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北朝鮮の国際的信頼構築における6ヵ国協議の有効性

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北朝鮮の国際的信頼構築における

6 ヵ国協議の有効性

人文学部国際文化学科比較社会論コース

0210025045 高柳里美

(2)

はじめに

1

序論

2

第1 章 北朝鮮の国内情勢

3

第1 節 現状から見る信頼の低さ 3 第2 節 国内情勢(経済難、食糧難) 5 1) 経済難の深化 5 2) 食糧難 7 3) 亡命・脱北者の増加 9 4) 今後の展望 9 第3 節 外交努力 10 第2 章 北朝鮮を取り巻く国際環境

12

第1 節 国際的動向 12 第2 節 周辺国との関係 12 1) 韓国 12 2) アメリカ 14 3) 日本 16 4) 中国 17 5) ロシア 18 第3 章 6 ヵ国協議 20 第1 節 核問題の現状 20 1)これまでの経緯 20 2)6 ヵ国協議の開催とその意義

20 第2 節 枠組みに対する考察 21 第3 節 問題解決のための課題 22 第4 章 信頼の必要性と信頼構築

24

第1 節「信頼」の必要性 24 1)信頼の必要性 24 2) 信頼構築の要件 25 第2 節 6 ヵ国協議の有効性

26 結論

28

終わりに

29

参考文献、巻末資料

30

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はじめに

日本において、北朝鮮のイメージは、日本人拉致問題、脱北者、深刻な経済難・食糧難、 多発する自然災害、テポドンなど、決してよいものではない。しかし、小泉純一郎首相が、 2002 年 9 月 17 日に平壌で会談を開催し、「日朝平壌宣言」の発表1)、2000 年以降に開催 されている6 ヵ国協議への参加など、北朝鮮との外交を積極的に展開している。 しかし、このような積極的な外交活動にもかかわらず、北朝鮮と日本との間には未だに 関係正常化が果たされていない状況にあり、まずは、北朝鮮のイメージ改善を含め、北朝 鮮の国際的な信頼の構築が必要ではないかと考えた。 筆者は以前より北朝鮮に関心があったが、実際に北朝鮮の状況についてはあまり知る機 会がなかったため、今回の本論分を書くにあたり、北朝鮮の状況や国際的に見た北朝鮮の 立場などを整理しながら、北朝鮮が国際的な信頼の構築のためにはどのような条件が必要 かを、東アジアを枠組みとする6 ヵ国協議を通して研究する。 今回は、広義の意味で朝鮮半島の問題を扱うにあたり、筆者拙訳ではあるが、韓国の研 究者たちの考えも取り入れたいと考え、韓国語文献も利用した。 1) 日朝平壌宣言は、巻末資料として掲載。

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序論

世界規模でグローバルが進む中、東アジア地域も例外なく、ヒト・モノ・カネ・情報の往 来が活発になっている。「閉ざされた国」というイメージの強かった北朝鮮も、さまざまな 問題の露呈、またその解決のためのさまざまな動きが見られる。特に、最近では核問題の 解決のために、2001 年から東アジア地域で 6 ヵ国協議が開催されている。 地域的な枠組みで、核問題の解決が協議される中で、北朝鮮も国内経済の悪化、食糧難 の問題解決策の模索から、国際的に外交を展開するようになったのだが、北朝鮮も体制維 持や経済的問題から、制限的な関係しか築けず、さらに各国が北朝鮮に対して不信感を抱 いている場合が多い。しかし、東アジアの安定と朝鮮半島問題の平和的解決を考える上で も、北朝鮮の国際的な信頼の構築は必要である。 このような中で、「6 ヵ国協議」という北朝鮮と韓国、また、朝鮮半島に直接的な影響力 を持つ国家という枠組みの中で、核問題の解決だけでなく、北朝鮮の国際的信頼を構築す ることも可能ではないかと考えた。 本稿では、まず、北朝鮮は国際的信頼が低いという事実を提示する。北朝鮮の国内情勢 を把握し、つまり経済状態や食糧問題に触れ、北朝鮮自身がそうした問題を認識し、その 解決のために外交を展開している事実を挙げ、国内状況からも国際的信頼を高めていく必 要があることを述べる。そして、北朝鮮を取り巻く国際環境や周辺国との関係を整理し、 北朝鮮が国際的信頼の構築を果たすのに、よい環境にあるという点を提示する。その中で、 北朝鮮と周辺の5 カ国が参加する「6 ヵ国協議」を取り上げ、6 ヵ国協議の持つ意義や役割、 問題点などを提示する。ここで、一旦、2 つ以上存在する行為者において、それぞれ相互関 係があり、その間に問題が存在する時、問題解決のためにはお互いに「信頼」関係が成立 することが必要であり、その信頼関係を構築するにはどのようなものがあり、どのような ことが必要であるかを考える。そして、6 ヵ国協議が、北朝鮮の国際的な信頼の構築に有効 であるか、また、他にどのようなことがいえるのかを考察したい。 なお、本稿では、「大韓民国」を「韓国」、「朝鮮民主主義共和国」を「北朝鮮」という呼 称で統一した。また、「6 ヵ国協議」については、「6 者会談」「6 者協議」等という呼び方も あり、韓国と北朝鮮を「国」として扱ってよいかという議論の余地がある2)が、日本の外務 省が1965 年に韓国と国交を正常化し、現在では北朝鮮との国交正常化のために会談を開催 しており、また、本稿では、韓国や北朝鮮をアメリカや日本と同様に一つの行為者として 2) 朝鮮半島問題の解決のための暫定的法案の一つとして「クロス承認」という法案がある。こ れは、1975 年、国連総会でキッシンジャーアメリカ国務長官が支持した構想であり、日本、ア メリカ、ソ連(現ロシア)、中国の4 カ国のうち、アメリカと日本が北朝鮮を、ソ連と中国が韓 国を承認し、関係を正常化することで暫定的な朝鮮半島の平和政策を果たすという方式である。 当初この法案は、北朝鮮が「二つの朝鮮を固定化するものである」とし強力に反対し、中国・ソ 連も否定的な立場を見せていた。しかし、1988 年に韓国の盧泰愚大統領(当時)がクロス承認 を支持し、北方政策を展開すると同時に国連への同時加入を推進して、91 年に北朝鮮を説得し て同時加入を果たし、90 年にはソ連と、92 年には中国と国交を樹立した。

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扱うに当たり、「国」として扱うほうが各国の関係整理などがしやすいと判断したため、「6 ヵ国協議」とした。第2 章第 2 節で、周辺国として韓国をあげたのも同様の理由による。

