平成
30(2018)年度 新潟大学人文学部 心理・人間学プログラム
人間学分野 卒業論文概要
トルコ共和国における世俗と宗教 村田優奈 ... 2 現代における東南アジアのムスリム女性 大兼美菜子 ... 3 現代におけるユダヤ教超正統派 三澤佳奈 ... 4 現代日本語におけるヲ格を取る自動詞の再分類 須貝早莉 ... 5 現代日本語の複合動詞「すぎる」と複合形容動詞「すぎだ」の研究 髙橋菜生子 ... 6 近代道徳哲学における感情とエゴイズムの関係 草苅優太 ... 8 ニーチェにおける永遠回帰と力への意志 富永文芽 ... 9 名詞+動詞(連用形)タイプ複合名詞の格解釈 住吉竜一 ... 10 コジモ・デ・メディチのパトロネージ思想 小林修 ... 11 現代日本語におけるオノマトペ標識の特徴 池田藍子 ... 12 ハイデガー『存在と時間』における「死をまえにしての不安」 前田ひかり ... 13 ロボイド思想変遷への瞥見 田沢彩梨花 ... 14 レーウェンフックのanimacula 概念検討 ~王立協会紀要論文を中心に~ 阿部駿一 ... 15 フーコーの「考古学」におけるポジティヴィテの概念 金田康寛 ... 16トルコ共和国における世俗と宗教
村田優奈
トルコ共和国という国は 9 割以上の国民がイスラム教徒であるものの、世俗化政策によって公的 な場での宗教的行為は否定的な見方をされている。しかしイスラム復興の流れが生まれる中で、建 国当初より国是とされてきた世俗主義にも変化があらわれてきた。本論文ではトルコ共和国におけ る政教分離政策と世俗化、イスラム復興の趨勢を辿り、世俗と宗教の関係について考察する。 第一章ではトルコ共和国の前身たるオスマン帝国の近代化と世俗化について概観する。19 世紀初 頭、帝国はその衰退を止めるために西洋の近代化がもたらした技術や制度の利用を試みた。これは 近代化を果たした西洋を後追いして帝国が世俗化するものではなく、寧ろイスラム法学者の最高職 を政策決定に関わらせており、イスラム教と政治の結びつきは強まっていた。オスマン帝国が近代 化しても世俗化しなかったのは、イスラム教社会は非イスラム教社会よりも優位にあるというオス マン帝国の自負とイスラム教への絶大な信頼があったからである。しかし19 世紀後半になるとイス ラム教と相容れない思想や知識が普及し、ついにはイスラム教が迷信に冒されていると指摘する者 が現れた。 第二章ではトルコ共和国での世俗化政策について考察する。ケマルはオスマン帝国の衰退の要因 をイスラム教に依拠した政治にあると考え、イスラム教を後進的・非文明的なものと見なした。彼 はフランスのライシテをもとにした「ライクリッキ」と呼ばれる世俗主義政策を展開し、トルコ共 和国の西洋化を図る。トルコ共和国民のアイデンティティーとして考えられたのはトルコ民族であ ることだった。しかしそのアイデンティティーからイスラム教を引き剥がすことは困難で、宗教が 私事的な域を超えないように監視する組織として宗務庁が設立された。フランスのライシテが政治 的共同体と宗教的共同体を区別するのに対し、トルコのライクリッキは政治的組織が宗教活動を管 理するものであった。 第三章ではイスラム復興について述べる。第二次大戦以降、イスラム教をトルコ民族の伝統文化 として受け入れ、宗教的自由を保障することこそが真の世俗主義であると考えられ、イスラム復興 の機運が訪れた。エルドアン首相(現大統領)は2013 年、民主化の名目の下 90 年近く禁止されて いた女性ムスリムのベールの着用を容認・解禁し、公的領域からのイスラム追放は終わりを迎えた のである。またフェトフッラー・ギュレンとその協力者たちはイスラム教の理念・道徳に従った慈 善活動や教育を行っており、宗教教育と近代的科学教育の融合を構想していた。 かつてトルコは「西洋コンプレックス」を抱きながらイスラム教を切り離せないことに苦心して いた。しかし現在はイスラム教を国民のアイデンティティーとして受け入れ、いかにイスラム的道 徳・価値観を活かして西洋の技術・体制を活用できるかを模索している。トルコ独自の世俗主義を 進める過程で、もはや西洋の模倣に終始する時代は終わったのだ。現代における東南アジアのムスリム女性
大兼美菜子
イスラーム教の世界人口は、現在16 億人を超すと言われている。神のもとでの人間の平等を説く イスラーム教だが、女性隔離といった男女平等とは言い難い事柄も見受けられる。このような事態 はなぜ起きてしまうのだろうか。また東南アジア出身の女子学生とともに学ぶなかで、東南アジア のムスリムに興味を持ったこと、そして東南アジアに焦点を置いた先行研究が少ないことから、東 南アジアのムスリム女性について考察することとした。まず第1章では、聖典から読み取れる男女 の立場の位置づけを示し、初期イスラーム時代のムスリム女性について明らかにする。第2章では、 中東で端を発したイスラーム教が海を渡り、東南アジアでどのように受容され、土着の文化とどの ように融合したのかを考察する。さらに、ムスリム女性たちは男女間の様々な違いに対してどのよ うな考えをもっているのかを文献から探る。第3章では、東南アジア出身のムスリム女性へのイン タビューを行ない、文献から得た知見との相違や、東南アジアのムスリム女性の生活の実態を明ら かにする。 第1章ではイスラーム教の聖典であるクルアーンの日本語訳を引用し、ジェンダーに関する章句 に関して述べた。