semantic Structures in Underground Comix and American Art Comics
Ian Stuart Garlington 7 3.『ジ・アワーズ』から『ダロウエイ夫人』を読む ─間テクスト性についての考察 高橋 路子 8 4.ヴァージニア・ウルフとマーガレット・アトウッドの短編小説 ─実験的技法の模索とメタフィクション的構造 中島 恵子 8 第 4 室(新館 2 階 第 5 講義室) 1.【発表なし】 2.食を通してみる精神成長史としてのFlush 大西 祥惠 9 3.D. H. Lawrence のThe Man Who Died における神話再創造によるポストモダン的救済
水田 博子 9 4.Cathleen ni Houlihan と The Gaol Gate の比較考察
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第 5 室(新館 2 階 第 6 講義室)
1.The Pickwick Papers のユーモアのレトリックと曖昧化効果 上里 友子 10 2.Nicholas Nickleby における2つの視点 村上 幸大郎 10 3.The Coral Island と The Ebb-Tide に見る南海物の形成と変容 乙黒 麻記子 11 4.[招待発表] 帝国主義と教育
─ George Gissing の The Whirlpool をめぐって 玉井 史絵 11 第 6 室(新館 2 階 第 7 講義室) 1.アングロサクソン年代記 MSS. A-F におけるofslægen 受動構文について ─助動詞の分布に対する使用場面の影響 高橋 佑宜 12 2.内在否定動詞の補部における否定極性表現の認可について 渡辺 敏久 12 3.場所表現の着点解釈を可能にする日英語の構文的・談話的認可条件 並木 翔太郎・西牧 和也・小薬 哲哉 12 4.[招待発表] 英語直示動詞のインターアクション性 ─直示性の言語化に関する通言語的実験研究から 松本 曜 13 ◆英米文学シンポジウム(15:10 ∼ 17:30):新館 2 階 第 3 講義室 「英米文学の慰め」 (司会・講師) 白川 恵子 14 Consolation of Walking ─コウルリッジ、山歩き、想像力 (講師) 吉川 朗子 14 『緋文字』のウィンスロップ─もう一つの丘の上の町 (講師) 入子 文子 14 ラウリー文学の奇妙な慰め (講師) 横内 一雄 15 ナット・ターナーの再復活 (講師) 白川 恵子 15 ◆英語学シンポジウム(15:10 ∼ 17:30):新館 2 階 第 7 講義室 「言葉の意味・機能の拡張と変容」 (司会・講師) 岡田 禎之 16 名詞の語彙概念拡張と項・付加詞の非対称性 (講師) 岡田 禎之 16 構文に見られる拡張 (講師) 大室 剛志 16 自己と他者と第三者がもたらす話法の拡張 (講師) 山口 治彦 17 ◆京都大学 吉田キャンパス文学部新館 教室配置図 19
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研究発表要旨
(新館 1 階 第 1 講義室)第 1 発表
(11:10 ∼) 司会 下 楠 昌 哉 (同志社大学教授)「パリの家」に棲む第二の「魔女」
神戸市外国語大学大学院生 丹 治 美那子 Elizabeth Bowen の The House in Paris(1935)における、パリの小さな家に住む女主人 Fisher 夫人は、 人の心を支配し、思いのままに操る魔女的な人物として描かれる。息子程も年の離れた思い人 Max が、実の娘 Naomi と婚約したことを受け入れられず、娘の友人 Karen に Max と不倫関係を 結ぶように仕向ける。その結果、夫人が意図した通りに事は運び、Naomi と Max の婚約は破談 になる。しかしそれに続いて、罪悪感に苛まれた Max は自殺し、Karen は婚約中なのにもかかわ らず、Max の子どもを身ごもるという、悲劇的な出来事が次々と起こる。一見、こういった悲劇 の一番の犠牲者は Karen であるかのように描かれているが、彼女は単なる被害者とは言い切れな い。Karen には、奇妙に Fisher 夫人と似通った所があり、夫人と同様、魔女的な人物と言ってい い要素をかなり備えているのではあるまいか。本発表では、もう一人の魔女的な人物とも見なし うる Karen に焦点を当て、主に Fisher 夫人との関係性や「パリの家」における影響力を考えるこ とで、Karen の人物像に迫りたい。第 2 発表
(11:55 ∼) 司会 下 楠 昌 哉 (同志社大学教授)エドナ
・オブライエンのアイデンティティ形成
─アブジェクション概念を手がかりに
神戸大学大学院生 森 本 有 衣 現代アイルランド人女性作家であるEdna O Brien(1930-)は生まれ育った田舎から首都ダブリン、 さらにイギリスの首都ロンドンへと場所を移動しながら、作家としての創作活動を行ってきた。 彼女のアイデンティティ形成を考えると、まさにその場所から場所への移動の過程こそが大きな 影響を与えていると思われる。本発表では、オブライエンのアイデンティティの形成過程を検討 するために、ジュリア・クリステヴァ(1941-)の論じる「アブジェクション」概念を援用して 分析することを試みる。そして、オブライエンの文学作品を「移動」の観点から読み解き、彼女 のアイデンティティ形成のプロセスと結果において、土地、故郷、国などの持つ影響力、重要性 を考察する。具体的な分析対象として、自伝的エッセイ Mother Ireland(1976)、処女作 The Country Girls: Trilogy and Epilogue(1986)、最新短編集 Saints and Sinners(2011)などを用いて、「移 動するアイルランド人女性作家」であるオブライエンと文学創造との関わりを考えたい。() ()