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1 章 北朝鮮の国内情勢

1 節 現状から見る信頼の低さ

北朝鮮の各国からの信頼の低さを示すものとして、これまでに北朝鮮で起きた事件・事 故3 点を事例として挙げる。1 つ目は、6 ヵ国協議の主題でもある核問題について、2 つ目 は、2004 年 4 月に起きた新義州近くの竜川で列車爆発事故について、3 つ目は、2004 年 9 月に起きた、北朝鮮北部の両江道亨稷郡での大規模な爆発についてである。 1985 年にNPT(核不拡散条約)に加入した北朝鮮は、1992 年にIAEA(国際原子力機関) との間で保障措置協定を締結したが、IAEAが追加情報及び追加施設へのアクセスを内容と する特別査察の実施を求めると、これを拒否し、1993 年にはNPTからの脱退を表明した。 これに対して、1994 年 10 月には米朝基本合意文調印により、黒鉛減速炉と関連施設の凍 結に合意したが、北朝鮮は、2002 年 10 月、核開発を継続していたことを容認した。さら に、北朝鮮は、2003 年にかけ、核関連施設に設置されていた監視装置や封印の撤去、IAEA 査察官の北朝鮮からの追放の措置をとったことに加え、2003 年 1 月には再びNPTからの脱 退を表明した3) これに対して、IAEA 理事会は 2003 年 2 月にこの問題を国連安全保障理事会へ付託、4 月にはアメリカ、中国、北朝鮮による3 カ国協議が、8 月にはこの 3 カ国に日本、韓国、ロ シアを加えた 6 ヵ国協議が行われるなど北朝鮮の核問題を解決するための国際的な努力が 行われてきている。 2004 年 4 月 22 日に、新義州近くの竜川(ヨンチョン)で列車爆発事故がおきた。日本 では、4 月 24 日になってようやく新聞で報道されている。朝日新聞では、この爆発による 死者は154 人、このうち小学生 76 人、負傷者は 1,300 人以上と報じている4)。竜川は、中 国国境から約15 キロ南にあり、訪中から戻った金正日総書記の特別列車が爆発の 8~9 時 間前に現場を通過したとされるが、韓国や中国政府はテロとの見方を否定した。 これらのニュースは、北朝鮮が公開したものではなく、韓国政府や中国政府からの情報 または、国際赤十字は北朝鮮当局から情報を入手したものが主なところである。また、北 朝鮮は、事故発生から 2 日近くたってやっと朝鮮中央通信が国内に事故のことについて報 じている。朝日新聞の社説では、2 日近くは経っているものの、北朝鮮が「国内で起きた事 故を公表するのは異例である」とし、またそれを「自らの力では対応しきれないことを認 めざるをえなくなった」と世界的なニュースとなった経緯を分析した5) また、2004 年 9 月にも、北朝鮮北部の両江道亨稷郡で大規模な爆発が起きている。これ 3) 詳細は、巻末資料参照。原子力委員会『原子力白書(平成 16 年版)』国立印刷局、2003 年、 216 ページ。 4) 『朝日新聞』2004 年 4 月 24 日、1面 5) 同上。

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も朝日新聞の記事6)を参考にしてまとめると、韓国政府が12 日、北朝鮮北部の両江道金亨 稷郡で、9 月 8 日から 9 日にかけて、大規模な爆発が起きたことを明らかにした。北朝鮮は、 13 日訪朝中のイギリス政府代表団に「水力発電所建設のための爆破作業」であると説明し たが、当初、各国の専門家から規模の大きさなどから疑問視する声があった。 事故当初、爆発について核問題との関係を取りざたされたが、アメリカ、韓国政府は無 関係と見ていた。可能性として指摘されたのは、現場が、山林地帯であるが、付近にはミ サイル基地や軍事工場があったことから、ミサイル開発や軍事施設に関連した爆破であり、 もう一つは、4 月に起きた平安北道・竜川の列車爆発事故と同様、爆発物を積んだ列車同士 が衝突したケースも可能性として上げられた。結局、この事故は、16 日に韓国とアメリカ 政府が北朝鮮の説明どおり、「水力発電所建設のための爆破作業」であったことを追認する ことでおさまった。 このように、2004 年に起きた 2 件の爆発事故において、北朝鮮は、事故のおきた数日後 にそれを報道し、また、9 月に起きた事件では、北朝鮮の説明した原因を一旦韓国とアメリ カは、可能性が低いとし、違った見解を示している。これらの事故の見解については一概 に、信頼の低さを表すもの言い切れないかもしれないが、北朝鮮からの情報公開の遅れ、 情報量の不足により、北朝鮮の周辺国ではさまざまな予測がなされていることから、北朝 鮮との間の信頼関係が不足していることが分かるといえる。

2 節 国内情勢(経済難、食糧難)

1)経済難の深化 1994 年金日成死後、金正日政権下の北朝鮮は、経済難・食糧難の深化、政権に対する正 当性やイデオロギーの不安定さ、国際的な孤立など、さまざまな危機に直面している。特 に、経済難の深化は、1998 年新年の共同社説で「我々の前には依然として大きな経済的難 関が残されている」と言及したほどである7) 北朝鮮は、周知の通り、独立宣言後に旧ソ連の影響を受けて、社会主義下での経済開発 を行っている。北朝鮮のような社会主義経済は、韓国のような資本主義経済と比べると、 所有財は、資本主義経済下では経済行為に関する意思決定の権限が企業、家計のような個 別経済を主体としており、個々の財は私有財とみなされるが、社会主義経済下では、意思 決定権が政府にあり、国有財になる。また、資源配分のメカニズムが、資本主義において は市場であるが、社会主義においては政府が掲げる計画経済となっている8) 北朝鮮においても、経済開発の目的とその目的を達成するための手段・政策の体系に基 づき、経済開発戦略が展開されている。北朝鮮が展開した政策は、中央集権的計画経済と 6) 『朝日新聞』、2004 年 9 月 14 日、15 日、各 1 面 7) ジョンキュソプ「北朝鮮の体制危機と安定性評価」ジョンチンヒ他『新しい東北アジア秩序 と朝鮮半島』法文社、2003 年、310 ページ、筆者拙訳。 8) イイルヨン「北朝鮮の開発戦略と経済システム:東アジアへの編入」、ソンジュミョン『21 世紀新しい東アジア秩序と朝鮮半島』ハンシン大学校出版部、2003 年、86 ページ。

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いう土台のもとで、消費を犠牲にさせるという強制貯蓄を通じた高水準の蓄積を達成し、 その資金を重工業部門に優先的に投下することで、急速な工業化を推進してった9) さらに北朝鮮体制では、経済開発戦略の長期的な目標は、「社会主義の建設」と「体制の 存続」と位置づけており、経済開発の目的は、軍事力の確保・強化と経済発展であるとい える。このような目的を達成するために、北朝鮮では社会主義経済、より具体的には中央 集権的な計画システムという制度上の基盤の上で自立的民族の経済10)、自力更生11、精神 的刺激12)、資本の蓄積、重工業の優先的な投資、などといった手段・政策を展開した13 このような中で、なぜ北朝鮮の経済が悪化していったのかという点から見ると、まずは、 重工業優先政策の失敗が挙げられる。重工業優先政策は、社会主義国家の共通した政策で あり、冷戦体制下で、社会主義国家は重工業を優先・発展させることで先進国を超越しよ うとする政策意思を持っていた。そして、重工業を発展させるのに、高水準の資本蓄積率 を維持するために大量の資金を必要としたため、国家は国民に消費活動を抑制させ、節約 した部分を強制的に蓄積させることによって、高蓄積を達成していたが、生産側面でそれ に相応する成果が出たわけではなかった。蓄積された資金は、重工業優先で投資されたが、 これが国民経済の生産増大に結びつかず、資本効率の急激な下落14)、資本の再生産性の増 加率の低迷が起き、最終的には、農・工業生産までも伸び悩み始めた。 具体的には、図1 を見ても分かるように、1990 年以降、経済成長率が 7 年連続でマイナ ス成長を記録している。1993 年に開催された党中央委員会の第 6 期第 21 次会議で 1987 年 ~1993 年の第 3 次 7 ヵ年計画が「社会主義市場の崩壊と防衛力強化」によって失敗したこ とを認め、2~3 年間の緩衝期を設け、「農業・軽工業・貿易第一主義」という 3 大第一主義 の貫徹、石炭・電力・鉄道運輸・金属工業の発展などを推進した15)。また、1991 年には、 羅津・先鋒に自由経済貿易地域の設立・推進し、これを通じて、北朝鮮は輸出の関門とな 9) イ、前掲書、85 ページ 10) 自立的民族の経済はどこまでも自国と人民の需要を満たすことを目的としている。北朝鮮は、 自立的民族の経済の本質的要素として、第一に、多方面で総合的な経済構造、つまり、重工業、 軽工業、農業など、すべての生産部門が揃い、さらに、民族国家単位として再生産の実現可能な 経済構造を持っていること、第二に、人民経済の現代的な技術に対する装備、第三に、自国内で の確実な燃料・原料の自給、最後に、自国の有能な民族技術幹部の所有を挙げている。 11) 1960 年以降に取り入れられた、「自力更生」は、北朝鮮は、「自国の革命を基本的に自国の 主体的力量に依拠して果たそうとする徹底した革命的な立場であり、自国の建設を自国の人民の 労働力と自国の資源によって推進しようとする自主的立場」であると説明している。このような 自力更生論は、自立的民族経済の創設の原則につながっていった。 12) 精神的刺激とは、組織の目標実現と一致する方向に組織構成員の自発性を引き出すためにと る手段を意味し、労働者の中で対人事業、政治事業を優先させることで、主体思想の教養をはじ めとして、革命教養、階級教養などの思想教養事業を強化すると同時に労働に対する自発性を引 き出し、労働の結果に対して政治的評価がなされる方法を実現した。 13) イ、前掲書、85 ページ 14) 資本効率下落の原因として、価格構造の歪曲、需要を無視した供給、過多な在庫及び未完成 の工事、技術の停滞、労働意欲の低下などが上げられる。 イ、前掲書、90 ページ。 15) ジョンキュソプ、前掲書、310~311 ページ。

