積み上げ歌「クリスマスの12日」に見られる反復と
意味解釈について ―認知言語学の視点からの分析
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著者
有光 奈美
著者別名
Nami ARIMITSU
雑誌名
経営論集
巻
96
ページ
53-68
発行年
2020-11
URL
http://id.nii.ac.jp/1060/00012159/
Creative Commons : 表示 - 非営利 - 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by-nc-nd/3.0/deed.ja積み上げ歌「クリスマスの
12 日」に見られる
反復と意味解釈について
―認知言語学の視点からの分析―
Repetitions and Semantic Interpretations of Cumulative Rhyme
“The Twelve Days of Christmas”:
An Analysis from a Cognitive Linguistics Viewpoint
有 光 奈 美 1. はじめに 2. 積み上げ歌とは (1) 積み上げに関するマザー・グースの例 (2) 積み上げに関するその他の例 3. 認知言語学の道具立てと表現における反復性 (1) 「スキーマ・プロトタイプ・拡張事例」とイディオムについて (2) イディオムの意味理解について 4. 積み上げ歌「クリスマスの 12 日」の分析 (1) 文化的背景について (2) 英語と日本語の歌詞について (3) 反復と意味解釈:書かれていないものを読む 5. おわりに 1. はじめに 現代社会において、今やクリスマスは単なる宗教的な日ではなく、社会的な集 いの機会を提供したり、商業的な消費行動の趣を促す契機になったりするなど、 多面的な要素を持つようになってきている。日本では、クリスマスの機会に多く のクリスマスにまつわる歌が英語や日本語で、歌われたり聴かれたりしている。 たとえば「もみの木 (O Christmas tree, ドイツ民謡、中山知子 訳詞)」、「ウェ ンツェル王様は(Good King Wenceslas, イギリス民謡、北村宗次 訳詞)」、「わ たしは見ていた(三そうの舟)(I saw three ships, イギリス民謡、北村宗次 訳 詞)」、「ひいらぎ かざろう(Deck the hall, 讃美歌第二編 129 番、松崎 功 訳 詞)」、「いそぎ来たれ、主にある民(O come all ye faithful, 讃美歌 21、259 番)」、 「まきびと ひつじを(The first noel, 讃美歌 21、258 番)」、「われらは きた りぬ(三人の博士)(We three kings, 讃美歌第二編 52 番、池宮英才 訳詞)」、 「ああ ベツレヘムよ(O little town of Bethlehem, 讃美歌 21、267 番)」、「聞 け、天使の歌(Hawk! the herald angels sing, 讃美歌 21、262 番)」、「きよし こ の夜(Silent night, 讃美歌 21、264 番)」といった歌が、「クリスマスのうたの絵 本」という本(H.A. Rey (1944)) We Three Kings and other Christmas Carols の
日本語版 (あすなろ書房 2003) で紹介されており、それらはタイトルを読むだけ ではすぐに思い出せなくても、どこかで耳にしたり歌ったりしたことがあるよう な歌であり、代表的な例として挙げても良いかと考えられる。一方、「クリスマス の12 日」という歌は、日本において、前述した歌の例と比べるとそれほどは知ら れていないかもしれない。本稿ではこの「クリスマスの12 日」という歌を取り上 げ、まず、認知言語学の視点から、その構造的な特徴を指摘する。そして、この 歌の中から抜粋されて、今では英語の慣用句となっているフレーズに注目し、そ の意味解釈を検討する。さらに、これが単なる他の慣用句とは異なり、ユニーク な味わいを持つことにつながっているその妙味の動機付けについて、指摘するこ とを目指す。この歌の最後を締めくくる “and a partridge in a pear tree” とい う表現が、決まり文句となっていく背景について論じる。
2. 積み上げ歌とは
この「クリスマスの12 日 (The Twelve Days of Christmas)」は、英語の伝承 童謡であるマザー・グースにある歌で、積み上げ歌の構造を持っていることがそ の特徴の一つである。言葉の意味が字義通りの意味にならない場合は数多あるが、 その一つに言葉遊びを挙げることができる。本稿で取り上げるこの歌は言葉遊び の延長とも考えられるが、単に社会で広く使われるようになったことに起因する 慣用句となっているだけでなく、背景に積み上げ歌という構造を持つことから、 その意味解釈が重層的な豊かさや面白さを持つことに着目した。なお、この歌に ついては、マザー・グース研究を始め、イギリス文学の視点から複数の論文が書 かれており、イギリス文学研究やイギリス文化研究としても興味深い対象である ことがわかる。しかし、本稿では、言語研究(認知言語学)の立場から、締めく くりの言語表現とその意味解釈に注目して分析することを目的としたい。 (1) 積み上げ歌に関するマザー・グースの例