第 3 発表
(13:30 ∼) 司会 勝 山 久 里 (京都造形芸術大学教授)The Temple of Nature における Erasmus Darwin のヒエログリフ観
─ an universal visible language と hieroglyphic emblem
同志社大学(他)非常勤講師 池 田 景 子 西洋におけるヒエログリフ解読(誤読)の歴史を詳細に解説した Liselotte Dieckmann の Hieroglyphics(1970)において、Erasmus Darwin のヒエログリフ観は 17 世紀におけるイデオロギー の枠をでないものとして片づけられてしまっている。だが、果たして本当にそうだろうか。西洋 におけるヒエログリフ観は 17 世紀、18 世紀、ロマン派の時代において大きく変容していった。 Darwin は、universal language の概念とヒエログリフを結びつけた 17 世紀の John Wilkins に通じて いた一方で、18 世紀における William Warburton のヒエログリフ論にも目を通していた。また、 彼は P. B. Shelley らロマン派に大きな影響を与えた詩人でもあり、ヒエログリフの用法について は Shelley と共通する側面もある。本発表では、Darwin のThe Temple of Nature において見られるヒ エログリフ観が 17 世紀からロマン派に至るまでの変遷の中で形成された独自のものであること を立証していきたい。
第 4 発表
(14:15 ∼) 司会 福 岡 忠 雄 (元関西学院大学教授) [招待発表]苦痛を目撃することのトラウマ
─第一次世界大戦の脇役たち
大阪市立大学名誉教授 荒 木 映 子 theatre of war においては、主役は戦場で戦う兵士たち、脇役は野戦病院で傷病兵の看護にあ たる看護士や看護兵、前線から病院へと負傷兵を運ぶ救急車運転手である。脇役の中には、無給 のヴォランティアとして VAD(Voluntary Aid Detachment)や FANY(First Aid Nursing Yeomanry)に 所属し、国のために本分を尽くそうとする中・上流階級の女性達が多く含まれていた。戦闘員の 体験は、手記や手紙や戦争文学の中に記録され、読まれ、戦争詩人たちの作品は文学のキャノン としての地位を獲得している。また、彼らの戦場でのトラウマ的な体験は「シェル・ショック」 ( soldier s heart とも呼ばれた)という名前を与えられて、医学的・文化的な研究が今も続けられ ている。戦争の体験だけでなく、戦争が引き起こすトラウマもジェンダー化されてきたと言える。 一方、負傷した男たちの苦痛や切断された身体を日常的にまのあたりにした非戦闘員たちの体験 は、長い間等閑視され、1980 年代になってようやく女たちの体験を書いた記録や文学作品が読 まれるようになり、第一次世界大戦のもう一つのトラウマについての研究が始まったところであ る。Vera Brittain, Ellen la Motte, Enid Bagnold, Evadne Price 等の手記、自伝、自伝的小説からいくつかを 選んで、トラウマ的な体験がどのように受け止められ、表現されてきたかを考察する。
() () (新館 1 階 第 2 講義室)
第 2 発表
(11:55 ∼) 司会 石 塚 則 子 (同志社大学教授)奇跡の人の文学
─ヘレン・ケラー『私の人生の物語』(1903 年)を読む
大阪大学准教授 里 内 克 巳 19-20 世紀転換期におけるアメリカ合衆国の出版物の中で、ヘレン・ケラー(Helen Adams Keller)の自伝『私の人生の物語』(The Story of My Life)は、高い知名度を保ち続け、今日に至る まで世界中の人々に愛読されている一方、学術的な批評の対象となることがほとんど無いという 意味で、きわめて特異な著作である。本発表ではこの自伝をあえて俎上に載せ、20世紀後半に入っ てからの舞台化・映画化もある程度視野に収めながら、その歴史的な位置づけを試みる。また、 章構成の仕方、エピソードの連結のさせ方、レトリックの使い方、といった点を丹念に分析する ことを通して、文学によって自己形成を果たした人物が創りあげた文学、という作品の特質に光 を当ててみる。同時に、ヘレンが創りあげたその〈文学〉が、後年の彼女の社会福祉家・改革者 としてのキャリアとどのように繋がっているのかも、考察してみたい。第 3 発表
(13:30 ∼) 司会 石 塚 則 子 (同志社大学教授)The House of Mirth における「劇的」( dramatic / theatrical )小説空間
京都大学大学院生 廣 島 幸 子 Edith Wharton と演劇というテーマを考えたい。本発表では、主人公が多くの場面で「演技(act) する」女優のように描写され、小説そのものが drama のような構造を持つ(あるいは drama を見 ているような印象を与える)初期の代表作 The House of Mirth(1905)を取り上げる。Wharton は The House of Mirth 執筆当時、戯曲の翻訳を手がけていたこともあり、この小説が伝統的な well-made play の枠組を持つと指摘する批評はすでにある。また、作家自身が当時鑑賞したと思われる 舞台との関連に言及する論考などもある。そのような先行研究を踏まえた上で、この作品に見ら れる演劇に関する比喩やリアリズム小説の言葉としてはいささか芝居がかったように感じられる 台詞など細部の表現にも注目しながら、この小説を構成する「劇的」要素について新たな角度か ら論じることを試みたい。