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る投資を促進させようとした16) (図1)北朝鮮の経済成長率 北朝鮮の経済成長率(1990年~2003年) 0 200 400 600 800 1000 1200 '90 '91 '92 '93 '94 '95 '96 '97 '98 '99 '00 '01 '02 '03 -8 -6 -4 -2 0 2 4 6 8 GNP(億ドル) 一人当たりGNP(ドル) 経済成長率(%) 出典::韓国銀行 朝鮮半島の主要経済指標比較より著者作成 http://www.bok.or.kr/template/main/html/index.jsp?tbl=tbl_FM0000000066_CA0000000701 2)食糧難 北朝鮮が置かれた経済危機と関連して、深刻な問題となっているのが食糧難である。北 朝鮮が食糧難に陥っている事が国際的に明らかになったのは、1995 年に北朝鮮が国際機関 に支援の要請を始めてからである。しかし、北朝鮮はそれ以前にすでに食糧難が始まって おり、それは1989 年の冷戦構造の崩壊に伴う社会主義陣営の路線変更とも深い関係がある。 金敬黙氏は、北朝鮮の食糧危機を3 つの時期に分けて説明している。第 1 期は、1990 年 代の初めから、94 年ごろまで17)、第2 期は、国際社会で北朝鮮の食糧危機が明らかとなっ た95 年から 97 年頃まで、第 3 期は、国際ネットワークが展開された 98 年以降から現在ま でとしている18) 第1 期は、北朝鮮国内での経済難および経済開発システムの限界と、1993 年に冷害及び 94 年の降雹によって食糧難が深刻になったと見られる。1980 年代には、こうした食糧難が 起きた時でも、旧ソ連の輸入により不足分が補う事が可能であった。しかし1980 年代末に、 16)イ、前掲書、111 ページ。 17) イイルヨン氏は、1984 年以降にすでに食糧難が始まっていると指摘している。イ、前掲書、92 ページ 18)金敬黙「北朝鮮食糧危機をめぐるNGOの活動とジレンマー人道・人権分野のNGOネットワ ークを事例に―」日本国際政治学会編『東アジアの地域協力と安全保障 『国際政治』135 号』 有斐閣、2004 年、116 ページ。

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ソ連の市場開放などへの路線変更により、これまでの貿易による友好価格での取引が解消 され、通常価格での取引となったため、不足分を補う事が困難となったのも被害が拡大し た要因と見られる。 第2 期は、第一期に始まった自然災害に加え、95 年にも大雨による洪水が発生し、それ らの復旧活動にも限界があったため、北朝鮮は、初めて国際機関に支援を要請した。北朝 鮮の要請により、主な国際機関19)は、被害評価・協力チームを構成し、現地調査を行った。 調査の結果、国連のFAOとWFPは、『食糧供給調査報告書』北朝鮮における慢性的な食糧不 足の主要原因を、農業生産の停滞と国家経済の悪化によるものであると分析した20が、北朝 鮮政府は洪水が構造的なものではなく、自然災害に過ぎないと主張した。しかし、災害は 96 年に大雨による水害、また 97 年には干ばつと台風による高潮などの形として続き、被害 が拡大した。 第3 期は、1998 年以降は、北朝鮮の周辺を見ると、韓国では、金大中政権の発足から「太 陽政策」が始まり、「窓口の多様化」が行われるなど、比較的安定的な局面を迎えた。しか し、一方で、日本では、「日本人拉致疑惑」や、「テポドン騒動」をめぐり、政府は強硬姿 勢を強化し、また、国際的な支援、民間レベルでの支援においても、数年に及ぶ自然災害 によって支援に対する「援助疲れ」やモニタリング上の透明性が問題となり、人道支援も 全体的に低迷していった。 北朝鮮の穀物生産は、非効率な共同農場制度、営農装備、技術の遅れ、自然災害、農産 物の品種改良及び栽培方法の未熟さなどによって引き起こされている。北朝鮮の食糧需要 は年間650~680 万トン程度と推定されているが、実質生産量は、1991 年に 413 万トン、 1995 年には 345 万トン、1996 年には 369 万トンと、毎年約 200 万トン不足していると推 定されている。北朝鮮はこれらの食糧不足を補うために1991 年以降 100 万トン前後を輸入 していたが、1994 年以降には外貨不足によって 50 万トン以下に減少し、不足分を外部か らの食糧支援に依存している21)。これらのほかにも、生活必需品の不足、エネルギーと生 産するための原資材の供給不足も深刻な問題となっており、特に、石炭及び原油導入量の 大幅減少などによってエネルギー供給難はさらに深刻になっている。 3)亡命・脱北者の増加 これらの経済難・食糧難の原因は、北朝鮮政府による政策の結果として表れたものであ 19)主な国際機関とは、国連人道問題局(UNDHA)、国連開発計画(UNDP)、世界保健機関(WHO)、 国連児童基金(UNICEF)、世界食糧計画(WFP)、国連食糧農業機関(FAO)をさす。金敬黙 「北朝鮮食糧危機をめぐるNGOの活動とそのジレンマー人道・人権分野のNGOネットワークを 事例にー」日本国際政治学会編『東アジアの地域協力と安全保障 『国際政治』135 号』有斐閣、 2004、116 ページ 20)報告書については、直井淳氏がまとめている。直井淳「北朝鮮の農業と食糧事情」吉田康彦、新 藤榮一『動き出した朝鮮半島―南北統一と日本の選択』日本評論社、2000 年、87~101 ページ。 21) ジョンキュソプ、前掲書、311~312 ページ。

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るという視点から見ると、北朝鮮体制の危機にもつながる。さらに、このような状況に加 え、外部からの情報の流入によって北朝鮮の国民意識の変化、つまり、体制批判意識や反 金正日感情が増加しており、闇市場などの不法な私的経済が進行するなど、賄賂の横行、 物質主義の拡散と窃盗行為など、社会的な逸脱行為も増加している。さらに、思想教育及 び組織生活からの離脱、労働規律違反などが蔓延している一方、非組織的な抵抗も発生し ている22)ことから、社会統制の効率性は低下していると判断できる。 このような状況が顕著に表れている例として、脱北者の急増と高位層の亡命が挙げられ る。1990 年以降、国際的に北朝鮮の「体制崩壊論」が主張され始めたのも、これらの要 因が大きいと見られる。1997 年現在、海外に在留する脱北者は、1,000~3,000 名に達す ると推定され23)、このうち、韓国に移住した脱北者は、表1 に示したように、1990 年~ 1993 年には 10 名未満であったが、1994 年以降に急増し、2003 年には 1200 名を超えて いる。 表1 韓国へ入国した脱北者 (韓国統一部) 年 度 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 人 (入国者数) 9 9 8 8 52 41 56 85 71 148 312 年 度 2001 2002 2003 人 (入国者数) 583 1141 1285 出典:ラヂオプレス『重要基本資料集「北朝鮮の現況2004」』RP プリンティング、2004 年、591 ページ 4)今後の展望 長期的な経済難及び食糧難などによっての北朝鮮国内の不満増大、外部情報の流入など によって、金正日政権の社会的応酬力が低下している。さらに、過度な軍需産業の比重、 慢性的な物資不足、技術及び設備の不備など、北朝鮮経済の構造的な問題は、自力での短 期的な経済の回復は難しいと考えられる24)。これによって北朝鮮内で、金正日体制に対す る政治的抵抗が発生する可能性が出てくる。 深刻な経済危機などで大衆の不満が増大し、政治権力にとって脅威となることは歴史的 にもあることだが、ここで重要なのは、それらを指導できる革新勢力の形成と組織化され た勢力の確立である。しかし、北朝鮮の厳格な住民統制及び監視体制及び、大衆の間での 22) ジョンキュソプ、前掲書、315 ページ。 23) 同上。 24) 同上、326 ページ。

