ドイツ
語
訳 (レ ク ラ ム版 )「仏 陀の説 法 」について (鈴本 達 哉 )一
81
一
ドイ
ツ
語 訳
(
レ
ク
ラ
ム
版
)
「
仏
陀
の
説 法
」に
つ
い
て
鈴 本
達
哉
はじ め
に筆
者
は先般
,
大
正大
学研 究
紀
要
59
号 (
昭 和
49
年
3
月発 行 )
に 「ヘ
ル マ ン・ヘ
ッセ と イ ン ド」 な る拙
論 を発
表 し,
そ の 中 で,
カー
ル。
オイ ゲソ・
ノ イマ ン(
Karl
Eugen
Neumann ,
1865
−
1915)
に よるパー
リ仏 典
の ドイツ語
訳に触
れ,
三
井 光 弥 著
「独 逸 文 学
に於 け
る仏 陀 及
び仏 教 」
の中
から
,
この独
訳仏典
を称賛
す
る言 葉 を た く
さん引用 し
た。そ し
て右 拙 論 を 書 き上 げ
て か ら,
実 際
に こ の独
訳仏
典
に 目を通
して み よ う と思
い立 ち,少
し探
して み た が,
見
つけ
ることが
でき
なか っ た。 ヘ ッ セが愛読
し大
き
な影 響
を受 け
たと
いう
ノイマ ン訳
レク ラム文
庫 本 も
,
今
は絶 版
とな り,
入 手 しに く くなって いる。 そこ で止む
を得
ず
,
現
行 レ ク ラム版
のバー
リ仏 典 を そ
の代
りに読
ん で み よ う,
という
ことになっ た次 第
であ
る。 これ は タ イ トル を “Reden
des
Buddha
”
「仏 陀
の説 法
j
と
い い,
1969
年
版 (初 版
1957
年)
で,
訳者
はIlse
・
Lore
Gunsser
(
イル ゼ・
ロー
レ・
グンサー
) と 言 う 。 女 性の よ うであ
るが,
どの よう
な経
歴の イ ン ド学 者
であ
る かにつ い て は,
筆
者
は全
く関 知
しない。 とに かく筆 者
はただ,
ヘ ッセ を 初 め とする20
世 紀 初 頭
の ドイツ の作 家
や知 識
人 に多
大 の感
化 を 与 え た という
ノイマ ン訳 仏 典
を しのびつ つ,
この90
ペー
ジ ほど
の文 庫 本 を読
んで行
っ た わ け であ
る。解 り易
い明噸
な 文章
なの で,
楽
に読
むこ とができ
た。そ
れで, 以 下, こ の ドイ ツ語 訳
仏 典
につ いて,
仏 教 学
に関
し て は殆
ん ど門 外 漢
と言 っ て も よい一
人の ドイツ語
教 師
の,研 究 論 文
から
は程 遠
い,
勝 手 気 儘
な読 書
感
想文
と して書
い て み たい 。一、
本 書
の搆 成
一
514
一
一
82
一
先
にも
一
寸
述
べ た如
く
,
本
書
は全 部
で90
ペー
ジ余
の小 冊 子
であ
る。最 初
に10
ペー
ジ解
説
があ
り ,最後
にパー
り単 語
の発 音
の概 略 と略 語 表 及 び
目次
と が合 計
4
ペー
ジあ
る。従
っ て,
中 味
は80
ペー
ジに満
たな
い。そ れ 故
,
厖 大 な
パー
リ原
典
か ら 訳載 す
る際
,
その選 択
に は かな
り苦 労
し た こと
であ
ろ う。 では次
に,本
文 庫 本
に収 録
さ れて い る仏 典
が,
パー
り原 典の ど れ か ら 抜 粋 した ものであ
る か を,
即 ち出
典
を,一
つ残 らず
記し てみ よ う。第
1
章
(全 部
で4
章
に分
れ ている)
の タイトルはDer
Buddha
r
仏 陀 」
で,
二つ の節
に分 れ
て い る。第 1 節
はDie
Gewalt
der
Buddhaverktindigung
;der
L6wenruf.
「仏 陀
宣 教の威 力
,
獅
子 吼 」 と 題 さ れ,
相応
部 経 典の22
の78
が収
め ら れて いる。第 2
節
はDie
Rede
vom rechtenForschen.
「
正し い探
求
についての説
法
」
と題
して,
中 部 経 典
の26
が載
っ てい る。 これ
は,
ちょうど
20
ペー
ジにも及
ぶ長
い仏
典
であ
る。第
2
章
はDhamma
(die
Lehre
)「法
」 (教
え)
とタイ トル を付 さ れ
て,
8
つ の仏 典 を収 録
してい る。第
1
節 (実 を 言 う
と,
こ の節
の番 号
は,
使 宜 上筆
者 がつけ た もの で,
実 際
の本 書
の 目次
で は,
第
1
章
か らの通 算
になっ て い る。 即ち,
こ の節
は通算
で は第
3
節
であ
る。以 下
,
同様 な 方法
で,
つま り
,
筆 老
が便 宜 的
に各 章
ご とに付
した節
の番 号
で話
を進
め る こ とにす
る。)
はDie
Rede
im
Tierpark
vonBenares
von
den
vier edienWahrheiten
.