第 4 発表
(14:15 ∼) 司会 坂 本 季 詩 雄 (京都外国語大学教授) [招待発表]エミリ
・ディキンスンと日本
神戸女学院大学教授 鵜 野 ひろ子 エミリ・ディキンスンは 30 歳を過ぎると隠遁生活に入り、人知れず詩を書いていたため、彼 女は外の世界をほとんど知らなかったと、一般的には思われている。それゆえ、彼女がまさか東 第 2 室() () 洋や、その中でも日本について、知るはずもないと思われている。しかし、実際には 10 代、20 代には東洋貿易の盛んだったボストンに滞在して、東洋の事物に触れていた。特に16歳の時には、 ボストンで開催された中国博覧会で中国の文化について詳しく見聞きし、その体験が後の詩に現 れている。また隠遁生活に入ってからも、新聞や雑誌で最新の情報を得ており、それを使って詩 を書いていた。1850 年代のペリーの日本遠征については既に「エミリ・ディキンスンと日本の 開国」(『エミリ・ディキンスンの詩の世界』)で書いたので、今回は 1860 年代の日本に関する知 識と彼女の詩への影響について発表したい。 (新館 2 階 第 4 講義室)
第 1 発表
(11:10 ∼) 司会 岡 本 太 助 (大阪大学非常勤講師)ポール
・オースターの多層的物語世界
─キャラクターへの鎮魂歌としての『写字室の中の旅』
大阪大学大学院生 林 日佳理 ポール・オースターはこれまでの自分の全ての作品からひとつの物語世界を成立させており、 それは「作者」の位置にある人物によって書かれることで成立する複数の物語の層が、入れ子状 に重なった構造をしている。このことは特に彼の 2006 年の小説『写字室の中の旅』(Travels in the Scriptorium)において、それ以前のオースター作品とのリンクが多く言及されるという特徴によっ てよく表されている。過去のキャラクターたちの訪問を受けるミスター・ブランクは、作者とし ての位置にありながら、最後にはキャラクターの一人によってその立場を逆転されてしまう。オー スターはこの作品でミスター・ブランクという人物を通して「作者」としての立ち位置から自分 のキャラクターたちに対する罪悪感を示し、すべてのキャラクターたちを物語の「ページの上の 言葉」として永遠にさまよい続ける存在であるとし、鎮魂歌を捧げているのである。第 2 発表
(11:55 ∼) 司会 岡 本 太 助 (大阪大学非常勤講師)The Stuttering or Tripping Art?
─ A Comparison of the Semantic Structures
in Underground Comix and American Art Comics
大阪大学大学院生 Ian Stuart Garlington Despite a very slow and rocky climb, in the last ten years art comics have risen to new heights in American culture and now receive both extensive treatment in the English departments of various universities as well as a surprising amount of shelf space at the largest chain bookstores. For years, however, the comics medium in America had been synonymous with superhero narratives, which traditionally represented the mainstream of comics. Although there have always been some artists who have straddled this border, art comics and mainstream comics have evolved through mutually exclusive histories, with superheroes continuing from 1938 with the appearance of Superman, while art comics are said to have evolved out of the underground comix of the 1960s and 1970s. By making use of Thierry Groensteen s widely accepted method of analysis presented in The System of Comics (2007), I first identify the unique semantic structures found in the LSD inspired narratives of the American
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underground comics by artists such as Robert Crumb, Kim Deitch, Jay Lynch, and Art Spiegelman, and then compare these with the structures found in the art comics of artists like Chester Brown, Peter Bagge, Chris Ware, Daniel Clowes, and Charles Burns.
