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広域行政とリージョナリズムの概念

著者名(日)

佐藤 俊一

雑誌名

東洋法学

43

2

ページ

51-89

発行年

2000-03-15

URL

http://id.nii.ac.jp/1060/00000434/

Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja

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広域行政とリージョナリズムの概念

東洋法学

はじめに 一 広域行政の概念定義など  一−一 広域行政は非学術用語か  一ー二 各種辞典にみる広域行政   ω法律学関係の辞典  ②地方自治関係の辞典  ③政治学・社会学関係の辞典 二 広域行政論の諸論点   ①広域行政の概念定義  ②広域行政︵論︶の背景・要因と意義・目的  ㈹広域行政   時期区分  ㈲広域行政の方式と性格  ㈲広域行政の手法・手段 三 リージョナリズムと広域行政︵論︶  三ー一 リ:ジョナリズムの背景と概念  三−ニ リージョナリズムと日本の広域行政︵論︶ むすびにかえて ︵論︶の展開の 51

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52 広域行政とリージョナリズムの概念

はじめに

       コロラリヨ  筆者は、戦後日本の地方自治の展開を総括的に論述した近著で広域行政論の系譜と広域行政の実態について一 項を設けるつもりでいた。一九八○年代の中期以降における地方分権改革論潮の高まりの中で、旧来と異なり分 権改革論と広域行政論が結合する様相をみせ始めていたからである。しかしながら、結局、広域行政︵論︶につ        と いては論述しえなかった。その理由の第一は、同著﹁あとがき﹂でふれた時間不足にあった。しかし、第二の根 本的原因は、時間不足をもたらした要因で、そもそも自明のごとく用いられてきた広域行政とは何を意味するの かという疑問が生じたことにある。  ところで、広域行政とは、一般に市町村や都道府県の区域を超える行政を意味するとされてきたのに対し、地 方自治法第二条第六項の都道府県の役割の一つである﹁広域にわたる﹂事務をいうというような限定的見解もみ られ、実際にはかなり概念的に多義的で不確定的であるといえる。また、広域行政論は戦後的なもので、戦前に 展開されたのは道州制論であるという見方もある。これは道州制論をむしろ欧米のリージョナリズムの一形態と みなす捉え方に通ずる。とすれば、欧米にみられるリージョナリズムとはどのようなもので、広域行政論とどん な異同点があるのかを明らかにする必要があろう。いずれにしろ、左様にいざ広域行政論の系譜をさぐり広域行 政の実態を分析しようとすると、そもそも広域行政とは何かという根本的問題にぷつかるのである。  そこで本稿では、まず第一に、これまでの広域行政概念の定義などを再検討し、次いで第二に、広域行政論と

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欧米のリージョナリズムとの異同について考察するが、 域行政の実態の分析諸点などを設定することにしたい。 ︵論︶研究の序論となるものである。 そうした中で日本の広域行政論の系譜への接近視角や広 その意味で、本稿は筆者が企図している日本の広域行政 ︵1︶ 拙著﹃戦後日本の地域政治 終焉から新たな始まりへ﹄敬文堂、一九九七年。 広域行政の概念定義など 一1一 広域行政は非学術用語か

東洋法学

 まず初めに、奇妙とも思える二点を指摘しよう。第一に、広域行政とは何かを最も手っとり早く認識するため、 筆者は広域行政に関連する諸分野の辞典・辞書を参照した。その結果については後述するが、この過程で奇異な 事態に遭遇した。それは、広域行政を研究対象にすると思われる行政学の辞典に、特にその権威といってよい ﹃行政学百科大辞典﹄︵ぎょうせい、一九七五年︶にそもそも広域行政の項目がないことである。このことは、少 なくとも広域行政が行政学の固有の研究対象とは認識されていないことを示唆する。そうであればこそ、行政学        パよ のいずれの講座本にも広域行政が独立の章節として設定されなかったといえる。 53

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広域行政とリージョナリズムの概念  奇妙と思える第二は、英和辞書に広域行政に相当する語句がみあたらないことである。そこで和英辞書を引い てみると、広域行政は営8鴨簿8&ヨ三斡轟叶一99国一巽鴨お讐9やぎ冨鴨象a&ヨ一巳ω嘗象一99㊤        ヱ 再o包R⋮津貰$あるいはぼ○豊R亡霧9且目巨ω霞象一9と表現されている。こうしてわが国では広域行政の 英訳は一般にぎ富鴨鉾&&目巨馨声貯一9とされているが、そうであれば英訳を背後にした広域行政概念には一 定の区域単位の行政を高次に統括ないし統合する意味が含まれているわけである。しかし、広域行政をお笹9巴 呂ヨ巨馨轟江9と英訳しているケースもみられる。特に跨①器8隆蔓9お職9巴銭ヨ一巳馨轟江9薯す冒叶        ニ ①陳9富oコ08飼o<o導目窪冨のように英訳された場合には、広域行政とは地方公共団体間の協同︵処理︶行政 という意味になってくる。つまり前者の旨5嬢讐8呂ヨ巨馨轟け凶9は広域行政体︵ないし政府︶を想定せしめ るが、後者のお笹9巴銭旨巳ω賃暮一9は行政︵処理︶方式を示すにすぎなくなることである。  このように広域行政に相当する英語句が見当らないことは、広域行政という用語がかなり特殊日本的なもので あることをうかがわせる。そして広域行政の英訳語も必ずしも定まっていないことは、広域行政の多義性ないし は認識上の相違を示唆する。そこでまず広域行政に関連する諸分野の辞典を参照し、その定義や認識・理解にお いて共通・相違する点などを揚挟し整理してみることにしょう。 54 一ー二 各種辞典にみる広域行政 (1) 法律学関係の辞典

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東洋法学

 戦後まもなくの辞典、例えば我妻栄・他編の﹃新法律学辞典﹄︵有斐閣、一九五二年︶には広域行政という項目        ハゑ がない。このことは、広域行政がすぐれて戦後の一定時期以降の用語であることを示唆する。時代が下った一九 七五年出版の行政法辞典では、広域行政化を惹起している要因を技術革新と都市化に、すなわち交通・通信手段 の飛躍的発展と人口・産業の急激な都市集中化によって生活圏と経済圏とが市町村・府県の行政区域を超えて拡 大していることに求め、それに対応しようとする合併や道州制などの市町村・府県の再編成、広域市町村圏構想 を含む自治体相互間の協力方式の充実強化などが広域行政問題︵11課題︶であるとする。とはいえ、かかる問題U 課題の具体的な説明は、特に戦後の府県の合併・連合や廃止から道州制に至る再編成・改革論に凝縮化されてい ハ レ る。このことは、広域行政問題が市町村レベルよりも府県レベルにかかわる課題と観念されてきたことを如実に 示す。  しかし、更に時代が下った最近の法学辞典には、広域行政観の時代的変化をみることができる。というのも、 同辞典は広域行政概念を市町村レベルにまで拡大することにより、高度に抽象的にコつの地方公共団体の区域 を越えた広域にわたる行政﹂と定義しているからである。そして、かかる意味での広域行政を課題化している要 因としては、社会経済活動の圏域拡大によって一つの自治体では対応しえない︵広域︶行政需要の発生とそれに 伴う︵各レベル︶自治体の行政能力の補充、行政の能率化、行政経費の節減などの要請をあげつつ、対応策には 二つがあるとする。一つは、協同処理方式といってよい﹁広域行政の手法﹂で、具体的には地方自治法上の機関 等の共同設置、事務委託、協議会や組合や地方開発事業団の設立、公的施設の区域外設置・共同利用、行政上の 55