積み上げの形式を持っている歌は「クリスマスの12 日 (The Twelve Days of Christmas)」だけではない。比較のために他の積み上げ歌も紹介する。「クリスマ スの12 日」と同じくマザー・グースに収められている「ばあさんいちばでぶたか った (An old woman went to market and bought a pig)」や「これはジャックの 建てた家(This is the house that Jack built)」は積み上げになっている。谷川俊 太郎(訳)、和田誠(絵)、平野敬一(監修)による「マザー・グース(1):「これ はジャックの建てた家(This is the house that Jack built)」と「マザー・グース (4):「ばあさんいちばでぶたかった (An old woman went to market and bought a pig)」から英語と日本語で紹介する。まず、「ばあさんいちばでぶたかった (An old woman went to market and bought a pig)」は、「ばあさんいちばでぶたかっ た ちゃんと四ほんあしがあるのに ぶたはうごこうともしなかった さてさて どうしたもんだろう?」 (ibid.104) と始まり、「しばらくいっていぬにたのんだ いぬ いぬ ぶたにかみついとくれ(略)…」「しばらくいってぼうきれにたのん だ ぼうきれ ぼうきれ いぬをぶっとくれ(略)…」という具合に、犬、棒切
れ、火、水、牡牛、肉屋、ロープ、ねずみ…と豚を動かすために頼むのだが、豚 は動かず、最後に、猫に頼んだところ、「ぶたはやっとうごきはじめた そこです べてはまるくおさまり ばあさんぶじにうちへかえった」というストーリーにな っている。「どんなに重ねて頼んでも」という状況を積み重ね形式で相乗的に表現 していることは明らかである。これは「いろいろなものに頼みに頼んだ」「一生懸 命色々工夫した」等といった言語表現では表しきれない、積み重ね歌という形式 を持ったテクストならではの妙味である。
次に、「これはジャックの建てた家(This is the house that Jack built)」は、 以下のような無限に続く面白さを持っており、人間が持つ自然言語の創造性が如 実に反映されている例であると言える。人間は文法を自由自在に組み合わせるこ とで、こうした言葉遊びを無限に作る能力を成長の過程で獲得していくのである。 つまり、「これはジャックの建てた家」は、人間が言葉を文法規則に則って適切に 組み合わせて意味のある文章を作ったり、意図的に意味のない文章を無限に作り 出したりできるという人間独自の能力を示す好例なのである。
This is the house that Jack built.
This is the malt
That lay in the house that Jack built.
This is the rat, That ate the malt […]
(と続く。途中は筆者によ
る省略)
This is the farmer sowing his corn,
That kept the cock that crowed in the morn, That waked the priest all shaven and shorn, That married the man all tattered and torn,
That kissed the maiden
all forlorn,
That milked the cow with the crumpled horn, That tossed the dog, That worried the cat, That killed the rat, That ate the malt That lay in the house that Jack built. これはジャックのたてた いえ これはジャックのたてた いえに ねかせた こうじ これはジャックのたてた […] ねずみ (と続く。途中は筆者による省略) これはジャックのたてた いえに ねかせた こうじを たべた ねずみを ころした ねこを いじめた いぬをつきあげた ねじれたつのの めうしのちちをしぼった ひとりぼっちの むすめにキスした ぼろをまとった おとこをけっこんさせた つるつるあたまの ぼうさんをおこした はやおきの おんどりをかってる むぎのたねまく おひゃくしょう 日本語と英語の文の組み立てがまるでさかさまになっていることがわかる。この 歌は、人間が言葉を無限につなげて創造していけることの裏付けとしても挙げる
ことができるが、本稿では「積み上げ」という形式がもたらす意味の効果に着目 することとしたい。ここには、単なる言葉遊びを超えて、この後も、もし続けた ければ、This is the…のように「積み上げ」をいかようにも果てしなく好きなだ け続けていけるということを示唆している構造的な面白さが存在しているのであ る。 (2) 積み上げに関するその他の例 ここまでのセクションでは積み上げという形式を持つマザー・グースからの例 を紹介した。しかし、これは他にも見られる形式である。口頭で伝承されていく 昔話の類では、こうした積み上げの形式を用いることが、伝承継続のために好ま れたかと考えられる。 たとえば、ロシアのものがたり「パンはころころ」も積み重ねの形式を持って いる。ここではBrown Marcia (1972). The Bun, Harcourt Brace Javanovich, Inc., New York (「パンはころころ」(マーシャ・ブラウン(絵)、やぎたよしこ (訳))1976. 冨山房.)マーシャ・ブラウン(作)やぎたよしこ(訳)を紹介する。 むかし むかしの のことだけど、 おじいさんと おばあさんが くらしてた。 あるひ、おじいさんが こう いった。 「なあ、ばあさんや、おねがいだ、わしに パンを つくって おくれ」 「つくれる はずが ありません。うちには こなが ないんです」 […] (と続く。以下は筆者による省略) 上記のようないわゆる昔話の形式をとりながら、同じ表現が繰り返され、擬人 化されたパンは自分を作り出したおじいさんとおばあさんのもとを離れて、食べ られてしまうことから逃れ、外の世界に出ていき、のうさぎからも、おおかみか らも、ひぐまからも、食べられることを逃れることに成功するのだが、最後の最 後にとうとうきつねに食べられるという話である。