時評:ホンジュラス・クーデター事件と国際社会の変化 小倉英敬 <はじめに> 2009年6月28日、中米ホンジュラスにおいて軍部がホセ・マヌエル・セラヤ・ロ サレス大統領を自宅で身柄拘束して隣国コスタリカに追放し、国内に暫定政権が樹立され るというクーデターが生じた。これに対して、国連も米州諸国も暫定政権を承認せず、セ ラヤ大統領の帰国・復帰を求めたが、暫定政権がセラヤ大統領との対話を拒否したため、 膠着状態に陥った。同大統領は9月21日、事態打開を目指してグアテマラ国境から陸路 強行帰国して首都テグシガルパに到着し、ブラジル大使館に籠って暫定政権に対して復職 を要求した。その後10月30日に OAS(米州機構)やアリアス・コスタリカ大統領の仲 介によって国民和解政府の樹立等につき合意が成立したものの、暫定政権側がセラヤ派を 排除して国民和解政府を樹立して大統領選挙を強行したため、セラヤ大統領だけでなくブ ラジルやアルゼンチン等のラテンアメリカ諸島の大半が選挙結果を認めていないという不 安状態が続いている。(12月10日現在) クーデター後に設立された暫定政権が国際社会で承認されていないという状況の背景に は、①過去10年間にラテンアメリカ諸国において生じた変化、②2008年9月に発生 した米国発の国際的な金融・経済危機、及び③2009年1月に米国にオバマ政権が成立 した、という国際情勢の変化が存在する。本稿では、現在進展している国際情勢の意味を 検証し、国際社会に生じつつある構造変化を分析する。 一.ホンジュラスにおけるクーデター ホンジュラスは、中米北部に位置し、面積は11万2500平方キロ、人口は710万 人(2007年、世銀)、経済規模は112億ドル(同上)、一人当たりGNIは1590 ドルの、ラテンアメリカの中でも貧困水準の高い国である。人種構成はメステイソ(混血) が91%、先住民が6%、アフリカ系が2%、ヨーロッパ系が1%であり、ヨーロッパ系 と混血層が支配層を形成している。 同国では、1963年から1980年まで軍政が続き、1980年に制憲議会選挙、1 981年に総選挙が実施され、1982年に民政移管が行われた。以後7回の大統領選挙 が実施され、中道左派の自由党と右派の国民党による二大政党制が定着してきた。セラヤ 政権は2006年1月に成立した自由党政権である。 このホンジュラスにおいて、2009年6月28日払暁、約200名の軍部隊がセラヤ 大統領の自宅を急襲して同大統領の身柄を拘束、同大統領を軍ヘリコプターに強制的に乗 せて隣国コスタリカに国外追放した。軍は直ちに非常事態宣言を発出するとともに、軍部 に同調する議会がロベルト・ミチェレティ議長を暫定大統領に任命し、暫定政権が樹立さ れた。 これに対して、同日セラヤ大統領を支持するチャベス・ベネズエラ大統領が自ら大統領 専用機に乗り込んでコスタリカに赴き、セラヤ大統領の安全を確保した上で、同大統領を 専用機に乗せてニカラグアの首都マナグアに到着した。同日夜、チャベス大統領はマナグ アにおいて、セラヤ大統領も出席したALBA(米州ボリーバル主義代替構想 Alternativa Bolivariana para los Pueblos de Nuestra América、2009年6月に米州ボリーバル主義 同盟Alianza Bolivariana para los Pueblos de Nuestra América に名称変更したが略称
ALBA は継続されている)加盟諸国の緊急首脳会議を招集して、セラヤ大統領を支持して 同大統領の帰国・復帰を求めた。しかし、ホンジュラス最高裁は同日、「本日の出来事は、 裁判所の命令に沿ったものである」と表明し、最高裁がセラヤ大統領の排除を命令してい たことを明らかにした。 軍による行動の直接の原因は、セラヤ大統領が、憲法が規定する権限に基づいてロメオ・ バスケス軍参謀総長を更迭したことにある。同大統領は11月に控えた任期満了に伴う大 統領選挙を前に、大統領再選を禁止している憲法条項の改定のための制憲議会招集の是非 を問う国民投票を6月28日に予定していたことに対して、保守派が支配する軍部、裁判 所、議会がこれに反対し、特に軍部は投票箱の回収と管理を担わされていたにも拘らず、 公然と反対姿勢を表明していた。25日、セラヤ大統領は軍トップがクーデター計画を画 策しているとして、バスケス参謀総長を更迭した。最高裁は、憲法には「大統領の任期に 関する規定は改正できない」と定められているとして国民投票を違憲と判断したが、セラ ヤ大統領が国民投票を強行しようとしたために、左傾化する同大統領に対して反発を強め ていた保守派の総意を結集する形で、軍部による実力行使が行われたものと見られる。 