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広域行政とリージョナリズムの概念 協定や地方行政連絡会議である。もう一つは、﹁広域的地方公共団体の形成﹂としての市町村・府県の合併や都       ハ レ 市連合︵H自治体連合︶、道州制などである。したがって、広域行政への対応策︵手法H手段︶には、大きく単 位自治体間の連携・協力と単位自治体そのものの再編という二方途があることに留意しておきたい。  ω 地方自治関係の辞典  前述したように﹃行政学百科大辞典﹄には広域行政の項目がないのであるが、これまで主として行政学の対象H 領域と観念されてきた地方自治に関する辞典には広域行政という項目が設定されている。ということは、広域行 政は地方行政1それと同義化されてきた地方自治ーレベル︵行政学にとってはマイナーな、しかも手法日 手段レベル︶の問題にすぎないと観念されてきたことを暗示する。換言すれば、行政学の主対象は国家の行政で あり、自治体の行政は国家行政の手法H手段的な副次的レベルにあると観念されてきたともいえよう。そうした 点に留意しつつ、ここでは一九八O年代に入って出版された地方自治関係の三冊の辞典を取り上げてみることに したい。  第一の辞典は、広域行政の背景目要因として一九五五年以降の工業化推進策などをあげつつ、対応策としては 国レベル︵経企庁の改組など︶、府県レベル︵府県合併・連合論や道州制論︶、市町村レベル︵町村合併促進法や       パヱ 一部事務組合などの事務の共同処理方式︶の三つに分ける。第二の辞典は、一九六〇年代の高度成長、地域総合 開発政策の展開が市町村・府県の区域を超えた広域行政の必要性を高めた要因としつつ、第一と同様に三レベル 56

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の対応策を指摘する。すなわち、国の出先機関の強化、大都市圏整備法の制定、地方行政連絡会議の設置の他、 明治以来変化していない府県区域を問題化する府県の合併・連合論や道州制論、それに市町村レベルでは合併や 広域市町村圏の推進である。両者とも戦後の高度成長・地域工業開発政策を広域行政化の背景H要因としながら も、後者は特に広域市町村圏構想の策定経過やそれを推進するための広域行政機構︵一部事務組合方式と協議会       パニ 方式︶へ広域行政の焦点があるとみなしていることに特色があるといえそうだ。  ところが、第三の辞典は次の諸点で前二書とかなり異なる。そもそも、①索引項目を広域行政ではなく広域行 政論とし、それを﹁社会経済の進展に伴い、現行の地方公共団体の区域を超えて、広域にわたり総合的一体的に 処理しなければならない行政需要が増大したとして、国・地方を通ずる制度の改正、行政運営の改善を説く議論﹂ と定義した。そして、②昭和二年の州庁設置案に戦前の広域行政論の繭芽をみ、以後の地方連絡協議会・地方行 政協議会・地方総監府は戦争目的の効率的遂行という見地から中央集権の強化を図る形での広域的な行政処理体 制の整備であったとみなす。次いで、③戦後は占領終了以後の府県制改革を中心とした広域行政論と一九六〇年 代の地域工業開発政策推進に伴う広域行政論の台頭とに時期区分しつつ、各時期の構想・提案や機構・手段など について例示する。さらに、④地域主義︵リージョナリズムVにふれ、それは地域の自主的な創造力を発揮する 地域づくりを目指して地方分権の推進を求めるだけでなく、新しい視点からの広域行政論ともいうべき意味を持っ      すレ ているとする。ここでは、広域行政とはまずもって制度レベルあるものではなく議論レベルのものと捉えて定義 し、その日本における戦前・戦後の時期区分や広域行政の構想・提案からそれを具体化するーそして制度化 57

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広域行政とリージョナリズムの概念 された1機関・手段、さらには地域主義︵リージョナリズム︶ とんど網羅されていることを指摘しておこう。 との関連など、以下で取り上げる緒論点がほ  ㈹ 政治学・社会学関係の辞典  近年の政治学辞典は、広域行政を﹁都道府県・市町村の事務・事業を、その固有の区域をこえて広域的に処理 すること﹂と定義づけ、かかる広域行政の必要要因としては国民経済の発展、交通・通信手段の発達、地域開発 の進展などをあげつつ、主な対応策としては地方自治法により制度化されている一部事務組合の他に非制度的な        パむ 事実上の協議会や行政協定をあげている。同様の定義をしつつ、広域行政は地方自治との関連で論じられなけれ ばならないという観点からと推察されるのだが、それをぼo区Rと霧&一8巴碧<①彗ヨΦ耳と英訳する例もみら  パヨ れる。また近年の社会学辞典は、前記の政治学辞典の機能的定義よりも実体性を強め、﹁既存の市町村あるいは 都道府県といった個別自治体の範囲を超える間題に対処するため、より広域の行政単位を設定して行われる行 政﹂と、広域行政体を予定する定義づけをする。そして、かかる広域行政の目的  換言すれば広域行政の要 因  として、①住民の生活圏の拡大や都市の連担化に伴って増加した広域的問題への対処、②単一の自治体 では負担しきれない高次の都市機能整備の受け皿づくり、③昼夜人口のズレにみられるような行政サービスの受 益者と費用負担者︵典型的には納税者︶との不一致の調整、④過疎の深化によって基盤の脆弱化した自治体の救 済、などをあげる。次いで対応策を市町村と都道府県レベルに分けつつ、主として制度化されているものを例示 58

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しながらも、     パリ 調している。 広域行政の推進にあたっては効率性だけでなく民主主義︵住民自治︶の観点が欠きえないことを強

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︵1︶ ︵2︶

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111098765

) ) ) )) ) ) ︵12︶  辻清明編﹃行政学講座﹄︵全五巻︶岩波書店、一九七五∼七六年、西尾勝・村松岐夫編﹃講座行政学﹄︵全六巻︶ 有斐閣、一九九四∼九五年。  研究社の﹃新和英大辞典﹄︵一九七四年版︶や﹃カレッジ・ライトハウス和英辞典﹄︵一九九六年版︶、J・オジ ミンスキー監訳﹃行政用語和英辞典﹄ぎょうせい、一九九五年を参照されたい。  成瀬宣孝監修﹃対訳・日本の地方自治﹄ぎょうせい、一九九七年、五八頁。  永良系二﹁いわゆる﹃広域行政﹄なる概念について﹂ω﹃龍谷法学﹄第四巻第二号、一九七一年、三五頁。ただ し、戦前に広域行政という言葉が全く無かったわけではない。というのも、鵜澤喜久雄﹃広域地方行政の常識﹄九 鬼書房、一九四四年、という著書もみられるからである。  加藤富子﹁広域行政﹂、杉村章三郎・山内一夫編﹃行政法辞典﹄ぎょうせい、一九七五年、二〇一∼二〇二頁。  杉村敏正・天野和夫編﹃新法学辞典﹄日本評論社、一九九一年、二八四∼二八五頁。  自治大学校編﹃三訂自治用語辞典﹄ぎょうせい、一九八八年、一二七−二八頁。  石原信雄編﹃地方自治百科大事典﹄︵第二巻︶ぎょうせい、一九八七年、二四七∼二五一頁。  丸山高満編﹃新版地方自治辞典﹄良書普及会、一九八六年、一八二∼一八三頁。  早瀬武﹁広域行政﹂、﹃新訂版現代政治学事典﹄ブレーン出版、一九九八年、二七三頁。  寄本勝美﹁広域行政﹂、阿部・内田・高柳編﹃現代政治学小事典﹄︵新版︶有斐閣、一九九九年、一二一頁。本稿 も後述する広域行政と地方自治との関連という視座ゆえに、広域行政には同書の和英句をあてることにした。  町村敬志﹁広域行政﹂、森岡・塩原・本間編﹃新社会学辞典﹄有斐閣、一九九三年、四〇八∼四〇九頁。 59