「ベ ナ レ スの鹿 野 苑
に おける4
つ の聖 な る真
理につ いての説 法 」 と 題 さ れ,
律蔵
・
大
品の1
の6
の17
以 下
が収
め ら れて い る。 以下
,
最
終章
(第 4
章 )
の最 終 節 (第
5
節 ) を除
い て は,
1
節
ごと
に一
仏
典 収 載
とい うことになっ ているの で,
節
の番号
,
タ イ トル,
出 典
を図 式 的
に羅列
す る という
,
簡 潔
な記 述 方 法 を 取
りたい。第
2
節
。Die
Lehre
vomLeiden
unddie
Liebe
vomVater
zumSohn
.
「苦
悩
に つ いて の教
えと息 子
に対
する父の愛 情
」。相 応 部 経 典
42
の11
。第
3
節
。Das
Entstehen
in
Abhtingigkeit
,
der “
Paticca
・
samuppada”
.
「依
存
して発
生 す ること,
即ち 『縁 起
』」。自
説経
1
の3
。
ドイツ語訳 (レ クラム版 ) 「仏陀の説 法 」
VC
つ いて(
鈴本達哉
)−
83
一
第
4
節
。Buddha
verklindet seineLehre
den
Hausvatern
vonVeludvara
.
「
仏 陀
,
ヴェー
ル ド ヴァー
ラの居
士 た ちに教
え を垂 れ
る」
。相 応 部 経 典
55
の7
。第
5
節
。Das
Gleichnis
vonden
Blinden
unddem
Elefanten
.
「盲 人 と 象
との喩 え
」
。自
説 経6
の4
。第
6
節
。Das
Freiwerden
von
der
Vorstellung
voneinem
beharrenden
Selbst
.
「執 拗 な 自我
の観 念
から解 き放
たれ
る こと」
。相 応 部経 典
18
の22
。第
7
節
。Die
Lehre
alsFloB
.
「筏
と
し て の教 え
」。中 部 経 典
22
。第
8
節
。Die
Erkenntnis
der
edlen
Wahrheit
vomLeiden
alsVorausse
−
tzung
der
Erl
δsungvom
Dasein.
「
存 在
から
の救 済
の前 提 と
し ての,
苦 悩
に つ い て の聖 な
る真 理
の認 識
」。長 部経 典
16
の2
の2
。以 上
で第
2
章
は終
り であ
る。第
3 章
はSangha
(
d
且eOrdensgemeinde
)
「僧 伽 」 (教 団 )
と題
さ れ,4
つ の節
に分 け
ら れて いる。 以 下,
前章
と 同 じ く,
図式
的に列 挙
す る。第 1
節
。Die
Verktindigung
der
einengleichen
Lehre
undihre
Aufna.
hme
durch
die
verschiedenenMenschen.
「
一
つ の同
じ教
えの宣布
と種
々の 人 間に よ る その受 容
」。相 応 部 経 典
42
の7
。第 2 節
。Die
Uposathafeier
unddie
M6nchsgemeinde
im
Vergleich
mitdem
Weltenmeer・
「大 洋 と比 較 され
る斎 戒 と教 団
」。自説 経
5
の5
。第
3
節
。Klare
BewuBtheit
undAufmerksamkeit
ist
Pflicht
fUr
den
M6nch .
「
明瞭
な
る意 識
と注 意 深
さと
は僧 侶
の義 務
であ
る」。長 部経 典
16
の2
の
11
か ら13
ま でo第
4
節
。Anordnungen
fifr
das
Ve
:halten
Cler
M6nchsgemeinde
nachdem
Tode
des
Erhabenen.
「世
尊
の 入減後
にお け る教 団
の行 動
へ の指 針 」
。長 部 経
典
16
の2
の20
から
26
まで。以 上
で第
3
章
は終
っ て い る。第
4 章
(最 終
章
)
の タイ トルはNibbfina
(
das
Ver16schen
)
「涅 槃
」(火
や燈 火 な ど
が消
え る よ うに消
え ること)
であ
り,5
つの節
e
こ分 け
られ
て い る。以
下 列 挙 す
る。一
84
一
第
1
節
。Auch
der
SansEra,
dessen
Anfang
undEnde
unausdenkbar
ist
.
mu6ftir
den
vergehen,
der
die
wahreErkenntnis
besitzt
.
「初
めも終
りも
解
らな
い輪 廻 も
ま た,
真
の認 識 を持
っ ている者
に とっ て は消 滅
せず
にはいな
い」。
相 応 部 経
典22
の99
。第
2
節
oDieWelt
,
Mara
unddas
Nibbana
.
「世 界
,
悪
魔
及び浬 槃 」
。相
応
部
経 典
23
の1
。第
3
節
。Das
Wesen
des
Nibbana.
「涅 槃
の本
質
」。自説 経
8
の1
。第
4 節
。Das
NibbEna
a】sdas
Ungeborene,
nicht
Gewordene .