セラヤ大統領は大土地所有者であるが、政権成立以来、透明性のある政府と市民参加を 基本方針とし、教育、保健衛生、治安、燃料価格の安定、食糧安全保障の確立などの国内 諸問題に取り組んできた。しかし、与党自由党が国会で過半数を占めていなかったことも あり、改革は難航していた。 同大統領は、就任後、森林保護のために歴代政権によって保護されていた材木伐採企業 の活動を制限する法を制定し、最低賃金の引き上げ(2009年1月に60%以上引上げ) などの改革も実施したため、財界や支配層などの強い反発を買い、国営通信企業の民営化 問題などで対立してきた。その対立に拍車をかけたのが、2008年前半に国際的な原油 価格が急騰した際に、ベネズエラから低価格の石油を確保することなどを目的として、同 年8月にホンジュラスがALBA に加盟したことであり、保守派は ALBA 加盟をセラヤ政 権の左傾化の象徴であるとして反発を強めてきた。 6月28日、米州機構(OAS)常設理事会はクーデター発生を受けて緊急会合を開催 し、ホンジュラスで発生した軍の行為をクーデターと認定した上で、「クーデターを非難し、 セラヤ大統領と民主主の継続性を支持する」との決議を採択した。また同日、デスコト国 連総会議長(ニカラグア)は、クーデターは「憲法に基づく秩序を壊す犯罪行為である」 と批判し、「唯一の解決策は、主権を持つ国民が選挙を通じて支持したセラヤ大統領を直ち に復帰させることである」と発言した。さらに、同日中に、ブラジル、アルゼンチン、メ キシコなどの域内諸国政府がクーデターを非難した。またオバマ米国大統領も「ホンジュ ラスの政治家や社会勢力に対し、法の支配と米州民主主義憲章の尊重を要求する」と表明、 さらに「いかなる緊張や争いも、外部からの干渉ではなく、平和的な対話を通じて解決す べきである」と述べ、米国が干渉する可能性を否定した。 他方6月30日、米州開発銀行(IDB)がホンジュラス向けの新融資の凍結を発表、 世銀もホンジュラス援助の凍結を決定し、7月1日には米国国防総省がホンジュラスとの 合同軍事演習を凍結する方針を固め、ギブス大統領報道官もホンジュラス向けの経済援助 の見直しなど更なる措置を取る可能性を示唆した。 このように、国際社会がホンジュラス軍部によるクーデターを非難し、セラヤ大統領の
復帰を求める姿勢を強調したが、セラヤ大統領自身は6月29日にニューヨークに赴いて 30日に国連総会で演説した後、ワシントンに移り、当初7月2日に帰国して復職するこ とを目指した。30日、国連総会では米国、ベネズエラ、ボリビア等がクーデターを非難 し、国連加盟国に対してセラヤ大統領以外を承認しないよう求める決議を共同提案して採 択された。7月1日には、OASが緊急会合を開催し、暫定政権に対して72時間以内に セラヤ大統領を復帰させるよう求める決議を採択し、履行されない場合はホンジュラスの OAS加盟国資格を停止すると警告したが、ミチェレッティ暫定大統領はOAS決議に関 して、「OASとは何も交渉することはない」と拒否する姿勢を表明した。 このため、セラヤ大統領は7月2日に予定していた帰国を4日以降に延期したが、暫定 政権はセラヤ大統領に対して逮捕状をとって対抗するとともに、ミチェレッティ暫定大統 領によって任命されたオルテス外相がCNNスペイン語放送で「セラヤ氏はコロンビアか ら米国へのコカイン密輸に関与していた」などと、米国にセラヤ追放の正当性を訴えるた めのアピールを行った。 7月3日、インスルサOAS事務総長がホンジュラス入りし、セラヤ大統領の復帰に向 けて暫定政権に対して働きかけを行った。しかし、リベラ最高裁長官は「逮捕命令が出さ れ、取り消すことはできない」と同大統領の復帰を拒否した。この結果、同4日にOAS はホンジュラスのOAS加盟資格を停止する制裁決議を、ホンジュラスを除く33カ国が 全会一致で採択した。 他方、セラヤ大統領は、7月5日に帰国すべく滞在先のワシントンからベネズエラが手 配したチャーター機で首都テグシガルパに向かったが、軍が空港滑走路にトラックを配置 したため着陸できず、ニカラグアを経由してエル・サルバドルの首都サンサルバドルに到 着した。セラヤ大統領のホンジュラス行きには、別のチャーター機でフェルナンデス・ア ルゼンチン大統領、コレア・エクアドル大統領、ルゴ・パラグアイ大統領や、インスルサ OAS 事務総長が同行した。同日、テグシガルパの国際空港前にはセラヤ大統領の帰国を歓 迎しようとして支持者数万人が集結したが、治安部隊が発砲したため、支持者2名が死亡 する事態となった。