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60 広域行政とリージョナリズムの概念 二 広域行政論の諸論点  戦後、広域行政論議が最初の高揚をみせたのは、一九五七年に第四次地方制度調査会答申が府県の廃止による 地方庁創設案を打ち出した頃から一九六四年の︵第一次︶臨時行政調査会答申にかけての時期であったといって よいであろう。だから、当時、広域行政という用語は﹁最近の流行語﹂とされる一方、定義らしきものがない       パこ コ種のムード語﹂といってよいともされていた。また、第一次臨調答申も、広域行政論議は盛んだが、﹁広域行       パヱ 政とは何であるのか、その意義が確定されていないことからくる混乱がみられる状態にある﹂としていた。そう であるがゆえに、第一次臨調答申は広域行政の諸論点を整理している。そこで、本章では前述の辞書・辞典参照 作業にくわえ、第一次臨調答申や主としてこの時期の論議をもとに広域行政の諸論点を整理・検討し、本稿以降 のための視座設定などを行うことにしたい。  q D 広域行政の概念定義  戦後、広域行政という用語はシャウプ勧告を受けたいわゆる神戸勧告頃から用いられ始め、それは市町村の区 域を超えて処理しなければならない行政を意味し、その担い手は都道府県と考えられていた。だから、広域行政 とは一九五六年の地方自治法改正で規定された市町村を包括する広域的自治体としての都道府県の﹁広域にわた       パヱ る﹂事務を意味するという見解もみられた。ところが、高度成長への突入後、地域工業開発が国・地方の政策課

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題になるにつれ、広域行政とは府県の区域を超えた一定の圏域を単位に運営・処理することが必要とされる行政       ぎ まで意味するようになり始めた。それゆえ、﹁本来第一義的には区域の問題たるべき広域行政論が、府県制その        パを もののあり方との関連において展開されているところに、その重要性﹂”問題点があると批判されることになっ た。このように広域行政論が府県の区域論以上に府県のあり方論にまで拡大したことは、むしろそれを広域行政       パぜ 論としてではなくサブナショナル・レベルの制度構想問題をテーマとするリージョナリズム論として扱かった方 が混乱を回避しえたようにも思える。しかし、そうした区別はなされなかった。それゆえに、広域行政概念をめ ぐる混乱状況が生じたといえるが、ともかく一九六〇年前後頃から一般に広域行政とは市町村の区域のみならず 都道府県の区域を超える行政と観念されることになった。第一次臨調答申は行政需要概念を導入し、﹁現行の地       パヱ 方公共団体の区域を超え、しかも、総合的かつ一体的な処理を要する広域行政需要に対応する﹂行政と定義した が、より機能的に﹁広域行政とは、主として行政運営上の必要から、地方自治法の規定する都道府県または市町        なレ 村の行政単位の区域を超えた広域を単位とする行政をいう﹂とする定義もみられることになった。そして既述し たように、諸辞典のほとんども、微細な点はともかく、広域行政を市町村と都道府県の区域を超えて処理される 行政ないしその処理方法として定義することになった。  かくして、阿利莫二もこれまでの広域行政概念を大きく二つに、細かくは三つに分ける。第一は、現行地方公 共団体の区域を超えて処理される行政、あるいはその処理方法という広義の概念である。第二は狭義の概念で、       リまジョン その一つは、欧米のリージョナリズムと同じ意味あいで捉えられる開発行政の区域としての地方圏を単位とした 61

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広域行政とリージョナリズムの概念 行政方式であり、もう一つは、特に戦後、政府・財界が推進しようとしてきた道州制・地方庁案や府県合併論で あるとする。このように阿利はリージョナリズムと日本の道州制・地方庁案などを区別するだけでなく、広域行       すレ 政とは、﹁その行政内容そのものが本質的に広域的でなければならないという考え方﹂をとる。しかし、行政内 容の観点による広域行政の実体的な定義  それはきわめて困難なためと考えられるのだが  は皆無といっ てよい。それゆえ、本稿もひとまず前述のような機能的定義に従うことにする。ただ、地方団体の区域を超えて 処理が求められる行政は、処理方法論にとどまらず二次的に地方団体の再編論をも惹起するといえる。そこで後 者が特に府県の再編にかかわる場合、広域行政論は戦前にもみられたとしうる他、かかる広域行政論と欧米のリー ジョナリズムとの異同が問題になることを留意しておこう。 62  ω 広域行政︵論︶の背景・要因と意義・目的  広域行政をより機能的に定義したとしても、それではどのような背景・要因がかかる広域行政︵論︶を要請す るのか。既述の諸辞典は、国民経済の発展、交通・通信手段の発達、都市化の進行、地域総合開発政策の展開な どをあげていたが、改めて検討してみよう。  第四次地方制度調査会答申︵一九五七年︶は、経済・社会的な不均等発展にもかかわらず府県の区域が明治以 来変化していないことにくわえ、戦後に完全自治体化された府県の性格や機能は広域行政への要請の障害になっ      パ  ているとした。また田中二郎は、地域総合開発推進の観点から都道府県及び市町村の﹁制度上の制約   狭域

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      パき 性及び能力の格差  や運営上の欠陥1それぞれの伝統的割拠性等﹂が広域行政を推進するにあたっての障 害になっているとする。これらは、広域行政の特殊日本的な背景・要因を指摘しているといえる。しかし、大部 分の論者は、より一般的に背景や要因を論じている。  例えば鵜飼信成は、次の点で近代行政の区域の広域化が﹁あらゆる意味で自然﹂あるいは﹁必然的な要請﹂で あるとする。それは、徒歩・乗馬から鉄道・自動車へのごとき交通・通信手段の発達︵技術革新︶による行政手 段の高速化と行政対象の高移動化によって生ずる旧来の区域を超える行政需要は行政区域の拡大を必然的に要求 するとする。しかし、かかる自然的・機械的な要因に拠るだけではなく、﹁行政の本質に基づい﹂た次の二点か ら行政区域の一層の拡大が求められる。その第一は、行政における経済性の原則による。つまり、もし同じ性質 の行政が、同じ機構によってより広い、より多くの行政対象に対して行われるならば単位当りの経費が安くなる から、行政の単位区域は広域化することである。第二は、行政の技術的要求そのものが二つの意味で行政区域の 拡大を必要にすることである。その一つは、行政の統一性の要求である。つまり交通・通信手段の技術革新は交 通・通信圏を拡大するが、そこで行政の統一性の要求はそれが拡大した圏域すべてにわたることを求めることで ある。もう一つは、例えば高速道路や多目的ダムの建設のように行政そのものが技術的に大規模なものになると、        パど もはや小区域では無意味になってくることである。  広域行政需要という概念については以下でふれるとして、はたして鵜飼がいう﹁行政の本質﹂からして行政は 区域の拡大を求めるものであろうか。例えば、行政における経済性の原則は一義的に広域化を求めるものではな 63