第 3 発表
(13:30 ∼) 司会 野 口 祐 子 (京都府立大学教授)『ジ・アワーズ』から『ダロウエイ夫人』を読む
─間テクスト性についての考察
同志社大学嘱託講師 高 橋 路 子 1999 年にピュリッツァー賞を受賞したマイケル・カニンガムの『ジ・アワーズ』(邦題は『めぐ りあう時間たち』)は、英国モダニズム作家ヴァージニア・ウルフの小説『ダロウエイ夫人』(1925) の「リフ」として書かれた。「リフ」とはジャズの即興的な反復のことであり、『ジ・アワーズ』 ではウルフの作品における出来事や登場人物のみならず、さまざまなライトモチーフが繰り返さ れている。これは、間テクスト性の問題と深く関係しており、ジュリー・サンダーズは『ジ・ア ワーズ』における繰り返しのパターンから、ウルフの作品おいて抑圧されているサブ・テクスト が浮き彫りになると指摘する。本発表では、「ゲイ作家」であるカニンガムが『ジ・アワーズ』 の中でセクシュアリティをどのように扱っているかに注目して、その「原作」について、どのよ うな新しい読みが可能になるかを考察する。第 4 発表
(14:15 ∼) 司会 野 口 祐 子 (京都府立大学教授)ヴァージニア
・ウルフとマーガレット・アトウッドの短編小説
─実験的技法の模索とメタフィクション的構造
大阪成蹊大学教授 中 島 恵 子 ヴァージニア・ウルフとマーガレット・アトウッドの短編小説を、実験的技法とメタフィクショ ン的構造に焦点を当てながら比較し、その文学技法(レトリック)の特質について考察する。ウ ルフの短編小説はスーザン・ディックによって 45 編が The Complete Shorter Fiction of Virginia Woolf (1985)としてまとめられている(第二版 46 編)。その中から、実験的技法による習作(スケッチ)として描かれた作品を取り上げる。他に、 ジャンルを越えたハイブリッドな手法で構築された エッセイフィクションとして The Death of the Moth に着目する。アトウッドの短編集は現在 9 冊あり作品は 136 編だが、Murder in the Dark(1983)、Good Bones and Simple Murders(1991)、The Tent(2006)における創作についてのメタフィクション的構造をもつ作品を取り上げる。作品を 媒体として読者とのコミュニケーションの緊密化を企図したウルフとアトウッドの共通項と相違 点、あるいは連続性を明らかにしたい。
() () (新館 2 階 第 5 講義室)
第 2 発表
(11:55 ∼) 司会 御 輿 哲 也 (神戸市外国語大学教授)食を通してみる精神成長史としての Flush
京都女子大学非常勤講師 大 西 祥 惠 Virginia Woolf の実験的小説 Flush(1933)は、詩人 Elizabeth Browning の愛犬 Flush を主人公に、 その誕生から死までを描いた小説である。この小説は、フラッシュの成長史としてだけでなく、 エリザベス・ブラウニングの成長史としても読み解くことが出来る。またその過程は食の表象を 通して見ることが出来る。エリザベスは、食事をとることを拒んでいたが、Mr. Browning と出会っ た後、食事をすることができるようになる。エリザベスが食べるようになることは、エリザベス の精神的な成長にとって不可欠なものであるといえる。さらに食べる行為は書く行為とも密接の 関わっており、作家としてのエリザベスの成長にとっても重要である。本発表では、『フラッシュ』 における食の表象を精神分析を通して分析し、この小説の持つ成長史としての側面を辿りながら 食の持つジェンダー・ポリティックスを明らかにし、それが書く行為とどのように関わっている のかを解明していきたい。第 3 発表
(13:30 ∼) 司会 小 島 基 洋 (京都大学准教授)D. H. Lawrence の
The Man Who Died における
神話再創造によるポストモダン的救済
大阪大学大学院生 水 田 博 子 ロレンスは最後の短編 The Man Who Died(原題 The Escaped Cock)で、聖書をイシス‐オシリス の神話と置き換えることによってキリスト教神学の反転を行っている。すなわち神話的再創造を 行うことによって身体の上にかぶさる idea による覆いを取り外し、そのヴェールの向こうにある materialに内在する宇宙とのつながりを再発見するのである。しかしその覆いを取り外す行為、「剥 き出しにすること」は決して原型的イメージへの回帰、失われたものへのノスタルジーとして表 されているのではなく、われわれが新たな「信」に基づいて関係を築くためのロレンスなりの救 済の方途なのである。この作品からドゥルーズの「生成変化」「出来事」「逃走」、アガンベンの「裸 性」「剥き出しの生」といったポストモダン的な視点を抽出することにより、彼の提示する救済 が単なる「モダニズム的な神話回帰」を超えて、現代のわれわれにも通じるポストモダン性を帯 びていることを論じる。 第 4 室
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第 4 発表
(14:15 ∼) 司会 小 島 基 洋 (京都大学准教授)Cathleen ni Houlihan と The Gaol Gate の比較考察
─特に女性登場人物について