7月6日、ケリー米国国務省報道官は記者会見にて「デモ参加者への 実力行使を遺憾に思う」と表明し、暫定政権を批判している。 その後、米国政府がセラヤ大統領と暫定政権の仲介を行い、双方に働きかけて事態収束 に向けた協議を開くよう説得した結果、合意に達した。調停役にはノーベル平和賞受賞者 であるアリアス・コスタリカ大統領が務めることになり、協議は7月9~10日にサンホ セで実施されたものの、調停は不調に終わった。このため7月18~22日に調停が再開 され、アリアス大統領はセラヤ大統領の復帰による「国民和解政府」樹立など7項目の和 解案を提示したが暫定政権が受け入れを拒否した。 このため、セラヤ大統領は7月23日、再び帰国を強行しようと、マドゥロ・ベネズエ ラ外相が同行してマナグアを出発、国境付近にて帰国の時期や入国地点を検討した。24 日には一時的にホンジュラス国内に足を踏み入れたもの、直ぐに反転してニカラグア領内 に戻った。以後、暫定政権がセラヤ大統領の復帰を受け入れず、他方セラヤ大統領側も帰 国に向けた決定打を見いだせないまま、事態は膠着状態に陥った。 8月31日、暫定政権は11月29日に大統領選挙を含む総選挙の実施を決定し、選挙 運動が開始された。OASや周辺諸国は暫定政府の下での選挙結果を認めない方針を示し
ているが、セラヤ大統領も政権復帰の見通しが立たない難しい事態に直面した。その結果、 9月21日に強行帰国を実行することを決意したものと思われる。同日、セラヤ大統領は グアテマラ国境を陸路越境し、15時間後に首都テグシガルパに到着し、その1時間前に ブラジル大使館に対して庇護を求めて同大使館に入った。 暫定政権は、ブラジルに対してセラヤ大統領の身柄引き渡しを要求しているが、ブラジ ル側はこれを拒否、暫定政権は同大使館に対する電気供給を停止した。同21日、暫定政 権が外出禁止令を発出したにも拘わらず、セラヤ大統領の支持者は同大使館とOAS事務 所周辺に集結した。このため治安部隊が実力行使に出て、その結果2名が死亡し、約30 0名が身柄を拘束される事態となった。 上記のように、国際社会、及ぶ米州諸国が一致してクーデターを批判し、米国もホンジ ュラス援助を停止したことから、政権を維持できるとは考えられず、崩壊は時間の問題で あると考えられる。 暫定政権に対する非難を象徴する米州諸国及び国連の動向は次の通り。 ①7月8日、米国政府が対ホンジュラス軍事援助計画1800万ドルを停止。 ②7月24日、南米南部共同市場(MERCOSUR)首脳会議で加盟国5カ国、準加盟国5 ヶ国の計10カ国がホンジュラスのケーデターを非難する共同宣言を発表。 ③7月28日、ケリー国務省報道官は暫定政権の高官4名に対する外交官査証を取り消し たと発表。 ④7月29日、ニカラグアを除く中米6カ国とメキシコ、コロンビア、ドミニカ共和国の 9カ国首脳会議がコスタリカのグアナカステで開催され、クーデターを「厳しく非難する」 最終宣言を採択。 ⑤8月25日、米国国務省がホンジュラスに対する査証発給を大幅に制限すると発表。 ⑥8月26日、中米自由貿易協定(CAFTA)が域内取引からホンジュラスを排除するこ とを決定。 ⑦9月2日、米国国務省がクーデターと認定し、ホンジュラスに対する援助の一部300 0万ドルを正式に停止したと発表。 ⑧9月15日、国連人権理事会が暫定政権のウルビソ駐ジュネーブ大使に対して、同理事 会の討議への出席を認めないことを決定。 その後、10月30日にセラヤ大統領とミチェレッティ暫定大統領が、国民和解政府の 樹立と セラヤ大統領の復帰に関する判断を国会に委ねる内容の合意に署名した。しかし、 11月5日にミチェレッティ暫定政権側がセラヤ派を排除して国民和解政府の発足を発表 したため、同6日セラヤ大統領は暫定政権側の行動により合意は死文化したと宣言し、合 意は崩壊した。11月29日に予定された大統領選挙は強行され、野党国民党のロボ元国 会議長が56%を得票した。さらに、12月2日に議会はセラヤ大統領の復職を認めない 決議を125票のうち111票で可決した。この過程で、米国は11月29日に予定され た大統領選挙を支持する姿勢に転換し、選挙実施後は選挙結果を認める姿勢をしめした。 しかし米国と同様の姿勢を示したのはラテンアメリカ諸国の中で、コロンビア、ペルー、 コスタリカ、パナマの4ヶ国にすぎず、ブラジル、アルゼンチン、ベネズエラ、ボリビア、 エクアドル、ニカラグア、チリ等の大部分のラテンアメリカ諸国は選挙結果を認めず、ま た12月3日にラテンアメリカ会議はホンジュラス国会を資格停止処分にすることを決定