このようなあらすじでは、単 なる時系列を追っているだけに聞こえるストーリーが、積み上げという形式を用 いられることで、だんだんと出会う動物の大きさが大きくなっていき、クライマ ックスへと近づいていき、最後にきつねという体つきの大きさにおいては一つ前 のひぐまより劣る動物ではあるが、いわゆる悪知恵があるとされる動物と出会っ て、パンが騙され、一気に結末を迎えることが絵本の最後の一ページで実現され る。この劇的な効果を積み上げという同じパターンを繰り返す独特な形式が支え ていることを指摘できる。ここでパンは最後にゼロの状態になる。パンが存在し た時点を開始時点と考えれば、パンという存在があった状態から、活動的な積み 重ねとクライマックスを経て、パンという存在が消失した状態へと変化すること でストーリーが終わったと解釈できる。あるいは、おじいさんとおばあさんによ って作られる前まで存在としてのパンはゼロであったとも言えるため、ゼロから パンの生命が始まり、ゼロに戻ったストーリーであるとも解釈できる。いずれに しても、無から有が生まれ、また最後に無に戻った状況を描いていると言える。
また、「わたしの庭のバラの花」(アーノルド・ローベル(文)アニタ・ローベ ル(絵)松井るり子(訳)セーラー出版)にも美しい積み上げの形式がある。 これはわたしの庭のバラの花。 これはわたしの庭の、 バラの花でねむるハチ。 これはわたしの庭のバラの花でねむる、 ハチに日かげをつくっている、 すっとのびたタチアオイ。 これはわたしの庭のバラの花でねむる、 ハチに日かげをつくっている、 すっとのびたタチアオイのわきの、 まるいオレンジいろのきんせんか。 これは […] (と続く。以下は筆者による省略) (「わたしの庭のバラ の花」アーノルド・ローベル(文)アニタ・ ローベル(絵)松井るり子(訳)から抜粋) ここでは積み重ねによって庭や花々の美しさが強調されていると言える。バラ、 タチアオイ、きんせんか、百日草、ひなぎく、つりがねそう、ゆり、ぼたん、と 花の種類も増え、庭の動植物の様子がにぎやかになっていく。しかし、最後に野 ネズミが出現し、ちぎれ耳の猫が現れ、ハチが目を覚まして、全てが終わり、静 けさと1 本のバラの花と筆者の庭と読者が残るという詩情と余韻に溢れた話であ る。このように同じパターンによる段階を繰り返し、積み重ねの結果、美しさや にぎやかさが頂点を迎え、その後、突然に変化を迎えるという展開は、「パンはこ ろころ」と似ている。この作品ではストーリー終了時点で、静けさの中で最初か ら存在した1 本のバラのみは生きている。ちぎれ耳の猫がそのように暴れたにも かかわらず、なぜ最初から存在していた1 本のバラが生き残ることができたのか は奇跡的なことのように現実世界の住民である読者には感じられるかもしれない。 しかし、この作品が描きたかったのは現実世界で起こりうる可能性の高い出来事 の描写ではなく、静から動への変化、そのクライマックスへ向かう様子、また、 最後にはストーリー開始時と全く同一の状態に戻るという静と動の対照的な情景 だと考えられる。ここでも単に話の筋を追ったのでは伝わり切らない妙味が、積 み上げという反復の形式を通して伝えられている。 次に、ウクライナ民話「てぶくろ」(エウゲーニー・M・ラチョフ(絵)、内田 莉莎子(訳) (1965))は、以下のようなあらすじである。 おじいさんが もりを あるいていきました。 こいぬが あとからついていきました。おじいさんは あるいているうちに、てぶくろを かたほう おとして、 そのまま いってしまいました。 すると ねずみが かけてきて、てぶくろに もぐりこんで いいました。 「ここで くらすことに するわ」 そこへ かえるが ぴょんぴょん はねてきました。[…] (と続く。以下は筆者による省略) この後、ねずみと、かえるに加えて、はやあしうさぎ、おしゃれぎつね、はいい
ろおおかみ、きばもちのいのししが手袋一緒に住みたいと言って訪れ、加わるの である。しかし、1 匹の小さなねずみで始まった手袋の住民は、牙を持ったいの ししまで抱えることになり、先に住んでいたものたちは、迷惑そうな気持ちを応 答ににじませており、この積み上げはそう遠くないうちに瓦解することがほのめ かされている。つまり、ここでは積み上げが、単に動物の数が増えていることや 手袋の中が混んできたことを表現しているだけでなく、不安や不満、不安定感が 増大していることが積み上げ式を通して暗示されていると考えることができる。 「てぶくろ」では、くいしんぼねずみ、ぴょんぴょんがえる、はやあしうさぎ お しゃれぎつね、はいいろおおかみ、きばもちのいのししというように、回を重ね るにつれて、動物が大きくどう猛になっていき、最後には現実世界に住むおじい さんの飼い犬であるこいぬが手袋を見つけて吠えたことから、中の動物たちは皆 逃げていき、手袋の中は空っぽになり、おじいさんは手袋を拾うことになるので、 失ったものを再び取り戻すという、元の状態に戻ることになるのである。 ここで取り上げた「パンはころころ」、「わたしの庭のバラの花」、「てぶくろ」 といった作品と、本稿で扱う「クリスマスの12 日」は、積み上げ形式の点は類似 しているが、異なる点もある。「パンはころころ」では、最後にはきつねに騙され てゼロ(パンが世界に存在していない状態)に戻る様子が描かれていた。「わたし の庭のバラの花」で最後には再びバラの花が一本あるだけの静かな庭の情景に戻 っていく変化が描写されていた。「てぶくろ」も手袋の中に一匹、二匹と棲み始め た動物たちが、最後にはゼロになって逃げていき、無くした手袋が元の持ち主に 戻るという同じ構造を持っていることを指摘できる。しかし、同じ積み上げ歌で も、「クリスマスの12 日」には違いがある。