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情報・通信網の不備などによってデモが起きたとしても、別の地域に拡大していくのは難 しく、短期的には反金正日勢力が組織されるのは不可能に近いと考えられる25)

3 節 外交努力

日本ではあまり目立たない北朝鮮の一面であるが、国際的にグローバル化が進む中、北 朝鮮も、次々と外交関係を樹立・復興させている。1950 年代初期の朝鮮半島は、国内の政 治体制の整備と戦争被害の復旧に専念したため、外交活動は陣営内の国家に制限されてい た。よって北朝鮮は、ソ連・中国及び東欧などの10 カ国の共産圏国家と国交を結んだ。ま た、1963 年の停戦以後、北朝鮮はソ連を中心とする共産圏外交に努力し、1960 年までに 16 カ国と外交関係を結んでいる。しかし、一方では 1983 年のアウンサン廟爆破事件26) よってビルマ(現ミャンマー)はもちろん、西側諸国からの信頼が低迷した。 現在までに、北朝鮮が外交関係を持つ156 カ国のうち、特に 90 年代に 33 カ国と、2000 年以降では、3 年間で 17 カ国とも外交関係を樹立した。90 年代では、特に 92 年に国交を 樹立している国が多く、東欧諸国を中心に外交関係を結んでいるが、2000 年以降には、西 欧やオーストラリアなどのオセアニア、トルコやクウェートなどの中東地域とも外交関係 を樹立している27) 北朝鮮が、90 年代以降積極的な外交活動を展開しているのは、80 年代末にソ連などの東 欧圏の市場開放などの路線変更、また、90 年代初めの中・ソが韓国と国交を樹立したこと が深く関わっている。この時期に韓国と国交を樹立したのは、中国やソ連だけでなく、89 年2 月ハンガリーが正式に韓国との国交を樹立したのをはじめ、同年 11 月にポーランド、 12 月にユーゴスラビア、90 年にチェコスロバキア、ブルガリア、モンゴル、ルーマニアな どがあげられ、北朝鮮と同じ社会主義圏の国家が、韓国と国交を樹立し、さらに北朝鮮を バックアップしていたソ連や中国までもが韓国と国交を樹立することで、経済的なダメー ジはもちろん、安全保障の面でも大きな脅威を感じるようになった。 さらに、脱冷戦期、ソ連の崩壊によって北朝鮮の対外政策は、その主な方向が中国と旧 ソ連を中心とするものから、中国とアメリカ中心と変化した28)。現在、北朝鮮は、1994 年 のジュネーブ合意などによってアメリカに対する信頼構築への動きが見られる。日本とも、 関係改善の動きが見られ、国交正常化への動きが見られるが、日本人拉致問題、過去問題 などの解決がなされない限り国交正常化は難しいと考えられる。 25) 同上、327 ページ。 26) 1983 年 10 月韓国の全斗煥大統領一行が南アジア太平洋地域 6 ヵ国を歴訪中、10 月 9 日に 最初の訪問国となるビルマのラングーン市(現ヤンゴン)で、アウンサン廟を訪問した際、建物 の天井に仕掛けられていた爆弾が爆破した。全斗煥大統領は、偶然にもアウンサン廟への出発が 遅れたため無事であったが、韓国政府閣僚をはじめとする多数の犠牲者(最終的に死者21 名、 負傷者46 名)を出した。『朝日新聞』1983 年、10 月 10 日~13 日。 27) 詳しくは、巻末資料として掲載。 28) キムヨンホ「脱冷戦期北朝鮮外交の方向」ジョンチンヒ他『新しい東北アジア秩序と朝鮮半 島』法文社、2003 年、378 ページ。

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貿易の側面でも、1991 年以後、羅津・先鋒における自由経済貿易地帯の設立を試みてお り、韓国、日本、西欧との貿易を拡大し、外国からの資本、技術、設備の導入を積極的に 推進している。

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2 章 北朝鮮を取り巻く国際環境

1 節 国際的動向

まず、北朝鮮は国際的な信頼を回復する必要があるのか、という点について国際環境と いう観点から考えてみたい。国際的動向から見ると、第二次世界大戦後にアメリカとソ連 を軸とする二極化による冷戦が始まったが、ソ連の崩壊により脱冷戦時代に突入したこと で、世界でも緊張状態が緩和し、グローバル化が進み、国境や地域を越えて、ヒト・モノ・ カネ・情報の往来が激しくなっている。このような環境の中で、世界的には、平和の構築 が志向されるようになっている点をあげることができる。 冷戦期には、東西に分断していたドイツも1990 年に統一されたが、東アジアという地域 の枠で見ると、冷戦期に、ソ連の支援を受けていた北朝鮮とアメリカの支援を受けていた 韓国は、休戦調停以来、現在までに何度も戦争勃発の危機があった。脱冷戦期に入り、ア メリカと北朝鮮の関係は未だに改善されたとはいえないが、韓国の太陽政策や、アメリカ の韓国の太陽政策支持などで、冷戦期ほどの危機感は薄まっている。また、韓国が1990 年 にソ連と、1992 年に中国とそれぞれ国交を樹立している。21 世紀に入り、世界平和がます ます注目される中で、韓国は北朝鮮と依然として休戦状態にはあるが、離散家族の再会、 金剛山観光が実現し、2000 年には南北首脳会談の実現などにより、平和的解決・統一の方 法が模索されている。現在では、北朝鮮の核問題について、6 ヵ国協議が開催され、北アジ アの平和構築を目指している。 しかし、北朝鮮の抱える問題は、核問題にとどまらず、食糧問題、経済問題、ミサイル 開発などの安保問題など、数多く残されている。核問題はむしろ、周辺国が必要に迫って 解決を目指しているものであり、北朝鮮が抱える問題を把握し、周辺国もその解決を目指 さなければ北朝鮮が安定した国になるとはいえず、北朝鮮が再び核開発に着手する可能性 が生じる。つまり、核問題を解決するには、北朝鮮の抱える根本的な問題を理解し、少し でも改善・解決するように努力しなければ、東北アジア地域は安定しているとはいえず、 北朝鮮に対して脅威を感じなければならない可能性がある。さらに、北朝鮮が安定した国 として確立しなければ、核問題が解決されても、北朝鮮が再び核開発を行う可能性が出て くるのである。

2 節 周辺国との関係

1)韓国 朝鮮半島での韓国の立場は、周知の通り、1945 年に第二次世界大戦後、38 度線を境に北 朝鮮と韓国に朝鮮半島が分断され、統一問題が何度も提起されているが、未だに果たされ ていない。民族的な問題からも、国民の強い要望からも、韓国の対北朝鮮半島政策の最終 目的は、朝鮮半島の平和的統一であろう。しかし、現在、北朝鮮の核問題などから朝鮮半