した。特筆すべきは、10月30日にセラヤ大統領側と暫定政権が国民和解政府の樹立等 に関して合意した時点から、米国の姿勢が変化したことである。この米国による姿勢の変 化によって、オバマ政権の発足によって好転しかけたラテンアメリカ諸国の米国に対する 不信感が再び広がりつつある。 二.ラテンアメリカにおける変化 前述の通り、セラヤ大統領は憲法改正に向けた制憲議会の開催の是非を問う国民投票を 実施しようとしたが、このような直接民主主義な方法で政権運営に国民の民意を直接反映 させようとする手法は、チャベス・ベネズエラ大統領が開始したものである。 1999年2月に登場したチャベス政権は、ラテンアメリカにおいて反「新自由主義」 を掲げて登場した最初の政権であり、その後ルラ・ブラジル政権、キルチネル・アルゼン チン政権、バスケス・ウルグアイ政権、モラレス・ボリビア政権、コレア・エクアドル政 権、オルテガ・ニカラグア政権、ルゴ・パラグアイ政権、フネス・エルサルバドル政権等 と、今や13カ国に反「新自由主義」を掲げる政権が存在している。 チャベス・ベネズエラ大統領は、2003年8月に野党勢力が求めた大統領罷免に関す る国民投票を実施して反対票を180万票上回る支持票を得て大勝した。2009年2月 には大統領の三選を可能にするための憲法改正の是非を問う国民投票を実施して、54. 4%の支持を得て三選を可能にした。 このチャベス流の国民投票を実施して、国民の支持を確認しながら統治を進める方法は、 その後モラレス・ボリビア大統領や、コレア・エクアドル大統領が踏襲している。モラレ ス大統領は、2008年8月に野党勢力が求めた大統領不信任に関する国民投票を実施し、 67.4%の支持を獲得、さらに2009年1月には憲法改正の是非を問うための国民 投票を実施して、先住民の権利拡大、地方分権推進、農地改革・土地所有制限、天然資 源の国家による所有等を定めた新憲法案に61.4%の支持を得て、保守派の野党勢力 の執拗な妨害を、国民多数の支持を確認することによって克服する方法で統治を継続し ている。 コレア・エクアドル大統領も、2008年4月に憲法改正に向けて制憲議会の設立に関 する賛否を問う国民投票を実施し、有権者多数の支持を受けて、同年9月に制憲議会選 挙を実施し、その結果コレア大統領支持政党が制憲議会の絶対過半数を占め制憲議会が 発足した。2007年7月には、制憲議会にて、94票の賛成と32票の反対・棄権に より新憲法草案が可決された。同年9月には同新憲法草案は国民投票に付され、国民多 数の支持を得て憲法草案は可決された。そして、新憲法に基づき2009年4月に大統 領選挙が実施され、コレア大統領が再選された。 セラヤ大統領は、このようなチャベス大統領が開始し、モラレス大統領やコレア大統領 が踏襲している国民投票という直接民主主義的方法によって国民の真意を問いながら政治 を進めるという路線を採用しようとしていた。しかし、セラヤ政権が2008年8月にベ ネズエラやキューバが主導するALBA に加盟して左派寄りの姿勢に転じたことに対する 反発が国内保守層から噴出していた。 ALBA は、2001年12月にベネズエラのマルガリータ島で開催されたカリブ諸国連 合の第3回首脳会議において、チャベス・ベネズエラ大統領が構想を提案し、その直後に フィデル・カストロがそのアイデアに関心を示してチャベス大統領に説明を求め、その結
果2004年12月14日にまずキューバとベネズエラの間で調印されて実現した。その 後、2006年4月29日にボリビアが、2007年1月11日にニカラグアが、200 8年1月26日にドミニカが、同年8月25日にホンジュラスが、2009年6月24日 にエクアドル、アンティグア・バーブーダ、セントビンセント・グラネディーンの3カ国 が加盟し、加盟国は9カ国に達している。 ALBAが設立された目的は、1994年にクリントン政権が提起した「米州自由貿易 圏(FTAA、スペイン語での略称はALCA)」構想に対する対抗戦略を策定することに あった。2004年12月14日に発表されたキューバとベネズエラの共同宣言は、AL BAの目的に関して、「FTAAの内容と目標の断乎とした拒絶」であると述べた。そして、 「FTAAに反対する10の理由」として、①NAFTA(北米自由貿易協定)の延長で あるFTAAは労働者と環境に悲惨な結果をもたらす、②締結が秘密裏に行われた、③労 働者の権利を縮小し雇用を減少させる、④環境を悪化させる、⑤人間の生命を危険に陥れ る、⑥民営化によって基幹的な公共サービスが劣化する、⑦多国間投資協定を混入させる、 ⑧遺伝子組み換え体を蔓延させる、⑨貧困と不平等を助長する、⑩別の選択肢が存在する こと、を掲げた。 