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広域行政とリージョナリズムの概念 く、行政サービス︵事務・事業︶によって単位区域当りの経済性が異なるといえるので、経済性の原則はむしろ ある行政サービスをどのような区域の行政体に担わせたらよいかという最適区域にかかわる   その限りで既 存の行政体の区域は狭域的だという間題が生ずる  ものといえる。また、行政サービス︵事務・事業︶の技 術的な大規模化は、確かに区域の広域化を求めるといえるが、行政サービスの技術的な大規模化はそれを可能に する経済・技術的条件のもとにおける政策目標の実現にかかわって進行するといえるので、鵜飼が展開する﹁行 政の本質﹂からして行政が区域の広域化を求めるとする点は以下のように解すべきである。  ところで広域行政需要という術語は、広域行政の背景・要因を明確にするだけでなく、広域行政需要に基づく、 あるいはそれに対する行政が広域行政であるというような実体的定義を可能にしよう。蝋山政道は、高度成長に よる産業化と都市化の急速な進展、その技術的・施設的要因としての交通・運輸・通信手段の発達や産業上の技 術革新が、既存の行政区域を超える人口と産業の移動による社会構造の変動とそれに伴う外部経済の需要増大な どが広域行政需要を現出せしめているとする。それでは、広域行政需要とは何か。蝋山は、学問上正確な定義が なされていないが、さしあたり﹁中央・地方を通じて既存の行政区域または管轄区をそのままにして、また、そ の与えられている権限・機能をもってしては、到底その行政目的を達しえない、従ってより広域的な行政区域と それに適応する妥当な権限・機能によってのみ充足される新しい諸種の社会的、経済的または福祉的需要を意味      パリ する﹂とした。  概念定義が高度に抽象的になるのはやむをえないが、これでは広域行政需要概念の構成要素が何で、行政需要 64

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とはどのように異なるのかが積極的に明示されているといい難い。というのも、広域行政需要とは既存の行政区 域とそれに基づく行政体の権限・機能では行政目的を達成できない需要  換言すれば既存の行政需要以上の 新しい需要  だとしているにすぎないからである。しかし、そうだとしても、今日までその定義の充実がみ られないことからすれば1広域行政の定義にかかわる広域行政需要概念の貧弱性が広域行政の非術語性をも たらしている大きな理由といえるのだが1蝋山の定義を出発点にしなければならない。とすると、彼の定義 には二つの間題点“論点があるといえる。  第一に、蝋山の広域行政需要の概念定義は、それに基づく行政目的を達成するために既存とは異なる新たな行 政区域及び行政体の権限・機能を必須にしているといってよい。ということは、また広域行政需要は中央・地方 を通じた行政区域・団体・権限などの再編を必須化することになる。しかし、このことは、広域行政概念には既 存の行政体相互が協議・連携して広域需要に対応する手法・手段は含まないことを含意し始める。以上のことを もたらす第二点は、蝋山の定義が広域行政需要に基づく行政U広域行政という実体的な、しかしトートロジカル な定義になっていることである。言い換えれば、後に西尾勝が行政需要概念を政策過程の観点から検討し、概念        ハど 的に行政二iズと行政需要を区別するに至った点が十分に展開されていないことである。このことが、広域的な 行政二ーズから行政需要へと昇華する過程の中で選択しうる行政手法・手段を狭く限定する要因になっていると いえる。  以上の点で、蝋山は広域行政需要を媒介にしつつも広域行政概念の狭義の、実体的な定義に成功しているとは 65

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広域行政とリージョナリズムの概念 いえない。とはいえ、彼はある意味では行政二iズと行政需要の区別を行っていた。というのも、広域行政需要 は、近代以降の産業化と都市化、その進展度を左右してきた技術革新などによる経済圏と生活圏の広域化という 単に﹁自然発生的な発展現象﹂によるだけでなく、二〇世紀以降の、特に戦後の開発計画のような﹁政策的動因﹂ によっても促進されるとするからである。従ってまた、この観点から戦前にもー戦後とは背景や行政需要が       パお 異なれどー広域行政の展開をみることになる。そして、先の鵜飼の広域行政化の背景・要因も、﹁自然発生的 な発展現象﹂という行政二ーズ・レベルとそうした中での﹁政策的動因﹂に促された行政需要レベルを指摘する ものであったと再解釈した方がよいであろう。  こうした把握において注目されることは、鵜飼にしろ蝋山にしろ戦後日本の広域行政︵論︶の背景・要因とし ては﹁政策的動因﹂をむしろ強調し、第一次臨調答申に至ってはその動因レベルに広域行政そのものの﹁意義﹂ を見い出していることである。すなわち、戦後の高度成長政策のもとにおける地域工業開発ブームは、全体的に 均衡のとれた発展を計画的に配慮することを行政に強く求めることになったが、かかる行政は国レベルあるいは 自治体レベルのいずれか一方にのみかかわるものではない。そうではなく、﹁国家的要請と地方公共団体的要請﹂        おレ を結びつけ、その実現を図ることこそ広域行政の﹁意義﹂であるというのである。しかしながら、かかる広域行 政の﹁意義﹂n目的論は時代制約的である。というのは、広域行政︵論︶の展開の時期区分ともかかわるが、市 町村レベルの広域行政が課題化される時期に入ると、その目的は既述の社会学辞典が指摘するようなものになっ たといえるからである。 66

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 ⑥ 広域行政︵論︶の展開の時期区分  さしあたり市町村や都道府県の区域を超えて処理が求められる行政を広域行政と定義することからすれば、明 治期の市制・町村制の施行以来、既に広域行政の展開をみてきたことになるといえよう。というのは、一般に広        ど 域行政の手法ないし手段とされる組合や合併を以来みてきたからである。しかしながら、わが国の戦前における 広域行政︵論︶の鳴矢は、一般に第一次臨調答申が示しているように昭和二年の田中義一内閣・行政制度審議会 による﹁州庁設置に関する件﹂とみられている。本稿もこの一般的見解に従いたい。  ところで、第一次臨調答申は、戦前と戦後の広域行政︵論︶の展開をそれぞれ二区分している。第二次大戦前 は、前述の州庁設置案を起点にする第二次大﹁戦前﹂期と昭和一五∼二〇年にかけての地方連絡協議会、地方行 政協議会、地方総監府が展開された第二次大﹁戦中﹂期に区分される。そして、第二次大﹁戦後﹂期も二区分さ れているといえる。その最初は、占領期の制度などの見直しを主題にした政令諮問委員会の答申を受けつつ道州 制導入を基軸に府県制のあり様が広域行政論の焦点になった一九五〇年代であり、次は高度成長・地域工業開発 政策を推進する観点から府県の廃止、さらには連合・合併論︵地方制度調査会答申など︶や国と地方ー特に        パお 府県1の協力による広域行政論︵第一次臨調答申︶が展開された一九六〇年代中頃までの時期である。  この時期区分は、第二次大戦前から戦後にかけての広域行政︵論︶の展開を主として府県制のあり様ないしは 改革問題の特色などから区分している。実際、戦前から戦後にかけての広域行政論の展開基軸は、府県制のあり 67