同志社大学嘱託講師 浅 沼 恵 Cathleen ni Houlihan は従来 W.B. Yeats の初期代表作とみなされてきたが、実際は Lady Gregory と の共作であったことが近年の研究で明らかになっている。それを念頭に、この戯曲と 1906 年上 演の Lady Gregory 作 The Gaol Gate とを比較すると、両者の内容が相関していることに気づく。前 者が国の化身 Cathleen に召喚され、家族のもとを去る若者の話であるのに対して、後者は召喚さ れた(とある意味で言える)若者に取り残された家族の話なのである。本論の目的は、特に女性 登場人物に焦点を当てて両作品を比較考察し、ナショナリズムに対する Lady Gregory の視座を探 ることである。Cathleen ni Houlihan の共作としての読み直し、及び忘れられた戯曲 The Gaol Gate の再検証にもつなげたい。
(新館 2 階 第 6 講義室)
第 1 発表
(11:10 ∼) 司会 田 中 孝 信 (大阪市立大学教授)The Pickwick Papers のユーモアのレトリックと曖昧化効果
大阪大学大学院生 上 里 友 子 The Pickwick Papers は、例えば結婚したくて仕方がないバーデルとその気持ちがさっぱりわから ないピクウィックのように、何かを欲する人とその願望から自由な人のズレから生まれるユーモ アの連続から成る小説である。笑い者にされるのは「コミットしすぎる人」であり、笑う側とし て想定されるのは必至に頑張るキャラクターを笑い飛ばす余裕のある読者である。連載小説特有 の一貫したメッセージを読み取りにくいタイプのまとまりのないプロットはこの余裕賛美のユー モアと絶妙にマッチしている。それは特にロマンティックアイロニーに見られるような、話し手 の意図を曖昧にすることを目指したレトリックと同種のものである。例えば主人公の精神的な成 長といったようなメッセージを無理矢理にでも読み取ろうとする読者は、まさしくこの作品で笑 いものにされる頑張りすぎる人たちなのである。
第 2 発表
(11:55 ∼) 司会 田 中 孝 信 (大阪市立大学教授)Nicholas Nickleby における 2 つの視点
京都大学大学院生 村 上 幸大郎 Charles Dickens は Nicholas Nickleby の序文において、自らを periodical essayist と称している。こ のことは、彼がこの時点では物語の筋やテーマよりも、断片的なエピソードの面白さを重視して いたことを示唆している。とはいえ、この作品は主人公の Nicholas と強欲な叔父の Ralph との対 立を軸に描いた小説であるため、ある程度の一貫性を必要としたことは間違いない。日常の一場() () 面を切り取り、鋭い観察眼でもって他者には見えない事物や人物の特徴を即座に捉え、詳細に描 くというSketches by Boz 以来の手法は個々の場面を印象的にはするが、それは同時にプロットの 停滞、逸脱にもつながる。本発表では、Nicholas Nickleby には 2 つの視点、すなわち結末に向かっ て物語を進めていく視点と、それとは別のスケッチ的な視点があることに着目し、一貫性を欠く 小説だとされてきたが、Dickens がスケッチ作家から小説家へと変貌を遂げていく中で 2 つの視 点を融合させるための工夫を凝らした面もあるということを明らかにしたい。
第 3 発表
(13:30 ∼) 司会 木 村 茂 雄 (大阪大学教授)The Coral Island と The Ebb-Tide に見る南海物の形成と変容
日本大学助教 乙 黒 麻記子 R. M. Ballantyne の The Coral Island(1858)は少年向けロビンソン物の典型とされる。主人公た ち Jack 、Ralph 、Peterkin は無人島でのサバイバル生活、原住民や海賊との戦いを繰り広げた後、 原住民に数カ月も監禁され、名もない白人宣教師に救出される。少年向けとはいえ、Ballantyne によるこの楽観的な結末に対する書き直しとも言えるのが、R. L. Stevenson と Lloyd Osbourne の合 作、The Ebb-Tide: A Trio and a Quartette(1894)である。ここでは、陽気な少年たちが Davis、 Herrick、Huish という三人の落伍者たちに改変され、名もないクリスチャン・ヒーローであった 宣教師も Attwater という悪魔的な統治者・宣教師として物語の本筋に加えられている。この改変 は、実際に晩年を南海の原住民と交わって暮らし、ヨーロッパ中心主義的な価値観の見直しを迫 られていた Stevenson による、ある種の自己批判と言えるだろう。本発表では、上記二作品にお けるパターン化された登場人物たち(三人組、あるいは四人組)の相違点を通して、十九世紀「南 海物」の形成と変容の一端を考察する。
第 4 発表
(14:15 ∼) 司会 木 村 茂 雄 (大阪大学教授) [招待発表]帝国主義と教育
─ George Gissing の The Whirlpool をめぐって