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島の状態が不安定であることから、短期的には戦争再発の防止、民族同一性の回復、国際 的支持の確保などを考慮する必要があり、また、国際的な面からは、朝鮮半島の安定を目 指す必要がある。 韓国の北朝鮮政策は、1980 年代末、盧泰愚(ノ・テウ)制権が発足する前後から始まっ ている。盧泰愚元大統領は、朝鮮半島の統一を平和的に解決することを模索し、クロス承 認を支持し、88 年のオリンピック開催誘致に積極的に働きかけ、ソウルで開催されること が決定されると、中国やロシアをはじめとする社会主義国家にオリンピックの参加を提案 した。北朝鮮に対しても、参加を求めたが、クロス承認に対して否定的であり、ソウルオ リオンピックでの北朝鮮の参加は果たされなかった。しかし、オリンピックをきっかけに、 韓国は、中国やロシアとの関係が改善され、1990 年にロシアと 1992 年には中国と国交を 正常化し、社会主義国家からのバックアップもあり、1991 年には北朝鮮との国連同時加盟 を果たした。 このような状況も、1993 年に韓国で金泳三(キム・ヨンサム)政権が発足した後、1994 年北朝鮮で金日成の死亡が伝えられ、さらに、金泳三が朝鮮半島の吸収統一論を発表し、 南北関係は悪化した。北朝鮮の核疑惑が浮かび上がったのもこの時期である。さらに韓国 の経済危機が重なって、北朝鮮の対北支援も制限的なものとなった。 その後、1998 年に政権を引き継いだ金大中(キム・デジュン)は、北朝鮮に対していわ ゆる太陽政策29)を打ち出した。韓国政府が太陽政策を推進するのは、北朝鮮の状況に対す るいくつかの前提に基づいている。1 つ目に、北朝鮮の経済難が深刻で短期間に回復するこ とが困難と見られるが、政治的にはある程度安定した状態を維持しており、現在経済回復 に全力を尽くしており、近い将来に体制崩壊につながる可能性が少ないためであり、2 つ目 に、世界化と情報化、冷戦の終結による開放と協力の流れが世界的に起きており、北朝鮮 の体制が維持し続けるために、ある程度の変化が必要とされ、北朝鮮がそれを認識してい ることが上げられる。それはたとえば、国内的には、1998 年に憲法改正をして、価格・利 潤など市場経済的要素を導入し、対外的にも金倉里の地下施設に対する査察を許容し、ミ サイル発射を自粛する30)などとして表れている。 韓国との関係においても、1998 年 11 月に金剛山観光事業が実現するなど、民間交流と 協力に応じており、さらに2000 年 6 月には南北首脳会談が実現し、両者の合意事項として、 「南北共同宣言」が発表された。 29) 太陽政策:金大中政権の対北朝鮮政策理念。1998 年 2 月に発足した金泳三政権の対北朝鮮 強硬政策を批判し、盧泰愚政権時代の「南北基本合意書」と「非核化共同宣言」を高く評価し、 政権分離、柔軟な相互主義、一括解決などを基本概念とする穏健な「積極関与」政策を採択した。 これによって、南北関係を敵対と不信から、和解と協力の関係に転換させていこうというもので ある。 30)吉田康彦、新藤榮一『動き出した朝鮮半島―南北統一と日本の選択』日本評論社、2000 年、 118 ページ。

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南北首脳会談が開催されたことで、1 つ目に、南北首脳会談を通じて南北関係正常化の重 要な転機が形成されつつあるということである。分断以後始めて朝鮮半島問題の当事者で ある南北の最高指導者が出会ったということ自体が大きな象徴的な意味を持ち、両者の話 し合いを通じて相互理解と信頼の幅を広げ、対話を通じた平和と和解・協力の関係を定着 する土台を整える契機となった。2 つ目には、離散家族の問題など、実践的な事柄を中心に 具体的な合意を導き出した。3 つ目に、金正日総書記がソウル訪問に同意したことである。 これは、南北共同宣言の履行に対する北朝鮮の意思を確認したと同時に、朝鮮半島の平和 定着の確認がなされ、首脳会談が今後も引き続き行われる根拠を確保したのである。4 つ目 には、南北首脳が戦争再発の防止と平和定着の必要性を確認したことによって、朝鮮半島 だけでなく、東アジア全体の緊張を緩和し、平和と安定を確保できる景気をもたらした31) この後、2001 年には大きな進展が見られなかった。しかし、2002 年にかけて、韓国大統 領特使として林東源(イム・ドンウォン)大統領特別補佐役が訪朝し、金正日委員長及び 金容淳朝鮮労働党中央委員会書記と会談を行い、南北間の対話と協力を進めていくことに 合意した。これを受け、同月及び5 月、南北間での離散家族の再会が行われた。 2003 年に入り韓国では、盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権が発足したが、北朝鮮に対しては 金大中前政権の太陽政策を継承した「平和・繁栄政策」が進められた。2003 年は、北朝鮮 の核問題をめぐる駆け引きが続いた 1 年であったが、南北間の対話は維持され、閣僚級会 談が 3 回開催されたのをはじめとして、各種の協議が行われるとともに、南北間の交流や 協力事業に進展が見られた。 南北間の鉄道と道路の連結は、連結工事着工式が2003 年 6 月中旬に実施された。また、 南北の軍事境界線に近い開城市に設置される開城工業地区も、2003 年 6 月末に着工式を実 施した。金剛山観光事業でも、2003 年 9 月より陸路を通じての観光が実施され、9 月末に は、第 8 回目の離散家族の面会が金剛山で行われた。南北双方は、離散家族のための面会 所を金剛山に建設することでも合意し、2005 年末までには完工する予定となっている32) 2)アメリカ アメリカが、北朝鮮に接近する理由は大きく分けて3 つあると考えることができる。1 つ 目に、核問題である。アメリカが北朝鮮に対し、核保有の疑惑を持ち、核開発の中止と引 き換えに軽水炉の建設及びそれまでの重油の提供をすることに合意し、それ以後、核問題 についての議論は、アメリカと北朝鮮2 カ国で行われることが主となっていた。 2 つ目に安全保障問題を挙げることができる。アメリカは、東アジアでの覇権をめぐって、 日本、韓国と同盟を結び、最近は中国とも親善外交を進めている。しかし、朝鮮半島は未 だに不安定な状態にあり、日本、韓国と同盟を結んでいることから、朝鮮半島で再び戦争 の危機がもたらされた場合、アメリカ軍もそれに介入せざるを得ない状況にある。 31) 吉田、前掲書、121 ページをもとに筆者要約。 32) 外務省『外交青書 平成16 年版』ぎょうせい、2004 年、43 ページ

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3 つ目にあげるのは、軍事支出の問題である。これは、上記の理由と関連しているが、日 韓と軍事同盟を結び、駐屯基地を置くことでかなりの軍事費用がかかっていることである。 (1)クリントン政権期 2000 年 10 月、北朝鮮とアメリカのクリントン政府は、両国関係の「全面的改善のため に開いている新しい機会を深みのある検討」としながら、50 余年の敵対関係を清算し、 朝鮮半島での戦争状態を終息させ、東北アジアでの軍事的不安定を解消する転機を準備し た。北朝鮮とアメリカは具体的に、①『南北首脳会談によって朝鮮半島の環境が変化した ことを認定』し、②『朝鮮半島で緊張状態を緩化し、1953 年の停戦協定を強固な平和保 障体系に変え、朝鮮戦争を公式に終息させる問題と関連し、4 者会談などいくつかの方法 があるというのに同意』したのであり、③『ミサイル問題の解決を核心の懸案とする両国 関係改善が朝鮮半島の平和と安定を保証』し、④『「米朝基本合意」を履行するのが朝鮮 半島の比較・平和と安全を満たすのに重要である』と合意し、⑤アメリカは、『現行の南 北対話の継続的な前進と成果、そして安保対話の強化を含む南北間の和解と協力を強化す るためのイニシアティブの実現のためにすべての適切な方法で協力することを公約』し、 ⑥『テロを反対する国際的努力を指示』すると合意した33) さらに、北朝鮮とアメリカは、「共同コミュニケ」を実践する次元でクリントン大統領 の訪朝の可能性に対して論議した。クリントン大統領の訪朝が実現するなら、平和と安定、 そして関係正常化を促進するもうひとつの重大な突破口が準備される可能性が高くなっ た。 2000 年 11 月初め、アメリカと北朝鮮はクアラルンプールでミサイル会談を開催した。 しかし、アメリカ側の「具体的で建設的で大変実質的な」成果があったという評価にもか かわらず、ミサイル開発の放棄、試験発射の完全中断、輸出制限などを包括する確実な合 意をもたらすまでには行かなかった。結局、両国は、原案に対する重大な決定を目前にお いておきながら、ミサイル交渉が遅滞され、機会を失った。北朝鮮側が提示した指定距離 300 マイル水準のミサイルの保有の固執とクリントンが訪朝してこそすべてのものを最 終合意できるという金正日委員長の態度も機会を失った重要な原因になった。 (2)ブッシュ政権発足後 クリントン政権の後に政権を確立したブッシュ政権は、イデオロギー的基盤が自由主義 と保守主義で構成されており、金正日国防委員長を「スターリン主義的独裁者」と指摘し ながら、彼の政権に対して強い敵対感と不信を表明している。 33) パクゴニョン、パクサノォン、パクスンソン、ソドンマン、イジョンソク『朝鮮半島の平和報告書』 ハヌル、2003 年、57~58 ページ。