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広域行政とリージョナリズムの概念 様・改革問題にあった。だから、妥当な時期区分といってよい。しかしながら、問題がないわけではない。第一 に、第一次臨調答申の広域行政論は町村合併促進法とその結果について全くふれていない。だから、戦後の合併 論とその実施を広域行政︵論︶の点でどう捉え位置づけるかが問題になる。それと関連して第二に、一九六〇年 代の中期以降になると府県レベルよりも市町村レベルでの広域行政︵論︶が主題化することになるのだが、第一 次臨調答申そのものは六〇年代前期に行われたものだとしても、市町村レベルの広域行政︵論︶をどう捉え、位 置づけるかについては限界があるといえる。  それでは、第一次臨調答申の区分を踏まえつつも、特に戦後の広域行政︵論︶の展開をどのように時期区分す べきか。定義上、都道府県レベルのみならず市町村レベルについても広域行政︵論︶をみるが、いずれにしろ戦 後の広域行政︵論︶の起発点はシャウプ勧告を受けた地方行政調査委員会議︵いわゆる神戸︶勧告にあったとい える。確かに、同勧告は中央地方の事務再配分の観点から市町村のみならず都道府県の規模の合理化を提言した もので、広域行政の必要性を唱えたものではなかった。しかしながら、自治体規模の合理化論は区域の広域化論       パお を誘引する。そもそも都道府県の規模の合理化論は、政府側が秘めていた道制・州制案を批判するものとして広 域行政論に関連していたし、市町村の規模の合理化論は後に事務再配分ぬきの町村合併論に転用されることになっ た。このような点から、いわゆる神戸勧告は広域行政︵論︶の戦後的な起発点であるとみなしうる。  さて、神戸勧告を起点にした戦後の広域行政︵論︶は、まず第一に、一九五〇年代、都道府県レベルでは道州 制と関連した府県制のあり様・改革問題として展開された。他方、市町村レベルでは合併論の急激な台頭から一 68

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九五三年の町村合併促進法による町村大合併に至った。合併は目的に対する手段として位置づけうる。だから、 合併はシャウプ・神戸勧告のように事務再配分の受け皿づくりという手段にもなれば広域行政の手段にもなりう る。もっとも、この時期の大合併は必ずしも広域行政の企図によるものではなかった。そうだとしても、広域行 政︵論︶の視角からこの時期の町村大合併はどのように捉えられるかが問われよう。次いで第二に、一九五〇年 代の末期から六〇年代の中期にかけ、広域行政︵論︶は地域工業開発を推進する観点から展開されることになっ た。都道府県レベルの合併・連合論などはまさに開発推進の手段として提起されたものであったし、また市町村 レベルにおける地方開発事業団の法制度化などもその一環であった。  しかしながら、第三に、一九六〇年代の後期以降、従来の広域行政︵論︶の主舞台となってきた都道府県レベ ルの論議が終息し、代って市町村レベルの広域行政︵論︶が主題化することになった。それは、工業化・都市化 によって生活圏が急速に拡大したためであった。一九六九年に始まった広域市町村圏の設定︵一九八O年にはい わき市を除き全国が三三六の広域市町村圏でカバーされることになった︶や、一九七一年に政府提案された市町 村連合法案は主題転換を如実に示すものであった。こうして、戦後の広域行政︵論︶は第三期に入った。だがま た、第四に、一九入○年代i特に第二次臨調の終了以降ーーになると、広域行政︵論︶は新しい様相を呈し 始めた。それは、工業化・都市化によってさらに拡大した市町村の規模・能力格差を是正する必要があるとして 合併推進論が強く主張され始めただけでなく、再び都道府県のあり様が論議されるようになったからである。い や、それだけでなく、分権改革論議は広域行政論を積極的に肯定しつつ、地方一層制化論や諸種の道州制導入論 69

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広域行政とリージョナリズムの概念 をも活発化させることになった。 といえよう。 かくして、この新たな状況を加え、戦後の広域行政︵論︶は四期に区分しうる  ㈲ 広域行政の方式と性格  第一次臨調答申は、広域行政の制度化には三方式があるとする。第一は、国の出先機関の合理化方式、第二は、        パ  合併や連合などの地方公共団体方式。第三は、国と地方が協力する地域総合開発計画方式である。成田頼明は、 この方式を改めて次のように規定し直した。第一は、広域行政を国の責任のもとにおいて国の広汎な関与または 監督のもとで実現しようとする官治的広域行政方式。第二は、地方自治体が中心になって地方自治の本旨に沿い つつ広域行政の要請に応えようとする自治的広域行政方式。第三は、関係自治体と国の出先機関との協力関係を       パむ 密接にして広域行政の推進を図ろうとする国・地方協力方式である。  両者とも地方とは主として府県を念頭にしている。そして第一次臨調答申は、高度成長突入後における国土の 均衡ある発展という国家的要請と地域住民の福祉向上、地域特性に応じた開発などの地方公共団体的要請を結合 するものこそ地域総合開発計画であるとするので、その実現には当然国・地方の協力方式が望まれるべきである とする。とすると、広域行政の三方式というよりも開発行政の三方式と言った方がよさそうである。にもかかわ らず、第一次臨調答申はこれまでほとんど議論・検討されてこなかった広域行政の特性を、国家的要請と地方的       パぞ 要請の結合という観点から現地性、総合性、計画性、協力性という四点提示する。しかし、広域行政のかかる特 70

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性化には疑問がある。その点を検討してみよう。  第一に、区域問題は社会・経済的な側面と行政的な側面をもちつつ、国民生活に密着した現地性をもつ。だか ら広域行政の区域間題は、現地性という性格を中心に社会経済的な問題と行政上の要請を結びつける役割を果た すものだという。しかし、この現地性という性格の意味は、いまひとつ不明確である。現行の自治体︵特に府県︶ の区域を超えた広域で発生した行政需要に対しては、現地で処理するのが最も適切であることはいうまでもない が、そこで現地にそれらを処理する責任があり、その責任を遂行しうる権限と能力が付与される必要があるとい うことを意味するものならば、次のことがいえよう。現地性とは、広域行政需要はできるだけ国民に身近かな現 地で完結的に対処されるべきだということを意味しつつ、それには権限と能力が必要ゆえ、広域的区域を単位と した行政体が要請されることを含意することになるかのようである。にもかかわらず、第一次臨調答申は、先の 広域行政の制度化について地方公共団体方式︵ないしは自治的広域行政方式︶が望ましい方式とはしなかった。       パゑ このことは、現地性という性格と齪齪するのではないか。  第二の総合性とは、例えば広域行政の対象とされる地域開発のための具体的施策1いわゆる産業基盤や都 市・生活基盤の建設・整備などーは、個別行政の立場からではなく、縦︵国・地方︶の関係と横︵地方間︶ の関連において総合調整され、一体的に遂行される必要があるということである。いわずもがなのことであろう。 とすれば、はたして総合性が広域行政の特性なのだろうか。田中二郎は、国の行政は省庁の縦割主義のために総 合性を欠く点や線の行政になり勝ちであるが、地方で地域開発に主体的役割をはたすべき現行の自治体側も制度 71

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広域行政とリージョナリズムの概念 上の制約︵狭域性及び能力の格差︶や運営上の欠陥︵伝統的な割拠性︶のため総合性が求められる広域行政に十 分対応しえないとみる。そして総合性を特性とする広域行政、すなわち広域総合行政には原理的及び行政技術的 観点からいってもいわゆる官治的方式よりも自治的方式が求められるが、それには現行の都道府県と市町村の規        パ  模の合理化、能力の向上が必要だとする。しかしながら、都道府県や市町村の区域の拡大は、確かに組織規模の 合理化を促すことになるかもしれないが、そのことは必ずしも縦割りを克服した総合行政を可能にするとはいえ ないであろう。  第三に、広域行政の対象とされる地域開発は、全国総合開発計画1このもとで道路、港湾、住宅、下水道 などの個別事業の全国計画と地方計画も策定されるべきーと有機的に結合しながら計画的に推進する必要が あるという意味で、広域行政の特性の一つは計画性であるという。しかしながら、地域開発が既存の自治体区域 内で展開されようと、またその区域を超えた広域単位で展開されようと、総合的かついわゆる上位計画との相互 調整のもとで計画的に推進することが求められることは当然といえる。というのは、そうすることによって行政 の能率性や社会・経済的効果を高めることになるからである。それゆえ、どのような規模や形態などの自治体が 設けられるべきかを規定する要素としては、むしろ社会・経済開発及びそれと表裏一体をなす行政効率があげら       パ  れるわけである。こうした点から、計画性を広域行政の特性とすることは適切であるといえない。  第四に、広域行政は現地性をその基本的な性格とし、総合性と計画性をもった地域開発を中核的機能とする以 上、地域総合開発計画の策定から実施に至るまで、各段階において国と自治体あるいは自治体相互の間で相協力 72

