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水俣病被害者等保健福祉ネットワーク 第 1 回実務者研修会要旨 日時:平成 20 年 3 月 21 日(金) 14:00∼16:00 場所:水俣市もやい館 もやいホール 【講 演】 テーマ 「水俣学」からみた弱者の視点 ∼水俣病患者さんを理解し、より良い保健福祉サービスを 提供するために∼ 講師 熊本学園大学大学院社会福祉学研究科 教授 原田正純先生 自分が、昭和 35∼36 年くらいに水俣 を巡回していた頃 3 人の来訪者がいた。 桑原史成(カメラマン)、宇井純(東大 研究者)、石牟礼道子(作家)である。3 人は、水俣病を大きな事件として見極め ようと、それぞれの立場で写真や記録、 関係資料の収集という形で記録として 残し、水俣病の全貌を明らかにしていっ た。この 3 人の来訪者なくして、水俣病 事件は明らかにされなかったであろう。 今でも水俣病を明らかにする貴重な資 料として残っており、その活動が今、教 訓として残っている。 (水俣病はなぜ公害の原点か) 水俣病は単なる有機水銀中毒ではなく、環境汚染によって、しかも食物連鎖によ って起こった初めての有機水銀中毒であり、そういう意味で公害の原点といえる。 また、胎盤を通して胎児にも有機水銀中毒を起こした、人類史上初めての事件でも ある。水俣病という病気が地名を使っていることで迷惑を被っている住民がいるこ とも事実であるが、地名を使わなかったら差別がなかったかというとそうではない と思う。差別をなくすためには、実態を明らかにし、事実をきちんと伝えていくこ としかないと思う。 (公害は弱者にしわ寄せがくる) 生理的弱者や社会的弱者が公害の犠牲者となっている。 水俣病も(大人が先に発病していたが)、子供が発病して水俣病は発見された。 高齢者や、糖尿病の人、脳梗塞の人などもともと病気にかかっている人たちも被害 を受けたが、既往症のせいにされ認定されなかった。自分の意見を言ったり、戦っ

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たりができない人たちでもある。 地図に発病の順番をプロットすることにより、水俣病は伝染病ではなく、水俣湾 内の魚が原因であることがわかった。足と紙とペンによって、解明できるものもあ るということである。このときに原因を突き詰めていれば水俣病は広がらなかった のではないかと思う。今となっては、反省点である。 (熊大研究班) 熊大研究班は、3 年半かかり水俣病の原因が有機水銀中毒であることを突き止め た。チッソがアセトアルデヒドを作っていることを熊大の医学者は知らなかったた め、原因究明にこのように時間を要した。チッソの研究者であれば、その事実を知 っていたはずであり、もっと早くに原因究明ができたのではないかと思う。しかし、 熊大の研究により、水俣病が迷宮入りしなかったことは評価されるべきだと思う。 当時、衛生学では希釈放流、毒は薄めて流すと毒でなくなると習っていたが、自 然界では、希釈と濃縮は裏表の関係にあったのである。 人間は自分に都合のいいことだけ考える。ダイオキシンがそうである。便利さは 裏表にあるということに当時は思い至らなかった。 水俣病発生地域は、隔離されている地域で交通の便も悪い。そういった地理的な 状況から食べるものも限られ、魚ぐらいしか食べるものはなかった。東京の研究者 は、そういった状況を知らず、住民が口裏併せてうそをいっていると思い、水俣病 は腐った魚を食べておこったというアミン説を論文として出した。死んだ猫が水俣 病であるという証明もせずに、有機水銀説を否定していた。国の研究費をもらって、 研究をした結果がこうである。その論文の報道を受けて、見舞金契約をした人もい る。有機水銀説やアミン説などが出され、どれが正しい結果かわからず、患者は動 揺した。研究者の責任は大きいと感じた。現地に赴き、そしてきちんと物事を見る 目を持つことが研究者には必要である。 食物連鎖の頂点にいるのは人間である。これが水俣病の原点である。これを正し く伝えていくことが大事。ダイオキシンやカネミ油症も食物連鎖が原因である。 (兄弟との出会い) 自分が水俣病から離れられなくなったのは、ほんのちょっとした出会いからであ る。当時、水俣病は解決したと思い、その後の患者の経過をみていくのが自分たち の役割だということで、市立病院に患者を集めてもらい、そこで診察をしていた。 その中には、市立病院に出て来ることができない患者がいたため、訪問診察するこ とになった。その際、ある兄弟と出会う。二人とも同じ症状だったため、二人とも 水俣病だと思いその母親に尋ねたら、兄は水俣病で、弟は脳性麻痺であると言う。 弟は生まれつきの症状で、魚を食べていないからだという。自分は一応納得した。 しかし、母親は納得しておらず、胎盤を通して水銀が胎児に運ばれたに違いない、 おかげで自分は症状が軽くてすんだのだと言う。同じような子供がこの地域には他 にもいる、先生達は何をしているのかと怒られた。水俣市民病院に呼ばれてくる患 者は、水俣病認定患者であり、認定されていない患者は病院に来ないため、こうい う状況があることはわからなかった。当時、まだ、胎児性患者は認められていなか った。これが胎児性患者との運命的な出会いである。 (当時の患者の気持ち)