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ブッシュ政権にとって、北朝鮮は信頼できない「悪魔」であるだけでなく、危険な「な らず者」である。特に、ブッシュ政権は、大量破壊武器を保有したと疑われている北朝鮮 が、刺激を受けたり、または受けない場合でも、朝鮮半島及び東北アジア地域の不安定と、 さらには軍事的衝突まで引き起こす可能性があると認識している。 核問題については、ブッシュ政権はクリントン政権とは違って、北朝鮮の在来式軍事力 に対する統制を交渉議題に追加している。核問題に関しては、現時点でブッシュ政府の対 北政策は北朝鮮の軍事的脅威を相対的に除去するために具体的に検証可能な協定を追求す るというものである。そして、協定締結のための交渉過程で北朝鮮が、協力する場合には、 経済支援などの保障を、そうでなければ北朝鮮が、交渉に応じるときまで待つという態度 を見せている。 ブッシュ政権は、北朝鮮に対して、和解・協力を通じて交渉を成り立たせ、北朝鮮を国 際社会に導きいれる政策ではなく、無関心と抑圧を通じて屈服させようとする非和平協力 政策(non-engagement policy)を基本原則とみなしている。さらにアメリカは自分の攻撃 的無関心が北朝鮮を刺激し、それによって北朝鮮が軍事的危機を作り出す場合にはそこに 相応な軍事的介入を排除しないという考えを持っていることと判断する34) 3)日本 日本は、1945 年第二次世界大戦終結後、朝鮮半島を開放して以来、1965 年に韓国と国交 を正常化したが、北朝鮮とは、正常化の動きが何度もあったにもかかわらず、未だにそれ が果たされていない。日本が北朝鮮と国交正常化を果たすことは、「戦後処理」という意味 も含まれるため、他国と国交を結ぶよりも複雑である。 日本の対朝鮮半島政策は、日米同盟を中心とした、アメリカの世界戦略及びアジア戦略 において、アメリカと責任を分担しながら国際的な役割を遂行しようという意図を持って いるが、これは1990 年代初めからある主張である35) また、対北朝鮮政策においては、日韓関係の友好関係を維持しながら北朝鮮との関係を 正常化し、日本の影響力拡大を模索している。日本は、経済力から政治力への転換によっ て、情報開発援助提供や海外直接投資を活用しており、さらに「軍事―安保」の次元にお いては、韓国、中国、ロシアなど、周辺国との総務的軍事交流を促進させ、相互の透明度 を高めていくことで、アジア・太平洋地域の強大国としてこの地域に対する影響力の拡大 を目指している。 1990 年代の日朝関係は、1993 年の北朝鮮の核危機及びノドンミサイルの実験発射、1998 年のテポドンミサイルと光明星1 号の実験発射、1999 年初め金倉里にある核施設疑惑問題 などによって、日本の軍事的役割の拡大をアメリカとの同盟関係を強化することで果たし 34) パク、前掲書、76 ページ 35) ソマンギョン「朝鮮半島周辺 4 カ国の特性と変化に関する研究」京畿大学統一安保専門大学 院修士論文、2000 年、44 ページ

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た。1995 年の新防衛対抗、1996 年日米安保宣言、1997 年日米新ガイドライン、1998 年の 周辺事態法などがそれであり、日本がアメリカに劣らず、このような核やミサイル問題に 敏感に反応するのは、地理的に隣接しており、国交正常化が果たされておらず、これまで に予測不可能な行動をとっている点から、日本にとって脅威であるとみなしているためで ある。このため、1995 年に朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)が発足したときも事業 経費の約 20%程度を負担することで北朝鮮にも軽水炉事業にも当事者として参加している。 2001 年からの日朝関係は、国交正常化交渉を再開するにあたり、北朝鮮の核・ミサイル 問題、日本人拉致などが障害要因となった。日本は、北朝鮮の核・ミサイル問題や日本人 拉致問題の解決がなされることが、日朝国交正常化の前提とみなしているため、これらの 問題が解決されない限り日朝国交正常化を展望するのは難しいと見られる。 4)中国 中国は、冷戦が終結し、社会主義圏の崩壊以後、アメリカとともに北朝鮮の未来を決定 する一つの国家として存在するようになっており、アメリカとは対照的な立場にある。北 朝鮮にとってアメリカが社会主義陣営の崩壊した今の状況で、対外関係を拡張するための 「障害」であるなら、中国は北朝鮮の経済危機と体制安全に対する脅威から支持・援護し てくれる「支援国」である。また、中国は、「南北関係の改善」と「南北当事者間の問題解 決」という政策をもとに、韓国・北朝鮮の両者と同時に善隣関係を強化するために、党高 位幹部たちと国防部長をソウルと平壌に派遣している36) 中国の対北朝鮮認識は、共存と安定の中で自国の現代化を継続的に追求することと、同 時に北朝鮮を中国式の市場開放に導くという大きな思惑と関連している。そこで中国は、 北朝鮮が韓国に対して軍事的進行を行うことに対して否定的である。中国がこのような態 度を見せるのは、朝鮮半島で軍事的問題が発生し戦争に発展した場合、以下の 4 つの理由 から、中国は介入せざるを得ない立場にあるためである。 第一に、1961 年に締結された「中朝相互援助条約」で、北朝鮮が他国から武力侵攻を受 けることで戦争に発展した場合、中国は遅れることなく軍事的及びその他の援助を提供す ることとなっている。第二に、朝鮮半島で戦争が起こると、アメリカの介入は必至であり、 戦争の結果、韓国によって統一された場合を考慮すると、自国の安保に大きな影響を受け ることが予測可能であり、第三には、万一、韓国によって北朝鮮が吸収されることになれ ば、中国が過去、朝鮮戦争時に莫大な犠牲者を出し、また現在までさまざまな支援をし続 けた同盟国の喪失により、国内政治の問題や一党体制の維持などの国内的問題に発展する 可能性がある。最後に、北朝鮮が韓国によって吸収され、結果的に統一された場合、中国 の民族主義が強化され、台湾独立に促進剤の役割を果たす可能性もあり、それをきっかけ に米中戦争への発展する可能性も考えられるためである。 36) パク、前掲書、91 ページ

