仕掛学──人を動かすアイディアの作り方
132 Japan Marketing Academy
マーケティングジャーナル Vol.37 No.4(2018) http://www.j-mac.or.jp
ブックレビュー ─ シリーズ 93
本書は著者である松村真宏氏が提唱する「仕 掛学」を一般の読者を対象に紹介したものであ る。松村氏が収集した様々な仕掛けの事例を通 して,仕掛けとは何か,どのように人間の行動に 作用するのかを検討し , 仕掛けを生み出す発想 法について紹介している。
本 書 で 扱 わ れ る「 仕 掛 け 」 と は , 公 平 性 (Fairness, 誰 も 不 利 益 を 被 ら な い ), 誘 引 性 (Attractiveness, 行動が誘われる), 目的の二重 性(Duality of purpose,仕掛ける側と仕掛けら れる側の目的が異なる)という3つの要件をす べて満たすものを指す。例えば , 男性用の便器 に的を設置することで , 利用者は意図していな いけれども , 結果的にトイレをきれいに利用す ることになるという設置者の意図に沿った行動 をとってしまう(目的の二重性)。特に説明が ないにもかかわらず , 利用者は的を狙って用を 足す(誘引性)。この一連の行動において,誰も 不利益を被っていない(公平性)。したがって 便器の的は仕掛けとして機能している。 こうした仕掛けの事例を紹介しながら , それ らが人間の行動を変容させるメカニズムについ て考察・分析を行っている。松村氏が新たな学 問分野と現象の切り口を世に問うという点で非 常に意欲的な著書である。ⅠからⅢで本書の紹 介を,Ⅳで本書の貢献や限界について述べる。
Ⅰ. 序章・第1章
仕掛けによる行動変化の事例紹介や仕掛けの 定義,仕掛けの特徴や機能,役割が説明される。 仕掛けは , 行為者に新たな行動の選択肢を提 示する。例えば,いつもは階段ではなくエレベー タやエスカレータを利用している人が , ピアノ の鍵盤のように塗装された , 踏むと音が鳴ると いう仕掛けが設置されている階段に直面したと きに , どのような行動をとるだろうか。面白そ うなので今日は階段を使ってみようか , という 動機を引き起こして実際に階段を使うかもしれ ない。あるいは , これまで通りエレベータやエ スカレータを使うことを選択する場合もある。 ただしこの仕掛けがあることによって , 階段の 利用者が増えることになり , 結果として運動不 足の解消や省エネといった , 個人や社会の問題 解決につながる。
こうした仕掛けの機能は ,「健康のために階 段を使いましょう」という標語であったり , エ レベータやエスカレータを使用禁止にしたりす るやり方とは本質的に異なっている。普段から 運動しない人にとって,「階段を使いましょう」 というメッセージはほとんど効果がないと思わ れる。また強制的に階段を使わせるというやり 方は利用者に不便を強いるため不満を誘発する ことにつながる。
つまり , 企画する側の意図を対象者に押し付 けるようなものは仕掛けではない。仕掛けられ
仕掛学
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人を動かすアイディアの作り方
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松村 真宏 著
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仕掛学──人を動かすアイディアの作り方 Japan Marketing Academy
JAPAN MARKETING JOURNALVol.37 No.4(2018) http://www.j-mac.or.jp る側が自発的に取り組んでみようという動機を
持ち行動することで , 結果として企画側の意図 や社会問題の解決に繋げようという仕組みが仕 掛けと呼ばれる。
あるモノが仕掛けとして機能するか否かは行 為者の自発性に依存するため , その効果が長続 きしない場合が多い。階段から音が鳴るのも , 慣れてしまえば好奇心や面白さを生まない。仕 掛けの効果は行為者の便益と負担によって決ま り , 負担は常に一定であるが便益は時間の経過 によって逓減するからである。ピアノ階段の例 でいえば , 行為者の便益は楽しさと好奇心が満 たされること , 負担は階段を使うことによる疲 労である。階段を使うことによる疲労は一定で あるが , 好奇心や楽しさはすぐに失われる。仕 掛けを長続きさせるためには行為者の負担を小 さく抑えるか , 飽きないような要素を追加して 便益が逓減する速度を緩やかにする工夫が必要 である。
Ⅱ. 第2章
第2章では仕掛けが行為者に作用するメカニ ズムについて考察している。