ALBAの名称に付された「ボリーバル主義」は、チャベス大統領が提唱する「ボリー バル主義」に基づいている。ALBA が設立された2004年12月14日に発表されたキ ューバとベネズエラの共同宣言には、次のように記されている。 「アヤクチョの戦いの輝かしい勝利の、そしてわれら国々の統合の真の過程に向けた道を 切り開こうとする試み―――以来、挫折してきたが―――であったパナマの条約締結国会 議の180周年を記念する本年、ついにボリーバル共和国の強化と、われらの国々に課せ られてきた新自由主義政策の明白な失敗が相俟った現在、ラテンアメリカとカリブ地域の 人々は第2の、そして真の独立を、ボリーバル主義代替構想の誕生への道を見出した、と いう確信を我々は表明する。」 さらにALBA の枠内で2006年4月にキューバとベネズエラとの間で「人民貿易協定 (TCP)」が締結され、その後エクアドルとニカラグアが参加、ラテンアメリカ及びカリ ブ諸国の域内における対等な相互補完関係に基づく経済交流・貿易システムが確立され、 拡大してきている。 このようにラテンアメリカに多くの反「新自由主義」を掲げる諸政権が成立し、その一 部はALBA に結集する形で、反「新自由主義」をより明確に示してきたことで、米国が1 994年12月に提示した対ラテンアメリカ経済戦略であるFTAA(米州自由貿易圏)構 想は挫折した。2005年11月にマル・デル・プラタで開催された第4回米州サミット においては、米国やメキシコなど29カ国がFTAA推進を主張したが、交渉再開に慎重 なMERCOSUR(南米南部共同市場)加盟のブラジル、アルゼンチン、ウルグアイ、 パラグアイの4カ国と、FTAAそのものに反対するベネズエラが強硬に反対したため、 2005年年末までの発効は不可能となった チャベス政権の登場以来、FTAA発効に否定的な影響を与える諸政権が登場したが、 特に大きな転換点となったのは2003年1月のルラ・ブラジル政権の発足であった。同 年12月にマイアミで開催された閣僚レベル会議の準備過程で、共同議長国である「一括 交渉・早期終結」を主張する米国と、農業市場アクセスの開放を重視して分割交渉・交渉
継続を掲げ、さらにシンガポール・イシュー(投資、サービス、政府調達、知的所有権等) の枠外化を主張するブラジルが対立した。言わばブラジルが途上地域としてのラテンアメ リカ諸国の意向を代表する形で、米国主導に抵抗したのである。そして、双方の妥協とし て「分割交渉・早期終結」とシンガポール・イシューの枠外化が決定された。この時点か ら米国は、FTAA交渉の戦術を「二段階アプローチ」に変更し、NAFTA及び中米自 由貿易協定(CAFTA、2004年1月署名)加盟国を「上級協定」交渉の対象とする とともに、アンデス諸国とは二国間FTA交渉を進め、これによってFTAAに消極的な MERCOSUR諸国を孤立させる方針に変更した。この方針は「競合的自由化」と称さ れるたが、言わば各個撃破の戦略である。二国間FTAに関しては、チリとは2003年 6月に署名を終え(2004年1月発効)、2004年4月からパナマと交渉を開始し20 06年12月に終了、また同年5月からペルー(2006年4月署名)、コロンビア(20 06年11月署名)、エクアドル、ボリビアの3カ国との間で交渉を開始して、署名までに 達したが、ボリビアは交渉中からオブザーバーに転じ、またエクアドルとはコレア政権の 発足によって交渉は停止された。このように、ボリビアとエクアドルに反「新自由主義」 を掲げるモラレス政権とコレア政権が登場したことにより、アンデス諸国とのFTA交渉 は中断されている。今や、ALBA 加盟諸国を含めると、FTAAに反対する諸政権は13 カ国を数えるに至っており、1990年代以後の米国の対ラテンアメリカ経済戦略は完全 に挫折したと言え、オバマ政権がどのように見直しを図るかが注目される。 また、米国の対ラテンアメリカ政治・軍事戦略も21世紀に入って挫折してきた。20 02年9月、ブッシュ政権は前年9月に発生した所謂「9・11」事件を受けて、「対テロ 戦争」に重点を置き、米国に脅威を与える可能性がある要素に対する先制攻撃戦略を強調 する『2002年国家安全保障戦略』を発表した。同文書は米国に対する、テロ攻撃を防 ぐための、即ち米国の本土防衛を重視した総合的な国家安全保障戦略であり、「テロ」支援 国家に認定した国家に干渉して民主化を推進することを目指すだけではなく、大量破壊兵 器を開発・貯蔵する国に対しても一定の条件下では米国が先制攻撃し、その政権を打倒し た上で、新政権を樹立することをも辞さないとする意志を表明した長期的な国家戦略であ る。 