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する関係が築かれ、かつ制度化する必要があるという。かかる論脈における協力性は広域行政の手法・手段的な 特性としてよいであろう。そして、そこにおける広域行政の主体性は自治体︵特に府県︶もしくはその連合が適 合的であるといえるが、第一次臨調答申がそれだけでは国家的要請に即応しえないがゆえに国と自治体との協同 体制のもとに置かれるべきだとすることは、牽強付会といえよう。なぜなら、例えば自治体連合は国家的要請の 広域行政に主体的に応えられないとはいえないからである。  以上からすると、第一次臨調答申が展開する広域行政の性格論における現地性、総合性、計画性がはたして広 域行政を特性化する要素であるかについては、きわめて疑義があるといわなければならない。ここに広域行政の 独自性が不鮮明になるゆえんがあるといえる。だが、そもそも広域行政︵論︶とは、地方二層制をとるわが国に 独待な問題目課題を表現するものだとすれば、現地性、総合性、計画性はその問題“課題を克服すべき諸点とし て措定されたともみれる。それはともかく、そうすると広域行政の一般的な特性として残るのはせいぜい協力性 ということになろう。とはいえ、その協力性も広域行政そのものを独自化する特性というより広域行政の手法・ 手段の一類型といってよいのである。

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 ㈲ 広域行政の手法・手段  広域行政を遂行するための手法・手段は様々あるが、大きく三つの類型に分けることができよう。第一類型は、       パ  わが国できわめて濫用されてきたとされる区域拡大、合併   これに権限拡大や国・府県の出先機関の統合な 73

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広域行政とリージョナリズムの概念 ども加えてよいであろうーという手法・手段である。第二類型は、既存の行政体とは別個の包括的な行政体 や単一機能的な行政体、さらには公社、公団などのような特定事業体や組合、連合のような特定行政体を新たに 創設する方法・手段である。第三類型は、既存の行政体間の協議や協同という手法・手段だが、その例としては 地方自治法上の協議会制、機関等の共同設置、事務委託などをあげることができよう。  本稿後には、これら三類型の手法・手段をさらに縦・横軸で整理することにしたい。縦軸とは、二層の地方制 度を前提にした上での手法・手段の次元ないし位置である。すなわち、それが基本的に国レベルのものか、それ とも都道府県あるいは市町村を基礎にしつつもそれらの区域を超える処理方法・手段であるかである。横軸とは、 三類型化される手法・手段の性質である。すなわち、公式に法制度化されたものか、それとも法制度化はされて はいないが事実的に手法・手段として機能しているものか、はたまた構想・提言に終ったものかである。  要するに、広域行政︵論︶の三類型  それに該当する具体的な手法・手段  を縦軸と横軸のマトリック ス図に、しかも前述した広域行政︵論︶の戦前・戦後の時期区分別にプロットする。そうすれば、広域行政の手 法・手段の消長が一覧しうるだけでなく、一定の時期にある手法・手段が特徴的であるとすれば、その時代状況 的な背景とかかる手法・手段の企図、すなわち政治・行政的な目的・目標が何であったかを解く指針ともなると 考える。そうした点を続稿で明らかにすることにしたい。 74 ︵1︶ 宮沢弘﹁機能の地域分担 広域行政の原理﹂、田中二郎編﹃広域行政論﹄有斐閣、一九六三年、四七頁。

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︵2︶

43

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))

10987

))))

131211

171615 14 )  )  )  )  あわせ、天川晃﹁変革の構想ー道州制論の文脈﹂、大森彌・佐藤誠三郎編﹃日本の地方政府﹄東京大学出版会、  阿利莫二﹁広域行政と地方自治﹂﹃月刊自治研﹄第一五巻第六・七号、一九七三年六月、九頁。  川西誠﹃広域行政の研究﹄評論社、一九六六年、五頁、傍点筆者。  第一次臨調答申、二〇五頁。 文堂、一九九九年を参照されたい。  かかる取り扱い方としては、さしあたり島袋純﹃リージョナリズムの国際比較i西欧と日本の事例研究﹄敬  佐藤、同前論文、同前誌、五五頁。 〇巻第七号、一九六四年七月、二六頁。 究﹄第四〇巻第五号、一九六四年五月、五五頁、成田頼明﹁広域行政の諸方式とその再検討①﹂﹃自治研究﹄第四  吉富重夫﹃続地方自治﹄勤草書房、一九六五年、八O∼八二頁、佐藤竺﹁広域行政と府県制のあり方﹂﹃自治研  原竜之助﹁広域行政と地方自治﹂、田中編、前掲書、三一頁。 略し、同誌の頁数を示す。  ︵第一次︶臨時行政調査会答申、﹃自治研究﹄第四〇巻、臨時増刊第一一号、一九九頁。以下、第一次臨調答申と 一九八六年、一一二∼一一三頁も参照。  田中二郎﹁広域行政への途﹂、同編、前掲書、八頁。  鵜飼信成﹁広域行政と地方自治﹂、田中編、前掲書、二三∼二五頁。  蝋山政道﹁広域行政における中央・地方の機構改革﹂﹃自治研究﹄第四〇巻第六号、一九六四年六月、四頁、同 ﹃行政学研究論文集﹄勤草書房、一九六五年、一四九ー一五〇頁。  西尾勝﹃行政学の基礎概念﹄東京大学出版会、一九九〇年、第四章。  蝋山、前掲論文、前掲誌、四∼五頁、同、前掲書、一五〇頁。  第一次臨調答申、二〇五∼二〇七頁。  無著名﹁地方自治法における﹃地方公共団体の組合﹄にかんする諸規定の変遷﹂﹃月刊自治研﹄第一五巻第六・ 七号を参照されたい。 75

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広域行政とリージョナリズムの概念 ︵18︶ 第一次臨調答申、一九九∼二〇一頁。 ︵19︶ 吉富重夫﹁道州制について﹂、日本行政学会編﹃地方自治の区域﹄勤草書房、一九五七年、八八∼九一頁を参照   されたい。 ︵20︶第一次臨調答申、二一二ー二一七頁。 ︵21︶ 成田、前掲論文、前掲誌、二六頁。 ︵22︶第一次臨調答申、二〇九i二二頁。 ︵23︶ 丸山高満﹁﹃地方庁﹄構想と地方自治﹂﹃自治研究﹄第三九巻第五号、一九六三年五月、二一三∼一二四頁をあわ   せ参照されたい。 ︵24︶ 田中、前掲論文、同編、前掲書、一六∼一八頁。 ︵25︶山本壮一郎・能勢﹁広域行政の理論と実際の比較﹂﹃自治研究﹄第四五巻、第四号、一九六九年四月、一〇三∼   一〇五頁。 ︵26︶ 阿利、前掲論文、前掲誌、一二頁。 76 三 リージョナリズムと広域行政︵論︶  三−一 リージョナリズムの背景と概念  本章は、日本の広域行政︵論︶と欧米諸国のリージョナリズムとの異同などについて瞥見してみようとするも のである。そのためには、リージョナリズムとは何かを分明化しなければならない。ところが、その背景や歴史 は各国ごとにかなり相違し、かつ概念も一義的ではない。その意味で、リージョナリズムはそれ自体独自のテi