「生
ぜざ
る もの,
成 長
せざ
るも
のと
し ての涅 槃 」
。如 是 語 経
2
の6
。第
5
節 (最 終
節 で,
第 1
章
か らの通算
で は第
19
節
と なる)
はDes
Vollend
−
etenEingehen
in
das
Nibbana。
「
覚者
涅槃
に入る」
とい う題
で,
長 部経 典
15
の
中
から
,
5
つの経 を 収 録
し てい る。以 下 列 挙 す
る。第 1
の経
。3
の34
か ら37
ま で。第
2
の経
。5
の1
から
3
ま
で。第
3
の経
05 の13
から
14
まで。第
4
の経
05 の17
から
19
ま で。第
5
の経
。6
の7
。 二 、解 説
につ い て次
に,
仏 典
の翻 訳
につ いて触
れ る前
に,
解
説
につ い てい さ さ か述
べてみ た い。10
ペー
ジにも及
ぶ その内 容
に全 く触
れ ない のは,
少
々片 手 落
ちにな
るであ
ろ うから
。と こ ろ で
,
解
説 を 担 当し てい るのは,
訳 老 グソ サー
で はな くHelmuth
vonGlasenapp
(
ヘ ル ムー
F
・
フ ォ ソ・
グラー
ゼナ ッ プ)
であ
る。 グラー
ゼ ナ ッ プ が どの よう
な経
歴の学 者
であ
る かにつ いて は,
筆 者
は,
岩 波 西 洋 人 名辞 典 (
昭
和
31
年
)
に出
てい る次
の如 き
記
述
しか知
ると
ころ がな
い。即
ち,
こ の人 名 辞 典
に よ る と,
グ ラー
ゼ ナ ッ プは1891
年
生れ
の ド イ ツ の イ ン ド学 者
で,
ケー
= ヒ ス ベ ル ク(
K
δnigsberg) 大 学
やチ =一
リン ゲ ソ(
Thttringen
)大 学
の教 授
で,
主一
511
一
ドイツ語訳 (レク ラム版 )「仏陀の説 法」 につ い て (鈴 本達 哉 )
−
85
一
著
は.
「
ヒ ンズー
教
」(
Der
Hinduismus,1922
)
,
「
イン ドの宗 教 」 (
D
三e
Religi
・
onlndiens
,1944
) 及
び「
イン ド人の哲 学
」(
Die
Philosophie
des
Ieders
,
19
’
48
) 等
々 であ
る, との こ とであ
る。さて
,
グラー
ゼ ナ ッ プは,
こ の解
説の タイトル がZur
EinfUhrung
「手 引 き
と して」 と
あ
る よう
に,
仏
教
に関
し て(
勿 論 原 始 仏 教
に限 定 され
て いる が)
,
簡潔
に手 際
よく紹 介
を行
っ ている。以
下
,
そ の解説
ぶ りを眺
め て み よう
。グラ
ー
ゼ ナ ッ プ は次
の ような言
葉
で解 説
の筆
を起
し ている。Buddha
,
d
.
h
.
“
der
Erwachte
”
,
ist
der
Ehrentitel
einesWeisen
,
den
Mi
!lionen
Menschen
im
stidlichen undOstlichen
Asien
alsden
Begrifnder
einer
Heilslehre
verehren,
dle
aus
der
Ruhe
!
osigkeit
des
sichimmer
ern−
euerndenWeltdaseins
zur endgttltigenEr1
δsung , zurnNirvina
(
Pali
:Nibbfina
)
ftihren
sol1.
「仏 陀
, 即 ち『
覚者
』
は,南
ア ジ ア及
び東
ア ジ ア の何
百
万も
の人
a
が或
る救
、
済
の教 えの創
始者
と し て崇 拝
して い る一
人
の賢
者
の尊
称 で あ る。 而 して その教
え は,
常
に新
たに始
ま る世
界
存 在
の不安
か ら究 極 的
な救 済
,
即 ちニ ル ヴァー
ナ(
パー
リ語
で はニ ッ バー
ナ)
へ と導
く
こ とになっ てい る」
そ
れ
から彼
は,
仏 陀
が西 歴 紀 元 前
560
年
に,
ネパー
ル・
ヒV ラ ヤ の前 山地 帯
の カ ピ ラヴァ ッ ト ウ(
Kapllavatthu
。以 下 す
ぺ てパー
リ語
の綴
りが用
いられ
て い る。 サ ソ ス ク リッ トは全 く使
われ
ていな
い。)
で サー
ク ヤ(
Sakya
) 族
の王 ス ッ ドー
ダナ(
Suddhodana
)
の王子
と して生 れ
た こ と,
姓
は ゴー
タマ(
Go ・
tama
)
,
名
はシッ ダッ タ(
Siddhatta
) と称
したこ と を述
ぺ てい る。続
いて, ゴー
タマ が豪 奢
な環
境
に生い立 っ たが
生の苦 悩
の解
決
を 求め て.
29
歳の時
妻
子 や’
親
を捨
て て,
出 家
し たことが
誌 さ れ る。 次 に,6
年
にわ た る空
しい ヨー
ガ修 業
と苦 行 と
の後
,
ウル ヴェー
ラー
(
Uruvelfi
)
の い ちぢ く
の樹
の下
で悟
りに達
し,
菩 薩
から仏 陀
,
即
ち覚 者 (
der
Erwachte
) とな
っ たこと
が述
べ られ
る。そ れ
から
,
かつ ての苦 行 者 時 代
の紳 問
の5
人
の修 行 者
に仏 陀
が鹿 野苑
で説 法
したこ と,
li
卩
ち初 転 法 輪
の こと,
や がて仏 陀の教 え が 北東
イン ドに広 まっ たこ と,
仏.
陀
がク シナー
ラー
(
Kusinara
)
に おいて80
歳
で入 滅
し た こと
,
等
々が記 さ れ
る。−
510
一
一
86
一
続
いて,
教 団
につ い て の記 述
が な さ れる。即
ち、
入団
の資
格
が世 俗
の カー
ス ト に関 係
なく
,
精 神 的 な資 格 を 持
っ てい る人 な
ら誰
に で も開
かれ
てい るこ と,
教 団運 営
の経 済 面 を 多 数
の在 俗
の信 者 が 支 え
て い ること
〔
そ
の代
表 的 な 人 物 と
して,
給 孤 独 長 者
や遊 女
アム パパー
リー
(
Ambapali
)
な どの名 が あ げ
られ
て い る〕
,
これ ら
の在 俗
の信 者
,
即 ち優 婆 塞
,
優 婆 夷
は最 低
5
つ の戒 律
を守 ら
ね.