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中国は、北朝鮮にだけ影響力を持っているわけではない。韓国とは、1992 年に国交を正 常化し、以来多方面で密接な友好関係を築いているし、アメリカにとっても覇権国として 東アジア地域の支配権をゆるぎないものにする必要があるが、最近の中国のさまざまな目 に見える成長に対して危機感を持っており、日本とは、いわゆる「新ガイドライン」など を結び、「中国牽制」を図っているほどである。 このような中、中国は、北朝鮮に対して韓国への武力行使に否定的な態度を示すだけでな く、周辺国に対しても、北朝鮮への挑発的な行為に対しては敏感に反応している。中国は、 北朝鮮を安定させ、中国式の開放政策に導く過程で、朝鮮半島での現状を安定させるために も周辺4 カ国との協力を重視し、自らそのバランサーとしての役割を果たしていくであろう。 5)ロシア ソ連(旧ソビエト連邦)が崩壊する以前は、1945 年に第二次世界大戦以後北朝鮮側をソ 連が統括していた時期から、北朝鮮の最大の支援国として存在した。1960 年の「ソ朝友好 協力相互援助条約」締結以後、北朝鮮はソ連の軍事同盟国の地位にあった。しかし、1980 年代後半、経済支援獲得のため、韓国との関係改善に着手し始め、北朝鮮の反発にもかか わらず 1990 年には韓国と国交を樹立した37)。さらに、ソ連はこのとき、ソ朝友好協力相 互援助条約の解消を宣言している。 ロシアは、ソ連が崩壊した後も基本的にはソ連の時と同様に、大西洋親善外交政策をそ のまま受け継いでいた。対朝鮮半島政策においても、ロシアはソ連が1990 年 9 月に韓国と 国交を樹立したことで韓国との関係を重視し、同盟国であった北朝鮮を軽視するという偏 った外交政策を展開した38) しかし、1993 年の初めから、北朝鮮の核問題が提起され、軽水炉の建設支援による解決 を目指す過程で、ロシアが除外され、また韓国がアメリカと中国を主要行為者として、4 者 会談を定義したことなどによって、朝鮮半島での自国の影響力が弱まったことに危機感を 持ち始めた。この時期は、ロシア国内でも、1995 年の総選挙をきっかけにヨーロッパに偏 った外交政策への批判が集中した時期でもあり、1997 年に北朝鮮と関係を回復するために 新しい条約締結のための交渉に着手した。 ロシアが北朝鮮と関係を正常化したのは、1999 年 3 月に、「ロ朝友好善隣協力条約」の 仮調印が行われてからである。しかし、新条約は、有事支援条項や経済協力条項が欠落し た内容となっており、ロシアの側の意向が強く取り込まれているといえる。「ロ朝友好善隣 協力条約」が、正式調印したのは2000 年 2 月であり、同年 10 月に発効している。韓国や アメリカも朝鮮半島の平和と安定につながるものとしてこの条約締結に関して肯定的な態 度を示している。 37) 斉藤元秀「ロシアの朝鮮半島政策」環太平洋問題研究所編『韓国・北朝鮮総覧 2002 Vol.4』 原書房、2002、37、38 ページ 38) パク、前掲書、134 ページ

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ロシアの対朝鮮半島均衡外交政策は、2000 年 7 月に発表された「ロシア連邦外交政策概 念」が基礎となっている。この文言で、ロシアは、アメリカが主導する単極世界が国際秩 序を不安にしている点を協調し、国連の役割が強まり、アメリカを牽制することのできる 多極国際秩序が構築されなければならないと主張している39)。このことから、北朝鮮との 関係改善、韓国との友好関係の維持を通じて朝鮮半島における影響力を回復するとともに、 他国との関係を考えながらアジア太平洋地域での地位向上を求めていくであろう。 39) パク、前掲書、134 ページ

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3 章 6 ヵ国協議

1 節 核問題の経緯と 6 ヵ国協議開催

1)これまでの経緯 6 ヵ国協議は、北朝鮮の核問題の論議のために 2003 年 8 月 27 日から北京で開催された 多者会談である。この会談には、韓国と北朝鮮をはじめ、アメリカ、日本、中国、ロシア のそれぞれの代表が参加する。6 ヵ国協議の主要議題は、北朝鮮の核問題である。 北朝鮮の核問題は、1980 年にさかのぼり、1993-94 年には、朝鮮半島を戦争の一歩手 前まで行った。1990 年代の北朝鮮の核問題は、北朝鮮とアメリカ間のジュネーブ合意(AF) を通じて一段落した。ジュネーブ合意は、北朝鮮が核開発を中断し、核視察を受ける代わ り、アメリカは北朝鮮に体制安全を保障し、軽水炉の発電所を作るというものである。 しかし、2002 年 10 月、北朝鮮の核開発疑惑が再度提起され、再び朝鮮半島に緊張が高 まった。今回は、北朝鮮がプルトニウムではなく、高濃縮ウランで核武器を開発している というのが問題となっている。この問題で、アメリカは、北朝鮮に対して、先核放棄、後 対話の立場を主張したが、北朝鮮は、先米朝不可侵条約締結、後核問題論議の主張を強調 し、お互いの立場を固持していた。 このような中で、2003 年 4 月に北京でアメリカ、北朝鮮、中国が参加する 3 カ国協議が 開催された。3 カ国協議が開催される前は、北朝鮮が米朝間での交渉を求めており、米朝間 で不可侵条約の締結をする代わりに核問題に関する交渉に応じ、核問題に関してはアメリ カのみと対話するとの立場をとっていた。一方、アメリカは、「合意された枠組み」に北朝 鮮が一方的に違反したこともあって、2 カ国間での交渉には応じない姿勢を見せていた。そ こに、中国の介入もあり、北朝鮮が、米・中・朝の 3 カ国による会合を受け入れたために 実現したものである。 3 カ国協議では、アメリカは、北朝鮮によるすべての核計画の完全、検証可能で、さらに 再開発が不可能な廃棄が必要であると主張し、日本と韓国を含めた他者会合の早期開催の 必要性を指摘した。これに対し、北朝鮮は、核、ミサイル問題の解決などに関する包括的 な案を提示したが、核問題については、使用済核燃料棒の再処理はほとんど終わっている など、緊張を高める発言を行った。この協議では、実質な面で顕著な進展はなかったが、 多者間での外交努力を通じた問題解決を模索し始めた契機となった。 2)6 ヵ国協議の開催とその意義 3 カ国協議を経て、2003 年 8 月末に第 1 次 6 ヵ国協議が北京で開催された。この会談で、 アメリカは、北朝鮮が核廃棄をしたうえでそれに相応する措置をとるとし、北朝鮮が望む 米朝関係の正常化を目標に北朝鮮のミサイル問題、在来指揮の軍事力など、その他の問題 も交渉の余地があるという立場を見せた。一方、北朝鮮は、まず核放棄の要求するのでは

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なく、自分たちの要求する対北支援の実施、米朝不可侵条約の締結、米朝、日朝の国交樹 立などと、アメリカの要求する措置と核放棄、査察承認、ミサイル問題解決など、を同時 に進行することを提案した。これに対し、アメリカは、北朝鮮を攻撃しないとしながらも、 不可侵条約を締結するのは、不可能であるとし、会談は決裂した。 第1 次会談では、それ自体には大きな進展は見られなかったが、6 ヵ国協議が解されたこ とに大きな意味があるとして、その評価は肯定的なものが多い。6 ヵ国協議が持つ意味は、 次の2 点があげられる。 1.北朝鮮の核問題を、対話を通じて平和的に解決するための対話が始まったという点 である。これは、これまでに幾度も朝鮮半島の軍事的危機の勃発の可能性が高まっ たことからも、対話を通じて平和的に問題の解決を目指すことに各国が同意したこ とに大きな意味があるといえる。 2.今回の会談で、北朝鮮の核問題と関連し、朝鮮半島の非核化、北朝鮮の安保憂慮解 消、包括的、段階的解決、6 ヵ国協議継続などの原則に各国間の意識が形成されたこ とも意味のあることである。 しかし、アメリカと北朝鮮の立場の違いが依然として大きいという点が確認され、6 ヵ国 協議を開くことですぐに朝鮮半島が必ずしも良い方向に向かうとは限らないことを認識し なければならない。