「クリスマスの 12 日」では贈り物さ れる内容物について、贈り物そのものの数は増えていくものの、大きさや素晴ら しさは必ずしも増大しているというわけではないのである。また、「クリスマスの 12 日」では贈り物は 12 日というクライマックスを迎えても、最後の最後に全て が消えてしまって元に戻るということはなく、たくさんのありえないほどの素晴 らしい幸せが積み重なったままの状態で歌のエンディングがやってくるという点 に違いが存在している。 また、「てぶくろ」では、あたたかく居心地が良かったはずの手袋は、だんだん と狭く窮屈で嫌なものに変化しており、そこにいっそう大きく荒々しい動物が訪 れて自分も中に入れるように要求するという不利益状況が増大している。比して、 「クリスマスの12 日」では、魅力的な贈り物が次々に贈られ、喜びが増大してい くのである。また、「てぶくろ」では不愉快な状況が増幅して空間的にも心理的に もぎゅうぎゅう詰めになっており、早晩爆発する不吉な予期を感じさせるものが ある。その解消が「てぶくろ」では現実世界のこいぬとおじいさんの登場であり、 てぶくろ内のカオス的状況は消失し、「積み重ねによる不利益状況の増大から一 転して無へ(秩序の回復)」という変化が見られる。 一方、「クリスマスの12 日」では、利益を与えられる幸福状況が積み重ねられ 継続していくことで、今後特に困ったことが起きるというような予期は感じられ ない。むしろ、これは幸福感に包まれている歌詞であり、非現実的なほどの幸福
であるために、いっそうの面白ささえも感じられるのかもしれない。 3. 認知言語学の道具立てと表現における反復性 このセクションでは、上記で見てきたような言語表現における反復性について、 認知言語学の道具立てを用いて分析することを目指す。 (1) 「スキーマ・プロトタイプ・拡張事例」とイディオムの位置づけ 日常言語の意味の分析方法にはいろいろな道具立てがあるが、認知言語学は意 味の理解や創造性を論じるのに有効な視点の一つである。まず、よく知られてい る「スキーマ・プロトタイプ・拡張事例」の概念について紹介する。「認知言語学 キーワード辞典」(辻幸夫(編))では「スキーマ」について、「同じ事物を示す他 の表示よりも概略的で詳細を省いた記述がされている意味、音韻、もしくは象徴 構造を指す」としている。(辻 2002, 124)プロトタイプ、拡張事例、スキーマは ネットワークを構成することが知られている。プロトタイプはカテゴリーの中核 として機能するものである。また、拡張事例はプロトタイプと異なる性質を持ち 合わせてはいるが、プロトタイプと同じカテゴリーに属すると認識されるのに十 分な類似点も備えているもののことである。そして、プロトタイプと拡張事例の 共通点のみを抽出することをスキーマ化と呼ぶ。スキーマの具象事例がプロトタ イプと拡張事例であるということもできる。 積み上げ歌「クリスマスの12 日」のしめくくりの歌詞である"and a partridge in a pear tree” という表現は、字義通りには「一羽の梨の木にいるヤマウズラ」 という意味である。これは単なる語の構成要素を合体させただけの意味である。 しかし、それが歌として歌われるうちに全体の歌の流れの中で「積み上げ」とい う構造を持つために、この基本表現が12 回繰り返され、最後には 11 個の贈り物 が全て積み重なった対象を指す表現であるという意味を持ち続けると考えられる。 しかし、現在、日常言語使用の場面では、もはや歌のメロディーを伴わず、イデ ィオムとなっている。つまり、字義通りの意味である「梨の木の中にいる鳥」を 指示対象とするのではなく、「その他もろもろ」といった抽象的な意味で、“and a partridge in a pear tree” が前後の歌詞なしに用いられている時、これは当該文 化の中における意味拡張と言えるのではないかと考えた。
(2) イディオムの意味理解について
イディオムと一口に言っても、Gibbs (1994) を始め、諸言語について多くの先 行研究がある。また、日本語のイディオムについても、庄司 (2010)のような認知 的研究を挙げることができる。ここでは “and a partridge in a pear tree” とい うイディオム表現に焦点を当てて、他の代表的なイディオムとの相違点を論じる。 イディオムとは慣用的な表現のことであるが、認知言語学では、人間が比喩的言 語の使用や理解をしている際の代表的な例として注目される対象の一つである。 私たちが日常的に用いている自然言語は、決して辞書に書かれている意味だけで はなく、環境や文脈の中で、いろいろな意味になる。同じ「高い」という形容詞
が「壁が高い」という物理的な高さを表現したり、「値段が高い」という価値の高 さを表現したり、「お目が高い」という審美眼の素晴らしさを表現したりする。字 義通りの物理的な意味が、より価値的で抽象的な意味にも用いることができる。 なぜ、一つの表現が色々な意味になるのか、そして、なぜ、人と人は字義通りで はない意味を適切に理解しあえるのかという多義の諸問題の背景には、人間の認 知能力の反映が存在している。つまり、認知言語学では言語の意味は認識された 外界をカテゴリー化したものであると考え、言語の意味は認知主体の主体的解釈 を基盤としていると捉えている。さらに、言語の意味とは辞書に書いてある意味 項目を一対一で対応させていくような類のものではなく、認知主体が持つ百科辞 典的知識体系との関わりの中で、意味が理解されていくと考えるのである。 私たちは母語習得時には、辞書を引いたりはせず、日常生活で外界と相互作用 しあっていく中で、経験を通して言語を獲得していく。人間として生きている中 で、経験を通した意味理解や意味創出が行われているのである。子どもは母親か らX という語や表現について、「基本的な意味が A であり、拡張的な意味が B で ある」といった教わり方をしない。