松村氏によれば , 仕掛けのメカニズムは物理 的トリガと心理的トリガの 2 つに分けられ , 前 者にはフィードバックとフィードフォーワード が , 後者には個人的文脈と社会的文脈とがそれ ぞれ中分類として存在している。これらの要素 は単独で機能するわけではなく , これらの組み 合わせによって仕掛けになる。物理的トリガに よって仕掛けに接触してもらい , そこから行為 者の心理に働きかける。
たとえば物理的トリガのフィードバックは , 行動した結果として行為者の五感に訴える何か
が生じるような仕掛けである。行為者はフィー ドバックに対する期待と好奇心によって , 普段 の行動を変える。フィードフォーワードは , こ れまでの経験から類推される形状であったり (アナロジー),経験がなくてもモノの形状自体 に一定の行為を誘発させるデザイン(アフォー ダンス)が存在しているモノを指している。 これらのモノとしての特性によって引き付け られた行為者は , 仕掛けによって提示された新 たな行動を個人的文脈や社会的文脈で解釈し , 動機付けられる。個人的文脈には消費者行動論 や心理学で議論されているような不協和や報 酬,期待,承認などが含まれる。社会的文脈には 社会規範や他者を意識するなど社会学で議論さ れてきた要素が含まれている。
Ⅲ. 第3章
すでにある仕掛けの発見方法と新たな仕掛け の発想方法について書かれている。
新たな仕掛けを考案するためには , すでに世 の中にある仕掛けに対する理解が不可欠であ る。しかし仕掛けは意識しないと見えてこな い。仕掛けを発見するためには , 子どもや他者 の行動観察 , 自分の行動のメタ認知が重要であ る。問題を特定し , 通常の行動が起きるメカニ ズムとそれを変化させるための手掛かりを探索 し,理解する段階であると言えよう。
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Ⅳ. 本書の貢献と限界
本書の副題は『人を動かすアイディアの作り 方』であるが , 本書の主張は新たな仕掛けの生 み出し方を提示するというよりも , むしろ個人 や社会が問題を抱えているときに , 仕掛けとい う新たな問題解決方法を検討しようという提言 であると思われる。仕掛けという切り口は,マー ケティングのみならず,心理学,社会学,工学,デ ザイン学など , 様々な分野に影響を及ぼす重要 な視点であり,今後の研究が俟たれる。 アカデミックな立場から見ると,本書の最大の 貢献は仕掛けのメカニズムについての分析であ ると思われる。デザインや工学に関して評者は 無知であるので物理的な特性に関する研究がど のように展開されているのかに言及することが できないが,製品を仕掛けという切り口から評価 することは重要な視点の1つになり得る。マー ケティングや消費者行動の研究においては,心理 的トリガに関する研究の蓄積はあるけれども,物 理的トリガに関する研究はほとんどない。どの ような製品(デザイン)が物理的トリガとして 機能するのか,物理的トリガと心理的トリガとど のように結びつくのかといった問題を議論する ことによって,製品開発研究や消費者の製品利用 に関する研究がより深まるだろう。
実務的な立場から考えると , 仕掛けを製品や サービスの企画や販売の現場にどのように利用 するかが重要である。松村氏が懸念しているよ うな売上増のために人を騙すという使い方では なく , 消費者の便益を高めながら売上増や客単 価の向上を目指すことができるという点で , 仕 掛けはマーケティングの重要なツールになり得 る。また , 広告や販売促進活動への接触に対し
てネガティブな態度を持つ消費者に対して , 消 費者の行動に影響を及ぼす代替案の一つとして 仕掛けが利用可能であろう。
唯一気になるのは , 仕掛けの定義の曖昧さで ある。収集される事例にバイアスが生まれる可 能性があり , 仕掛けのトリガの種類・組み合わ せの特定やメカニズムの解明という今後の研究 の制約となる恐れがある。
例えば , 公平性の基準は主観的な要素が介在 する余地がある。本書の中にも,「「悪い仕掛け」 は公平性を欠くので,仕掛けとは呼ばない。」(p. 37)という記述がある一方で ,「「良い仕掛け」 と「悪い仕掛け」の区別が明確でない場合も多 い。」(p. 35)という指摘もあり , 公平性を客観 的な基準で判断できない。
また , 本書で紹介されるホームベーカリーの 事例で言えば , 仕掛ける側(焼き立てのパンが 食べたい)と仕掛けられる側(目覚ましとして 使える)が同じ人であるときに , 目的の二重性 という定義に当てはまるのだろうか。パンが焼 けたらすぐに取り出さなければならないという のは , 製品の技術的な制約に過ぎないのではな いか。また , 朝食以外の目的にパンを焼くとい う使い方では , 目覚ましという目的や早く起き るという行動の誘引性が失われるため , 仕掛け としての定義を満たさないのではないか。 以上のような疑問はあるが , 仕掛けという切 り口がマーケティングの研究者と実務家にとっ て現象を解釈する新たな切り口となることは間 違いない。様々な研究エリアから仕掛けに対す る研究が進むことを期待したい。
評者:上原 渉