ば
な ら ない こと,
そ し て 比 丘 や 比 丘尼 が 俗
人 と は 比ぺ もの にな ら ない ほ ど厳
し い戒律
に服 さ ねば
な ら ない ことが
述
ぺ ら れ る。次
に,
グラー
ゼナ ッ プの筆
は,
仏 典
につ いての叙 述
に移
る。 即 ち,
仏 陀
の入滅 後数 百 年
たっ て,
や
っと仏 陀
の教 え
が文 字
で記録 され
,
仏 教 教 団
の分
裂
と共
・
に ,幾 多
の変遷
を蒙
り,
ま た散 佚
の悲 運
にも遭
った
が,
セ イロ ンの仏 教 徒 (
上座 部 )
に は完 璧
な形
で仏 陀
の教
え がバー
リ語
で伝
え られ
て い る こ とが記
され
る。続
い て,
経
。
律
。
論
の三蔵 (
Tlpitaka
はDreikorb
「
三つ の籠
」 と独 訳
さ れてい る)
の こと
,
こ の レク ラム文 庫 本
に収 録
したの は殆
ん で経 蔵
か らのみであ り
,
こ の経 蔵
は長 部
・
中 部
・
相
応 部
・
増支
部
・
小 部
の5
つ の部 (
Nlkaya
)
・
に分 れ
,
更
に小 部
の中
}こは法 句経
や如
是 語 経
や自
説経
や経 集
な どが含
まれ
て い ることが
述
べ ら れ る 。次
に,
解
説 担 当者
は仏 教々理の説 明
に移
る。 即ち,
仏 陀
は輪
廻
を認
め ない こ と,
色受 想
行識
の五鑑
の こと,
十
二縁 起
の こと
,
八正道
の こと な どが
記 され
る。 そ し て,
次
の如 き
文
章 が そ れ
に続
い て いる。Die
unablgssigegeistige
Vervollkommnung
fUh
【t
schlieBlichin
vielenExistenzen
zu einemGeisteszustand
,
wo alleLeidenschaften
erloschen sind unddamit
schonin
diesem
Leben
jene
vollstttndigeMeeresTuhe
des
・
Gemtits
erreicht wird,
die
vonden
verschiedenenReligionen
unter ver・
schiedenen
Namen
alsdas
Hochziel
menschlichenStrebens
bezeichnet
wird
.
Ist
das
Kamma
,
das
diese
letzte
Existenz
eines
Heiligen
ins
Dasein
rief
,
aufgezehrt,
so stirbt er,
um nie wiedergeboren zu werden.
Er
ver−
lischt
im
Nibbfina
wieeine
Fiamme ,
deren
Brennstoff
sich ersch6pfthat.
ドイツ
語訳 (
レ ク ラム版 ) 「仏陀の説 法」につ い て(
鈴 本達哉
)−
87
−
「不
断
の精 神
的
完
成
は,
あ
ま たの存 在
の中
で,
遂には一
つ の精 神 的 状 態
へと
導
く。 つ ま りそ れ は,
す
べ て の欲 望
が吹 き消
され
て お り,
そ れ と とも
に,
様
々 の名
称
を もっ た様
々 の宗
教
に よっ て人 間 的精 進
の最 高
の 口的
と称
さ れ る, 心のあ
の完 全
な る大
洋
の如 き
平
安
が す
で にこ の生
にお い て達 成 され
る精 神状 態
であ
る。一
人
の聖 者
の この最
終
的
な存
在
を生
ぜ しめ た カ ンマ(
業 )
が蝕 尽
さ れ た時
,
彼
は死
に,
も
はや再
び生
れ るこ とは ない。
彼 は 燃 え 尽 き た 焔の如
く,
涅槃
の中
で消 え 失
せ る」
次
に,
グラー
ピナ ッ プは,
仏 陀
の存 在 が文 学
や芸術
に大 き
な影 響
を与
え,
多
く
の優 れ
た仏 教 文 学 や 仏 教 美 術
が創 られ
たこと,
そ
し て仏 教
が生 れ 故 郷
のイ ン ドで は ほ と ん ど減
び て し まっ たが
,
セ イロ ソ,
イン ドシナな ど
の東 南
ア ジ ア諸
地 域 並び に中 国
,
チベ ッL
朝
鮮
, 日本
な どの極 東 諸
国で は,
今
なお生 き
た宗
教
と して多 く
の 人々に信 仰
さ れ てい るこ と を述
べ て.
10
ペー
ジ に及 ぶ解
説 を締
めくく
っ てい る。’
三 、
本
文
に つ い て次
に,
80
ペー
ジにわ
た るドイツ語 訳 仏 典
を読
ん で感
じたこ と を書
いて み たい。先 ず
,
第
1
章
の第
1
節
の仏
典
,
即 ち「仏 陀
宣教
の威
力
,
獅 子 吼 」
とい う経 典
を 見
よう
。そ
の最 初
のほう
に次
の よ うな1
節 が
あ
る。A1
}edie
Tiere.
dle
den
Ruf
des
grollonden
Herrn
des
Wildes
h6ren,
werden
von
Furcht,
Erregung
undZittern
Ubermannt
.