同文書の中でラテンアメリカにおける目標として触れられたのは、依然として「麻薬戦 争」であったが、他方で「対テロ戦争」の意味合いも追加された。同文書は、「ラテンアメ リカの一部地域は、特に麻薬カルテルやその共犯者らによる暴力から生じる地域紛争に直 面している。こうした紛争や麻薬密輸の横行は、米国の繁栄と安全保障を危険にさらす可 能性がある。従って、われわれは、アンデス諸国がそれぞれの経済を調整し、法を執行し、 テロ組織を掃討し、麻薬の供給を断ち切る積極的な戦略を策定するとともに、同様に重要 なこととして米国内の麻薬需要の縮小を目指す」と論じた。 しかし、このような新たな国際戦略を掲げた米国に対して多くのラテンアメリカ諸国は 拒否反応を示し、対麻薬・対テロ戦争に向けた多国籍軍創設に関してもこれを拒否した。 2004年11月にエクアドルのキトで開催された第6回国防相会議において、ラムズフ ェルド国防長官(当時)は、テロや麻薬、誘拐、犯罪集団など国境を越えた問題に対処す るため、「各国の領土を越えた実効主権(Effective Sovereignty)の保障を根本的な目標と しなければならない」と、「実効主権」論を展開して、それを実行する多国籍軍の創設を提
案した。この路線は、「米国主導の合同軍事作戦を通じて、“統治されていない地域”への “実効主権”の行使を主張し、米軍及びパートナー諸国の軍隊の新たな役割の合理化をは かる、米国の新しい干渉主義理論」であるとの指摘されている。しかし、会議では、テロ や麻薬を口実に他国に干渉することに反対する意見が続出し、米国が目論んだ多国籍軍創 設は拒否された。 2006年3月、ブッシュ政権は『2006年国家安全保障戦略』を公表した。同文書 はブッシュ政権の自己評価とも言うべき文書であり、『2002年国家安全保障戦略』の正 しさを主張するとともに、それ以降の国家安全保障政策の成果を示すことを意図したもの と評価されるが、一方で「米国ほどの強国であっても、一国でできることには限界があり、 われわれの国家安全保障戦略は目標においては理想的だが、手段においては現実的である」 と述べているように、政策を力の限界によって条件づける伝統的な思考法に変化している。 『2006年国家安全保障戦略』において表現された米国のラテンアメリカ戦略の中で特 に注目されることは、ベネズエラを「地域を不安定化させる」要因として挙げている点で ある。反「新自由主義」を掲げる諸政権が続々と登場し、米国が強化しようとする地域的 な秩序に対抗し始めたことが、米国の国家戦略の視点にも影響を与えていることが見てと れる。 反「新自由主義」を掲げる諸政権の台頭に対して、ブッシュ政権は世界的な「対テロ戦 争」戦略にラテンアメリカを統合するため、米国と良好な関係にあるパートナーとなる各 国軍が米軍とともに活動する能力や相互運用性を高め、グローバル秩序の共同防衛に参加 させることに重点を置く軍事戦略を進めている。この軍事戦略は、「実効主権論」に基づい た多国籍軍の編成(前述の通り、2004年11月にキトで開催された第6回米州国防相 会議においてラテンアメリカ諸国によって拒否されたが)と、「恒常的な軍事的プレゼンス なし」に米軍が安全保障関連活動を展開できる基盤の構築に重点を置いており、後者に関 しては1999年に「麻薬戦争」の一環として設置した「安全保障協力施設(CSL)」4 ヶ所が、米軍部隊が常駐しない前線展開基地として活用されている。 このような米国のラテンアメリカに対する軍事戦略は、経済面でのFTAA戦略と同様 に、ラテンアメリカ諸国の反発を引き起こした。エクアドルが示したように、米国が前線 展開基地を確保しようとする戦略にもラテンアメリカ諸国の反発が見られる。米国の対ラ テンアメリカ軍事戦略は「トランスフォーメーション(在外米軍再編計画)」の一環として、 「麻薬戦争」から「対テロ戦争」へシフトさせつつあると考えられるが、必ずしもそのシ フトは一貫していない。このような各国軍との連携を強めるとともに、「トランスフォーメ ーション」の一貫としての前線展開基地の維持を機軸とした米軍のラテンアメリカに対す る軍事戦略に対して、特に南米諸国において米国に対する協力を拒否する機運が強まって いる。2008年7月、コレア・エクアドル政権は2009年11月に期限切れとなるマ ンタ基地の貸与協定を更新しないことを米国に通告し、本年9月18日マンタ基地から米 軍が完全撤退した。また、同年9月17日、ルゴ・パラグアイ政権は2010年に予定さ れていた米軍とパラグアイ軍の共同軍事演習にパラグアイ軍を参加させず、演習に伴う中 流米兵の受け入れも拒否すると表明した。 さらに、何よりも米国にとって米州地域集団安全保障の基盤となる軍事同盟である19 48年に発効した「米州相互防衛条約(リオ条約)」からラテンアメリカの重要国であり、