同志社大学教授 玉 井 史 絵 George Gissing の後期の小説 The Whirlpool(1896)は新帝国主義の時代のイギリスにおける様々 な問題を内包した作品である。小説では、帝国から流入する富に潤う社会で消費文化に溺れる女 性たちと、行き場のない攻撃性を持て余して鬱屈した日々をおくる男性たちが対称的に描かれて いる。この二者が体現する〈文明〉と〈野蛮〉の力が緊張関係を保ちながら展開するプロットの なかで、子供の教育という問題が中心的テーマの一つとして浮かびあがる。教育が本質的に〈文 明化〉のプロセスであるとするなら、帝国主義の時代においてどのような教育が可能なのかを、 Gissing は繰り返し問いかけているのだ。本発表では、同時代の教育に関する議論を参照しつつ、 この作品に表れた Gissing の教育観を探りたい。
() () (新館 2 階第 7 講義室)
第 1 発表
(11:10 ∼) 司会 藤 本 幸 治 (京都外国語大学准教授)アングロサクソン
年代記 MSS. A-F における ofslægen 受動構文について
─助動詞の分布に対する使用場面の影響
京都大学大学院生 高 橋 佑 宜 本発表の目的は、古英語の迂言的受動構文 beon/wesan to be , weorþan to become +過去分詞 にお ける助動詞の分布及び、それに対する要因を明らかにすることである。今回は、ofslean slay, kill という動詞に焦点を当て、アングロサクソン年代記 MSS. A-F の 6 写本を比較する。先行研究で指 摘されている助動詞の分布に関わる「死没の状況」という要因(Petré 2010)について網羅的な 記述を行い、その妥当性を具体的なデータに基づき実証する。併せて、どの時期あたりから両助 動詞が混同され交替可能となっていったのかについても推定を行う。さらに、従属節中において 助動詞は主節とは異なった振る舞いを示すことにも言及する。第2発表
(11:55 ∼) 司会 藤 本 幸 治 (京都外国語大学准教授)内在否定動詞の補部における否定極性表現の認可について
関西学院大学院生 渡 辺 敏 久 先行研究では deny などの英語の内在的に否定的な動詞は、節補文(CP)を選択するときのみ anyone などの否定極性表現(NPI)を認可すると観察され , それに基づいた仮説提案・分析が行 われている。本発表ではこれに反し、denyなどが名詞句NPIを選択したときにも認可しうる例(こ れらの名詞句は命題を denote する)を示し、これらの事実と、先行文献で観察された deny など の節補文で現れる NPI の文法性は、deny などの動詞が選択する特定の統語構造(命題句)の提 案などにより全て構造的な関係より説明される事を示す。本発表で採用する理論的前提及び分析 より、極小主義プログラムにおける統語計算「Agree 操作」について「Agree に関わる要素は必ず 非対称な C 統御関係になる」という理論的精緻化が得られる(従来的体系では、Agree に関わる 要素が姉妹関係たりえないことを理論的には廃除していない)。第3発表
(13:30 ∼) 司会 森 川 文 弘(姫路獨協大学講師)場所表現の着点解釈を可能にする日英語の構文的・談話的認可条件
筑波大学大学院生 並 木 翔太郎 筑波大学大学院生 西 牧 和 也 麗澤大学非常勤講師 小 薬 哲 哉 本発表では、場所表現が着点として解釈される日英語の条件について、意味・語用論的観点か ら比較・検証する。Beavers et al.(2010)では、Talmy(1985, 2000)の言語類型論の反例として、 移動の経路が必ずしも言語化されない事例があることを指摘している(John walked in the room. / アキラは海の中に走った。)。しかし、その認可条件については詳細に論じられていない。() () そこで、本発表では、場所表現の着点解釈が認可される条件を提案し、日英語に違いがあるこ とを明らかにする。具体的には、以下の 3 点を主張する。①英語では移動が到達事象として解釈 される場合に、場所表現の着点解釈が容認されるが、日本語では容認されない。②日本語では使 役構文や間接受身などの「強制」の意味によって容認されるが、英語では容認されない。③語り の談話では、両言語とも着点解釈が容認される。
第4発表
(14:15 ∼) 司会 森 川 文 弘 (姫路獨協大学講師) [招待発表]英語直示動詞のインターアクション性
─直示性の言語化に関する通言語的実験研究から
神戸大学教授 松 本 曜 英語における移動事象の言語表現において、直示性(ダイクシス)はどのような場合に言語化 されるのであろうか?この問いに答えるため、ビデオクリップを使った発話実験を 12 名の英語 母語話者に対して行い、様々な移動シーンがどのように表現されるかを調査した。その結果、以 下のことが分かった。英語では、直示動詞(go, come)が様態動詞(walk, run など)と主動詞の 位置を奪い合う関係にあるが、移動の様態が分かる場合は様態動詞が優先される。その場合、直 示は動詞ではなく前置詞句(toward me など)によって表される。しかしながら、特定の条件が そろうと直示を主動詞に置く比率が高くなる。それは、話者がいる部屋など、話者とのインター アクションが可能な領域への移動の場合であった。これは、英語の直示動詞(特に come)が話 者とのインターアクションを指し示すことを表している。他の言語で行った同じ実験の結果も簡 単に報告し、比較も行う。() ()
シンポジウム
要旨
◆英米文学シンポジウム「英米文学の慰め」