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マとして考察されるべきものともいえる。しかし、それは別の機会に譲り、本章ではあくまで日本の広域行政 ︵論︶の探究に必要な限りにおいてという観点から、リージョナリズムの背景や歴史、概念について瞥見するに とどめる。       コンセプトムヌプメント  ところで、リージョナリズムという理念と運動の発生地は、いうまでもなくフランスである。だから、政治的 統一体と行政的中央集権の故国たるフランスはまたリージョナリズムの故国であり、そしてフランスのリージョ       パラディグム       パ レ ナリストの運動は他国のリージョナリストの運動の範例になるともされるわけである。そうしたことから、戦前       パ ロ の日本でも府県制度改革論との関連でフランスのリージョナリズムが紹介されたといえるが、また一般にフラン スを範例にイギリス、アメリカ、ドイツ、イタリア、スペインなどのリージョナリズムの特色などが論じられて きた。しかし、本稿の目的からすれば、それら諸国のリージョナリズムすべてにふれる必要性はない。そもそも わが国の広域行政︵論︶は地方自治︵行政︶論の中で論じられてきたが、その場合、地方自治は比較論的にアン グロ・サクソン系とヨーロッパ大陸系に類型化されてきた。それゆえ、地方自治のかかる二類化に従ってイギリ スとフランスのリージョナリズムを瞥見すれば、日本の広域行政を探究するのに必要な限りでリージョナリズム を考察してみるという本稿の目的は達せられよう。  さて、フランスでリージョナリズムという言語を初めて使用したのは、 一八七四年、プロヴァンスの詩人 困〇二8も騨霧ωδであるという。その背後には、前世紀以来の首都パリヘの文化的収敏化に対する抵抗、裏返す とプロヴァンス語の保存・再生運動があった。この運動の唱導者達は文学結社閃皿Φ夏蒔Φを結成するが、それは 77

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広域行政とリージョナリズムの概念 一九世紀末にかけて政治化し、コンミューンの自由や県という監獄からの地方人の精神の解放を主張−自治 主義や連邦主義を自称  するに至った。と同時に、同様の運動がフランスの他地域にも発生し、一八九八年、 O・いOO窪oはブルターニュ・リージョナリスト連合︵d三9国び讐9巴醇①閃お8目Φ︶を結成した。そしてさら に、リージョンを創設する地方制度改革論が形成され、一九〇〇年には過度の集権化に反対するあらゆる社会・ 政治的潮流が、連邦制化を唱えるO面εづを代表にフランス・リージョナリスト連盟︵訳泳轟賦窪即ひ咀9巴凶ω8 写き傷巴器︶を結成した。だが、その後リージョナリズムの問題は経済的分野へ移動し、かつ論争から現実化 のレベルに移った。第一次世界大戦を契機に政府が経済的単位として県を超えるリージョンを設定したことは、 リージョナリズムの理念の勝利を示すものであったとされる。しかしながら、第二次大戦後、フランスのリージョ       パゑ ナリズム潮流は政治的に分散化することになったとみられている。  こうした歴史をもつフランスのリージョナリズムは、一般に緩やかな連邦主義と行政的分権の中間に位置する とされてきたが、戦後日本でリージョナリズムを紹介し、かつその導入を唱導した吉富重夫は、改めてフランス のリージョナリズムには三つの意味があるとした。第一は、連邦主義的なものとしてのリージョナリズムである。        オでトノミズム       セパラティズム それはプロヴァンスやブルターニュなどの広域自治︵U自決主義︶を意昧し、かつ分離主義と同義語的に理解さ れているため国家的統一を危殆ならしめる理念として受けとられている。第二の行政的分権としてのリージョナ リズムは、パリヘの過度の権限集中に対するアンチ・テーゼを意味する。すなわち、フランス革命によって築か れた近代フランス国家はパリ・中央政府に行政権限を集中化する一方、地方政府を中央の後見的監督下に置いて 78

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きた。だから行政的分権としてのリージョナリズムとは、中央政府の行政権限を地方へ分与することを意味する。 しかし第三に、リージョナリズムは行政的分権にとどまりえない。というのは、経済的・社会的分野での地方分 散がなければ民主的自治政府の樹立は不可能だからである。一九四三年、フランス学士院はリージョナリズムを 規定し、国民的統一を純一に保持しつつリージョンの自治を特に発展せしめ、かつリージョンの風俗・習慣・歴 史的伝統を保存せしめんとする傾向であるとした。だから、かかる意味でのリージョナリズムは風俗などの伝統 保持という文化的理念以上に、適切なる地域生活を可能にする自治的な地域︵目広域︶団体の創設を目標とする        パゑ 政治原理でもあるとされる。  他方、イギリスも近代国家形成以降、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの固有言語の復活から分離・ 独立の思想や運動を抱えてきた。それをリ:ジョナリズムとして捉え返すならば、その根源は大陸フランスと異 なるものではないといえる。しかし、フランスとの相違点として次の二点が指摘される。第一は、イギリスはフ ランス︵あるいはスペインなど︶のような深刻な文化的亀裂や対立に至らなかったことである。第二に、フラン  デパルトマン      カウンティ スの県は伝統︵封建︶勢力を打破するために人為的に設定されたものであるが、イギリスの県は基本的に伝統的 な区域を変えずに継受してきたことである。そして、フランスでは一九世紀後期に入るとリージョンを創設する 地方制度改革論が形成されるが、イギリスの場合は平和的・漸進的社会主義を理念とするフェビアン協会が一九 〇五年に始めた﹁新しい王国﹂︵ZΦ≦国8鼠容ξ︶運動がリージョナリズムの観点による地方制度改革論の始     パニ      リ ジョナル プランニング 発となった。その後、急激な工業化・都市化は中心・都市が周辺・農村をも包摂する形で地域計画を策定すべき 79

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広域行政とリージョナリズムの概念 という考え方を生み出すが、かかる地域計画論はリージョナリズムと重層化することにもなった。  ところで、辻清明は、フェビアン協会案以後のイギリス・リージョナリズムの展開過程を検討するにあたり、 リージョナリズム概念を三種類に区別した。第一は、国際的リージョナリズムと名付けられるもので、リ:ジョ ンの観念を国内の広域から段階的に限定された国際関係に適用する場合である。まさにヨーロッパ経済共同体 ︵EEC︶からヨーロッパ共同体︵EC︶への流れは、かかる国際的リージョナリズムと捉えられよう。第二は、 国家連合︵連邦主義︶と単一の統一国家との中間的政治形態を志向ー例えばスコットランドやウェールズに 自治と独自の議会を認知  する政治的︵憲政的︶リージョナリズムである。第三は、リージョナリズム概念 の中に憲政的な意味の自治を含めず、専ら従来の地方自治制度体系が時代の発展に対して適応性を失いつつある という認識に基づいて新しい地方分権の体系を志向する行政的なリージョナリズムである。もっとも、かかる行        リでジョン 政的リージョナリズムは広域の規模と機能のいずれを重視するかによって相対的に区別される一方、重点が規模・       リでジョン 機能のいずれにあれど広域に議会の設置を認める場合には政治的リージョナリズムと行政的リージョナリズムの        パぜ 中間形態H代議的リージョナリズムといいうるとする。  かかる三種の区別のもとで、さらに辻は、国家内の主として行政的リージョナリズムに焦点を当てながら、二 〇世紀に入るとイギリスでも行政的リ:ジョナリズムが現出することになった要因として社会的条件の変化と地 方自治制度体系の固定性をあげる。社会的条件の変化とは、テクノロジーの発展が失業人口の地域的偏在化や都 市への人口集中をもたらすことにより、広域の経済計画のみならず生活環境整備計画の必要性を招来させたこと 80