男女についての章句に注目し、クルアーンのなかで男女の違いはどのように表現 されているのか、それらの表現をもとにムスリムは男女のあり方や役割をどのように理解してきた のか、解釈の違いがなぜ、どのように生まれてきたのかを考察した。さらに、初期イスラーム時代 における女性の社会的立場や生活などについて明らかにした。 第2章では、東南アジアのイスラーム教について考察した。東南アジアでは多数の言語が話され ており、ある一つの言語が共通語として通用するわけではない。政治的にも多数の国家に分かれ、 宗教においては仏教、キリスト教、イスラーム教といった世界の三大宗教が並存している。東南ア ジアにイスラーム教が到来した時代と、17世紀から20世紀前半にかけての植民地支配期に着目 し、東南アジアにおけるイスラーム教の歴史について考察した。続いて、現代の東南アジアのなか でもムスリム人口の多いマレーシアとインドネシアの女性について取り上げ、イスラーム教の戒律 にとくに厳しいサウジアラビアの女性の地位や服装、生活などと比較した。 第3章では、マレーシア出身のムスリム女性にインタビューを行なった。マレーシアでの生活に おいて男女の違いを感じる場面、男性から守られていると感じた場面、またヴェールを身につける ことに対する意識などについて、実際の意見を得られた。インタビューを通して、東南アジアのム スリム女性は自分の意見を発信できる環境にあることが明らかになった。また、ムスリム女性は、 男女差別の意識を持っているというより、男女間の能力差を理解したうえで、イスラーム教におけ る男女に対する異なる対応を受け入れて生活しているようである。 結論として、文献から得られた東南アジアのムスリム女性の状況を、インタビューによって実証 することができた。現代におけるユダヤ教超正統派
三澤佳奈
ユダヤ教は他のキリスト教やイスラム教の母胎となる宗教であり、歴史も長い。そのようなユダ ヤ教は現在、大きく分けて、超正統派、正統派、改革派、保守派がある。本稿では、社会があらゆ る形で近代化する中、顎ひげを伸ばし、黒い帽子とコートを身にまとい生活するという、成立した と言われる18 世紀末頃から変わらないライフスタイルを守ろうとする超正統派の実態を明らかにす ることを目的とする。 第1 章では、ユダヤ教超正統派を語るうえで前提となるユダヤ教の歴史について触れた。ユダヤ 教の成立や、彼らのアイデンティティに関わるユダヤ人の離散の経緯、またイスラエル帰還につい てまとめ、ユダヤ教の概念を明確にした。 第2 章では現在のユダヤ教の主な宗派である、超正統派、正統派、改革派、保守派についてそれ ぞれの成り立ちや、特徴を比較し、まとめた。各宗派の思想の特徴は顕著であり、その中でも超正 統派は「ユダヤ人とは何よりも神を畏れるユダヤ教徒でなければならない」と信じる人々であり、 新たな外的影響をユダヤ教から排除し、宗教的慣習やタルムードなどの学習などに重きが置かれた 生活を送っている。そのため、ユダヤ教の戒律を学ぶ学校であるイェシバーの学生は徴兵を免除さ れるという徴兵免除制度、また学業を支えるための奨学金が国庫から給付されるという制度があり、 イスラエル国家が彼らの生活を保護する仕組みができている。 第3 章では、現代における超正統派の実態を明らかにするため、彼らが生活の中で厳格に守って いる安息日について、また、シオニズム運動の捉え方について考察した。安息日とは彼らにとって、 「ユダヤ人が安息日を守ったというより、安息日がユダヤ人を守った」といわれるほど、他集団と の差異化に貢献した重要なものであった。超正統派の人々は安息日を厳格に守り、とても大切にし ていることが分かった。現在もその考え方は変わっていない。そして超正統派の人々はシオニズム 運動、イスラエル建国に反対の態度を示している。この章の最後の節では、日本ユダヤ教団のユダ ヤ教徒の方にインタビューをして、現代の超正統派の人々は、どのような生活をして、どのような 思想を持っているのかをより実際の立場から意見を聞いた。 総じて、現代のユダヤ教超正統派は、18 世紀末頃からの思想を現代までほとんど変えずに維持し てきており、そこに彼らのアイデンティティがあると考察できる。イスラエルにおける超正統派は、 特にシオニズムの問題や、徴兵免除制度、国からの奨学金など国と関わる問題を多く抱えており、 彼らが社会に与える影響は大きい。今後ユダヤ教が様々な形に変容しても、宗教慣習や律法、価値 観や行動規範をできる限り守ろうとしている彼らは、これからも今まで通りの生活をして生きてい くと考察する。現代日本語におけるヲ格を取る自動詞の再分類
須貝早莉
本論文では「太郎が席をかわった」のような自動詞でありながらヲ格を取るもの(「ヲ格自動詞」 と呼ぶ)に関して整理し,先行研究では指摘されていない用法を新たに指摘した.奥津・沼田・杉 本(1986),日本語記述文法研究会編(2009),三宅(2011),加藤(2013),日本語文法学会編(2014) などのヲ格に関する先行研究では,自動詞と共起するヲ格に関する言及が極めて少ない.しかしな がら本論文の分類ではヲ格自動詞構文をうまく整理することができ,ヲ格自動詞は決して例外では ないことを主張する. 第2 章では先行研究におけるヲ格自動詞の分類を整理し,各分類の問題点を指摘した.鈴木(1985), 須賀(1995),小池・田邉(2004)では,ヲ格自動詞について記述が見られるが,ヲ格名詞句として 身体部位名詞以外が現れる場合についての分析が不十分である.一例を挙げれば,「太郎が席をかわ った」と「*太郎が考えをかわった」の容認度がなぜ異なるのか,説明されていない.