(15:10 ∼ 17:30;新館 2 階第 3 講義室) 司会・講師 白 川 恵 子 (同志社大学准教授) 講師 吉 川 朗 子 (神戸市外国語大学准教授) 講師 入 子 文 子 (関西大学教授) 講師 横 内 一 雄 (関西学院大学教授) 3.11 の未曾有の震災以降、文学・文化研究において、例えば、自然災害と文化的想像力、核の 時代の文学、災禍と表象といったテーマが設定され、多くのシンポジウムや討論の場で様々な考 察と論議が行われてきたが、同時に、震災後の復興・再生について文学が果たす役割に関しても 注目が集まってきているように思われる。そこで本年度は、個人的・集団的苦悩のあとの「慰め」 や「癒し」、あるいはまた「再生」や「復活」をキーワードとして論じ合いたい。本シンポジウ ムのタイトルのヒントとなったのはボエティウスの『哲学の慰め』であるが、「文学」と「慰め」 という語から措定できる概念は、幅広く、多岐に敷衍可能である。哀歌や頌歌はもとより、そも そも離別の悲しみを慰めるための創作は枚挙にいとまなく、災禍や戦火、事件や事故に際して、 心情を吐露し、苦悩を文字化する行為には、単なる個の癒し以上の社会的効果が認められる場合 もあるだろう。各講師の研究領域は、それぞれ異なるものの、英米文学が提示しうる広範な可能 性の一端を、各々が紹介できれば幸いである。Consolation of Walking ─コウルリッジ、山歩き、想像力
神戸市外国語大学准教授 吉 川 朗 子 ボエティウスの『哲学の慰め』にヒントを得たという今回の企画に誘われて最初に思い浮かん だのが、コウルリッジの This Lime Tree Bower my Prison である。次元の違いはあるが、不運な出 来事で自由を奪われ牢獄状態に置かれた己が身を嘆き、その後「内なる対話」によって慰めを見 出していくという構造は共通する。 Dejection, An Ode のなかの一節 we receive but what we give に あるように、コウルリッジは牢獄状態を作るのは外的要因でなく内なる状況であると信じていた ようでもある。だがこのオードでは風に刺激を受けて外界に意識を向けることが慰めの契機とな る。また元々取り留めのない感情過多な私的な手紙だったこの作品を、公表できる形に整える力 を与えたのは、湖水地方の野山を歩いた経験だったようだ。想像力の枯渇を恐れ失意に陥ったコ ウルリッジを自意識の牢獄から救い、shaping spirit of imagination を回復させたのは「内なる対話」 よりも自然との対話であったということを、1802年8月の山歩きの記録の検討を通じて考えたい。『緋文字』のウィンスロップ ─もう一つの丘の上の町
関西大学教授 入 子 文 子 アメリカン・ルネサンスの巨匠ナサニエル・ホーソーンの『緋文字』は、17 世紀ニュー・イ ングランド第一世代植民地を舞台にした「罪と救いの物語」と言われる。それ故に、〈癒し(救い)〉 の問題を避けて通ることは出来ない。私も『ホーソーン・《緋文字》・タペストリー』(2004)で、 すでにヘスター、ディムズデイル、チリングワース、パールなど主要人物のさまざまな〈癒し〉 を考察した。ディムズデイルの〈癒し〉の一つとしてタペストリーを論じた際、ボエティウスの 『哲学の慰め』にも言及した。しかし、ウィンスロップの〈癒し〉の問題には触れなかった。物() () 語の舞台である 1642 ∼ 49 年の歴史上の総督として名高いウィンスロップを、ホーソーンはこの 作品に殆ど登場させていないからだ。植民地時代の歴史に通暁したホーソーンが、歴史に準拠し たかに見える『緋文字』で、なぜウィンスロップの代わりにベリンガムを据えたのか。ウィンス ロップの〈癒し〉の問題を補助線にホーソーンのウィンスロップ観と絡めて論じてみたい。
ラウリー
文学の奇妙な慰め
関西学院大学教授 横 内 一 雄 ボエティウスの『哲学の慰め』では、不遇を嘆く話者のもとに母なる「哲学」が擬人化されて 現れ、彼を慰める。ホメロスの『イリアス』第1巻でも、不遇を嘆くアキレウスの前に母なる海 が神格化されて現れ、彼を慰める。ところが、ジョイスの『ユリシーズ』では、主人公の一人が 母なる海を拒絶し、彼女を呪う。ここに、現代文学において母や海のような大いなる存在に慰め られるという設定が成り立ちうるのか、という問いを立てられるように思う。ポスト・ジョイス 世代の作家ラウリーは『火山の下』において、妻の慰めを受け入れられずに絶望死する男を描き、 ジョイス以上に現代文学における慰めの不在を訴えているように見える。しかし、彼にはその名 も「職業が与える奇妙な慰め」という短編があり、不遇を嘆く作家がキーツの書簡に慰められる 話を書いている。また、別の短編「泉に至る森の道」では、主人公夫婦は戦災などの悪夢に苛ま れながらも、移住先の海辺に楽園を見出す。これらを手がかりに、災害後の困難な時代における 慰めの可能性を探ってみたい。ナット
・ターナーの再復活
同志社大学准教授 白 川 恵 子 ヴァージニア州サザンプトンの奴隷反乱事件(1831)を下敷きに創作されたウィリアム・スタ イロンの『ナット・ターナーの告白』(1967)は、監獄で裁きを待つターナーが目覚める場面で 始まる。反乱鎮圧後、神の不在に苦しむ彼は、白人少女への想いの中に救いと慰めを見出し、死 を迎える。南部白人男性による奴隷反乱首謀者の物語化は、ブラックパワーの時代に大衆の関心 を引き、スタイロン批判とターナー論争を巻き起こしたが、同時に、本事件を描いた過去の文学 的成果を再評価し、かつ新たな作品を生み出す契機ともなった。シャロン・フォスターの『ナッ ト・ターナーの復活』(2011-12)は、従来の解釈に新見地を拓く作品として注目されている。ア メリカ史の負の遺産である残忍な反乱は、一方で、独立革命の精神を受け継ぐ自由の希求である とも見なされるが、その「復活」に際し、フォスターはどのような可能性を切り拓き、過去の諸 作品との間にどのような関係性を結んだのか。再生されるターナー像がいかなる戦略的な慰めを 提示したのかを考えたい。() ()