Die
in
H6hlen
hausen,
verkriechen sichin
ihre
L6her,
die
im
Wasser
wohnen,
flifchten
in
die
Gewtisser
,
dle
Waldbewohner
suchenden
Dschungel
auf,
unddie
V6gel
erheben sichin
den
Luftraum
.
Auch
die
Elefanten
des
K6nigs,
ihr
M6nche ,
die
in
den
D6rfern
un 己St
訌dten
undk6niglichen
Residenzen
mitfesten
Banden
gefesselt
slnd,
zerreiBendiese
Fesseln
.
zersprengen sie,
und
Kot
undUrin
von sich、
1assend
,
laufen
sie
hierhin
unddorthin
.
Von
solcherMacht
,
ihr
MOnche
,
ist
der
L6we ,
de
【K6nig
des
Wildes.
一
88
−
unter
allem
Getier
, von solch unbtindiger
Gewalt
, von solcherMajesttit
.
Ebenso
wahrlich
geschieht
es
auch,
wenn
ein
Vollendeter
in
der
Welt
erscheint
,
ein
He
正liger
,
v δ11ig
Erwachter,
der,
mitWissensmacht
begabt
und rechtemTun
, aufgutem
Wege
geht
, einWeltenkenner
,der
unve.
rgleichlicheLenker
vondem
, wasim
Menschen
bez
誠hmt
werden muB ,、
der
Lehrer
vonG6ttern
undMenschen
,
der
Buddha
,
der
Erhabene
.
「
そ
の吠 え
る獣
の王の叫
び を 聞 く と,
す
べ ての動物
は 恐 れ,
興奮
し,
震 え る。洞 窟
をす
みか とす
る動
物
は洞
窟
の中
へ は い っ て行 き
,
水に住 む
動
物
は水の中
に逃 げ
,
森 をす ま
いとす
るも
の は ジャ ン グルを探
し,
鳥
は空
に 飛 び 立つ。汝等
比
丘 た ち よ,
村 や 町 や 王 宮
の中
で堅 固
な る紐
で縛
られ
てい る王の象す
らも
,
こ の いま し めを 断
ち切
り,
静
き
,
糞 と尿 とを 放
ちつ つ,
四方
八方
へ走
り廻
る。汝 等 比
丘 た ち よ,
百獣
の王 た る獅
子 は,
かくも威 力
を持
ち.
かく も大 き な 懽
勢
を有
し,
か く も威厳
に満
ちてい るのだ
。完 成
され
た人 が
,聖
な る人 が
,
知 力 を 付 与
され 正
しき行
為
をも
っ て善 き道
を行
くと
ころの完 全
に めざ
め た人
が,
世 界
を熟 知
している 人 が,
人 問
の中
にあ
る制 御
さ れ ねば な ら
ぬ もの につ い て の比類 な き指
導
者 が
,
神
と人 間 と
の教 師
が,
即
ち仏 陀
な る世 尊
が世
に現
わ れ る時 も ま
た,
ち
ょう ど同
じこ とが
生
ず
るの であ
.
る。
」筆 者
の 日本 語 訳
は非
常
に雑 駁
な文 章
であ
るが,
ドイツ文
は大 層 簡 潔
で解
り易
く 而 も 力強
い文 章
であ
る よ うに 思 われ
る。若 き
口 の仏陀
釈尊
の,
高 揚
し確 信
に満
ち た鋭
い気 魄
が,
こ の文
か ら ひ しひ しと伝
わっ て来
る よ うな感
がす
る。 これ を 読 む ド イ ツ人
は,
恐 ら く強
い印 象
を受 け
る であ
ろ う。ま た
,
こ の文
の少
しあ
と に,
諸
々 の神
が仏 陀
の教
え を聞
いて め ざ め る 場 面が
出
てく
るが,
その め ざ めの内容
を述
ぺ た文
を引
用 して み よう
。Ach
.
wirSlnd
unbestandig,
die
wirglaubten
vonDauer
zu sein.
Wir
sind wandelbar
,
dle
wir unsfUr
besttindig
hielten
.
Und
die
wir wUhnten ewigzu
sein
.
wir sindin
Wahrheit
verg 亘nglich.
ドイツ
語
訳(
レク ラム版)
「仏陀
の説 法
」につ い て(
鈴 本 達哉
)−
89
−
「
あ あ
,
恒 久 的
であ
る と信
じていた我
等
は変
り易
い。永
続
す
る と思
っ て い た我 等
は果 敢 な
い。永 遠
であ
ると妄 想
し て い た我等
は実
は無 常
なのであ
る。」
上
の ドイツ語 訳
は実
に名 訳
であ
るよう
に思
わ れ る。 パー
リ語
の原 文
IC
当
っ て確
かめ る能 力 も
余
裕 もな
い のが 残 念
であ
るが
,
原 文 も恐 ら く名文 な
の であ
ろう
。少
し ドイツ語
文章論
の専
門
の話
に な る が, これ らの3
つ の文章
の ど れにも
,関
係 代 名 詞 複 数
主格
のdie
の次
に人称
代
名
詞一
人
称 複
数
主格
の wir(
英
語
の we)
が置
かれ
てい る。 こ の ように主格
を 重複
して用いる語
法 は口語 で は あ ま り見
られ ず
,
文 語
で多 用 され
るも
のであ
るが
,
上
の文章
においては これが 大
層効
果
的
で,
文 全 体 を や や 古 風
で格調 高
いも
の に し ている(
な お,
こ の語法
は こ のあ
とも随 所
に出
てく
る)
。第
2
節
の仏 典 「
正 しい探 求
につ いての説 法 」
は,
仏
陀
が回 想
の ような形
で比
丘た ちに,
自
己の出家
と その後
の ヨー
ガ 修行
と苦 行
との こと,
初 転 法 輪
の ことな どを 語
る,
と
いう内 容
で,
20
ペー
ジにも
及 ぶ 長いも
の であ
る。2
・
3
引 用
し てみ よう
。先
ず
,仏
陀
が
かつ ての修 行 仲 間
であ
る5
人
の沙 門
たち
に語
りかけ
る場 面
から
少
し引用
す
る。Wendet
euch nicht,
ihr
M
δnche,
anden
VoUendeten
皿it
dem
Namen
und
Worte “
Bruderコ
’
.