他にも分類の 基準が曖昧であったり,分類に当てはまらない例があるなどの問題が見られた.その様な問題が生 じた原因として先行研究ではヲ格自動詞の意味や動詞の種類で分類していたことが考えられる.先 行研究の問題点を踏まえ,本論文では統語的な観点からヲ格自動詞の分類を試みる. 第 3 章では筆者によるヲ格自動詞の分類と各タイプの特徴を示した.本論文で提示するヲ格自動 詞の分類はヲ格の用法を基準にする.ヲ格の用法は加藤(2006)の分類に従い,ヲ格自動詞を経路 格タイプ・離格タイプ・対象格タイプの 3 つに分類した.経路格タイプは,他動詞文への言い換え が出来ないかあるいは無対自動詞文であり,ヲ格は移動行為を行う場所を表す.離格タイプは,ヲ 格を他の助詞で標示することで他動詞文へ言い換えることができ,ヲ格は離れる対象を表す.対象 格タイプは,自動詞文,他動詞文ともにヲ格を取ることができ,ヲ格は動作の対象を表す.先行研 究ではヲ格名詞句に身体部位を表わす名詞句が現れる例が注目されてきたが,対象格タイプのヲ格 名詞句には身体部位以外の名詞句も現れる.それらの名詞句には「所属」という概念が共通してい る.本論文において「所属」とは,動作主や行為の有無にかかわらず存在する場所に,動作主が加 わることを意味する.「太郎が席をかわった」と「*太郎が考えをかわった」の容認度の差はヲ格名 詞句が動作主の所属する場所であるか否かによって説明可能である. 第 4 章ではヲ格自動詞の各タイプの連続性を指摘した.加藤(2006)がヲ格用法の分類の連続性 を指摘しているように,ヲ格自動詞の各タイプにも連続性が見られた.本論文の分類は統語的な特 徴に着目して分類を行っているが,意味的には他のタイプに属すると考えられる例があることから 各タイプには連続性が認められることが分かった. ヲ格自動詞は決して例外ではない.本論文の分類ではヲ格自動詞構文を,ヲ格の意味,自他対応 と助詞の選択,取り得る名詞句の意味についてうまく整理することができた.また先行研究では説 明されていなかった身体部位以外の名詞句がヲ格に現れる例は,「所属」の概念によって説明可能で あることを示した.現代日本語の複合動詞「すぎる」と複合形容動詞「すぎだ」の研究
髙橋菜生子
過剰を表す複合動詞「すぎる」(以下、「すぎる」)は、由本(2005)や中村(2005)によると、否 定的な意味を伝えるとされている。一方現代では、報道番組や日常会話、SNS で、「すぎる」と複合 形容動詞「すぎだ」(以下、「すぎだ」)が、肯定的な意味で使われている例もみられる。そこで本論 文では、現代日本語の「すぎる」・「すぎだ」が肯定的な意味を伝える例を集め、その共通点を考察 した。 第2 章では先行研究の振り返りと、肯定的な意味を伝えるかどうかの判断基準となる、「肯定的判 断」の定義づけをおこなった。「肯定的判断」の定義づけとしては、①発話者が事物に対して総合的 に肯定的な姿勢をもつと確認できる場合②「すぎる」・「すぎだ」が含まれる文の前後どちらか、も しくは両方に文が存在する場合③「すぎる」・「すぎだ」が主節に現れる場合の 3 点とした。加えて、 「すぎる」・「すぎだ」の前に結合する品詞は、動詞・形容詞・形容動詞・名詞に限定した。 第3 章では品詞別に「すぎる」・「すぎだ」の肯定的判断を伝える例をみた。 動詞が「すぎる」・「すぎだ」の前に結合する場合は、動詞が「事物の動作・作用・存在を表す(会 田・中野・中村(2015:24))」幅広い働きをもち、解釈の幅が広いことを確認した。同じ動詞の結 合でも、肯定的判断を伝える例と伝えない例がみられた。一方で肯定的判断を伝える「動詞+すぎ る・すぎだ」は、「発話者が事物について肯定的に認める姿勢がみえる場合」に現れることがわか った。 形容詞・形容動詞が「すぎる」・「すぎだ」の前に結合する場合は、形容詞・形容動詞が「主に事 物の性質・状態を表す(会田・中野・中村(2015:56))」働きだけでなく、「発話者の事物に対する 評価」を表す働きもあることが確認できた。同じ形容詞・形容動詞の結合でも、肯定的判断を伝え る例と伝えない例がみられた。一方で肯定的判断を伝える「形容詞・形容動詞+すぎる・すぎだ」 は、「発話者の事物に対する評価がよい場合」に現れることがわかった。 名詞が「すぎる」・「すぎだ」の前に結合する場合は、名詞が「実体概念を表す(会田・中野・中 村(2015:84))」という働きをもち、事物の一部を表わす形容詞・形容動詞と比べ限定的な意味を もつことがわかった。しかし同じ名詞の結合でも、肯定的判断を伝える例と伝えない例がみられた。 一方で肯定的判断を伝える「名詞+すぎる・すぎだ」は、「発話者が事物に対して魅力・満足感を感 じる場合」に現れることがわかった。 第 4 章では、「すぎる」・「すぎだ」が肯定的判断を伝えにくくする条件を考察した。具体的には、 「品詞+すぎる・すぎだ」の結合より前に助詞「には」がある場合、肯定的判断を伝えにくくする ことを例とともに述べた。その要因として助詞「には」の、前の語を取り立て、比較の基準を示す 働きが挙げられた。助詞「には」が、「品詞+すぎる・すぎだ」の前に接続することで、「すぎる」・ 「すぎだ」が元々もつ過剰の意味を伝える働きが強まることが考えられた。 肯定的判断を伝える条件の 1 つに発話者が事物に対して総合的に肯定的な姿勢をもつと確認でき る場合がある。そのため発話者の事物に対する姿勢自体がみられなければ、肯定的判断を伝えるか どうかは判断できない。加えて、「すぎる」・「すぎだ」は過剰の意味を伝える働きがあり、肯定的判断を伝える場合や伝えない場合でも、過剰の意味は含まれていると考えられる。故に肯定的判断を 伝える働きは、「すぎる」・「すぎだ」の基本的な性質ではなく先の条件に該当し初めて含まれると考 えられる。