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「新聞記者も来とっとだろう、熊大の先生も来るな」と患者さんが書いたペーパ ーがある。自分はそれまで、患者さんを診に来てあげている、感謝されてもいいの ではないかといった思い上がりの気持ちがあった。水俣病問題が沈静化している中、 熊大の医師達が地域を訪ねてうろうろしていると新聞記者がそれをかぎつけニュ ースになる。そうするとまた魚が売れなくなり、みんなが迷惑するというのである。 来訪者があると、また水俣病問題が再燃すると思ってのことだったのだろうと思う。 患者さんから、「大学病院に入院し、いくつもの痛い、きつい検査を受けたが、 治らなかった。どうせ治らないなら来んでもよか」といわれた。ショックだった。 治らない病気は山ほどある。医者というのは治る病気だけ診て、治らない病気は診 れないのか。治らない病気を前にして、医者は何ができるか、何をしたらいいか。 治らない病気だからこそすることがたくさんあると思った。そこに医師の役割があ ることに気づいた。 水俣病と認定されていない子どもを病院に連れて行くためには親の付き添いが 必要であるが、生活は苦しく、親の 1 日の日当が消えるため、連れて行けないとい うことで訪問診察をした。地域の人に警戒されないよう、白衣を着て聴診器を首に かけて地区をまわった。当時の患者の生活を水俣市民はみていなかったと思う。自 分も市民病院で患者を診ていたら漁村の生活はわからなかったと思う。 自分が胎児性として確認した子供は66人である。自分の足で稼いで発見した。 しかし、中には、転出しどこにいったかわからない家や水俣病と認定されていない 子どもがいると思う。御所浦や、獅子島にもいるだろう。行政はなぜ胎児性患者だ けでも調べなかったのか。その子ども達は、普通の学校には通っていないと思われ るので、行政は調べようと思えば調べられたのではないかと思う。診察した子ども の中には胎児性ではないかという思われる子どももいたが、「診察をしてもらえて 良かった、でも、申請はしない」と言う母親もいた。死後、京都府立病院で解剖し た結果、やはり、胎児性であることがわかった。なぜ、この子ども達を調べずに放 っていたのか、それが悔しくて、残念である。 胎児性患者はなかなか認定されず、水俣病発見から 7 年くらいして認定された。 小児科、公衆衛生、内科がそれぞれにかかわっており、胎児性として発見できず、 死後の解剖で水俣病であることがわかった子どももいる。胎児性として判断するの に証拠がないといわれていたが、出産時のへその緒が証拠になることに気づいた。 へその緒が残されていることに早く気づけばよかったと思う。環境汚染と臍帯汚染 が一致したということである。環境を汚すということは地球を汚すということだと 思う。 また、動物実験からも、無機水銀ではなく、有機水銀が胎盤を通るということが 証明された。 新潟水俣病では、胎児性患者と認定されたのは一人である、なぜか。当時の記録 から、妊娠可能、妊娠中の女性が 77 人いたが、人工妊娠中絶や避妊術を受けたこ とによる結果のようである。この結果は評価すべきことなのか。第 2 の水俣病を起 こして、こういう対策を成功といえるのか。