◆英語学シンポジウム
「言葉の意味・機能の拡張と変容」
(15:10 ∼ 17:30;新館 2 階第 7 講義室) 司会・講師 岡 田 禎 之 (大阪大学教授) 講師 大 室 剛 志 (名古屋大学教授) 講師 山 口 治 彦 (神戸市外国語大学教授) 言葉が有限の記号体系である一方で、私たちが伝達したいと考えるメッセージ内容には無限の 可能性が広がり、ある記号が担うべき意味・機能は単一のまま不変ということはない。言葉を使 用していく中で少しずつ新しい意味・機能などが付加され、拡張が生じて多層化していくという 現象が認められる。また多層化の範囲を超えて、大きく変容していく場合もあると考えられる。 拡張し変容していく言葉のダイナミズムが、観察者にとって様々な着想をもたらすことは想像に 難くない。そしてこの変化をもたらす動機付けは、言葉の観察者にとって重要な問題であり、互 いの立場を超えて対話をおこなう基軸となるものでもある。ここでは、語、文、テキストという それぞれのレベルにおける言葉の拡張と変容の問題を、3 人の発表者がそれぞれの道具立てを利 用して考察していく。記述的に妥当な観察に基づき、どのようなアプローチが可能であるのか、 何に動機付けを求めてこの問題に取り組むことができるのかを考える一つの対話の場としたい。名詞の語彙概念拡張と項・付加詞の非対称性
大阪大学教授 岡 田 禎 之 名詞が本来の語義の範囲を超えて拡張的な指示内容を持つ場合、様々なタイプの拡張があり、生 産的なパターンはどのようなものであるのか、といった議論はなされてきている(e.g. Radden and Kövecses(1999))が、どのような言語環境において拡張現象が認可されるのか、といった観点は これまで余り問題とされてこなかったように発表者には思われる。ここでは、いくつかの名詞表 現について、それがコーパスでどのような意味解釈で用いられているのかを具体的に量的に分析 していきながら、語彙概念拡張認可に認められる一般的な制限や拡張の方向性に見られる特徴を 考察していきたい。特に名詞句が項位置に表れる場合と付加詞位置に表れる場合の概念拡張可能 性には非対称性が認められそうであり、このような観点からメトニミー表現の問題に接近してい くアプローチの可能性を示唆できればと考えている。構文に見られる拡張
名古屋大学教授 大 室 剛 志Omuro(1997)で論じた英語における動作表現構文(e.g, He nodded agreement. She smiled her thanks.)を再び取り上げ、非言語伝達動詞の意味が、どのようなメカニズムにより、その語彙概 念構造を拡張させ、それによりどのような補部構造を認可させるにいたるかを再検討する。その 際、この構文と類似した構文である同族目的語構文との共通点と相違点について注意を払うこと にする。さらに、その後の研究である住吉(1999)等を参考に、非言語伝達動詞が that 補部を従 えた構造の性質について深く探るとともに、小薬(2010)等を参考に、動作表現構文の受け身の 可否に関わる条件についても検討を加えることにする。この構文で使われる動詞の意味拡張のメ カニズムが One s Way 構文を成立させる際のメカニズムとも共通する部分があることを探ること
() () で、構文に見られる拡張の様式を明らかにしていきたい。時間が許せば、最近の概念意味論 (Jackendoff(2010)等)で扱われているさまざまな構文イディオムに見られる変種にも言及した いと考えている。
自己と他者と第三者がもたらす話法の拡張
神戸市外国語大学教授 山 口 治 彦 英語にも日本語にも,他人のことばを自分のディスコースに取り込むための一定の文法手段(= 話法)が存在する。本発表は,直接話法や間接話法,および対話における引用表現(エコー表現 など)を引用の原初形式と比較し,どのような契機が話法形式の発達にかかわるかを考察する。 本発表が引用の原初形式と考えるのは,"Boston has six letters."の"Boston"や「母さんの「勉強しろ」 には,もううんざり」の「勉強しろ」のような,名詞的引用表現である。名詞的引用表現はこと ばをモノとしてしかとらえず,直接引用しか許さない。このような単純な形式から,間接引用や ほかの節との連接が可能になる話法形式へと発展してゆく背景には,自己,聞き手,そして第 3 者の存在を対立的にとらえる,人称対立の概念が存在することを論じる。と同時に,話法発達の 経路が日英間で大きく異なることを明らかにしたい。() ()
大会準備委員
委員長: 水野 眞理 (京都大学) 副委員長: 小澤 博 (関西学院大学) 英米文学部門: 石塚 裕子 (神戸大学) 片渕 悦久 (大阪大学) 白川 恵子 (同志社大学) 武田 美保子 (京都女子大学) 英語学部門: 五十嵐 海理 (龍谷大学) 田中 裕幸 (関西学院大学) 開催校委員: 家入 葉子 (京都大学)() ()