近代道徳哲学における感情とエゴイズムの関係
草苅優太
本論文は、近代の哲学者が自己愛やエゴイズムをどのように抑制し、または廃絶しようとしてい たのかという問題について、感情を切り口に論じたものである。この論文に登場する哲学者は、ハ チスン、スミス、カント、ショーペンハウアーの 4 人である。最終的に、ハチスンからショーペン ハウアーまでの議論の過程を発展史的にたどり、その中でショーペンハウアーこそ、エゴイズムそ のものを消滅させる倫理学を構想していたことを示したい。 第1 章の第 1 節では、ハチスン『美と徳の観念の起源』(1738 年)における「仁愛(benevolence)」 と自己愛の関係について考察した。ハチスンは、仁愛と自己愛が峻別できることを説いているが、 ハチスンは自己愛を抑制する方法についてまでは言及していない。ついで、第2 節ではスミスの『道 徳感情論』(1790 年)に基づいて、「共感(sympathy)」と自己愛の関係について検討した。スミスは ハチスンとは異なり、自己愛を抑制する方法について言及している。スミスによれば、共感を得る ことができる自己愛は容認され、共感を得ることができない自己愛は容認されないのである。 第2 章の第 1 節と第 2 節では、カントにおける道徳感情論の受容と批判の過程をたどっていった。 カントは前批判期の「自然神学と道徳の原則の判明性」(1764 年)において、道徳感情論を高く評価 していたが、批判期になるにつれて、道徳感情論を批判するようになることが見てとれた。しかし、 カントは感情を排した定言命法に基づく義務倫理学を構想していながら、道徳法則に対する「尊敬 (Achtung)」の感情というものを彼自身の核心となる原理の中に組み込むのである。そこで、第 3 節では、『道徳形而上学の基礎づけ』(1785 年)と『実践理性批判』(1788 年)をもとに、尊敬の感 情について考察した。カントによると、尊敬の感情とは理性によって引き起こされた感情である。 それゆえ、尊敬の感情は道徳感情とは異なることが明らかになった。第 4 節では、尊敬と自己愛の 関係について論じた。道徳法則がもたらす感情には積極的な性格と消極的な性格がある。積極的な 性格とは、道徳法則に対する尊敬であり、消極的な性格とは知的軽蔑である。この知的軽蔑こそが、 自己愛を排除するものであることを示した。 第3 章の第 1 節では、「道徳の基礎について」(1840 年)にしたがって、ショーペンハウアーが定 言命法に潜んでいるエゴイズムを暴き出したことについて論じた。第 2 節では、ショーペンハウア ーにとって、エゴイズムがどのような性格を有しているものなのかを明らかにした。第3 節では、「共 苦(Mitleid)」とエゴイズムの関係について検討した。共苦とは、他人と自分を同一化するものであ り、エゴイズムを克服した境地であることを示した。第 4 節では、シェーラーやハウスケラーによ る共苦の倫理学に対する批判を取り上げた。ついで、その批判に対して再反論を試みた。以上の考 察より、ショーペンハウアーが、エゴイズムそのものを滅却するための倫理学について思索してい たことが示された。ニーチェにおける永遠回帰と力への意志
富永文芽
本稿では、ニーチェの「永遠回帰」と「力への意志」という思想を取り上げ、人間の生が必ずは らんでいるニヒリズムという現象は、どのようなものであり、どのように克服できるのかという問 題を考察した。 第一章では、ハイデガーが形而上学的だと把握していた永遠回帰の概念を取り上げ、永遠回帰が あらゆる存在者の重しとなっていること、つまり形而上学的であることを確認した。また、永遠回 帰はニーチェによるとニヒリズムの克服として掲げられていることが、その思想の伝達である『ツ ァラトゥストラはこう語った』(1883-1885 年)から読み取ることができる。 第二章では、ハイデガーが、ニーチェの哲学を形而上学的と捉え、形而上学の終末に位置づけた ことを検討した。ハイデガーは、ニーチェの永遠回帰と力への意志という二つの思想を連帯させる 形で彼の哲学を形而上学と捉えた。そのうえで、その思想を従来の形而上学である西洋哲学と対決 させることで、存在者と存在を分離させ、存在を力への意志が創り出す価値と同列化させた。この ことにより、存在者は存在という価値を、自らの外に置く状態となり、存在者はニヒリズムの状態 であることが明らかになった。 しかし、第一章でも確認したように、ニーチェの思想はニヒリズムの克服をもたらす必要がある。 そのため、第三章ではニーチェの思想の非 . 形而上学的な側面を見出し、人間の生から排除できない ニヒリズムにおいて、その克服はどのようになされるのか、という問いを検討した。結果明らかに なったのは、ニーチェの思想において、必然性という性格が重要だという点である。永遠回帰によ り、あらゆるものは、自らを超え出るような価値も意味も持たず、ただ「然り」といって存在して いるだけである。このあらゆるものに対し、力への意志が、それしかないもの、つまり必然的であ るものとして、「然り」と肯定するのだ。 このようなニーチェのニヒリズムの克服こそ、生が必然的に内部に持っている消去不可能なニヒ リズムという問題の解決となり得るだろう。ニーチェの思想においては、必然性として生をみるこ とによって、自らの確固たる価値を持つことができる。そのためこれは、依存できる価値を見失っ た表面上のニヒリズムを排除する一方、根源的なニヒリズムと真正面から向き合い、それを肯定す る克服のあり方を示しているのである。名詞+動詞(連用形)タイプ複合名詞の格解釈