そうではなく、繰り返し「内外」や「高低」 や「遠近」といった様々な空間認知を経験していく中で、言語の意味を理解し獲 得していくのである。一方、人間が「これは字義的意味だろうか、それとも比喩 的意味だろうか」と考えることがないわけではない。たとえば、非母語話者が外 国語を意図的に学習する場合、辞書をひくことは避けられない。辞書をひくと、 多くの場合、まず基本的な意味が記載されており、徐々に比喩的な意味が紹介さ れ、最後の方に今は使われなくなった表現などが短く言及されていたりする。こ の中で、イディオムは辞書項目の上の方に記載されていることもあれば、下の方 に記載されていることもある。こうしたレイアウトは辞書の編纂方針にも拠る。 認知言語学では基本的な意味(あるいは、字義的な意味)から拡張的な意味への つながりを見つけることを重要視している。それらはバラバラに存在しているの ではなく、何らかの認知的な理由付け、すなわち動機付けがあって、日常言語の 中で自然な拡張的な意味としても用いられていると考えるのである。たとえば、 "and a partridge in a pear tree” というイディオム表現は、文字通りに一つずつ 逐語的に訳せば「そして、一本の梨の木の中にいる一羽のヤマウズラ」という意 味でしかない。そして、日本語に訳した時、それはそれ以上の意味を持っていな い。しかし、英語ではこれはイディオムであり、慣用的には「その他もろもろ」 という意味である。こうしたイディオムの慣用的な意味について、「そのように解 釈するよう共同体で慣習的に長らく用いられてきたから」という説明で終わらせ るのではなく、認知言語学の視点を用いれば、イディオムとは一つ一つの構成語 と構成語の合成、つまり組み合わせに動機づけられており、これらは一つ一つの 単語が独立して持つ意味、つまり “and,” “a,” “partridge” 等を単純に足していっ て最終的に出来上がる総和以上のゲシュタルト構造を持つものであると考えるこ とができるのである。イディオムの種類をさらに分類することもできるが、本稿 ではそこに紙幅を割くのではなく、"and a partridge in a pear tree” というイデ ィオム表現が、確かに各構成語による総和以上のゲシュタルト構造を持ちながら
も、単なるイディオム表現ではないことを指摘したいと考えた。つまり、結論を 先取りすると、本稿で扱っている "and a partridge in a pear tree” という表現 は、一つにはキリスト教文化という背景の中で理解されて初めてゲシュタルト的 意味を持てるということ、もう一つには、「積み重ね歌」という独特な構造を背景 に持っているために、拡張的なイディオム的意味であることを容易に理解できる ということを示せる。たとえば、Gibbs (1994) は、心理言語学研究のテーマとし て、間接言語行為、イディオム、スラング、ことわざ、メタファー、メトニミー、 アイロニーを挙げている。Gibbs (ibid.)ではイディオムの文化性については深く 論じていないことから、本稿が取り上げる“and a partridge in a pear tree” とい う表現の背景にあるキリスト教文化の存在と、また、この “and a partridge in a pear tree” が単なるイディオムではなく、「積み重ね歌」という特別な構造の複合 体でもあることがその意味理解の基盤となっていることを指摘する意義があると 考えるに至った。 庄司 (2010: 17-18) は、イディオムを構成語の語連結が自然で解釈可能な自然 連結イディオムと、構成語の語連結が変則で現実世界にない事柄を表している変 則連結イディオムに分類している。たとえば “kick the bucket”(バケツを蹴る→ 死ぬ)は自然連結イディオム、“bring a storm about one’s ears” (耳の辺りに嵐を もたらす→物議をかもす)は、変則連結イディオムであるとしている。その分類に 従うと、本稿が扱う "and a partridge in a pear tree” という表現は、自然連結イ ディオムであると言うのは難しいかと考える。そのような情景を日常生活の中に 探すことは可能であるとは言えるが、それを贈り物にするのは容易ではない。ま た、住んでいる地域によって梨の木は身近でないことも十分にありえる。また、 partridge やヤマウズラという鳥の名前を知らない人も存在していることも十分 にあり得る。次のセクションで歌全体を示すが、この歌は全体の歌詞としては、 現実的にはほぼあり得ないことを描写しているので背景まで含めると変則連結イ ディオムと考えるのが妥当かと考える。そして、この歌全体としては、とてつも ない幸福感を描いている誇張表現であるということができる。したがって、この "and a partridge in a pear tree” は “kick the bucket”(バケツを蹴る→死ぬ)や “spill the beans”(豆をばらまく→秘密を漏らす)のような自然連結イディオムで はなく、かといって“bring a storm about one’s ears” (耳の辺りに嵐をもたらす →物議をかもす)のような単なる変則連結イディオムとして位置づけられるもの でもなく、歌詞全体の非現実感や「積み重ね歌」の反復性の中で、意味が多層的 に解釈されることを通して、単なる一つ一つの意味の足し算である「一本の梨の 木の中にいる一羽のヤマウズラ」という意味を超えて、「その他もろもろ」という イディオム的な意味解釈がなされ、価値的に良いものがたくさんまだまだ列挙さ れる予期を含意していると考えられるのである。 4. 積み上げ歌「クリスマスの 12 日」の分析 ここでは実際の歌を英語と日本語で取り上げ、どのような積み上げになってい るかを論じる。前のセクションで紹介した積み上げの歌や作品とも比較していく。