Ein
Heiliger
,
ihr
M6nche
,
ist
der
Vollendete
,
einvUllig
Erwachter.
Lelht
mir,
ihr
M6nehe ,
Geh6r
:Die
Todlosigkeit
ist
gefunden
.
Ich
unterweise,
ich
verkUndigedie
Lehre.
「
汝 等 沙 門
た ち よ,
『仲 間』
とい う名称
と言葉
と をも
っ て,
完 成 され
た人
に対
して は いけ
ない。沙 門
たち よ,
完 成 さ れ た 人は聖者
であ
り,
完 全
なる覚 者
であ
る。沙
門
た ち よ, わ が言葉
に耳 を傾 け
よ。『
不 死が見
出 さ れ た。私
は導
こう
。教
えを告 げ
よ う……
』」
第
1
節
の仏
典の場 合 と 同 じ く,
この文
も,
仏
陀の人 格
につ いての鮮 烈
な 印象
を,
読 む 者
に与 え
るこ と と思 わ れ る。 また,
次
の1
節
な ど は ど ん な ものであ ろ う か。Es
gelang
mir nun ,die
ftinf
M6nche
zurEinsicht
zubringen.
Zwei
一
90
−
von
ihnen
unterrichteteich
,
unddrei
M6nche
gingen
Almosen
sammeln.
Was
die
drei
M6nche
、
Almosen
sammelnd,
herbeibrachten
,
das
teilten
sie
in
seche
Teile,
und
wirern
議hrten
uns
davon.
Aueh
die
drei
M6nche
belehrte
ich,
wtihrenddie
zwei anCleren umder
Almosen
willenfortgin
.
gen
.
Was
diese
zweiM6nche
erbettelten,
vondem ,
in
sechsTeile
geteilt
,
erntihrten wir uns.
「
今
や 私
は,5
人
の沙 門
を洞察
へ と導
く
ことに成 功
し た。彼
等
の3
人
が托 鉢
に 出 か け ている 間に,
私
は2
人の沙門
に法 を 説いた。3
人が 集
め て持 参
した も の を 六等 分
し,
そ
れでも
っ て私
た ち は生 活
し た。 また,
2
人
の沙 門
が托
鉢
に 出 かけ
てい る間
に,
私
は3
人 を 教 え導
い た。 こ の2
人
の沙 門
が請
い受 け
たも
の を6
等分
し て,
私
た ち は身
を養 な
っ た。」こ
れ
を読
む ドイツ人
には,
仏 陀 が
5
人
の比 丘
た ち に如 何
に熱
心 に而 も長 期 間
に わ たっ て法 を 説
いた か が,
生 き生 き
と想
像
でき
るであ
ろ う。第
2 章
「法
」以 下
の各 仏 典
につ い ても,
最 低1
節 つつ は引 用
し て行 き
た い の だ が,
とても紙 数
の余 裕
が な さ そう
なの で,
残
念
なが
ら,
引 用 を
いく
つ かの仏
典
に限定
せざ
るを
得
な
い。か よ
うな
わけ
で,
少
し飛
ん で,
第
2
章 第
4
節 「仏 陀
,
ヴェー
ル ド ヴ ァー
ラの居
士 た ちに教 え を 垂 れ
る」
について触
れ るこ とにす る。 こ の経 典
は6
ペー
ジ に及 ぶ
少
々長
いも
の で,
タイ トルの下にWas
du
nicht wi11st,
daB
mandir
tu
’
,
(las
filg
auch
keinem
andern zu.
「
己 れの欲
せざ
ると
ころを 他
に施す
こ と勿
れ
」と
いう
バイ ブル の名 文 句
が挙 げ ら
れ ている。 ま さ しく
,
「欲 す
るも
の が な ん で も手
に入れ
られ
る ような 教 え を 授 け
てくれ 」
と迫
る居
士 た ち に,
巧 み な 比喩
と 話 術で,自
己の生命 も他 人
の生 命 も
ど ち ら も愛
しいも
の であ
るこ と,
即 ち,す
べ て生 あ
るも
の は愛
しい もの であ
るこ と を仏
陀 が諄
々と説 き聞
か せ る 下 りは か の聖 書
の名 句
を彷 彿
と させ る。一
節 を 引用
し よう
。Da
sinnt,
ihr
Hausvtiter
, einSchti
!erder
Edlen
;Ich
hege
den
Wunsch
zuleben
undWill
nlcht sterben,
ich
begehre
Wohlsein
,
und unangenehmlst
mirdas
Leiden
.
Wer
,
mir.
der
ich
solcheWUnsche
habe,
das
Leben
−
505
一
ドイツ
語
訳(
レ クラム版)
「仏陀
の説 法 」に つ いて (鈴 本達哉
)−
91
−
ntihme,
der
w 登rde mir nichtIieb
und
angenehm sein.