住吉竜一
本論文の目的は、日本語の名詞+動詞連用形で構成される複合名詞が、どのような格関係を持っ ているのかを明らかにすることである。このタイプの複合名詞の場合、名詞(N)ともとになってい る動詞(V)の間に、「N が V する」「N を V する」「N で V する」などの格助詞を仲立ちとする意味 の関係が成立していると解釈できることが多い (風間他 2004: 50)。例えば、「ガス漏れ」は「ガスが 漏れる」、「卵焼き」は「卵を焼く」、「海釣り」は「海で釣る」のように、格助詞を用いたフレーズ に置き換えることが可能である。このような字義通りの単純な意味を持つ(形態素同士の単純な足 し算)(「ガス漏れ」=「ガスが漏れる」という意味・概念)複合名詞を、本論文ではA 類と呼んだ。 このように、一見すると、名詞+動詞(連用形)タイプ複合名詞と格助詞を用いたフレーズは必 ず対応するようである。しかし、複合名詞の例を豊富に収集すると、単純に格解釈できるものばか りではないと判明する。 第一に、字義通りの意味を持たないもの(形態素同士の単純な足し算ではない)(「女座り」≠「女 が座る」という意味・概念)が存在することが挙げられる。ここでは意味・概念は別として、形式 的には格助詞の挿入が可能である。本論文では、これらの複合名詞をB 類と呼んだ。第二に、A・B 類において格が一つに定まらず、ニ・デ格(「インスタ映え」)やヲ・ニ・ヘ格(「山登り」)をとる ような、格解釈のゆれが生じる場合がある。第三に、必ずしも格助詞を仲立ちとする意味の関係が 成立していると解釈できるわけではない、と筆者が考える例がある、あるいは、格関係を見出せる ようで、格解釈を決定するのが難しい場合がある(「今日付け」「水回り」)。筆者は、これを C 類に 分類した。 まず第1 章では、格助詞とその用法を概観し、本論文で扱う複合名詞に関係する用法を設定した。 続いて第2 章では,収集した複合名詞を格関係毎に分類し,問題となる例や興味深い例を指摘した。 その際、格関係は①一定の格形式をとった②一定の名詞が③一定の単語をかざるという 3 つの条件 の中で成り立つことを述べ、格解釈の基準の一つとして、連語論の研究(言語学研究会編 1983)を 参照した。加えて、格関係毎の複合名詞の分類にあたり、影山 (1993) の意味概念を導入した。本章 では、先に述べた格のゆれという現象の他、A・B 類に跨る複合名詞(「欽ちゃん走り」)や自他反転 タイプ(「背伸び」)や能受動反転タイプ(「親譲り」)のものがあることを主張した。最後に第 3 章 では、第 2 章で問題となった格のゆれと意味のずれについて考察を行った。格のゆれは、形式上異 なる格助詞の間の用法の類似性から説明可能であることを示した(「山登り」におけるヲ格「空間的 な経過域」用法およびニ・ヘ格「移動の着点」用法)。意味のずれについては、B 類が専ら比喩的な 用法をとるということを示すために、ガ・ヲ・ニ格からいくつかの複合名詞を取り上げ、例文を提 示した(「*花子ちゃんが女座りしている」「太郎君が女座りしている」)。コジモ・デ・メディチのパトロネージ思想
小林修
本論では、14~15 世紀にかけて莫大な資産を築いたメディチ家の党首コジモ・デ・メディチ(1389 ~1464)のパトロン行為について論じている。コジモは自らの事業で得た資産を数々の公共事業や 慈善事業、文化芸術に投じてきた。資産の大部分を他者への援助に充てていたコジモは、何故その ようなパトロネージを行うに至ったのか。ニッコロ・マキャヴェリ(1469-1527)『フィレンツェ史』、 ジョルジョ・ヴァザーリ(1511-1574)『ルネサンス画人列伝』『ルネサンス建築家列伝』、ヴェスパ シアーノヴィスティッチ(1421-1498)の手記『ルネサンスを彩った人々』を主に参考し、コジモの パトロネージを行った理由を推察すると同時に、そして彼が持つパトロネージに対する思想につい て論じている。 第 2 章ではコジモの生涯について説明している。混乱の続くフィレンツェ市内における権力闘争 とそこでのコジモの行動など、メディチ家党首であると同時に君主でもあったコジモの一生を概説 的に述べている。 第3 章と第 4 章ではコジモが行ったパトロネージ行為を具体的に紹介している。第 3 章では主に サンマルコ修道院やサン・ロレンツォ大聖堂などの宗教関連施設、そしてそれらに附設された図書 館、またプラトン・アカデミーの創設などの公共事業を例に挙げ、援助の経緯とその詳細を記して いる。第 4 章ではコジモが援助した人物を例に挙げ、彼が援助を与える人物とはどの様な人物であ るかを考察した。 第5 章と第 6 章では、それまで挙げてきたコジモのパトロネージ行為を前提に、コジモが持ち合 わせているであろう思想の観点から、コジモが数々のパトロネージ行為に至ったその要因を考察し ている。第 5 章では、当時キリスト教世界で咎められていた“ウスラ(利子)”を主として、キリス ト教思想の観点からコジモのパトロネージを考察した。第 6 章では、当時のフィレンツェにおける 経済思想、そしてコジモが陶酔していたというプラトンにおける思想の観点から考察した。 第7 章では結論としてコジモのパトロネージの理由をまとめている。結論づけたその理由は次の 3 点である。1 点目は、コジモは銀行業で犯したウスラの徴収という罪を償う為、そしてキリスト教へ の深信の為。2 つ目は、中世フィレンツェにおける「大いに稼ぎ大いに消費することが美徳」という 経済思想、そしてプラトン思想に基づく「知」と探求の為。3 点目は、才能がある人物や出世が見込 める人物に支援を与えることで得られる、社会的かつ経済的恩恵を戦略的に目論んでいた為。この3 点がパトロネージの理由であると結論づけた。コジモを例に、文化芸術を支えてきたパトロンが如 何なる行動と思想で社会に影響を与えたのか。中世西洋における文化と経済を巡る思想について考 察した論文である。現代日本語におけるオノマトペ標識の特徴