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(漁業医学) 農村医学はあるが、漁業医学とはどういうものか。裁判が始まったとき調べよう と思った。患者の 6 月分の生活記録を取ることにより患者の生活の実態が明らかに なった。水俣病の症状があるため漁をするのにいつもの倍くらいの時間がかかって いた。自分の身体能力に応じて、漁の内容や時間を自分で調整していくことにより、 漁をしていたことがわかったのである。外から見ると一見どうもないように見える が、障害はある。しかし、症状を持ちながらも、ある程度ケアしていくことで漁は 案外できていたのである。水俣病の症状が日常生活に及ぼす影響をどうやって見い だすか、患者の協力なくしてはできない。漁師にどういう症状があり、そのことが 日常生活にどのような影響を及ぼしているか調べることが大事。 (世界の水銀汚染) 水俣病は日本特有のものではない。世界の各国にも水銀汚染がある。アメリカ、 カナダ、ブラジルなどである。カナダではパルプ工業が水銀を流したことにより、 先住民の生活に影響を与え、有機水銀中毒を起こしている。自然とともに生きてい る先住民達が最大の影響を受けたのである。ブラジルは金精錬で使用する水銀を直 接吸入する職業病としての無機水銀中毒とその水銀が川に流れ込んで有機化して 魚に蓄積され、その魚を食べて暮らす部族が有機水銀中毒をおこしている。 (何を水俣病というのか。) 胎児性患者の母親の訴えから明らかにできたことや、一見見た目には症状がわか らないような人もいることなど、日本は、何を水俣病というのかの決着をつけてい ない。日本は世界に対して責任を果たしていないと思う。 そういった意味で、水俣は貴重な場所である。行政も学会もこの地域を大切にし ていかなければならない。世界遺産として、この地域、ここに住む人をみつめ、大 事にし、人々に敬意を払うべきであると思う。 (中立とは) 中立とは、両者の力関係が同じ時を言うのではないか。力のある人とない人がい たとき、力のある人に加担するという傾向があるが、弱い者の立場に立つことが中 立な立場にたつことだと思う。このことについては皆さんの間でも議論してもらい たい。 公害反対運動は、障害者運動と相反して活動してきた。環境を大事にしないとこ ういう人(障害を持った人)が出てくるといった切り口で運動をしてきた。共立し た運動をしてこなかったということも事実であり、企業が利益のために住民の健康 を破壊したということも事実である。障害を否定することとは別問題である。 これからは、福祉の視点で、障害の問題を環境の問題と絡めて考えられないかと 思っている。水俣でその道筋を付けていけないか、解決できないかと思っている。 以上

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質疑応答 参加者:田浦にも胎児性患者が 2 名く らいいたのではないかと思うが どうか。また、先ほどの講演の 中で、自然界の中で、無機水銀 が有機水銀に変わるといったお 話があったが、そのメカニズム についてお話しを聞きたい。 講師:当時、胎児性患者についてきちんと調べていな いことが悔やまれる。当時 60 人位の人が学校に 行っていないことがわかっている。その人達を 調べていれば胎児性患者はもうすこし明らかに できたのではないか、自分が確認した患者以外 にももっといたのではないかと思う。御所浦で は胎児性患者が出ていないが、いないはずはな いと思う。当時のことを産婆さんから聞くこと もできるが、プライバシーの問題からできなか った。 また、田浦は水俣市漁協にお金を払い、明神 の先で漁をしていた。そういう社会的条件の中 で重症患者や胎児性患者が出たのだと思う。 有機化については専門ではないのでわからないが、カナダやアマゾン の例からも、無機水銀しか流していないのに有機水銀中毒の症状が出て いることから、自然界で有機化する、無機水銀を摂取した魚の中で有機 化していることははっきりしているようだ。 参加者:水俣病患者さんの初回の面接に あたり、その対応で気をつけなけ ればないことは何か。 講師:特別なことはないと思うが、水俣 病患者には 50 年の歴史がある。社 会的な傷を受けている部分がある ので、そこに配慮してもらいたい。 しかし、水俣病患者さんだからと いって特別に気をつかわなくても いいのではないか。患者さんもい ろいろおられる。隠れて暮らさな いといけないような時代に発病し た人、その後、裁判した人・しな い人、和解協定を結んだ人・そうでない人、症状が重い人・軽い人、認定

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制度の中で複雑な区分をされてきた。精神的社会的な差別を受けてきた人 たちである。しかし、患者は病人であり、病人は自分のことが中心となる。 水俣病だからと特別視するのではなく、病をもった人として対応してほし い。差別なく見てほしい。制度上、認定、未認定という区分をつけてしま ったが、病気に区分はない。制度に影響される医学ではなく、病をもった 人の生活をいかにサポートするかを考えてもらいたい。 参加者:今日は福祉の現場の方に多 く参加いただき、第一線で水俣 病研究に携わってこられた先 生から水俣病の初期のお話し を聞くことができ、よかった。 水俣病を理解する第一歩にな ったと思う。先生にお礼を言い たい。症状が見えにくい人への 生活相談や、先ほどの質問にも あった対応で配慮すべきこと など参考になった。次回は、こ のネットワークの中で、次の段 階のお話しを聞く講演を企画 してもらいたい。

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