(1) 文化的背景について 吉田新一は絵本「クリスマスは12 日つづく」(ドゥエンツェ(絵)(1992)「ク リスマスは 12 日つづく」) の解説の中で、この歌がイギリスとフランスで広く 人々に親しまれている伝承童謡(わらべ歌)であること、マザー・グースの歌の 一つであることを述べている。吉田は以下のように説明している。 キリスト教国では、クリスマスの祝祭は、キリストの誕生日の12 月 25 日一日だけでは なく、その日からエピファニー(公現日または顕現日)と呼ばれる1 月 6 日までの 12 日間通して祝われます。聖書によると、キリストが誕生した時、近くの羊飼いはすぐに お祝いに訪れましたが、はるか東方の国の3 人の学者は黄金とお香と香油の贈り物をも ってはるばる長い旅の末、ようやく12 日目にキリストを拝することができました。(中 略)特にクリスマスの最後の日であるエピファニーに、この日は「十二日節 (Twelfth Day) とも言いますが、お祝いのミンスパイや十二日祝い菓子 (twelfth cake) を食べた 後で、この唄で罰遊びをして楽しむ習慣がひろくおこなわれています。(吉田新一の解説 をドゥエンツェ(絵)(1992)「クリスマスは 12 日つづく」から抜粋 ) このように「クリスマスの 12 日」という歌がエピファニー(公現日または顕現 日)を祝うという背景を持っており、キリスト教文化に根差したものであること がわかる。日本では、12 月 25 日の後、さらに 12 日間クリスマスが続くと考え ている人はまだ少ないだろう。日本では12 月 25 日が過ぎると百貨店やスーパー や町はお正月一色となり、消費行動も元旦を過ごすための購買目的で動く。する と、他の「きよしこの夜」などのクリスマスの聖夜そのものを歌った歌と比べて、 この歌が日本でどれほど定着する可能性を持っているかということにもなる。 (2) 英語と日本語の歌詞について 歌詞は以下の通りである。
On the first day of Christmas My true love sent me A partridge in a pear tree. On the second day of Christmas My true love sent to me
Two turtle doves,
And a partridge in a pear tree. On the third day of Christmas My true love sent to me Three French hens, […]
(と続く。途中は筆者による省略)
On the twelfth day of Christmas My true love sent to me
Twelve lords a-leaping, Eleven ladies dancing, Ten pipers piping,
Nine drummers drumming, Eight maids a-milking, Seven swans a-swimming, Six geese a-laying,
Five gold rings, Four calling birds, Three French hens,
Two turtle doves,
And a partridge in a pear tree.
(ドゥエンツェ(絵)(1992)『クリスマス は12 日つづく』から引用)
また、12 日目だけ抜粋して比較すると、Laurel Long 2014 “The Twelve Days of Christmas,” New York: Puffin Books からの歌詞では違いも見つけられる。伝 承される間に歌詞が多少異なるものが出てくることが想像できる。
On the twelfth day of Christmas, My true love gave to me
Twelve drummers drumming, Eleven pipers piping,
Ten lords a-leaping, Nine ladies dancing, Eight maids a-milking,
Seven swans a-swimming, Six geese a-laying,
Five golden rings, Four collie birds, Three French hens, Two turtle doves,
And a partridge in a pear tree! さらに、ボーラム(絵)(1999)による「クリスマスの 12 にち」では、Four colly birds とされ、鳥の一種である colly 以外は、レイ (作者) (2003)「クリスマスの うたの絵本」とほぼ同じである。谷川俊太郎(訳)、和田誠(絵)、平野敬一(監 修)による「マザー・グース」(第4 巻)(「原詩と解説」pp.64-67, 1985 年, 講談 社)ではクリスマスの「十二日」という「12」を訳出しておらず、タイトルが「ク リスマスの一にちめ」と訳されているが、原詩はボーラム(絵)「クリスマスの12 にち」と同じである。なお、「この遊びはフランスでも盛んだった。また、「梨の 木にとまる」習性はイギリス在来種のヤマウズラにはみられないところから、こ の唄の起源をフランスに求める説もある。第4 連で登場する colly は方言では「(す すけて)黒い」の意味」(ibid.:67) と解説されている。また、フランスについては、 吉田が「クリスマスは12 日つづく」(1992)の解説の中で、「フランスでは『一 年の贈り物』というタイトルで呼ばれている地方もあって、12 種類の贈り物が、 一年の各月にちなむものになっていたりもしています」と述べている。 ここからは、日本語の訳について、12 日目を取り上げ、4つ紹介する。まず、 ドロデー・ドゥエンツェ(絵)・岸田今日子(訳)「クリスマスは 12 日つづく」 (1992)では、12 日目は以下のように和訳されている。 クリスマスの12 日め とんだりはねたり12 人の紳士 踊るレディが11 人 笛吹く笛吹き10 人と 太鼓を叩くドラマー9 人 乳しぼり娘8 人と 泳いでる白鳥7 羽でしょ 卵を抱いた6 羽のがちょう 金の指環が5 つもよ おしゃべり鳥を4 羽でしょ フランスからきためんどり3 羽 きじばとを2 羽、それからね、 梨の木にとまった1 羽のうずら あのひと あたしにくれたのよ