池田藍子
本稿では、日本語オノマトペの意味や機能に注目する。日本語オノマトペを構成する要素は、川 崎(2016)によるとオノマトペ語基とオノマトペ標識に分けられるという。例えば、「くるっ(と)」「く るん」「くるり」では、下線部「くる」の部分がオノマトペ語基である。一方オノマトペ標識は、そ れぞれ下線の引かれていない促音、撥音、「リ」である。特に「にっこり」「ぱっくり」のように、 オノマトペ標識「リ」を付加した際に、2モーラ目に促音が入るオノマトペの意味と機能を明らか にすることが本稿の狙いである。 第一章では、日本語におけるオノマトペの重要性を述べた。また、「ワンワン」のような動物の鳴 き声などの音声模写に近いオノマトペは、研究対象とはしないことを確認した。 第二章では、オノマトペにおける先行研究を紹介した。特に、オノマトペ標識「リ」を付加した 際に、2モーラ目に促音が入るオノマトペは、先行研究において見解が分かれた。2モーラ目の促 音は接中辞であるという説(浜野(2014))や、促音とオノマトペ標識「リ」をセットとして考える説(角 岡(2003))があった。しかしいずれの先行研究も、「ぱっくり」のように、オノマトペ標識「リ」を付 加した際に2モーラ目に促音が入ると、元々の語基「ぱく」と比較したときに語基の意味が変化し ているオノマトペの存在が加味されていなかった。 第三章では、「ひらり」などの一部例外を除いては、オノマトペ標識「リ」は元々の語基と比べ、 語基に意味変化をもたらさないことを明らかにした。語基に意味変化をもたらすのは促音挿入あり の場合だけであることから、本稿ではオノマトペ標識「促音+リ」の存在を新たに提案した。 第四章では、まず、「ぼんやり」のような2モーラ目に撥音が挿入されている場合についても分析 した。2モーラ目の撥音は、浜野(2014)が述べるような語基の意味を強める接中辞ではなく、時間的 または空間的広がりを表すオノマトペ標識「撥音+リ」であることを新たに提案した。次に、オノ マトペ標識「促音+リ」の以下のような機能を明らかにした。まず、「もっちり」「ぽっちゃり」の ように、商品名や身体的特徴やファッションを表すのに使用されやすい。次に、「ぴち」のように語 基が擬音語と擬態語両方の意味を持つ場合、「ぴっちり」のように、オノマトペ標識「促音+リ」を 付加すると、必ず擬態語の意味を選択することがわかった。「?ぽっきりと音を立てて…」のように、 オノマトペ標識「促音+リ」が語基に付加すると、擬音語としての振る舞いがしにくくなる。逆に、 折れた木を見て「ぽっきり折れている」と言うことができるように、行為が行われた結果だけを見 てオノマトペ標識「促音+リ」が使用できるということがわかった。 本稿では、以下のことを主張した。オノマトペ標識「促音+リ」は、語基の意味を変化させたり、 擬音語としての性質を弱め行為が行われた結果だけに着目して使用できることがわかった。また、 オノマトペ標識「撥音+リ」は、時間的または空間的広がりを表すという定義をすることができた。ハイデガー『存在と時間』における「死をまえにしての不安」
前田ひかり
「死」と聞いて、私たちはどのようなイメージを思い浮かべるだろうか。多くの人は否定的な印 象を抱いているように思われる。しかしながら、私たちは死を経験することはできないため、「死」 とはどういうものか何も知らない。では、「死」とは、一体どのようなものであり、私たちが死を想 像する際に感じているあの恐怖は何なのだろうか。そこで本論文では、マルティン・ハイデガーが 『存在と時間』(1927 年)において述べる、不安という情態性と死の実存論的分析についての各論を 把握し、不安と死の連関を考察することで、ハイデガーのいう「死をまえにしての不安」とはどの ようなものか明らかにすることを試みた。 第一章では、『存在と時間』における基本事項を確認した。私たち人間は、問うという存在可能性 を有する現存在として他の存在者とは区別される。ハイデガーは現存在を実存論的に分析していく ことによって存在とは何かという問いに取り組んでいる。現存在はその時々に応じてそのつど異な った仕方で存在し、一人ひとりが固有の存在である。しかしながら、現存在は世界のうちで他の存 在者と関わりを持ちながら存在しており、そうした日常性において現存在は他者に没入し同化して いる。結果、日常的な現存在は頽落という性格を有するのである。 第二章では、現存在の気分、すなわち情態性について取り上げた。現存在には常になんらかの気 分が伴っている。なかでも現存在の根源的な情態性とは、不安である。この不安はよく恐れと混同 されるが、不安とは恐れのように明確な対象がなく、脅かすものがどこにもないが、だからこそ生 ずる感情である。現存在は日常的に他者に没入しながら存在する一方、不安になると現存在は他者 から単独化され、自分自身の存在可能へと向き合わされるのである。 