2 2009 年 9 月の政権交代以降、「地域主権」という言葉が「地方分権」に置き換わり、2009 年11 月 17 日、内閣府に総理大臣を議長とする地域主権戦略会議が設けられた。以来、こ の会議自体が何を議論しているのか詳らかではないが、現政権が地域を重視していること は確かである。 地方分権とは、中央(霞が関)に集中していた権限の一部を地方自治体に委譲すること を意味し、中央集権の対義語である。と同時に、中央と地方のあいだに、言葉の意味合い からしても、確固たる上下関係が存在しており、仮に地方分権されても、地方自治体の自 主性には陰に陽に限りがあり、何ごとを決めるに当たっても実施するに当たっても、知事 は中央官庁の顔色を窺いながら、ことを進めなければなるまい。一般に、先進諸国の中で、 日本ほど権限が中央政府に集中している国は、他に類例を見ない。 大学を例にとれば、アメリカの各州に州立大学が少なくとも一つあるけれども、国立大 学は一つもない。初等中等教育は市の仕事、高等教育は州の仕事とされており、合衆国政 府は教育にはいっさい関与しない。ただし、科学・学術研究費は、国家科学財団(National Science Foundation)をはじめ、合衆国政府の機関により支給される。案外知られていな いことだが、日本の公立(都道府県立、市立)大学法人の運営費交付金は、総務省から支 給されている。更に言えば、私立大学・高校にせよ、総額 4,500 億円にものぼる私学助成 金を国から受け取っている。日本国憲法89 条の後段には「公の支配に属しない慈善、教育 若しくは博愛の事業に対し、これ(公金その他の公の財産)を支出し、又はその利用に供 してはならない」とある。私立大学(高校)が「公の支配に属する」と解釈しない限り、私 学助成金の給付は憲法違反だということになる。私立大学の設置、学部・学科の新増設に 関して、国の設置審議会の許諾が必要だという点からすれば、「公の支配に属する」との解 釈にも一理はある。 さて、地域とは「区切られた土地」または「土地の区域」という意味である。ここで言 うところの地域とは、基礎的自治体である市町村または都道府県を意味すると見てよいだ ろう。あるいは先を見越して、道州制の導入などを視野に入れれば、地域は大幅に広域化 される。ともあれ、「地域に主権あり」だとするならば、国の役割は、国防、外交、国税の 徴収、国家財政の予算・決算、国レベルの環境行政ぐらいに留まるであろう。地域主権の もとでは、個人・法人所得税に占める国税の比率は下がることになる。ただし、地域間の 経済格差が大きい現状からすれば、野放図な地域主権の推進は、地域間格差を拡大させる に違いあるまい。
2-1.地域連携センターによせて
滋賀大学 学長 佐和 隆光3 とくに初等中等教育における地域間格差の小さなことが、戦後復興、高度成長、オイル ショック克服の原動力として働いたことからすれば、地域間の経済力格差は教育格差を生 み、過去に培った日本の良さを失う羽目に陥りかねない。小泉政権下、義務教育の国庫負 担(教員の人件費の半額を国が負担する)を廃止し、その補てんのために税源を地方自治 体に委譲するとの方針が内閣府から提示されたのだが、結果的には、中教審の審議を経て、 国庫負担の軽減(1/2 から 1/3 へ)ということでけりがついた。全国どこにいても、子ども たちに均質な義務教育が施されるということが、日本の活力の源泉であることを、言い換 えれば、地域間の教育格差が拡大すれば、国際社会における日本の地位低下は避けられな いことを、ここに声を大にして強調しておきたい。 数年前から、中国では「和諧社会」という言葉が大流行している。和諧社会とは調和社 会を意味する。改革開放以降の中国では、沿海部と内陸部、工業と農業、都市と農村のあ いだの格差拡大、環境汚染などの「不調和」が生み出された。これらの不調和を解消する こと、すなわち和諧社会の構築が喫緊の課題であると、2006 年 10 月 12 日、第 16 期中央 委員会第 6 回全体会議で胡錦涛総書記が唱えたことが、和諧社会という言葉の流行の始ま りである。 私が初めて和諧社会という言葉を目にしたとき、日本は和諧社会のモデルであると思っ た。狭い国土とはいえ、日本では、鉄道、電話、送配電、郵便、道路などのネットワーク が、古くから全国津津浦浦に張り巡らされ、また、少なくとも私の経験から推す限り、見 るからに貧しい村や町はこの国に存在しない。要するに、胡錦涛総書記が憂慮する「不調和」 は、この国では最低限に抑え込まれている。 なぜそうなのか。上記ネットワーク産業のことごとくが国営事業として推進され、地方 自治体に国が補助金や交付金を与え、公共施設の整備に努めてきたからである。つまり、 地域間の経済格差を是正する役割を政府が担ってきたからである。もちろん、政治家の地 元への利益誘導、バラマキなどの悪しき側面を見落としてはなるまいが、意図してのこと か意図せずしてのことか、日本の政府は稀に見る和諧(調和)社会を築き上げたのは、紛 れもない事実である。