ボーラム(絵)(1999)「クリスマスの 12 にち」では、12 日目は以下の和訳に なっている。 さあ クリスマス じゅうににちめの おくりものは 12 にんの ゆかいな しんし 11 にんの(これまで当該絵本の中で描いてきた絵) […](10 から 3 までは、筆者による省略) それに 1 わの(これまで当該絵本の中で描いてきた絵) これは到底絵本でなくては表現できない、絵だからこそ表現できる、言葉には 表せない強みを生かしている作品であると言えるが、最終ページにわしづなつえ は詞を掲載している。そこでは、「じゅうににんのゆかいなしんし、じゅういちに んのすてきなレディー、じゅうにんのようきなふえふき、くにんのげんきなドラ マー、はちにんのかわいいむすめ、ななわのおいけのハクチョウ、ろくわのかあ さんガチョウ、いつつのきんのゆびわ、よんわのクジャク、さんわのメンドリ、 にわのキジバト、それにいちわのヤマウズラ」と訳出している。ここにこの歌の 単純に英語から日本語に逐語訳を一つ一つ置き換えただけでは訳出しきれない意 味や絵本という絵と文字という両方の視覚的要素を合わせて用いる表現方法を選 択した意義が存在していると考えられる。次に、ブライアン・ワイルドスミス(作)・ 石坂浩二(訳)「クリスマスの12 にち」では以下のように訳されている。 さあ クリスマス 12 にちめは さびしいけれど ツリーを しまおう 12 にんの おとうさん ぴょんと とんで はい ポーズ 11 人の おしゃれな おくさま おしとやかに ひとおどり 10 人の そろって ふえを ふく ふえを ふく くにんの ドラマー ここのつの ドラム はちにんの おじょうさん めうしも はっと う ミルクを しぼる ななわの はくちょう おやこで およぐ ろくわの がちょうの おかあさん うんだ たまごは いったい いくつ ゆびわの ひかり まあるく いつつ よんわの ことり おが ながい さんわの にわとり フランス国旗 にわの きじばと なかよしさん いちわの うずらは なしの 木に 谷川俊太郎(訳)、和田誠(絵)、平野敬一(監修)による「マザー・グース(4)」 では、以下のとおりである。 クリスマスのじゅうににちめ こいびとはわたしにくれた 十二にんの はねてるきぞく 十一にんの おどるきふじん 十にんの ふえふくふえふき 九にんの たいこをならすたいこうち 八にんの ちちをしぼるじょちゅうたち 七わの およぐはくちょう
六わの たまごをだくがちょう 五つの きんのゆびわ 四わの すすだらけのことり 三ばの フランスのめんどり 二わの きじばと そして 一わの なしのきにとまるやまうずら 鈴木紘治 (2012: 200-204) は、「マザー・グースの謎を解く―伝承童謡の詩学 ―」において、この詞を朗唱していくと二つの点に気づくとして、以下のように 指摘と分析をしている。 第一は、視覚的イメージの喚起力にすぐれていて、一連毎にひとコマのはっき りした絵を朗唱者に感じさせる。このことは、挿絵画家たちが好んでこの作品 を取り上げ、美しい作品群を残していることからもうなずけよう。 第二の特徴は、語の頭(時として語中)での音の繰り返し (alliteration)が多い ことで、それがこの詞に音楽的なリズムを与えている。具体的に見てみると、 1~2行は[t]音、3~4 行は[l]音が繰り返されている。5 行目は[p]音、6 行目は [dr]音、7 行目は[m]音、8~9 行目は[s]音と[sw]音、10~12 行目は[f]音、13 行 目は[t]音、14 行目は[p]音が繰り返されている。全体に[l]音が多く、この流音[l] の繰り返しが、詩全体に流れるような<流麗さ>を与えているのである(鈴木 2012, 202)。
鈴木は「lord, lady, piper, drummer の存在は、宮廷か貴族の屋敷といった雰囲気 を設定するのに、役立っている」と指摘している。さらに、「鳥が題材になってい るのは、数字の5 を除く 7,6,4,3,2,1 に関わる部分である。詩全体の内容は、クリ スマス期間に男性から女性の恋人に毎日贈り物が(家来か誰かによって)届けら れたというもので、前半は人の贈り物、後半は人の贈り物である。数字5 に関す る部分だけが取りを扱っていない。しかし、筆者の仮説では、これはもともとgold rings ではなく、gold eggs ではなかったかと思う。前行の “Six geese a-laying,” の後にすぐ “Five gold eggs,” と続いたのではあるまいか。ガチョウが金の卵を 生むという伝説は広く流布しており、マザー・グースでも 15 連から成る<<Old Mother Goose >>のヴァリエーションなどにみられるので、無理のない発想と思 う。Gold eggs が gold rings に変わったのは、おそらく 3~9 行が ing 形で終わ っており、それと音を合わせようとする気持が働いたことと、恋人への贈り物と して、内容的にもgold rings の方がふさわしいと判断されたためであろう」と分 析している。本稿では、肯定的な価値のあるものが、大量に贈られた、それも毎 日連続的に男性から女性には「うずら」や「きじばと」といった様々な鳥や色々 な人たちが12 日間、積み重ねて、贈られ続けたという表現に注目したい。 (3) 反復と意味解釈:書かれていないものを読む