第三章では、死の実存論的分析を検討した。ハイデガーは存在への問いを仕上げていくにあたり、 現存在の全体性を捉えるべく死を分析している。死はたいてい生の後に訪れる出来事として考えら れている。しかしながらハイデガーは、死とは現存在の存在可能性の一つであり、現存在は生きな がらにして死と関わっているのだと分析する。現存在は自らの死の可能性を引き受けながら存在す るべきなのである。 第四章では、不安概念と死の概念を併せて考察することで、「死をまえにしての不安」を明らかに した。現存在は自分自身に固有なものである死の可能性に直面した時に不安に襲われるのであった。 この死をまえにしての不安は現存在の根源的な情態性である。本章では最後、ハイデガーの死の実 存論的分析がもたらす意義や、死をまえにしての不安がどのような状況下で生じるのかといった実 践可能性について考察することで締め括った。ロボイド思想変遷への瞥見
田沢彩梨花
本論文では、ロボイド(roboid)という造語を、全体の統一概念として導入した。ロボイドとは、 人間を模した動くもの全般を指し、具体的には、自動人形、オートマトン、からくり人形、ゴーレ ム、ホムンクルスそしてロボットなどの用語を含むものとして定義した。紀元前から現在に至るま で、文学作品におけるロボイドは、常に当時の世相を反映しながら、文学のなかに表れている。本 稿ではそのロボイドの表象を、文学作品の年代と特徴を基に、「神話型ロボイド」、「脅威型ロボイド」、 「救済型ロボイド」、「超越型ロボイド」の4つのタイプに分類した。そして古今の文学作品を通覧 することにより、そのロボイドイメージの変遷をたどる概念史的研究を試みた。 第一章では、のちのロボイド作品の原型となった、神話時代に登場するロボイドを、「神話型ロボ イド」として分類した。ロボイドの動力源や、仕組みなどは語られず、木材や土塊など単なる物で あったロボイドに生命が宿り、動きだすという段階である。この神話型のロボイドのはじまりは、「創 世記」における、神による人間の創造が土台にあり、創造主と被造物の関係から、ロボイドは従順 なものとして描かれた。しかし人間が、ロボイドの創造によって、自らが創造主(神)に成り代わ る思想に対しては、警鐘を鳴らすような作品も登場した。 第二章では、人間にアイデンティティー崩壊の危機をもたらすロボイドを、「脅威型ロボイド」に 分類した。19 世紀初頭のイギリスでは、機械の導入によって失業を恐れた手工業者たちが、機械う ちこわし運動を行った。また機械時計の普及と、解剖学の発展は、ロボイドの内部構造に影響を与 えた。こうした時代背景は、文学作品にも取り込まれ、人間と類似した内部の仕組みを持つロボイ ドが、人間に固有であった労働や出産を奪取する姿は、人間のアイデンティティーを脅かす脅威と して描かれた。 第三章では、優れた製品として、人間の望み通りに創造されたロボイドを、「救済型ロボイド」に 分類した。文学という創造世界のなかでは、人間がロボイドに対して持つ欲望が、実直に反映され る。その結果、脅威型の反動とも見てとれる、人間にとって救いとなるロボイドが描かれた。人間 の味方として描かれるロボイドは、その安全性はもちろん、人間社会に適合できるよう、人間的な 感性を兼ね備え、人間と対等な関係を築くことができる存在として表現された。 第四章では、人間との融合、また独自の感情を物語ることで、人間の単なる模倣品であることを 超越したロボイドを、「超越型ロボイド」に分類した。ロボイドと人間、両者の境界線が曖昧になる なか、人間の人間らしさの所在を問うた作品が登場する。またロボイドが独自の感情を持つ瞬間を 描いた作品では、ロボイドが物語られる立場から、物語る立場へと推移した様子が描かれた。ロボ イドは時代の流れと共に、幾度も姿を変え、人間社会を映し出す存在として、文学作品のなかに現 れている。レーウェンフックの
animacula 概念検討 ~王立協会紀要論文を中心に~
阿部駿一
本論文では、レーウェンフックの原論文を同時代の文脈のなかで読み解くことを第一の目的とし、 そして、なぜ17 世紀には病原菌という概念が生まれえなかったのかについて考察することを第二の 目的とし、論文を読み進めていく。レーウェンフックは水、胡椒、口の中、皮膚、精子など様々な ものを顕微鏡で観察している。その中の水、口の中、皮膚についての論文を試訳し解読していく。 1 章では水の中の微生物についての論文を試訳する。ここでは、雨水、海水、井戸の水などの場所 の水を観察している。雨水を毎日観察していたり、川の水は微生物が少なくてつまらないと協会に 送った手紙に書いていたりと微生物に対する関心の高さを読み取ることができた。 2 章では人体の中にいる微生物について書かれていた。ここでは図を用いて説明されていたが、そ の図をほとんど見つけることができなかった。歯の微生物については見つけることができたので添 付しておく。人体についても様々な人、また同じ人でも違う部位の皮膚などここでも研究意欲を汲 み取れる。レーウェンフックは名称を出してはいないがこの時代発見されていなかったセラミドな どの物質も観察していたと思われる。 本論文の結論として、なぜ17 世紀には病原菌という概念が生まれなかったかということについ ては、レーウェンフックが生まれる 300 年前は病気の原因は悪霊の仕業とされ、対処法は神に祈る こととされていた。科学が進歩し始めたとはいえ、まだそのような考えが根強く残っていたと考え る。