Und
wennich
nun elnem ande :en,
der
auchdas
Leben
liebt
und nichtsterben
wil
し
dessen
Begehren
auf
seinWohlsein
gerichtet
ist
undder
dem
Leiden
abgeneigtist
,
das
Leben
nehmen wilrde,
so wUrdedies
auchdem
andern unlieb und nicht angenehm sein.
Was
fUr
mich eine unliebe,
unangene・
hme
Sache
ist
,
das
ist
auchffir
den
anderendas
Gleiche.
Was
mir aber unlieb und unangenehmist
,
wie
sollte
ich
das
einem anCleren 2ufUgen 〜Nachdem
er
so
mit sich selbst zuRate
gegangen
ist,
stehter
vom
T6ten
abund
veranlaBt
den
anderen
auch
davon
abzustehen
,
Leben
zu
verni
−
chten.
Er
preist
den
Verzieht
aufdas
Vernichten
des
Lebens
,
und se {nVerhalten
ist
so,
was
das
Handeln
anbetrifft
,
von
h6chster
Reinheit
.
「
汝 等居
士 た ち よ,
そ
の時
,
聖
た る弟子
はこう熟 考 す
る。即
ち,
『私
は生 きた
いと
いう願 望 を抱 き
,死
を欲
せず
,
幸福
を請
い願
う。私
に とっ て苦
し み は 不快
であ
る。 その ような願 望 を持
つ私
か ら生命
を奪
う者
がい たら
, た と え そ れが 誰
であ
ろう
と,
私
に とっ て愛
しくも
なく快 適
でも
ない 。 そ して,
私 と 同 じよ うに生 命
を大 切
に し,
死
を欲
せず
,
快 適 さ を渇 望
し,
苦
しみを 嫌
悪
してい る他
の人 か ら,
も
し私
が生 命 を 奪 う
と した ら,
その人に とっ て私
は愛
しく もな く
,
快 適
でもな
い であ
ろう
。私
に とっ て厭
わ しく不 快
であ
るも
の,
そ れ
は他
の人
にと
っ ても同 様
であ
る。 だ が,私
にと
っ て嫌 わ
しくそ
して不快
であ
ることを
,
ど う し て私
が他
の人 に為
し てい い はず
があ
ろう
か。』
と。そ う熟
考
し たあ
と,彼
は殺
生 を 棄
て,
そ
して ま た他人
にも
,
生 命 を滅 ぼ す
こ と を棄
て る よ うに仕 向 け る。彼
はい の ちあ
るも
のを 滅
ぼす
こと を 放 棄 す るこ と を称 賛 す
る。 そし て,
そ
の行
動
に関 す
る限 り,彼
の態 度
は最 高
に純 粋
であ
る」次の
第
2
章 第
5
節
の仏 典 「盲 人
と象
との喩
え 」はそ
の内 容
が我
々 日本
人P
こは よく
知ら
れ てい るの で,
筆 者 が
あ
らず
もが
なの解 説 な ど
つけ 加 え
る必 要
はあ
る まい。 その代 ウ
,
少
しだいそ れ
た試
み であ
る が,
パー
リ原 典 と
ドイ ツ語 訳 と
の比 較 対
照 を やっ て み たい。 という
の は,
つ い最
近
購
入 し た水 野 弘 元 著
「パー
リ語 仏教 読 本」
(山
喜 房 仏 雷 林 )
に「
群 盲 模 象の喩 」 と題
し て,
こ の経 典
のパー
−
504
一
一
92
一
リ
原 文 が
載
っ ている か ら であ
る。言
う ま で も なく
,全 文
にわ たっ て比 較 対 照 す
る
能
力 も余 裕 も
ない の で,最
初
の数行
だけ
に とど
め たい。先 ず
,
パー
リ原 文 を
挙 げ
よ う。Evam
me
sutath.
Ekarh
samayalh
Bhagava
Sivatthiyath
viharatiJeta・
vane
An
註tha
−
pi吋
ikassa
arfime
.
Tena
kho
pana
samayena sambahulE n 亘nti・
titthiya
samapa・
brEhmapa
paribbajaka
Savatthi
面pi
ηdiya
pavisanti
ntina−ditthik
巨 nan 亘・
khantiki
nEn 五・
rucika n 五na・
di
聾hinissaya
・
nissita.
これ を
,
グソ サー
は次の よ うに ドイツ語
に訳 し てい る。So
wurde es von mirgeh6rt
:Einst
weilteder
Erhabene
bei
der
Stadt
Savatthi
in
dem
Jetavana
,
dem
Haine
des
Antithapindika
.
Zur
selbenZeit
nungingen
vieleAsketen
undBrahmanen,
die
verschiedenen
religiδsenGemeinschaften
angeh6rten und aufder
Wanderschaft
waren,
umder
Almosen
willen nachSavatthi
.