ここでは、この歌の締めくくりのフレーズである “and a partridge in a pear tree” について取り上げる。これは逐語訳すれば、「一羽の梨の木にとまるヤマ ウズラ」ということであり、これまでの「積み上げ」という形式から、たくさん
の魅力的なものを贈られたということは理解できる。そこから転じて、これが成 句となって、「その他もろもろ」という意味として日常言語で用いられている。 何かをリストアップしていって、締めくくりに「等々」と加えたい時に用いられ るのである。たとえば、幼い娘が父親に、これもほしい、あれもほしいとねだっ ている時に、父親がおどけて“And a partridge in a pear tree.” とかぶせれば、 まだまだたくさんもっとほしい、ということだねとふざけて念を押すことができ る。これは1 月 6 日までクリスマスが続くと考える文化を共有していなくては 理解できない意味解釈である。たとえば、the free dictionary.com では、 A phrase used humorously at the end of a list, as in the song "The Twelve Da ys of Christmas."と説明し、以下のような用例を紹介している。
(https://idioms.thefreedictionary.com/and+a+partridge+in+a+pear+tree#:~:text=A%2 0phrase%20used%20humorously%20at,partridge%20in%20a%20pear%20tree.)
A: Do you think you'll be able to remember everything?
B: Oh sure, you just want me to pick up butter, eggs, shampoo, conditioner, bread, turkey burgers, and a partridge in a pear tree. Yes, I think I've got it. 一般に、「一羽の梨の木にとまるヤマウズラ」は字義通り以上の意味を日本語で は持ちえない。この「クリスマスの 12 日」という積み上げ歌を知っていて、ま た、エピファニーを祝う文化を共有しているか少なくともそのような文化が存在 していることを双方が知っている場合にのみ正しく意味が伝達しあえる。また、 幼い頃からこの歌を歌いながら楽しく遊んで幸せな時間を積み重ねてきた経験も 役立つだろう。そもそも、これらの贈り物は全て字義通りに解釈すると非現実的 な内容である。歌が作られていった頃の貴族社会ではそのような規模の贈り物さ えも可能だったのかもしれないが、通常は実現するのが難しいスケールの大きな ものを贈っていると考えるのが自然である。鈴木 (2012, 202) は「視覚的イメー ジの喚起力にすぐれていて、一連毎にひとコマのはっきりした絵を朗唱者に感じ させる」と述べており、視覚的な美しさには共感するが、一方、同時に、これら は現実的には描けないような、だからこそ、描けないくらいに素晴らしいという ことを含意しているような状況ではないかとも考えられる。この歌が伝えたかっ たのは、厳密な鳥としての「ヤマウズラ」や「踊るレディたち」の一つ一つの姿 というよりも、華やかなイメージや贅沢さがふんだんに盛り込まれた全体として のイメージではないかと考える。だからこそ、“And a partridge in a pear tree.” には、「その他もろもろ」という意味が生まれており、その発話や意味解釈のやり とりが成功している時、話し手と聞き手の双方は少し大げさにふざけながらも幸 せなクリスマスのイメージを想起していると考えられる。
5. おわりに
本稿では「クリスマスの12 日」という歌を取り上げ、その積み上げ形式に注目 した。そして、この歌の中に出てくる“and a partridge in a pear tree” という表
現が字義通りの意味ではなく、イディオム化されて、英語を用いるキリスト教文 化の中では決まり文句となり、日常言語の中で「その他もろもろ」という意味で 用いられる背景を認知言語学の視点を用いて分析した。英語の "and a partridge in a pear tree” という表現は、一つ一つの構成語による総和以上のゲシュタルト 構造を持っているイディオムである。しかし、単なるゲシュタルト的意味を持つ イディオムではなく、クリスマスを12 月 25 日から 1 月 6 日までという期間、12 月25 日の後もさらに 12 日祝うという文化が存在しており、エピファニー(公現 日または顕現日)を祝うという背景を共有している場合に、この「12」という繰 り返しが初めて特別な意味を持ちうるということを指摘した。また、この「クリ スマスの12 日」の「積み重ね歌」が絵本に見られる童話の例とも異なり、最後に 元に戻ってしまわず、幸福が積み重なって継続していく余韻を仄めかしているこ とも指摘した。本稿は、言語は文化の中で使用されていく中で初めて意味を持つ ものであるということの一例を示した。 参考文献 庄司明子 (2010).『日英語イディオムの認知的研究』東北大学博士論文. 鈴木紘治 (2012) .『マザー・グースの謎を解く―伝承童謡の詩学―』東京:コー ルサック社. 谷川俊太郎(訳)・和田誠(絵)・平野敬一(監修)(1984).『マザー・グース(1)』 東京:講談社. 谷川俊太郎(訳)・和田誠(絵)・平野敬一(監修)(1985).『マザー・グース(4)』 東京:講談社. 辻 幸夫(編)(2002).『認知言語学キーワード辞典』東京:研究社.
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