また、この時代の科学者の待遇は決していいものではなく、科学者にとってはつらい境遇であ った。それゆえに、病気と微生物の二つが結び付けられなかったと考える。また、レーウェンフッ クは微生物がどのような働きをするかはあまり気にしていなかったように思われる。1 章・2 章で観 察日記を読んできたが、色・大きさ・形などは書いてあるがその働きやそれが及ぼす影響などを描写 はあまり書かれていない。私はここからレーウェンフックは自分の知的好奇心を満たすために観察 をしていて、生物学的意義は二の次にしていたと考える。レーウェンフックは研究目的というより も目には見えない生き物がいることに興味を惹かれていたのではないかと考える。91 歳でその一生 を終えるまで彼はanimalcula に魅了され続けた。animalcula とはレーウェンフックに生涯を通して夢 中にさせた小さい生き物の総称といえるのではないだろうか。フーコーの「考古学」におけるポジティヴィテの概念
金田康寛
本論文の課題は『言葉と物』におけるポジティヴィテ概念の萌芽を突き止め、この概念の内実を 解明することである。 まず一般に、ポジティヴィテと有限性の概念はともに考古学的レヴェルに属するということを明 らかにした。このとき「実証性」ないしポジティヴィテは、「人間」によって切り開かれた経験的真 理の次元と、その次元を可能にした考古学的次元という異なる認識論的次元に属すると言うことが できる。そこから、ポジティヴィテは何に依拠しているか、という問題が生じてくる。 これに対して、『言葉と物』におけるポジティヴィテの拠り所は曖昧なままである。なぜなら、エ ピステーメーの次元に属する経験は言語の介入を受ける一方、経験する主体を前提にするからであ る。 かくして言語の存在が問題となる以上、「考古学」において言説(discours)をどのように位置づ けるか、という問題が浮かび上がってくる。この課題に取り組むため、言説の基本単位(unité élémentaire)である言表(énoncé)を検討する。まずフーコーの議論に即して、座標系(référenciel)・ 言表の主体(sujet de l’énoncé)・関連領域(domaine associé)・反復可能な物質性(matérialité répétable) という四つの機能(fonction)が言表をいかに特徴づけているのかを見ていく。次に、ポジティヴィ テは「希少性(rareté)」「外在性(extériorité)」「積み重なり(cumul)」を通して打ち立てられている ことを確認する。 しかるに、言説外の条件や諸規則(des règles)からどのようにポジティヴィテが打ち立てられる のか、という点はいまだ不明確である。そこで、「考古学」を現象学と同一視しようとするドレイフ ァス/ラビノウの議論を批判的に検討する。結果、判明するのは言表の諸規則と、超越論的なもの や思考されないもの(impensé)との類似が彼らの議論を支えているということである。したがって、 ドレイファス/ラビノウの論理は飛躍していると考えられる。それに対して、マリエッティは、『言 葉と物』の時点で主体が消去されていたという見解を示している。しかし、マリエッティは、『言葉 と物』と『知の考古学』のあいだにある変更点の重要性を過小評価している。 『言葉と物』の時点でフーコーがエピステーメーそのものに概念や理論を形成させる要因を設定 していなかったことは確かである。だが、フーコーは『知の考古学』において、諸規則を現にある ものとする実践(pratique)の契機を導入するに至った。もっとも、ドレイファス/ラビノウは、本 来であれば規則性(régularité)を実践外部で統制する力が要請されるものの、規則性が自分自身を 規制する不整合に陥ってしまうと述べている。 ここから、言説実践をどう整合的に解釈するか、という問題が生じる。管見するに、フーコーの 言表理論のうちにJ・L・オースティンの言語行為論の利用を読み取ることができる。なぜならフー コーは、言表が諸規則に従って出現し対象領域――ポジティヴィテを打ち立てるとみなす点で、言 語行為論のロジックに準じていたからであり、そうすることで言表が出現する条件を言語行為の匿 名の諸規則に帰することにより、言表理論の人間学化(antholopologisation)を回避したのである。 このとき、オースティンが成功した言語行為を説明する際に、「適切な ... (happy:幸福な)」という言 い回しを用いていることに注意すべきだろう。 事実、フーコーは「幸福な ... ポジティヴィスト(positiviste heureux)を自称していた。オースティン の理論を援用すると、「幸福なポジティヴィスト」は適切な言語行為が従う諸規則を明らかにする者 だと解釈することができる。なぜなら、ポジティヴィテが打ち立てられるときには言語行為が「適 切に」遂行されているからである。ここから本論文は、フーコーによるポジティヴィテが、言表理 論や言語行為論という概念装置によってはじめて可能になったのだと主張している。 残された課題としては、フーコーのいう「歴史的アプリオリ」を言表理論にいかに位置づけるかという問題がある。また関連して注目すべきことは、『知の考古学』に至るまで、フーコーの思想に 身体的な....契機が維持されているという点である。ここから、従来の身体論をフーコーがどのように 受容し、そこからどのように自らの思想を発展させたのか、を探究することを通じて、従来の現象 学とは別の形の身体論を提起することができるかもしれない。