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である。地方自治制度体系の固定性とは、第一に、地方自治団体の規模と機能との不均衡、第二に、多様な地方 団体の存在、第三には、長期にわたる県と特別市との確執、第四には、第二次大戦後の急速な中央集権化に対す る分権化要求などにみられ、要するに既存の制度体系が前者の社会的条件の変化への適応性を欠如するに至って          パヱ いるということである。とすれば、二〇世紀以降の現代社会化ー高度な工業化と都市化1は必然的に前世 紀的な地方自治制度体系の新状況に対する不適応性を露わにし、少なくとも新たな地方分権の体系化−一定 の基礎的自治団体のもとにおける新しい統合的な広域的自治団体を創設するような再編成ーを要請するとい う意味での行政的リージョナリズムをもたらすことになるという道筋になることに留意しておきたい。  フランスとイギリスのリージョナリズムに関する以上のような散見からすると、近代国家の形成過程の相違に よるリージョナリズム思想と運動の背景的相違がみられるものの、少なくとも現代的なリージョナリズム概念に 関しては両者の類縁性も認められる。すなわち、フランスの緩やかな連邦主義としてのリージョナリズムと行政 的分権としてのリージョナリズム、広域的な自治政治原理としてのリージョナリズムは、それぞれイギリスの政 治的︵憲政的︶リージョナリズムと行政的リージョナリズム、それらの中間形態としての代議的リージョナリズ ムに相応するといってよい。とすれば、リージョナリズムと日本の広域行政とのかかわりという問いに対する解 答は、以上のようなリージョナリズムの歴史的考察から導出されたリージョナリズム概念の種別によって異なる ことになることになろう。  ところで、以上のような歴史的考察をもとにしたリージョナリズム概念の広狭的ないし形態的な区別に対して、 81

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広域行政とリージョナリズムの概念 リージョナリズム構想を制度的に具体化する方途からリージョナリズムを類別化する試みもみられうる。例えば 吉富は、国家行政機構的なものか自治行政機構的なものか、包括的な行政権限を有する機関か個別の特定的な行 政権限を有する機関にするか、全国画一的な機関か地域特性に配慮した特別地域のみの機関にするか、はたまた 単に意思決定機関とするかそれとも諮問機関たるか否かを問わずに合議制機関を設置するか、などによってリー        パニ      すレ ジョナリズムを類別化する。しかし、アメリカのリージョナリズムに対するイギリスのリージョナリズムの本性 ー専ら地方団体の区域問題とみなすーからリージョナリズムの特性を一般化する長浜政寿からすれば、吉 富のかかる類別化はリージョナリズム概念を逸脱するものになる。というのも、長浜によれば、リージョナリズ ムの特性は次の三点にあるとするからである。  第一に、リージョナリズムは地方自治のための技術的工夫であり、決して地方自治と切り離された国家行政組 織の地方分散ではないことである。イギリスのリ:ジョナリズムが常に公選議会の設置を必要とすることに固執 するのもかかる理由によるというわけである。第二に、地方自治における特別行政区域制度とは原則的に対立す ることである。つまり、リージョナリズムは一定の広域的な機関を設定し、できうる限り地方行政事務のすべて をそれに処理させようとする方式だから、たとえ特別行政区域制を設けたとしても、それはせいぜい補充的なも のでしかないことである。第三に、リージョナリズムは地方自治制度の単層制化を図ろうとするものではないこ とだ。というのは、何らかのリージョン機関が設定されたとしても、そこに地方自治の原則を貫徹しようとする 限り、必然的にその下にある種の二次的な地方自治団体とその区域を想定しなければならないからである。かく 82

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して長浜によれば、制度︿構想としてのリージョナリズム﹀とは、一般に﹁現代の計画的行政活動の必要をある       ママ 程度満足せしめるところの。そして今日の変化してしまった社会経済的事情とに適応した・広域的区域を前提と しながら、特別行政区域制度の複雑性を避け、単層制構造の機械的適用による区域の狭小な分断を除去しようと       パ  する⋮⋮区域問題の解決の方式としては最もすぐれているといってもよい﹂とする。  長浜は、リージョナリズムをあくまで地方自治論の中に位置づけながらも、リージョナリズム概念が有する歴 史的な背景などを捨象する。だから、既述したフランスとイギリスのリージョナリズム論にみられた連邦主義的 要素とか分権化の要素は影をひそめ、リージョナリズムは専ら現代の地方自治のための技術的工夫、すなわち二 〇世紀以降あるいは第二次大戦後の社会経済的事情の変化と計画的行政活動が求める区域問題解決の一方式とな る。そうすると、リージョナリズムはいわば現代の地方自治における単に広域行政の手法・手段の一つにすぎな いかのようになる。しかしながら、リージョナリズムは区域間題解決の技術的方式あるいは広域行政の手法・手 段以上のものといわねばならない。というのは、長浜においてリージョナリズムとは、特別行政区の創設や自治 団体間の協力方式などとは異なり、より広域的区域を基礎に一般的機能をはたす自治団体の創設、ないしはかか る自治団体の創設を図るための自治制度再編成の方式であるからだ。とすると、かかる方式は前者の方式と異な り、基礎的な自治団体との関係のみならず中央政府の関係いかん  集権化あるいは分権化を図るものなのか などーという間題を姐上化するであろう。この文脈において、リージョナリズム概念から、その歴史的背景 からして有する連邦主義的要素や分権化の要素を捨象することはできないように思える。 83

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84 広域行政とリージョナリズムの概念 三ーニ リージョナリズムと日本の広域行政︵論︶  わが国にも独特な地域主義︵リージョナリズム︶論がみられる。それは、高度成長の終焉後、一九七〇年代の 後期に入り主として経済学者によって唱導されたもので、近代化主義批判の視座から高度成長政策を批判する一 方、伝統的地場産業の再発見やエコロジーを重視した内発型地域開発の必要性、新たな地域共同体の復権、地域       ヨ 主権などを主張するものである。そうした地域主義︵リージョナリズム︶思潮は、また﹁明治以来の中央集権主 義、全国画一的な考え方と諸施策への批判と反省にたち、たんに行財政制度での地方分権を進めるだけでなく、 地域の経済、行政、文化における自主性、自律性を高め、住民の参画を踏まえた地域的発想により国政を先導す       パお ることを狙いとする。新しい視点からの広域行政論ともいうべき意味をもつ﹂ともされる。ここにいう地域主義 ︵リージョナリズム︶思潮に基づく新たな広域行政論なるものは必ずしも明確ではないのだが、それは府県とい うよりは基礎的自治体レベルにかかわるもののように推察される。その限りで、ここにいう地域主義U新たな広 域行政論は後のー前述した戦後広域行政︵論︶の四期にみられることになった1日本青年会議所による廃       パお 県置藩論や第三次行政改革推進審議会が当初に模索した新たな︵広域的︶基礎自治体の創成論のような制度構想 と親和的といえよう。  ところで、前述したフランスやイギリスのリージョナリズムは、市町村のような基礎的自治団体のあり様にか かわるものではなかった。従って、リージョナリズムと日本の広域行政︵論︶とのかかわりという場合、市町村

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