米国の同盟国でもあるメキシコが脱退するという事態も生じた。同条約の第3条は、「締結 国は、当事国の一国に対するいかなる国家の武力攻撃も当事国のすべてに対する攻撃とみ なされることに同意する」と協同防衛義務を規定している。しかし、2001年9月にメ キシコが「われわれは、軍事同盟を通じて自分たちを防衛することを余儀なくされるよう な、米州大陸の外からの敵に直面していない」と論じ、リオ条約からの脱退の意向を表明 した。そして、翌年9月にメキシコは脱退を正式に通告し、条約第25条の規定に基づき、 通告から2年が経過した2004年9月6日で脱退手続きが正式に完了した。 このような米軍のラテンアメリカに対する軍事戦略に対する拒否反応、及び米国の同盟 国であることに対する拒否反応は、反「新自由主義」を掲げ、FTAAを軸にした米国の 経済戦略に抵抗している諸政権が「米国離れ」を示しつつある状況と連動していることを 指摘できる。このようなラテンアメリカ諸国の傾向に対して、オバマ政権は、ブッシュ政 権時代に策定された米国の対ラテンアメリカ外交の見直しを行いつつある。 三.国際社会の変化 1999年のチャベス政権の登場以来、ラテンアメリカに多くの反「新自由主義」政権 が発足して、「新自由主義」経済モデルを拒否する姿勢を示してきたが、2008年9月に 米国におけるリーマン・ブラザーズの破綻を契機として発生した米国発の金融・経済危機 は、欧州諸国や新興・途上諸国を中心として脱「新自由主義」の傾向を強めることになっ た。同年11月にワシントンで開催された第1回G20金融サミット、2009年4月に ロンドンで開催された第2回G20金融サミットにおいては、サルコジ・フランス大統領 やメルケル・ドイツ首相をはじめとする欧州諸国、ブラジル、ロシア、インド、中国など の新興・途上諸国が、金融システムの監視・規制の強化や、景気回復に向けた財政出動に よる需要の拡大策の実施などを通じて、脱「新自由主義」傾向を顕著にしつつある。また、 同年9月に米国ピッツバーグで開催された第3回G20金融サミットにおいては、G20を G8の上位に位置する枠組みとすることが決定された。このような事実は、BRICsに代 表される新興諸国の発言権が増大し、国際社会が多極化の方向に進みつつあることを示唆 しているものである。 これに対して、オバマ大統領がどのように対応していくのかが注目される。少なくとも、 オバマ大統領の登場は、国際政治的にラテンアメリカとの関係において大きな変化を生じ させつつある。同大統領の就任以後、2009年9月までに米国とラテンアメリカとの関 係において生じた大きな変化は2点ある。ホンジュラス・クーデター問題とキューバのO AS復帰問題である。 従来の米国政府は、カーター政権期を除いて、親米的な傾向の軍クーデターは支持する 傾向があり、「民主主義制度を崩壊」させたことを理由に非難する立場をとることは少なか った。特に、冷戦時代には「共産主義」からの防衛を理由に大半のクーデターを容認して きた。しかし、今回のホンジュラスにおけるセラヤ大統領の強制追放についてはクーデタ ーと認定した上で、同国に対する経済・軍事援助の一部を停止し、査証発給についても制 限した他、OASの場において、米州諸国と協調してクーデターを批判し、セラヤ大統領 の復権を求めた。このような米国の姿勢は前述の通り、その後変化したものの、少なくと もオバマ政権以前には見られなかったことである。 また、キューバのOAS復帰問題に関しても、米国の姿勢に変化が生じた。2009年
6月1~3日のホンジュラスで開催されたOAS年次総会において、1962年にキュー バの加盟権を停止した決議を無効とする決議案が、事前の予想に反して全会一致で採択さ れ、47年ぶりにキューバ排除の撤回が決定された。最終的な決議案は、これまでキュー バ復帰に慎重姿勢を崩さなかった米国の姿勢を考慮して、「OASの目的、原則に則る」と の一般的表現にとどめるものとなった。キューバのOAS復帰に関しては、キューバ自身 は重要性を与えておらず、今回の決議採択後も、6月3日に発した声明において、「米州諸 国国民の復権の日だ」と歓迎したものの、「復帰の申請もしていないし、復帰する希望も持 っていない」と重視しない姿勢を続けている。しかし、ラテンアメリカ諸国の間ではベネ ズエラ、ボリビア、エクアドルなどがカルタヘーナ・グループ会合の場などにおいて、他 のラテンアメリカ諸国を巻き込む形でキューバのOAS 加盟権停止の無効決議案採択を進め た。