2 節 枠組みに対する考察

本節では、なぜ北朝鮮が国際的な信頼関係の構築を果たすために、6 ヵ国協議を分析枠組 みとしたかについて説明する。 まず、第一に、6 ヵ国協議には、東アジアでさまざまな思惑・因果関係を持ち、直接的な 影響を及ぼしえる国家がそろっているといえる。特に、北朝鮮にとって、他の国々は地政 学的にも周辺国と呼ばれており、北朝鮮が国際的な信頼回復を考えるに当たっても直接的 な影響を及ぼしえる国であるといえる。 第二に、6 ヵ国協議の参加国の立場が対等であり、また、それぞれの因果関係から、会談 が問題解決の過程で順調に進展せず、たとえ 2 国間での葛藤が浮き彫りになった場合も、 第三者がバランサーの役割を果たしえる可能性がある点である。これは、特に北朝鮮が孤 立することを防ぐことが可能となる。 第三に、参加国すべてが、第1 回の 6 ヵ国協議で、主題の核問題を平和的に解決すると いうことを目指すことに同意しているという点である。これは、いまだ休戦状態にある朝 鮮半島において、問題を解決するに当たり武力の行使が可能な状況であったことから、参 加国すべてが平和的解決を目指すことで、戦争などの危機的事態は避けることができる。 これは、6 ヵ国協議が定例化し、長期的に継続する場合も核問題だけでなく、さまざまな問 題を平和的に解決することにもつながる。

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以上、3 つの点から、6 ヵ国協議は本来、核問題の解決を扱う目的ではあるが、北朝鮮の 国際的信頼の構築を考える上でも、適切な枠組みであると判断できる。

3 節 問題解決のための課題

現在、6 ヵ国協議は、3 回開催されているが、核問題解決への順調な進展が見えるとはい えない。その理由として以下の問題4 つが指摘できる。 1 つ目に、アメリカと北朝鮮の立場の違いが挙げられる。6 ヵ国協議で注目されているの は、米朝を中心とした核問題の解決であるが、双方の主張に違いがあり、まだそれらを主 張することで妥協点を見出すことができない状況にある。これは単にアメリカと北朝鮮が 強硬的な態度を持っているということではなく、もともと、アメリカなどが北朝鮮の核問 題の解決を優先すべき課題としているのに対して、北朝鮮は体制の安定、及び核問題の保 障を並行して行うべきと主張しており、お互いの立場に違いがあるためである。 2 つ目に、北朝鮮は、核問題は米朝間の問題であると主張していたが、朝鮮半島の安保問 題を考えると周辺国も参加する枠組みが必要であるとして、アメリカは、日本や韓国など の参加を強く求めたことである。結果的に 6 ヵ国協議が果たされ、周辺国が加わったこと で、協議が決裂しないようにバランサーとしての機能を期待できる反面で、北朝鮮に対し て、核問題以外の問題を解決する必要があると追求するなど、周辺国内でも、それぞれの 関係から、東アジアの覇権を求めて、対立する要因が見られる。 3 つ目に、北朝鮮に対する不信感が挙げられる。日本とアメリカは依然として、北朝鮮と の国交を持っておらず、アメリカのブッシュ政権は北朝鮮を「ならず者国家」の一員とみ なし、日本政府も韓国の太陽政策を支持しているものの、拉致問題などの浮上による国民 の不満から、国内世論によって経済制裁を支持する声が上がっている。 以上3 つの点は、北朝鮮に関連した問題であるが、4 つ目には、東アジアの覇権及び影響 力の行使を巡って対立の要因になる可能性が挙げられる。 アメリカが日本と韓国との間で安全保障条約をむすぶなど親密な関係にあり、それだ けに東アジア地域での影響力は大きい。核問題についても、当初、アメリカとの間で「枠 組み合意」締結するなど、アメリカ主導で扱われたことから、北朝鮮の問題を解決する ことで、東アジア地域の覇権を握ろうとしていることが分かる。このようなアメリカの 動きに対して、中国は、3 カ国協議を提案し、バランサーの役割を果たすなど、「アメリ カ牽制」の態度を見せているが、アメリカも、中国の経済の高成長や北朝鮮との歴史的 な関係を考慮し、「中国牽制」の意味合いから、北朝鮮の問題に取り組んでいるとも言え る。ロシアにおいても、韓国との関係正常化により西側諸国との関係を強化してきたが、 3 カ国協議などで、自国が排除されていることに対する危機感から、北朝鮮との関係改 善を試みていることから、ロシアも東アジア地域である程度の影響力を行使できるよう にすることが予測される。日本においても、アメリカのからの支持もあり、経済力、政 治力を行使し、ある程度の影響力を行使できるようにするだろう。現在、国交正常化に

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向けての会談が開催されているが、これが成功することによって北朝鮮から得られる信頼 は増大するだろう。

このように、周辺国にそれぞれの政策・方向性があり、周辺国の問題解決に対する提案 が異なる場合、対立の要因となる可能性がないわけではない。

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4 章 信頼の必要性と信頼構築

本章では、第 3 章で見てきた 6 ヵ国協議について、北朝鮮の国際的な信頼構築を社会的 ジレンマとし、6 ヵ国協議を集団に置き換え、6 ヵ国協議が北朝鮮の国際的信頼の構築を考 える上で、第 1 節では社会的ジレンマの解決策に「信頼」が必要であることを導き、第 2 節では、実際に6 ヵ国協議が北朝鮮の国際的信頼の構築に有効であるかを考える。

1 節 「信頼」の必要性

1)信頼の必要性 山岸俊男氏の社会的ジレンマに関する文献40)を利用すると、「集団全体が自分で自分の首 を占めている状況を、社会的ジレンマ」といい、個人的に「自分で自分の首を絞める」行 為は、こうすればよいと分かっていながら、それができない状態にあり、社会的ジレンマ とは、「社会全体としてはこうすればよいと分かっていながら、誰も自分から進んでそうし ようとしない場合」であるという41)。この場合、こうすればよいと分かっているのだから、 そうするべきであるが、社会的ジレンマにおいては、一人一人の意思がしっかりしていて も、不可抗力によって、個人レベルの力では解決が不可能であり、個人的なレベルでの問 題よりは解決が困難である。社会的ジレンマにおいて、その解決には、それぞれが「協力」 を選択し、その解決を目指すことが必要となってくるためである。 ここで、山岸氏は、「囚人のジレンマ42)」などの研究によって、「社会的ジレンマにおい て、みんなにとって望ましい相互協力状態を達成するには、人々が自己利益の追求を止め て、他人の利益を優先するようになう必要があるのか」という点について、「それぞれの人 にとって、「協力」を選択することが、結局は自分自身の利益になるのであれば、人々が利 己主義であればあるほど相互協力が達成しやすくなる」43)と述べているが、繰り返しのあ る社会的ジレンマの解決の条件として、ホッブスの理論を用いて①相互協力状態が自分自 身の利益になることを理解し、そのような状態を作り出すために進んで協力すること、② お互いに信頼感を持っていることである44)としている。 40) 山岸俊男『セレクション社会心理学―15 社会的ジレンマの仕組み -「自分一人くらいの心理」 の招くもの-』サイエンス社、1990 年および、山岸俊男『信頼の構造―こころと社会の進化ゲーム』 東京大学出版会、2000 年。以上の文献は、社会学の領域にあるが、国際社会を扱う本稿においても 適用できると判断し参考とした。 41) 「」部分は、山岸俊男『セレクション社会心理学―15 社会的ジレンマの仕組み -「自分一 人くらいの心理」の招くもの-』サイエンス社、1990 年、2 ページ 42) 「囚人のジレンマ」にいては、多くの分野によって利用されているが、筆者が参考にしたの は、山岸俊男氏の『セレクション社会心理学―15 社会的ジレンマの仕組み -「自分一人くらい の心理」の招くもの-』では、51~59 ページ。 43) 同上、101 ページ。 44) 同上、99~102 ページ。

参照

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