Diese
hatten
v三elerleiAnsichten
,
unterschieden
sichim
Glauben
,
standenunter
verschiedenartigemEinfluB
und verlieBen sichauf
allerlel
Ansch
・
auungen
,
では
,
無 謀
で身
の程 知 ら
ず
な こ と な がら
,
以下
, 巴独 両 文
の詳 細 な比 較 を 試
るこ
と
にす
る。先 ず
Evam
me sutain。
とSo
wurde es von mirgeh6rt
: を比
べ る と.
evam
は「
かく
の如 く
」と
いう意 味
の副 詞
で,
ドイツ
語
では so に当 る。 meは aha1h 「
私
は」 (主 格
)
の具
格
で,
英語
のby
me,
ドイ
ツ語
のvon
mir に当
る。 sutarh は su4ati 「聞 く」
(
動 詞
)
の過 去
受動分
詞
であ
る。従
っ て,
ドイ ツ語
には,
形 式
上の主
語 を es と して,
wurde……
geh
δrt の如 く,
英 語 な らit
を 主 語に して washeard
と訳
し得
る であ
ろ う。 してみ ると
,
Evam
me suta 【h
の
訳 と
してSo
wurde es von mirgeh
δrt は適 訳 と
いう
こ とにな ろ う。次
の文
に移
ると
,
EkaIh
samaya ・h
Bhagavi
Savatthiyath
viharatiJetav
・
aneAnatha−
pipdikassa
tirEme
.
という
パー
リ文
を グソ サー
はEinst
weilteder
Erhabene
bei
der
Stadt
Savatthi
,
in
dem
Jetavana
,dem
Haine
des
ドイツ語 訳 (レ ク ラム版) 「仏陀の説
法
」につ いて(
鈴本達哉)
−
93
−
AnEthapindika.
と独 訳
して い る。 巴 独 両 文の違い を はっき
り掴
むた め に,
ど
ち らの
文章
をも
,原 語
を添
えな が
ら, 日本 語
に逐 語 訳
し て み よ う。 パー
リ語
・
ドイツ語
の順
に並
ぺ て書
くこ とにす
る。「
あ
る時 (
Ekath
samayath)世
尊
は(
Bhagava
) 舎 衛 城
の(
Sivatthiyath
)』
祗 陀 林
にあ
る (Jetavane
) 給 孤 独 長者
の(
Anatha−
pi4dikassa
) 遊 園
に(
Era
・
me
)居
住
され た(
viharati)
o」
「
あ
る時 (
Einst
)世 尊
は(
der
Erhabene
)
,
舎 衛 城 市 郊 外
の(
bei
der
Stadt
Savatthi
) 祗 陀 林
にあ
る(
in
dem
Jetavana
) 給 孤 独 長 者
の(
des
Anathapi−
ndika
) 遊 園
に(
dem
Haine
) 滞 在 され
た(
weilte)
。」上の
2
つ の訳 文 を 比 較 す
ると
,
ド イツ語
訳
は,Stadt
(
都 市 )
とかbei
(
「…
…
の近 在
の」 という意 味
の前 置
詞) な
どの原 文
にな
い語
を補
な っ てい る こと が解
る。 ドイツ の読 者
に は こ のほう
が理 解 しや す
いであ
ろう
。事 実
,
紙 園 精 舎
は王 都
であ
る舎 衛 誠
の近 郊
に所 在
し たのであ
る か ら。続
いて,
今 度
は少
し長
いが,
巴独
両文
の残
り を,
同
じや り方
で逐話
訳 してみ よう
。「しか し
(
kho
pana
)
その時 (
Tena ……
samayena)
,
多
く
の(
sambahula)
種
々な
る外 道 派
た ち(
nEnE・
titthiya
)
,
沙 門
と婆
羅門
た ち(
sama 準a−Brahm
餌a
)
,
遍 歴 者
たち が(
paTibbajaka
)托 鉢
のた め に(
pi吋 aya
)舎
衛城
に(
Savatthirb
)
は いっ た
(
pavisanti
)
。彼 等
は,
種
々の意 見 を持 ち (
nEna・
ditthikE
)
,
種
々 の信
仰
を抱 き (
ntinfi−
khantika
)
,
種
々の好
みを
持
ち(
nan 盃一
rucika)
,種
々 の観
点
に 依っ て い た(
nfina−ditthinissaya
。
nissitft)
。」「
今
や(
nun)
同 じ時 期
}こ (Zur
selbenZeit
)
,種
々 の宗 教 教 団
に所 属
し(
die
・
verschiedenenreligi δsen
Geme
三nschaften angeh6rten)
そ して遍 歴
の途
にあ
る
と
ころの(
und aufder
Wanderschaft
waren ),
多 数の苦 行 者
と波 羅 門
と が(
vieleAsketen
undBrahmanen
)
,
托 鉢
のた めに(
umder
Almosen
wi1一
ユen
) 舎 衛 城
へ(
nach
Stivatthi
)
やっ て来
た(
gingen
)
。 これ
らの人 人
は(
Di・
ese
)
,種
々 の意 見
を持
ち(
hatten
vielerleiAnsichten
)
,
信 仰 を 異
に し(
unte・
rschieden siehim
Glauben
),
種々様
々な る影響
を受
け(
standen unter ver・
−
502
一
一
94
−
schiedenartigem
EinflutS
)
,
そ
してあ らゆ
る種 類
の見
解
を頼
りに し てい た(
undverlieBen sich
auf aUerlei
Anschauungen
)
o」
巴
独
両文
の一
番
大 き
な違
い は,
パー
リ原典
が一
続 き
の文
,
つ ま りワソ。
セ ン テ ン ス になっ ているの に,
ドイツ語 訳
が ピ リオ ドで区 切
ら れて完 全
に2
つ の文
に分 け られ
て いること
であ
ろ う。 た しかに,
原 典
の nEna・
ditthikfi
(
種
々 の意見
を 持
つ)
,
nanti・
khantika
(種
々 の信
仰
を抱
く
)
, nfina・
rucika(
種
々 の好
み を持
っ