米国は今回の排除撤回決議後も、条件として「キューバの復帰がOASの目的と理念 にかなうと判断されれば、将来的に復帰できる」と、復帰には反対しないが、条件付きで あるとの姿勢を堅持しているが、しかし、キューバ排除が47年ぶりに撤回されたことは、 キューバが示しているこれを重視しないとの反応は尊重されるべきではあるものの、各国 が独自の方向性を模索することが漸く国際的にも現実に確認されるような時代になったと いう意味で、歴史におけるその意味は大きい。 オバマ政権は、2009年6月にキューバ国民に情報を流すことを目的にブッシュ政権 期にハバナの米国利益代表部前にブッシュ政権期に設置された巨大な電光掲示板の運用を 停止したほか、7月14日にはキューバから米国への不法入国者への対応をめぐる両国間 協議が再開され(2003年に開始されたが2004年に中断)、9月3日にはブッシュ政 権期に強化されてきたキューバ系米国人のキューバ渡航自由化や、家族への送金規制を解 除した。 このようなオバマ政権の登場によって国際社会の変化をもたらしたのは、ベネズエラを 筆頭としてラテンアメリカに登場した反「新自由主義」を掲げる多数の政権の存在である。 今やラテンアメリカ諸国は、種々の国際的な場で、世界的な社会正義の実現を目指した行 動をとっている。 例えば、6月15~17日にジュネーブで開催されたILO(国際労働機関)が主催し た「世界雇用危機サミット」において、ルラ・ブラジル大統領は、経済危機は人類史上前 例のない金融投機によって引き起こされたと指摘、「危機の発生を通じて、投機を許す金融 システムやタックスヘイブンに対して、断固なる姿勢で臨まねばならないことを理解した」 と述べ、フェルナンデス・アルゼンチン大統領は経済危機の原因は「新自由主義経済」に あったとして、経済面での規制や監督に国家がより強い役割を担う必要性を強調した。 また、6月24日からニューヨークで始まった「世界金融・経済危機と開発に与える影 響に関する国連会議」においては、国際金融機関の改革に関する円卓会議においてノーベ ル賞受賞経済学者のスティグイリッツが途上国・新興国に「新自由主義」経済路線を強要 してきたこれまでのIMFに姿勢を批判し、途上国の支援に焦点を当てた新たな国際金融 システムの枠組みの創設を提唱した。ラテンアメリカからは、コレア・エクアドル大統領 が本会議において、IMFは「新自由主義に基づくイデオロギー的な市場をつくることに 奉仕してきた」、「IMFの改革は、不十分な過渡的な解決策しかもたらさない」とIMF を批判し、加盟国間で地域金融協力の模索が前進しているALBA の実例を紹介した。ゲバ
ラ・ニカラグア財務相も、「ALBA の最優先課題は貧困から人々を守ることである」とA LBA 意義を強調した。また、ゴンサルベス・セントビンセントグラナディーン首相は「新 自由主義」の下で行われてきた金融機関に対する規制緩和を批判した。 このように反「新自由主義」を掲げるラテンアメリカの諸政権は、国際的な場で「新自 由主義」批判を展開して、新たな国際協力の枠組みを創設する必要性を主張している。ま た、それは二国間あるいは多国間レベルにおいても実行されている。5月19~20日に 中国を訪問したルラ・ブラジル大統領が、胡錦涛国家主席との会談後に発出された共同声 明において、「途上国の発言力を拡大することで連携を強化すること」で一致したと表明し た。また、6月16日には、前日から上海協力機構の首脳会議が開催されていたロシアの エカテリンブルグをルラ・ブラジル大統領が訪れて、胡錦涛中国国家主席、メドヴェージ ェフ・ロシア大統領、シン・インド首相とともにBRICs4カ国の首脳会議を初めて開催 し、国際金融システムの改革について統一的な姿勢を表明した。 このようにラテンアメリカ諸国の変化等を通じて国際社会の構造変化とも呼びうる現象 が生じている。 <おわりに> 本稿で指摘したように、1999年2月のチャベス・ベネズエラ政権が発足して以来の ラテンアメリカにおける多数の反「新自由主義」諸政権の登場、2008年9月に生じた 米国発の金融・経済危機の発生を契機として国際社会で進展した脱「新自由主義」化の傾 向、及びオバマ政権の成立は国際社会に大きく変化を生じさせている。その典型的な例と して、ホンジュラスにおける軍クーデターに際して、過去には見られなかったような、国 際社会が一致してクーデターを非難する現象が顕著に現れた。今や、国際社会が脱「新自 由主義」化と多極化という方向で構造変化を生じさせつつあることが鮮明になりつつある。